一見無駄だと思ってたことも、結局無駄じゃなかった。

この手のこと言う人、けっこういます。例えばイチローとか。
イチローは「無駄なことって、結局無駄じゃない」と言い切ります。例えば、身体を太くする筋トレ。現在のイチローは野球選手として相当の細身ですが、若い頃に一度ウェイトトレーニングで身体を太く大きくしようとした。しかし、バットが回らない。太く大きくした筋肉が邪魔をして身体が回転しない。結局イチローが自分のスイングを取り戻したのは夏場になって身体が細くなってきてからだった。イチローは当時の自分を「バカ」と認めつつ、誰もがマグワイアみたいに筋肉をつけることが正解ではない、骨や腱は大きくならないのだから過度に筋肉つけてもバランス崩すだけ、自分には自分に合った身体のバランスがある、という結論に達します。でね、ここから重要なんだけど、でもイチローは、そういう失敗を振り返っても、「無駄なことって、結局無駄じゃない」って言い切れるんです。

無駄なことは無駄じゃない。これはだいたい2つの意味で使われます。

ひとつは、一見すると無駄だと思っていた経験が、実は後になって意外なところで生きてきた、という場合。

もうひとつは、やってみて「ダメだ」ということがはっきりわかってよかった、という場合。イチローの場合はこれですね。筋トレは自分には向いてない、それがはっきりしてよかったじゃん、という具合に。

でも、イチロー自身が認めるように、無駄行動は一面ではやはり「ダメ」なのです。それを無理矢理「無駄じゃない」って思い込もうとしている、イチローの考えはそんな態度に基づいているように思えます。ではなぜ、イチローはそういう「ダメなこと→無駄じゃない」への価値の転換をするのでしょう。

それはおそらく、「自分を嫌いにならないため」です。

「無駄なことに貴重な時間を費やしてしまった!」→「もう取り返せない」→「なんて自分はダメなんだ…」…こういう自己否定の時間は、実際には何にもなりません。自分のセンチなナルシシズムを満たしてくれるだけです。無駄なことに時間を費やした自分を否定しないで、足踏みしてないで、さっさと次へ進む。それはある意味、自分を守る知恵とも言えます。自己否定で鬱々としないための、自分大好きでいるための、知恵。

イチローはまた、

やってみて「ダメだ」とわかったことと、はじめから「ダメだ」と言われたことは、違う

遠回りだって大事

とも語っていますが、これも根は同じでしょう。


しかし他方で、「イチローは結果を出してるからそんなふうにポジティブに考えられるんだ」と、うがった見方をすることもできます。

ザックジャパンがW杯で惨敗したとき、本田が「負けて一番つらいのは、今までやってきたことを否定せざるを得ないこと」とコメントしていました。本田は結果が出なかった。だからザックジャパンの4年間を否定せざるを得ない。それがつらい。
それもこれも、負けたからです。結果が出ないから、自己否定せざるを得ない。

イチローは結果を出してる男です。それもワールドクラスで。だからポジティブに考えることができる、それも一面でしょう。でも反面、ポジティブに考えることができるから、結果を出せてる。ぼくはそう考えます。


やってもみないうちから「それ無駄だよ!」と言ってくれる人がいます。
若いのに「無駄なことはしたくない」って考えてる人も多い。最短距離で結果を出したい、無駄な脇道に入りたくない、って考えてる人。すぐに「無駄!」と断じる人は、その攻撃の矛先を自分にも向けるでしょう。その結果自分もどんどん追い込まれてしまう。イチローののびやかなプレーは、彼ののびやかな考え方にルーツがある。それはわたしの考え過ぎでしょうか。