2013年11月

2013年11月29日

堤さん死す。

家人を空港まで迎えに行く。空港近辺はもう雪で真っ白だった。

FMラジオを聴きながら車を走らせた。アルバート・ハモンドやクリストファー・クロスといった懐かしいポップスが流れていた。

店に戻ってからもラジオをつけた。

ネットで「堤清二 死去」のニュースを見つけ、すこしうろたえた。

ちょうどこれらのポップスが流行っているころ、堤清二の時代だった。三流デパートだった西武を感度のいい一流のデパートに変貌させ、多角経営にも乗りだし、セゾングループは世を席捲していった。

そのころ堤清二=辻井喬の著作、あるいは「西武」にまつわるルポルタージュ物なんかをいろいろ買い求めては読んでいた。冷徹な経営者、アカデミックな知識人、詩人・小説家といろいろな顔をもっていて、当時、羨望とあこがれの眼差しでみていたもんだ。一線を退いてからも文化事業にたずさわっていた。

「西武の文化戦略」と当時よくいわれていたが、「文化というものは禍々しいものでそれに本気になってしまったら経営は破綻するのだ」と堤さんはクールに言ってのけていた。独裁者だからできたこと、だと。セゾングループが破綻して個人財産100億円を注入したあとでも悲愴感はなく、より文学に勤しんでいた。もともと財産なんてかげろうのようなものだ、と思ってたのかもしれない。

堤さんのような人間はもう生まれないだろうな。



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2013年11月28日

診察日

雨霰が叩きつけるなか、ワーグナーのタンホイザーを大音量で流しながら、輪島へ向かう。きょうも親戚のお爺上の診察日だ。

今日はなんだか滅茶苦茶に混んでいて、10時に入ったのだが、終ったのが1時だった。その間、お爺上はしゃべるでもなく、眠るでもなく、ちょうど温泉につかっているように待合イスに腰かけている。こっちはそこまで達観してないので、ひたすらイスの横に積み上げてある「サンデー毎日」をひたすら読んでいた。

週刊誌はあんまり読む機会がないのだが、それはそれで毎回の楽しみになっている。

ようやく終って清算してから、いつものところへ食事に行こうと思っていたんだが、そこは1時半で店仕舞なのでもう間に合わない。仕方なく、輪島市内の蕎麦屋に向かった。月二回のこの外食がお爺上は楽しみなのだ。

これみよがしの蕎麦屋でもなく、大衆食堂のような店なんだがとても美味かったな。

お爺上を施設に送り、2時半ごろ、帰ってきてから店番がてら開沼博の「フクシマ論」を再読する。この本は今読むことでよけいに地域にとっての原発がいかようなものなのか、あるいは中央と地方、というものが冷静に考えられる気がするな。

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2013年11月26日

孤島の王

孤島の王

家人が東京出張、母親もお泊りで誰もいないのでこっちは豪勢にも中華(ギョーザ・野菜炒め・玉子のあんかけ・から揚げ)でディナーだ。といってもスーパーの残り物半額で買ったものだから、締めて500円くらいなのだが。

缶ビールでチビチビ流し込みながらETVで若き論客3人が語る東北被災地の現在をみた。自分の中でも風化しつつあることを恥じた。まだまだ問題は積み上がっている。

「孤島の王」

1915年、ノルウェーの孤島バストイ島にある少年矯正施設にエーリングとイーヴァルという2人の少年が収容されて来る。そこでは絶対的な権力を持つ院長の下、少年たちは非人道的な扱いを受けながら暮らしていた。

じっさいに起こった事件を下敷きに作られているようだが、この北欧独特のキリスト教の厳格さ、というものをバックに演出される役者の怜悧な凄みが観るものの魂を鷲掴みにする。筋そのものは別段めずらしいものでもないのだが、まだ汚れていない少年の、真理への希求と理不尽への怒りが凍った北の海にこだまする様は美しい。

これも劇場で観たかった。





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2013年11月25日

まちガイド?

午前中、まちガイドのレッスンを行った。

もともとガイド、という柄でもないのだがこれも勉強、と思ってみなで街中を散策した。ふだん、まちなかを歩くこともなくなったのでちょっとした変化に驚いたりする。

帰ってから復習のような気持ちで「図説 穴水の歴史」をとりだし、読み出す。

50を過ぎたくらいからな、せめて住む町のことを知らない、ということがなんだか後ろめたく、無粋に思えてきたのは。若い頃は郷土史よりも都で流行っている「知」なんかに関心があったものだが。

さすがに江戸以前、となると想像力に頼るしかないのだが明治・大正・昭和と写真がすこし残っているので、そこに自分の御祖父さんやお祖母さんがそこに棲息し、暮らしていたことを重ねることでかなりクリアに現れてくる。

こんな小さな町でも掘り尽せないほどの歴史があるもんだ。

午後、テレビでパッキャオの再起戦をみる。

もはやレジェンドの域に達したフィリピンの国会議員でもあるあるパッキャオが背負うものは大きい。以前の野獣のようなパンチの嵐は影をひそめたが、まだまだ強い。元チャンピオンでグイグイ押し込んでくるタイプのリオスをまったく寄せつけなかった。まだまだ大丈夫だ。

それと遠藤、結局、6勝9敗で場所を終えた。あの状態で6勝できたことは大きい。来場所がほんとに楽しみになってくるな。






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2013年11月23日

相撲の話題

5勝6敗まで盛り返したときは、まさか勝ち越しか、と期待したがそうは問屋がおろさないようだ。負傷をおしての出場は不安だったろう。

しかしこれまでになく相撲観戦の毎日だ。

幕があがるにつれ、圧力がちがう。巡業で遠藤が日馬富士の胸をかりたときの稽古でまるで土俵に根の生えたように動かない圧力に驚いたという。

押す角度とタイミングで小さなものでも大きなものを吹っ飛ばせるし、その腰の備えでなかなか押されない、いわゆる「相撲力」というものがある。それを会得するには稽古しかない。

遠藤の来場所以降がたのしみだ。

十両の丹蔵は残念ながら負け越しが決まった。これで幕下陥落が濃厚になった。相撲の世界では十両と幕下とでは天国と地獄の差がある。十両力士には100万円の給料なのに対し、幕下では給料というものはなく本場所手当の15万円のみ。付け人がいなくなり、大銀杏からちょんまげになり、足袋に雪駄から裸足に下駄になる。稽古まわしも十両以上は白だが、幕下以下は黒に決まっている。

体中、サポーターだらけだが、丹蔵にはなんとか踏ん張ってもらいたいな。







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2013年11月21日

うーん。

冷たい雨が降り、ときおりはげしい霰が叩きつけるそんな荒れた2日間だった。

ちょうど射水市へ出張に行ってた家人が帰り、氷見からの山越えを頂上付近の雪のため断念し、また氷見まで戻り、海岸線を走ってきたようだ。ごくろうさん。

こっちはそろそろ冬物が動くぞ、と期待していたがさほどでもなくまったく拍子抜けだった。

ところで先日の亀田興毅の世界戦はいただけなかった。まるで4回戦の試合を観ているようで、技術も何もあったものではない。韓国側もWBAに提訴する、と息巻いていたらしいがあんなのがチャンピオンになる、ということもおかしい。もしかしたらそれを避けるためにとりあえず亀田の勝ちにしたんではないかな。

それにしてもどこかで目覚める、ことをずっと期待していたんだが、もう王者を返上したほうがいいのではなかろうか。でなけれぼ失ってしまった信用を賭けて山中とやる、というのもありだろう。

なぜ人はボクシングに魅了されるのか、世間と自分をうまく折り合わせながら生きざるを得ない人間が多い中、リングの中だけは実力がモノをいう分かりやすい世界だからだ。

姑息にも弱い相手を選び、軽いパンチをポンポンと当てて逃げるそのスタイルでは何回防衛したところでなんの価値もない。

今週末、パッキャオの再起戦だが、亀田のとはまったく別物のファイトがそこにはある。ましてレイテ島の被害で心を痛めているパッキャオが背負うものは大きい。

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2013年11月19日

ひとり鍋

家人が日曜から泊りがけ出張なので、一人鍋で一杯やる。

といっても白菜と豚肉と豆腐の味噌鍋だ。これが簡単でよろしい。

鍋をつつきながら、録りためてあったBSのドキュメンタリー(東日本震災関連のいくつか)を見た。なかでも震災復興補助金19兆円の行方を追ったものがあって、その決して少なくない額が関係のない沖縄や北海道の道路や外国人受け入れ、その他に使われていることを知った。

各省担当者の答弁がふるってる。

いろんな詭弁を弄したあと(さすがにいい大学を出てるんだろう、物言いが滑らかだ)こう言う。「日本の復興は東北の復興につながっている。」

「?」

寝床で借りた「喜劇 団体列車」を見る。これはこどものころ、よく青年会が公民館で上映していたが、そのときみた映画のひとつだった。茣蓙の上で腹をかかえて笑っていた記憶があるなぁ。いまみてもおもしろい。16ミリフィルムだったろうけれど、たいがい土曜の午後でその上映会を待ちわびていた。

年も押し迫ってくると何故だか1960年前後の喜劇映画が観たくなるんだな。

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2013年11月18日

「海炭市叙景」はいい。

土曜日、今年最後の市で豚汁と肉マン、あんまんをふるまった。いい天気だった。原発避難訓練が行われていることもあって、反原発のおじさんがアンケートをとりにきたので、川沿いに置いたベンチに腰かけ、いろいろ話したりした。小泉さんが即時原発ゼロ表明したからか、鼻息が荒い。

地球のことを思うなら原発ゼロだ。

しかし、がんじがらめになった原発行政を見直すこと、これがたいへんなのだ。

数年前、見た映画「海炭市叙景」の原作となった佐藤泰志のものを読んでいるが、とても身につまされ、たまらなくなるが、読ませる。1980年代、都会でバブル華やかりし時代、ある地方でのさほど恩恵もうけることなく、その波にも乗れない人々や地域を描いたものだ。

炭鉱での仕事を失った若者。妻子を連れて故郷に戻ってきた男。二代目として燃料店を継いでいる男。パチンコ屋で働く前科者。市電の運転手。空港レストランで働く女の子。

「海炭市」という架空の町がまるで生き物のように描かれているところはアメリカ文学でいわれるところのスモールタウン文学といってもいいだろう。その文章から立ち上る臭いは30年ちかく前、自分が穴水にもどってきたころを否応なく思い起こさせる。

秀逸な群像劇だ。いまはこうした群像劇は描きえないのではないか。なにしろ小さな画面ばかりに見つめて時が過ぎてゆくばかりの、草食系ならぬ、絶食系男子なぞといわれている時代だ。

佐藤泰志はこの連作長編のこの作品途中で自ら命を絶った。







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2013年11月15日

小学生マラソン大会

二度延期になった小学生の「商店街つきぬけマラソン大会」が開催され、朝から沿道にはPTA、商店主やご隠居さんがたくさんならんだ。

先導する校長先生のアナウンスのあと学年別に元気よく、児童たちが駆けぬけていった。とくに1年生はペースも何もあったんじゃない。スタートとあ同時にみな全力疾走でまるで蟻んこのようだ。

どうしても肥満気味の子は遅れる。なかにはプライドをズタズタされたのかはるか後方から泣きながら歩いている子もいる。それでも沿道のおとなたちは暖かく拍手を惜しまない。

ま、ひとそれぞれ不得意分野ってものがあるから。

しかし、これはいいイベントだったな。

昼から金沢へ用事にでかけた。

帰り、多少疲れ、ぼんやり運転しながら大相撲中継を聞入っていると、なんとポール・マッカトニーが観にきてるという。おっ、すごいな。白鵬と記念撮影するつもりだったらしいが、連絡ミスでそれは叶わなかったらしい。

遠藤、残念ながら北太樹に押し倒される。今場所は怪我もあるし、勉強の場所だ。かつて貴乃花も入幕後に4勝11敗で十両に落ちたこともある。じっくりとでいいんだ。

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2013年11月13日

本日休診

いっぺんに冷え込んだせいか、鼻水がとまらないので家人から薬をもらって飲んだら、眠くなって、昼食後ウトウトとコタツで居眠り。

といって雪も降らず、客足も鈍いので文春の12月号をツラツラと読んでいた。

小泉元首相「脱原発宣言」
村上春樹 書き下ろし短編小説「ドライブマイカー」
若手論客10人の提言を聞け

その他今月号は読み応えがある。

夜、ひさしぶりに映画をみる。
「本日休診」渋谷実監督

最近こうした人情劇が山田洋次以外、見受けられない。
なんていうこともない市井の物語、といったもので近年の映画に見られるいかにも悲しみを美化したものは好きではない。おおげさな感動に飢えているのは最近の傾向であるようにも思えたりする。

こういう映画をみると人、というものが愛おしくなるなぁ。




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2013年11月11日

9日、10日と街をうろつく。

土曜日、あなみずまちあるきのガイドの予行練習で1時間余り、数人で原稿を片手にまちなか観光スポットを回った。あらためてまちなか裏路地を歩くと子供時代がよみがえってきたりする。

なんか最近ではお仕着せの観光説明よりもまるで身内受けしかしないようなミクロな話題を面白がる傾向にあるようだ。

あれこれと話しながら回り、終ってから穴水駅構内にある「仁さんのそば」を食した。

日曜日9時ごろ、Hくんから電話があり、商工会2階で地域づくり協議会のセミナーがあるからきてくれというので出かけた。「穴水湾の生態」について勉強する、というもので富山を中心に活躍している水中カメラマンの大田さんが実際に撮った映像を見せながら説明する、といったものだった。

このあたりの海も子供時代はよく潜っていたなぁ。大田さんによればここは入組んだ内海のわりにはきれいで宝の山だ、ということだ。

4時になって落語演芸会があったので公民館へ行ってきた。なにせこの日はWOWOWで朝から夕方まで世界タイトルマッチが目白押し、そして相撲は遠藤の初日、ということでひたすらテレビ桟敷に陣取っていたかったが行く約束もしてたのでひさしく見てない落語のライブを優先した。

最初、町内のおもに学生が落語塾で学んだ成果を発表する、ところからはじまり場内大笑いのあと林家一門のプロの噺に移った。やっぱり安心して聞いていられるなぁ。とくに綿平師匠の能登七見出身の横綱 阿武松緑之介の
人情噺はよかった。おもわず目をつむり、江戸界隈のその情景が浮かんだりした。

帰ってからニュースで遠藤の相撲をみた。

おもったより相撲はとれている、と思った。先日遠藤のお母さんがスーパーにいたのですこし話をきくと、剥離骨折とアキレス腱も痛めている、ということだった。「日大病院は相性が・・」と本人は苦笑いしてたらしいが、玉響との一番は様子見といった感じがした。たぶん徐々に調子をあげていくのではないか、勝ち越しは無理にしても、なんとか5,6番は勝って今年は締めたいところだ。


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2013年11月08日

小学生来店す。

きょうは穴水小学校のマラソン大会で商店街を駆け抜ける、ということで朝から楽しみにしてたんだが、大雨で中止、ということになった。

マラソン大会は苦手だったなぁ。

自分が小学生だったらそもそも衆人が見つめる中、商店街を走る、なんてことは恥をさらすようなもんだから嫌だったろうな。

12日に延期だということだ。

一週間ほど前、穴小の2年生が「商店街探検」でうちの店にも寄ってくれて、考えてきたいろんな質問に答えた。むかしの賑わっていたころのこと、水害で大変な目にあったこと。そして現在の状況、とかなりしどろもどろになったが、きのう先生がその体験を冊子にしたものを持ってきてくれた。

そこには新鮮な驚きに満ちた感想が述べられていて、感心した。その描いた絵も。

齢をとっても理想的なのは子供の視線だな。

まだまだ子供たちは「商店街」という概念はもっているのだ、と思うとホッとした。なにしろ今や商店街が存在しない地域もあるからな。商店街って、イオンやヨーカドーのこと?と思い込んでる子供もたくさんいるだろう。

みな最後におじさんがんばってください!と書かれてあるのをみると、うーん、なんとかふんばっていかな、と思うのであった。



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2013年11月05日

フィービースノウを聴きながら

大市後のあとかたづけや、冬物の整理が一段落したので、午後、泳ぎに行った。

とりあえず、やれやれという気分なのでCDラックからフィビースノウを取り出し、車の中で音量大きめにして走った。つくづく素敵なソングライターがいたもんだな、と思う。

彼女のキャリアは娘が障害を背負って生まれてきたときに終った。

30年間、娘と寄り添い、静かに生きた。

そしてフィービーもまた60歳で亡くなった。

そんなことを想うと、よけいにこの秀逸なアルバムが宝物ように思えてくる。

なにか体の芯から冷えている気がしたのでプールに入る前にサウナにはいり、そこでストレッチしながら軽く汗ばんだくらいで水の中にザブンと飛び込んだ。隣のコースでは中高生の選手たちがまるで疲れを知らぬかのように飛魚のように泳いでいる。

こっちはこっちのペースでやるしかない。

200泳ぎ50歩く。

それを5回ほどくりかえして上がった。

また体が冷えたのでサウナに入った。

心身がときほぐれたところでふたたびフィービーを聴きながら戻った。

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2013年11月03日

どこへ向かうか。

大市が終ってやれやれと一息ついてたら冬物商品がドカンと入ってきた。ことしは雪が降るだろうか。ウチのような店は大雪で道路事情が悪くなればなればなるほどよい。

「遠くのSCなんか行かないで近くで間に合わせるか・・」と。

ちょうど3日は父の命日で住職がお経をあげてくれたあと、しばし雑談に入ったのだが、世の移り変わりに漫然と流れに任すのか、「時流」に負けまいとするのが是なのか、ということを話し合った。

露店で売られている焼きそばや、お好み焼きはやっぱり家庭でつくるより、またコンビニで売られているものよりも美味い。たしかに値段は割高なのだが、その店主の妖しさも相まって、それが魅力のひとつになっている。

最近では素人がイベントやなにかで露店もどきのものをやるのが流行りでもあるし、プロもやりにくくなったにちがいない。

それにしても昔の露天商の面々はおもしろかったな。小指がない者もちらほらいたし、銭湯へ行くとその期間は刺青ばかりだった。小人のようなおばさんとか、やけに背の高い大男もいた。

商店街もそうだが、露天商もこれからどこへ向かうのか。



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2013年11月01日

大市終る。

大市が始まる直前に父親が店先で倒れ、脳外科手術をしたのが10年前で、3年前に危篤状態に陥ったのがまたまた大市直前だった。

だから昔ほどではないにせよ、大市の前というのは気が張る。

そして終るとやっぱりあっさりし、さぁ、どこかへ行くか!という気分になる。

家人は今週末から倉敷、再来週は一週間、東京、その合間に富山で2泊となにやら外出が多くなった。そのぶん、こっちはもう最近では慣れた「八幡のおでん」の毎日で、静かに一杯やることが多くなった。

これから雪が降るまでは静かな日々になるだろうが、なかなか店を抜けれないのが痛い。







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