まじめになっちゃだめだ

そのほうがうまくいくんだ

2018年06月

勉強のコツ

・失敗しろ

・時間をかけろ

・反省するけど、最後は自分



これがわたしの勉強のコツ3箇条です。以下、説明。

・失敗しろ
不器用な人間が成長するにはこれしかありません。たくさん失敗して、たくさん痛い目みて、学ぶ。
世の中には要領のいいひとってのもいますが、うらやんでいても仕方ありません。たくさんぶつかって、失敗の経験を蓄積しましょう。後になって気づくものですが、実はそれが一番の財産です。

・時間をかけろ
時間をかける。これより他ないです。「時短」とか「効率」とか「即効果アリ!」が巷ではもてはやされてるようですが、だまされてはいけません。富野由悠季さんも言ってますが「コツコツやるしかない」んです。富野さんほどの人物が言うんだからもうそれしかないでしょう。
お気づきのことと思いますが、「時間をかけろ」は「失敗しろ」と密接に関わっています。失敗するんだから時間はかかります。時間をかけて、たくさん手をだして、たくさん失敗して…、それで身につくんです。要領のいいひとが1回でできたからといって、だから自分も…とはなりません。自分は同じことを2度3度とやって、繰り返しやって、身につける。スピード競争じゃないんだから、それでいいんです。

・反省するけど、最後は自分
…これは、以前からずっと思ってたことなんですが、「どうしてうまくいかないんだろう?」ってなったとき、自分を殺しちゃう人、多いなと思って。自分の考えをゼロにして他人の意見にしたがっちゃう、っていう。心底から納得してもいないのに表面上他人の言う通りにして、じゃあうまくいかなかったらどうするかっていうと、「誰々さんが言う通りにしただけです」って、それはダサイだろう、と。
納得してなきゃ納得するまで時間かけようよ。
納得してないのに表面上うまくやろうとするからストレスになるんです。他人につぶされちゃうんです。自分の心を「他人の意見」に独占させてはいけません。他人の意見は、耳ぐらいまではいれてほしいけど、あくまでハートは自分。考えるのも自分。他人の意見にそのまま全面降伏するんじゃなくて、自分のなかで一回咀嚼して、「この部分は納得できる、残りは納得できない」とか「やっぱ納得いかないわ」というように、他人を一度突き放して考えないといけません。それは、「師匠」とか「先生」と呼ばれるひとの意見でも、そうです。
自分の中の「納得」を、かんたんに手放さない。それが大事です。

…実はこれには、ウラの意味があります。実は、素直に他人の言う通りにできるひとの方が伸びます。それは間違いありません。でも、素直な人間ばかりじゃないじゃないですか。それに、人のいうことを聞くにしても、相手にもよるだろうし。だから、納得するまで失敗を繰り返して、時間をかけて。そうやって前に進むやり方だってあるんです。自分の道なんですから、他人と同じとは限りません。

無題

思いつき。

「町の本棚」作るのどうだろう。

人が集まる場所に本棚つくる
捨ててもいいような本を置いてく
読みたい人は自由に持って帰る

自分にとって役に立たなくなった本が誰か他の人の知的好奇心を満たす、ってことは大いにある。それを無料で実現する、ってわけ。

やることとしては「人が集まる場所に本棚作る」それだけ。

棚さえあればあとは勝手に本を処分したい人が置いてく。

駅のホームとかに置けないかな。そうすれば電車の待ち時間にふらっとのぞいて、おっ!おもしろそう、ってのが起こりうる。

コストはほぼタダ。それで人が勉強するきっかけが生まれたりする。

「スマホがあればそんなの要らないジャン」って人もいるけど、スマホは「自分の関心のあること」しか満たしてくれない。興味以外のことを刺激してくれたりしない。

ホントは町の喫煙コーナーとかに作りたい。タバコ吸ってるときのぶらっとしてる時間に本棚あったらつい見ちゃう。でも雨に濡れちゃうとイヤなので、やっぱ屋内がいい。
イメージとしてはコインランドリーに置いてあるマンガ。アレって興味ないけど暇つぶしに読んじゃうジャン。

「本を自由に読み捨てれるとなるとゴミ置場になっちゃわない?」というのも懸念されるが、そこは掃除人が判断してよいことにする。置いてある本が、新聞・雑誌なら捨てる。エロも捨てる。あとは残す。あまりにも汚い本、雨に濡れてるとか、は捨てる。この単純な基準で運用すればいけるんじゃないかな。

あとは転売対策。置いてある本を大量に持って帰って売りさばく人対策に、

本を置いていく人は、ページの横面にマジックでその町の名前を書く

とかルール作れば転売しても出どころバレるから悪質業者対策になるのでは。

学ぶって大事。だけど、強制的に学ばせるなんてこと、できない。だから、興味を掘り起こす、それも押しつけがましくなく、ってしたい。そのための「町の本棚」。本棚はいつもそこにあって、もし興味があればのぞいてもらい、必要であれば持って帰る。良書に出会えれば自分のためになるし、そうでなくても元がタダだから懐も痛まない。それに、強制されたわけじゃないからモチベーションの問題もない。もしオススメしたい本があれば既読の本を置いていけばよい。そうやってサイクルを回していって、住民の、ひとりでもふたりでもいいから、やる気をちょっとスイッチ入れる、良書のおすそ分けをする、そういうの、あってもいいかなーと思うのよ。政治家のみなさん、地域の教育水準の発展に、コストほぼゼロで寄与しそうな運動ですが、どーすか。

(イメージとしては『祝福王』の「誰でも1000円もらえる広場」です。アレって結局最後は「1000円もらいにくる人よりも、1000円喜捨しにくる人の方が増えて、1000円札がいつまでたってもなくならず、しかももらう人よりあげる人の方がうれしそう」ってなるんだよね)

Excel四十八手、更新しました 20180606

Excel四十八手、更新しました。今回はコチラ

VBA編です。単なる構文の紹介なので、おもしろみに欠けますが、きっと必要な内容だろうなーと思って書きました。まあ、もしよかったら。

あ、そうそう、手抜き記事ですみませんが、ウチの猫が超ハマってるおもちゃ。

<リンク>猫の家(R)

めちゃめちゃ遊んでハァハァいうまで遊んじゃうのでこっちが心配になるくらい。加減して遊んであげてください。

あと、こないだ買って超満足してるおしゃれな「もんぺ」。

<リンク>うなぎの寝床

ちょっとお高いんだけど、でも履いててラク。ウエストはゴムだ、。履き心地もいい。涼しいし、軽い。
そして上にシャツはおればビジネスカジュアルくらいならいけちゃいそうなスマート感(色にもよるけど。自分はキャメルを購入)。
蚤の市の出店で購入したのですが、店員さんに「これであなたもモンペニスタですね」と言われる。モンペニスタ…なんだその呼称。。


尊とか徳とか

「経済」を「金もうけ」と理解してる人とは友達になれん。
「儲け」とか「利益」とか「損/得」とか、世間ではそんなことばかり言われている気がするんだけど、違和感ばかり溜まっていって。

自分だけが儲けたいと思ってない?
自分の利益がとにかく増えればいいと思ってない?
実体の伴わないものでも、高く売りつければそれでいいと思ってない?
10円でも100円でも得したいと思ってない?そのためにすごい労力使ってポイント貯めたり値引き交渉したりしてない?

世知辛い。

何となく晴れない閉塞感。こういうときは古典を読もう!そう思い、二宮尊徳『二宮翁夜話』(中公クラシックス)に手を伸ばした。
古典はよい。100年以上、場合によっては1000年単位で通用する知、人間や社会の本質を浮かび上がらせてくれる。古くさいかもしれないが、風雪に耐えてきた重みがある。もちろん、最新の人の最新の本にも良さはある。例えば○○エモンとか。でも、○○エモンの言ってる事の耐用年数はおそらく5年くらいのものだろう。もしかしたらもっと短いかもしれない(あるいは、本にした時点ですでに廃れているかもしれない。本人はそのもっと前から知識を仕入れ考えてきてその情報格差で儲けてきたのだから)。それに、現状を打破する仕方は、現代ばかりを見つめていてはままならんだろう、とも思う。そのための古典だ。古きをたずね新しきを知る。

ということで二宮尊徳。この人は「経世済民」の人なんですよ。経世済民、世を経め(おさめ)民を済う(すくう)。これが短くなって「経済」。だから「経済」ってことば、本来は「民の暮らしを豊かにするにはどうしたらいいか」っていう、お金の流れも政治についても含めた広い意味のものだったんです。
で、「経世済民」を実現するのに二宮尊徳が重きを置いたのが「道徳」。徳のある行動、仁義礼智に基づいた考え方は民の暮らし向きの向上と結びつく、ということを教えてくれるんだけど、だからといって頭でっかちになっても誰もついてこないよと戒めてもくれる、バランスのとれた本。まあ、時代が時代なんで、農民向けの話が多いんだけど、でも農民の話を自分に置き換えればいいし。それに、オレも心根は農民だし。

というわけで以下、いくつか引用。

ひもじいときに、よその家へ行って、「どうか一飯めぐんでください。そうすれば私は庭をはきましょう」と言っても、一飯をふるまってくれる者はない。空腹をがまんしてまず庭をはけば、あるいは一飯にありつくこともあろう。これは、おのれを捨てて人にしたがう道であって、物事すべてがうまくゆかなくなったようなときにも可能な道だ。

たとえば家を取ろうと思って家を取り、村長になろうと願って村長となるなどは、その家、その村はきっと治まらない。なぜなら、こうしようと欲してすれば謀計(はかりごと)や細工を用いるからだ。謀計や細工を用いれば、衆人の恨みがあつまるところとなるので、いったんは勢いに乗じて智力を用いて成功するとしても、どうして長続きがするだろうか。

農夫が田畑のために力を尽くし、人糞(こやし)をかけ干鰯(ほしか)を用い、作物のために力を尽くせば、秋になって実りを得ることが必ず多いにちがいない。ところが、菜をまいて芽が出ればすぐに芽をつみ、枝がでれば枝を切り、穂を出せば穂をつみ、実がなれば実を取る。こうしていては決して収穫がない。商法もまた同じことで、自分の利欲のみを考えて、買う人のためを思わず、むりやりにむさぼれば、その店の衰えることは眼に見えている。

将来のことを考える者は富み、目先のことだけを考える者は貧する。

大事をなそうと欲すれば、小さな事を怠らず勤めよ。小が積もって大となるものだからだ。およそ小人の常で、大きな事を欲して、小さな事を怠り、できがたい事を心配して、できやすい事を勤めない。それで、結局は大きな事ができないのだ。大は小を積んで大になることを知らないからだ。たとえば、百万石の米といっても粒が大きいわけではない。万町歩の田を耕すのも、その作業は一鍬(くわ)ずつの仕事である。千里の道も一歩ずつ歩んで到達する。山を作るのも一簣(もっこ)の土からなることをよく知って、よく励んで小事を勤めたならば、大事も必ずなるだろう。小さい事をゆるがせにする者には、大きな事は決してできないものである。

万巻の書物があっても無学の者には役に立たない。隣に金貸しがいても自分に借りる力がなければどうにもならない。向かいに米屋があっても銭がなければ買うことはできない。だから、書物を読もうと思ったなら、いろはから習い始めるがよい。家を興そうと思ったなら、小より積み始めるがよい。このほかに術はないものだ。

世の中の人を御覧、一銭の柿を買うにも、二銭の梨を買うにも、真頭のまっすぐな、きずのないのを選んで取るではないか。また茶碗一つ買うにも、色のよい、形のよいのを選ってなでてみ、鳴らして音を聞き、選りに選って取るものだ。世の人たちはみなそうだ。柿や梨は、買っても悪ければ捨てればよい。こういうものさえこれなのだ。だから人に選ばれて聟(むこ)となり嫁となる者、あるいは仕官して立身を願う者、自分の身にきずがあっては人が取ってくれないのは当然のことだ。自分にきずが多いのに、上の人が取ってくれなければ、上には眼がないなどと、上に立つ人を悪く言い、人をとがめるのは大きな間違いだ。そういう人は、自分をふり返ってみよ。きっと自分の身に傷があるせいだ。人の身のきずとは何かといえば、たとえば酒が好きだとか、酒の上が悪いとか、放蕩だとか、勝負事が好きだとか、惰弱だとか、無芸だとか、何か一つや二つのきずはあろう。買い手がないのは当然だ。これを柿や梨にたとえれば、真頭がまがって渋そうに見えるのと同じだ。人が買わないのも無理がない。そこをよく考えるべきだ。古語(『大学』)に、「内に誠あれば必ず外にあらわる」(内容がしっかりしていれば必ず外にあらわれる)と言っている。きずがなくて、真頭のまっすぐな柿が売れないということはない。どんな草深い中でも山芋があれば、人がすぐに見つけて捨てておくことはない。また泥深い水中に潜伏している鰻(うなぎ)や鰌(どじょう)も、きっと人が見つけて捕える世の中だ。だから、内に誠があって外にあらわれない道理はない。この道理をよく心得て、身にきずのないように心がけなさい。

読んでみて、「あ、欽ちゃんの考えに似てるなー」と思ったんだけど、つまりは欽ちゃんも尊徳的な考え方を身につけてる、ってことなんだね、きっと。

プロフィール

森田表計算の中の人と同一人物。
実物はスーパーキャットに似ているらしい。『パタリロ』の。

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