まじめになっちゃだめだ

そのほうがうまくいくんだ

日記

無題

思いつき。

「町の本棚」作るのどうだろう。

人が集まる場所に本棚つくる
捨ててもいいような本を置いてく
読みたい人は自由に持って帰る

自分にとって役に立たなくなった本が誰か他の人の知的好奇心を満たす、ってことは大いにある。それを無料で実現する、ってわけ。

やることとしては「人が集まる場所に本棚作る」それだけ。

棚さえあればあとは勝手に本を処分したい人が置いてく。

駅のホームとかに置けないかな。そうすれば電車の待ち時間にふらっとのぞいて、おっ!おもしろそう、ってのが起こりうる。

コストはほぼタダ。それで人が勉強するきっかけが生まれたりする。

「スマホがあればそんなの要らないジャン」って人もいるけど、スマホは「自分の関心のあること」しか満たしてくれない。興味以外のことを刺激してくれたりしない。

ホントは町の喫煙コーナーとかに作りたい。タバコ吸ってるときのぶらっとしてる時間に本棚あったらつい見ちゃう。でも雨に濡れちゃうとイヤなので、やっぱ屋内がいい。
イメージとしてはコインランドリーに置いてあるマンガ。アレって興味ないけど暇つぶしに読んじゃうジャン。

「本を自由に読み捨てれるとなるとゴミ置場になっちゃわない?」というのも懸念されるが、そこは掃除人が判断してよいことにする。置いてある本が、新聞・雑誌なら捨てる。エロも捨てる。あとは残す。あまりにも汚い本、雨に濡れてるとか、は捨てる。この単純な基準で運用すればいけるんじゃないかな。

あとは転売対策。置いてある本を大量に持って帰って売りさばく人対策に、

本を置いていく人は、ページの横面にマジックでその町の名前を書く

とかルール作れば転売しても出どころバレるから悪質業者対策になるのでは。

学ぶって大事。だけど、強制的に学ばせるなんてこと、できない。だから、興味を掘り起こす、それも押しつけがましくなく、ってしたい。そのための「町の本棚」。本棚はいつもそこにあって、もし興味があればのぞいてもらい、必要であれば持って帰る。良書に出会えれば自分のためになるし、そうでなくても元がタダだから懐も痛まない。それに、強制されたわけじゃないからモチベーションの問題もない。もしオススメしたい本があれば既読の本を置いていけばよい。そうやってサイクルを回していって、住民の、ひとりでもふたりでもいいから、やる気をちょっとスイッチ入れる、良書のおすそ分けをする、そういうの、あってもいいかなーと思うのよ。政治家のみなさん、地域の教育水準の発展に、コストほぼゼロで寄与しそうな運動ですが、どーすか。

(イメージとしては『祝福王』の「誰でも1000円もらえる広場」です。アレって結局最後は「1000円もらいにくる人よりも、1000円喜捨しにくる人の方が増えて、1000円札がいつまでたってもなくならず、しかももらう人よりあげる人の方がうれしそう」ってなるんだよね)

尊とか徳とか

「経済」を「金もうけ」と理解してる人とは友達になれん。
「儲け」とか「利益」とか「損/得」とか、世間ではそんなことばかり言われている気がするんだけど、違和感ばかり溜まっていって。

自分だけが儲けたいと思ってない?
自分の利益がとにかく増えればいいと思ってない?
実体の伴わないものでも、高く売りつければそれでいいと思ってない?
10円でも100円でも得したいと思ってない?そのためにすごい労力使ってポイント貯めたり値引き交渉したりしてない?

世知辛い。

何となく晴れない閉塞感。こういうときは古典を読もう!そう思い、二宮尊徳『二宮翁夜話』(中公クラシックス)に手を伸ばした。
古典はよい。100年以上、場合によっては1000年単位で通用する知、人間や社会の本質を浮かび上がらせてくれる。古くさいかもしれないが、風雪に耐えてきた重みがある。もちろん、最新の人の最新の本にも良さはある。例えば○○エモンとか。でも、○○エモンの言ってる事の耐用年数はおそらく5年くらいのものだろう。もしかしたらもっと短いかもしれない(あるいは、本にした時点ですでに廃れているかもしれない。本人はそのもっと前から知識を仕入れ考えてきてその情報格差で儲けてきたのだから)。それに、現状を打破する仕方は、現代ばかりを見つめていてはままならんだろう、とも思う。そのための古典だ。古きをたずね新しきを知る。

ということで二宮尊徳。この人は「経世済民」の人なんですよ。経世済民、世を経め(おさめ)民を済う(すくう)。これが短くなって「経済」。だから「経済」ってことば、本来は「民の暮らしを豊かにするにはどうしたらいいか」っていう、お金の流れも政治についても含めた広い意味のものだったんです。
で、「経世済民」を実現するのに二宮尊徳が重きを置いたのが「道徳」。徳のある行動、仁義礼智に基づいた考え方は民の暮らし向きの向上と結びつく、ということを教えてくれるんだけど、だからといって頭でっかちになっても誰もついてこないよと戒めてもくれる、バランスのとれた本。まあ、時代が時代なんで、農民向けの話が多いんだけど、でも農民の話を自分に置き換えればいいし。それに、オレも心根は農民だし。

というわけで以下、いくつか引用。

ひもじいときに、よその家へ行って、「どうか一飯めぐんでください。そうすれば私は庭をはきましょう」と言っても、一飯をふるまってくれる者はない。空腹をがまんしてまず庭をはけば、あるいは一飯にありつくこともあろう。これは、おのれを捨てて人にしたがう道であって、物事すべてがうまくゆかなくなったようなときにも可能な道だ。

たとえば家を取ろうと思って家を取り、村長になろうと願って村長となるなどは、その家、その村はきっと治まらない。なぜなら、こうしようと欲してすれば謀計(はかりごと)や細工を用いるからだ。謀計や細工を用いれば、衆人の恨みがあつまるところとなるので、いったんは勢いに乗じて智力を用いて成功するとしても、どうして長続きがするだろうか。

農夫が田畑のために力を尽くし、人糞(こやし)をかけ干鰯(ほしか)を用い、作物のために力を尽くせば、秋になって実りを得ることが必ず多いにちがいない。ところが、菜をまいて芽が出ればすぐに芽をつみ、枝がでれば枝を切り、穂を出せば穂をつみ、実がなれば実を取る。こうしていては決して収穫がない。商法もまた同じことで、自分の利欲のみを考えて、買う人のためを思わず、むりやりにむさぼれば、その店の衰えることは眼に見えている。

将来のことを考える者は富み、目先のことだけを考える者は貧する。

大事をなそうと欲すれば、小さな事を怠らず勤めよ。小が積もって大となるものだからだ。およそ小人の常で、大きな事を欲して、小さな事を怠り、できがたい事を心配して、できやすい事を勤めない。それで、結局は大きな事ができないのだ。大は小を積んで大になることを知らないからだ。たとえば、百万石の米といっても粒が大きいわけではない。万町歩の田を耕すのも、その作業は一鍬(くわ)ずつの仕事である。千里の道も一歩ずつ歩んで到達する。山を作るのも一簣(もっこ)の土からなることをよく知って、よく励んで小事を勤めたならば、大事も必ずなるだろう。小さい事をゆるがせにする者には、大きな事は決してできないものである。

万巻の書物があっても無学の者には役に立たない。隣に金貸しがいても自分に借りる力がなければどうにもならない。向かいに米屋があっても銭がなければ買うことはできない。だから、書物を読もうと思ったなら、いろはから習い始めるがよい。家を興そうと思ったなら、小より積み始めるがよい。このほかに術はないものだ。

世の中の人を御覧、一銭の柿を買うにも、二銭の梨を買うにも、真頭のまっすぐな、きずのないのを選んで取るではないか。また茶碗一つ買うにも、色のよい、形のよいのを選ってなでてみ、鳴らして音を聞き、選りに選って取るものだ。世の人たちはみなそうだ。柿や梨は、買っても悪ければ捨てればよい。こういうものさえこれなのだ。だから人に選ばれて聟(むこ)となり嫁となる者、あるいは仕官して立身を願う者、自分の身にきずがあっては人が取ってくれないのは当然のことだ。自分にきずが多いのに、上の人が取ってくれなければ、上には眼がないなどと、上に立つ人を悪く言い、人をとがめるのは大きな間違いだ。そういう人は、自分をふり返ってみよ。きっと自分の身に傷があるせいだ。人の身のきずとは何かといえば、たとえば酒が好きだとか、酒の上が悪いとか、放蕩だとか、勝負事が好きだとか、惰弱だとか、無芸だとか、何か一つや二つのきずはあろう。買い手がないのは当然だ。これを柿や梨にたとえれば、真頭がまがって渋そうに見えるのと同じだ。人が買わないのも無理がない。そこをよく考えるべきだ。古語(『大学』)に、「内に誠あれば必ず外にあらわる」(内容がしっかりしていれば必ず外にあらわれる)と言っている。きずがなくて、真頭のまっすぐな柿が売れないということはない。どんな草深い中でも山芋があれば、人がすぐに見つけて捨てておくことはない。また泥深い水中に潜伏している鰻(うなぎ)や鰌(どじょう)も、きっと人が見つけて捕える世の中だ。だから、内に誠があって外にあらわれない道理はない。この道理をよく心得て、身にきずのないように心がけなさい。

読んでみて、「あ、欽ちゃんの考えに似てるなー」と思ったんだけど、つまりは欽ちゃんも尊徳的な考え方を身につけてる、ってことなんだね、きっと。

手をつなぐ

・お手々つないで

娘が手をつないでました。

ねこ444


ねこ445
 
「なあ、ええやろ」
「えー、まだわたしたち知り合って間もないし」
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「ええやないか、な」
「えー、どうしようかな」

ねこ447

「好きなんや、好きなんや、なあ」
「ちょっと、強引です」

ねこ448

この娘たちも1歳半を過ぎ。メスのせいかちょっと小さめだけど、もうこれ以上は大きくならないのかね。
抱っこする分にはジャストサイズですけど。


・シャムmixか?

この娘↓。
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拾ったこともあり猫種がちょっとわからなかったのですが、、、柄も純日本猫風じゃないし。
いろいろ検索した結果、シャムmixがいちばん近い気がする。
シャムmix、、、そんな高級そうな猫が道に落ちてたのか、、どういう経緯だ。

ねこ450



・ 残業

企業の「残業させない対策」 で「夜9時以降は強制的にPC落とします」みたいなニュースを見たり実際やってる話を聞いたりするんだけど、何だろね、全然ちがうんだよな、と思う。

何かね、いろいろ言いたいことはあるしアレコレ考えてもみるんだけど、結局のところ、会社はおそらく何にもしてくれない。
何かしたとしても、見当違いのことしかやらない。

「人を増やしてくれ」と言っても入れてくれないし(そりゃそうだ、お金がかかるから)、
「新システムを導入してくれ」なんて意見も通らない(お金がかかるから)。
経営者が好きなのは「お金のかからない革新」であって、「新しい仕組みのためにはウン千万円かかります!」ってのは嫌いだ。残念ながら。

だから、個々人が対策練っていくしかないよ。
レベルアップ、スキルアップして時間を減らす。そのための勉強も自分でする。会社が勉強の機会を提供してくれるなんて思わないで、自分で学んで、自分で効率上げていく。それか、あきらめて、まじめになるのを辞める。会社の要求に対して「できないッス」「無理ッス」。会社は守ってなんかくれないです。会社とか他人の要求に対してまじめに応えようとするから心を壊す。無理にでも要求に応えようとしちゃうのはある意味「自分がない、自信がない」ことの裏返しだったりするので当てはまる人はちょっと考えた方がいいんだけど、とにかく自分のできる範囲を正確に見積もって、それを超える分はあきらめる。そういう人間的スキル上達の訓練を、自分でする。

「会社に期待しない」と「学校に期待しない」。この2つが、世知辛い世の中を生きていくのに必要だと思ってるんだけど、、そういうの誰も教えてくれないのかね。どうなのかね。

えー、年も変わりましてですねえ

年も明け。
千葉に遠征しました。目指すは鋸山です。
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拠点とするのは浜金谷駅。朝7時出発で、電車を乗り継ぎここに到着したのが10時。ここから鋸山頂上を目指します。
町の風景。
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海沿いなので南国風の木が多い、気がする。冬枯れしてるけど。
この石垣、鋸山で切り出した石を使ってるんだって。鋸山は石の産地だったらしく、昔は人力で、チェーンソーとかもないからつるはしでガシガシ削って切り出していたらしいよ。セブンイレブンのとなりのカフェのおばちゃんが教えてくれた。
そうそう、セブンイレブンの隣にKANAYA STATIONってカフェがあって、そこのおばちゃんがとても親切で。前を通りがかっただけの私を中に案内してくれていろいろ歴史とか(手短に)教えてくれた。ぜひ帰りに立ち寄ろうと思っていたのだが、、、帰りはちょっとしたルート手違いで立ち寄れず。お風呂もやってるし次はぜひ寄りたい。

さて、駅周辺にさっそく廃墟のすがたが。
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なぞの実も。
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そんなこんなでうろうろしてたら山道入り口に着いた。
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せっかくだから、オレは左の道を選ぶことに。
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左の道は車力道と言って、昔は切り出した石を女性の労働者が手押し車で運ぶための道だったんだって。240kgとか運ぶらしいよ。ハンパねえな昔の人。

ここからは登り道。いくつか廃屋もあった。
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ぺしゃんこ。
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穴だらけ。

のぼって行くと、だんだん石壁がせまってくる。
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こんなところ手押し車で下るのかよ。。

「お墓がある!」と思ってちょっとビビったら、
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切り出した石を放置した跡だった。サイズ感が墓石に似ててビビる。

で、ついに石壁である。
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昔のブルドーザーもあった。
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なぞのオブジェ。
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さて、鋸山山頂は2時間ほどで着きました。
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329.5m。ですが、けっこうアップダウンは激しい。階段状になっているところがほとんどなんだけど、その1段1段がキツいので、足腰膝に負担がきます。正直まじハード。

とちゅう海も見えました。
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向こうに見えるのは富士山!来るとちゅう内房線からも見えたんだけど、そりゃあんだけデカけりゃ信仰の対象になるわな、と納得。
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当日は好天に恵まれて最高の眺め。

あと、変な木もあったり。
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ご年配者にとってのカタカナ表記のむずかしさを再認識させられたり。

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ロープエイ。ロープウェイ乗り場もあるらしいんですよ、今回は使わなかったけど。

で、山頂に寄ったあと一旦とちゅうまでルートを戻り、日本寺の方に寄りました。

崖から下を見下ろせる地獄のぞきは、
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超並んでいたのでスルー。日本寺の方は、ロープウェイや自動車で参拝する人がたくさんいるらしく、人・人・人でごった返す。山の服装してる私みたいな人は少数派。

石壁の仏様も。
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すごく良かったコレ!素直にありがたみを感じたわ!平面仏に小生いたく感動。

そして大仏。
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鎌倉の大仏や奈良の大仏よりも大きいサイズ、みたいです。すばらしいね。

ここでおみくじひいて大吉でした。ついでに厄よけのお札も奉納する前厄の私。

で、下山したら、、出発地の浜金谷の方じゃなく、保田駅の近くに来ちゃったので、、
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保田駅近くの道の駅で温泉はいろうと思い立ち寄る。KANAYA STATIONのおばちゃん、寄れなくてゴメンね。
この道の駅は元小学校なんだって。改装してお風呂・ごはん・宿泊可能な施設に生まれ変わったらしいよ。
しかし、、、本日混み混みでお風呂は15:00まで。。。。ちょっとお風呂の時間に間に合わず。
ということでお風呂入れないまま再び電車で3時間、帰路についたとさ。やはり正月3が日は、綿密に計画たてて行かないとね。


実績

気づいたらもう年末である。はたして今年何をしただろうか、、、今年の実績を列挙すると、

・プラモ作った
・メロウリンク見た
・星をみるひとクリアした

以上。…我ながら華麗な実績である。

そう、ひさびさにプラモ作ってみたら、ものすごく集中力がなくなってる&パーツ分けが複雑で頭がこんがらがるという、老いを直視せざるを得ない事態になって。色塗らない・素組みするだけのお手軽プラモ道なのに、つらい。とにかくつらい。そしてウチの娘が(よけいな)お手伝いをしに来る。

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ちょっと目を離すとさっき作った右足くわえて持ってっちゃったりする。我が家は環境がよくない。

ところで、上のコイツ顔が黒くなったなー、と。ひろって1年経過したんだが、ひろった当初はコレ↓。

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(2月くらい)

こちらも2月。
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んで、今はコレ↓。
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(一緒にメロウリンク見るの図)

黒い。黒すぎる。なぜこうなった。

『星みる』もね、クリアできたんですよ。小学生の頃やった時には「3人目の仲間が見つからない、敵にダメージが与えられない」と投げたんですが、、心のもやがまたひとつ晴れました。

あ、また娘が冷蔵庫の下におもちゃを入れちゃって途方に暮れている。。。

プロフィール

森田表計算の中の人と同一人物。
実物はスーパーキャットに似ているらしい。『パタリロ』の。

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