**ひとりごち**

博多発 三児の母のひとりごと

2006年10月

素敵な日常

a6699ce9.jpg夫が安眠できる場所を確保出来たので、私も普通の生活を取り戻した。朝から子どもたちと部屋でゆっくり。家事もあっという間に片付いて、クッキーを焼いたり夕食の準備をしたりしながら昼寝も出来た。同じ家の中に2パターンの生活リズム、その生活の苦労もあるけど慣れればそれも一興。ただ夫の健康だけが心配だったので、寝床確保でホッとした。

すずが幼稚園から戻ってまた「自転車に乗りたい」と言う。ピアノ教室の帰りに公園に寄ろう、と自分の車に自転車を積んでみるもうまくいかない。なんとかやりくりして自転車と三輪車、それに子ども三人を車に詰め込んで出発。夕暮れまで公園で自転車練習をした。補助輪付きの自転車はモタモタっとして乗りにくそう。すずと同じくらいの年の子たちが補助無しの自転車でスイスイ走るのを見ながら、すずも「もうすぐしたら、小さなタイヤをはずすよ」と宣言。頼もしい。

夕食は大量買いした小アジ。軽くさばいてから、骨まで食べられるようによく揚げた。半分は明日の南蛮漬け、そして今夜はアジ唐揚げ。子どもたちには大好評だった。バリバリ言わせながら骨まで全部食べる様子が嬉しい。明日は大好きな南蛮漬け。楽しみ。

夜のお楽しみは、先日ネットオークションで買ったスライド絵本。ハンディースライドで、くまのプーさんの話などを壁に投影してそれを私が読む。声色を変えたり、勝手にBGMを作って歌ったりして私自身も楽しいけど、映画の様で子どもたちも毎晩楽しみにしている。

ママさんコーラス

私が園児だった頃から三十年弱、未だに私の母園のママさんコーラスで歌っている母。ついに孫の前で歌うことになってしまった。以前から勧誘めいたことはされていたけど、子どもの頃から「ママさんコーラスは母のテリトリー」だと思い込んでいたし興味もないのでなんとなくごまかしてきた。それが、朝すずを送る時「母さんもクリスマス会で歌ってほしいな」と言われたので何気なく母に電話。「クリスマス要員、まだ募集しとる?」母は諦めかけていた釣竿に獲物がひっかかったかの様に嬉しそうに「おいでおいで」。そんなこんなで突然今朝からママさんコーラス、クリスマス会要員になった。
それが行ってみると面白い。体操や発声練習、歌にお茶タイム。自分の習い事は諦めていたけど、これは立派な習い事。大きな声で歌を歌うのも久しぶりだし、とても気持ちよかった。もう一つ思い切った理由は、この幼稚園の人たちが皆本当にいい人たちで、関わりたいという気持ちになったこと。先生方もお母さんたちも皆温かくてさりげない包むような優しさを持っている。今日もたくさんの素敵な人たちに出会えて幸せな気分だった。すっかりはまりそうな予感。母の隣で「となりのトトロ」を歌うのは変な気分だったけど。

仕事の為、生活のリズムが子どもたちとほぼひっくり返ってしまった夫。狭い家の中でその睡眠時間を確保するのは難しい。少し離れた仕事部屋に夫の寝床を作る計画はあったが、今日やっとそれが実現した。両親が使わないベッドがあるというので、それを譲ってもらうことにしたのだ。夕方夫が実家に行き、父と一緒にベッドを運んできた。私は子どもたちと自転車遊びをしてからお風呂に入り、夕食の準備。お礼方々両親を夕食に招いて一緒に手巻き寿司。子どもたちも嬉しそうに、いつもよりもたくさん食べていた。笑いが絶えない楽しい食卓。楽しい夜だった。

私に出来ること

先日、ショッピングモールのパン屋で偶然ある人物に会った。大学病院の集中治療室で一緒だった奥さん。SAYAの隣の個室にいた丁度SAYAと同じくらいの年の女の子のお母さん。別の大学病院に移ったらしく、笑った顔のまま「もうね、よくないかも知れない」と言った。
集中治療室の面会時間は厳しく、母親でも一日二、三回しか会うことが出来ない。その短い三十分の為に家から何度も病院に通う。その生活を今でも続けている彼女、あの時の私と同じで担当医の言葉に一喜一憂している毎日の中、笑顔のまま諦めの言葉を口にした心中を察すると気持ちがわかるだけに言葉が出ない。別れた後も気の利いたこと、励ましの言葉が全く言えなかった後悔でずっと考え込んでいた。病は突然やってきて、その前で私たちは無力。たとえ腹を痛めて産んだ我が子でさえ、自分一人の力で救ってやることは難しい。
でも誰にでも出来ることがある。祈ること。神にではなく自分にではなく、苦しむ人一人一人の痛みの為に。それが大きな励ましになり力になる。SAYAのことで学んだこと。今は彼女の為に祈ろう。

そして無力な自分にも出来ること、臓器を提供するという意思表示。
夜、子どもたちを寝せた後にニュースを見る。ふと、懐かしい建物の映像が。四ヶ月前にSAYAが入院して手術した大学病院。脳死患者からの臓器移植手術が行われたという。この病院では初めてのこと、しかも肺の移植だったらしい。SAYAと同じ肺の手術。あの時小児外科の先生が「患者が小さくて難しい手術になりますので、胸部・麻酔各分野の専門医に一緒に入ってもらいます」と言った内の一人、胸部外科の先生が担当したようだった。手術に入る前に、私たちに『助かると良いですね』と声をかけたあの先生。久しぶりに見たけど、大手術を無事に終わった安心感からか穏やかな表情でテレビの会見に臨んでいた。SAYAの肺を治してくれた先生、SAYAはほんの一時期先生にお世話になって退院しただけだけれど、先生は常に誰かの肺のトラブルと戦っている。その先生を通じて私はその患者さんと繋がっているような気になって、移植の成功を心から喜んだ。
そして臓器移植について、真剣に考えなくてはいけないと改めて思う。以前一人身だった時は「臓器提供意思表示カード」を持ち歩いていたものだったけど、結婚してからは改めて夫と相談することにして今まで保留にしてきた。夫と話し合って、いずれ家族でも話し合いたいと思う。今日はその第一歩、食事の時に子どもたちに「移植」のことを少し話してみる。

パンチングボール

すずは自転車を手に入れてから、暇さえあれば自転車に乗りたいと言う。昨日外出で乗れなかったので、今日は朝から下の駐車場で自転車遊び。でも私が監督しているとは言え、駐車場で自転車遊びは怖い。夫の車に自転車を積んで、買物がてら公園を探しに出かける。日用品を買いに行ったスーパーで、パンチングボールプレゼントというのがあったので皆で並び、それぞれ大きな風船をもらった。ハロウィンの小さな風船ももらって子どもたちは大満足。帰りの車で、私が暑いので窓を開けたらすずのピンクの風船が瞬く間に飛んで行ってしまった。あっという間に見えないところまで行ってしまってガッカリ。すずはへこんでいたけれど、そんなこともあるさとなだめてSAYAの風船を拝借。ソウは後部座席から「SAYAのふうせんがとんでいったら、こんどはソウくんの青いのあげるからね」とソウなりにすずを慰めていた。

午後から妹親子と両親も一緒に実家の近くの公園に出かけた。両親が一緒に公園なんて珍しいことで、子どもたちも嬉しそう。子どもたちは総勢五人、自転車や三輪車に乗ったり、遊具で遊んだり忙しい。皆でどんぐりを拾って共同制作した砂のケーキで最後はバースデーパーティー。すずの指揮で誕生日の歌を子ども全員の名前を入れて歌って、ろうそくを吹き消す仕草。たっぷり遊んで、そのまま自転車を車に積んで帰った。公園に行くと、子どもたちの生き生きとした顔が見られてそれだけで幸せ。ここは私が子どもの頃夕暮れまで遊んだ公園、あの頃の自分と重なって尚幸福な気分になる。

幼稚園フェスタ

07887bcf.jpg市内の幼稚園が集まった祭典があるというので、出かけてみた。海のそば、すずが生まれた時に住んでいた町。赤ん坊のすずを連れて散歩したこの広場が、幼稚園生とその家族でごった返すパーティー会場になっていた。到着した時は、想像していなかった人の多さに面食らってヤル気をなくしてしまったが、ベンチに座ってゆっくり昼ごはんのふかし芋とパンを食べたら復活。皆であちこちの列に並んで、ゲームや露店を楽しんだ。すずの幼稚園の先生たちの出し物もあって、先生たちに会えたことですずのテンションも上がり、楽しい祭りだった。
帰りは海辺でゆっくり。四人でアイスを食べて波打ち際で遊んで帰った。
**Profile**
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英会話講師/デザイナー

地球温暖化や精神力低下の世の中、便利な物はほどほどに。。。出来るだけ自然に優しく子どもと楽しく生きることを心がけています。
自然や人とのふれあい、繋がりで人は成長するものだと信じています。

KIDS:すず(7歳)ソウ(6歳)SAYA(4歳)
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