今日、12月14日は、赤穂浪士討ち入りの日。
「忠臣蔵」の名で知られる「元禄赤穂事件」のクライマックスである。
事件の詳細については、Wikiのページを参照願いたい。
この事件は、後に浄瑠璃や歌舞伎、現代になってからも映画やテレビドラマに多数取り上げられ、「忠臣蔵」の名で、広く人口に膾炙している。
「史実」と言われていることに比較的忠実なものから、新しい解釈を加えたもの、さらにはとんでもない荒唐無稽なものまで、枚挙にいとまがない。
変わったところでは、東映のアニメ映画『わんわん忠臣蔵』。
舞台を動物の世界に置き換え、母親を殺された子犬が、成長して仇討ちをする内容となっている。
内容的には忠臣蔵とかけ離れているが、主人公の子犬が「ロック」(=「岩」つまり、「大きな石」=「大石」)だったり、ロックの彼女が「カルー」(大石内蔵助の妾「お軽」が元ネタか?)だったり、仇のトラの名が「キラー」(「殺人者」という意味に加えて、「吉良上野介」に由来)だったりと、元ネタである「忠臣蔵」を強く意識したネーミングになっている。
それから、東宝の怪獣映画『怪獣総進撃』。
こちらはゴジラ、モスラ、ラドン等、多数の地球怪獣が協力して侵略宇宙人を追い払う内容だが、その宇宙人の名前が「キラアク星人」(「吉良」+「悪」)であり、クライマックスでは赤穂浪士の討ち入りよろしく、地球怪獣たちがゴジラを筆頭に、富士山麓のキラアク基地に総攻撃をかける。
ゴジラの息子「ミニラ」も参戦しており、いわば「大石主税」の役どころか。
また、宇宙怪獣代表として、地球怪獣たちと激戦を繰り広げる「キングギドラ」は、「忠臣蔵」における「清水一学」に相当するといえよう。
このように、亜流を含め、数多くの物語の題材とされている事件ではあるが、実際には非常に謎の多い事件でもある。
まず、事件の発端である「松之大廊下事件」。
江戸城内、松之大廊下において、赤穂藩主「浅野内匠頭」が、勅使饗応の指南役である高家筆頭「吉良上野介」に斬りかかった事件。
内匠頭は「遺恨があった」と供述したそうだが、当の上野介には覚えがないという。
本来ならばきちんと取り調べをしてから処罰されるべきだが、時と場所が最悪だったことから、怒った五代将軍・徳川綱吉は、内匠頭に即日切腹を命じ、内匠頭は真実を語らぬまま、生涯を閉じた。
後世になって、様々な説をもとにした物語が創作されたが、いずれも決定的な説得力を欠き、事件から300余年が経った今でも、真相は謎とされている。
その他にも、討ち入りに加わりながらも、切腹を免れた寺坂吉右衛門の件や、大石と袂を分かった大野九郎兵衛の件など、謎は非常に多い。
その中で、今回は物語の中心人物である「大石内蔵助」について、少しだけ考察したい。
「大石内蔵助は本当に討ち入りがしたかったのか?」
結論から言うと、ボクは「したかったわけではない」と解釈している。
「やらざるを得なかった」というのが真相だろう。
今でこそ、内蔵助は「英雄」として祭り上げられ、真田幸村や坂本龍馬とともに、「好きな武士」の上位に挙げられる存在になってはいるが、「松之大廊下事件」までは「昼行灯」とあだ名されるほどの凡庸な人物だったようだ。
どちらかというと、「武士」より、「学者」あるいは「趣味人」のイメージが強い。
事実、書や画をよくし、遺された作品は、どれも芸術性の高いものだと言われている。
「忠臣蔵」にあるように「山鹿流兵法」を学んだことは事実のようだが、それは来るべき時に備えていたというより、一種の「教養」として学んでいたと思われる。
恐らくあの事件さえなければ、田舎の小藩の国家老として、平穏無事に生涯を終えていたに違いない。
そのような人物が、率先して仇討ち……しかも、相手の屋敷に討ち入るという強行策を採るのだろうか……?
この件については、様々な史料を入念に分析する必要があるが、個人的には特に、「辞世の句」に注目している。
彼の辞世の句は、下記のようなものだったと言われている。
これを現代語に解釈するならば、
……といったところだろう。
「英雄」らしく、清々しく、潔い心情が綴られている。
……と観ることができるのは、彼が現代に至るまで「英雄」として語り継がれているからなのではないか?
あるいは、この句を詠んだ時点で、江戸市中では既に「忠臣」として評判が上がっていたから……つまり、彼を英雄視する市井の人々の「期待」に応えたのではないか?
彼がもし本当に「趣味人」=「芸術家」としての側面を持っていたとすれば、辞世の句にもう一つの意味を持たせたとしても不思議ではない。
ではもう一度、辞世の句を分解してみよう。
ここに別の漢字を充ててみよう。
こうなると、その意味は180度変わってくる。
大石内蔵助は、世間の評判どおり「英雄」として死ぬことを余儀なくされてはいたが、実際には「趣味人」=「芸術家」として死にたいと思ったのではないか? それを表わすために、辞世の句にもう一つの意味を持たせたのではないか?
もしそうだとしたら、2度も「苦」という言葉を織り込んでいることから推測して、松之大廊下事件以降、本当に苦しく、すぐにでも逃げ出したいような日々を送っていたのではないか?
つまりは、「討ち入りなど、したかったわけではない」のではないかと推測できる。
他にも「したかったわけではない」とする根拠はいくつかある。
また、「やらざるを得なかった」理由についても、自分なりの考えはある。
いずれ機会を見て、語りたいと思う。
彼の死から300余年……。
真実を知る術はもはやどこにもないが、事件後ではなく、事件前の彼の言動、人柄を分析してみると、やはり「英雄」とはほど遠い、ごくごく普通のオジサンの側面が浮かび上がってくる。
いやむしろ、非常に繊細な感覚の持ち主……変わり者……現代で言うところの「おたく」だったのではないかとも思える。
その彼が、最期に詠んだ歌に込められたもう一つの思い……。
それを誰かが探り当ててくれること……つまり、「大石内蔵助」という人物を「芸術家」として認めてくれることを、彼はあの世でずーっと待ち続けているのかも知れない……。
最後になったが、「忠臣蔵」を題材にした映像作品の中から、オススメの作品を紹介しておく。
1985年の年末時代劇として放送された作品で、今では「水戸黄門」として知られている里見浩太朗氏が大石内蔵助を演じている。
「南部坂雪の別れ」や「赤埴源蔵徳利の別れ」など、史実ではなく、後世になって創り出された「定番エピソード」と、歴史的新解釈をバランスよく織り交ぜ、楽しく痛快でありながら、いろいろと考えさせられる骨太な物語となっている。
これを機に、是非一度ご覧頂きたい。
「忠臣蔵」の名で知られる「元禄赤穂事件」のクライマックスである。
事件の詳細については、Wikiのページを参照願いたい。
この事件は、後に浄瑠璃や歌舞伎、現代になってからも映画やテレビドラマに多数取り上げられ、「忠臣蔵」の名で、広く人口に膾炙している。
「史実」と言われていることに比較的忠実なものから、新しい解釈を加えたもの、さらにはとんでもない荒唐無稽なものまで、枚挙にいとまがない。
変わったところでは、東映のアニメ映画『わんわん忠臣蔵』。
舞台を動物の世界に置き換え、母親を殺された子犬が、成長して仇討ちをする内容となっている。
内容的には忠臣蔵とかけ離れているが、主人公の子犬が「ロック」(=「岩」つまり、「大きな石」=「大石」)だったり、ロックの彼女が「カルー」(大石内蔵助の妾「お軽」が元ネタか?)だったり、仇のトラの名が「キラー」(「殺人者」という意味に加えて、「吉良上野介」に由来)だったりと、元ネタである「忠臣蔵」を強く意識したネーミングになっている。
それから、東宝の怪獣映画『怪獣総進撃』。
こちらはゴジラ、モスラ、ラドン等、多数の地球怪獣が協力して侵略宇宙人を追い払う内容だが、その宇宙人の名前が「キラアク星人」(「吉良」+「悪」)であり、クライマックスでは赤穂浪士の討ち入りよろしく、地球怪獣たちがゴジラを筆頭に、富士山麓のキラアク基地に総攻撃をかける。
ゴジラの息子「ミニラ」も参戦しており、いわば「大石主税」の役どころか。
また、宇宙怪獣代表として、地球怪獣たちと激戦を繰り広げる「キングギドラ」は、「忠臣蔵」における「清水一学」に相当するといえよう。
このように、亜流を含め、数多くの物語の題材とされている事件ではあるが、実際には非常に謎の多い事件でもある。
まず、事件の発端である「松之大廊下事件」。
江戸城内、松之大廊下において、赤穂藩主「浅野内匠頭」が、勅使饗応の指南役である高家筆頭「吉良上野介」に斬りかかった事件。
内匠頭は「遺恨があった」と供述したそうだが、当の上野介には覚えがないという。
本来ならばきちんと取り調べをしてから処罰されるべきだが、時と場所が最悪だったことから、怒った五代将軍・徳川綱吉は、内匠頭に即日切腹を命じ、内匠頭は真実を語らぬまま、生涯を閉じた。
後世になって、様々な説をもとにした物語が創作されたが、いずれも決定的な説得力を欠き、事件から300余年が経った今でも、真相は謎とされている。
その他にも、討ち入りに加わりながらも、切腹を免れた寺坂吉右衛門の件や、大石と袂を分かった大野九郎兵衛の件など、謎は非常に多い。
その中で、今回は物語の中心人物である「大石内蔵助」について、少しだけ考察したい。
「大石内蔵助は本当に討ち入りがしたかったのか?」
結論から言うと、ボクは「したかったわけではない」と解釈している。
「やらざるを得なかった」というのが真相だろう。
今でこそ、内蔵助は「英雄」として祭り上げられ、真田幸村や坂本龍馬とともに、「好きな武士」の上位に挙げられる存在になってはいるが、「松之大廊下事件」までは「昼行灯」とあだ名されるほどの凡庸な人物だったようだ。
どちらかというと、「武士」より、「学者」あるいは「趣味人」のイメージが強い。
事実、書や画をよくし、遺された作品は、どれも芸術性の高いものだと言われている。
「忠臣蔵」にあるように「山鹿流兵法」を学んだことは事実のようだが、それは来るべき時に備えていたというより、一種の「教養」として学んでいたと思われる。
恐らくあの事件さえなければ、田舎の小藩の国家老として、平穏無事に生涯を終えていたに違いない。
そのような人物が、率先して仇討ち……しかも、相手の屋敷に討ち入るという強行策を採るのだろうか……?
この件については、様々な史料を入念に分析する必要があるが、個人的には特に、「辞世の句」に注目している。
彼の辞世の句は、下記のようなものだったと言われている。
あら楽や 思ひは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし
これを現代語に解釈するならば、
なんと心安らかなことか 仇討ち本懐を遂げ思いは晴れたが 切腹を命じられこの身を捨てることになった
現世の月には 一片の雲もかかってはいない(もはや何も思い残すことはない)
……といったところだろう。
「英雄」らしく、清々しく、潔い心情が綴られている。
……と観ることができるのは、彼が現代に至るまで「英雄」として語り継がれているからなのではないか?
あるいは、この句を詠んだ時点で、江戸市中では既に「忠臣」として評判が上がっていたから……つまり、彼を英雄視する市井の人々の「期待」に応えたのではないか?
彼がもし本当に「趣味人」=「芸術家」としての側面を持っていたとすれば、辞世の句にもう一つの意味を持たせたとしても不思議ではない。
ではもう一度、辞世の句を分解してみよう。
あららくや おもひははるる みはすつる うきよのつきに かかるくもなし
ここに別の漢字を充ててみよう。
あらら苦や 思ひは晴るる 身は捨つる 憂き世の尽きに かかる苦もなし
こうなると、その意味は180度変わってくる。
なんと苦しいことか 討ち入り本懐を遂げて思いは晴れたとはいえ 切腹を命じられこの身を捨てることになってしまった
辛い人生の終わりに こんなに苦しいことはない
大石内蔵助は、世間の評判どおり「英雄」として死ぬことを余儀なくされてはいたが、実際には「趣味人」=「芸術家」として死にたいと思ったのではないか? それを表わすために、辞世の句にもう一つの意味を持たせたのではないか?
もしそうだとしたら、2度も「苦」という言葉を織り込んでいることから推測して、松之大廊下事件以降、本当に苦しく、すぐにでも逃げ出したいような日々を送っていたのではないか?
つまりは、「討ち入りなど、したかったわけではない」のではないかと推測できる。
他にも「したかったわけではない」とする根拠はいくつかある。
また、「やらざるを得なかった」理由についても、自分なりの考えはある。
いずれ機会を見て、語りたいと思う。
彼の死から300余年……。
真実を知る術はもはやどこにもないが、事件後ではなく、事件前の彼の言動、人柄を分析してみると、やはり「英雄」とはほど遠い、ごくごく普通のオジサンの側面が浮かび上がってくる。
いやむしろ、非常に繊細な感覚の持ち主……変わり者……現代で言うところの「おたく」だったのではないかとも思える。
その彼が、最期に詠んだ歌に込められたもう一つの思い……。
それを誰かが探り当ててくれること……つまり、「大石内蔵助」という人物を「芸術家」として認めてくれることを、彼はあの世でずーっと待ち続けているのかも知れない……。
最後になったが、「忠臣蔵」を題材にした映像作品の中から、オススメの作品を紹介しておく。
1985年の年末時代劇として放送された作品で、今では「水戸黄門」として知られている里見浩太朗氏が大石内蔵助を演じている。
「南部坂雪の別れ」や「赤埴源蔵徳利の別れ」など、史実ではなく、後世になって創り出された「定番エピソード」と、歴史的新解釈をバランスよく織り交ぜ、楽しく痛快でありながら、いろいろと考えさせられる骨太な物語となっている。
これを機に、是非一度ご覧頂きたい。