『唖蝉坊伝』ほか 全4冊[4255]

8月3日、埼玉新聞と埼玉県立図書館に
献本をしたお話を書きました。
その後、県立図書館から9日の消印で
「資料の受領について」の葉書が届きました。

献本をしたことに対しての、お礼のお葉書です。
気になる文面がありました。
御恵贈いただきました資料につきましては、「埼玉県立図書館資料
収集方針」等に基づき取り扱わせていただきます。このため、場合に
よっては受入れできないこともあるとことを御了承ください。
 埼玉県立図書館で受入れできない場合は、県内市町村図書館等に譲
与する等の有効活用を図りますので、その取扱いは、御一任下さいま
すようお願い申し上げます。

都道府県立の図書館は、専門的な資料蔵書を重視しています。
市町村立の図書館は、手に取りやすい小説や実用書などが多いです。
都道県立と市町村立のすみ分けは、なんとなく分かります。
それを見越した上での文面だと思います。

だからといって『唖蝉坊伝』は、
県立図書館が拒む一連の資料とは違います。
フィクションの売れるような読み物と違います。
資料性価値は大きいものと信じています。
それなのに、もし県立図書館が受け入れてくれなかったら
ほかの市町村立図書館に行ってしまったら、意味がありません。
県立図書館には、ものすごくお世話になったから、
たくさんの無理難題を快く聞きいれてくれたから、
だから、そのお礼をこめて「県立図書館」に献本したのです。
県立図書館に留めておいてほしいです。
献本の行く先が、ものすごく気になります。

もうひとつ。
葉書の中ほど、下あたりに「記」があります。
献本は『唖蝉坊伝』を1冊させていただきました。
それなのに「『唖蝉坊伝』ほか 全4冊」。
気になります。
たぶん送られてきた葉書の書式は
左上の宛名、右上の年月日、タイトル名を変更しているだけで
文面はすべて流用しているのでしょう。
前に作ったデータの消去し忘れかと思われます。

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興行界の顔役・2[4254]

7月15日に「興行界の顔役」のお話をしました。
第一章は芸能界とやくざの関係の話でした。
たくさんの有名芸能人の名前がならびました。
その続きです。

第二章は日本にプロレスを広めた話です。
ジャイアント馬場やアントニオ猪木が活躍する前。
中心となるのは「力道山」です。
その裏には興行師、永田貞雄の存在が大きくありました。
永田は、日本プロレス協会創立に深くかかわりました。
力道山が相撲界からプロレスに転向して
亡くなるまでの波乱な生き様が描かれています。
第三章は、海外のエンターテインメントを日本に呼ぶ話です。
永田は大物シャンソン歌手など、外国アーティストを招聘。
破天荒に海外をとびまわり、日本での興行に尽力しました。

そして、第四章
明治37年。永田は佐賀県の杵島炭鉱の
納屋頭の息子として生まれました。
佐賀や長崎の炭鉱を転々とし、
坑夫や父と浪曲のレコードを聞いていました。
浪曲のファンになり、興味をもった永田は
初代天中軒雲月に弟子入り。
天中軒雲衛の芸名を得て、前座を務めます。
でも、声帯を痛めて興行師に転身。
永田は大看板の演者を集め大会を催し
空前の浪曲ブームを巻き起こしました。

力道山にしても、海外の興行を日本に呼び込む話にしても、
浪曲の世界にしても、ほとんどが藤城が生まれる前の話です。
まったくもって、記憶の片隅にもありません。
なんの知識もないままに読みました。とても新鮮でした。
戦前から戦後から高度成長期に至るまでの時代を駆けぬけました。
まさしく、その時代を象徴しているような気がしてなりません。
日本に時代の最先端を導いてくれた人、とでもいいましょうか。

晩年の永田の逸話をひとつ。
興行界を引退する2年前の昭和61年10月、
なお現役の興行師として第一線で活躍していた82才のとき。
「永田貞雄疾風怒濤の七十年記念 日本一の大競演」が
両国の国技館で催されました。
男性歌手は五木ひろし、北島三郎、細川たかし、三波春夫、村田英雄、
女性は石川さゆり、小林幸子、島倉千代子、八代亜紀が出演しました。
司会は玉置宏、演奏は豊岡豊とスイングフェイスが務めました。
「いずれの歌手も一人で十分興行が打てる実力派ばかりである。
それを同じ日に一堂に集めるのは至難の業である。これくらいの
大物になると、一年先くらいまで予定が入っているからだ。
「永田さんでは断れないな」
と、すでに入っていた予定をキャンセルした歌手が四人いたという」

(「興行界の顔役」482ページ)

興行師として名をはせ、興行界のドンと呼ばれた永田は
昭和63年の秋に引退しました。
その後、ニッシンプロの相談役、日本浪曲協会の顧問をつとめます。
平成5年9月30日、急性心不全のため他界、享年89才でした。

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ヒマワリの茎の分岐点[4253]

8月10日にお伝えした、ヒマワリがあります。

主となる茎から葉が分岐するその上部に、つぼみをつけていました。
なんとなく花もついています。(8月11日撮影)
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茎の先端につく主となる大きな花は終わっています。
それなのに、つぼみが花を咲かせました。(8月14日撮影)
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googleで「ヒマワリ」の画像を検索しました。
すると、双頭のヒマワリや、茎の途中に花をつけているヒマワリ、
はたまた、ヒマワリの花のなかに小さなヒマワリをつけたり。
ヒマワリには背丈が高くなったり、ミニヒマワリだったり。
また一輪咲きだったり、脇芽に花が咲いたり、種類があるようです。
ただ、多花性は奇形の場合が多いという説がある様です。
それでも、最近は多花性や分枝性など、多輪品種の輸入が増えているとか。

googleの画像検索のなかに、上のような
茎の分岐点で花をつけるような写真はありませんでした。
わからないけど、もしかして脇芽だったりして・・・。

セーム革でギターを拭く[4252]

さきおとといお話した、病院帰りの3つ。
3つめは、セーム皮・・・です。

セーム革は、鹿やヤギなど動物の皮のことだそうで。
メガネやカメラのレンズ、宝石などをみがくとか。
合成のクロスとは違い、繊維がきめ細かく
表面を傷つけることなく、汚れが拭きとれるのだとか。

そのセーム革で、ギターのボディなどの
汚れがとれるというのです。
先日、音楽仲間から「必需品だよ」といわれました。
はじめて言われました。
30年以上、1本のギターだけを弾き続けています。
それなのに、ぜんぜん気にかけていませんでした。
知りませんでした。
今回、はじめてギターのボディを拭きました。
30年分の汚れです。
ボディの表面にあった浮きでた汚れがとれました。
くすみがなくなり、なんとなく白く反射するようになりました。
ステージでライトを浴びると、反射して眩しくなるかもしれません。
そのかわり、側板(サイド板)からヒール、
ネックの裏側にかけての汚れが、なかなか落ちません。

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演歌の明治ン大正テキヤ[4251]

おとといお話した、病院帰りの3つ。
2つめは、添田唖蝉坊・・・です。

去年の8月10日発行されていました。
ちょうど1年前になります。
ここ数年で、唖蝉坊と乃木坂46
1、2を争って気になる存在のはずなのに。
恥ずかしながら、まったくもって知りませんでした。


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乃木坂46 18thシングル[4250]

きのうお話した、病院帰りの3つ。
1つめは、乃木坂46・・・です。

18thシングル『逃げ水』は
タイプA、B、C、Dと通常盤の5種類があります。
選抜メンバーの構成は18人選抜の十二福神、
3期生によるダブルセンターとなります。
収録楽曲は、表題曲のほか
▽映画「ワンダーウーマン」のイメージソング、
▽「お台場みんなの夢大陸2017」のテーマソング、
▽日本テレビ「全国高等学校クイズ選手権」の応援ソング。
さらには、アンダー楽曲、3期生楽曲のほか
今回、はじめて2期生のみによる楽曲が作られました。
全体的に内容は盛りだくさん。
楽曲それぞれに意味付けがされています。

また付属DVDには
「撮って出し!神宮ライブメイキング2期生編」がついています。
2期生だけでまとまり1本のDVDになるのは、初めてかもです。
(付属DVDは、あまり詳しくないので、間違っているかもです)
2015年に西武ドームで催された「BIRTHDAY LIVE」で
研究生6人が正規メンバーに昇格したとき以来の高揚があります。
ものすごく期待しています。
ほかにも「撮って出し!神宮ライブ&MVメイキング3期生編」や
「乃木恋リアル2016」の前・後編がついています。

引き当てた生写真4枚は、
タイプA(与田祐希・ヨリ)、タイプB(伊藤かりん・ヨリ)、
タイプC(伊藤純奈・チュウ)、タイプD(堀未央奈・ヒキ)でした。
2期生メインでよかった感じです。
ただ、3期生メンバーが加入し、写真の種類が増えました。
推しメンの当たる確率が減ったのは、ちょっと残念です。

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乃木坂・ギター・唖蝉坊[4249]

いま3週間に1回、大宮にある漢方の病院に通っています。
その帰り、三省堂書店とHMVと島村楽器店に寄りました。

▽大宮駅西口の大宮そごう8階にある三省堂書店
添田唖蝉坊を扱った『演歌の明治ン大正テキヤ』。
▽同じく西口の大宮アルシェ5階にあるHMV
乃木坂46の18thシングル『逃げ水』5種を各1枚ずつ。
▽そして、駅東口の大宮ラクーン6階にある島村楽器店
ギターのボディをふく「セーム革」のグロス。

あしたから1日1つずつ追っていきます。

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その後のヒマワリ[4248]

はじまりは7月22日のブログにもアップした7月20日の写真です。
遅くなりましたが、20日以降の写真を振り返ってみます。
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7月22日。花を包んでいた総苞が開きはじめています。
なかの黄色い花びらが見えてきました。
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7月23日。花びらは下の方から開こうとしています。
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7月24日。右上の一部を除いて、ほとんど開きました。
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7月27日。そして、立派に咲きました。
うしろから見ると総苞が反り返っています。
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8月6日。大きなヒマワリの黄色い花びらがしおれています。
かわりに、別の小さなヒマワリが咲こうとしています。
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岩槻駅西口42[4247]

岩槻駅高架改札口の外、東口と西口をむすぶ
コンコースの西側より、ロータリーを見おろしました。
7月28日にお話した「側溝の整備や造成」を
遠く斜めに俯瞰してみました。

このあたりは、区画を取りかこむ道路に
若干の高低差ができているようです。
区画のなかで盛り土をすると、場所によっては
道路より区画のなかの方が1段高くなっていたりします。

造成したところには、なにか建つのでしょうか。
できたら、コンビニエンスストア。
個人的には、セブンイレブンじゃなきゃ、いや。
と思っています。
乃木坂46のコラボグッズを、よく売っています。
イベントチケットの発券をしています。
缶コーヒーの「ヨーロピアン香るブラック」があります。
いまセブンイレブンは、駅反対側の東口に1軒、
また、駅から家を通り越した先に1軒あります。
できたら、駅から家までの
導線の途中にあってほしいのです。

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『唖蝉坊伝』を図書館にリクエスト[4246]

『唖蝉坊伝』を市立図書館で借りようとしました。
でも、まだありません。8月1日の発売から6日目。
県内のどの図書館も、全国の図書館も、揃えてはいないでしょう。
市立図書館の「リクエスト(予約)申込書」に記入しました。
「申込書」には、カード番号と登録者名のほか、
タイトル、出版社名と著者名を書く欄があります。
ちょうど登録者名と著者名を書く欄が横にならんでいました。
著者名を本名にしてなくて、よかったです。

購入して、いつ本が入ってくるか分かりません。
市内のどこの図書館に所蔵されるかもわかりません。
入ってきたら、またご報告します。

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雨のなか2時間半[4245]

7月29日(土)、
南浦和のライブ&カフェ宮内家でイベントがありました。
イベント開始時間前の集合時間より
少し前につくよう電車にのりました。
電車のなかで、少しずつ雨がぽつりぽつり。
駅について改札をでて、跨線橋を渡っていると
雨は音をたて、そこいらじゅうをたたいています。
跨線橋からの階段をおりました。
傘はもっていません。
すぐにやむだろうと、ちょっとしたスペースで待ちました。
傘を持ったお店のスタッフさんや、
イベント出演者さんが目の前を通り過ぎました。
気づかれませんでした。声をかけませんでした。
雨が小ぶりになり、お店にむかいました。
2時間半待ちました。
お店のイベントは佳境です。
お店について、雨が小ぶりになるまで
2時間半待ったことを伝えました。
みんなから、一様に言われました。
「なんで呼んでくれなかったの、迎えに行ったのに」
実際、駅からお店まで、歩いて5分もかかりません。
2時間半かかりました。

いま、2時間半かけると、いちばん速い新幹線で、
東京からどこまで行けるでしょうか。
東海道新幹線で大阪まで。
東北新幹線で盛岡の先、いわて沼宮内まで。
山形新幹線で山形の手前、かみのやま温泉まで。
上越新幹線では新潟まで2時間。
長野新幹線では金沢まで、それぞれに行ける時間です。

ただ。
ただ、ぼけっと待っていたわけではありません。
灰色の雲が動く方向や、スピードを見ていました。
雨のふり方や強弱、水たまりの波紋を見ていました。

たくさんの人を見ました。
屋根のあるところと、ないところで
人が傘を開くとき、人が傘を閉じとき。
どのような行動をとるか。
老若男女、みなそれぞれです。
猛ダッシュで雨のなかに消えていく人。
ハンカチを頭にのせて途方に暮れている人。
傘、レインコート、長靴と完全防備な人。
携帯電話片手に、遅くなる旨を伝えている人。
タクシーを待つ人。浴衣姿のカップル。
ひとつの傘に、3人、4人がかたまっています。
制服姿の女子高生が、わんさか通り過ぎました。
和傘の人。折りたたみ傘の人。ビニール傘の人。
傘を持つところが刀の柄(つか)になっていたり。

水たまりのなかで飛びはねる子ども。しかる親。
屋根のあるうちから、傘を開いたり
屋根の下に入ったのに、傘を閉じなかったり。
傘をくるくるまわして水分を飛ばしたり。
あたりかまわず跳ねを飛ばしたり。
まわりに気を配ったり、自分勝手だったり。
そんな雑踏のなかで、うちわを配っている人。

ひさしぶりの定点観測。
忙しかったです。

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傘には、間違われないように名札をつけています。
詳しくは2015年6月15日のブログをご覧ください。




唖蝉坊の呪縛[4244]

『唖蝉坊伝』をだしたことで、
ひとつ胸をなでおろしています。
「添田唖蝉坊」という呪縛から
解放された感じです。

たとえば、埼玉県立図書館や、
国立国会図書館に足しげく通いました。
初期社会主義運動や明治時代の音楽のこと、
唖蝉坊のことを調べました。

県内の公共図書館だけではままならず、
全国の公共図書館や、大学付属の図書館から、
相互貸借をしてもらいました。
雑誌のコピーを送ってもらいました。

ブログでは、
これまで国会図書館や、埼玉県立図書館に行って
「調べものをしてきた」とは書きました。

でも、なんの調べものをしたのか、
その内容までは書きませんでした。
唖蝉坊の名はだしませんでした。

『唖蝉坊伝』をだしたことで、
こだわりをかなぐり捨てることができました。
胸のつかえが取れ、自由に、
唖蝉坊のことが、あるていど書けるようになりました。

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警察署の裏手[4243]

岩槻区の西辺を南北に
国道122号が走っています。
南から東武野田線の踏切を渡り
ほどなく進んだ左側に
埼玉県警察の岩槻警察署があります。
新庁舎の建設まっただなかです。
いまは、国道を少し進んだ左側に
プレハブの2階建て仮庁舎があります。
じつは、工事中の新庁舎の裏手に
別にもうひと棟をつくっていました。
なにが出来るのでしょうか。

ところで、警察署の建物は署舎といいましょうか。それとも、庁舎といいましょうか。

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逆両替[4242]

スーパーの出入り口近くに自動販売機があります。
130円のペットボトル入りお茶を買おうとしました。
手元には近いところで、100円玉1枚と、
10円玉が2枚しかなく、5円玉が2枚あります。
5円玉は自動販売機では使えません。
スーパーのなかに入り、総合案内所に行きました。
5円玉2枚を10円玉に両替してもらおうかと思いました。
そうしたら「逆両替はできない」といわれました。
逆両替?
細かいお金から、大きいお金には両替できないというのです。
単純に考えて、スーパーならば、大きいお金よりも、
細かいお金の方が、必要なのではないかと思ったり。
お釣りとかで、たくさん使うのではないかと。

今回、はじめて「逆両替」という言葉を知りました。
ふつうの両替は、大きいお金を細かくすることで、
たとえば、100円玉を10円玉にしたり、1万円札を1千円札にしたり。
また、逆両替は、細かいお金を大きくすることで、
たとえば、10円玉を100円玉にしたり、1千円札を1万円札にしたり。

なぜ「逆両替」はできないのでしょうか。

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埼玉新聞社と埼玉県立図書館へ献本[4241]

7月31日(月)の最高気温は、予報で35度でした。
実際35度に届かなかったものの、34.2度を記録。
前日比がプラス5.5度で、翌日比はマイナス4.7度だったとか。
そんな、うだるような暑い日に『唖蝉坊伝』をもって
埼玉新聞社と埼玉県立図書館を訪ねました。

地方新聞社というからには
社屋は、県庁舎の近くにあるものとばかり思っていました。
もともとはJR浦和駅と南浦和駅の間の、岸町にありました。
それが平成20年に、ほとんど上尾市に近い
さいたま市北区の、工業団地のなかに移転していました。
藤城が、長崎からさいたま市に引っ越してきたのが平成22年。
そのときには、もう移転していたのです。知りませんでした。

工業団地のなかは、交通の便があまりよくありません。
大宮からJR高崎線でひとつ目、宮原駅の東口と
埼玉新聞社の間を、マイクロバスが結んでいました。
それでも、日中は1時間に1本くらいの本数です。
往路は、前もって聞いていた時間にあわせて行きました。
宮原駅では、15分弱の待ち合わせで、バスにのることができました。
1階エントランスの一部が、細かに仕切られています。
テーブルとイスがしつらえてあります。案内されました。
『唖蝉坊伝』のこと、お話させていただきました。
さらに、長崎で活動したの3つのお話もしました。
カメラを持ったテレビ局の番組ディレクターと2人だけで
島原半島と大村湾を、それぞれ1年間かけて歩いたこと。
路面電車の1車両の広告スペースを使って写真展を催したこと。
そして、音楽CDを3枚自主制作したこと。
あわせて堀直子の著作も持参。夫婦での創作活動を伝えました。
復路、新聞社をでようとしたら、バスは5分前にでたばかり。
次の発車は、なんと50分後です。待ってられません。
社屋をはさんで、高崎線と反対側を
埼玉新都市交通のニューシャトルが走っています。
最寄駅まで1.3キロほど、暑いなかを歩きました。

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『唖蝉坊伝』が完成したのは、近くあった
埼玉県立浦和図書館のおかげといっても過言ではありません。
長崎にいたとき、明治39年に日本社会党が発行した
機関紙の「光」を、どうしても見たくなりました。
でも、長崎県立図書館はもとより、長崎市立図書館にも、
長崎県内の公立図書館のどこにも所蔵がありません。
探しました。ありました。でも、いちばん近くても福岡市内、
九州大学の付属図書館まで行かなくてはなりません。
そこで、「光」にのる、小さな記事ひとつだけをみに
長崎から博多まで往復特急電車の自由席にのりました。
ふだん、図書館での複写は事前に申請しなければなりません。
でも、「長崎から特急にのってやってきた」と
係の人にわけを話し、その場でしてもらいました。
埼玉県の大宮区に引っ越しました。
JRで4駅ゆられ、1年間、埼玉県立浦和図書館に通いました。
当時、埼玉県立図書館は3館、浦和と熊谷と久喜にありました。
そのうち、社会科学関係の資料を所蔵するのが浦和図書館でした。
「光」や同類の機関紙をはじめ、たくさんの資料を得ました。
図書館の係の人には、たくさんの無理を聞いてもらいました。

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そんな埼玉県立浦和図書館は、いまはもうありません。
図書館の建物は跡形もなく、更地になっていました。
いま埼玉県立図書館は、熊谷と久喜にしかありません。
そう、県庁所在地に県立図書館がないのです。
そこで、以前にいちど伺ったことのある、県庁舎内で
図書館に関係する部署を訪ねました。

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ヂンヂロゲのなぞ[4240]

2年前の10月2日に「じんしろげ」のことを書きました。
先日、「じんじろげ」のもと歌となる
「ヂンヂロゲの唄」の歌とは何か。質問をいただきました。
今回は、そのお答です。
文面はひさしぶりに、ど偉く長いです。ご容赦ください。

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CD『街角のうた 書生節の世界』には
全24曲が収録されている。
その4曲目に秋山楓谷・静代夫妻の
「ヂンヂロゲとチャイナマイ」がある。
はじめは1曲の歌かと思っていた。
しかし、よくよく聞いてみると、曲間に無音の隙間がある。
「ヂンヂロゲ」と「チャイナマイ」は、別々の歌とわかった。
すると「ヂンヂロゲ」と、もう1曲の「チャイナマイ」は、なにか。
「China・米」「支那米」。「中国米」となろうか。
歌詞が、片仮名ばかりのようで、聞き取りにくい。
いまは、まだ内容の把握ができていない。べつの機会に譲る。

そこで、「ヂンヂロゲ」の話。

昭和12年5月5日発行の12ページほどの小冊子
『明治以降流行歌演歌年表』がある。
その9ページ、大正10年の項に「ヂンヂロゲの唄」があった。
他の曲には作詞作曲者の名がある。
「ヂンヂロゲの唄」はタイトルのみので、作者の名はなかった。
CD『街角のうた 書生節の世界』に収録されている
「ヂンヂロゲとチャイナマイ」の解説にあった。
「ヂンヂロゲはインドの留学生が日本に持ってきた歌だと
久留島秀三郎の『飛行機とバスの窓から』(相模書房)に出ている」

さっそく『飛行機とバスの窓から』を探した。
さいたま市立図書館には所蔵がなかった。
埼玉県立図書館から相互貸借で取り寄せてもらった。
『飛行機とバスの窓から』は、昭和25年12月に発行された。
著者の久留島は、明治21年に京都で生まれた。
兵役を務めたあと、札幌で4年間の鉱山監督官を経て
満洲に渡り、鉄山や鉱山を主管、会社を設立する。
日華事変直前に帰国し、いくつかの会社の社長を歴任した。

『飛行機とバスの窓から』には、発行された年の
3月7日から6月20日まで、107日間にわたり
世界をめぐったときの紀行がまとまっている。
そのなかに「ヒラミルパニア」があった。

明治41年に、インド南部の大王国マイソールの
マハラヂャ(大王様)が来日。
京都に1週間滞在したときのことを書いている。
久留島は20才、本文では高等学校直後としている。
インドからの一行は、京都ホテルに滞在、
近くに久留島の身内が営む造酒屋があった。
インドの王様の従者が、酒屋に飲みに通う。
ある晩、久留島が酒屋にいくと、2人のインド人がやってきた。
冷酒を酌み交わしているうちに陽気になった。
インドの歌をうたいだした。
  ヒラミルパニア
  ジョリナナディーヤ ジョリナナディーヤ
   ジョリナナディーヤ
  ヒラミルパニヤ ジョリナナディヤ
  アングラナチェ バングラナチェ
   ナチェブーテルカーナ
  ウーベルシトメンプカリ ラウババルチカーナ

歌は久留島を含めた4人が聞いた。歌詞をおぼえた。
その場にいた4人は折々にうたった。流行した。
数年後には、京都祇園の花街で、三味線の伴奏でうたわれた。
十数年後、久留島が満洲に赴任したとき、
部下が酔っぱらい「ヒラミルパニヤ」とうたった。
40年ののち、三高の寮歌集にのり、ボーイスカウトの歌集にのった。
意味も聞いていた。しかし、40年あまり前の話。忘れた。

久留島は昭和25年に世界をめぐったとき、
インドのバラジャムダ鉄山を見学した。
久留島はヒラミルパニアの一節をうたった。
歌詞を英字でつづり、列席した所長、案内役ともう1人に見せた。
歌を訳してくれるよう頼んだ。
  雨が降つて來た
  忽ち川となつて流れる(二囘繰り返し)
  イギリス人も踊る
  ベンガル人も踊る
  踊れよ 瓶には酒が
  机の上には黒い長い容れ物に御馳走が

「ヒラミルパニア」は「雨が降って来た」に、
「ジョリナナディア」は「たちまち小川になって流れる」となる。
インドでは乾季が長く雨が少ない。雨は恵みの雨となる。
どうやら雨を讃えた歌のようだ。

「ヒラミルパニア」が、久留島を含めた
4人から広まったということがわかった。
『街角のうた 書生節の世界』収録の「ヂンヂロゲ」を聞くと
「ジョリナナディーヤ」という歌詞が聞こえる。
さらに歌を聞くと、なんとなく先の片仮名の歌詞を追うことができる。
秋山夫妻の「ヂンヂロゲ」は、インド人が久留島らの前で
うたった歌ということがわかる。そこはつながる。

ただ、『飛行機とバスの窓から』には
「ヂンヂロゲ」の言葉が、ひとこともでてこない。
そうしたら「ヒラミルパニア」のどこから
「ヂンヂロゲ」という言葉が生まれたのか。
明治41年に久留島らがインド人の歌を聞いてから、
大正10年頃に秋山夫妻が「ヂンヂロゲ」を
うたうまでの間に、なにがあったのか。
いつ変化したのか。そこがまだ、つながらない。

========================

最初の質問の、完全な答えにはなっていません。
「ヒラミルパニア」から「ヂンヂロゲ」への流れが、把握できていません。
さらなる、今後の課題ということでお許しください。
いましばらくの猶予を。

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ワインバー田舎から、原口純子さん、そして宮内家へ[4239]

きのうのお話を少しだけ詳しく。
ライブ&カフェ宮内家を知るきっかけになった
福岡のシンガーソングライター原口純子さん。
彼女の歌に「ワインバー田舎の夜」があります。
ワインバー田舎は長崎の歓楽街、思案橋に近い銅座町にありました。
2階建てビルの上にのっかった3階、木戸をあけ靴を脱いであがります。
板張りの床で、まん中に囲炉裏。天井から自在かぎがたれています。
南側の壁一面に棚があり、カウンターがあります。
木戸から入ったいちばん奥に、畳張りの3畳に満たない個室があります。
小さな囲炉裏に蓋がしまると、ステージに早変わりしました。
マスターを慕い、たくさんの仲間が集まりました。
「枕元のパンツ」を作りうたいました。
たくさんのミュージシャンがライブを催しました。
原口さんがライブを催しました。
原口さんはワインバー田舎を愛されました。
お店を、マスターを、そして仲間を。
原口さんは「ワインバー田舎の夜」をつくりました。
2009年11月、お店は近くの本石灰町に移転しました。

長崎出島ワーフのイベントにて「ワインバー田舎の夜」をうたう原口純子さん(撮影・阿部さん)
歌の途中に藤城が映っているかもです。歌詞の中に、枕元のパンツがでてきます。


宮内家のOM出場回数をかぞえてみた[4238]

長崎で、ずっとお世話になったワインバー田舎があります。
福岡在住のシンガーソングライター、原口純子さんを知りました。
平成22年4月20日、18年過ごした九州長崎をあとに、
関東地方に戻ってきました。移り住んだのは埼玉県の大宮です。
近くで、原口さんのライブを聞くことができないか探しました。
そこで見つけたのが、東浦和のライブ&カフェ宮内家だったのです。
ひさしぶりに原口さんにお会いし、歌に酔いました。
その宮内家で、オープンマイクを催されていることを知りました。
さっしょく出場を申し込みました。
以下、宮内家のオープンマイクに限っての
出場させていただいた日付です。

▼東浦和
2010年 2回
9月26日、10月16日
2011年 9回
2月13日、3月13日、4月17日、5月15日、6月19日、
7月17日、8月7日、9月4日、10月16日

東浦和のお店がお休みになりました。
OMに集った仲間7組9人で「いまうた」をはじめました。
とある飲食店のスペースをお借りし、活動の場を設けました。
2011年11月27日から、2013年10月20日まで
月1回のペースで24回催しました。
そして「いまうた」開催中、2012年の9月に
宮内家が南浦和にて再開しました。
いまうた組のメンバーには、「いまうた」に出場しながら
宮内家のオープンマイクに出場するメンバーもいました。
でも、宮内家への出場は、「いまうた」が終了してからと決めました。
そして、宮内家が新しくオープンして、いっときおいてから、
ふたたびオープンマイクに出場することになりました。

▼南浦和
2013年 2回
11月23日、12月20日
2014年 13回
1月11日、2月21日、3月2日、4月27日、5月18日、
6月15日、7月13日、8月17日、8月22日、9月15日、
9月19日、11月9日、12月5日
2015年 9回
1月12日、4月26日、5月22日、7月11日、8月16日、
9月6日、10月17日、11月23日
▼南浦和・同じ建物の地下へ移転
12月23日
2016年 10回
1月11日、3月21日、4月29日、5月1日、6月12日、8月14日、
9月11日、10月16日、11月13日、12月25日
2017年 6回
1月9日、2月19日、3月12日、4月30日、6月11日、7月9日

ここまで、細かく日付けが分かったのは
OMの出場申し込みを、メールでしていたからです。
PCのメールソフトにつくった「OMフォルダ」があります。
送受信したすべてのデータを、消さずに残していました。
ということで、これまで宮内家のオープンマイクに
出場した回数は51回となります。

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写真は、すこし前に写したもので、現在の店前とは異なります。



「藤城かおる」です[4237]

池袋の、とある書店のインフォメーションにて。
「すみません。『唖蝉坊伝』って、ありますか」
「あぜんぼう・・・」
店員さんが聞き返しました。
「『あ・ぜ・ん・ぼ・う・で・ん』です」
ひとことずつ、はっきり伝えました。
店員さんはモニタと睨めっこをしています。
まゆの間に、2本のしわを寄せています。
「著者名はわかりますか」
「『藤城かおる』です」
「どういう字を書きますか」
「藤の花の『藤』に、江戸城の『城』で、『かおる』は平仮名です」
キーボードの上で指が踊っています。
「こちらですか」
モニタを見るよう促されました。
左上に小さく表紙が映し出されています。
見覚えのある表紙。
「あっ、はい。そうです」
「8月1日発売ですね」
「わかりました。ありがとうございます」

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ス[4236]

木の生え際に「ス」です。
片仮名の「ス」です。
なにが「ス」なのでしょうか。
逆からみると平仮名の「と」になります。

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岩槻駅西口41[4235]

岩槻駅西口に変化がありました。
駅にむかって左側の区画で整備がはじまっています。
工事内容としては「側溝の整備や造成を行っています」。
「側溝の整備」は分かります。
道路と区画の間にある側溝の整備でしょう。
ただ、そのあとの「造成」がアバウトすぎます。
たぶん、区画のなかの整地なのでしょう。
なにか建物がたつ前哨戦でしょうか。
もしも建物ができるとするのならば、
ぜひとも、コンビニエンスストアができてほしいです。

あと、「工事中につき 通り抜けできません」の立て看板。
歩道の際の長い距離、「どこを通りぬけるな」というのでしょうか。

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「ニボシ」と「メザシ」[4234]

「煮干し」とか、「目刺し」という魚がいます。

あっ、
決してそういう名前の魚が、海を泳いでいる訳ではありません。
「煮て干された魚」や「串を目に刺した魚」は泳げません。
ともに、人間が食する、または使用する目的で加工されたあとの名前です。

「煮干し」は、その名の通り、小魚を煮て干したもの。
主に出汁をとる材料として使われます。
そのままで、あるいは乾煎りにして食べることもあります。
原料となる魚は、カタクチイワシが一般的です。
煮干しは「いりこ(炒り子)」や「じゃこ(雑魚)」ともいいます。

「目刺し」は干物の一種です。
カタクチイワシやウルメイワシなどの小魚を塩漬けし、
目から下あごへ竹串やワラを通して数匹ずつ束ね、乾燥させます。
通常はそのままではなく、焼いて食べます。

ちゃんとした魚そのものの名前よりも、
加工方の「煮干し」や「目刺し」の方が
一般名詞として通っている感じです。

家では、たまに「煮干し」を味噌汁の出汁に使います。
味噌汁を食べ終えると、お椀の底に「煮干し」が残ります。
それも食べます。

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岩槻五輪仕様[4233]

さいたま市の田舎に
早くも五輪の波が押し寄せてきました。
東武野田線の岩槻駅西口から、
まっすぐ道がのびています。
交差する路地があります。
合流地点の「止まれ」が新しくなっていました。

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でも、その奥、5メートルも離れていない
「止まれ」はそのままです。

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すぱいらる[4232]

もともと渦巻状の蚊取り線香です。
燃えたあとのかすも、スパイラルの形になっています。
上と下から力を加えたら、撥条(ばね) みたいに
もとの形に戻ろうとする力が働くかもしれません。
あっ、螺旋部が短いかもです。
ではなく、ふれた時点で崩れます。

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見本が届きました2/2(最終学歴)[4231]

「唖蝉坊伝」の奥付けと同じページに
著者のプロフィールがあります。
まったくもって、なにを書いてよいやら悩みました。
高校を卒業して、大学へは行っていません。就職しました。
なもので、高学歴でもなく、専門的に学問を学んだわけでもなく、
なんの知識も、なんの取り柄もありません。
なにをした、という経歴もありません。
今回が処女作だから、これまでに著作もありません。
そういう意味では、長崎は特別だったのかもしれません

プロフィールの最終学歴は高校にしました。
じつは、高校を卒業して働いていた一時期、
東京デザイナー学院のレタリング専科に通いました。
夜の半年間の講座を、何期かにわたって受講しました。
でも、東京デザイナー学院にはしませんでした。

最終学歴としたのは岩倉高校の運輸科です。
明治30年、鉄道学校として東京の神田錦町に開校しました。
卒業後、鉄道の業務に携わるための専門的な高校となります。
校名は鉄道の創設に貢献した政治家の岩倉具視にちなみます。
運輸科に在籍しました。
法規などのソフトな面や、システムなどのハードな面と
多岐にわたり学びました。
身近なところでは運賃計算や、切符の切り方を教わりました。
最初に「専門的に学問を学んだわけでもなく」と書きました。
ある意味、専門的な学科なのかもしれません。
そんな高校に在籍していた3年間は、誇りに思っています。

いまも、お付き合いをさせていただいている、
お2人の恩師がいます。ともに退職されています。
当時、文芸部の顧問をしていた恩師がいいました。
「市販される本を著わした卒業生は、まだいないんじゃないかな」
そのひとことで決めました。
本をだすのだから。たくさんの人に知ってもらえる絶好の機会です。
恩返しという思いを込めて、プロフィールの最終学歴を
岩倉高等学校の運輸科としました。

岩倉高校を卒業した、唯一の有名人をご紹介します。
今年の4月に満88才で亡くなった、3代目三遊亭圓歌です。
昭和4年に東京都墨田区向島で生まれた中澤信夫は
岩倉鉄道学校を卒業後、運輸通信省東京鉄道局に入局しました。
山手線の新大久保駅で駅員を務めます。
昭和20年8月に東京鉄道局を退職し、9月に2代目円歌に入門。
昭和23年4月には二つ目に昇進し、2代目三遊亭歌奴に改名しました。
昭和45年9月に圓歌を襲名。
以後はテレビ出演を控え、高座に専念することに。
昭和60年に出家。昭和62年、落語協会副会長に就任。
のち平成8年に8代目会長に、平成18年には最高顧問に就任しました。
得意演目として「授業中(山のあな)」がありました。
小さい頃、よくテレビで流れているのを聞いた覚えがあります。

そうそう、岩倉高校といえば、もうひとつ。
昭和59年、春の選抜高校野球大会に初出場し、順調に勝ち進みます。
決勝戦では桑田・清原がいたPL学園を抑え、初優勝を遂げました。

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藤城かおる
平成17年(2005)12月から
毎日書き綴っています。


3代続いて東京生まれ、
生粋の江戸っ子ですが、
▽平成1年(1989)9月に
長野県の松本に引っ越し
▽平成3年(1991)11月
長崎に移りました。
▽平成22年(2010)春
埼玉県に引っ越しました。








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