「朽」って何画ですか?[3935]

音読みで「きゅう」、訓読み「(く)ちる」。
総画数が6画。木偏だけで4画。旁の部分は2画のはずです。
それなのに書体によっては、ものすごく3画だったり
ものすごく飛びだしていたりしています。

同じ書体で太さの種類がある場合は
「R」または「W3」で統一しています。

2705

緊急自動車の利便性

昭和10年5月、墓地を管理していた東京市が
イメージアップを図ろうと、それまでの名称
「青山墓地」を「青山霊園」に改称しました。

役所は、よく地名をかえます。
それまで、その土地が培ってきた歴史をないがしろに、
住んでいる人たちのことを考えず
いとも簡単に機械的に変更していきます。
有名な町名でまとめようとしたり
1丁目から順番に番号をふってみたり。
何回も会議を重ねたうえでの結論なのでしょうが
はたからみていると、なんともはやな感じばかりです。
昭和30年代から40年代にかけて住居表示が実施されました。
それまでの土地番号による住所表記を一新しました。
区画を区切って、建物ひとつひとつに番号をふりました。
同じ住所に建物が重複しないようにしたのです。
緊急自動車の利便性を図りました。
まさに、町名が一変しました。
以前、長崎市内の住居表示に関して、まとめました。
「住居表示って?」

慶応4年7月17日(1868年9月3日)
明治天皇が「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」を発しました。
「江戸」は「東京」と改称されました。
同じようなことが「大坂」でもありました。
江戸時代の中期には「大坂」と「大阪」が併用されていました。
慶応4年5月2日(1868年6月21日)、
新政府が、もとの大坂三郷に大阪府を置いきました。
この頃、「大阪」が正式な表記となりました。

最近、気づきました。
昭和42年(1967)4月1日、
「霞ケ関」に住居表示が実施され「霞が関」となりました。
昭和45年(1970)1月1日、
「丸ノ内」に住居表示が実施され「丸の内」となりました。

これから、いろいろまとめるときは
同じ場所でも時代によっては表記を変えないとです。

写真はイメージです。
2703

青山霊園[3933]

東京の青山にある青山霊園。
たくさんの著名人が眠っています。
江戸時代くらいに、できたのかなと思っていました。
でも、開設は明治7年9月1日。
明治時代になってからでした。意外と新しい感じです。
周辺の町名や地下鉄の駅名にもなっている青山。
青山霊園のあたりは美濃国郡上藩の藩主
青山家の下屋敷があった場所でした。
青山霊園は昭和10年まで「青山墓地」といいました。
当時、東京市会に墓地移転の建議が提出されたり
市民の間でも移転の声は衰えませんでした。
そこで管理する東京市はイメージアップを図ろうと
「公園墓地」構想が持ち上がります。
その一環でしょうか。
5月には名称が「墓地」から「霊園」に変わりました。
そして昭和35年8月1日、
東京都は新規の墓地貸付を停止しました。

前回はどしゃ降りのなかの青山霊園でした。
こんどは、雨のない日に、ゆっくり歩いてみたいです。

2702
2360
今年の1月、赤坂通りを歩いたとき青山霊園を横切りました。

江戸図の世界[3932]

6年前の平成22年10月23日から11月28日まで
港区立三田図書館の4階にある港区立港郷土資料館にて
港郷土資料館特別展「江戸図の世界」が催されました。

港郷土資料館をはじめ、東京都立中央図書館や東京都公文書館が
収集、保管する、江戸時代に描かれた地図が展示紹介されました。

そのときに発行された図説です。
大絵図や切絵図など119点が紹介されています。

6年前に東京の港区で開かれた展示会です。
6年前に東京の港区が発行した図説です。
さいたま市立図書館から港区立図書館に
相互貸借してもらうつもりでした。
それが。
埼玉県立熊谷図書館が所蔵していました。

2700

公衆立ち入り[3931]

9月25日の「国分寺まで」の続きです。
南浦和から西方面行きの武蔵野線に乗りました。
2つ目の西浦和で停まります。進む気配がありません。
車内アナウンスと、駅ホームのアナウンスがありました。
先の新秋津と東所沢の間で「公衆立ち入り」があったとか。
えっ、「公衆立ち入り」って?
あとで調べたら、線路内に人が立ち入ったことの業界用語だとか。
公のアナウンスで業界用語を使っていたのです。
わかりません。

西浦和で20分強ほど停車しました。
最初に停まった電車が、安全確認をしながら
進みはじめたとアナウンスがありました。
乗っている電車は追いかけて
ホームが空いている次の北朝霞まで進みました。
北朝霞では10分弱ほど停車しました。
安全確認が終了し、順次運転が再開されました。
30分遅れで北朝霞を発車。
その後、電車は少しでも遅れを取り戻そうとしているのか、
心なしかスピードを増しているような気がしました。
トンネルだからでしょうか、ものすごいスピードです。
気圧の違いで耳が、きんとなりました。
急停車したときの反動がこわく
手すりをにぎって、踏ん張ったままでいました。
西国分寺には29分遅れで到着しました。

2697

昭和4年刊[3930]

昭和4年に刊行された『明治・大正・昭和』があります。
著者は「東京日日新聞」の記者、小野賢一郎です。
ちょっと気になる記述をみつけ、手にとってみたくなりました。
埼玉県立図書館のホームページに県内公共図書館等の
全所蔵がわかる「横断検索システム」があります。
調べると、実際の昭和4年刊のものと
平成5年に発行された復刻版があるようです。
内容は同じでしょう。でも、実物は実物です。
復刻版には、解説がついている可能性があります。
さいたま市立図書館で両方を相互貸借してもらいました。

ともに埼玉県立熊谷図書館から届きました。
復刻版はこれまでの相互貸借資料と同じように
厚手ビニールのカバーが施されています。
8う7思った通り解説がついていました。
ぱらぱらすると、もともとの昭和4年刊の
そのものから起こしているようです。
対して昭和4年刊のものは厳重です。
箱に入って、さらに二重のチャック付き袋に入っていました。

袋からだし、おそるおそる箱を開けました。
ハードカバーの背の部分と、ひらの部分が離れかけています。
持ちあげます。乾いた細かな紙片がぱらぱら落ちました。
ページを開くことも、ままなりません。
これはまずい。こわくて扱えないと思いました。
奥付けを確認することもせず箱にもどし
ポリ袋のチャックを閉めました。

復刻版に、昭和4年のぬくもりはありません。
実物ではありません。それでも、ことは足ります。
さびしいですが、そのまま返却しました。

復刻版には奥付けが2つあります。

2698

2699


国分寺まで[3929]

中央線の国分寺まで行くことになりました。
そこで問題です。
大宮から国分寺まで、どのように行きましょうか。

インターネットの路線案内を見ました。
待ち合わせ時間に近いところで、2つの行き方がありました。
ひとつは、大宮から京浜東北線で南浦和、武蔵野線に乗り換え、
西国分寺から中央線でひとつ戻って国分寺に行く方法。
もうひとつは、大宮から埼京線の快速で新宿にでて、
中央特快で国分寺まで行く方法。
乗り換えを含めた所要時間は、新秋津経由が57分。
新宿経由が58分でした。その差、1分です。
埼京線は快速を使うから速いようで、
各駅停車だと、もっと時間はかかることになりましょう。
また、時間によっては湘南新宿ラインで新宿、
という乗り方もあるかもしれません。

武蔵野線にのり新秋津経由で行くことにしました。
1分速いからという訳ではありません。
武蔵野線に乗ってみたかったのです。

これまで武蔵野線で南浦和から東方面へは
2015年9月に西船橋、海浜幕張まで行きました。
幕張メッセで催された、乃木坂46の12thシングル
「太陽ノック」発売記念全国握手会に参加するためです。
また南浦和から西方面へは
2010年11月に新秋津まで行きました。
新秋津から西武池袋線の秋津まで歩いて
ひとつ目の清瀬まで。国立ハンセン病資料館に行きました。

武蔵野線の乗車区間を、西国分寺まで延ばしてみたかったのです。
ただ、地図をみると新秋津以遠はトンネルが多いようで、
車窓はいかがなことになりましょうか。

2697

青山霊園で本を買う[3928]

22日の秋分の日。どしゃ降りの雨のなか
旧乃木邸から乃木坂トンネルの脇に沿って歩きました。
トンネルのまま、東京都道319号支線の環状三号線を
またぐと、その先が青山霊園となります。
青山墓地中央の交差点を右折して北上。
通り沿い、霊園の端にある管理事務所で、ひと休みしました。

数種のパンフレットをいただき、本を買いました。
あと、募金をしてのパンフレットを入手しました。
本は東京都公園協会が発行している東京公園文庫です。
東京の主だった公園の歴史などが1冊にまとまっています。
以前、『日比谷公園』を買って、今回は『青山霊園』。
それにしても、なぜ青山霊園が公園なのかは分かりません。
でも、公園そのものに関する資料としては、とても参考になります。
領収書の発行は「公益財団法人東京都公園協会」になっていました。

じつは青山霊園には乃木さんと奥さんのお墓があります。
こんど、雨のリベンジで行ったときには詣でたいと思います。

2696






旧乃木邸に行ってきました。[3927]

9月13日にお知らせした
「旧乃木邸特別公開」に行ってきました。

ふだんは年に1回9月12、13日の2日間のみに公開されます。
でも、今年は東日本大震災の影響による耐震補強工事が
6月に完了したことで、2週間にわたる大公開となりました。
「特別公開」といっても展示品は、ほとんど毎年いっしょです。
また「特別公開」だからといって
特別なパンフレットがあるわけではありません。
新たに遺品目録を作ったという訳でもありません。
ただ、期間が延びただけ。
既製のA4を横につなげた5つ折りの
パンフレットがあるだけのようです。

乃木公園、旧乃木邸には何回か来ています。
「特別公開」開催中で邸内に入るのは2回目。
邸内に入って、はじめて気づかされることもありました。

外苑東通りから公園に入ってすぐの表玄関。
扉上の欄間窓にはさまれが玄関灯が球の半分だけでています。
どういうことなのか、ずっと疑問に思っていました。
邸内が公開されて、そのなぞが解けました。
なかから見ると、扉の上部に球のもう半分がありました。
もしかして、ひとつの電灯が玄関灯と
玄関内の照明を兼ねているのでしょうか。
質素を常とした乃木ならではの発想となりましょうか。

昼間なのに薄暗く、ずっと閉ざされたままの玄関。
球のまわりの隙間から外の光がさし込んでいました。

2695

55才のシティボーイ[3926]

これまで山手線のなか、
特に中央線の南側は未知の世界でした。
それが長崎より東京に戻ってからは
須田町から小川町、神保町、九段上あたりや
日比谷、芝公園、三田あたりを歩きました。

それが、最近は港区を中心に歩きまわっています。
赤坂、青山、外苑、表参道、六本木、麻布、広尾、恵比寿など
とても、似ても似つかない街ばかりです。

さらに欲をいえば、あと白金、高輪。
日本橋から五反田までの国道1号に沿って歩けば
ほぼ山手線のなか、中央線の南側は
制覇することになりましょうか。

55才のはかない夢です。

SNSのプロフィール写真を変更しました。
同日の別カットです。
2694

40年近くぶりの北池袋[3925]

港区のみなと図書館まで行きました。
5回目です。あっ、そのうち1回は休館日でした。
今回の行程は往復ともJR埼京線で板橋、
新板橋まで歩いて、都営地下鉄三田線で御成門としました。
ほかには立ち寄らず、はじめて、みなと図書館だけの目的でした。
あっ、うそです。帰り、板橋で寄り道をしました。
都営地下鉄三田線の新板橋でおりて
埼京線の板橋、西口から東口にまわって交番へ。
「東武東上線の北池袋、または上池袋交番」を聞きました。

着任して、まもないというお巡りさん。
まだ右も左もうつろで、しどろもどろです。
地図帳を凝視しながら説明してくれました。
不十分ながら熱意は伝わってきました。
だいたい分かりました。
いざ出発、と、そのまえにひとつ。
板橋駅東口駅前、すぐのところに板橋刑場跡があったようで。
刑場は駅から、もう少し離れたところとばかり思っていました。
でも、刑場です。近藤勇が斬首された刑場です。
いまは近藤の供養碑、近藤の墓、
碑を建てた永倉新八の墓がありました。
近藤さんの銅像も立っていました。

2690

勘をたよりに歩きはじめます。
道沿い、おぼろげに思いだしました。
右にゆるくカーブして、坂をのぼると。
40年近く前、高校卒業してしばらくまで育った街。
生まれた街です。
上池袋三丁目、住居表示が実施される前は堀之内町。
上池袋交番の裏にのびる旧称・竹屋横町に入って近く、
路地を右にまがったところでした。
記憶をたぐり路地をめぐり、竹屋横町を進むと明治通りにでます。
左に折れて上池袋の交差点をさらに左にまがりました。
まっすぐ行けば踏切。東武東上線の北池袋です。
途中、上池袋交番に立ち寄り、
少しばかりお話をさせていただきました。
交番から斜めにくだると、母校、池袋第一小学校があります。
踏切をこえました。左側が北池袋駅です。

40年近くぶりの生まれ育った街。面影はありました。
よく出前をたのんでいた、角のそば屋はまだ営業しています。
そば屋の斜めむかいにあった食料品店がありません。
駐車場になっていました。
いつも揚げものを買っていました。

2691

麻布十番から赤坂見附まで[3924]

17日に麻布十番近くの東京法務局港出張所のお話をしました。
18日に赤坂見附近くの警視庁赤坂警察署のお話をしました。
19日に東京法務局港出張所から赤坂警察署まで歩いたお話をしました。
そして今回は、2つの施設のあいだを切り取ってみます。

01/16 鳥居坂
2673
外苑東通りと、都道319号支線の環状三号線をつないでいます。
江戸時代、坂の東側に大名鳥居家の屋敷がありました。
平行して西側に六本木交差点と六本木ヒルズを結ぶ芋洗坂がのびます。

02/16 けやき坂の東
2674
都道319号支線の環状三号線を左に行けば麻布十番。
道に沿って右に行けば乃木坂。芋洗坂をのぼれば六本木です。

03/16 けやき坂のなかほど
2675
港区が運営するコミュニティバスの停留所。
8種類の路線のうち4路線が、けやき坂を通るようです。

04/16 けやき坂の西
2676
けやき坂の上から、ふり返ると東京タワーが立っていました。

05/16 六本木トンネル
2677
平成2年に着工、平成5年に完成しました。
戦前、陸軍歩兵第三連隊の兵営があった敷地の下をくぐります。
戦後には在日米軍基地の兵営、赤坂プレスセンターとなりました。

06/16 国立新美術館
2678
平成19年に開館した日本で5館目となる国立の美術館です。
前庭には二・二六事件ゆかりの旧歩兵第三連隊兵舎が
一部保存されているそうで、いつの日か訪ねてみたいです。

07/16 東京ミッドタウン
2679
戦前には陸軍歩兵第一連隊の兵営がありました。
戦後、アメリカに接収され、米軍将校の宿舎として使用。
昭和35年に返還され、翌年には陸上自衛隊の檜町駐屯地となり
防衛庁の本庁舎も置かれました。

08/16 乃木坂から坂上
2680
坂の途中、左にみえる建物はSME乃木坂ビルです。
「乃木坂46」の最終オーデションが行なわれた場所です。
SME乃木坂ビルになる前は国鉄赤坂桧町アパートが建っていました。

09/16 乃木坂から坂下
2681
坂を逆方向に見ています。
先に、赤坂通りが外苑東通りをくぐる乃木坂陸橋がみえます。
通りを左に行くと乃木坂トンネル。さらに青山墓地を横断します。

10/16 新坂
2682
新坂が拓かれたのは元禄2年(1699)のこと。
新しい坂という意味でつけられたといいます。
それまで、新坂より古い坂はなかったのでしょうか。

11/16 高橋是清
2683
昭和16年、高橋是清さんの邸宅跡に開かれた公園です。
以前には、洋装でソファに腰をおろした銅像もあったようです。

12/16 薬研坂
2684
おりて、のぼってがワンセットとなる坂です。
両側の高地と中央のくぼ地が、薬を砕く器具に似て名づけられました。

13/16 サンダーバード
2685
むかし、アニメーションとかのエンディングテーマが流れるとき
テロップのなかでよく見かけました。東北新社の本社ビルです。

14/16 豊川稲荷東京別院
2686
豊川ダ枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)を祀っています。
仏法守護の善神で、稲穂を荷い白い狐にまたがっていたそうです。

15/16 豊川稲荷東京別院山門
2687
昭和39年の東京オリンピック開催で、青山通りが拡張されました。
境内が縮小され山門が移動しました。もとの位置が分かりません。

16/16 赤坂見附
2688
地下鉄永田町駅をはさんだ向こうには、国立国会図書館があります。
国会図書館は以前、少し通いました。意外なところでつなりました。

再確認しながら文章をまとめました。勉強になりました。


鳥居坂、けやき坂、乃木坂[3923]

2672

17日に、麻布十番近くの東京法務局港出張所のお話をしました。
18日に、赤坂見附近くの警視庁赤坂警察署のお話をしました。
そして今回は、2つの施設のあいだをつないだお話です。

東京法務局港出張所から、都道319号支線の環状三号線にでました。
新一の橋交差点をまたぎ、鳥居坂の入り口を右にみます。
鳥居坂。女性アイドルグループの「欅坂46」
もともと「鳥居坂46」になるはずでした。
デビューするとき、どういう理由でか「欅坂46」と改名しました。
そのまま進んで左折、六本木ヒルズの南側をのぼりました。
けやき坂です。「欅坂46」の由来となった坂です。
「欅坂」は「乃木坂」や「鳥居坂」と違って、歴史はありません。
六本木ヒルズができたときに付けつけられた、まだ新しい坂です。
江戸時代、六本木ヒルズの場所には
長府毛利家の上屋敷が置かれていました。

六本木ヒルズの西辺を北上。
六本木通りの六本木六丁目交差点の地下道をくぐりました。
都道319号支線の環状三号線を北にむかい、
六本木トンネル入り口手前の階段をおりて
トンネルの下を左から右にくぐります。
政策研究大学院大学の南側から、国立新美術館を左にみました。
国立新美術館は「乃木坂46」が2ndアルバムの
ジャケットなどイメージビジュアルを撮影した美術館です。
東京メトロ千代田線の乃木坂駅、代々木上原方の改札口から
6番口をでれば、目の前が券売所。美術館が建ちはだかります。
戦前には、日本陸軍の歩兵第三連隊の兵営がありました。
国立新美術館から外苑東通りにでると
交差点の向かい右側に東京ミッドタウンが広がります。

東京ミッドタウン。江戸時代には松平大膳大夫の中屋敷があり
明治時代には、日本陸軍の歩兵第一連隊の兵営となりました。
乃木希助が第2代連隊長として務めました。
戦後、一時期、アメリカ陸軍が兵営として使用し
のちには防衛庁の施設がならびました。
外苑東通りから東京ミッドタウンの裏側を包む
檜町公園に沿った路地に入りました。
乃木会館を正面にみる赤坂通りを左折。
乃木坂陸橋の直前を左に曲がり、乃木坂のS字カーブをのぼりました。
坂の途中には「乃木坂46」の最終オーデションが
行なわれたSME乃木坂ビルがあります。
グループ名の「乃木坂46」の由来になった場所です。

外苑東通りを北上し乃木坂陸橋を渡ります。
乃木神社のとなり、乃木公園内にある旧乃木邸に
30分ほどお邪魔し「旧乃木邸特別公開」をみました。
また、別の機会に見学するつもりではいます。
そのお話はのちのち。
乃木公園から乃木坂陸橋手前の階段を
赤坂通りに向けており、乃木神社を左に東進。
赤坂小学校手前の路地を左に入りました。
右に稲荷坂の、のぼり口をみて道なりに進むと
右側にカンボジア大使館があります。
その手前が新坂の、のぼり口となります。のぼりました。
新坂は乃木希典が住んだ町。
住居表示が実施される前の町名です。

新坂をぬけると通称青山通りにでました。
正面に赤坂御用地をみてカナダ大使館の角を右折。
進むと、大使館に隣接して高橋是清翁記念公園が広がります。
公園の名称に人のなが冠しています。高橋の邸宅跡地です。
もともとはカナダ大使館も高橋邸の一部でした。
右に、「おりて・のぼって」がワンセットの薬研坂をはさんで
港区赤坂地区総合支所、むかしは赤坂区役所が建ちました。
そして、となりが今回の最終目的地の赤坂警察署です。

地下鉄の麻布十番駅から赤坂見附駅まで歩きました。
距離にして約4キロちょっと。
寄り道をしながら、約2時間の行程となりました。
ひさしぶりに長い距離の歩き。長崎を思い出しました。

先頭の写真は豊川稲荷東京別院。
本殿にむかって二体いたうち右側の狐です。
目をはらしています。

明日、歩いたコースの写真をアップします。

赤坂警察署で拍手に迎えられる[3922]

麻布十番駅近くの東京法務局港出張所から、ずっと歩いて。
青山1丁目方から国道246号、通称青山通りまできました。
赤坂見附にむかって右側を進みます。
左側は、遠くまで赤坂御用地が広がっています。
青山通りから、おりて、のぼってが
ワンセットの薬研坂を右にみます。
その角が港区赤坂地区総合支所。むかしは赤坂区役所でした。
そして、となりが今回の最終目的地、赤坂警察署となります。
警察署の玄関は先の角にあります。
なにやら、ざわついています。
庁舎、建物づたいの植え込みを過ぎて
警察署の玄関前には車寄せが広がるはずです。
たくさんの署員さんが集まっていました。
拍手がわき起こります。
なにかのセレモニーでしょうか。
もしかして偉い人の出迎えとか、見送りとか。
いっしょに拍手をしなければいけない感じ。
あたふたしていると、ひとりの男性署員さんが近づいてきました。
「署にご用ですか」
「はい」
「こちらへどうぞ」
署員さんは、玄関の自動扉まで誘導してくれました。
四方八方から拍手の渦、その中心に包まれている感じ。
でも、決して私の来署を慶賀して迎えているわけではありません。
慣れない拍手のなか、浮き足だってもスキップはしません。
一目散に受付のカウンターに向かいました。

2671

縁のない麻布十番[3921]

東麻布2丁目に用事がありました。
初めての麻布、まるで縁のない麻布十番です。
地下鉄で麻布十番まで行きました。
麻布十番は東京メトロ南北線と、都営大江戸線が走っています。
行き方に迷いました。

大宮から
▽湘南新宿ラインか上野東京ライン、埼京線で赤羽へ。
赤羽から京浜東北線で王子にでて、地下鉄南北線で
12駅目の麻布十番まで。これは、なしでしょう。
▽はたまた湘南新宿ラインか埼京線で新宿まで。
新宿から地下鉄大江戸線で5つ目の麻布十番。これもなし。
▽もうひとつ、湘南新宿ラインか埼京線で恵比寿まで。
恵比寿から地下鉄日比谷線で六本木、
さらに地下鉄大江戸線で麻布十番まで。これもなしです。

そうしたら。以下の2つの、どちらかで考えました。
▽ひとつは(1)
上野東京ラインで新橋にでて、地下鉄浅草線で1駅大門まで。
さらに大門から地下鉄大江戸線で、2駅目の麻布十番まで。
▽もうひとつは(2)
上野東京ラインで新橋にでて、そのまま山手線で1駅浜松町へ。
浜松町から連絡駅となる地下鉄浅草線の大門まで歩いて
大門から2駅目の麻布十番まで。
2670
はてさて(1)新橋から浅草線で1駅の大門か、
(2)新橋から山手線で1駅の浜松町(=大門)か。
ともに新橋と大門(浜松町)での乗り換えです。
悩みどころです。
最終的には浜松町と大門は連絡駅ながら
少し移動するものと判断し、新橋で浅草線に乗り換えて行きました。
でも、いざ蓋を開けてみると新橋での乗り換えは少し歩きました。
対して浜松町と大門は近かったようです。
麻布十番にて駅員さんに聞きました。
「新橋からはお客さんの好き好きでしょう」と言われました。
ちょうど聞いた駅員さんは、むかし大宮市民。
「私だったら、新橋から山手線にのりかえて浜松町。
大門まで歩いて大江戸線に乗り換えての麻布十番でしょう」
次、ふたたび麻布十番を訪ねることがあるでしょうか。
もう、ないのではないかという感じが強いです。
それでも、もしまた次、麻布十番に行くときがあれば
浜松町で乗り換えたいと思います。

なるほど、詳細図をみると
JR浜松町駅と大江戸線の大門駅は、わりかし近いのです。

2669


東京都も、警察署も[3920]

管理する東京都に、所在する区の担当部署から
問い合わせてもらいました。
―とあるところにあるトンネルは、いつ竣工したのですか。
警視庁管内の、とある警察署にたずねました。
―とあるところにあった交番は、いつからいつまであったのですか。

ともに「わかりませんねぇ」とのお答えでした。

そういうことって、ありなのでしょうか。
東京都からのお話では、担当がかわり、
むかしのことは分からないとのこと。まるで言い訳です。
警察署からは「なんで、そんなこと聞くの」
まるで聞いたこちらに非があるような感じでした。

ともに知らないのが当たり前のような受け答えでした。
というか、完全な管理不足でしょう。
むかしのことは、記録に残しておかないものなのでしょうか。
紙1枚、1つのデータファイルが残せないのでしょうか。
あるけど、探すのが面倒なだけだったりして。

そうしたら、たとえば学校の自由研究で、
地元の子どもが交番やトンネルを選んだとき
窓口の大人たちは、どう応対するのでしょうか。

まるで、先人が培ってきた歴史を
いとも簡単にないがしろにしているみたい。

そうしたら、どうしましょう。
所管するところが分からないと言うし
図書館でも分からない。
もう、たずねどころがありません。

2668

いまの愛称はムーミン[3919]

9月にはいって、交通博物館に行きました。
9月4日に長崎にいる蒸気機関車「C57形100号機」の
 ナンバープレートのことを書きました。
9月6日に島原をも走った「1号機関車」のことを書きました。

鉄道博物館のメイン会場、車両がたくさんならぶ
ヒストリーゾーンのまん中には転車台があります。
行ったとき、ちょうど昼12時の時報を合図に
「EF55形電気機関車」の1号機をのせた転車台が
ゆっくりと転回しはじめました。
流線型が特徴の「EF55形電気機関車」は昭和11年に製造。
東海道線の東京と沼津の間で特急列車を牽引しました。
運転台上には戦時中にうけた機銃掃射の弾痕が残っているとか。

「EF55形電気機関車」は現役時代、
「ドタ靴」「靴のお化け」「カバ」と呼ばれました。
それが昭和60年代の復活後には
「ムーミン」の愛称で親しまれるようになりました。

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戦国自衛隊[3918]

きのう、テレビのBSで
映画「戦国自衛隊」を放映していたようで。
残念ながら見そびれてしまいました。
そこで、ひさしぶりに読んでみようかと。

「戦国自衛隊」は「SFマガジン」の
1971年9月号、10月号に連載されました。
のち映画の続編、劇画化、テレビドラマ、演劇、ゲーム、
外伝の小説など、たくさんの派生作品ができました。

ある時期、表紙がかわるたびに買っていました。

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旧乃木邸にて[3917]

毎年この時期に公開されている旧乃木邸です。
今回は東日本大震災の影響による耐震補強工事が
6月に完了したことで、2週間にわたっての
大公開となります。
乃木夫妻の遺品やゆかりの品々が展示されます。

http://www.city.minato.tokyo.jp/akasakadoboku/tokubetukoukai.html

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都立中央図書館にて[3916]

東京都立中央図書館には、WEB上で
サービスが受けられるシステムがあります。
利用者が登録をすれば、都民に限らずサービスが受けられます。
サービスのなかで、ひとつ、したいことがあり登録しました。
「Eメールレファレンス」です。
先日、都立図書館をたずねたとき勧められました。

たとえば、直接、都立図書館に行って
レファレンスで聞いても、その場での回答となるようで。
また、電話でのレファレンスは
1時間程度の調査で回答をだすとのこと。
それも「どの資料のどこに、その記述がある」と
細かに提示してくれるのではなく
「こういう資料がある」と教えてくれるだけなのだとか。
その資料に質問の答えが載っているか
確認するまで分からないのです。
とり越し苦労に終わる可能性もあるのです。

いままで、利用した長崎市立図書館なり、
さいたま市立図書館、埼玉県立図書館、
港区立図書館では、そのようなことはありませんでした。
最速で1週間、長いときには1か月以上もかかって
恐縮しながら調べてくれていました。
ちゃんと資料のなか、回答がのっているページを示してくれました。

都立図書館では、直接の依頼にしても、電話での依頼にしても
調査期間が短すぎるような気がしてなりません。
そこで、都立図書館の総合案内にて相談し
紹介してくれたのが「Eメールレファレンス」だったのでした。
都民でない利用者は、東京都に関することならば
質問に答えてくれるといいます。
質問は、東京都のこと。まさに、うってつけでした。
期間は1週間。1週間後には、なにがしかの
回答を提示するというのです。それは、よしとします。

ただです。問題がひとつありました。
「Eメールレファレンス」とあるように、
質問はメールでしか受け付けていないのです。
こちとら、機械でなく生身の人間です。
直接、窓口の職員さんにお会いして
顔を付け合わせ目をみて、質問を投げかけたいのです。
悩んでいる状況を、からだ全身にみなぎっている質問を
受け止めてほしいのです。
でも、メールとなると、打ち込んだ質問文章がすべてとなります。
本当に伝わっているか、真意をつかんでくれているのか
皆目見当がつきません。見えてきません。
ぬくもりが伝わったかどうか知り得ません。
それに、文章力の至らなさが、どれだけ先方に伝わってしまうか。
もし、意図したことと違った回答が返ってきたら、二
度手間、三度手間になりかねません。

おそるおそる、メールを送りました。
1週間後が、待ち遠しいです。
いや、不安で不安で、なにも手につきません。
少し大げさです。

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ブロッコリースプラウト(3)[3915]

5日7日につづいて
テーブルの上でオーガニック菜園です。
ブロッコリースプラウトが、8センチ近くのびました。
たぶん主には、なりえないでしょう。サラダにあえて食べました。
味とか食感とか、よく分かりません。
ちょっぴり、にがかった感じはしました。
それでも栄養はよいのでしょう。

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充実した都立中央図書館[3914]

港区立みなと図書館に行きました。
第1目標でした。予習はばっちり。
なにを確認するか、なにを聞くか準備万端まとめていました。
みなと図書館は都営地下鉄三田線の御成門駅
A1口から歩いてすぐにあります。
玄関、ガラス張りの自動扉にカーテンが敷かれていました。
休館日でした。そのまま帰ろうかと思いました。
でも、せっかく東京タワー近くまで来たのだから。
いや、のぼりません。東京タワーは関係ありません。
広尾の東京都立中央図書館まで足をのばしました。

3回目の都立図書館です。すべて、みなと図書館からの流れ。
第1目標ではありませんでした。
1回目の都立図書館は整理日でお休み。からぶりでした。
で、今回はその逆。みなと図書館がお休みで都立図書館が開館。
なんとなく、いつかそのうちのために下準備だけはしていました。
それがあたりました。充実した都立図書館となりました。

都立図書館のホームページから
「東京関係地図目録」を開いて。
一般地図編の「東京全図」と「1枚ものの港区」のうち
昭和20年代の地図、13点ほどをピックアップ。
中身を吟味して、4枚の地図を入手しました。
あわせて明治40年に東京市が発行した『東京案内』から
「赤坂区」のページを得ました。

図書館で、いくつか疑問は残りました。
5階の通路からガラス扉のむこう左側、
飲料の自動販売機が向かい合わせに4台あります。
なぜか、横に空き缶回収のごみ箱がありません。
たまたま居合わせた利用者にお聞きしました。
さらに、ガラス扉の奥に食堂が広がります。
食堂のいちばん奥、ごみ箱がならんでいました。
そのうちのひとつが空き缶回収のごみ箱でした。

帰宅後、港区立みなと図書館のホームページをみました。
今週1週間は、まるまる休館になっていました。

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今年最後![3913]

今年、最後であって欲しいです。

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形容詞[3912]

文章を紡ぐ上で重要なポイントのひとつ、形容詞。
引きだしのなかをのぞいても、ストックも少なく
ボキャブラリーもありません。
というわけで、なかなか思うように
使いこなすことができません。

それはもしかしたら
「長崎年表」や「日本社会運動史年表」、
「乃木坂46年表」など、事実だけを追いかける
年表をまとめていたからかもしれません。

言い訳です。

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ブロッコリースプラウト(2)[3911]

5日に続いて
テーブルの上でオーガニック菜園です。
ブロッコリースプラウトが、かなり伸びました。
鉢の左右は12.5センチです。
日の当たる場所に置いておくと、日にむかって伸びます。
なんと下で受けている水が減ります。
一生懸命に水を吸収しているようです。

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紹介1(profile)
藤城かおる
3代続いて東京生まれ、
生粋の江戸っ子ですが、
1991(平成3)年の秋から
長崎に住みました。
長崎で歴史に興味を持ち
いつのまにかこんなになって
2010(平成22)年の春、
こんどは埼玉県に移りました。
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