さいたま考現学

はじめ、HP「長崎年表」の更新記録として
2005年12月に「長崎考現学」を立ち上げました。
以来、毎日綴りながら幅を広げ、
「埼玉考現学」(2010年4月)、「千葉考現学」(2024年5月) となり、
さらに「さいたま考現学」(2024年10月)に生まれ変わりました。

次回の宮内家OMは2月22日 (日) (153回エントリー)の予定です。

江戸時代、岩槻の城下町には
路ごとに武家屋敷と町家ができました。
路ごとに町ができ、それぞれの路に名がつきました。
その後、明治6年10月に市宿町横町新町林道町
新曲輪町富士宿町渋江町久保宿町田中町の9町が
合併して岩槻町ができたといいます。
ということは、明治6年以前の江戸時代には
9つの町があったことになりましょう。
でも、恥ずかしいことに、まだ、
どの町がどこにあったのかが分かりません。

旧岩槻市の教育委員会が、どれだけの石碑を建てたか
分かりませんが、少しずつ追いかけていきたいと思います。
以下、いまは撮った石碑に、目的や基準はありません。
たまたま歩いた道で気づいたのを、ためているだけです。
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いつもこの時期、堀直子は
自身が興味のあるチョコレートを選んで
「プレゼント」といいながら、
自身で半分以上を食べます。
それでも、こだわっているせいか
味は格別です。
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小さな庭の小さなもみじは変幻自在です。
緑から赤になり、まっ赤になって、になりました。
そしてまた、さらに小枝の先から、
小さな芽が生まれようとしています。
営みは繰り返されます。
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ふだん見る本は、ほとんどが縦長です。
でも、たまに、内容や組版の関係からか、
横長になる場合がありますが、なかなか扱い慣れません。
たとえば棚に並べたとき、
上に大きなへこみができたり、手前に出っ張ったりします。
さらに、その横長の本が箱入りとなると
訳が分からなくなります。

横長本のまま、箱も横長に
印刷されるのが普通と思いますが、
最近は、横長本の箱が、縦に置けるよう
印刷れる場合があるのです。
箱が縦長に印刷されれば、他の本と
バランスよく並べることができます。

いま、手元に箱入り横長本が3種類あります。
 『ゆうきまさみの もっとはてしない物語』(以下『ゆうき〜』)
   角川書店 2008年7月
 『日本書誌学大系40 初期浮世草子年表』(以下『浮世絵〜』)
   野間光辰 青裳堂書店 昭和59年10月
 『武部本一郎SFアート傑作集』(以下『武部〜』)全3冊
   岩崎書店 1)1981年8月 2・3)1981年11月

『武部〜』は本体が横長で、箱もそのままの横長です。
函口(本体を差込む開口部)に蓋と差込があります。
箱タイトルは、表面(表紙か?)と蓋部、
蓋部の対面(背か?)、さらに蓋につく差込にもありました。

『浮世絵〜』『ゆうき〜』は本体が横長で、
箱は縦長に作られています。
ともに箱の蓋はなく函口があいているだけ。
ただ、この2つは、箱のつくりが違っていました。
函口が『浮世絵〜』は天部にあり、
『ゆうき〜』は小口側にあります。

『武部〜』は、横長の箱から横長の本を横から抜くと
そのまま、すぐにページをめくることができます。
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『浮世絵〜』は、縦長の箱から横長の本を天から抜くと
そのまま、すぐにページをめくることができます。
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『ゆうき〜』は、縦長の箱から横長の本を小口側から抜くと
横長本体を90度まわすことになります。
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カウンターキッチン下のカラーボックスは真正面に、
スチールの本棚は反射して、太陽が差し込んできます。
そう、ちょうどこの時期は太陽が低くあり、
家の奥の方まで、光が差込んでくるのです。

なもので、背表紙に赤系の色が使われていると、
焼けてしまい、色あせして色が落ちます。
これまで、かなりの数の本をだめにしてしまいました。
その教訓を踏まえて本を逆さまに、
背表紙をうしろ向きにしてみました。
ふつうは背が前を向きますが、小口が前にきます。
タイトルが見えなくて格好悪く、不便かもしれませんが、
なんとなく分かるし、探せばいいことだから良しとします。
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本の向きからして、机上の本棚は一部、倒すだけにしています。
ふつうは背が前を向きますが、が前にきます。
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雪が降った8日の朝、やむ少し前の
午前11時頃から、1時間ほど雪かきをしました。
それまでに7、8センチほど積もっていた雪が
家に面する道の2辺からなくなりました。
歩行者も車も、通りやすかったことでしょう。
となりの家に面する道は、雪が積もったままでした。

2日が過ぎ、事態がいっ変しました。
雪かきとか、なにも手をつけなかった
道の雪は解け、きれいになりました。
なのに、なぜか、雪をかいたうちの前
2辺にはまだ雪が残っていたのです。
たぶん、家に面する道の縁に
雪を高く積んだため、解けるのが遅くなり
残ってしまったのです。
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それに気づいたのは、いまから半年以上前
去年の6月24日の深夜のことでした。
ちょうど柏のOverjoyedでのOMに参加し
その帰り、岩槻駅の降りました。
写真の右側に大宮方面への1番線ホームがあります。
その裏側となり、左側の建物は東口への階段があり、
1階には交番、トイレなどが入ります。
なにかがはじまろうとしていますが、
このときはまだ、なにも分かりませんでした。
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その後、高架自由通路から何度か撮りましたが、
どうやら工事は東口側の1番線、
単式ホームの外側に沿って進められている感じです。
掘り込んでいるようにも見受けられますが、
まだ分かりませんでした。
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2月6日、
貼り紙が1番線のエレベータ横にありました。
いつ貼り出されたのかは分かりませんが、
「車両を留め置く線路を新設」しているといいます。
でも、現状で3番線の外側に2本の留置線があります。
さらに増やすということでしょうか。
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3番線の上方(西口側)に春日部方から入る留置線が2本あります。
対して今回、1番線の下方(東口側)に留置線を新設するといいます。
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去年の4月5日
さいたま市立図書館に予約した本があります。
その順番が、まだまわって来ません。
ということは、どれだけ人気の本なのかが分かります。

いまとなっては、予約したときに、
どのくらいの予約が入っていたかは分かりません。
ただ、2月8日現在(予約してから309日が過ぎました)
所蔵数が7点、予約数が151件入っています。
そのうち、私の予約順位が90番目ということは、
私のあとに、まだ61人の人が待っているということになります。
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ゆうきまさみの商業誌デビューは、
日本最初のアニメ雑誌といわれる『OUT』
1980年4月号の「ざ・ライバル」でした。
(作品は『機動戦士ガンダム』の4ページからなるアニパロで
最初と最後の2ページだけが掲載されたという伝説を持ちます)

 その後、『OUT』では7月号に「堕ちたる天使」
 8月号に「堕ちたる天使・回天編」
 9月号に「イデ(理念)は燃えているか」
 10月号に「受(うけ)は人類を救っちゃう!!」
 11月号に「『ファンダム』大地に堕つ!!」
 12月号と81年3月号に「ど貴族物語」
 4月号に「末路」
 82年の2月号特別付録に「イデは燃えてますよ!」
 6月号に「某誌編集部の一生」と続きました。

そのうち、80年11月号の月刊『OUT』がありました。
当時の唯一の『OUT』となります。

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巻頭ピンナップ「宇宙戦士バルディオス」。
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特別びっくり附録「シャア ホイホイ」。
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さいたま市立図書館で
『ビジュアル・ワイド江戸時代館』を探したら2種類ありました。
同じ小学館の発行ですが、発行時期が違います。
最初(以下1版)、2002年12月に出て、
第2版が2013年7月にでました。
大きさは1版も2版も同じA4判で
ページ数も同じ655頁で、ものすごく厚いです。
ただ、収録図版は1版の2,000点に対し、
2版は2,700点と700点も増えています。
1版と2版のページ数は同じにもかかわらずです。
ということは、図版が小さくなったか、
文字を減らしたか、ということになりましょうか。
たぶん、両方を組みして編集されたかと思われます。
さらに、値段が問題です。
1版の10,500円に対し、2版は8,900円と下げているのです。
ページ数は同じでも、図版が700点も増えているのにです。
もしかして、1版で値段設定を高く位置づけたことで、
売り上げが伸びなかったから下げたとか。憶測です。
さらに、さらに、ブックオフでの値段設定が驚異的です。
2版の中古が半額に近い4,840円なのに対し、
1版の中古は、なんとなんとの550円なのです。
千の位に数字がなく、百の位から始まっています。
9割引きを半額にした数値に近い
正真正銘の550円のようです。

そこで問題です。
いま、ブックオフの550円の1版が
「店舗受取可」でアップされています。
これをポチるか悩んでいるのです。
安いのは決定的です。安すぎるくらいです。
文字量は、削られたと思われる2版よりは完璧と思われますが、
図版のプラス700点と、それにつく写真説明文が気になります。
その差4,290円(ブックオフでの設定金額の差)は大きいです。

と、1版を550円で入手しました。
はじめは単なるハードカバー本だと思っていました。
でも、家に帰って袋を開けると、なんと厚さ43ミリ
重さ2,450グラムオールカラーで、箱入り
さらに別冊本がついて、税込み定価の11,025円が
550円なのです。

帯を見ると、どうやら発行翌年の2003年に控えた
江戸開府400年記念の一環で作られたようです。
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じつは、2021年4月27日以来となる
「開かずのダンボール箱」の第2弾となります。

1月8日にお話した、ゆうきまさみの記念本
・ゆうきまさみの開業30周年記念『ゆうきまさみ年代記』
(小学館/2010年12月/352頁)と、
・デビュー35周年記念『文藝別冊 KAWADE夢ムック ゆうきまさみ』
(河出書房新社/2015年6月/215頁)の2冊があります。

じつは、2冊のうち、
開業30周年記念の『ゆうきまさみ年代記』に再録された
漫画の初出雑誌が手元にありました。

「きまぐれサイキック」の初出が
 『少年サンデー』創刊25周年記念増刊(1984年4月)で、
「裸の博士放浪記」の初出が
 『少年サンデー』30周年記念増刊号(1989年4月)だったのです。
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『少年サンデー』創刊25周年記念増刊(1984年4月)収録。
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『少年サンデー』30周年記念増刊号(1989年4月)収録。
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以前、鼻水、鼻づまりには
漢方の「鼻療」を服用していました。
それ以来、かなりご無沙汰しておりましたが、
最近になって、今度は漢方の病院から
エキス顆粒の オースギ(SG-02)
「葛根湯加川芎辛夷(かっこんとうかせんきゅうしんい)」
処方してもらうようになりました。

さらに今回、新たに小さな噴霧器から手のひらに取った
「ビワの葉エキス」を鼻筋に塗り込むようにしてみました。
すると、あっという間に、スッと鼻の通りがよくなりました。
個人差があるかもしれませんが速攻で効きます。
いま、これがいちばんです。

そうそう。ここ数年、春になると、
鼻水がたれるようになってきました。
そこで、今年は「ビワの葉エキス」をも
試してみたいと思います。
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東武野田線に5両編成の新型車両が、
導入されたときに告知していました。
5両編成は、新型車両だけでなく、
既存の6両編成をも、順次5両編成に
縮めていくというのです。

1月31日、いつものように
岩槻駅のホームで待っていました。
60000系の電車が入ってきます。
構内放送が伝えました。
「まもなく大宮行き普通電車が5両編成でまいります」。
えっ、60000系なのに5両なの?
そうです。
これまで60000系は6両編成でしたが、
ついに、5両に間引かれた編成が登場したのです。
初めて乗りました。

いま、野田線の5両編成は、新型車両の
80000系80000型が5本と、80000系80050型が2本あり、
5両編成になった元6両編成は、60000系が4本あるようです。

よく見たら、正面の運行種別と行き先の左側に
丸い青地の中に白抜き文字で「5CARS」とあります。
小さくて見にくく、もう少し大きくした方がいいのでは
なんて思ってみたりして。

じつは、その1月31日のこと。
大宮への往路で60000系の5両編成(61501F)に乗りました。
それがなんと復路も60000系の5両編成(61502F)だったのです。
行き帰りともに60000系の5両編成に乗りました。
超らっきー!

大宮駅ホームの北大宮寄りの地には
「5両編成 この先には停まりません」の表示。
ちゃんと、その内側に停まっています。
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中間車には「たのしーと」もありました。
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大宮駅ホーム、改札口よりにある運行案内板の上段、
「急行 14:44 船橋」のあとに「5両」とあります。
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これまで、
1月13日『Mの世代 ぼくらとミヤザキ君』のこと、
31日『Mの世代』『中央公論』掲載の
「『私』の中のM君、M君の中の『私』」のことを書きました。
その『Mの世代』の「はじめに」に、編集部が大塚英志と
中森明夫の対談を企画した、きっかけが記されていたのです。
大塚が出版業界の専門紙『新文化』に書いた文章を
引用していました。

「そして万が一、青年が犯人であったとしても、やはりぼくは彼を擁護し続けるつもりだ。あの綾瀬の『野獣』呼ばわりされた青年グループと同じようなメディアによるリンチが彼の家族にも及ぶことは目に見えている。彼が【おたく 少年であるが故に幼女を殺したのだと世間が非難するなら、彼とぼくの感受性の間に【どんな◆差異があるのか自分では全くわからないぼくは、彼を擁護する。
 TVに映し出された彼の部屋の本棚にはぼくがかつて編集した単行本の背表紙がちらりと見えた。ぼくが最初に編集者として足をふみ入れた雑誌のバックナンバーも並んでいた。彼がぼくの読者であった以上、ぼくは彼を守ってやる。二
【十】六歳の【おたくぁ青年の主張を代弁したところで何の意味もない【のァかもしれないが、彼の生きてきた不毛とぼくが生きてきた不毛がつながっているとわかった以上、そうする他にはないではないか」(「大塚英志のフィールドワーク」『新文化』八月一七号【ママ】所載)『Mの世代』8頁》

実際の『新文化』『Mの世代』の引用に若干の違いがありました。
  ´い發箸發箸痢愎景顕宗戮任亙匆礁症週
  ◆愎景顕宗戮砲蓮屬匹鵑福廚△蝓
  『新文化』には「十」あり
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編集部では、この『新文化』に載った大塚の文章を受けて
「それまでマスメディアに流通していたおびただしい言葉は後景に退いて整序され、この事件がまったく新しい容貌を見せてきた。大塚氏の言葉によって、それは抜き差しならない出来事になったと感じられたのである。」《8頁》

『Mの世代 ぼくらとミヤザキ君』
出発点が、ここにあったのです。
大塚の言葉により、これまでにない渦中の事件の
新たな方向性が見出だされたというのです。
それをもっての企画となるのでしょう。

それにしても、
『新文化』1989年8月17日号の大塚の文章を受けて、
『Mの世代 ぼくらとミヤザキ君』が企画され、
9月4日と10月3日の2回にわたる大塚と中森の対談となり、
12月10日には発行されるのです。
なんと、スピーディーな運びとなりましょうか。
凄いです。
いや、編集の話ではなく、
「大塚英志のフィールドワーク」のお話です。
大塚の文章が載る新聞『新文化』を探しました。
埼玉県立図書館には、創刊から72年までの縮刷版しかありません。
国会図書館には所蔵があり、また都立中央図書館と
都立多摩図書館では、一定の時期までの本紙と
それ以前の縮刷版を所蔵しているといいます。
JR武蔵野線の西国分寺駅から歩いて、
都立多摩図書館に行きました。

新聞『新文化』掲載の「大塚英志のフィールドワーク
〈先入観と偏見による魔女狩り状況〉」を読みました。
記事は「問われる報道の姿勢」と
「読者を裏切る出版人も」に分かれています。
原稿を書いている8月14日早朝の時点での、
それまでの事件の概要から始まります。
M君の事件と綾瀬母子殺人事件(3人の少年を母子殺害の
犯人に仕立てあげた冤罪事件。3少年は女子高生コンクリート
詰め殺人事件のグループと同じ中学の出身)

類似点を指摘しました。

青年【M君のこと・藤城注】の〈自供〉が報じられてから二、三日の内にぼくは本業の編集者として何人かのまんが家と会った。彼らの部屋には、青年と同じ様に一〇〇〇本を超えるビデオやアニメ誌、ロリコン誌が並び、仕事柄コピー機やイメージスキャナーを持っている。「これで日産ラングレーを持っていれば立派な犯人だね」とぼくは彼らと苦笑した。まるで異常人格者の様に報道されているあの青年の姿はぼくにとってはありふれた若者像でしかない。青年と同じ様な記号をまとう若者たちはこの都会には無数に生きているのだ。彼らの趣味と幼女殺害が結びつくのであれば、既に東京中の幼女が殺されていなくてはならない計算になる。

今回の事件の背後には社会のオタク少年に対する偏見があり、しかもそれを補強する様な方向に一連の報道がなされている。(中略)メディアと健全な市民の人たちによる〈オタク狩り〉が始まりかけているのである。

そして、最後に『Mの世代』が引用した
最初の文章で締めくくられました。

『新文化』の文章は、少ないながらまとまり、
のちに『中央公論』『Mの世代』へと広がっていく、
その足がかりのように見えました。
『Mの世代』『中央公論』
「『私』の中のM君、M君の中の『私』」よりも前に
書かれているのに、内容が深いです。
大塚がM君を擁護する意味が、より明確に提示されているのです。
繰り返しになりますが、〈ぼくは彼を守ってやる。二六歳のおたく青年の主張を代弁したところで何の意味もないかもしれないが、彼の生きてきた不毛とぼくが生きてきた不毛がつながっているとわかった以上、そうする他にはないではないか〉と。
大塚は、はっきり明言しています。言い切っているのです。
この文言が新たな大塚流の共通認識となる「感受性」
(この言葉は『Mの世代』の前半部でも大塚は多用する)
を打ち出しています。

少し前に死刑囚の話を何冊か読んで、
そのなかにM君の話もありました。
ここで、いま一度振り返って、読み直したり、
新しく読んだりすると、共感するところが多々ありました。
まるで、同じような感受性を持つ、私を含めたたくさんの
オタクたちのことを擁護しているかのような錯覚に陥りました。
いや、錯覚でなく、まさにその通りなのでしょう。
そして、これら3つの文章によって、
心が浄化されたような気がしました。
 「1989.9.4 ぼくらはメディアの子供だ」
  「1989.10.3 きみとぼくには、未来がある」
   『Mの世代 ぼくらとミヤザキ君』89年12月)
 「『私』の中のM君、M君の中の『私』」
   『中央公論』89年10月号)
 「大塚英志のフィールドワーク
    〈先入観と偏見による魔女狩り状況〉」
   『新文化』89年8月17日号)

今回、大塚英志を中心とした3つの資料から、
その一部分を少しばかり切り取りましたが、
これまでにない、新たな発見、視界の広がりがありました。
それは勝手な思い込み、独りよがりかもしれませんが、
それでも、自分のしてきたことが受け入れられたような感じ。
一連の文章を読んで、ひとつ胸のわだかまりが
抜け落ちた感じになりました。
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とある新聞の
1989年8月17日号が読みたくなりました。
その新聞は都立中央図書館と、都立多摩図書館
両方に縮刷版の所蔵があるといいます。
どちらに行こうか迷いました。

以前、中央図書館には頻繁に通ったことがありました。
岩槻から東武野田線で春日部に出て、東武伊勢崎線から
地下鉄日比谷線に直通する電車で、恵比寿のひとつ手前の広尾まで。
図書館は港区の有栖川記念公園のなかにあり、
南部坂を登ることになります。
対して、多摩図書館は国分寺市にあります。
岩槻から東武野田線で大宮に出て、JR京浜東北線に乗り南浦和、
さらに武蔵野線で西国分寺まで。
じつは、いちどだけ行ったことがありました。
2020年8月27日、東京都公文書館に行ったとき、
となりにある多摩図書館に入ろうとしたら
ちょうどコロナ禍で、完全予約制となり入館できませんでした。

広尾近くにある中央図書館と、
西国分寺近くにある多摩図書館の、
どちらにするか、運賃と所要時間を調べました。
すると、それほど大差はありません。
運賃は、東武線から春日部経由で
地下鉄へと直通する、広尾までの方が安く、
所要時間は、東武線から大宮経由で
JRに乗り継ぐ、西国分寺までの方が速いようです。

多摩図書館は雑誌や新聞、児童書関係を多く所蔵し、
一般図書としては、中央図書館の方が多いといいます。
でも、今回は中央図書館にも多摩図書館にも、
どちらにもある新聞の縮刷版です。
中央図書館がある広尾から坂を登るよりも、
以前、コロナ禍で入館できなかった、西国分寺から歩く
多摩図書館にリベンジすることにしました。

多摩図書館に入って、初めて知りましたが、
以前、中央図書館に入館したときは、
荷物はロッカーに預けなければなりませんでした。
たぶん、いまでもそうだと思います。
でも、多摩図書館は荷物を持ったまま入館できるのです。
これは「楽でいいな」と思いました。

新聞は出版業界の専門紙『新文化』のことですが、
それにしても、ひさしぶりの東京です。
いったい、いつ振りくらいになりましょうか。

2020年8月に撮った看板と似ているけど違います。
今回の撮りおろしです。
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大きな建物が3つ。左手前から、都立多摩図書館、
東京都公文書館、そして、右奥が国分寺市役所となります。
2020年8月に行ったときは、まだ国分寺市役所はなく、調べてみると、
ちょうど1年前の、2025年1月に移転したばかりだったようで。
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JR大宮駅を東口におりて左方向へ。
近いところにあった飲料用自販機です。
きれいに木陰が落ちていました。
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『Mの世代 ぼくらとミヤザキ君』を読み直しました。
なかでも、巻頭と巻末にある大塚英志と中森明夫の対談、
第1章の「1989.9.4 ぼくらはメディアの子供だ」と、
第3章の「1989.10.3 きみとぼくには、未来がある」は
圧巻でした。
とても長い対談は読み応え十分で、
だからでしょうか、気になる個所が随所にあり、
その文言を全て抜き出し、データに起こしました。
そうしたら、A4判用紙びっしり8枚になりました。
対談を読み進めると、大塚は常にM君の立場に立っています。
1月13日に〈大塚は、M君と「シンクロ」した〉と
書きましたが、じつはM君を擁護していたのです。
まるで大塚がM君の分身、大塚自身のことのように。
対談なかのリードにも「『宮崎君を守る』ということ」
「宮崎君の側に立つということ」があり、
そのことを象徴しているような気がしました。
少し抜き出してみます。

「犯罪」を超えてある、彼の生き方とか感受性とか趣味がむしろ裁かれる対象になってきている。そこに関しては擁護していかなかったら、結局、M君そのものも擁護できないし、ぼくが今までやってきた仕事に対しても申し開きが立たないみたいなね、そんなような感じがしたんですけどね。《24頁》

ぼくたちが、M君の側に立つということは、彼が当事者とされる犯罪そのものを肯定することではない。もし、女の子を殺してしまったのなら、それは困ったやつだと。それはあなたの責任だから裁かれなさいと。ただ、あなたが好きだった、M君が好きだったビデオとか、アニメとか、あれだけ持っていることを自慢した『ウルトラセブン』の一二話とか、そういったものに関しては、ぼくらが守りましょうということです。《46頁》

文化の継承ということを考えたときに、殺しの手口もまた、何らかの形で継承されるわけです。つまり親猫が子猫に、こうやって鼠を殺しなさいって教えてあげるように、殺し方も、結局、そうやって継承されていってしまうわけだから。たまたま、それを、われわれは目の前で殺さない代わりに、ビデオを介在させる形で文化というものを継承するケースが多いだけの話であって、ビデオのせいではないですよ。《78頁》

罪は罪として、殺したのはいけないこと、
それは裁かれなければなりません。
ただそれを別にして、大塚は論じています。
言葉の端々にありました。
いま、情報過多の世の中で、ビデオを介在した文化が継承されます。
M君は現実と非現実の狭間で、力が入って幼女を殺してしまいました。
でも、それはビデオのせいではないということ。

そんな2人の対談のなかで、ひとつ。
後半部で中森が言った「そこのところで問題になるのは、大塚さんが『中央公論』に書いておられたけど、綾瀬の少年たちの不起訴事件がありましたよね」
『中央公論』に〈注〉がつき、付記がありました。

『中央公論』89年10月号「『私』の中のM君、M君の中の『私』」の中で(中略)結局、M君も含めて、「〈容疑者〉とされた人々は、社会から極めて偏見を持たれやすい条件をいくつか兼ね備えているが故に事件の主人公としてふさわしかった側面が極めて強い。皮肉めいた言い方を敢えてするなら、彼らは〈犯人にしてもよい人々〉だったのである」と述べている。《187頁・注77》

中森は、綾瀬の女子高生コンクリート詰め殺人事件を
引き出すのに『中央公論』を持ち出しています。
付記の前半には女子高生殺人事件の記述がありますが、
私は後半部分が気になりました。
「皮肉めいた言い方」ながら、
極論的に「偏見を持たれやすい条件」として、
「事件の主人公としてふさわしかった」者は
「犯人にしてもよい人々」としています。
弱々しいもの言いや性格、風貌、世間からはみ出た行動、
極度な収集癖を、犯人に当てはめているのです。
世の中の大多数の人たちが、そう見ているのかもしれませんが・・・。
もしかして、そのなかに私も含まれているのでは、
なんて思ったり・・・。

はてさて、そんな『中央公論』に書いた大塚の
「『私』の中のM君、M君の中の『私』」の全体像とは、
どのようなものだったのでしょうか。
タイトルからしても興味をひき、1989年10月号の
複写を埼玉県立図書館より入手しました。
ところどころ抜き出してみます。

M君は確かに数千本のビデオにうずもれて生きていた。けれどもそれはM君が特撮の映像という〈情報〉をむき出しのままパックしてコレクションしたからほんの少しばかり異様だっただけにすぎない。情報誌『ぴあ』には映画やコンサート、イベントなどの無数の情報がそれこそM君の所有したビデオの本数をはるかに上回る数でつめ込まれている。新築のマンションには最初から440チャンネルの有線放送の回線がセットされ、音楽のみならず〈読経〉や〈牛の鳴き声〉さえ、チャンネルをあわせば24時間中聞くことができる。《443頁下段》

M君が一日一本見たとしても見終わるのに十数年かかるビデオをコレクションしたように、すべてのメディアは人々が消費することが可能な量をはるかに上回る情報やモノを送りだし、誰もがこの過剰な情報の中で半ば自我を失いながら生きていく。(中略)M君にとっての現実がビデオ世界だったというのであれば、メディアの内側の世界=ギョーカイを〈現実〉だと信じ込んで生きているメディアに関わるすべての人々もまた同じなのである。メディア業界など虚業の代表選手である。《444頁上段》

M君をめぐってのヒステリックなマスコミの報道ぶりは、彼が幼女殺害の容疑者であったからではない。数千本のビデオテープに埋もれて暮らすM君の〈おたく〉ぶりがまるで自分たちのパロディのように映ったからであるというのが正しい理由だ。マスメディアが彼の過度の〈おたく〉ぶりを執念深く描き出すのは、自分たちが決して彼と相似形であることを認めたくないからだし、M君が現実を見失って虚構世界の住人となったと説く識者たちは、けれども自分はあふれかえる情報の中で現実を見失っていないと言いたいのだ。だがテレビモニターの中に映し出された人にそう言われても説得力はない。(中略)あのビデオの山が彼の犯罪の原因なら、それを送り出したテレビ局は一体何なのか。多分、メディアに生きる人々にはそんな皮肉さえ通じないだろう。《444頁中段》

M君は、ただ、テレビモニターに
送り込まれてくる映像を集めているだけ。
それは、誰もがしていたことでしょう。
ただ、その量が異様だったのかもしれませんが。

『中央公論』「『私』の中のM君、M君の中の『私』」で、
大塚はM君の事件を〈おたく〉という
範疇(カテゴリー)のなかで、ひとつの論証を立てています。
M君を擁護しています。
同時に、同じ〈おたく〉要素のある類似した人たち
(私も含まれるかな)をも擁護していました。

最後にひとつ。
『Mの世代』には、
大塚と中森が行った対談の日付が、
目次と章扉に明記されています。
第1章は「1989年9月4日」、
第3章が「1989年10月3日」と、その差は1か月。
それでは、大塚は『中央公論』1989年10月号の原稿を、
どの時点でまとめたのでしょうか。
最初の対談より前のような気もしますが、
定かではありません。
11351
『Mの世代』から気になる文言を抜いたA4判8枚と
1989年の『中央公論』10月号から抜いたA4判3枚。11354

もしかして、2012年3月27日にお話した
「鴻沼川」を英語で「Kounumagawa Riv.」と表記し
「鴻沼川川(こうぬまがわ・かわ)」になって
しまった事例と同じでしょうか。

「裏小路」は「うらこうじ」で、英語で「Urakoji St.」となり
「裏小路通り(うらこうじ・とおり)」となってしまいます。
まさしく「うらこみち・みち」です。
1134511346

これまで、1月6日
ドキュメンタリーノベルで死刑囚のこと、
1月13日に宮崎勤のことを書いてきましたが、
今回は、その総括的なお話になりましょうか。
1月11日に、新刊書店で2冊を購入するお話を書きました。
のち、日をたがえて入手し、そのうちの1冊を読みました。
2012年5月の発行で、
「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90」が編集した
『死刑囚90人 とどきますか、獄中からの声』です。
死刑囚90人によるアンケートの回答、生の声が綴られています。
いまから14年前の発行ということで、
版元品切れ再版未定の絶版扱いかと思いました。
でも、まだ在庫があり、それも初版が流通していたのです。
出版社としては、それだけ重きを置いているのでしょう。

内容は、巻頭の
福島みずほ参議院議員による
「死刑について考えるために」から、
編集部の「刊行にあたって」、
アンケートの書式(挨拶状1枚、回答用紙3枚)
また、カラー16ページには「死刑廃止のための大道寺幸子
基金絵画部門受賞作品(2005〜2011年)」
48点の紹介と続き、
本文となります。

また、巻末には、
可知亮による「このアンケートの公開まで」、
アンケートの集計結果「死刑確定者の現状」
さらに「死刑囚の権利保障 再審と恩赦」として諸手続きの解説、
「関係法令(抜粋)」、
「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90への賛同」募集、
そして、「大道寺幸子基金について」で締められました。

本文収録は、2008年に続く二度目のアンケート結果で、
福島みずほ参議院議員事務所を通して、
2011年6月20日時点の死刑確定者120人に送付されました。
そのうち、87人から返信があり、のち2人が回答を辞退、
さらにその後の確定者4人と、福島議員あての手紙1通で、
あわせて90人となります。
掲載は確定順に、匿名はその後ろに、
比較的長い文章は第2部に収められています。
2008年のアンケートは、2009年4月発行の
『命の灯を消さないで 死刑囚からあなたへ』にまとめられました。
順番が逆になりましたが、いつか、こちらも読んでみたいです。

はじめ、アンケートとはいっても、死刑囚ばかり90人
というのは、言葉は悪いですが、「重たい」のではないかと。
それでも、アンケートながら、多少手が加えられたにしても、
死刑囚本人が生の声、生の言葉を文字で綴っているわけで。
どのような展開になるか、まったくもって
想像もつかず分かりませんでした。
でも、いざページをめくっていくと、ほぼ全員が素直で、
率直に自身のことを、ありのままに綴っているのです。
死刑囚の立場は、ひとりひとり全て異なりますが、
真の思いが余すことなく赤裸々に、綴られているのです。
生の言葉、生の訴え

ある人は自身の罪を悔い、
被害者遺族に謝罪し、妻や子に謝罪し、
ある人は無実・無罪を訴え、
ある人は現行の司法制度に異を唱えています。
警察官をはじめ、検察官、弁護人、裁判官、裁判員、裁判長、
拘置所職員、拘置所長、法務大臣、メディアに対する
思いなどさまざまに。
なかには憲法や刑法の条文を引用し、法律と現状の違いを訴え、
また、他の死刑囚の病状を心配しています。
ときとして、アンケートのなかでは、事件に関して、
ニュースや新聞、ネットニュースで語られないことが、
当事者本人により、つぶさに記されます。
さらに、アンケートは3月11日の東日本大震災直後
ということもあり、被災者への救済を要望する声もありました。

ただ、そんな死刑囚の声は、
なかなか聞き入れてくれないということ。
それは、死刑囚としての権利や証言が、警察官や検察官、
拘置所職員の強要により、ことごとく握り潰されていることも、
事実としてあるようです(拘置所により待遇の違い。
特にいくつも挙がる名古屋拘置所に関して)

そんな死刑囚全ての訴えが切実なのです。
死刑囚が綴った、言葉のひと言ひと言に、
重要性、真実を感じました。

アンケート集計(87人)の結果をみると、
年齢(回答数82)の内訳は、80代3人、70代9人
60代27人、50代21人、40代14人、30代6人、20代2人
最高齢89歳、最年少29歳となります。
記述式の「2-5 日本の司法について言いたいこと」は
7つ(裁判官に、検察官に、弁護士に、法務大臣に、
拘置所長・職員に、支援者に、その他の人に)

分かれていますが、ほぼ要望で占められていました。
3-6 獄中生活でいちばん楽しいこと、うれしいこと」と
3-7 獄中生活でいちばん苦しかったこと、つらいこと」は、
同じく記述式で、死刑囚それぞれの罪状や、それまでの
生活習慣などの立場は違うから、ひとつひとつを分けて
考えなければいけないのでしょう。
でも、全てをつなぎ合わせて考えると、
それはそれは、その悲惨な状況が総合して感じ取れます。
また、「3-1 衣食住についての要望・感想」に
「不利益な処遇になると困るので、回答したくない」
ありましたが、これは全てに当てはまる言葉かもしれません。

これまで、私は死刑に対して、
肯定でも否定でもありませんでした。
ただ、凶悪な犯罪に対しては、死刑もやむ無しと思っていました。
でも、『死刑囚90人 とどきますか、獄中からの声』を読んで、
死刑囚90人の生の声を聞いて、その大多数が、
自身が犯した犯罪に対して、一様に素直に悔いているのです。

拘置所には悪いことをしたから
収容されるのでしょうが、でも、同じ人間です。
アンケートに答えた人のほとんどが、現行の司法制度に
異を唱え、拘置所の処遇の不当性を訴えています。
これでは、いけないのではないかと思いました。
アンケートの返信があった87人のうち、ほとんどの人が
書いているのだから、アンケートに答えていない30人ばかりの人も
同様の対応を受けているのではないかと、思わざるを得ません。
ならばです。
アンケートの回答が事実であるならば、
制度を改めるなり、それぞれの部署が改善を施した上で、
世界でも類をみない死刑制度は、廃止した方が
いいのではないかなという思いに固まりました。

死刑囚90人のアンケートのなかで、ただひとり、
死刑制度の存続を表明している人がいました。
「死刑になるために人を殺した」と訴え続け、
2013年2月21日に執行されました。
アンケートに答えています。

(前文略)
 P.S 福島さんはもし、自分の家族が
 誰かに殺されたとしたら、その犯人を許せますか?
 その犯人を死刑にはしたくないと思えるんでしょうか?
 死刑は必要だと思いますけど・・・。

11343

いつのまにか影がたまってしまいました。
ここで7枚を大放出します。

12月15日の10時54分
11333
1月12日の14時31分
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1月14日の11時22分
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1月16日の12時53分。以下2枚は同日で時間も近いです。
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1月16日の12時54分
11337
1月16日の13時00分
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1月17日の10時56分
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25日に、ショートケーキを買いに
西口にあるヤオコーまで行きました。
その行きと帰り、岩槻駅の高架自由通路から
16時21分と50分に見た富士山です。
その差、30分なのに背景が変わります。
刻々と暗くなっています。
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きのう、1月25日が結婚記念日でした。
昭和58年(1983)1月25日に結婚して
43年が過ぎ、44年目に突入しました。

去年は、ちょうど1月23日に大宮植竹から、
いまの岩槻駅東口側にに引っ越しをしての2日後で、
家の近くにあるスーパー、マルヤ岩槻店で
2片入のショートケーキを購入しました。

で、今年は、東口側にあるマルエツには
事前の調査でスポンジケーキがないということを知り、
西口側のヤオコーまで足を延ばしました。
以前、西口側に住んでいたときは、頻繁に買っていた
懐かしいショートケーキです。
11348

1月23日、11時22分の富士山です。
たまたま大宮に出る用事があり、岩槻駅の高架自由通路、
いつもの大窓に行ったら、見ることができました。
この日の、さいたま市の最低気温は、マイナス7.9度。
もしかして、今季いちばんの寒さだったかもしれません。
それでも、前日まで7日続いた、北・北北西・北西の風は
この日、ひさしぶりに南南東の風に変わり、
極寒の雰囲気は収まりました。
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新しい岩槻の東口側に引っ越して、
きのう23日で、ちょうど1年が過ぎました。

振り返ると、
・長崎から大宮に戻ったのが2010年4月
・岩槻の西口に移ったのが2017年2月
・千葉の稲毛海岸に移ったのが2024年5月
・大宮植竹に移ったのが2024年10月
・そして、岩槻の東口に移ったのが、2025年1月でした。

こうしてみると、2024年から
25年にかけてが目まぐるしかった感じです。
でも、その25年1月、岩槻の東口に移ってから、やっとこさの1年。
いまは、ゆったりのんびり、どうにか落ち着いて過ごしています。
といっても、この1年のなかで、画期的な出来事、
7月15日に猫のごとう君がやって来て家族の一員にりました。
それからは、なかなかどうして、大わらわな
毎日が続いていますが。

いまから先のことは分かりません。
それでも、ここが終(つい)の住みかに
なるのかな、なんて思ってみたり。
11202

ここのところ、
とり・みきの『メカ豆腐の復讐』からはじまり、
そのあと、ゆうきまさみの2冊の記念ムックを読みました。
そして、年末からこれまで5冊を読み直したり、
新しく読んだり()しました。

 『土曜ワイド殺人事件』
    とり・みき×ゆうきまさみ 徳間書店 1998年4月
『新・土曜ワイド殺人事件 京都藁人形殺人事件』
    とり・みき×ゆうきまさみ 角川書店 2004年7月
 『ゆうきまさみの はてしない物語』
    角川書店 1997年2月
『ゆうきまさみの もっとはてしない物語』
    角川書店 2008年7月
『冷食捜査官』
    とり・みき 講談社 2008年11月

『新・土曜ワイド殺人事件』
初版の帯に船越英一郎がいて、本文には中村珠緒が出てきます。
『もっとはてしない物語』
箱は縦位置の作りですが、本体は、横位置で製本されていました。

さらに、新しく読んだ3冊のなかに
気になった点を2つばかり見つけました。
『もっとはてしない物語』の104ページ
2005年3月「カドを立てなきゃ楽だもの」の5コマ目
  カドを立てない、と言えば江戸時代
  箱根の関所破りで処刑された人は
  たしか3人くらいで、多くの場合は
  「誤って山に迷い込んだのであろう」
  「へへー」
  みたいな感じで、あまり事件にしな
  かったようです


時代劇などで関所を通過する光景はよく見かけます。
女性が男性に化けて通り抜けようとしたり、
鉄砲を江戸に持ち込もうとしたり、その取り締まりは厳しく、
処刑もそれなりにあったのかと思っていましたが、
でも、そうではなく、処罰理由は分かりませんが、処刑は3件。
その実がなんなのか、ものすごく興味があります。

また、『冷食捜査官』134ページ
「寒い穴から帰ってきた捜査官」の2コマ目
  氷穴に隠されていた
  大量の冷食は
  活発化した火山活動の
  地熱でとけて流れて
  ノーエと消えた


はたして、ここで、
どのくらいの読者が笑ったでしょうか。
ほんと、知る人ぞ知ると思います。
それは「ノーエ」にあります。
間違えでなければ、民謡「ノーエ節」「ノーエ」と思われます。
もともとは、幕末に始まった横浜の「野毛節」が元祖といわれ、
また、農民の兵隊訓練用の行進曲「農兵節」
始まりともいわれています。
11319

12月5日に公衆トイレを再開しましたが、
再び、不適切な使用により、使用できなくなったため、
使用不可とさせていただき
ます。
なお、再開時期は未定です。



東武野田線、岩槻駅西口にある公衆トイレの入口、
安全バーにつり下がっていた文言です。
撮ったのは少し前、1月16日の13時36分。
不適切な使用とは、どのような使用なのでしょうか。
11332

小さな貨車が2両。
まったくもって忘れていましたが、なかなか開けない机の、
上から3番目の引出しのなかにありました。
そのむかし、鉄道模型にハマっていた名残が、
この2両に集約されたことになりましょう。

ただ、鉄道模型といっても、ジオラマなどは畏れ多く、
駅舎やホームなどのオプションもありません。
ただ線路を長円につないで走らせるだけでした。
軌道は9ミリゲージで、気動車数両と、
ディーゼル機関車に貨車数両だけ。
そのうちの「ヨ6000」(KATO)と、
「ワム50000」(TOMY)となります。
「ヨ6000」は車掌車で、貨物列車の
最後尾につく、車掌さんが乗務する車両です。
また、「ワム50000」は有蓋車(箱型貨車)で、
雨にぬれては困るものを輸送するための車両です。

岩倉高校の運輸科を卒業した者としては、
誰もが通る道でしょうか。
1133011331

1月18日、宮内家のOMに参加しました。
今回は全13組のうちの9番目で、
オリジナル2曲にカバー1曲としました。
まずはオリジナルの「白痴美人」から。
いつも通り、前奏から歌に入りましたが、
ギターを据える位置が悪く、そのままズレ落ちてしまいそうで、
歌詞2行目でやめて、位置を落ち着かせ、うたい直しました。

2曲目は、早川義夫の「サルビアの花」のカバー。
そこで、ひさしぶりに「サルビアの花」を聞き直しました。
すると、ファーストアルバムの
『かっこいいことは、なんてかっこ悪いんだろう』(69年11月)
収録の「サルビアの花」は、3番までフルでうたわれています。
もとまろのカバー(72年4月)も3番まであります。
それが、『この世で一番キレイなもの』(94年10月)では、
3番の頭の2行をうたわず、伴奏で通して、
あとの2行をうたっていました。
それが、いつ頃からか分かりませんが、少し前から
歌詞が過激として、2番までしかうたわれない傾向にあるようで。
いまはもう「要注意歌謡曲一覧」の取決めはありませんが、
なにがしかの規制はされているようです。
詳しくは分かりません。
その「サルビアの花」は、もちろん3番までうたいました。
が、はじめのうちは、なかなか声が出ず、
2番の途中に入る間奏でひと息入れ、
どうにか後半部では持ち直すことができました。

そして、3曲目のオリジナル「きみ胎動」は、
12月7日の宮内家、9日の柏のOverjoyedについで
3回目となります。
ゆっくり、たんたんとうたいました。
ところどころ、おぼつかないところもありましたが、
これまで試行錯誤しながらうたった2回と、年末年始の練習で、
その成果は多少なりとあったのではないかと思います。
また、今回は作曲をしてくださったDearさんも
Dear&Lewis としてエントリーされ、
「きみ胎動」の競演が実現しました。
互いにうたい合うことで、互いの表現の違いが
はっきり打ち出すことができ、よかったと思います。
ひとつ成功だと思いました。

ちなみに、今回の宮内家OM、
出演者14組のうち、なんとスキンヘッドが5人いました。
とても珍しいことと思います。
私は、15日(木)の夜に自身でT字のカミソリで剃って、
翌日の夜は宮内家で直塚さんの定期ライブをみました。
さらに2日後の18日(日)が、今回の宮内家OMで、
写真は剃った3日後の頭となります。
1ミリ弱の毛が生えています。
11328

11月25日に書いた「塀の影と穴ぼこの陽」を
道の反対側から見ています。
前回は岩槻駅方面を背に、家に向かう方を向いていました。
でも、今回は逆に、家に向かう方を背に、駅方面を向いています。
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大宮図書館所蔵の資料をマイページから予約しました。
受取館は岩槻図書館です。
その資料は、他の利用者が先に借りているわけでもなく、
大宮図書館での所在は確認ができ、
すぐにやって来るだろうと思っていました。
でも、次の日になっても「予約中です」のままでした。
それから、さらに次の日になって、
やっと「搬送中です」になりました。
予約日の翌日で、搬送中の前日となる、中日(なかび)が丸1日。
なにをしていたのか分からない日ができたのです。
受取館の岩槻図書館で聞きました。
すると「ひとつの可能性として、あるべき棚に、その資料が
なかったから、探していたのかもしれない」
と言うのです。
そうしたら「あるべき棚」とは、なんなのでしょうか。

さいたま市立図書館の所蔵資料は、
日本十進分類法(NDC)を基本に、「0」から「9」までの10分類
(0総記、1哲学、2歴史、3社会科学、4自然科学、5技術、
6産業、7芸術、8言語、9文学)
を大項目とし、
さらに細かく枝分かれする形で資料の配架位置が決定します。
先の資料は、貸出中ではありません。
大宮図書館にあることはわかっています。
でも、所定のその番号の棚になかったら、へたしたら
スタッフが総出で、館内の全ての棚を端から端まで
探すことにもなりかねません。
大宮図書館の収容可能冊数は、約34.15万冊といわれています。
そのときに何冊が貸し出されて、何冊あったかは分かりませんが、
そのなかから1冊を探すことになるのです。
それが、なか1日だけですんだのだから、
早い方と見るべきでしょうか。
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年明け早々の1月2日の夜から
3日の朝にかけて、雪が降りました。
そのとき、さいたま市の積雪は5センチでした。
なんと、その雪がまだ残っていました。
1月14日の10時55分、家から岩槻駅に向かう途中です。
残っているところには残っているものです。
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去年の9月29日「龍角散」のこと書きました。
そう、いま風のピーチ味とか、ミント味とかではなく、
むかしからある、
 あの白色微粉末の
 あの独特な感覚が舌に伝わる
 あの「龍角散」です。
9月23日から飲み始めた43グラムが113日目でなくなり、
新調しました。
前にも書きましたが、今回、
これまでの43グラム(税込みで1419円)から、
90グラム(税込みで1969円)に変えました。
容量は倍あるのに、どうしたわけか1000円近く安くなるのです。
いまも毎日、寝る前に服用していて、のどは問題なく、
調子はいい感じです。

写真では大きさの感覚が分かりづらいかもしれませんが
小さい容器が直径68ミリ、大きい容器が直径83ミリとなります。
11326

12月26日に見つけた
コンビニ横の手袋のお話の続きです。
じつは、年明けの1月11日にも同じ状況なのを確認し、
「まだあるよ〜」みたいな感じで、アップしようと
思っていた矢先、さらなる展開が、13日に待ち受けていました。
1枚目は、いちおう念のための11日、
手袋は「まだあるよ〜」の証拠写真。
2、3枚目は・・・なんと、そこにはこれまでの
手袋に加えて、なぜか運動靴が1足ありました。
今回も、前回も、前々回も、上の方に自転車が写っています。
シェアサイクルサービスのダイチャリの自転車です。
だからでしょうか。もしかして、自転車を借りるとき、
靴を脱いで自転車の乗っていったとか。

そういえば、実際の話として、明治5年に
新橋と横浜の間に、鉄道が開通したとき、
ホームには、草履や下駄がたくさん残っていたようで。
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1132411325

すみません。忘れていました。
1月9日(金)の朝8時35分にかけての富士山です。
この日は、今年初めて、通院している大宮の漢方医に行く日で
予約の関係で朝早くの岩槻駅となりました。
じつは、1月10日にアップしたのが
風の強い8日の夕方の富士山でした。
なもので、9日は風の強い次の日の朝ということで
たぶん、きれいに見ることはできるだろうと予測していました。
その通り、くっきりはっきりの富士山となりました。
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はじめは、1月6日
「ドキュメントもの」のなかに入れていました。
でも、あれも、これもになってしまう感じがして、
さらに、そのことも、長くなりそうだったもので、
実際、長くなりましたが、その部分を外しました。
で、今回は、その部分の宮勤について。

宮勤を扱ったものは、
1989年12月の『君は宮勤をどう見るか』
90年1月の『密室』
91年2月の『今田勇子 vs. 警察』
98年12月の宮の手記『夢のなか』
2001年6月の『宮勤事件 塗り潰されたシナリオ』など、
出て早々に読みました。
なかでも89年12月の
『Mの世代 ぼくらとミヤザキ君』はすごかっです。
宮と同世代(宮は62年生で、執筆者9人のうち5人が
私と同じ1961年生)
のいとうせいこう、大泉実成、香山リカ、
手塚眞、横内謙介、矢崎葉子、山崎浩一が執筆しています。
さらに、大塚英志と中森明夫の対談がありますが、
この対談がタダモノではありません。
(85頁) と後 (83頁) にわかれた2つの対談で、
まん中に位置する7人の文章 (75頁) より多い、
全体の3分の2以上を占めます。
読み応え絶大ですが、そのなかで大塚は、
M君と「シンクロ」したと言っていました。

そんな宮には投影し、共鳴し得る部分がありました。
生い立ちや家庭環境は違います。百人いれば百人が違うでしょう。
でも、同世代として生まれ育ったならば、見るもの、聞くもの、
テレビや漫画など、その時々のメディアによる外的要因は、
ときとして重なります。
東京オリンピックの直前、たまたま同世代として生まれた前後と、
テレビ放送の開始時期、また週刊漫画雑誌や、
総合週刊誌の初期の創刊時期が重なりました。
そんなメディアの申し子世代として、同じ恩恵を受ける
バックグラウンドがあり、同じ境遇になるのです。
そう、まさに中森との対談で大塚が言った、
宮との「シンクロ」そのものがあり(!?)
とても興味深く読んだものでした。

と。じつは、先日の「ドキュメントもの」のときに書いた4冊
からの流れで『Mの世代 ほくらとミヤザキ君』を読み直しました。
そのことに関しては、また改めて書きたいと思います。

宮勤幼女連続誘拐殺人事件
事件は1988年から89年にかけて4件起き、
1962年生まれの宮は26、7歳でした。
2006年2月に死刑の判決が確定し、
2008年6月に45歳で死刑が執行されました。
すると、宮関連の本を読んだ90年前後といったら、
わたし的には事件が起きて間もなくの30歳前後。
いまから35年前、死刑執行は17年前になります。
11317

はじめ、分かりませんでした。
たとえば北半球と南半球ならば、
横方向に回転する地球表面の真ん中に延びる赤道を境に、
北側(北半球)と、南側(南半球)に分けることができます。
でも、東半球、西半球って、あまり聞き慣れません。
回転する方向に、ふたつに分けるとなると、
どこかに、北極から南極まで伸びる
基準となる縦線(子午線・経線)を設ける必要があります。
それがどこになるのでしょうか。
何を基準に右と左に分けるのでしょうか。

そこで、いろいろ調べたら、
イギリスのグリニッジ天文台がある、
経度0度0分0秒の本初子午線を基準として、
ちょうど裏側になる反対側の180度経線までを
東半球と西半球の2つに分けているとか。
すると、グリニッジの天文台があるイギリス、
ヨーロッパから
東側のアフリカ大陸ユーラシア大陸
オーストラリア大陸が東半球となり、
西側の南北アメリカ大陸
グリーンランドが西半球になるようで。
日本は、ユーラシア大陸の端っこにあり
東半球に入ります。

ならば、北半球と南半球は季節が逆になりますが、
東半球と西半球で変わるところってあるのでしょうか?
あっ、時差は生じますが、それを答えとしていいのか
わかりませんが・・・。

実際の高校時代の地図帳ではありませんが、
平成3年(1991)発行の『高等社会科地図』です。
11318

1月6日の午後、
ひさしぶりに岩槻駅西口の新刊書店へ。
最近は、なかなか読みたい本が新刊書店になく、
というか、欲する本がいち時代前のものばかりで
書店に行っても在庫がなく、系列他店にもありません。
さらに調べてもらうと、そもそもの出版社に在庫がなく、
再版未定で絶版扱いというハズレばかり。
なもので、ほぼ、BOOKOFFのオンラインストアで予約し、
いつやってくるか分からない在庫を待ってポチるか、
市外の図書館から、相互貸借でやってくるのを待つか、
そんな感じの日々を送っていました。
今回も、もしかしてあるかな、多分ないだろうなと
半分あきらめながら、2点ばかり調べてもらいました。
  2点ともにBOOKOFFで予約しています。
  ほかに、1点は市内与野図書館所蔵のもの、もう1点は、
  相互貸借で新座市立図書館所蔵のものが手元にあります。

すると1点(2018.7刊)は、倉庫に在庫があり2、3日で、
もう1点(2012.5刊)は、出版社に在庫があり10日ほどで
届くとのこと。早速注文をしました。
なんと近々、ひさしぶりに新刊書店で本を買います。
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1月8日、
さいたま市の日没時間は16時44分でした。
その直前、夕方16時33分から34分にかけて。
見ることができました。

この日の最低気温は-4.7度、最高気温は10.5度
最大風速は北北西11.7メートル、最大瞬間風速は北16.9メートルで、
平均風速は3.8メートル、最多風向きは北北西でした。
そんな北向きの風がものすごいなか、
近くに雲もなく、西の空は橙色をしています。
ちょうど、東口のワッツ西館と、東館が外装工事をしていて
薄い幕が建物全体をおおっていますが、西館3階にある
岩槻駅東口図書館の窓が、橙色に染まっています。
もしかして、これは見ることができるかもしれない!と
岩槻駅改札口がある、高架自由通路への階段をかけあがりました。

上空に雲があり、そんなに、くっきり・はっきりでは
ありませんでしたが、輪郭はつかめました。
ホームへおりる階段が邪魔していますが
向こう側には、沈む10分前の夕陽が見えているのでしょう。
左側の建物にも反射しています。

まるで、『ウルトラセブン』の第8話「狙われた街」の背景みたいです。
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12月27日にお話した岩槻図書館の前の通り、
江戸時代の通称裏小路の美装化工事が進んでいました。
ついに、スタンプロード(アスファルト型押工法)での
石畳風舗装へ向けての工事が始まったのです。
前回と同じように、道を二分して
半分ずつ、スタンプを押し付けていました。

向かいの大きな茶色い建物が岩槻図書館です。
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去年の12月9日に書いた、とり・みきの漫画に続いて、
ゆうきまさみの記念ムック本2冊を読みました。
最初の発行から、かなり時間が過ぎましたが、
・ゆうきまさみの開業30周年記念『ゆうきまさみ年代記』
(小学館/2010年12月/352頁)と、
・デビュー35周年記念『文藝別冊 KAWADE夢ムック ゆうきまさみ』
(河出書房新社/2015年6月/215頁)です。
それぞれ15年越しの30周年と、10年越しの35周年となります。

それでも、去年の9月4日に、
ゆうきまさみの「究極超人あ〜る」
『週刊スピリッツ』に掲載されたことを書きました。
このときは、画業45周年
「究極超人あ〜る」40周年の記念読み切りでした。
今回のムック本は、45周年以前の
30周年と、35周年の記念刊行になります。
今回の2冊で、むかし「究極超人あ〜る」
「機動警察パトレイバー」を読んでいた頃のこと、
完全に当時の「ゆうきまさみワールド」に引き戻されました。

まずは、30周年『ゆうきまさみ年代記』から・・・。
デビューからムック本発行までを6章に分けています。
(胎動期、黎明期、躍動期1、躍動期2、新生期、飛翔期)
ゆうきまさみが連載をしている「サンデー」「スピリッツ」系
の発行元、小学館ならではということになりましょうか。

胎動期には
「st.ミカエル号の受難」「CONTACT」
「アッセンブル・インサート」
/解説
 ゆうきまさみVS高橋留美子 対談
黎明期には
「きまぐれサイキック」「❤LYBLOOD」/解説
 ゆうきまさみVS新谷かおるの対談
躍動期1には
「鉄腕バーディー」(THE ORIGINAL)
「究極超人あ〜る」
/解説
 ゆうきまさみVS小松左京 対談
・高田明美 寄稿
躍動期2には
「機動警察パトレイバー」「裸の博士放浪記」/解説
 ゆうきまさみVS荒俣宏 対談
新生期には
「じゃじゃ馬グルーミン★UP!」「パンゲアの娘KUNIE」
「鉄腕バーディー」
(ヤングサンデー版)/解説
 ゆうきまさみVSとり・みき 対談
飛翔期には
「鉄腕バーディーEVOLUTION」/解説
 ゆうきまさみVS庵野秀明 対談
30周年記念特別書き下ろし「究極超人あ〜るEVOLUTION」
・出渕裕 生涯の友が語る、ゆうきまさみの30年

また、35周年
『文藝別冊 KAWADE夢ムック ゆうきまさみ』は、
かなりマニアックにまとめています。
河出書房新社の『文藝別冊KAWADE夢ムック』のシリーズは、
洋の東西を問わず、いろんな人物に焦点をあてています。
作家、音楽家、俳優、落語家、スポーツ選手、歴史上の人物など
多方面にわたる著名人が挙げられ、
漫画家では、いしいひさいち、弘兼憲史、ちばてつや、
萩尾望都、吾妻ひでお・・・などがいるようです。
今回の「ゆうきまさみ」は、そのなかの1冊となります。

[巻頭カラー口絵]
 究極超人あ〜る じゃじゃ馬グルーミン★UP!
 機動警察パトレイバー 鉄腕バーディー
[3万字ロングインタビュー]・・・
[コミック]
 1分でわかるゆうきまさみ
 SHIGEKI ほ・し・い?
 無益超人どコンジョー3

[特別寄稿]
 高橋留美子 安野モヨコ 藤田和日郎 とり・みき 出渕裕
 高田明美 こざき亜衣 松浦だるま 吉田戦車
[スペシャルインタビュー]片桐仁
[スペシャル鼎談]
 羽海野チカ×荒川弘×ゆうきまさみ
 とまとあき×川村万梨阿×ゆうきまさみ
[仕事場訪問]ゆうきまさみの秘密基地
[エッセイ]
 小川一水 森博嗣 京極夏彦 前田司郎
[ネーム公開]「白暮のクロニクル」丸ごと1話分+α
[評論&解説]・・・
 藤津亮太 南信長(脇キャラ名鑑45人)
[主要作品解説]14作品
[年譜]・・・
[作品リスト]・・・
[単行本リスト]・・・

収録漫画の数は、30周年の14作に対して、
35周年の3作収録と、その差は歴然です。
ただ、35周年には、34頁に及ぶ3万字ロングインタビューがあり、
ほかにも9人の特別寄稿、鼎談2本、エッセイ4本、
また、巻末には年譜とリストがあります。
30周年の漫画重視と、35周年の文章重視という
編集の違いによりましょうか。
それでも、30周年にも、文章はあります。
デビューから記念誌発行当時までを6章に分けたなかに、
解説6本、対談6本を収めています。
また、数少ない35周年の漫画のひとつとして、幻の同人誌掲載作品
「無益超人どコンジョー3」が収められています。
30周年35周年の2冊で、ひとつの
完全な「ゆうきまさみワールド」となりましょうか。

これまで、ムック本は『別冊宝島』や
『別冊太陽』『別冊SFイズム』などを見てきましたが、
そのほとんどが抜き出して読む感じて、
隅から隅まで丸々読むのは、初めてかもしれません。
当時、ゆうきまさみに関しては、それほど
のめり込んだ訳ではなかったと思います。
単行本で「究極超人あ〜る」「機動警察パトレイバー」
長編ものを全て初版で揃え、少しの短編集を読んだくらいで、
「パトレイバー」のテレビアニメは見ましたが、映画や
OVA(Original Video Animation)は見ていません。

「究極超人あ〜る」「機動警察パトレイバー」以降の長編として
「じゃじゃ馬グルーミン★UP!」「鉄腕バーディー」のほか、
現在連載中の作品もあるようですが、
いまは、短編集を読んでみたい感じです。
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1月6日の13時55分、今年はじめての富士山です。
東武野田線の岩槻駅、東口と西口を結ぶ高架自由通路の
東口寄り大宮方の大窓から望んでいます。
去年の12月13日以来の24日ぶり、
新しい岩槻に住んで16回目となる富士山です。
一富士 二鷹 三茄子の、富士山です。
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正月があけてのアンパンマンから
輪飾り、田作り、御幣、初詣でと続きましたが、
ここで、思いきり現実の世界に戻ります。


唐突ですが・・・、
ドキュメントものに興味をもったのは、
20代のはじめ頃だったでしょうか。
SF小説や漫画とあわせて、ドキュメントものと、
ドキュメンタリー・ノベル(いまはノンフィクション・ノベルとか、
ノンフィクション小説というようです)
にハマりました。

ドキュメントものや、ドキュメンタリーノベルでは
普段の日常生活のヒトコマであるのに、
現実からかけ離れた、考えられないことが起きます。
そこには、小説や、テレビドラマでしか見たことのない場面、
聞いたことのない言葉の数々が、行間からあふれます。
それでも事実で、本当に起こったことなのです。
事件や事故、災害の情報は
それが起きたとき、また、変化や進展があったときに、
テレビや新聞、ネットのニュースで情報を得るくらいです。
でも、そのことに特化した本を読むことで、
より深く当事者、現場に近づくことになります。
手紙や手記、面会、インタビューなどで、
登場人物の本心を知ることになります。

ドキュメントものでは
「惨殺!昭和十三年津山三十人殺しの真相」や
「桶川ストーカー殺人事件」「金属バット殺人事件」
「死刑囚 永山則夫」「生きてみたい、もう一度 新宿バス放火事件」
「ドキュメント新聞記者 三菱銀行事件の42時間」
「神戸新聞の100日」「河北新報のいちばん長い日」など。
また、ドキュメンタリーノベルでは「丑三つの村」
「凶弾 瀬戸内シージャック」「復讐するは我にあり」
「海燕ジョーの奇跡」や、佐木隆三、吉村昭の諸作品を読みました。
さらに、ドキュメントものは興味が続き、
60年安保(樺美智子死亡事件)や、70年安保(羽田闘争、東大紛争)
あさま山荘、勝田清孝連続殺人事件、日航機123便墜落事故、
宮勤幼女連続誘拐殺人事件、松本サリン事件、地下鉄サリン事件、
少年A神戸連続児童殺傷事件、東日本大震災などの事件や事故、
災害をはじめ高山文彦、森達也らの諸作品を読みハマりました。
ときとして、猪野健治のヤクザものもあります。

これまでブログでは、日航機123便の墜落事故や、
東日本大震災の災害、宮崎勤の事件、少年Aの事件、
またヤクザ関連の本など、それぞれが、ある程度
まとまって読み終わったあたりで、書いてきました。
でも、ここまで幅を広げて振り返るのは、
初めてかもしれません。

そしていま、去年くらいから再燃しました。
和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚長男が綴った
『もう逃げない いままで黙っていた「家族」のこと』から、
月刊誌『創』編集部がまとめた『死刑囚と家族になるということ』
少し間をあけて『酒鬼薔薇聖斗は更生したのか』
『増補版 ドキュメント死刑囚』を読み終えました。

『増補版 ドキュメント死刑囚』は、月刊『創』の
編集長によるもので、5つの事件を扱っていました。
・宮勤の「幼女連続殺害事件」
・小林薫の「奈良女児殺害事件」
・宅間守の「附属池田小事件」
・金川真大の「土浦無差別殺傷事件」
・林眞須美の「和歌山カレー事件」

直近で読売新聞水戸支局取材班による
『死刑のための殺人 土浦連続通り魔事件・死刑囚の記録』読みました。
2008年3月、JR常磐線の荒川沖駅構内で、殺傷事件がありました。
事件は当時のニュースで知り、そこで情報は途切れながらも、
事件があった事実だけは頭に残っていました。
それが今回、事件のあらましから死刑、
その後までの流れを知ることができました。
当時、ニュースを見て、ちょこっと知っただけでしたが、
この事件が大きな問題をはらんでいたとは知る由もなく
いまになって、その重大さを思い知らされました。
取材班は金川と37回もの面会をしたといいます。
なんと、犯人は死刑になりたいがために人を殺したというのです。
文章をまとめた取材班の、心の揺らぎが読み取れます。

弁護士は訴えます。「こういう死を選ぶ人に、望んだまま死刑を与えたら、果たして日本の刑罰は機能するのか。死を望まない、ということを前提として死刑制度があるわけで、死を望んでいる人には死刑は機能しない。彼に望むままに死刑を与えたら、英雄視される可能性がある」
また、「次の『死刑のための殺人』が起きるのを防ぐ観点からも、死刑を回避すべきだと訴えた」とも訴えます。
しかし、死刑は執行されました。
なににしても、いまの世の中は司法の判断に委ねられます。
司法としては死刑を下すしかなかったでしょう。
死刑執行後、ひりの弁護士は「金川君に死刑判決を与えたこと、及び、これほど早く死刑を執行したことは国家の刑事政策全体として誤りだったと思っています。彼は死刑になってもいいと思って犯罪を犯したのではなく、死刑になるためだけに犯罪を犯したのです。その彼を死刑にすることは、刑務所で生活したくて犯罪を犯した人を刑務所に入れるのと同じであり、ひょっとしたら、金が欲しくて強盗をした人に罰として金を与えているのと同じであるとさえ言えるかもしれません」
もうひとりの弁護士は「彼は死ぬためだけに死刑制度を利用した。だから、死刑というご褒美を与えてはいけなかったんだ」と死刑の執行を批判しました。


家から岩槻駅西口までの間に、
八幡宮があるのは知っていました。
その八幡宮のとなりには酒蔵資料館があり、
道を隔てて、県の指定文化財(史跡)「岩槻藩遷喬館」、
通院中の歯科医、岩槻図書館が、かたまってあります。
じつは、あともうひとつ、町の神社を見つけました。

初めて足を運び、お参りしてきました。
享保3年(1718)から、岩槻城下
新曲輪町の城山に祀られていた御神体の石祠を
明治22年(1889)5月、現在地(旧林道町)
新築した社殿に遷宮したものだとか。

今年の初詣では、
大宮の氷川神社でも、岩槻の線路の向こうにある
久伊豆神社でもなく、町の小さな住吉さんです。
誰もいないような、昔からのの鎮守さんを大事にしたいです。
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はじめてそれを目にしたのは、いまから11年前、
長崎から、さいたま市の大宮に移って5回目の正月、
2015年1月のことでした。
はじめは何のことかさっぱり分かりませんでしたが、
見つけて数日後、区役所のくらし応援室で
年配の職員さんに教えていただきました。

その後、岩槻駅の西口側に引っ越しをして
2年後の2019年1月にも見つけました。
さらに2023年1月にも見つけました。
そして、2024年5月に千葉市の稲毛海岸に引っ越し、
同じ年の10月に、さいたま市の大宮植竹に移りましたが、
年末年始を過ごした大宮植竹では見つけきれませんでした。
2025年1月末に岩槻駅の東口側に戻ってきました。
それから1年、2026年が明けて早々の1月2日。
またまた、見つけました。

御幣です。
地域により、いろいろな用途に使われるようですが、
住んでいる岩槻のあたりでは、むかしからの習わしで、
大晦日に年越しそばを食べたあと、
小さな御幣で家族のお祓いをし、1年の厄を落とすのだそうで。
その御幣を四つ辻にさし、そのまま自然に消滅させるのだとか。
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おせち料理をのせた皿に、ひとつだけ残りました。
田作りのカタクチイワシの稚魚(ごまめ)の頭です。
田作りのいわれとしては、五穀豊穣子孫繁栄があるとか。

あっ、魚の頭だからといって、たくさんあったのを数えた
わけではなく、たまたま、ひとつだけ残ったのです。
大きさ的には、これまで数えてきたいりこの頭より小さいです。
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「輪飾り」は、しめ縄の簡略版で、
稲藁を縄状に綯(な)いて、輪にしたもの。
魔除けや邪気払い、五穀豊穣、家庭円満を願って、玄関や台所、
井戸の蛇口、商売道具、火や水を使う場所などに飾り、
年神様を迎えるための神聖な結界を示す役割があるとか。

そんな正月の輪飾りです・・・。
では、ありません。
電線が途中で「輪」を作っていました。
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ごちゃごちゃして輪の形が分かりにくいですが、
家の輪飾りには「ナンテン」がついています。
ナンテンはクリスマスでも、年末年始の飾りつけにも使えます。
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あけましておめでとうございます。
昨年中は、たいへんお世話になりありがとうございました。
今年も毎日、お付き合いのほど、よろしくお願いいたします。



ところで、いま、
欠かさず見ているアニメのひとつに
BS日テレの『それゆけ!アンパンマンくらぶ』
(毎週月曜〜金曜、朝8:30〜9:00)があります。

じつは、この「アンパンマン」は、
年末年始の休みも関係なく、番組改編の特番や
正月番組に変わることもなく、大晦日も元日も放映しています。
なもので、正月だからといって、見逃すわけにはいきません。

この「アンパンマン」は再放送ですが、
初回放送を組み直しているようです。
それでも、内容は、あるていど時期にあわせています。
冬になるこの時期、雪の話が多くなります。
キャラクターに、ゆきおにゆきおおかみ
ゆきんこゆきちゃんユキダルマンだいユッキーがいます。
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いま、南浦和の宮内家のOMで
「竹田の子守唄・元唄」をうたっています。
そのむかし、フォーク・グループの赤い鳥がうたい、
一世を風靡した、誰もが知る「竹田の子守唄」の元唄ですが、
元唄といっても、赤い鳥の「竹田の子守唄」の元唄ではありません。
(あれっ? ということは・・・)

1964年に音楽家の多泉和人は、東京芸術劇場の舞台
「橋のない川」の劇音楽を作曲することになりましたが
舞台にふさわしい音楽がどのようなものか悩みます。
多泉はその人たちの生活の中に入り
たまたま、京都竹田地区のおばあさんから、
20ばかりの歌を聞くことができ、そのうちの1曲を選びました。
その音楽は好評で、多泉は竹田地区の合唱団のために楽譜に起こし、
それを聞いた大塚孝彦と高田恭子が、ギター伴奏でうたい、
さらに、それを聞いた後藤悦治郎が赤い鳥でうたうようになります。
赤い鳥の「竹田の子守唄」の誕生です。

その赤い鳥の「竹田の子守唄」とは別に、
多泉がお婆さんから聞いた「竹田の子守唄」よりも
古い時代の「竹田の子守唄」があったのです。
それが、私がうたう「どしたいこうりゃきこえたか」の
リフがついた「竹田の子守唄・元唄」となります。
「竹田の子守唄・元唄」の「元唄」というのは、
「どしたいこうりゃきこえたか」が付く「竹田の子守唄」よりも、
さらに古い「竹田の子守唄」が、あったのかもしれないけど、
現時点で、それ以前の「竹田の子守唄」をうたう人はおらず、
見つかっていないということ。
そういう意味で、「どしたいこうりゃきこえたか」の
「竹田の子守唄」を「竹田の子守唄・元唄」としているのです。

その「竹田の子守唄・元唄」の
14番まである歌詞のなかにありました。

 見ても見あきぬ お月とお日と
 立てた鏡と わが親と
 どしたいこうりゃきこえたか


最初の「お月とお日と」の
「月」は「つき」と読むでしょう。
でも、「日」をなんて読ませるのか分かりませんでした。
赤い鳥の「竹田の子守唄」に、この歌詞はありません。
橋本正樹の自費出版版『竹田の子守唄』にもありません。
たぶん、字足らずながら「ひ」と読むのだろうと、
半信半疑ながら「ひ」でうたってきました。

その答えを、藤田正の『竹田の子守唄』(4頁)に見つけました。
昭和四十年(一九六五)〈三月三十日、部落解放同盟が京都会館で開いた「部落解放第十回全国婦人集会」の記念文化祭で、竹田の青年コーラス隊が地元の子守唄を披露した。解放同盟の機関紙「解放新聞」では、婦人集会の成果を報じるとともに「子守歌 京都市竹田部落の民謡 大宗知人編曲」として、その歌詞と楽譜が紹介されている。(一九六五年四月十五日付)。歌詞は次のように三番まであった〉。

もりも いやがる ぼんから さきにゃ
 ゆきもちらつく 子もなくし
みても みやかぬ お月と おひと 
 たてたかがみと わかわやと
はよも いきたい この在所こえて
 むこうにみえる おやのうち
  〈原文どおり/みやかぬ=見飽きぬ、わかわや=わが親〉


二番目の歌詞のなかに、
まさに私が読めなかった歌詞がありました。
たまたま「月」が漢字で、「日」が平仮名で表記されています。
ほかでみる漢字の「日」が平仮名表記されていたのです。
「日」は「ひ」で、あっていたのです。

続けてありました。
〈「解放新聞」の紙面では「竹田の子守唄」という名前は使われていない〉
当時、まだタイトルはなく、
単に「地方民謡」としていました。
のちに「竹田地方」でうたわれた子守唄として、
「竹田の子守唄」のタイトルが付くのです。
もし、多泉が違う地区で、この唄を聞いていたら、
その地区の名が冠に付き、別のタイトルになっていたといいます。
また、新聞記事の
〈(「大宗知人」は「多泉和人」の誤植)〉(7頁)
ともしてあり、お婆さんから20ばかりの唄を聞き、
舞台「橋のない川」の劇中音楽を作った多泉のことです。

〈見ても見あきぬ お月とお日と〉
「日」は「ひ」でよかったのです。
これで不安がることなく、堂々とうたうことができます。
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これまで、
何回かカーブミラーを撮ってきましたが、
初めてそれなりに、影と鏡の反射光が、
はっきり分かる四角い影を捕らえました。
後方に岩槻図書館がある裏小路です。
それにしても「418」が謎です。
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今年の「秋冬」で3回、
10月30日11月6日11月21日に見つけました。
それ以来となる12月下旬。
今回から、タイトルは「冬」となりますが、
通し回数は「秋冬」からの数を
増やしていきたいと思います。

下の写真は、ときに12月26日の10時48分。
左側の建物はコンビニエンスストアになります。
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