さいたま考現学

はじめは、HP「長崎年表」の更新記録として2005年12月に始めました。
以来、毎日綴りながら、幅を広げ「長崎考現学」「埼玉考現学」「千葉考現学」となり、
いま、さらにまた「さいたま考現学」に生まれ変わりました。

次回の宮内家OMは4月13日 (日) 、142回エントリーの予定です。

岩槻駅東口から国道16号に向かう
バス通り(県道324号線)に並行して裏道があります。
その道は旧町家の通りで、バス通りの抜け道でもあります。
なもので、道幅は狭いながら車はスピードをあげ、
少々こわくもあり、歩行者は道端の側溝の上を歩きます。

その道沿いには2つの商店街、
栄町通り商友会(駅寄り・西側)と、少し間をあけて
でぃあ仲町(仲町商店街・東側)があります。
写真、道の正面が岩槻駅方面で、奥に栄町通り商友会があり
道の後方が仲町商店街となります。
その、2つの商店街をはさむ、あい中にありました。
なぜか、途中で路側帯の幅が変わっています。

※写真は横断歩道から、車が来ないのを見計らって撮りました。
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大宮駅が開業140周年だそうで。
駅のコンコースで記念式典が催され
記念モニュメントの除幕式や、
お笑いグループによる記念イベントがあったとか。
いちど、鉄道部品をオークション販売をしているのを見かけました。
その流れでしょうか。先日は、グッズ販売をしていて、
駅名表示板のキーホルダーがありました。
JRの宇都宮線、高崎線、京浜東北線、埼京線、
東武野田線など路線別に分けて、各駅があります。
ただ、どの線にしても、大宮駅は売り切れのようで。
そうしたら地元、東武野田線の岩槻駅・・・も売り切れ。

そうだ。
私が買うのは、この駅しかありません。
3月15日にお話しました「JK46」
「さいたま新都心駅」のキーホルダーです。

駅名表示板といえば
長崎にいたとき、2008年4月1日
島原鉄道の島原外港と加津佐の間が廃止に。
直前の3月に記念切符を買って加津佐まで行きました。
そのときに買った加津佐駅のストラップがあります。
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ひさしぶりに正円に近い
カーブミラーの反射光です。

撮ったら、たまたま走る車の横腹に
反射光がかぶさりました。
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3月17日、
前もっての予報では最高気温は16度、
でも、最大風速は10メートルといっていました。
陽は射していましたが、風が強かったです。
岩槻駅前東口のロータリーに停まっていた
何十台もの自転車が横倒しになっていました。

そんな風が強かったからでしょうか。
夕方のたまたまの16時18分でも、
かすかながら拝むことができました。
頂上付近と、左側の輪郭を見ることができました。
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3月15日、
東武野田線を大宮駅で降りたら、
たまたま隣のホームにいました。
8111編成です。
前回、2月25日に見て以来となります。
ホームを改札口に向かって歩いている途中に、
見つけてしまいました。
これまで、あまり車両の側面を、
まじまじと見たことがありませんでしたが、
表面が朽ちています。
ところどころ、大きくはがれていたり、
浮いていたり、かなり傷んでいるようです。
もう、寿命でしょうか。

その帰りの夜、
大宮駅で次に折り返す電車を待っていたら、
ちょうど同じ8111編成がやってきました。
ひさしぶりに座ることができました。
1日に2回も8111編成を見ることが
出来るなんて、超ラッキーです。
ツイています。

それにしても、今後、野田線は
5両編成になろうとしていますが、
8111編成は、どうなるのでしょうか。
6両編成のほとんどが同じように傷んでいます。
この編成の、この塗装のまま1両減らして
5両編成になるのでしょうか。
それとも・・・。
先行きが心配です。

下写真の
・くもり空は大宮12時04分発の春日部行き、
・夜空は岩槻22:52分発の柏行き。
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3月14日、南浦和にある宮内家での
もみじとねこさんと直塚光弘さんのライブを見た帰り、
家の最寄り駅、東武野田線の岩槻駅を降りた
道すがらの22時28分に見つけました。
これまで、以前の岩槻に住んでいたとき、
2022年12月22日に、靴の片方が
落ちていたのは見たことがありました。
でも、今度は靴ではなく、なぜか靴下です。
そう。素足にはく、靴のなかにはく靴下です。
靴下が落ちているのは初めてでした。
クリスマスでもないのに靴下です。
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電車に乗ると、車内放送で次に停まる駅の案内が流れます。
それは、自動音声の案内だったり、車掌さんの案内だったりします。
京浜東北線も同じです。
その、さいたま新都心の英語での案内が、
一部の間で盛り上がっています。
さいたま新都心駅に近くなると、
「次は、さいたま新都心、さいたま新都心。お出口は右側です」
という日本語ののほかに、流暢な英語でも流れますが、
そのなかで「Saitama-Shintoshin JK forty-six」と言っています。
日本語に直すと「さいたま新都心 JK46」となりましょうか。
「JK」は女子高生ではありません。
「J」は「JR」の「J」で、
「K」は「KEIHIN-TOUHOKU-LINE」(京浜東北線)の
「K」と思われます。
そして、最後の数字「46」は、
京浜東北線・根岸線の起点となる大船を「1」として順に数えて、
さいたま新都心が「46」番目の駅という意味です。

乃木坂46のコンサートでは、会場が一体となって
「NOGIZAKA FORTY-SIX」(乃木坂46)とコールします。
車内放送の「46」と、コールの「46」が重なるのです。
「forty-six」を聞くと、それはもう・・・。
それはもうゾクゾクものです。

そう、さいたま新都心は、コンサートの聖地、
埼玉スーパーアリーナのある場所でもあります。
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異形棒鋼(いけいぼうこう)でしょうか。
異形棒鋼は、鉄筋コンクリート用の棒鋼で
丸鋼の表面に凸凹を付けた棒状の鋼材です。
コンクリートから抜けにくくあります。

棒鋼の切り口が危ないからでしょうか、
大掛かりに補強されていました。
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よく「疎か(おろそか)」と
「厳か(おごそか)」を間違いそうになります。
子音だけにすると、ともに「お・お・お・あ」です。
だからでしょうか。

というか、漢字で「おろそか」を「疎か」と、
また「おごそか」を「厳か」と書くこと自体、
あまり把握していませんでした。
ともに音読みなら「疎遠」とか「荘厳」とか
使うことはあります。
でも、「おろそか」とか「おごそか」という言葉
そのものを、ふだん使わないからかもしれません。
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3月10日、
昼12時17分の富士山です。
岩槻駅の高架自由通路、
東口寄り大宮方の大窓より撮りました。
3月7日の澄んだ富士山とは打って変わって、
まったくもって分かりづらいですが、
左側の輪郭がかすかに確認できます。
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じつは、いままで使っていた『広辞苑』
昭和56年(1981)10月発行の第二版補訂版第六刷です。
いまから44年前の発行で、もうぼろぼろ、
  表紙・裏表紙・背表紙の厚紙部分と
  本文全ページの塊が分離してしまいました。

内容的にも、ちょっと古いかなと思い
一念発起して最新の第七版(第五刷)を新調しました。

はじめ、
ネットで入手するか、書店まで行くか迷いました。
書店にすると、重たい荷物を30分も持って
帰らなくてはならず、ネットで購入しようかと思いました。
そうすれば荷物は家まで持ってきてくれます。楽ちんです。
しかしです。
結局のところ、本は書店で買おうと、
東口の文教堂まで行きました。
重たい荷物を持って歩くのは大変でしたが、
やっぱ 餅は餅屋、本は書店に限ります。

『広辞苑』の歴史をひも解いてみます。
・はじめ、昭和10年(1935)2月に
  前身となる『辞苑』が博文館から発行され、
・その後、昭和30年(1955)5月、新たに
  『広辞苑』第一版第一刷が発行されました。
以降、
・昭和44年(1969)05月 第二版第一刷
・昭和51年(1976)12月 第二版補訂版第一刷
・昭和58年(1983)12月 第三版第一刷
・平成03年(1991)11月 第四版第一刷
・平成10年(1998)11月 第五版第一刷
・平成20年(2008)01月 第六版第一刷
・平成30年(2018)01月 第七版第一刷

第二版補訂版が出たのが昭和51年、
ということは内容的には56年前となります。
言葉も、意味も、変わっているかもしれません。
今後、何か引っかかる言葉があったら、
第二版補訂版(第六刷)と、第七版(第五刷)
比較してみたら面白いかもです。

といっても、第七版が出て7年が過ぎ
刷を重ね、もう第五刷になっていました。
もうそろそろ、あと2、3年で第八版が
出るのかなとも思ってみたりしちゃって。

『広辞苑』
ふと疑問に思ったことや、文章を書くときに必須です。
大袈裟に言ったら、なければ生きていけないかもです。
ネットで代用することもありますが、
最終的には 紙(神) です。
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7日の金曜日。
空は晴れ渡っていましたが、
風がものすごく強かった日。
14時26分から27分にかけて。
2023年10月24日にお話した
岩槻駅東口、春日部方におりる階段、
人形の街岩槻ならではの階段です。
手袋が落ちていました。
たぶん、右手用と思われます。
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きのうお話した富士山の
左に山並みが見えました。
どのあたりの山になるか分かりませんが、
富士山よりは手前に位置するようです。

その山並みは、去年の5月まで
住んでたときでも、同じ岩槻駅の
高架自由通路から見ることはありました。
でも、いつも、いっつもシルエットで、
はっきり山並みを見ることはありませんでした。
太陽が、山に影をうつし出していようで、
立体的に見るのは初めてでした。
それだけ空気が澄んでいたということでしょうか。
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以前、去年の5月まで、
岩槻駅の西口側に住んでいたとき。
東口側にある日高屋、ドトール、図書館へは、
駅の改札口がある高架自由通路を渡っていました。
そして、そのたびごとに富士山が見えるか確認して、
見えたときは記録に撮って、ここにアップしていました。

それが、岩槻を離れたあとは
千葉の稲毛海岸でも、大宮植竹でも
富士山はベランダから見ることができました。
毎日確認しなければならず、慌ただしくもありました。
でもです。新しい岩槻に戻ってからは、
見ることのできる機会が格段に減りました。

いまはの家は岩槻駅の東口側にあり、
ほとんどが、東口側だけですむようになりました。
そのため、電車に乗るとき以外は、
高架自由通路を通らなくなり、
富士山を見る機会は減りました。

そんななか、7日は、ちょうど
月1回、大宮の漢方医へ通院する日でした。
朝から晴れ、風も強く、絶好の富士山日和です。
8時23分、思った通り、くっきり見ることができました。

そして、帰りの14時24分。
かなりかすれていますが、輪郭はつかめます。
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岩槻区コミュニティバスの停留所の影です。
撮ったのは少し前。
引っ越して間もない6日目の29日、14時10分。
どこのバス停だか忘れました。
右側の丸い影も分かりません。
カーブミラーでしょうか。

と、Googleのストリートビューで
なんとなく場所は特定できました。
いつも歩いている道で、
右側の丸は駐車禁止の道路標識でした。
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坂のまち、長崎を離れてから住んだ
さいたま市大宮区や、岩槻区、千葉市美浜区、
そして、さいたま市の北区には
急な坂はありませんでした。

でも、新しい岩槻には家の前に下り坂があります。
ちょうど駅から家に向かう、最後の直線の路地から
前方、右側、左側が下り坂なのです。
たぶん、武蔵野台地の東側、入間川から東に向かう台地の端が
舌状台地となって元荒川に向かって落ち込んでいる
その先端なのでしょう。

そうそう、
家の前の坂が、雪でどうなるか心配でしたが、
途中から雨に変わり、そんなに積もることなく、
出掛けるときには、道路はほぼ地肌が見える状態で
問題なく歩くことができました。
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日常的によく通う場所が3つあります。
新刊書店と、古書店と、公立図書館です。
去年の5月まで、7年住んだ岩槻の西口側にあった家からは、
駅西口のロータリーから道を
  1本はさんだ手前に新刊書店(文教堂書店)があり、
さいたま市立岩槻図書館は、駅の高架自由通路を渡った先、
そして、古書店(ブックオフ)は電車で大宮まで行きました。
去年の5月から、5か月住んだ稲毛海岸の住まいからは、
眼下、道をはさんで千葉市美浜図書館があり、
駅(住まいから400メートルほど)のロータリーに面する
  イオンマリンピアに新刊書店(未来堂書店)があり、
さらにその、目と鼻の先のイオンマリンピア専門店に
  古書店(ブックオフ)がありました。
去年の10月から3か月すんだ大宮植竹の住まいからは、
800メートルほどのところに北区役所があり、
  さいたま市立北図書館が同居しています。
区役所の2階から連絡橋を渡ったステラタウンに
  新刊書店(くまざわ書店)があり、
さらに、2階の連絡橋を渡った北側別館に
  古書店(ブックオフ)がありました。
そして新しい家は岩槻駅の東口側にあり、
  最初の岩槻とは反対側になります。
駅東口の手前にさいたま市立岩槻図書館があり、
新刊書店(文教堂)は駅の高架自由通路を渡った先、
古書店(ブックオフ)は電車で大宮まで行くことになります。

前の岩槻では、駅方面への道なりにある新刊書店に
毎日のように通い、図書館は遠くに感じていました。
でも、いまの岩槻では逆に、図書館が近くなり、
新刊書店が遠くなりました。
そんな新刊書店には、文庫や新書の新刊状況を見たくなったとき、
また、新刊本や雑誌の最新号が必要になったとき、
などに行くくらいになりましょうか。
古書店は同じで、前も今も、大宮まで出ることになります。
稲毛海岸ですんだ集合中宅から、道をはさんで
すぐのところにある図書館というのは、最も理想的な立地でした。
それにしても、大宮植竹に住んだときは恵まれていました。
前の岩槻、稲毛海岸のときよりも少し距離はありますが、
図書館と、新刊書店と、古書店が入る
北区役所とステラタウンと北側別館の
3つの建物が、連絡橋でつながっていたのです。
それぞれが、ものすごく近く楽でした。
ただ、よく使うギフトカードの「QUOカード」が、
残念ながら、イオンマリンピアの未来堂書店も、
ステラタウンのくまざわ書店も使えません。
岩槻の文教書店が使えます。
それだけは、岩槻に戻れてよかった感じで・・・。
あっ、クオカードは、大宮のジュンク堂、三省堂でも使えます。
さらに、ジュンク堂なら、岩槻の文教堂と同じ
「honto」のポイントカードが使えてラッキーです。
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岩槻区の街区表示板、第4弾です。
街を歩いていると、狭いなかでも
結構ありそうな感じがしてなりません。
そこで、カテゴリは作らないまでも、これからは
共通タイトルでナンバリングしていこうかなと思います。

前回、緑の板に文字を樹脂塗料の焼き付けで記していた
表示板に「区」のシールを貼っていたお話をしました。
そのときはあまり気にしていませんでしたが、
今回、それが如実に表れているシールを発見しました。
板は緑色なのに、シールの文字の背景が青色なのです。
たぶん、青板用のシールしか作っておらず、
緑板はそれを流用しているのでしょう。
なもので、ちぐはぐな感じがしてなりません。
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新しい岩槻の家から東武野田線岩槻駅の東口まで、
また、逆に駅から家まで、歩くと3つの行き方があります。
駅前のロータリーから県道324号線の
バス通りを進み、国道16号を東進する。
ロータリーから区役所の下をくぐり
路地を抜け、仲町商店街を通って県道80号線を東進する。
➁の途中を左折、さいたま市立岩槻図書館の前を通り、
裏小路公園の先を右折直進し県道80号線に出る。

は,糧瓦影擦箸靴銅屬留来がままあり、
は車の往来はほとんどありません。
でも、は➁よりも260メートルほど長いです。

引越して1か月とちょっと、いまのところ
図書館に寄るときに➂を使い、あとは➁を歩いています。
一度だけ、県道80号線からスーパーのマルヤを抜け、
県道324号線を駅まで行ったことがありました。
まだ国道16号を歩いたことはありません。

家から駅東口のロータリーまで
➁を歩くと30分かかります。
まだ、25分の壁は切れていません。
バスもそれなりに走っているようで、駅東口から家に
一番近いバス停まで、時刻表での所要時間は6分とあります。
ただ、家に近いバス停は方向が違い、家を通り越してしまいます。
なもので家から駅に向かうバス停まで
駅と反対の逆方向に進まなければならず、
堀直子と「これならば駅まで歩いた方がいいだろう」と話しています。
でも、荷物が多かったり、本当に疲れたときだけ、
ごくたまにタクシーを使うことになりましょう。

家から駅まで30分。
引っ越してきてから毎日歩いています。
じつは大宮植竹の住まいは建物の4階にあり、
エレベータがなく、毎日、階段を歩きました。
新しい岩槻の家は階段はありませんが、距離があります。
歩くだけ運動になりましょうか。
ちょうど1か月を過ぎた頃、太ももが痛くなりました。
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これまで、カーブミラーに反射した太陽の光が
地面に落ちて、丸く形作って
いるのをいくつか見てきました。
でも、今回はいびつです。
たぶん、缶ジュースの自動販売機の透明板に
太陽の光が反射したのでしょう。
透明板はいびつに歪んでいるものと思われます。
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寒い日が続いたなか、2月24日の10時31分。
路側帯の内側、側溝蓋の上に落ちていました。
たぶん、右手用かと思われます。
手袋を落とした人の右手は大丈夫でしょうか。
かじかんでしまわないでしょうか。
心配です。
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2月25日、岩槻駅で柏行きの電車を待っていたとき、
ちょうど反対側に8111編成がやって来ました。
15時08分発の普通・大宮行きです。
去年の11月28日、大宮公園と東岩槻を往復したとき
岩槻に停まっていた8111編成を見て以来、
89日(2か月と28日・12週と5日)ぶり
新しい岩槻に移って、初めての8111編成となります。
ただ、15時09分発の普通・柏行きが入ってきたため
8111編成が停まっている間に、柏行きに乗り込み、
2枚目の後部は席について撮りました。

といっても、
じつは1月27日と2月10日に見ていました。
電車に乗っていたときに8111編成とすれ違ったのです。
でも、スピードも出ていたため、あっという間で
残念ながら、カメラを取り出す暇もありませんでした。
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2月25日、柏のOverjoyedのOMに参加しました。
エントリー8組、じゃんけんの結果2番目に。
今回は2曲「あゝ金の世や」「ぶるるんるん」と決めていました。
ただ、「あゝ金の世」の歌詞がコピー用紙3枚にわたるため
いつものクリアファイルではなく、A4判4面を
広げることのできる譜面ファイルを用意しました。

明治時代の演歌「あゝ金の世」は、前回、2月6日の宮内家OMで、
自主制作のCD音源をカラオケとしましたが、散々な結果に終わり、
そのリベンジとしての弾き語りでした。
それも今回は動画を撮る意気込みで。
「あゝ金の世」は、2021年8月「宮内家OMエントリー
100回達成記念ライブ『パンツやります』」
で撮って以来、
2回目のアップとなります。
さらに、ひさしぶりに作った明治・大正時代の
演歌・流行歌の唄本は、5冊目となりました。

2曲目の「ぶるるんるん」はオリジナルです。
  となりの可愛いさっちゃんと
  いっしょになわ飛びぶるるんるん
  〇〇の〇〇でぶるるんるん

10分近くある「あゝ金の世」と、
2分に満たない「ぶるるんるん」で、
緩急をつけた感じになりました。

うたい終わったあと、まこつさんから
「6分くらいにしか感じられなかった」
お言葉をいただきました。
家で練習したときは10分弱だったのに
少し走ってしまったかなと思いました。
でも、動画をトリミングしたら10分21秒ありました。
短く感じられたということは、それだけ
聞いていただいているということになりましょうか。
ありがたいことです。
ということで、動画はひさしぶりの10分越えとなりました。

  あっ、ひとつだけ。
  第2章第1節の2行目で声が絡んでしまい
  お聞き苦しくなっています。
  すみません。

「藤城かおる・ちゃんねる」


かなりぶりに小説を読みました。
堀直子の児童書は読んでいますが、
それ以外では、いつぶりになりましょうか。
もう、記憶が定かでありません。
と思って、ブログのカテゴリ「本・雑誌」のなかから
キーワード「小説」を探しました。
すると、ありました。
2023年11月1日に、反戦川柳人の鶴彬のことを書いています。
『小説 鶴彬 暁を抱いて』を読んでいました。
1年3か月ぶり、そんなに遠くなくてよかったです。

今回、読んだのは時代小説です。
時代小説は好きで、なかでも、大佛次郎や
岡本綺堂、長谷川伸、角田喜久雄が好きです。
そうそう、2023年9月には、江戸時代の斬首執行人、
山田浅右衛門が主人公の小説を7冊続けて読みました。

といっても今回は活劇の仇討ちものでも、
股旅ものでも、捕物でもありません。
刀は抜きません。
というか、腰に刀を差していません。
主人公は浮世絵の確立者で、
浮世絵の祖ともいわれる絵師の菱川師宣です。
昭和23年(1948)に記念切手として有名になった、
あの「見返り美人」の作者です。
生きた時代は江戸時代前期。
いまNHKの大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」で
有名になった蔦屋重三郎よりも前で、まだ、歌麿も北斎も、
田沼意次も平賀源内もいません。
舞台は、はじめの方に、
日本橋葺屋町の吉原(元吉原)もでてきますが、
ほぼ、明暦の大火のあと、日本堤にできた移転後の新吉原です。
そのあたりがドラマの「べらぼう」に重なってしまいます。

切手の「見返り美人」は知っていました。
それが浮世絵ということも何となく知っていました。
でも、そのときはまだ師宣の作品とは結びつかず、
ああ、「江戸時代の美人を絵で描くと、こんな感じなんだ」
くらいにしか思いませんでした。
というか、師宣が分かりませんでした。
そんななかで、師宣の存在を意識したのは
ついこの間、「恋のむつごと四十八手」でした。
この作品に関しては、また、いつか
お話をする機会がありましょう。
そのときまで取っておきます。

師宣に関して、まだまだ
なぞの部分も多いようですが、面白かったです。
活劇ではなくても、時代小説が持つ独特の間が好きです。
文章の運びが好きでした。
読ませました。

★『吾妻おもかげ』梶よう子 角川文庫 令和6年 (2024) 11月
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2月16日に、東武野田線の
新しい乗車位置表示のお話をしました。
その5両編成の新型車両がやって来ました。

2月23日の14時05分。
大宮行きの電車を待っていたら、
たまたま春日部方面からやって来ました。
東武野田線に配属された5両編成の新型車両です。
試運転をしていました。

新型車両80000系は25編成を導入予定だそうで。
ただ、そのうち18編成は5両編成のうち4両のみを新造し、
残り1両は、既存の60000系6両編成を5両編成するときに
派生する1両を組み込み、5両編成にするというのです。
なるほどです。遣り繰りがすごいです。

写真の編成は、たぶん5両すべて新型車両でしょう。
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岩槻区の街区表示板、第3弾です。
これまで、1月22日と、2月22日にアップしましたが、
(たまたま同じ22日となりました)
1回目と同じく緑の板に
町名が樹脂塗料の焼き付けで記されています。
ただ、この板には「岩槻市」の「」に、
」のシールが貼られていました。
じつは、この表示板がある通りには
さいたま市立岩槻図書館が同じ並びにあり
公共施設のある通りなのだから、
ちゃんとしておかないと、ということでしょうか。
勘繰ってしまいます。
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引越しに使った箱を引き取ってもらいました。
ぜんぶで95箱
 ・Sサイズ63箱
 ・Mサイズ27箱
 ・旧Sサイズ2箱(現行Sサイズより小振り)
 ・壊れ3箱
Sサイズ63箱のうち24箱
旧岩槻の家で箱詰めして、稲毛海岸でも
大宮植竹でも開けなかったものです。
やっと陽の目を見ることができました。

あと2、3箱はありますが、
これは、そのままに取っておくものというか、
本ではない、ごちゃごちゃが入っていて
のちのち少しずつ片づけます。
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岩槻区の街区表示板です。
1月22日にアップした表示板は
緑の板に町名が樹脂塗料の焼き付けで記されていました。
でも、今回の表示板は、前回と同じ「岩槻市」のままですが
青い板に変わり、町名文字はエンボス加工がなされ浮き出ています。
前回の緑より新しいものと思われますが、
それでも「市」のままです。
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2005年12月25日から、毎日欠かさず書いてきたブログが
7000回を迎えました。多いのか少ないのか分かりません。
ただ、続けていたら7000回になっていたという感じです。

という訳で、今回のお話です。

これまで、新しい岩槻に
引っ越してからの本の収納のこと
2月8日に、カウンターキッチンの下に収まったこと、
2月14日に、稲毛海岸でも、大宮植竹で開けなかった
24箱のうち8箱を開けたことを書きました。
その第3弾です。

去年の5月に旧岩槻の家で箱詰めをして
稲毛海岸でも、大宮植竹でも開けなかった
開かずの箱を、9か月ぶりに全て開けました。
主な振り分けで、左から、新書、SFの文庫、
  文庫以外のコミック、児童書、路上観察関連、
  長崎関連、SF単行本、鉄道、他単行本、SF雑誌

  と、別カットで堀直子の在庫
といったところです。
まるで、古書店の様相ですが、古書店ではありません。
なかには古書店で入手したものも1、2割はありましょうか。

近いところで、新しい本棚に収まることになります。
というのも、もともと旧岩槻の家の8帖間にあったものですが、
旧岩槻から稲毛海岸に移るときに、その広さから入らないと判断し、
半分以上をブックオフに引き取ってもらい、
本棚も、スチール棚をはじめとして半分近くを処分しました。

というわけで、なるべく早いところで収めたいと思います。
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2月13日に練馬区役所まで行った日。
ものすごく強い北風が吹き荒れました。
さいたま市では、最大風速が北北西の風14.7メートルで、
最大瞬間風速が北北西の風23.6メートルだったとか。
ならば富士山は、くっきりはっきり見えるかなと思いましたが、
かすみ空と一体化して、目を凝らさないと確認できない状態でした。

だからでしょうか。
岩槻で大宮行きの野田線に乗ろうとしたら、
大和田と七里の間の架線に支障物がかかった影響で
電車が停まっていたのです。
駅の改札外に利用客があふれていました。
それでも40分ほど待ってたら動き始め、
1時間10分遅れの電車に乗りました。

岩槻での通りすがりでは、鈍い音とともにガラスが割れ、
練馬の駅近くでは、おばあちゃんが転倒していました。
おばあちゃんは、その場で立ち上がり、
何事もなかったようで、よかったです。

(追記)この日、夕方には野田線の鎌ヶ谷駅でも
飛来物があり、高柳と船橋の間で運転を見合わせたとか。
東武野田線は午前中に大宮口で、夕方は船橋口で
運行が滞り、利用者は大変だったようです。
10691

2月5日に、引っ越し回数のことを書きました。
そこで今回は、それぞれの家の最寄りの
駅・バス停留所、電車停留場をあげてみます。

  隅付括弧(【 】)は2月5日の記述に対応
北池袋 (東武東上線)1961年9月〜
池袋  (〃)【1】
東武練馬(〃)【2】
下赤塚 (〃)【3】
松本 1989年9月〜【4】
長崎
・旭町桟橋前(長崎バス)【5】
・白木団地前(〃)【6】
・田上   (〃)【7】
・公会堂前(現市役所/長崎電気軌道)【8】
・公会堂前(〃)【9】
大宮【10】
岩槻【11】
稲毛海岸(JR京葉線)【12】
富士フィルム大宮営業所(東武バス)【13】
  ほかに大宮公園(東武野田線)、土呂(JR宇都宮線)
岩槻【14】

何の因果か、生まれてから松本に移るまでの
28年間は、ずっと東武東上線の沿線に住みました。
東上線は池袋を起点にしていますが、じつはもう一路線、
山手線の外に向けて延びる西武池袋線があります。

もしかしたら、池袋から
西武池袋線に乗ったのは生まれて初めてかもしれません。
同じ池袋が起点の鉄道なのにです。
たとえば、池袋に近い東上線の北池袋や下板橋、
また、西武池袋線の椎名町や東長崎あたりなら、
互いに行き来することはあるかもしれません。
でも、池袋から遠くなると、そこでの生活環境が整い、
池袋に出ることはあっても、池袋経由での行き来はないでしょう。
用事があるときは、それぞれの線の主要駅を結ぶバスに乗ったり、
武蔵野線に乗って行くことになりましょう。

そんなこんなで2月13日、
引っ越しの関係で練馬区役所まで行きました。
最寄り駅は西武池袋線の練馬です。
そう。初めて、西武池袋駅の改札を抜けます。
初めて、池袋から西武池袋線に乗りました。
往路は準急で池袋の次が練馬、
復路は普通に乗り練馬から池袋までの間は、
桜台、江古田、東長崎、椎名町に停まりました。
10678

少し前の2月11日、13時58分です。
東武野田線、岩槻駅東口のロータリーから
岩槻区役所が入るビルを抜けた先の路地に落ちていました。
黒の手袋です。
2枚目の写真、突き当りが区役所の入るビルとなります。
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2022年12月4日に『江戸語の辞典』のお話をしました。
あれから少しだけその筋の史料が増えました。

『江戸語の辞典』(1078頁)
前田勇 講談社学術文庫 昭和54年(1979)10月
江戸時代を調べるには必携でしょう。
ただ、もともと大判で刊行された本を、そのまま
文庫に縮小しているため、文字が物凄く小さいです。

『江戸時代265年ニュース事典』(554+19頁)
山本博文 柏書房 平成24年(2012)9月
江戸時代の慶長8年(1603)から慶応4年(1868)までの
毎年、1年ごとに見開き2ページで展開されていて、
いつ、何があったかが分かります。

『三田村鳶魚江戸生活事典』(797頁)
稲垣史生 平凡社ライブラリー 令和7年(2025)1月
稲垣史生がまとめが尋常ではないです。
〈凡例〉に編者の稲垣が書いていました。

◇(前略)故三田村鳶魚翁の江戸に関する随筆・評論・輪講のすべてを、項目別に配分し体系づけ、事典形式に編纂したものである。しかし、翁の多年にわたる、多様式な著述であるため、項目別にすると相当むらがあって、過剰な部面もあれば全然記述のない部面もある。そのため空白の項目は、編者の補足記事と他書の引用で補った。従って本書は「三田村鳶魚の江戸叢書を中心とする江戸生活事典」ということになる。
本書は一言でいえば “生きている江戸への理解” と “江戸を書くための基礎資料” であることを目標とした。

目次を見ると「旅と飛脚」「財政経済の実際」「火消の制度」
「僧と庶民」「やくざと非人」「女人総記」「風俗備要」
「花街と岡場所」「各種の興行」「地誌・景観」
の10章に
分かれています。
編者稲垣の労力はすごいと思いました。
新刊の帯にありました。
「約3000項目に編纂された 江戸時代考証の基本書!」
江戸を知るには、まさにうってつけ、基本となりましょう。

まずは、この3冊で、ある程度、
江戸時代が網羅できるのではないかなという感じです。
この3冊をもとに、さらに専門的な史料を
紐解いていく感じになりましょうか。

そういえば、三田村鳶魚といえば、中公文庫に朝倉治彦編の
全36巻、別巻2巻からなる「鳶魚江戸文庫」があります。
備忘録として各巻の編名を並べてみます。
 1, 捕物の話 2, 江戸の女 3, 横から見た赤穂義士 
 4, 相撲の話 5, 娯楽の江戸 江戸の食生活 6, 江戸の白浪 
 7, 御家騒動 8, 敵討の話 幕府のスパイ政治 9, 江戸ッ子 
 10, 公方様の話 11, 武家の生活 12, 加賀騒動 
 13, 江戸の花街 14, 目明しと囚人・浪人と俠客の話 
 15, 江戸の春秋 16, 大名生活の内秘 17, 御殿女中 
 18, 札差 19, 芝居の裏おもて 20, 江戸人物談義 
 21, 江戸の旧跡・江戸の災害 22, 泥坊の話・お医者様の話 
 23, 江戸の生活と風俗 24, 江戸の豪俠 人さまざま 
 25, お大名の話・武家の婚姻 26, 花柳風俗 27, 元禄快挙別録 
 28, 足の向く儘 29, 芝居風俗 30, 江戸生活のうらおもて 
 31, 近松の心中物・女の流行 32, はやり唄・吾妻錦絵 
 33, 人形芝居と能 34, 芝・上野と銀座 35, 芝居ばなし 
 36, 江戸雑録 別巻1, 大衆文芸評判記 別巻2, 時代小説評判記 

凄まじいです。
10675

2月13日に、
東武野田線(アーバンパークライン)に乗ったときは、
いつものひとつしかありませんでした。
それが、翌14日、電車に乗ろうとすると、
乗車位置を示す表示が2種類ついていたのです。
これまでの6両編成乗車位置に加えて、
新たに5両編成用の乗車位置の表示されていました。

どういうことなのでしょうか。
というか、知っていました
東武野田線の1編成6両が5両編成になる話は、
大宮駅ホームの高架化構想とあわせて
去年の春頃には耳に入っていました。

利用客が増えたから、編成を増やす
というのなら話は分かりますが、車両を減らすのは・・・。
コロナ禍による利用減を踏まえた措置とはいいますが・・・。
それでも、日中の空きようを考えれば
致し方ないのかなとも思ったりして。
でも、でもです。
そうしたら、日中は良いかもしれませんが、
朝夕のラッシュ時は、より混雑することになりませんでしょうか。
いまでも混んでいるのに、1両減るとなると・・・。
そういえば、初めてこの話を聞いたとき、
編成を減らすぶん、運転間隔を狭めるという話も
あったような気がしましたが・・・。

東武野田線の5両編成化は
3月8日から順次行われるとか。
また、5両編成の新型車両も導入されるとか。
当面の間は6両と5両が混在するようで、
はたして、どうなることでしょうか。
そうそう、岩槻に戻ってから、まだ、いちども
お目にかかっていない 8111編成は、どうなるのでしょうか。
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もしかして、いまいちばん
座右の書になりそうな事典かもしれません。
これまで、その筋の辞典として去年の7月28日にまとめて、
あとから『性学事典』を追記しました。
むかしの、その筋の言葉を集めたものとして、
『江戸秘語事典』『江戸の性語辞典』がありましたが、
それよりも古い時代の性愛古語が満載です。
副題に「奈良・平安のセックス用語集」とあるように、
江戸時代以前のむかしに特化していますが、
さらに中国・インドに広がります。
巻末のガイドをには、
中国書に、紀元前1500年頃成立の『易経』他80書が並び、
日本書には『古事記』『日本書紀』『万葉集』他142書
さらに仏教書として91書が並ぶなどなど、
すごい量の書目が網羅されています。

ただ、主要参考文献にしても、
中国書・日本書・仏教書のガイドにしても、
タイトルの二重鉤括弧のなかには
難しい漢字ばかりが並び、よく分かりません。
それが、なんか凄そうですが。
本文に英語を多用しているわけではないのに
なぜか、左開きで、文字は横組みに組まれています。
表紙のタイトルには光沢の金を使っていました。
豪華に見立てています。
10676

去年の5月までいた岩槻での本は、
机の近くに置いたカラーボックスのほかに
8帖一間を本の部屋として収めていました。
スチールの本棚9つに、別に棚が3つありました。
引っ越すにあたり、ブックオフに
かなり引き取ってもらいましたが、
8帖一間の本(ダンボール24箱)は、その後の
稲毛海岸でも、大宮植竹でも開けませんでした。
そのうちの被差別部落もの、やくざもの、
文庫版コミック、鶴書房SFベストセラーズ、とりみき本、
日本の歴史、真崎守選集(左・スチール棚)と、
大判本(中・カラーボックス2つ)
そして、SF小説を除いた文庫本(右・スチール棚)
を開けました。
以前の岩槻では、SF小説を除いた文庫本は
スチールの本棚の1つと半分に、ギチギチに詰めていましたが、
新しい岩槻では、1つにまとめなければいけません。
ブックオフに持って行ってもらったといっても
まだ、かなりの量がありす。
それでも、つめていくと1段ごとに奥と手前の2列を置いて、
どうにか、うまい具合に収まってくれました。
SF小説を除いた文庫(右のスチール棚)というのは、
上から 赤瀬川原平・荒俣宏 団鬼六・官能小説 性関係
時代小説 戦記物 初期社会主義関連 歌舞伎関係
ノンフィクション ドキュメンタリノベルズ 雑学 詩集
日本文学・外国文学 児童書
となります。
数えたら 751 冊ありました。
稲毛海岸と大宮植竹で開けなかった24箱のうち、いま、
まだ開いていない16箱が、2階の1部屋に積まれています。
もしかしたら、この中にも大判や、新書以外のコミック、
またSF以外の文庫が含まれているかもしれません。
そのときはそのときで、近くその16箱を開けます。
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少し時間があいてしまいましたが、
新しい岩槻から見えた富士山の2回目です。
前回、2月4日に1回目をアップして8日が過ぎました。
今回は2月5日から10日までの4日、
延べ6回見ることのできた富士山です。
風が強い日もあり、見る機会は多いです。

2月5日の10時57分から58分にかけて。
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2月6日の14時14分から15分にかけて。
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2月8日の10時50分。
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2月8日の17時50分から51分にかけて。
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2月10日の10時28分。
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2月10日の17時18分から19分にかけて。
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2月8日の宮内家OMで、明治39年に
添田啞蟬坊が作った演歌「あゝ金の世」をカバーしました。
それも弾き語りでなく、2010年3月に長崎で作った
自主制作CD『唄ってはいけません』に収録した、
そのときの音源をカラオケにしてうたいました。

じつは、その音源に関して、
今になって分かったことがありました。
CDを作ったときは、歌うことに必死でしたが、
今回、改めて音源を聞き直して初めて気づいたのです。

歌は4行詩が26節(11章)あり、
1節ずつ同じメロディ(コード進行)
26回にわたり繰り返されることになります。
しかしです。
なんと音源は、1行分のリズムだけが、
ずっと、ずう〜っと繰り返される構成だったのです。
少し詳しくいうと、同じリズムの1行が
4回(4行詩分・4小節)で1節となり、それが26節分で104回。
また、11章の間に短い間奏1行分(1小節)
10個所に入り、計114回。
さらに、前後のプラスアルファで、
ひとつの節回し(リズム)だけが、
120回強も繰り返される音源だったのです。
なんと、なんと、1節(4行詩・4小節)
26回続くメロディ(コード進行)ではなく、
1行分(1小節)の同じリズムが120回強も
繰り返されていたのです。
いま頃になって気づきました。

しかし、しかしです。
2月8日の宮内家OMでは、それが仇となってしまいました。
ひさしぶりとなる「あゝ金の世」は、メロディがないために
歌が先走ってしまい、リズムにのり切れず、
まるきりリズムに合いませんでした。
字余りだったり、字足らずだったりで、
10回の間奏が短かったり、長かったりしてしまいました。
2010年3月にCDを作ったときも、
2017年2月に宮内家OMでやったときも、
ぜんぜん問題なくうたえたのに(はずなのに)
ズレズレになってしったのです。
猛省です。

当日はエントリー13組のうち、1番くじを引きました。
たとえば途中の順番ならば、前の演者のときに、
楽屋に入ることができます。
でも、それも叶わず、始まるまで客席で待つことになり、
歌詞を見直すことも、リズムを思い返すこともできませんでした。
言い訳です。
なもので、もっと、もっと練習して、
またいつか、リベンジします。
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2月1日にお話した
岩槻図書館先から始まる
スタンプロードの続きです。
今回、新しくスタンプを押した両端、
南西側(ちかくに歯科)と北東側(ちかくに漢方薬局)のうち
北東側は既存のスタンプとつながり、
図書館に近い南西側は途切れています。

じつは、今回、新しく押されたスタンプのなかで
1か所だけ途切れているところがあります。
途中、道に沿った敷地で工事をしている関係でしょうか。
現場前のいち部分が、まだスタンプされていなかったのです。
側溝も新しいスリット蓋に変わっていません。
もしかして、工事用の重機が出入りするためでしょうか。

そうしたらです。
スタンプは、一方の方から進めて押していけば問題ありません。
でも、例えば二方向から別々に、中に向かって進めていくと、
まん中で、うまい具合に合ってくれるかが心配です。
合わせた部分の幅が、ちょっと短い、
なんてことがあったりして・・・。
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2月8日は、
宮内家のOM(141回目のエントリー)でした。
今回は2曲。AKB48の「365日の紙飛行機」と、
添田啞蟬坊の「あゝ金の世」としました。

「365日の紙飛行機」は、AKB48のメジャー42作目のシングル
『唇にBe My Baby』(2015年12月発売)に収録されました。
言わずと知れたNHK総合の連続テレビ小説「あさが来た」の
主題歌で、当時、NMB48のキャプテンだった山本彩(さやか)
センターを務めました。
2018年11月にNMB48を卒業し、いまは
シンガーソングライターとして、ソロ活動をしている「さや姉」は、
いまでも「365日の紙飛行機」をうたっているようですが、
個人的には2015年11月7日にNHK総合で放映された
『AKB48 SHOW!(♯92)』での、ひとり弾き語りをした
バージョンが好きです。
素直にうたっている感じがします。

「あゝ金の世」は、
明治39年(1906)に添田啞蟬坊が作った演歌です。
2010年3月に長崎で作った4枚目の自主制作CD
『唄ってはいけません』(3+1曲入)に収録しました。
今回は、そのときの音源をカラオケにしてうたいました。
宮内家のOMで、カラオケで「あゝ金の世」をうたうのは、
2017年2月以来8年振りの2回目となります。
歌は4行詩をひとつの括りとして、26節(11章)にわたりますが、
歌唱は、フルコーラスで10分近くあり長いです。
ただ、の音源には、大きな問題が
立ち開(はだ)かっていました・・・。

〈続く〉
10654

直前に住んだ大宮植竹では
少しばかり見つけることができていました。
新しい岩槻では「初まる」となります。
カーブミラーにあたった太陽の光が
反射して道の落ちているのです。

ただ、楕円ではなく左端が凹んでいます。
確認はしていませんが、もしかして
鏡が歪んでいるのかもしれません。
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これまで旧岩槻の家でも、
稲毛海岸でも、大宮植竹でも、
机ちかくのカラーボックスに入っていた
本が収まるダンボール箱を開きました。
ちょうど、カウンターキッチンの居間側の下に
カラーボックス4つを置くことができ
収まってくれました。
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冬ならではの光景です。
ひさしぶり、北区のステラタウン近くにある結婚式場の
植込みで見つけた子供用のコート以来となりましょうか。

新しい岩槻に移ってからの第1号は
駐車場の柵に添えてありました。
添えてあるというか、誰かが落とした手袋を
誰かが拾って柵に掛けたのでしょう。
冬の風物詩です。
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富士山といっても
稲毛海岸や大宮植竹のベランダから見た富士山でも
岩槻駅の高架自由通路から見た富士山でもありません。
足もとにある富士山です。

2月1日の夕方、
17時03分から04分にかけて、
大宮駅からDiner CHOUZIに行く途中、
初めて気づきました。
この道は、Diner CHOUZI以外にも
漢方専門医に行く途中にも通ります。
これまで、何十回も通っている道です。
それなのにです。
初めて気づきました。

歩道の縁石。
勝手に「縁石富士」と呼んでいます。
たまに、噴火口のない三角・三角の富士山も見かけます。
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不動産やさんのテレビのコマーシャルで
女優の川口春奈が言っていました。
「人は人生で平均4回しか引っ越しをしないんだって」
それは人によって違うかもしれないけど、
そんなもんなのかな、なんか少ないなと思いながら、
これまでの引っ越しを振り返ってみました。

1961年9月(生まれ)〜
豊島区上池袋三丁目
・豊島区西池袋四丁目(独居)【1】
1983年1月(結婚)〜
・練馬区田柄二丁目【2】
・板橋区徳丸三丁目【3】
1989年9月〜
・長野県松本市並柳【4】
1991年秋〜
・長崎市大鳥町【5】
・長崎市八尾町【6】
・長崎市田上三丁目【7】
・長崎市古町【8】
・長崎市魚の町【9】
2010年4月〜
・さいたま市大宮区大成町二丁目【10】
2017年2月〜
・さいたま市岩槻区西町三丁目【11】
2024年5月〜
・千葉市美浜区高洲三丁目【12】
2024年10月〜
・さいたま市北区植竹町一丁目【13】
2025年1月〜
・さいたま市岩槻区城町二丁目【14】

東京で生まれて、結婚して、
長野県の松本に移り住んで、長崎(市内で4回)、
さいたま、さらに千葉、さいたまと引っ越して、計14回。
それにしても、生涯の引っ越し回数が平均4回としたら、
去年の5月から8か月の間に3回というのは
どうなるのでしょうか。

こんどこその安住の地になればよいのですが。
終の棲家になりましょうか。
まあ、それも人生。
まっ、いっか。
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1月23日に岩槻に戻って初めて、
31日の12時09分から10分にかけての富士山です。
家の最寄り駅、岩槻駅の改札口がある高架自由通路、
東口寄り大宮方の大窓から撮りました。
以前、駅西口に住んでいたときに撮っていた場所と同じです。
ここから望む富士山は去年の5月11日以来257日ぶりとなります。

これまで、このブログにも書いてきましたが
5月に岩槻から移った千葉の稲毛海岸も、
10月に引っ越した次の大宮植竹も、
ベランダから富士山を望むことが出来ました。
 というか、毎日見ることができてしまうのです。
でも、新しい岩槻も、以前の岩槻も
ベランダからは富士山を見ることができませんでした。
 ある意味ホッとしています。

以前の岩槻の家は、
ヤオコーや文教堂書店と同じ西口側にあり、
よく出かける図書館や日高屋、ドトールが東口側にあるため、
その都度、駅の高架自由通路を渡って東口側におりていました。
なもので、稲毛海岸や大宮植竹のように毎日ではありませんが、
高架自由通路を通るたびに確認できました。

でも、新しい岩槻の家は、図書館をはじめ
日高屋、ドトール、マルエツが同じ東口側にあるため、
日常的に高架自由通路を使うことがなくなりました。
せいぜい野田線に乗るときと、文教堂書店に行くとき
くらいでしょうか。
西口には東和銀行裏の空き地もありますが、
それを目的に行くということはなく、
いまのところ文教堂のついでとなりましょう。

機会は少なくなりますが、
それでも富士山が見えそうかなと思えるときは
西口まで行かなくても、高架自由通路へのぼって
確認することになるでしょう。
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長崎から、さいたまに移り住んで
 さいたま市大宮区 さいたま市岩槻区 千葉市美浜区、
 さいたま市北区植竹 さいたま市岩槻区と、
なんとなく千葉以外は、東武野田線に縁のある場所に住んでいます。
そういえば、長崎に移る前は、
長野県の松本を除いて、東武東上線沿線ばかりでした。
なんか東武鉄道に縁がある感じです。
それも、メインとなる伊勢崎線ではなく、
ちょっとマイナーな東上線野田線です。

閑話休題。
東武野田線「アーバンパークライン」
愛称がついて10年になるのだそうで。
名がついたときは、なんとなく
「ああ、そうなんだ」くらいしか思いませんでした。
2012年から東武伊勢崎線が
「スカイツリーライン」になったのも同じですが、
親しんでもらおうとか、いわれはあるのでしょうが、
個人的には、なかなかしっくりきません。

なもので、あえて愛称「アーバンパークライン」は使いません。
たまに「名前、変わったよね」と話題になるときに発するだけで、
自分からは、はっきり「東武野田線」「東武伊勢崎線」
言い切っています。

それにしても、なににしても「アーバンパークライン」
愛称がついて10年が過ぎたということは、すごいと思います。
ただ、沿線市民に、どのくらい馴染まれているのか分かりませんが、
鉄道会社が、ひとりで言っているだけのような感じもします。
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ひさしぶりの「空あり」です。
岩槻駅から新しい家に行く途中、道すがらにありました。
それも2件。近くして設えてありました。
青空が見え、そのまま、その通りの看板
「空(そら)有 〼」「空(そら)あり」を撮りました。
路上観察物件です。

ではなく、ほんとうは、駐車場に
「空(あき)」があることを示している看板です。

これまでブログでは
2008年1月21日と、2010年7月11日
また、2022年4月19日(2008年時の再出)と
3回アップ(2回分)しましたが、それ以来となります。
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岩槻図書館の前の道で美装化を行っています。
少し前から知っていました。
あれっ、少し前からって・・・、
図書館へ行ったのは、引っ越し翌日の24日と
写真を撮った25日です。
それ以前は、大宮植竹に住んでいたわけで、
でも、美装化工事は、その頃から知っていました。
いつ知ったのかは忘れましたが・・・。

その岩槻図書館前の道の美装化ですが、
どこからともなく、石畳の道になるとは聞いていました。
ただ、看板にありました。
「石畳風の舗装にすることで町の美観国情が図れます」
その「石畳風」が分かりませんでした。
「石畳のようなもの」という意味だとしても
「石畳風」がわかりませんでした。

一度、通ったとき、
道の片側だけがアスファルトの石畳になり、
片側はアスファルトのまま。
その石畳の境目が、四角の角で終わっているのではなく、
石のつなぎ目となる窪みが、途中で途切れていたのです。
あれっ、これって、なに?

そして先日、ついに「石畳風」
してるところを目撃してしまいました。
ちょうどアスファルトの道を石畳にしていました。
片側交互通行にして「石畳風」にしていました。
なんと、レンガ敷き状に組まれた針金を
アスファルト道路に押し付けていたのです。
そう。
ひとつずつ石をはめ込むのではなく、
レンガ敷き状の型を熱で道路に押し付けていたのです。
なんか、見てはいけないものを見てしまったような感じで
心が痛みます。

石畳ではなく
石畳に見せかけたアスファルト道路。
それが「石畳風の舗装」だったのです。
スタンプロード(アスファルト型押工法)というそうです。
その型も、いろいろ種類があるようで。
初めて知りました。

道路美装化の整備の一環として
アスファルト舗装を石畳風にするのほかに
・側溝のふたをスリット蓋にしたり、
・和風を基調とした街灯にしたり、
・和風を基調としたカーブミラーにしたりするとか。

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きのうに続いて、オープンマイクのお話です。
1月28日、柏のオバジョ(Overjoyed)にて
催されたオープンマイクに参加しました。
なんとこの日は、これまでで最多の10組がエントリー。
初めての方も多くいらっしゃり、
新鮮に楽しく賑やかに過ごすことができました。
そこで、最初予定していた4曲(カバー3曲・オリジナル1曲)を、
直前になって全とっかえ(オリジナル3曲・カバー曲)しました。
始まる前、バンツのナゾをお答えして、
それならばと「枕元のパンツ」をうたい、
新しい方がたくさんおられ、それならばと
カバーメインから、オリジナルメインに変えたのです。
なもので「海」しばりになってしまいましたが(笑)

引っ越して初めてとなる柏のOMでした。
じつは、岩槻から柏まで東武野田線で
1時間近くかかるため、いつも22時過ぎ、
22時半前にはお暇させていただいていました。
でも、この日は10組ということで、
9組目の演者さんが終わったのが22時半近く。
申し訳ないと思いながら、10組目の演者さん
ステージ前に失礼させていただきました。
さらに、岩槻駅に着いたのは24時近く、
新しい家は駅から歩いて30分近くかかり、不慣れな深夜の道
ということで、タクシーに乗ってしまおうかとも思いましたが、
試しに早足で歩き、どうにか無事に家にたどり着くことができました。
10647

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