次回の宮内家OMは10月16日 (日) , 114回エントリーの予定です。

9月24日の17時53分、
空が3色に分かれていました。
北の方角になりましょうか。
夕方から夜になろうとしています。
右の白い雲、左の灰色の雲。
そして、まん中の青空。
白雲の上に灰雲がのっかっている感じです。
灰色の下の方、遠くは明るく白みも見えます。
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9月24日の13時10分から12分にかけて
いつもの岩槻駅西口の東和銀行裏にある空き地です。
少し前、9月14日に一部のびている緑が
藤城の背丈を越したお話をしました。
こんどは、その緑が倒れていました。
たぶん直近の台風の強風によるものと思われます。
たくさんの緑が、すごい勢いで同じ方向に倒れていました。
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きのう、PBHがなくなったと書きました。
でも、なくなったのが分かった同じ日の午後、
9月22日の15時55分に、なんと、
また同じ木に掛かっているのを見つけました。

ただ、掛かっている枝が違います。
中に入っていたPBがありません。
中身のないPBHだけが掛かっていたのです。
それでは、PBはどこに行ってしまったのでしょうか。
近くに転がっていないか探しました。
でも、ありません。

思い返せば、はじめ、
左側の木に掛かっているのを見つけ、
次に右側の木に移り、さらに、まん中の短い木に掛かり、
そして、今回から中身のない第四章の幕開けです。
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9月22日の10時23分、
ついにその日がやって来ました。
なんと、これまでずっと木に掛かっていた
PBHが、なくなっています。
もしかして、元の持ち主が見つけたのでしょうか。
それとも、新しい持ち主が持って帰ったのでしょうか。
はたまた、交番に届けられたとか。

あたりを探しました。
でも、ありません。
最初に掛かっていた木、次に掛かっていた木。
そのまわり。
どこにもないのです。
これで、PBHを追いかけることもなくなります。

なにやら淋しくなりました。
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台風が去った翌日、21日の
13時06分、はたして望めるでしょうか。
いざ、岩槻駅の自由通路の東口寄り
いつもの窓から空を仰ぎました。
かすかに太陽がのぞいていますが、
雲は低くたれこめています。
残念ながら富士山を望むことはできませんでした。

前回、最後に富士山を見たのは、
薄ぼんやりでしたが8月10日のことでした。
以来、46日間 お目に掛かっていません。
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この週末、また、
台風が近づいてきているようですが
ひとつ前の台風が過ぎ去った翌日、21日の10時14分。
PBH(ペットボトルホルダ)の手持ちひもの
片方が枝から外れていました。
もしかして、台風の吹き返しの風によるものでしょうか。
もう片方の手持ちひもは、PBが重いからか
引っ張られ、バランスを崩しているようです。
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いつもお願いしている
宅配は毎週水曜日の朝に届きます。
今週、宅配が届く水曜日は、たまたまの21日。
というわけで、堀直子がケーキを頼んでいました。
長さ14センチくらいの、かわいらしい
バナナのパウンドケーキです。
商品裏の一括表示を見ると
名  称 洋菓子
原材料名 小麦粉(小麦(国産))、バター、バナナ、
     鶏卵、砂糖、有機レモン果汁、食塩

小さいわりにボリュームは満点。
おいしく食べました。
ただです。
製造会社のホームページを見ると、上面に
ぎっちり隙間なく6枚のスライスバナナがのっています。
でも、届いたケーキの上にのっていたのは・・・。
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きのうお話しした、雨の日のアレ。
じつはそれ以前に2つの逸話がありました。
16日(金)16時28分、PBHに西日があたっています。
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17日(土)10時21分にPBHの中をのぞき込むと、
ボトルの表面内側が水滴でおおわれていました。
詳しくは分かりませんが、外気との温度差が著しいのでしょうか。
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ペットボトルホルダが
最初に掛かっていたところと、
次に掛かっていたところは、
どちらも生い茂る葉の下で、
あるていど風も雨もしのぐことができました。
でも、いま掛かっているところは
短く伐られた吹きっさらしです。
今回の台風は、風が強く、雨が横からたたきつけ
ペットボトルホルダは、ずぶ濡れになりました。
撮影は20日(火)の13時44分から45分にかけて。
一夜あけ台風は三陸沖に抜けたでしょうか。
それでも、まだ吹き返しの北風が強く荒れていました。

写真では見ずらいですが、びしょびしょです。
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岩槻駅西口に
通じる広い通りがあります。
その通りに沿って建つマンションと
歩道の間にある植え込みです。
季節ごとに、いろんな花が咲を咲かせて
歩行者の目を楽しませてくれます。
いま、彼岸花が咲いています。
ちなみに花言葉は、悲しき思い出、あきらめ、独立、情熱で、
白の花言葉は、あまた会う日を楽しみに、想うはあなたひとり。
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彼岸花といえば、2015年10月、
知人に旧谷中村を中心とした
田中正造の足跡を案内していただきました。

旧谷中村の村役場近く、片隅に共同墓地があります。
奥の卒塔婆には梵字とお経が認められていました。
石に刻まれた文字を見ると、江戸時代のお墓もあります。
高地に男性を埋葬し、低地に女性を埋葬していたのだとか。
低地は水があふれると、すぐに沈みます。
でも、高地は水につかることがありません。
亡後の埋葬個所にまで、男女差別があったのです。
墓の周りには、一面に彼岸花が咲いていました。
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先日14日、長崎で
西九州新幹線「かもめ」の
試乗会があったそうで。
そういえば、と思い出しました。

長崎にいたとき、2000年3月に
取材で「白いかもめ」の試乗会に参加しました。
そこで、ブログに書いているかなと思い
遡りましたが、書き始めは2006年1月からで
残念ながら2000年の記録はありませんでした。
車内の黒いシートが印象的でした。

そのとき記念にいただいたオレンジカードです。
あと、駅長さんのストラップもいただきました。
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ひさしぶりとなる
岩槻駅西口のロータリーです。
西口と東口を結ぶ高架橋自由通路の
西口寄りから見下ろしました。
造園のトラックが停まっています。
はじめはロータリの樹木の剪定かと思いました。
でも、そうではなく、近辺の街路樹を剪定するのに
トラックをロータリに停めていたようです。
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すみません。
おとといに続いて、またまた
ペットボトルホルダ(PBH)のお話です。
場所は、3か所目の植え込みのまん中にある伐られた木。
今回は、ちょっと発見がありました。
なんと、伐られた木に赤い実がなっていたのです。

これでPBHの紺と、
枯れかかった葉っぱの緑
そして赤い実で、
3色が揃ったことになります。
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6月22日7月24日8月22日に続く
いりこの頭・第4弾です。
100グラム入りの「広島名産 音戸いりこ」で、
味噌汁の出汁などに使い終わったあと、
袋の下にかすとともに残った頭を拾い上げました。
第1回、2回の29、第3回の27についで
今回は17とかなり少ないです。
内容量が同じ100グラムなのに数が少ないのは
今回は大ぶりの個体が多く、絶対数が少なかったから
かなと思ってみたり。
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おととい、二度目の移動をした
ペットボトルホルダのお話をしたばかりで、
いまは、どうにかひとつ所で落ち着いています。
それでも、また、いつどこに行ってしまうか、
いつなくなるのか、ハラハラしながら見ています。
氣が気でなりません。
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よく見ると、まんなかの小さな枝に掛かっています。7605

またまた、ひさしぶりとなる
いつもの岩槻駅西口の東和銀行裏にある空き地です。

7月12日に刈られたことを書いて、
7月27日は伸びはじめたことを書きました。
その1か月後、8月29日にはかなり伸びていたことを書きました。
さらに今回、9月13日の10時23、24、25分と13時03分には
一部のびている草が、藤城の背丈を越しました。
風に揺れて迫ってくる勢いです。
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日曜日のお話を、
最後の大きなトピックとして、
あとは余生を送って、静かに
見守るだけかなと思っていました。
なもので、日曜日は、これまでのことを
総括的にまとめたつもりでしたが・・・。
そうは問屋が卸しませんでした。

なんと、またまた・・・。
またまた動いていたのです。
前回、最後に確認したのは7日の13時38分でした。
それが、1日おいた9日の10時33分に見たら・・・。
最初にみた茂み、次にみた茂みと同じ植え込みのなか、
左右の茂みのちょうどまんなかにある
伐採された短い幹に掛かっていたのです。
ただ、今回は茂みに隠れることもなく、低い位置で
いままで以上に目立ち、だれにも見つけやすい感じです。
一刻も早く、持ち主と思われる「フカイ」さんさんの
目に留まって、持ち帰っていただきたいです。
8月8日に初めて見つけてから、
32日目のことでした。
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今回、はじめて植物にも
ホトトギスがあると知りました。

植物のホトトギスです。
漢字で杜鵑草と書きます。
鳥の不如帰や時鳥ではありません。
ただ、杜鵑と書いて鳥のホトトギスの意味もあるようです。
花名の由来は、まさに花びらの斑紋が、
鳥のホトトギスの胸の斑紋と似ているから。
ということは、鳥のホトトギスがあっての
植物にのホトトギスなりましょうか。
堂々巡りしそうで、こんがらがります。
ちなみに花言葉は「永遠にあなたのもの」「秘めた意志」。

今回、写真を撮るのに苦労しました。
ちょっとでも風が吹くと茎がゆれて、
なかなか花にピントが合いませんでした。
20枚近く花を接写しましたが、ちゃんと撮れたのは2枚だけ。
じつは、1本の茎が1メートル近く伸び
その先に花が咲いているのです。
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8月8日に見つけたのを13日
に書きました。
そして、17日にまだぶら下がっていると書いて、
30日に、18、19、21、22、23、25、26、27、29日の
動向をまとめて書きました。
そして30日に見たらなくなっていたことを9月1日に書き
31日に確認したら、別の木に掛かっていたことを3日に書きました。
さらに、7日には4日の夜に撮った写真をアップしました。
その後、2日、5日、6日、7日と追いかけました。

9月2日10時25分
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9月5日9時57分
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9月5日13時44分、45分 珍しいツーショットです。
いつ誰がおいて、だれが持ち去ったかは分かりません。
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9月6日13時43分
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9月7日13時38分 フタの部分にはシールが貼ってあります。
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まんまるのつわぶきの葉を撮った同じ日。
雨上がりの葉の上に虫がいました。
飛蝗(バッタ)でしょうか。
ショウリョウバッタでしょうか。
それにしては後あしがないような気もしますが。
分かりません。

(追記)
SNSを見た知人から書き込みがありました。
転載させていただきます。
「この子はオンブバッタだと思います。
顔にこぶがあれば、間違いなくオンブバッタですね。
通常、後脚は折り畳んでいるので、見えないのかもです」

コメントありがとうございました。
いちがいにバッタといっても、いろんな種類がいるようです。
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吉祥草(キチジョウソウ)と
吾亦紅(ワレモコウ)が咲いていました。

吉祥草は、まだほとんどが蕾状態ですが、
ちらほらと、開いている花もあります。
縁起のいい花名で、観音草という別称もあり、
花言葉には祝福やよろこび、吉事、祝意などがあります。
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吾亦紅は茎が長く、風が吹くとカメラに収めにくいです。
花言葉には変化、もの思い、愛慕などがあります。
花名の由来は、花の色を議論しているとき、花自身が
「我もまた紅なり」といい「吾亦紅」となった、とか、とか。
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9月4日に宮内家のOMでうたった
「流浪の旅」と「しらみの旅」の動画をアップしました。

はじめのギター伴奏なしの「流浪の旅」も
2曲目の弾き語りの「しらみの旅」も、
出だしのところで音を探す不安定感がありました。
でも、それを除けば、前々回、前々々回のような
大きな失敗もなく、頑張ることが出来ました。
2曲が終わったあと、心のなかで
「よしっ!」とこぶしを上げました。

2曲の詳細に関しては9月6日のブログをご覧ください。
詳細とあわせて、いろいろ思うところを書いています。

「藤城かおる・ちゃんねる」



9月3日に見たら、掛かる木が
変わっていたペットボトルホルダです。
いまは、いつ見失ってもいいように、
前を通るたびごとにチェックして
写真に収めています。
この日はちょうど夜に通りました。
9月4日(日)、19時59分から20時01分にかけて
宮内家でのオープンマイクの帰りです。
暗いなかでも同じように木に掛かっていました。
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ここのところ、ずっと、オープンマイクの
ライブレポが、明治、大正時代のお話になっている感じです。
どうしても歌詞が、その頃のものとなり、時代背景や
世相など、当時のお話しすることになってしまうのです。
でも、今回は少しばかり趣向が違います。

9月4日、南浦和の宮内家のオープンマイクに参加しました。
113回目のエントリーとなります。
今回もまたオリジナルを封印、明治大正時代の演歌2曲として、
「流浪の旅」とその替え唄「しらみの旅」をうたいました。

「流浪の旅」の作詞は後藤紫雲、作曲は宮島郁芳。
なかには「作詞・作曲/後藤紫雲、宮島郁芳」とする資料もあります。
大正11年(1922)の夏頃にうたわれはじめ、
翌12年にレコードが出ると全国に広がりました。
大正6年(1917)の「さすらいの歌」をヒントに作られ、
哀愁を含んだ旋律が若者の間にうけたとか。
そんな「流浪の旅」の、いくつかある音源を聞くと、
なぜか、それぞれに歌詞が少しずつ違います。
なぜ、そこまでバラバラになってしまったのでしょうか。
歌詞がひとり歩きしてしまったのかもしれません。
ここでは、昭和8年(1933)11月に春秋社から発行された
『流行歌明治大正史』の354ページから抜きました。
インターネットで動画を探すと、
鶴田浩二と森繁久彌がカバーしています。
伴奏なしで、ゆっくりスローテンポでうたいました。

ただです。
伴奏なしでスローテンポの歌をうたおうとすると
いちどの練習で、繰り返しうたい込むことができないのです。
2回、3回と数を重ねると、回を増すごとに口の動かし方や
節まわしが慣れてしまい、初回とは違うものになってしまうのです。
なもので、練習のいちばん最初の1回目が肝心となります。
時間を費やした原因のひとつです。

「しらみの旅」「流浪の旅」の替え歌です。
添田啞蟬坊が大正11年に作りました。
「これはたしかにひどいざれ唄であり、ざれ唄として
もてはやされたものではあるが、その笑いの底から涙を
にじませる聴者もあったのは、何であろう。これは作者
啞蟬坊の集約的な自伝歌と観てとることもできる」

添田啞蟬坊の息子知道が『演歌の明治大正史』
(岩波新書229ページ/昭和38年10月)に書きました。
ざれ唄でありながら、共感する人たちが
たくさんいたという証になりましょうか。

「しらみの旅」は歌詞の言葉割りに悩みました。
元歌の「流浪の旅」の楽譜が『日本のうた第1集』
(野ばら社318ページ/1998年6月)にあります。
でも、近くの2個所で、歌詞が足りなかったり、
余ったりして、どうしても音符に当てはまらないのです。
音源を聞いても、歌詞が違ったのと
同じように節まわしもバラバラです。
何回、うたっても合いません。
そこで試しに、言葉の位置を変えてみました。
2つの音を高音低音に当てはめるのではなく、
ひとつの音をのばして高音低音に分けたのです。
さいごの最後、どうにか形にすることができました。
OMギリギリで間に合いました。

練習をはじめたころ、2曲の時間を計ると
「流浪の旅」は4節で約4分、「しらみの旅」は6節で約5分半と、
明治大正時代の歌にしては短い組み合わせとなりました。
そこで、もう1曲増やすかどうか迷いした。
でも、上で書いたような難儀が重なり、
とても3曲にする余裕はありません。
時間的に短くても、いつもと同じ2曲で通すことにしました。
ステージは1組15、6分と決められていますが、
今回は2曲で10分足らず。
だからといって、むりに増やさなくても、
与えられた時間を、目いっぱい使う必要もないのです。
そういうエントリーの仕方もありかなと思いました。

今回は、はじめのギターなしの「流浪の旅」の出だしで
音を探す不安定感があったことを除けば、前回、前々回の
ような大きな失敗もなく、頑張ることが出来ました。
2曲が終わったあと、心のなかで「よしっ!」とこぶしを上げました。
ただ、「流浪の旅」「しらみの旅」も、ゆっくり、スローテンポで
長音が多いなか、なかなか声を伸ばすことが出来ません。
声が一定でなく、へんな途切れ方をしてしまうのです。
震わせながら長くすることもままならず、どうしようかと思いました。
それがステージでは、宮内さんがリバーブの調整してくださり、
どうにか形になったかと思います。
でも、これは、PAさんに頼るのではなく、自分で
ちゃんとこなせるように練習をしなくてはです。
反省です。

直前のエントリーが、弾き語りとか、インストとか、
バンドとか、はたまた声量があっても、どんなにすごくても、
自分は自分なのだから、ひるむことなく、緊張せず、自信をもって
精一杯の表現が出来ればそれがベスト、それでよいと思いました。
また今回、いろんなジャンルの人たちがいろんな表現をするなかで、
自分の表現として自信が持てたような気がしました。
勉強になりました。
終わったあと、初めてエントリーされた女性の方から
「よかったです」と、おほめの言葉をいただけたのは
心に響きました。

写真は1曲目の伴奏なしの「流浪の旅」
まさか、伴奏なしでこんな顔をしていたとは。
JiRo君ありがとうございました。
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つわぶきの葉が雨にぬれています。
葉が丸く穴があいていますが、蛙が「鳥獣戯画」で
河童が「百鬼夜行」で傘にしそうな感じです。
黄色い花が咲くようですが、咲いていません。
毒性をのぞけば食べることもできるようです。
花言葉は「謙譲」「困難に負けない」。
漢字で「橐」「石蕗」と書きます。
最初の漢字は、ごちゃごちゃしていますが、
「石蕗」は見たことがあります。
蕗(ふき)と似ていますが違う種類のようです。
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