2008年01月

2008年01月30日

イノセント・ボイス

「高専のプロジェクトチームがわが町に花時計を作ってくれるらしいから、1時に役場にきてくれないか?」と商店街のYさんから連絡があり、昼飯を食べてすぐ出かけた。最初、話が唐突過ぎてなんのことやらわからなかったが、我が「カフェローエル」のメンバーでもあるA子さんが、日頃から考えているひとつの街活性化案と高専が国から補助をうけて行なっている地域活性化メニューが合致したようで、ある人を介して話がトントン拍子にすすんでいったようなのだ。

いつも感心するのだがA子さんはアイデアが浮かびと、まっしぐらに突き進む。男たちのように準備を整えてからようやく腰をあげる、なんてことがない。

当然まだ候補地も定まらないので、後でまた調査したうえで、選定することになったのだが、あまりに急なので街中でどの場所がいいか、咄嗟には思い浮かばない。やっぱり川沿いの「カフェローエル」近辺がいいかな、でもちょっと狭いかなぁ。

でもこれはありがたい話だ。すこしでも街を明るく雰囲気のいいものにしていくシンボルになり得る。

店に戻り、店番がてら「イノセント・ボイス」というメキシコ映画をみる。まったく背筋が震えるような作品だった。エルサルバドルの内戦下で生死の極限にさらされる市民たちを描いたものだ。脚本が実際の戦火を経験したシナリオなので、よけいに今の世の不条理さ、残酷さをまざまざと見せつけられた気がした。

まったくこのような世界に比べれば、日々の我々なんぞは極楽のようなもんだ。
昨秋の川柳大会で第二席に選ばれた作品

「戦争と比べてみれば地震なぞ」

をおもいだした。



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2008年01月29日

家康

寒くなってどうも縮こまりがちになってしまい、体の芯まで冷えているような気がしたので、エィッと柳田温泉まで行ってきた。2年前までは月に一二度、行っておったのだが、震災後からはまったくご無沙汰だった。

とろりとした湯にはいり、日々の雑念をふり払うかのように目をつむる。ドイツ文学者の池内さんが言うには「湯につかるときは何も考えぬこと」らしい。体を温めたいからかお年寄りなんかが多かったな。ここは湯の達人が沢山いそうだな。たまにスーパー銭湯なんかへいっても、みな忙しなく体をあらってさっさと上がっている。ところがここは湯治場のような趣がある。

湯から上がり、煙草を一服。
ちょうど色紙展をやっていて、そのなかに家康の遺訓が書かれた作品があった。


人の一生は、重荷を負うて遠き道を行くが如し、急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし、
心に望み起らば困窮したるときを思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え、
勝つことばかり知りて、負けることを知らざれば、害その身に至る。
己を責めて人を責めるな、
及ばざるは過ぎたるより勝れり.。


ほう、そうだそうだ。これ、部屋の中に貼っておこうかな。





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2008年01月27日

雪、余震、海太郎

雪は降るもあまり積もることがない。冬物もさして動かないので、拍子抜けだ。まったくどうなっているんだ?それに余震にしては大きなものがやってきて再びあの325がよみがえって来た。家人なんかはぶるぶる震えっぱなしだぞ。

先年、能登島で知り合った音楽家の阿部海太郎くんの活躍が目立ってきた。蜷川幸雄の「リア王」の音楽を担当したり、化粧品のコマーシャルにも彼の楽曲が使われている。あの夜はひっそりとした能登島の集会所で15人くらいあつまっただけだった。溝口の無声フィルムに楽曲をつけた実験的なものだったが、そのクオリティの高さに驚いた。贅沢な夜だった。

演奏後、波の音を聴きながら、溝口のことや創作過程なんかの話を聞いた。世の中がどうあれ、自分の世界をもっている若者は素敵だと思った。

http://theatremusica.com/

今後の活躍を願ってやまない。





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2008年01月26日

stay hungry,stay foolish.

一ヶ月に一度のサロンの日。
サロンの方向性を話し合った後、ぜひ皆に見せたかった「柳川掘割物語」を上映しようと思い、スクリーンを吊ってスタンバイしていたが、議論が進みっぱなしで時間が経過してしまい、結局上映はあきらめた。

それでも会議の終わりのほうで、どういった映画だったか話すと「それは我々だけで観るのはもったいない、ぜひもっと多くの人に来てもらおう」ということで別の日に上映会を大々的に行なうことにした。

どの会議でも同じようなもんだが、なかなかいい意見がでることはあるにしても、誰が率先して行動に移すかってことになるととたんに皆尻込みして周りを見渡すことになる。これが「俺にやらせろ!」という潔い人間が続出するくらいのものであったら、さぞや生き生きとした街ができあがるのだろうに、と思う。

でもいま思うことは効果なんぞあまり期待せず、とにかく場を設けて、とにかく思っていることを好き勝手にしゃべってもらうことからがやっぱり大事なんではないだろうかということ。古代ローマにおいても日をきめて広場に市民を集め、とことん好き放題語らせた、ということを何かで読んだことがある。

街と肉体が乖離してしまっているのではなく、街も肉体の一部だと感じるくらいになれば理想的だ。いい街とは住む人の息づかいが聞こえてくる街なのだ。

なんとか「あわてず、騒がず、あきらめず」で行くか。





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2008年01月24日

衰退地からの再生とは?

大寒が過ぎ、ぐっと冷え込んできた。とにかく雪がほしい。今年も北陸の靴屋はジリジリとした思いともうだめだ、というあきらめムードが漂う。

寒くなればなるほど、気持ちは南へ向かう。ちょうど親戚のTちゃんからめずらしいCDセットを借りた。「アフリカ音楽の黄金時代」という6枚セットだ。一曲目から開放的で洗練された音楽がながれ、もはや気分はアフリカへと飛翔する。

あまり人の話は鵜呑みにしないほうだが、神戸のまちなかNPOでがんばってるHさんのブログを読んで「ほんとにそうだよなぁ」と思ってしまった。

しかし、衰退地の再生の実務をやっているとわかるのですが、
そういう仕事をやり続けた結果、
現状=衰退した状態から、将来=活性化している状態へのプロセスを、
いまあるところから具体的に描く創造力というのが、
どうにも欠如することになっています。

仕方ありません。
ごく例外的ないくつかの地区を除いて、
そのような経験は、ほとんど誰もしていないのですから。


思うようにことが運ばないとき、そもそも昔ながらの商店街なんて必要とされてるのか?という地点に逆戻りしてしまう。こころない部外者からは「がんばらないから、そうなったんだ」とか言われるとそれはちょっと違う、と思わざるをえない。商店街より郊外のほうがメリットがあると店を飛び出したりするのを誰が止めることができただろう。自分もまたそうだったし・・。ただ商店街の在りようそのものが昔とはちがった価値の位置づけをしないことには進んでいかないようだ。

七尾の例なんかみても年間90万人があつまる食祭市場が目の前にあったとしても商店街での買い物には一部土産物屋を除いてはまったく結びついていない。とすれば本来的な意味で「必要なもの」とはいったいなんだろうな?




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2008年01月23日

片町へ

ひさしぶりに金沢中心部へ行ってみた。
むかしからの憧れの片町がここ数年でまた衰退しているのが目に見えた。物販の店は激減し、代わって飲食店やカラオケ屋、ホテルなどが目立つ。衰退した商店街でなんとかやっていけるのは食い物屋しかないか・・。

駅西の新中心部にあたらしい商業集積がどんどん建設されているが、そのほとんどが大手のナショナルチェーンであることをみれば飲食店や特殊なものを扱う店以外はその存続はかなりむつかしいといえる。

昼間、「一風堂」とかいうラーメン屋にはいる。なんか最近ラーメン屋が脚光をあびていて、若者の就労者が目立つ。それもかなり洒落た感じの若者たちだ。家人に聞くとこのラーメン店はテレビで紹介されたりしてかなり有名だということだ。でてきたラーメンはなるほどいろんな工夫がされている。でもやっぱり何かがたりない。洒落た作りで客も沢山入っていたけれど、珠洲の幻のラーメン屋、Hに比べればまだまだだ、と思った。

家人の残したチャーハンを食べたら、腹がふくれてしまったのでちょっと歩くことにして、犀川沿いから笠舞、遊学館からNTTへ上がっていった。家人は学生時代このあたりに暮らしていたので、昔をふりかえりながら「あのころは穴水に帰るなんておもってもみなかったのにねぇ」とつぶやいていた。





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2008年01月21日

アメリカ文学史のキーワード

雪は降らないが、まったく寒い日がつづく。だから灯油がなくなるのが早い。他のことは我慢できてもこればっかりはな、まだ震災ブルーシートがかかったままで、冷気がどこからともなく入り込んでくる。

もうなるべく車での外出は避けようと思い、店の中に閉じこもって商品整理をしたり、合間に本を読んだりしている。「アメリカ文学史のキーワード」(巽孝之)は薄い新書だが中身が濃い。コロンブス以前のアメリカ、北欧のヴァイキングがすでに訪れており、その地を「ヴィンランド」と名づけていたところから現代のポストアメリカニズムまでの歴史をそのキーになる文学作品を象徴的に読み込むことで、「アメリカ」そのものをとらえようとしている、とても刺激的な本だ。

パーシヴァル・ローエルの19世紀ボストンを調べるにつけ、今もなおアメリカの価値の根底にながれるピューリタニズムの思想、精神がどこから生まれてきたかを遡ってみる。

16-17世紀にイギリス国教会の中にカルヴァンの影響を受けた改革派が勢力を持つようになり、その中には国教会から分離せずに教会内部を改革しようとする者と、国教会から分離しようとする者(分離派:他の教派との相互聖餐を拒否)がいた。特に前者のことをビューリタンと呼んだわけだが、ピューリタンの中には祖国での弾圧を逃れ、1620年、メイフラワー号に乗りアメリカに移住した者たち(ピルグリム・ファーザーズ)がいた。

1630年、マサチューセッツ湾岸植民地初代総督ジョン・ウィンスロップはニューイングランドへ向かう大西洋上、アーベラ号の上で有名な「丘の上のビジョン」を含む説教「キリスト教的慈愛の雛形」を行なったところから現在のアメリカがみえてくる。

ウィンスロップの抱く理想的な共同体はピューリタンたちの合意を促すとともにキリストの愛の力によって成就される神との契約を強調するものであった。「我々は同胞愛によって互いを歓待しなければならない」そして「私たちは自分達が丘の上の町になること、世界中の人々の目が私たちに注がれていることをふまえなければならない」と語った。

このウィンスロップがいう「丘の上の町」のメタファーで語られているのは真のキリスト教徒が集合した巨大な「肉体」である。そこに属するものはみな、ひとつの肉体全体に貢献することが義務付けられる。ここには疑いなく、ピューリタニズムがひとつのユートピアにズムに転化する瞬間がある。だがあらゆるユートピアニズムのご多分にもれず、この論理は同時に完全なる肉体を惑わす異物や異端者を一種の疫病とみて一斉に排除していくテロリズムの可能性もまた排除せざるをえなかった。

近年、町づくりというものを考える上で強靭な意志力をもって町をつくりあげた、このピューリタンたちの凄さに圧倒され、学ぶべきところも多いが、この強引なるアメリカニズムが世界を不安に陥れてしまっていることにも真実である。







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2008年01月17日

神戸震災から13年

神戸の地震からもう13年か。
朝、テレビをみると12月にわが街に訪れてくれた神戸大学の塩崎先生が長田の商店街のアーケードでアナウンサーと竹下景子の質問に答えていた。長田の街中も13年たって少しは軌道にのってきそうだ。もちろん多くの廃業者や引越し者を経ての現在だ。

ちょうど震災が起こった日、組合の共同仕入れで神戸へ行く予定だった。朝早くのまだテレビで惨状が放映されてない時刻、神戸に本社がある取引先からの電話があった。かなりひどいようで展示会どころではない、と新潟にいる彼もまた半信半疑の様子だった。しかし、しばらくしてテレビに映し出された状景をみて絶句してしまったのだった。その後は毎日、毎日テレビでさながら地獄絵図のような映像を見せられていたな。

阿鼻叫喚している被災者の映像を見ながら、すき焼きを食っていたことがあった。それも暖かい部屋で炬燵に入りながら。なんとなく申し訳ないような気分だったが、すき焼きはすき焼きでやっぱりうまかった。









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2008年01月16日

今年も震災会合はじまる。

さっそく今年も震災関連の会合がはじまるなぁ、ということで10時に神戸のアカデミックな震災研究調査グループの聞き取り、そして3時に復興委員会といそがしい。

「震災こそがチャンスだ!」というもののそれはどちらかといえば土建・建築業の立場でこそあてはまる物言いであると思う。商店や街中においては神戸の例をみるように被災地でのビル建設は進んだものの埋まらない空き地や人が戻らないといったことはどうしようもなくあるようだ。

それにしても何年に一度かはこのような大きな震災は日本のどこかに襲ってくる。東京や大阪なんかはどこかで高をくくっていて、高層ビルを次々に立ち上げている。だいじょうぶなんだろうか。遠回りかもしれんがとにかく防災につよい都市づくりこそ、これからの地震列島ニッポンにとって必要なのではなかろうか。

夜、ちょっと思うところあってドキュメンタリー映画「柳川掘割物語」を観なおす。印象的な言葉があって「川とのわずらわしい付き合いを捨て去ったところから汚染が始まった。気がつけばとんでもないところまで来ていた。川の浄化はこのわずらわしい付き合いを続けていくことからまた始まるのだ。」と。川もまた人づきあいのようなものなのだな。

とにかくなんであれ強靭なものを作り上げるには時間がかかるようだな。



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2008年01月14日

雪のなかの熱帯

去年の暮れに手ごわいウイルスが体に入り込み、年があけても抜けきらないので、本当は泳ぎに行ったりしてシャキっとしたいところだが、どうもだるくて憂鬱な日々を送っている。フィジカルな面のみならず去年の震災ストレスが影響しているなぁ、と自己分析しているのだが。

こんなときは開高健の「夏の闇」なんか読むのがいい。古ぼけた文庫本をめくりめくりしながら、どこか東南アジアの暑く湿っぽいゲストハウスで、まったく未来の展望なくひたすら飲み、食い、いたし、眠るを繰り返しながら一個の生物になったごとく沈殿する、そんな日々を想う。

学生の頃、似たような生活を送っていたから当時、読んだときはその作品世界に没入しながら自己嫌悪に陥ったものだが、現在それなりに真面目に(?)日々を送っていると、これは人生へのより深い理解をあたえてくれたような気もする。

人間なぞそんなに立派なものか?




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2008年01月11日

私のマルクス

数日前から歯が痛み出し、歯科へいってきたのだが、肝心の歯の治療のまえに親知らずが邪魔だということで抜歯した。とびきり大きい奴で抜いた後おおきな穴ぼこができ、なかなか血が止まらなかった。心なしか体もだるくなってきて、夕食をやっと食べ、そそくさと二階へあがり、ボクシングのタイトルマッチを見た後、寝床で買い置きしてあった佐藤優の「私のマルクス」を読み始めた。

いま論壇で最も活躍している「外務省のラスプーチン」と呼ばれていた著者の青春の日々を綴ったものだ。マルクス及び無神論に興味をもち、同志社の神学部に入学し、ひたすら読書の日々を送った様子が書かれてある。

就職先がまったくない学問に没頭することの不安が見え隠れしていたが、恩師の言葉「重要なのはほんとうに好きなことが何かです。本当に好きなことをやっていて、食べていくことが出来ない人は、私がいる限り、一人もいません。」という言葉に勇気づけられる。この時点では諜報活動プロフェッショナルになるなんて思いもしなかっただろうに、その勤勉に学問した神学という財産が後に活かされることになる。

しかしこれは読ませる本だ。しばらく夜が楽しみだ。



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2008年01月07日

善き人のためのソナタ


どうも正月気分がぬけないまま明けて一週間が過ぎ、ようやく明日からは学校や会社もはじまるなぁ、と大きく伸びをする。

最近では映画を観るときパソコンを使うようになってきた。イヤホーンを差込み、目の前にある映像をみるのはどうも邪道ではないか、と思っていたのだが慣れるとこのほうがよかったりすることもある。

「善き人のためのソナタ」は見ごたえのある作品だった。

ドイツ統一する5年前の東側の監視社会を丁寧なリサーチで物語化したものだ。社会主義という理想を実現するには徹底的な情報遮断と強制収容所が必要になる。それでなければ体制維持は難しい。国家保安局の忠誠なマシーンたる主人公が反体制である劇作家やその崇高なる愛の調べに思ってもみなかった「良心」が生まれ、突き動かされていく。

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2008年01月05日

2日から営業

2日からはもう平常営業で、店に立つ。
すこしは雪が降ったおかげで冬物が売れたりしていた。といっても商店街は静かだった。テレビをつけるとブランド物の福袋に群がる女たちが映し出されている。正月ぐらい消費をおさえて、静かなところでゆっくり出来ないものか、と思う。

マーケティングの名のもとに本来は消費とは無縁であるはずの「子供」とか「夜」にまでそのターゲットが広がっていく。もう行き着くところまで行くしかないのか。

近所のTさんが買い物に来てくれ、どうにも明るい展望さえ見えない暮らしに「まぁ生きている限りはがんばろう!」と励ましとも諦めともつかない言葉を発していった。





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2008年01月02日

ゆったりと・・元旦。

朝はゆっくり起きだし、皆で雑煮を食った後、初詣にいくかどうか思案していたが、雪が降っていることもあり、自宅でゆっくりすることにした。

午後からは借りてきたテレンス・マリックの「ニューワールド」を観る。

この類まれな映像詩人が描く17世紀のバージニアの自然は美しかった。やはりこれは劇場で観たい映画のひとつだ。テレンスマリックにかかると恋愛も戦争も大きな自然界でのひとつのトピックに過ぎないようなそんな気になってしまう。草のそよぎや水の音を聴いているうちに眠くなってしまい、そのままトロトロと眠ってしまった。

夕方家人の実家へ行き、蟹なんかを食しながらビール・日本酒・ワインと飲んだらたちまちダウン。10時過ぎ、帰ってくるとなんだか急に腹が減ってきて、蕎麦をたべた。12時すぎに床に入り、FMで春日三球の漫才、虎三の浪曲を聴きながら眠りに落ちる。

まったく緩みっぱなしで元旦をすごした。



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