WOWOWで放送中の中国歴史大作ドラマ『始皇帝 天下統一』。
李斯v.s.韓非。ついに、法家頂上対決の、戦いの火蓋が切って落とされました。
韓非曰く「李斯と渡り合って勝てた者など、これまでおらぬ」そうで、どんだけ無双なんだと。
それから、今回初登場の寧騰という韓の人は、おそらく、後の内史騰、
「キングダム」でファルファル言っている将軍の騰と、同一人物と思われますが、
今後どのように描かれるのか、興味深いところです。
趙の都、邯鄲。悼襄王・趙偃の葬儀に参列するため、趙を訪れた各国の使節のうち、秦を除いた5か国が、春平君の館に招かれる。メンバーは、楚の公子・景涵(架空の人物)、斉の公子・田沖(架空の人物)、韓の公子・韓非、燕の太傅・鞠武、魏の臣・魏霑(架空の人物)、趙からは、李牧、趙葱。春平君は、先王・趙偃が謀略に嵌まり、秦と盟約を結んだことを各国に詫びると、改めて、秦に対する6国の合従を持ちかける。
この会合において、議論をリードしたのは、韓非だった。合従に消極的だった楚や燕を、巧みな弁舌で説き伏せた韓非だったが、今回の合従の成否の要は、斉にあるという。田沖が斉王を説得し、長年、秦との交易で多大な利益を得てきた斉が、秦と袂を分かつことが出来たならば、合従は成功するというのだ。
一方、秦の上卿・姚賈は、会合の結果を探ろうと、韓非の近侍の寧騰に近づき、自分の代わりに各国の使節に贈り物を届けてくれるよう依頼する。寧騰が渋ると、姚賈は、自分の名は出さずとも良いと説得し、目的を達するが、実はこれは、受け取る側に、韓からの贈答品だと思い込ませるトリックだった。全ての国が贈り物を受け取ったことで、姚賈は、全ての国が合従に合意したと、判断するに至ったのだった。
その頃、咸陽では、李斯らが行っていた文字の改訂作業が、遂に完了する。いきなり登場してきた、程邈という人物は、wikiなどによると、「獄中で、篆書(てんしょ)を簡便にした隷書(れいしょ)3千字を作って始皇帝に献じ、御史の官を授けられた」そうなので、本来ならば、もっと後になってから出てくる方が、相応しい人物なのでしょう。
政は完成した書体を、秦篆と名付ける。小篆とも言い、それまでの篆書(大篆)を省略・整頓して筆写に便利にしたもので、背景の文字は、李斯の手になる書き方見本。
政はこの秦篆を、国内で用いることにしたばかりか、商人が他国と契約を交わす際にも、使うことを遵守させる。すると、秦と交易する6国の商人も、秦篆を使わざるを得なくなるが、こうした事態を危ぶんだ燕の太子丹は、韓非に文を出して知らせることに。
韓の都、新鄭。寧騰は、姚賈の推挙を受け、丞相・張讓(架空の人物?)の部下になってます。秦篆の強要を他の国が拒否しても、秦との交易が盛んな斉は、斉王個人の損得勘定から受け入れてしまうかも知れない。そうなれば、各国の足並みが乱れ、合従が流れる――秦は秦篆を用いて、合従を潰そうとしているのだ。それを見抜いた韓非は、自ら斉に出向くことに。
咸陽の王宮。斉の田沖が、秦篆の強要に抗議するため、他国を引き連れて秦の朝廷に乗り込んできた。これに対して政は、斉との通商を禁止すると表明すると同時に、李斯を斉の都、臨淄に派遣して、斉と諸国の連携を断たせることに。李斯に同行するのは、趙妃の復帰の件で活躍した茅焦と、儒者で廷尉監の淳于越。二人とも斉出身で、李斯とは稷下学堂の同窓。
斉では先ず、稷下学堂の学士たちと、秦篆についての論戦が行われることになるが、そこでは、秦篆の文字の美しさ自体が武器になることに、李斯は気づく。果たして、入門希望の楚人を装った茅焦と淳于越が、稷下学堂の門前で書を認めていると、学士の一人が目を止める。学士は早速、書を学堂の祭酒(学長のようなもの。荀子の後任と思われるが、名無し)に見せ、祭酒はそれと知らず、秦篆をベタ褒めするのだった。
そういうわけで、李斯はたった一人で、稷下学堂での論戦に臨むことになったが、祭酒と学士たちは、秦篆を強要しようとする秦に不快感を抱いており、李斯に対しても個人攻撃を仕掛けてくる。楚の小役人の出身でありながら、功を上げようと秦に行き、呂不韋の食客から、どういう手を使って宮殿に入り込んだのか、若い秦王の信頼を得て、今日の地位に至った――祭酒は李斯を、嫌味たっぷりに紹介する。
これを受けて、李斯は、自分は卑賤な身分は恥、貧困は悲哀と考え、そこから這い上がってきたのだと言い、次ぎのように指摘する。多くの学士は、長らく卑賤な状況にあると、奮起する心を失い、「世と争わぬ」などとうそぶくようになる。しかし、そうした有り様は、怠慢でしかないと。そして、学士たちに、諸君の学識を以てすれば、必ず秦で重用されるだろうと、揺さぶりを掛ける。
これに対し、祭酒は、300年の歴史をもつ稷下学堂は、諸子百家の賢人を多く輩出し、著作も数知れないが、李斯は「逐客を諫める書」(諫逐客書)のみ。その程度の学識で、諸氏の用いてきた書体を変えようなどとは、笑止千万だと言う。が、李斯はこれにも、7国の文字がそれぞれ異なる状態は、礼記の規範に反し、人民や学士を苦しめているとして反論。秦王は民の安定のため、秦篆を作ったのだと主張する。
未知なるものに対しては、まず真摯に学ぶべきだ、と提言する李斯。その上で、どの書体が最も優れているのかと問うと、祭酒や学士たちは、先程入手した書だと口を揃える。が、それこそが、秦の定めた秦篆だったのだ。祭酒は、天下の民を導く立場にある稷下の学士は、旧弊を改めなければならないという李斯の言葉に、頷くしかなかった。
さて、韓非が臨淄に到着してみると、稷下学堂はすでに陥落しており、形勢を逆転するには、斉王を説得するしかなさそうだった。韓非は田沖に策を授け、人士を集めて秦使の宿に押しかけさせ、李斯の王宮行きを妨害するよう取り計らうが、李斯は、誰かに扇動されたような彼らの行動に、韓非の影を感じ取っていた。
その頃、李斯の足止めに成功した韓非は、一足早く、斉王・田建(最後の斉王)との面会に漕ぎ着けていた。危機感に乏しい斉王に対して、韓非は、秦篆を強要する秦の命にどの国も従っていないのに、交易を禁じたのは斉に対してだけ。秦は斉を見下している。秦王に屈して秦篆を使えば、そのうち、秦の衣や冠も付けよと命じてくる――そう言って自覚を促すが、そこに、宰相の后勝と田沖が慌ただしくやってくる。
(常日頃、秦から賄賂を受け取っている)后勝は、数百人もの人士が秦使の宿に押しかけている件を、秦との友好関係を損なうとして問題視。一方、田沖は、秦王の傲慢な態度に怒っているのだとして、人士たちを擁護。無理に群衆を止めれば、臨淄は混乱に陥ると警告する。この時「民の怒りを利用しよう」と韓非が提案すると、斉王はこれに乗り、「民の混乱を防ぐため、要望には応じかねる」と秦使に伝達、3日以内の国外退去を命じるのだった。
3日が経ち、退去期限となったこの日、李斯は、監視の目をかい潜って、密かに秦の商人たちを集めていた。そして、彼らを前に、斉王が我々を追放するなら、秦は斉との国交を断つと宣言。手始めに、斉で取引した品物をこの場で焼き捨てるよう命じると、秦の商人たちも、進んでこれに応じ、自らの荷物に火を放つのだった。
この派手なデモンストレーションが王宮に伝わると、斉王は大慌て。李斯と一緒に、秦の商人までもが臨淄から去ってしまえば、斉の織物は穀物と交換できず、食糧不足に陥るかも知れないのだ。斉王は自ら馬車で秦使一行の後を追い、引き止めることに。
紆余曲折を経て、ようやく斉王との面会を果たした李斯は、斉との互恵関係を重視する秦王が、商用文字の協議のために自分を派遣したのに、韓非が突然やってきて斉人を惑わした――と申し立てる。秦と斉が仲違いすることで、最も利益を得るのは、中間地点にある韓。だからこそ、韓非はわざわざ臨淄までやってきて、斉王の前で秦を貶めたのだと。
さらに、李斯は言う。秦篆の導入が通商の発展と富をもたらすからこそ、諸国は秦と斉の国力増強を恐れて、合従などという離間工作を図るのだと。李斯の立て板に水の弁舌を前にしては、秦篆による文化侵略の危険性を田沖が指摘しても、斉王の耳には届かず、結局、両国の同盟にとって有利だという理由で、斉王は秦篆の使用を許可してしまう。
臨淄を去る李斯一行を、稷下学堂の祭酒と学士が見送る。李斯と韓非、学堂の同窓同士で直接会って話をし、和解することを望む祭酒は、別れ際、李斯に韓非の居場所を教える。今では、秦篆も、秦王の統治能力も、高く評価するようになった祭酒だったが、秦が6国を平定することが、吉と出るか凶と出るかは、彼にも分からなかった。
篆書体は、現代でも印鑑などに使われていますが、
これからは使う度に、李斯のことを思い出してしまいそうです。
そういえば、「呪術廻戦」のロゴもそうですね。
李斯v.s.韓非。ついに、法家頂上対決の、戦いの火蓋が切って落とされました。
韓非曰く「李斯と渡り合って勝てた者など、これまでおらぬ」そうで、どんだけ無双なんだと。
それから、今回初登場の寧騰という韓の人は、おそらく、後の内史騰、
「キングダム」でファルファル言っている将軍の騰と、同一人物と思われますが、
今後どのように描かれるのか、興味深いところです。
61 韓非の正体
秦は天下統一を目指す軍事行動と同時に文字の統一を進めるため、新たに秦篆(しんてん)を修訂し、6国に秦との交易にこれを使用するよう強要した。これは秦が6国の足踏みを乱すための計略だと見抜いた韓非は趙に行き、趙偃の葬儀に参列する5国を説得し、6国の団結と合従を呼びかけた。
趙の都、邯鄲。悼襄王・趙偃の葬儀に参列するため、趙を訪れた各国の使節のうち、秦を除いた5か国が、春平君の館に招かれる。メンバーは、楚の公子・景涵(架空の人物)、斉の公子・田沖(架空の人物)、韓の公子・韓非、燕の太傅・鞠武、魏の臣・魏霑(架空の人物)、趙からは、李牧、趙葱。春平君は、先王・趙偃が謀略に嵌まり、秦と盟約を結んだことを各国に詫びると、改めて、秦に対する6国の合従を持ちかける。
この会合において、議論をリードしたのは、韓非だった。合従に消極的だった楚や燕を、巧みな弁舌で説き伏せた韓非だったが、今回の合従の成否の要は、斉にあるという。田沖が斉王を説得し、長年、秦との交易で多大な利益を得てきた斉が、秦と袂を分かつことが出来たならば、合従は成功するというのだ。
一方、秦の上卿・姚賈は、会合の結果を探ろうと、韓非の近侍の寧騰に近づき、自分の代わりに各国の使節に贈り物を届けてくれるよう依頼する。寧騰が渋ると、姚賈は、自分の名は出さずとも良いと説得し、目的を達するが、実はこれは、受け取る側に、韓からの贈答品だと思い込ませるトリックだった。全ての国が贈り物を受け取ったことで、姚賈は、全ての国が合従に合意したと、判断するに至ったのだった。
その頃、咸陽では、李斯らが行っていた文字の改訂作業が、遂に完了する。いきなり登場してきた、程邈という人物は、wikiなどによると、「獄中で、篆書(てんしょ)を簡便にした隷書(れいしょ)3千字を作って始皇帝に献じ、御史の官を授けられた」そうなので、本来ならば、もっと後になってから出てくる方が、相応しい人物なのでしょう。
政は完成した書体を、秦篆と名付ける。小篆とも言い、それまでの篆書(大篆)を省略・整頓して筆写に便利にしたもので、背景の文字は、李斯の手になる書き方見本。
政はこの秦篆を、国内で用いることにしたばかりか、商人が他国と契約を交わす際にも、使うことを遵守させる。すると、秦と交易する6国の商人も、秦篆を使わざるを得なくなるが、こうした事態を危ぶんだ燕の太子丹は、韓非に文を出して知らせることに。
韓の都、新鄭。寧騰は、姚賈の推挙を受け、丞相・張讓(架空の人物?)の部下になってます。秦篆の強要を他の国が拒否しても、秦との交易が盛んな斉は、斉王個人の損得勘定から受け入れてしまうかも知れない。そうなれば、各国の足並みが乱れ、合従が流れる――秦は秦篆を用いて、合従を潰そうとしているのだ。それを見抜いた韓非は、自ら斉に出向くことに。
咸陽の王宮。斉の田沖が、秦篆の強要に抗議するため、他国を引き連れて秦の朝廷に乗り込んできた。これに対して政は、斉との通商を禁止すると表明すると同時に、李斯を斉の都、臨淄に派遣して、斉と諸国の連携を断たせることに。李斯に同行するのは、趙妃の復帰の件で活躍した茅焦と、儒者で廷尉監の淳于越。二人とも斉出身で、李斯とは稷下学堂の同窓。
斉では先ず、稷下学堂の学士たちと、秦篆についての論戦が行われることになるが、そこでは、秦篆の文字の美しさ自体が武器になることに、李斯は気づく。果たして、入門希望の楚人を装った茅焦と淳于越が、稷下学堂の門前で書を認めていると、学士の一人が目を止める。学士は早速、書を学堂の祭酒(学長のようなもの。荀子の後任と思われるが、名無し)に見せ、祭酒はそれと知らず、秦篆をベタ褒めするのだった。
そういうわけで、李斯はたった一人で、稷下学堂での論戦に臨むことになったが、祭酒と学士たちは、秦篆を強要しようとする秦に不快感を抱いており、李斯に対しても個人攻撃を仕掛けてくる。楚の小役人の出身でありながら、功を上げようと秦に行き、呂不韋の食客から、どういう手を使って宮殿に入り込んだのか、若い秦王の信頼を得て、今日の地位に至った――祭酒は李斯を、嫌味たっぷりに紹介する。
#62 秦篆(しんてん)
秦は6国との通商に新訂の秦篆(しんてん)を推進する計画だが、韓非の合従策に阻まれ難航。李斯はかつて学んでいた稷下学堂に行き、そこに集まる学士たちに秦篆のすばらしさを宣伝すると同時に、斉に滞在中の秦の商人たちの協力を得て、斉王に秦篆を採用させることに成功した。
これを受けて、李斯は、自分は卑賤な身分は恥、貧困は悲哀と考え、そこから這い上がってきたのだと言い、次ぎのように指摘する。多くの学士は、長らく卑賤な状況にあると、奮起する心を失い、「世と争わぬ」などとうそぶくようになる。しかし、そうした有り様は、怠慢でしかないと。そして、学士たちに、諸君の学識を以てすれば、必ず秦で重用されるだろうと、揺さぶりを掛ける。
これに対し、祭酒は、300年の歴史をもつ稷下学堂は、諸子百家の賢人を多く輩出し、著作も数知れないが、李斯は「逐客を諫める書」(諫逐客書)のみ。その程度の学識で、諸氏の用いてきた書体を変えようなどとは、笑止千万だと言う。が、李斯はこれにも、7国の文字がそれぞれ異なる状態は、礼記の規範に反し、人民や学士を苦しめているとして反論。秦王は民の安定のため、秦篆を作ったのだと主張する。
未知なるものに対しては、まず真摯に学ぶべきだ、と提言する李斯。その上で、どの書体が最も優れているのかと問うと、祭酒や学士たちは、先程入手した書だと口を揃える。が、それこそが、秦の定めた秦篆だったのだ。祭酒は、天下の民を導く立場にある稷下の学士は、旧弊を改めなければならないという李斯の言葉に、頷くしかなかった。
さて、韓非が臨淄に到着してみると、稷下学堂はすでに陥落しており、形勢を逆転するには、斉王を説得するしかなさそうだった。韓非は田沖に策を授け、人士を集めて秦使の宿に押しかけさせ、李斯の王宮行きを妨害するよう取り計らうが、李斯は、誰かに扇動されたような彼らの行動に、韓非の影を感じ取っていた。
その頃、李斯の足止めに成功した韓非は、一足早く、斉王・田建(最後の斉王)との面会に漕ぎ着けていた。危機感に乏しい斉王に対して、韓非は、秦篆を強要する秦の命にどの国も従っていないのに、交易を禁じたのは斉に対してだけ。秦は斉を見下している。秦王に屈して秦篆を使えば、そのうち、秦の衣や冠も付けよと命じてくる――そう言って自覚を促すが、そこに、宰相の后勝と田沖が慌ただしくやってくる。
(常日頃、秦から賄賂を受け取っている)后勝は、数百人もの人士が秦使の宿に押しかけている件を、秦との友好関係を損なうとして問題視。一方、田沖は、秦王の傲慢な態度に怒っているのだとして、人士たちを擁護。無理に群衆を止めれば、臨淄は混乱に陥ると警告する。この時「民の怒りを利用しよう」と韓非が提案すると、斉王はこれに乗り、「民の混乱を防ぐため、要望には応じかねる」と秦使に伝達、3日以内の国外退去を命じるのだった。
3日が経ち、退去期限となったこの日、李斯は、監視の目をかい潜って、密かに秦の商人たちを集めていた。そして、彼らを前に、斉王が我々を追放するなら、秦は斉との国交を断つと宣言。手始めに、斉で取引した品物をこの場で焼き捨てるよう命じると、秦の商人たちも、進んでこれに応じ、自らの荷物に火を放つのだった。
この派手なデモンストレーションが王宮に伝わると、斉王は大慌て。李斯と一緒に、秦の商人までもが臨淄から去ってしまえば、斉の織物は穀物と交換できず、食糧不足に陥るかも知れないのだ。斉王は自ら馬車で秦使一行の後を追い、引き止めることに。
紆余曲折を経て、ようやく斉王との面会を果たした李斯は、斉との互恵関係を重視する秦王が、商用文字の協議のために自分を派遣したのに、韓非が突然やってきて斉人を惑わした――と申し立てる。秦と斉が仲違いすることで、最も利益を得るのは、中間地点にある韓。だからこそ、韓非はわざわざ臨淄までやってきて、斉王の前で秦を貶めたのだと。
さらに、李斯は言う。秦篆の導入が通商の発展と富をもたらすからこそ、諸国は秦と斉の国力増強を恐れて、合従などという離間工作を図るのだと。李斯の立て板に水の弁舌を前にしては、秦篆による文化侵略の危険性を田沖が指摘しても、斉王の耳には届かず、結局、両国の同盟にとって有利だという理由で、斉王は秦篆の使用を許可してしまう。
臨淄を去る李斯一行を、稷下学堂の祭酒と学士が見送る。李斯と韓非、学堂の同窓同士で直接会って話をし、和解することを望む祭酒は、別れ際、李斯に韓非の居場所を教える。今では、秦篆も、秦王の統治能力も、高く評価するようになった祭酒だったが、秦が6国を平定することが、吉と出るか凶と出るかは、彼にも分からなかった。
篆書体は、現代でも印鑑などに使われていますが、
これからは使う度に、李斯のことを思い出してしまいそうです。
そういえば、「呪術廻戦」のロゴもそうですね。