アニメ『天幕のジャードゥーガル』ですが、6話の「メルゲンの民」、良かったですね。
特に感心したのは、巫者でもあるメルキト族の長・ダイルが、トランス状態に入っていく場面。
年齢に不相応な、力強い太鼓の音と激しい踊り、動画ならでは表現に引き込まれました。

そのダイルが死亡する場面、空が赤く染まっていましたが、あれは低緯度オーロラですね。
日本でもまれに観測されることがあるそうですが、ドレゲネたちが目撃した1204年のオーロラについては、藤原定家が日記『明月記』に、“赤気”が見えた、と書き残しているとのこと。

ダイルの娘クランは、部族を守るため、ジンギス・カンに嫁ぎましたが、その後、チンギス・カンに寵愛され、第一夫人ボルテに次ぐ第二夫人となり、コルゲンという皇子を生んでいます。(チンギス・カンの死後は、レヴィレート婚でオゴタイの妃になっている)
下の図は、ジンギス・カンの軍事力(単位:人)を、誰がどれだけ相続したのかをまとめたものですが、コルゲンは庶子にもかかわらず、トルイを除く正妻の子たちと同数になっています。

で、7話「兄弟」ですが、情報量がやたらと多いですね。
オゴタイが大カアンに選出されたものの、上の図のように、軍事力ではトルイが他を圧倒しているという状況の中、クリルタイ(総会議)では、金への遠征が話し合われます。
オゴタイは、本音ベースでは、首都の建設や街道の整備などを行い、交易を盛んにすることで国を豊かにしようと考えています。チャガタイも、法整備に取り組むなど、オゴタイに協力的ですが、積年の敵である金とは、どうしても決着をつけなければなりません。

軍事を仕切るトルイによる、金の都「開封」の攻略作戦は、以下のようなものでした。
大カアンが、黄河を挟んで開封の北に陣取って相手を引き付けている間に、トルイが南宋領内の険しい山路を通って南から回り込み、挟み撃ちにする。同時に、叔父のテムゲは、東側からゆっくりと進軍することで、大勢の住民を開封の城内へと追い込み、備蓄した食料を早く尽きさせる(こういう策は「キングダム」でも見た気がする)というもの。

ちなみに、中国で最も有名な絵画『清明上河図』は、宋(北宋)の都だった開封を描いたもの。
この遠征の約100年前、徽宗皇帝の時代に、北宋文化は絶頂期にありました。
北宋を占領した金は、1153年に都を燕京(今の北京)に移したので、開封は衰退しましたが、燕京がチンギス・カンの攻撃を受けるようになると、都を維持できなくなり、やむなく、1214年に都を開封に戻していたと。
そして、オゴタイの第一皇后(大カトゥン)ボラクチン登場。
皇帝の妃の中で最も高齢で、夫よりも随分と年長のように描かれていますが、元々はチンギス・カンの妃の一人。レヴィレート婚によりオゴタイと再婚、彼の正妃となりましたが、史実では年齢、出身部族とも不明、ただし、頭脳明晰で思慮深い人物だったと。
そんな彼女は現状、体調が悪く、皮膚にも異常が見られ、まるで毒に冒されているかのよう。
「不老不死」について書かれているという、全真教の医学書を読んでいるので、もしや、始皇帝のように、水銀の入った丹薬でも飲んでいるのかと思いましたが・・・・

クリルタイに出られなかったボラクチンは、モゲから会議の様子を聞いていますが、同じ頃、ファーティマ(シタラ)も、ドレゲネから会議の内容を聞いています。
そして、ボラクチンとファーティマは揃って、もし金への遠征が成功すれば、最も功績の大きいトルイ家の力がますます強くなり、たとえ本人に二心がなくても、トルイを恐れて他家が結託するようなことになりかねず、モンゴルは分裂の危機に瀕する――そう予想しています。
オゴタイの理解者・協力者で、彼の政権の安寧を願うボラクチンと、オゴタイどころかモンゴルを滅ぼしたいと願うファーティマでは、本来、方向性が真逆です。
しかし、ボラクチンはオゴタイのためにトルイを排除したい、ファーティマにとってもトルイは大切な人を殺した憎い仇、ということで、対トルイでは、両者の利害には一致している点もある。
金への遠征で大活躍した直後に、不可解な亡くなり方をしているトルイですが、彼を死に至らしめたのは、果たしてボラクチンなのか否か。以下次回。

ところで、アニメの1クールで、どこまでストーリーが進むのかという件。前回は、「トルイが死亡する辺り?」と書きましたが、7話まで見たところ、もっと先まで進むのは確実ですね。
歴史年表から推察するに、1クールの最終話は、1236年の南宋&西方への大遠征に、ジンギス・カンの孫世代、クチュやバトゥが出発していく場面、と予想しますが、どうか。
特に感心したのは、巫者でもあるメルキト族の長・ダイルが、トランス状態に入っていく場面。
年齢に不相応な、力強い太鼓の音と激しい踊り、動画ならでは表現に引き込まれました。

そのダイルが死亡する場面、空が赤く染まっていましたが、あれは低緯度オーロラですね。
日本でもまれに観測されることがあるそうですが、ドレゲネたちが目撃した1204年のオーロラについては、藤原定家が日記『明月記』に、“赤気”が見えた、と書き残しているとのこと。

ダイルの娘クランは、部族を守るため、ジンギス・カンに嫁ぎましたが、その後、チンギス・カンに寵愛され、第一夫人ボルテに次ぐ第二夫人となり、コルゲンという皇子を生んでいます。(チンギス・カンの死後は、レヴィレート婚でオゴタイの妃になっている)
下の図は、ジンギス・カンの軍事力(単位:人)を、誰がどれだけ相続したのかをまとめたものですが、コルゲンは庶子にもかかわらず、トルイを除く正妻の子たちと同数になっています。

で、7話「兄弟」ですが、情報量がやたらと多いですね。
オゴタイが大カアンに選出されたものの、上の図のように、軍事力ではトルイが他を圧倒しているという状況の中、クリルタイ(総会議)では、金への遠征が話し合われます。
オゴタイは、本音ベースでは、首都の建設や街道の整備などを行い、交易を盛んにすることで国を豊かにしようと考えています。チャガタイも、法整備に取り組むなど、オゴタイに協力的ですが、積年の敵である金とは、どうしても決着をつけなければなりません。

軍事を仕切るトルイによる、金の都「開封」の攻略作戦は、以下のようなものでした。
大カアンが、黄河を挟んで開封の北に陣取って相手を引き付けている間に、トルイが南宋領内の険しい山路を通って南から回り込み、挟み撃ちにする。同時に、叔父のテムゲは、東側からゆっくりと進軍することで、大勢の住民を開封の城内へと追い込み、備蓄した食料を早く尽きさせる(こういう策は「キングダム」でも見た気がする)というもの。

ちなみに、中国で最も有名な絵画『清明上河図』は、宋(北宋)の都だった開封を描いたもの。
この遠征の約100年前、徽宗皇帝の時代に、北宋文化は絶頂期にありました。
北宋を占領した金は、1153年に都を燕京(今の北京)に移したので、開封は衰退しましたが、燕京がチンギス・カンの攻撃を受けるようになると、都を維持できなくなり、やむなく、1214年に都を開封に戻していたと。
そして、オゴタイの第一皇后(大カトゥン)ボラクチン登場。
皇帝の妃の中で最も高齢で、夫よりも随分と年長のように描かれていますが、元々はチンギス・カンの妃の一人。レヴィレート婚によりオゴタイと再婚、彼の正妃となりましたが、史実では年齢、出身部族とも不明、ただし、頭脳明晰で思慮深い人物だったと。
そんな彼女は現状、体調が悪く、皮膚にも異常が見られ、まるで毒に冒されているかのよう。
「不老不死」について書かれているという、全真教の医学書を読んでいるので、もしや、始皇帝のように、水銀の入った丹薬でも飲んでいるのかと思いましたが・・・・

クリルタイに出られなかったボラクチンは、モゲから会議の様子を聞いていますが、同じ頃、ファーティマ(シタラ)も、ドレゲネから会議の内容を聞いています。
そして、ボラクチンとファーティマは揃って、もし金への遠征が成功すれば、最も功績の大きいトルイ家の力がますます強くなり、たとえ本人に二心がなくても、トルイを恐れて他家が結託するようなことになりかねず、モンゴルは分裂の危機に瀕する――そう予想しています。
オゴタイの理解者・協力者で、彼の政権の安寧を願うボラクチンと、オゴタイどころかモンゴルを滅ぼしたいと願うファーティマでは、本来、方向性が真逆です。
しかし、ボラクチンはオゴタイのためにトルイを排除したい、ファーティマにとってもトルイは大切な人を殺した憎い仇、ということで、対トルイでは、両者の利害には一致している点もある。
金への遠征で大活躍した直後に、不可解な亡くなり方をしているトルイですが、彼を死に至らしめたのは、果たしてボラクチンなのか否か。以下次回。

ところで、アニメの1クールで、どこまでストーリーが進むのかという件。前回は、「トルイが死亡する辺り?」と書きましたが、7話まで見たところ、もっと先まで進むのは確実ですね。
歴史年表から推察するに、1クールの最終話は、1236年の南宋&西方への大遠征に、ジンギス・カンの孫世代、クチュやバトゥが出発していく場面、と予想しますが、どうか。
1229年 オゴタイが第2代皇帝に即位
1230年 モンゴル軍、金への遠征を開始
1232年 モンゴル軍、金の主力を撃破(三峯山の戦い)、開封陥落
トルイ死亡(40歳)
1234年 モンゴル軍、金を完全に滅ぼす
1235年 モンゴル帝国の首都、カラコルムが建設される
1236年 バトゥ(ジュチ次男)を総指令とする西方遠征軍が出発
皇太子クチュ(オゴタイ三男)を総指令とする南宋遠征軍が出発
皇太子クチュ死亡(30歳)
1238年 西方遠征中、コルゲンが戦死(30歳頃)
1240年 西方遠征軍、キエフ公国を滅ぼす
1241年 西方遠征軍、ドイツ・ポーランド諸侯連合軍を撃破(ワールシュタットの戦い)
第2代皇帝オゴタイ死亡(55歳)
オゴタイの皇后ドレゲネが監国(摂政)となる
1242年 チャガタイ死亡(57歳)








