2016年08月22日

全人類マストの映画!

シン・ゴジラ『シン・ゴジラ』(2016)
監督: 庵野秀明、樋口真嗣


いやはや、とんでもねぇ映画だったぞ。

これは初代『ゴジラ』(昭和29年)以来の問題作(っつか「事件」!)であり、そして恐らくは、60年前の初代『ゴジラ』を初めて超えたシリーズ最高傑作
いや、マジで。

『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』(2003年)を絶賛していた自分が恥ずかしいわ。
中間にあったゴジラ映画(2作目から『ゴジラ FINAL WARS』までの27作)は、今やどれもが無用であるように思えてきた。(もちろん、アメリカ産の二作も!)

初代『ゴジラ』と『シン・ゴジラ』の何が凄いって、ゴジラの位置づけが他とはまるで違うんです。その二作品だけがゴジラによって「日本の立ち位置」を明確に浮かび上がらせる構造になっている。

60年前の初代『ゴジラ』が「第二次大戦で日本本土が受けた脅威」のメタファーであったならば、『シン・ゴジラ』は「現在の日本に内在する全ての脅威」を顕在化させる。
日本に内在する現在の脅威とは、例えば

■大規模自然災害
■超規模火力を備えた外敵
■予期せぬテロリズム
■広域放射能汚染のリスク
■エネルギー問題・・・


えと、だから、首都圏直下型地震とか、テポドンとか、原発事故とか、テロ災害とか…その全部です。
これらの有事が現実化した際の日本の対応を「政府の視点」で完全にシミュレーションしてみせるのが本作。

なにしろ、日本政府はワタワタなんです。
■現実逃避的な楽観論ゆえに後手に回る政府
■内閣幹部や有識者の硬直発想
■法律の改正問題(『ゴジラ法案』を通さなければ身動き取れない現行の法制度)
■日米安保条約の背後で主権を譲らないアメリカの思惑
■非情な国連決議の中で翻弄される日本のポジショニング
■国民への自然的な情報拡散とデモの発生(そして、その無力性)
■首都機能の崩壊に対して受け皿となるべき地方行政の脆弱性
■どのような事態に陥っても国際的立場を模索する外交戦略

※えと、上記の要素が全て『シン・ゴジラ』で描かれています。物凄い情報量です。

有事時の日本の対応を描くに、映画はゴジラという《最大級の脅威》を必要としていて、そのようなゴジラの(正しい)扱いが60年ぶり、というわけなんです。
初代『ゴジラ』と『シン・ゴジラ』以外のシリーズ作では、何だかんだ言って物分かり良くゴジラを本土に迎え入れていたわけですが、『シン・ゴジラ』では60年前と同等に「日本本土にゴジラが存在することの違和感」が映像の大部分に映し出され、なにしろ、ゴジラが邪悪で気持ち悪いんです。建物の中に屹立するゴジラの威圧感や絶望感がハンパない。
えとね、ちょっぴりだけネタバレするけど、この映画、アクションが少ないんスよ、「動かない」とさえ言えるのに、ゴジラが常に不気味で邪悪。しかも、ゴジラの「何段階かの変化」も気持ち悪いんだ、これが…。(あ、ネタバレさせ過ぎ…?)
「そこに在るだけで脅威」っつう扱いは、つまり、ゴジラが《全ての有事》を象徴しているからなんです。

そのようなコンセプトの正確さと、シナリオの的確さと、映像の鋭さが100点満点。

特撮もすげーの何のって。自信満々の「ロング(引き)の映像」は居住地とゴジラを見事に映し出し、どこまでがCGかミニチュアなのか全然わからない。本物のニュース映像のように思えてきちゃう。
それから、伊福部昭のスコアのハマりっぷりも尋常じゃない。本作の為に作曲された楽曲群だと錯覚しちゃう。伊福部楽曲は初代と本作以外から全部カットすべきだぞ!(おっと、言い過ぎ?)
音のハマリが良さに興奮した僕は何度か「叫び出しそうな感情」を抑えるのに必死でしたね。
実際、僕は開始5分目ぐらいからアドレナリンがドックドクに出まくっていた感じ。
(観終わった後で奥さんも「心臓のバクバクが収まらない…」と発言。わかるわ。)

初代『ゴジラ』を僕はかれこれ20回は観たはずだけれども、『シン・ゴジラ』がDVD化されたら一気に30回観たいですね。全場面を覚え込むくらいに観まくりたい。
(情報量が多過ぎて、猛スピード&早口の進行を再確認したい意図もあるし…)


『シン・ゴジラ』の主題は「この継続する苦難の中でも希望を抱き生き延びろ!(=絶望せずに苦難と共存せよ!)」という日本へのメッセージ。
これは、60年前の初代『ゴジラ』のメッセージが「苦難には終わりがあり、それを乗り越えろ!(=復興せよ!)」であったことと比べて時代の変化を感じますね。脅威の質も量も60年前とは違うんだから。


原爆体験のあった戦後日本におけるゴジラの存在意義とメッセージ(60年前)が、原発事故後の日本の状況に鮮やかに上書きされて、バシッとリアルに「現在」を映し出すわけなんです。
そう、この映画は近未来を描くSF作ではなく、現在を描く社会派ドラマなんです。
だからきっと、初代『ゴジラ』がそうであったように、『シン・ゴジラ』も60年後には設定やテーマが古臭くなってしまうのだろうと思うけど、それ、正しいでしょ。
《ポップな表現》は、断固そうあるべきだ。

結論:
《2016年の問題》と完全に向かい合っているという点で『シン・ゴジラ』には「2016年に観るべき圧倒的な必然」があって、瞬間風速的に60年前の初代『ゴジラ』を超えてる。
そのことで、歴代のシリーズ作が畏怖の念で仰ぎ見ていた初代『ゴジラ』の不可侵の聖域性を『シン・ゴジラ』は完全に破壊した。

それを思うだけで僕はゾクゾクする。まさに破壊王。

21世紀を力強く生き抜いていくために、全ての人類が『シン・ゴジラ』を観るべきだと僕は思う。

まだ間に合う。
観ろってば!


蛇足1:かつて、平成『ガメラ』シリーズのプロデューサーとお話をする機会があって、その時に僕は「怪獣の出現を政治・経済と関連して描くのはいかがか」と提案したんです。ドラマの進行に合わせて、内閣支持率や株価の変動、失業率、被害総額を画面の端に表示し続けましょうよ!なんつって。(お、そのアイディア、久しぶりに思い出したけど、今でも面白いや!)
あの時点では『ガメラ』でなら、それは成し得ると思って。
その点、『シン・ゴジラ』は完璧でしたね。当時の僕の発想を遥かに超えてる。


蛇足2:鑑賞後、映画館の出口付近で奥さん&息子達と「最終的なゴジラの状態(生きてる?死んでる?)」について激論。楽しー!
それはそれとして、小学生には少し内容は難しかったかも。それと、ゴジラの形状が怖過ぎ・キモ過ぎだったみたい。
僕と奥さんからは息子達に「三年ごとに『シン・ゴジラ』を観直しなさい。その度に《何か》に気づくから」と声をかけた。


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2016年04月22日

殿下と一緒にいた

当初は何とも思っていなかったですね。

えぇ、だから、プリンスのことが。




80年代の僕はMTV文化への嫌悪感・不信感の中でプリンスを処理していましたよ。
そう、【スリラー以降のマイケル】と同様に。

そして、あれは1990年のこと、、、

その頃の僕は「ポストパンク的なアレコレ」に完全に失望しきっていて、70年代のロックを聴き返していた頃。トッド・ラングレンの流れでブルー・アイド・ソウルなんかも聴き始めていましたね。でも、ブラックミュージックはまだ。(つまり、ブルー・アイド・ソウル経由でブラックに流れ込んでいく逆流型だったってことなのね)

そんなある日…

とある高級ハンバーガー店。
えと、チェリーコークとのセットで1500円ぐらいするお店。自分へのご褒美的に月に一度ぐらいの間隔で行ってたの。(あの頃は、独身だったからねぇ)

満足して帰ろうとしたら、「くじ引きをしていかないか」と声をかけられ。
で、くじを引いたら当たったんですよ。

プリンスのヌードツアーのチケットが。

1990/09/10 (月) の横浜スタジアム。
個人的には東京ドームの方がよかったのですけど(アクセス的に)。

で、音楽誌からセットリストを入手して、CDをレンタルして、セットリストどおりにカセットテープ(!)に編集して、聴いたダよ、毎日。
正直、ピンと来なかったダよ。
『パープル・レイン』、長過ぎるし。

MTV時代の残像感(つまり、レボル―ション時代のビジュアル感)と、ピンと来ない感と、横浜が遠い感が相まって、ちょっと足が重かったデスよ。
せめて肉マンでも楽しみに出かけたですよ、横浜に。

******

2時間ちょいぐらいの公演が終わった時、スタジアムの出口に向かう途中、こんな会話を耳にしたんです。
「あのさ、プリンスって天才とか言われるじゃん? ねぇ、そう思えた?」

僕は、(ニヤニヤ笑いの)そいつのことを睨みつけていたんデス。

だって、プリンスは天才だったから。

楽曲も演奏も歌唱もダンスも演出も、何もかもが天才だったダよ、プリンスは。二時間もプリンスと向かい合えば簡単にわかるよ、ぷりぬが天才だってことは。
新バンド(ニュー・パワー・ジェネレーション)の演奏はサイコーだった。タフな音楽。
『Take Me With U』とか、録音音源よりも全然すごかったもん。

ヌードツアーの日本最終日にあたる横浜公演はプリンス来日歴の中でもベスト3に入ると言われている伝説のライブなんです。ノリノリのプリンスは「ヨコハーマ!」を叫び続けていた。後日、テレビでオンエアされた東京ドーム公演よりも明らかにプリンスはノッていた。(知人に聴いたところ、初日の東京ドームはダレダレで最悪だったんだって…)
僕はただ運だけでその伝説を引き当ててしまったんです。神様に感謝してます。
※本ページに掲載した写真もヌードツアー時のプリンス。今見てもサイコーの時期ですね!

その日から僕はプリンス信者になったダ。

ピンと来なかったはずの楽曲群がどれも「最高のオンガク」に聴こえるようになりましたね。(それを境に、あらゆるブラックミュージックが面白く聴こえるようになった!)
旧譜をガツガツと聴き漁りつつ、新譜が出るのが楽しみで。そして新譜を聴くたびに驚かされて。

それからは来日のたびに観に行った。
最後は、メイシオ・パーカーと一緒に来た時。2002年かな。
オープニングで「あれ?殿下がいない…」と思ったら、プリンスはいきなりドラムスを叩いていたっけな。

******

えと、そんな僕も、近年、プリンスとはご無沙汰で。
『アート・オフィシャル・エイジ』(2014年)もレビューしようしようと思いながら、な〜んかピンと来なくてね。

80年代のプリンスがサイコーだった人に『アート・オフィシャル・エイジ』はピンと来ないはずなのだけど、90年代のプリンス(NPJや"元プリンス"の時代ね)がサイコーだった僕にも『アート・オフィシャル・エイジ』はピンと来なかったのです。

挑発されていない感じが。

でも、聴きやすいんだ、『アート・オフィシャル・エイジ』は。それは認める。

いや、だからね、プリンスは僕のスタンスに変化を要求しているようでもあったのですよ。
いつまでもプリンスの挑発を待っている立場でプリンスを批評するのではなくて、一緒に歳をとっていけたら、ずっと楽しんでいけたなら、それはそれでいいだろ、と。
えぇ確かにそれはいいデスね。サイコーですね。
そんな風に思い直しつつあったところだったんです。いや、ホントに。

そんなことを思わせるプリンスを「失速」だとか「枯れた」とか批判するようなスタンスもこの際返上するぞ、と。
もう、さんざん世話になったしね。
後は、ただ一緒にい続けられること、長くプリンスの音楽を聴き続けられることを願っていたわけなのです。


そしたら、


プリンスが死んじゃった。


今朝、寝床で一報を知り、僕は大声で叫んでしまった。


あぁ、もう少し、一緒にいて欲しかったけどなぁ。
そうか、死んじゃったか…。


偶然なのですけど、
先月、プリンスの編集ファイルを作ったんです。
ほぼ全アルバムの楽曲を3本のファイルに編集してあったんですけど、各々が2時間の長尺で、全然聴かなくなっちゃっていたんで、その3本を1本にまとめちゃえ、と。

もう、編集方針は単純で。
(1)全キャリアを網羅する必要なし。
(2)ヒットシングルやライブでの定番曲などに固執しない。
(3)音楽的な先進性とか歌詞とかの話題作も、それを理由に選曲しない。
(4)日曜日の午前中に家族が過ごす空間で流して気持ちよくてハッピーな楽曲を並べる。
(5)長い曲とか、メドレー形式の楽曲は勝手に切り刻むことを許す。
(6)あとね、ノリノリに始まったのに中盤からダレ始める楽曲もガンガン除外した(プリンス楽曲ってそのパターン多くね?)


そーいう方針で再編集した『ベスト・オブ・プリンス』だったのですけど、

これ、聴きやすくて、実はちょいちょい聴いていたんです。
3月〜4月と聴いていたダよ。
春に聴く「イケイケなプリンス」はサイコーで。

あ〜、僕は、ついに、そーいう気持ちでプリンスを楽しめるようになったんだなぁ。
先進性や、過激性や、悪意や、過剰な肯定感や、哲学などを求めるよりも、気持ちや身体をノセてくれるビート感の方がピンと来るんですよ、今の僕は。

このビートを残してくれたんですね、殿下は。

それとね、ポップなバラードがいいですね。
僕、『Starfish And Coffee』が大好き。涙が出てくる。
ファルセットでキメるプリンス十八番のスローバラードは殿下の歌唱力に酔うわけなんですけど、泣けはしないですもん。『Starfish And Coffee』は格別ですね。
『The Morning Papers』もポップなバラード。これもいいなぁ。

極上の声を残してくれたんですね、殿下は。

なんでぇ、僕はプリンスと一緒にい続けられるんじゃんか。


ありがとね、殿下。

本当にお世話になりました。

あなたのことを尊敬していましたよ。


******

ごめん。

こんな書き方しかできないよぉ。

もっと丁寧に書くべきなのだろうけど、それをしたら、俺、きっと、号泣しちゃうから。
プリンスが死んじゃっただなんて、そんなの無いことにしておきたいから。

こんなんで勘弁して。

なんで死んじゃったんだよぉ…。

******

『ベスト・オブ・プリンス』

1.Soft And Wet
2.When You Were Mine
3.Do It All Night
4.Sister
5.Partyup
6.Little Red Corvette
7.Take Me With U
8.I Would Die 4 U
9.Raspberry Beret
10.Kiss
11.Under The Cherry Moon
12.Do U Lie?
13.Play In The Sunshine
14.Starfish And Coffee
15.The Future
16.Partyman
17.Batdance
18.Can't Stop This Feeling I Got
19.New Power Generation
20.Willing And Able
21.My Name Is Prince
22.Sexy M.F.
23.The Morning Papers
24.7
25.Dinner With Delores
26.Jam Of The Year
27.Wedding Feast



これ、『ヌードツアー』東京ドームの映像ですね。
やべ、涙が止まらなくなっちゃった・・・

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2016年04月04日

アタイの「青春の穴」を、ねぇ埋めてよ…

『シングルズ(Singles)/甲斐バンド』

甲斐バンド今、僕は甲斐バンドを聴いています。

えと、たぶん、電波や有線の放送から流れてきたヤツじゃない甲斐バンドを聴くのは「生まれて初めて」かも知れない。
(回りくどい言い方をしましたが、「自分から欲して銭を払って甲斐バンドを聴いたことは無かった」という意味ですからね)

単純に「甲斐バンドを聴く機会」が過去に無かったのだと思う。

その損失を今さらに穴埋めできるかも…と思って甲斐バンドを聴いた。

ほぉ、デビューシングルの『バス通り』が1974年のリリースかぁ。
ということは、今、僕は「42年後の穴埋め」にトライしているわけだ。

で、甲斐バンドのシングルAB面をリリース順に聴き通しましたデスよ。
それも、歌詞カードの裏面に載っているシングル盤のジャケ写も眺めながらのリスニングで。

うん、
わかったわ。

「甲斐バンドを聴く機会が過去に無かった」のではなくて、
「僕が甲斐バンドを聴く理由が無かった」んだわ…。

『破れたハートを売り物に』(1981年)までの19枚のシングル楽曲AB面を聴きながら、僕の尻がムズムズ痒くてたまらんのです。

まずは、歴代シングルのジャケ写の野暮ったさに驚いた。
「華の無いヌボーっとした長髪ニイチャン」に混じって一人だけ「自意識過剰気味なニイチャン」が意志の強そうな視線でポーズを決めてる。この人が主役の甲斐よしひろだ。

それから、
楽曲アレンジに漂う堂々の「何かっぽさ」とか、演奏のあまりにも洗練されていない感じ(演奏レベルも含めて)とか、歌詞の過剰な「くすぐったさ」と「くどい純情」とか、メロディの「どこかで聴いた曲にソックリ」なアレとか、一見ぶっきらぼうなハスキーボイスのナルシズムとか…あの、だから、つまり、総じて「スマートではないゴリ押し系の全体像」に、なんだか僕は落ち着かんのです。ムズムズと。

そして、照れ臭い。
音のコッチ側で僕は冷静なままムズムズと照れ臭くてたまらないのに、音のアッチ側にいる表現者達が一方的に熱くなっちゃって、しかも、そのことに堂々としちゃっている感じが、またなんとも照れ臭くて受け入れにくい。
彼等の場合、パクリに対しても、「俺らが歌うんやけん、俺らの音楽ばい!」(←変な九州弁でゴメンね)なんつって恥じていないし、照れてもいない。(直接聞いたわけではないけど、堂々とシングルカットするんだから、照れていないんだと思う)
そこがまた、僕として照れ臭い。

つまり、甲斐バンドは僕とは違って「シャイな性格」ではないのだと思う。

バンドメンバーの資質についてはよくわからないので、さしあたって甲斐よしひろに集約させるけど、甲斐よしひろはシャイな性格ではないはずだ。

甲斐よしひろがシャイだったら、こんなにナイーブな歌詞をあんなにセンシティブな(声の)表情で歌うのは無理だ。そんなの照れ臭くてたまらん。
そして、自分のナイーブさという「赤裸々な箇所」をわざわざほじくり出して、しかも増幅して装飾した上で世間に公表する行為自体がシャイな人間には絶対に無理だ。

甲斐バンドを聴いて、「自分で作り出した歌の世界観に自家中毒を起こしているような歌詞の陶酔感」が僕には一番キツいと感じたな。

「この人達は何に対して自信を持ててんだ?」「この言葉と音楽を堂々と胸張って歌う根拠って何なんだ?」と僕は首をひねったわけなんですけど、そんなもん、自信の根拠は「自分」でしかないわけで。
つまり、甲斐よしひろという人は自分のことを強く信じているんだなぁ、と思う。
だから、虚勢を張るわけでなく、「ナイーブでございますよ」と胸を張れるんだ。

ナイーブって「タフな人」にしか扱いが許されないものだと思うよ。
一方、シャイな人にとっては「最も隠しておきたいもの」こそがナイーブだと思う。

思い返してみれば、
70年代のフォーク歌手には「ナイーブを売り物にするタフな歌手」が多かった気がする。
例えば松山千春とか。えと、さだまさしも。堀江淳など。あぁ、大御所なら南こうせつだ。

一方、ロック寄りとされている人のほとんどがシャイだった気が。
泉谷しげる、忌野清志郎、はっぴいえんどやムーンライダースの系列…。
どれも照れまくった挙句にカッコつけてる。
そして、矢沢永吉も。

そう、矢沢!

あの人っていつも不自然じゃないですかぁ。
本人は「矢沢、自然ヨ…」とか言いそうだけど。
素で通す気が無いんだと思う、あの人。
いつも「外行き」でカッコつけてるし、音楽も作り込んでる。

で、僕はそーいう矢沢さんのことなら少し理解できるんデス。
聴いてて照れないデス。

でも、甲斐バンドは照れ臭い。


あぁ、思い返しついでに、1970年代の僕の周辺のことを思い出してきたぞ。。

懐かしい時代だ。
自分の青春期として懐かしいし、「40年も昔の光景」として懐かしい。

あの頃、ちょっとした不良ほど「ナイーブな音楽」を好んで聴いていたような気がする。
バイクに乗ってパーマかけているくせに松山千春やさだまさしを聴いている感じ。

おっと、理解できなかったかな…。
説明するね。


 



バイクとパーマってのが、70年代の10代の不良のシンボリックなスタイルだったわけなんです。
これにタバコとか飲酒も加わり、隣の女子高の同学年との不順異性交遊とかが加わる。
でも、聴くのは松山千春とさだまさし。
矢沢永吉も聴くけど、松山千春とさだまさしが等身大にフィットしている感じ。

一方、高校時代の僕は帰宅部で、服や髪の毛にお金なんかかけられなくて、バイクは今でも免許を持っていないし、(ある時期まで)童貞だった。
そんな僕が聴いていたのは歌謡曲とロックだった。どちらもポーズをつけまくりの音楽だ。
ぶっちゃけ、ナイーブな歌詞とか、センシティブな歌い方とか、そーいうのが大嫌いでしたね。

いや、その言い方は正確ではないな。

「歌謡曲のフィールド以外のナイーブやセンシティブ」が嫌いだった。
つまり、野口五郎や郷ひろみがやるならば好きだけど、自作自演歌手がやるのは気持ち悪い。
自分が発する言葉にナイーブやセンシティブを託せる神経が信じられなかったのです。
だから、
「自分の恥部を公表して恍惚なフォークの人」よりも「攻撃的なスタイルを人工的にキメて取り繕ってるロックの人」の方が僕はシックリきたし信じられた。
人間とはそーいうものだと思ってたから。
そして、僕自身がそーいう人間だったから。

だから、70年代の文科系ロック少年のメンタリティを言い表すならば「過激で破壊的なのが好きだけどシャイ」で、一方の70年代の不良のメンタリティは「ナイーブでセンシティブだけれどもシャイではない」なのだと思う。
これを並べて対比してみれば、今の「大人の視点と感性しか持たない僕」には文科系ロック少年よりも不良の方が若者像として好ましく思えますけどね…。

いや、実際、ナイーブでセンシティブな不良には【いい奴】が多かったけど、文科系ロック少年には【陰にこもった奴】が多かったと思うぞ。
っつか、それ、俺のことですけど…。
言ってしまえば、「地元や家族を憎んで陰気な犯罪をしでかしそうな俺」と「早くに子供を作って地元を愛しそうな不良」という差があったね。
そんなもん、後者がヒーローに間違いないじゃんか。

そうです。
ヒーローになる時、それは今…

…ってわけで、話は甲斐バンドに戻るんですけど、

甲斐バンドの音楽がフォークなのかロックなのかは、正直、僕には特定しにくいのですけど、そのメンタリティはフォーク的だと思いますよ。
「70年代の不良にとって聴きやすい音楽」だったと思う。

なんてったって、甲斐よしひろは自身のタフネスを自覚しているし、それを公表することに躊躇はない。そして、そのタフネスの中にはナイーブもセンシティブも成分として内包されている。
つまり、甲斐よしひろに隠し事は無い。甲斐よしひろは「堂々と素で通せる人」なのだと思う。
自分を人工的に作り込んで偽装する必要なんかないのです。

おっと、
それって、70年代の不良だったアイツラと同じじゃんか。

僕が懸命に自分を作り込んでいる時に、アイツラは素のままで溌剌と魅力的で、そのくせ堂々とナイーブで、僕にはまるで歯が立たなかったんデス。
そんなアイツラのことがたまらなく無神経に思えて、僕はますます自分のシャイネスに執着し、そこから先は「いつもの堂々巡り」だった。

あの頃、僕はアイツラのことが大嫌いで、アイツラに価値なんて無いんだ…と思い込んでいたけど、実は、僕はアイツラに憧れていたし、劣等感を抱いていたし、だから、アイツラと反対に生きようとして不自然なコトもたくさんやっていたわけなのだけど…

あれ?

この話になると僕はいつだって苛々し始めるはずなのに…。
何故か今は平気です。

な〜んか、どーでもよくなってらぁ。
「もういいや」と思えていますよ。
やっと思えた。
もういい。

アイツラが正しかったように、当時の僕も正しかったはずだしね。
僕はもう荷物を降ろしてもいいのかも知れないね。


そうか、わかったぞ。

40年後に聴いた甲斐バンドが今の僕に穴埋めしてくれたモノは、

青春期の後悔や自己嫌悪を軸とした「青春期の自分への許し」だったのだと思う。
その時代の歌謡曲やロックでは絶対に埋まらないモノだったに違いない。
ありがと、甲斐バンド。


そう思って聴く『テレフォン・ノイローゼ』は少しせつない。

ずっと君の声が鳴りっぱなし

悩ましく今日も暗闇にベルが鳴る



あぁ、声はずっと鳴りっぱなしだったとも…


※…とは言うものの、『テレフォン・ノイローゼ』でスパークスの『Never Turn Your Back On Mother Earth』を盗られた件と、甲斐よしひろに竹田かほりを盗られた件は…うーん、やっぱ、許せねーわ(特に後者が)


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CDをラックにこれ以上増やさない!
図書館CDのヘビーリスニングを実践中!!
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【コレ、聴いてみ!】

甲斐バンド VS The Kinksだってよ! 
↓  ↓  ↓  ↓
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