久しぶりに横浜美術館に行ってきました。改築後は初ですね。
『マリー・アントワネット・スタイル』は、ヴィクトリア&アルバート博物館(V&A)が企画した世界巡回展。主にファッションの面から、マリー・アントワネットを再評価する内容です。

午前中は混雑すると聞いたので、12時頃に行ったところ、待ち時間ゼロで入場できましたが、人が多くてもシーンと静かな他の展覧会に比べると、ざわざわとした雰囲気。
展示物を指さしながら、「これって、あれよね」などと、同行者とヒソヒソ声で話している人が目立ちましたが、そうした確認作業をついやりたくなるのも、マリー・アントワネットに関する予備知識があればこそ。自分も『ベルサイユのばら』を100回読んだので、気持ちは分かる・・・・
以下、個人的にはドレスよりも興味深かった、事件や革命がらみの展示の紹介。

通称「サザーランド・ダイヤモンド」。中央の1粒だけでも、約15カラットあるとのこと。
「首飾り事件」の元凶となった首飾り(右はそのデザイン画)は、騒動の最中に盗まれ、分解されてイギリスへ渡り、ロンドンの宝石商によってネックレスに作り直されていたのです。
ダイヤは、歴代のサザーランド公爵夫人が継承し、ヴィクトリア女王からジョージ6世の時代まで約100年にわたり、形を変えながら戴冠式の際に身に付けられたそうです。

18世紀後半、盛んに行われた、非公式の音楽会「サロン・コンサート」。
版画に描かれている人物は全員、実在した宮廷人で、中央でチェンバロを弾いているのは、マリー・アントワネットの友人で女官長を務めた、ランバル公夫人とのこと。
ランバル公夫人は、革命時、ポリニャック夫人らが海外へ亡命した後も、王妃を見捨てず忠節を尽くしましたが、それが原因で投獄され、最後は暴徒に虐殺され首を切り落とされています。
ランバル公夫人は、ミュージカル『マリー・アントワネット』にも登場しますね。

ミュージカルといえば、『1789』で、市民が胸に付けていた円形章。
胸元や帽子に付けることで革命への支持を表明するもので、街角で売られていたそうです。
着用が義務付けられていたので、マリー・アントワネットや貴族たちも購入せざるを得ませんでしたが、貴族用はピンク、白、青の3色、市民用は赤、白、青のトリコロールだったとのこと。

1793年、子供たちや義妹エリザベートと引き離されたマリー・アントワネットは、パリのコンシェルジュリー牢獄に収監され、最後の数週間を、囚人番号280番として過ごしました。
この辺り、宝塚歌劇『ベルサイユのばら』の一場面を、反射的に思い浮かべてしまいますね。
肖像画は、ルイ16世の死を悼み、黒い喪服をまとって独房にいる姿とのこと。
王妃の若い召使いロザリー・ラ・モリエールは、後に、王妃の靴底にこびり付いた錆を、看取が剣の刃で削り落としたと、その劣悪な環境を回想していたそうです。
ロンドンの観光名所にもなっている「マダム・タッソー館」関連の展示も新鮮でしたね。
蝋人形作家のマダム・タッソーが、これほどフランス革命に深く関わっていたとは・・・・

マダム・タッソー(1761年~1850年)は、フランス生まれ。
彼女は革命時、ルイ16世の妹エリザベートの蝋人形教師として、べルサイユ宮殿に居住していました。そのせいで、王党派と疑われて逮捕。ギロチンにかけられる寸前のところを、蝋細工の技術があったため死罪を免れ、犠牲者のデスマスクを作る仕事に就かされたとのこと。
こうして彼女は、ルイ16世やマリー・アントワネットのみならず、マラーやロベスピエールのデスマスクを作ることになりましたが、その後イギリスに渡り、1835年に常設の蝋人形館をロンドンに開設すると、その地下の「恐怖の部屋」で、フランス革命の光景を再現したのでした。

マリー・アントワネットの蝋製のデスマスク(複製)。
ギロチンで斬首された後、その日のうちに型取りされたと言われる蝋製のデスマスクは、1925年の火災で焼失するまで、マダム・タッソーの館で展示されていたとのこと。
マダム・タッソーは処刑自体は見ていないが、断頭台に向かう王妃を目撃したそうです。

フランス革命に用いられた、ギロチンの刃。
革命期に使われたこのギロチンの刃は、マリー・アントワネットの首を刎ねたものとのこと。
革命当時、死刑執行人を務めたシャルル=アンリ・サンソンの孫から、マダム・タッソーの息子たちが直接購入し、マダム・タッソー館の「恐怖の部屋」で、100年以上展示されてきたそう。
アンリ・サンソンも、『サンソン-ルイ16世の首を刎ねた男-』でミュージカル化されてますね。
『マリー・アントワネット・スタイル』は、ヴィクトリア&アルバート博物館(V&A)が企画した世界巡回展。主にファッションの面から、マリー・アントワネットを再評価する内容です。

午前中は混雑すると聞いたので、12時頃に行ったところ、待ち時間ゼロで入場できましたが、人が多くてもシーンと静かな他の展覧会に比べると、ざわざわとした雰囲気。
展示物を指さしながら、「これって、あれよね」などと、同行者とヒソヒソ声で話している人が目立ちましたが、そうした確認作業をついやりたくなるのも、マリー・アントワネットに関する予備知識があればこそ。自分も『ベルサイユのばら』を100回読んだので、気持ちは分かる・・・・
以下、個人的にはドレスよりも興味深かった、事件や革命がらみの展示の紹介。

通称「サザーランド・ダイヤモンド」。中央の1粒だけでも、約15カラットあるとのこと。
「首飾り事件」の元凶となった首飾り(右はそのデザイン画)は、騒動の最中に盗まれ、分解されてイギリスへ渡り、ロンドンの宝石商によってネックレスに作り直されていたのです。
ダイヤは、歴代のサザーランド公爵夫人が継承し、ヴィクトリア女王からジョージ6世の時代まで約100年にわたり、形を変えながら戴冠式の際に身に付けられたそうです。

18世紀後半、盛んに行われた、非公式の音楽会「サロン・コンサート」。
版画に描かれている人物は全員、実在した宮廷人で、中央でチェンバロを弾いているのは、マリー・アントワネットの友人で女官長を務めた、ランバル公夫人とのこと。
ランバル公夫人は、革命時、ポリニャック夫人らが海外へ亡命した後も、王妃を見捨てず忠節を尽くしましたが、それが原因で投獄され、最後は暴徒に虐殺され首を切り落とされています。
ランバル公夫人は、ミュージカル『マリー・アントワネット』にも登場しますね。

ミュージカルといえば、『1789』で、市民が胸に付けていた円形章。
胸元や帽子に付けることで革命への支持を表明するもので、街角で売られていたそうです。
着用が義務付けられていたので、マリー・アントワネットや貴族たちも購入せざるを得ませんでしたが、貴族用はピンク、白、青の3色、市民用は赤、白、青のトリコロールだったとのこと。

1793年、子供たちや義妹エリザベートと引き離されたマリー・アントワネットは、パリのコンシェルジュリー牢獄に収監され、最後の数週間を、囚人番号280番として過ごしました。
この辺り、宝塚歌劇『ベルサイユのばら』の一場面を、反射的に思い浮かべてしまいますね。
肖像画は、ルイ16世の死を悼み、黒い喪服をまとって独房にいる姿とのこと。
王妃の若い召使いロザリー・ラ・モリエールは、後に、王妃の靴底にこびり付いた錆を、看取が剣の刃で削り落としたと、その劣悪な環境を回想していたそうです。
ロンドンの観光名所にもなっている「マダム・タッソー館」関連の展示も新鮮でしたね。
蝋人形作家のマダム・タッソーが、これほどフランス革命に深く関わっていたとは・・・・

マダム・タッソー(1761年~1850年)は、フランス生まれ。
彼女は革命時、ルイ16世の妹エリザベートの蝋人形教師として、べルサイユ宮殿に居住していました。そのせいで、王党派と疑われて逮捕。ギロチンにかけられる寸前のところを、蝋細工の技術があったため死罪を免れ、犠牲者のデスマスクを作る仕事に就かされたとのこと。
こうして彼女は、ルイ16世やマリー・アントワネットのみならず、マラーやロベスピエールのデスマスクを作ることになりましたが、その後イギリスに渡り、1835年に常設の蝋人形館をロンドンに開設すると、その地下の「恐怖の部屋」で、フランス革命の光景を再現したのでした。

マリー・アントワネットの蝋製のデスマスク(複製)。
ギロチンで斬首された後、その日のうちに型取りされたと言われる蝋製のデスマスクは、1925年の火災で焼失するまで、マダム・タッソーの館で展示されていたとのこと。
マダム・タッソーは処刑自体は見ていないが、断頭台に向かう王妃を目撃したそうです。

フランス革命に用いられた、ギロチンの刃。
革命期に使われたこのギロチンの刃は、マリー・アントワネットの首を刎ねたものとのこと。
革命当時、死刑執行人を務めたシャルル=アンリ・サンソンの孫から、マダム・タッソーの息子たちが直接購入し、マダム・タッソー館の「恐怖の部屋」で、100年以上展示されてきたそう。
アンリ・サンソンも、『サンソン-ルイ16世の首を刎ねた男-』でミュージカル化されてますね。








