次回の宮内家OMは1月7日 (日) 、 128回エントリーの予定です。

12月3日は宮内家のOMに参加しました。
127回目のエントリーは、大正演歌を含んだ3曲です。
ふだん、宮内家で明治大正時代の演歌をするときは、
いつも2曲に絞っていますが、今回の大正演歌2曲は曲が同じで、
詞のコンセプトも同じ、ともに10節ありながらも3分弱と短く。
そう、今年3月5日の「船頭小唄」の替え歌4曲と同じ感じです。
そこで、1曲オリジナルをはさみました。

そのオリジナルは、なんとこの12月にして
宮内家、初めてのお披露目となる「枕元のパンツ」
なんとなんと、今年になってまだ1回も「パンツ」
していなかったのです。
振り返ると今年の宮内家では、明治大正時代の演歌が増え、
あとは昔のオリジナルを初披露したり・・・。
「パンツ」は、大宮のCHOUZIや、柏のOverjoyedでは
うたっていたから、したつもりでいたのが勘違いのもとでした。
それにしても、今年最後の12月にして、初となる「パンツ」
なもので、今年最初で最後の「パンツ」は熱がこもりました。

そして、「パンツ」をはさんだ演歌は、
大正5年(1916)に添田啞蟬坊が作った・・・。
なぜかタイトルがたくさんあります。
同じ曲なのに、資料を見るごとにタイトルが違い、
これまで見てきたなかには「どこいとやせぬカマヤセヌ節」
「どこいとやせぬカマヤセヌ」「お前とならば何處までも」
「どこいとやせぬ」「いとやせぬ節」「どこまでも節」
と、
6つありました。
手元にある『添田啞蟬坊・知道著作集』を
開いただけでも4種類あります。
「どこいとやせぬカマヤセヌ節」
  (添田知道著『演歌の明治大正史』166ページ・
    索引では「どこいとやせぬ」
「お前とならば何處までも」
  (添田啞蟬坊著『流行歌・明治大正史』287ページ)
「どこいとやせぬカマヤセヌ」
  (添田知道著『流行り唄五十年』132ページ)
なぜか、索引と本文で違ったり、
なにが本当のタイトルか分かりません。
もしかして、まだまだ、もっとたくさんあるかもしれません。
それでいて、歌詞も2種類あり、1曲は「日常」を、
もう1曲は「世界漫遊」をうたっています。

近いところで動画をアップします。

あっ、ちなみに2023年は、11回エントリー全30曲のうち、
明治大正時代の演歌・流行歌は18曲となりました。
さらに総計として、「藤城かおるちゃんねる」全41曲アップのうち
明治大正時代の演歌・流行歌は27曲となりました。
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岩槻駅の高架自由通路
東口寄り大宮方の窓から見る富士山は、
11月30日(木)の10時17分(上2枚)と
16時09分(下2枚)です。
今回は昼間でも輪郭をはっきり見ることができました。
また、夕方、頂上の方は雲に隠れましたが
裾の方は右も左も確認できます。
3枚目、大宮ソニックシティビルの向こうに
珍しく二重の山並みが確認できました。
4枚目、右側の駅構内からホームに降りる階段の向こう
沈む寸前の太陽でしょうか、空が白くなっていました。
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11月29日、10時04分のツワブキです。
24日よりも咲き誇っていました。

3年前の2020年10月24日に、
堀直子のもとに花の鉢植えが届いたお話を書きました。
そのあと何回か書いて、最近では今年の8月24日
青紫色のベロニカが咲いたお話を書きました。
そして今回、11月29日の10時06分、
さらに花が咲いているのに気づきました。
紅というか赤紫というか、
1センチに満たない6、7ミリくらいの花です。
届いたときの、ペチュニア、千紅花火、ソラナム、
ラントネッティ、プチダリア、ストックベイビー、
ベロニカの7種類のうちのどれかでしょうか。
調べると千紅花火(せんこうはなび)
いちばん近い感じです。
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いつもの岩槻駅の高架自由通路
東口寄り大宮方の窓から見る富士山は、
11月29日(水)の10時20分(上2枚)と
16時21分(下2枚)です。
10時20分の富士山は12月1日にアップした
11月23日や27日よりは見えるかと思います。
山の輪郭や、頂上にむけての雪の白が確認できます。

また、これは以前からかもしれませんが
昼間より、夕暮れ時の方が、すっきり、くっきり
輪郭を抑えることができるような気がします。
もちろん、夕暮れ時は地肌を見ることはできません。
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緊急割り込みアップです。
12月1日の10時半過ぎ、
いつものように、家から岩槻駅の自由通路をまたいで
東口におりたとき、ちょうど柏発大宮行きの普通電車が
岩槻駅のホームに入ってくるのに出会いました。
と、あれっ!! なんでなんでなんで!?
なんと旧塗装で・・・。
それに後部を見ると、いまはなき8000系の様相。
な、な、な、なんと!!!!?
イベント用か団体専用の、特別車両でしょうか?
すかさず、人形の階段を駆け上りました。
いつも富士山を撮る東口寄り大宮方の窓にスタンバイ。
でも、なかなか電車が来ません。
もう行ってしまったのでしょうか。
それにしては早すぎます。
ちょっと間があり駅を発車、少しずつ見えてきました。
ちょうどホーム屋根と架線支柱の間に
最後尾を捉えることができました。
表示幕を見ると「大宮」行き「普通電車」となっています。
ということは、定期運行のスジに組み込まれているようです。

東武鉄道の8000系車両、
それもリニューアルする前の原型8000系といえば、
東京を離れる前、東上線沿線に住んでいたときに
ふつうに乗っていました。
でも、長崎から大宮に戻ったとき、
野田線にその姿はありませんでした。
それ以来となります。
今回、偶然に見た8000系8111編成の
旧塗装が定期運行を始めたのは11月1日だとか。
1か月過ぎているのに見たのは初めて。
ぜんぜん知りませんでした。

東武8000系は712両が製造され、
車体長20mで4ドア通勤型という車体形状や、製造期間、
大量製造など共通点の多い国鉄103系になぞらえ
「私鉄の103系」といわれたこともありました。
そんな8000系の1編成、8111編成は
1963年に4両編成でデビューし、東上線に配属、
のち6両編成となって2011年まで頑張りました。
そう、今年でちょうど60年となる長老です。
2011年の引退後、廃車を免れた8111編成は、
東武博物館所有で動態保存となったのち、
伊勢崎線系統の南栗橋に移籍、イベント列車や団体列車、
車両基地公開などで姿を見せました。
8000系は、ほとんどの編成に修繕工事が施され、
いま、デビュー当時の顔(丸目・東武顔)に近いスタイルを
保持しているのは、この8111編成だけだとか。
そんな還暦を迎えた動態保存車の8111編成が、あろうことか
野田線の七光台の配属となり、6号車の女性専用車ステッカー、
号車ステッカーや、4号車の弱冷房化など、細かいところで
現行運用に合うべく改良され、今回、大宮・柏間の各駅停車を
中心とした定期運用に返り咲いたのです。

写真を見るとヘッドマークがついています。
「東武鉄道杯 少年野球大会 メモリアルトレイン」とありました。
運用復活の記念掲示ではなく、自社の宣伝でした。

機会があったら、ちゃんと見たいです。
機会があったら、また乗りたいです。

東口におりたところ。最後尾が横から見えます。
自転車を乗り越え、金網にしがみつけばよかったです。
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この夏は、猛暑が続いたせいか、
それほど蚊の発生率も多くはなかったようで
特別、かゆくなったという記憶もありません。
それでも、「いるな」と思ったとき
また、刺されたときは点けていました。
11月13日に書いたときは、まだまだ現役でした。
でも、寒さが増してきた11月29日の夜、ついに片づけました。
写真は、片づける直前の雄姿です。
ずっと頑張ってくれた、灰の山とマッチ棒の山です。
皿はきれいに洗いましたが、とれない汚れもあり
もう食材は載りません。
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すみません。
ちょっと目を離したすきに、また増えてしまいました。

いつもの岩槻駅高架自由通路の東口寄りにある
大きな窓から大宮方を望んでいます。
11月23日(木)10時42分(上2枚)
11月25日(土)14時04分から05分にかけて(3枚)
11月27日(月)10時29分から30分にかけて(下2枚)

11月23日と27日は、ものすごく見づらいですが
よく目を凝らすと頂上付近に積もる雪が薄っすら確認できます。
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といっても、アメリカのトーマス・M ・ディッシュが
1980年に発表したSF『いさましいちびのトースター』の
話ではありません。

ずっと使ってきたナショナルの
オーブントースター(NT-T57)があります。
2004年3月発売で、たぶんその2、3年、
3、4年くらいのうちに購入したと思います。
先日、そのトースターの電源が入らなくなりました。
長年使ってきて、壊れてしまったのでしょうか。
次の日には電源が入りました。
以降、電源はたまに切れるものの、
なだめなだめしながら、どうにか使ってきました。
それにしても、もうそろそろ寿命かもしれません。

新しいトースターがやって来ました。
これまでの、ダイヤルが2つと、ボタンが2つありました。
温度とタイマー、あと電源とスタートです。
電源を入れてからのスタートとなり、2段階で安全です。
でも、今度はダイヤルが2つと、ボタンが1つしかありません。
温度とタイマーは同じですが、もうひとつは、
消費電力が1100Wと1300Wから選択できるボタンです。
あれっ、そうしたら電源ボタンはどこにあるのでしょうか。
もしかして、思い当たるふしがひとつありました。
そう、タイマーがスタートボタンにもなっているのです。
試しにタイマーのつまみをまわすと
上部2本と下部3本のヒーターが点りました。
ただ、10以下に設定するときは、
いちど11以上にまわしてから
合せないとヒーターがつきません。

これから先、新しいトースターには
頑張ってもらいたいです。
タイマーの時間を知らせるチンの音が
元気いっぱいです。
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訳は浅倉久志、イラスト・カットは漫画家の吾妻ひでおです。
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佐川光晴の『牛を屠る』に続いて、
内澤旬子の『世界屠畜紀行』を読みました。
じつは、少し前に読み終わり、
文章をまとめてからかなり過ぎました。
ライブの話や富士山の話などが立て込んでいたため
どんどんと、あとまわしになっていました。
『世界屠畜紀行』さん、ごめんなさい。

『牛を屠る』もすごかったですが、それ以上にビックリしました。
こういう話が、雑誌に連載され、単行本になり、文庫になるんだ、
という感じです。
表紙のタイトルを見て、はたして
どのくらいの人が手に取るでしょうか。

内容は、韓国、バリ島、エジプト、
イスラム世界、チェコ、モンゴル、東京、沖縄。
そして、インド、アメリカと各国、各地域の屠畜の現状、
現場を自身の目で見てまわったルポルタージュです。
各国、地域での牛、豚、羊、山羊の屠畜の
こと細かな行程が、イラストとともに示されます。
写真と違い、生々しくなく見ることができます。
たまに、「わっ」と思うイラストもありますが・・・。

それぞれの国や地域の
体制や法律、思想や文化、風習や習慣などが
絡み合い、ひとつ動物を屠る作業にしても複雑です。
特に、日本の作業行程に多くのページをさいていました。
本文全17章449ページ(終章含む)のうち、東京だけで
5章144ページと、全体の32パーセント、約3分の1を占めます。
 第八章「豚の屠畜 東京・芝浦屠場(とじよう)」53ページ
 第十章「豚の内臓・頭(カシラ) 東京・芝浦屠場」14ページ
 第十一章「革鞣(かわなめ)し 東京・墨田」16ページ
 第十三章「牛の屠畜 東京・芝浦屠場」46ページ
 第十四章「牛の内臓・頭(カシラ) 東京・芝浦屠場」15ページ

東京都中央卸売市場食肉市場内の芝浦屠場で、屠られる
豚や牛の屠畜から、内臓や頭の処理、さらには皮の鞣しまで、
それそれの作業行程の模様が記されています。
作業現場のイラストが、いち行程ずつ、
コマ漫画みたいに細かく描かれていました。

全体を通して、気になった文章を抜いてみます。

実は、ここ最近、気になっていることがある。この連載を読んでくださる方からよく「内澤さん、本当に全然平気なの?」と聞かれるのだ。なにがって、もちろん屠畜の現場を見ることだが、だ。ある程度は予想していたけれど、こんなに苦手な人が多いとは思わなかった。みなさん、好意的な読者だし、屠畜が大切な仕事だと(頭では)理解している。でも「怖い」し、「わざわざ見るものではない」……んだそうだ。
そう感じたことのない私の感覚は、そんなに人と違っているのだろうか。ちょっびり不安になる。
(143ページ)

食はかならず、他の生命の犠牲のうえに成り立っている。植物や動物を食べているのだから、多くの命を奪っていることになる。ただし、植物に対しては、(中略)血を流すことがないために、命を奪っているという感覚は発生しにくかったかもしれない。また、今日のわたしたちの食は、あたかも台所だけで成立しているかのように矮小化してとられがちであり、生命の犠牲を想定しにくくなっている。いつの時代もそしていかなる文化圏においても本来、食というものは多くの他の命を奪うことにほかならない。(145ページ)

動物を食べるために殺すことは残酷なことなんだろうか? なぜ多くの人がそれに対して「怖い」といった感覚を抱くんだろう? 動物をつぶして食べること――殺してその命を戴く行為――それじたいの価値をとらえ直していかなければいけないんじゃないかと。(147ページ)

屠畜に関する決まりごとは、国や地域で違い、
その時々の情勢で刻々と変わっていきます。
そんななかで切り取られた、いち時代のルポかもしれません。
それでも、肉が食されるかぎり作業は続きます。
過去には、こんなことをしていたんだと残って欲しい、
たくさんの人に読んで欲しいと思いました。
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11月23日の15時44分、
岩槻駅西口、いつもの東和銀行裏の空き地が
左後ろに広がる場所から、東の空を望んでいます。
影が長く、建物がオレンジ色に染まり
夕方が間近に迫っています。

秋の空には、うろこ雲、さば雲、いわし雲、
ひつじ雲とか、いろいろ名前がついた雲がある
ようですが、写真は、なに雲でしょうか?
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さいたま市の各区で
イメージアップを図っているのでしょうか。
それとも岩槻区だけでしょうか。
10月24日に、岩槻駅東口の春日部方階段の蹴込板が
人形の街・岩槻ならではの装いになったお話をしました。
さらに11月23日には、さいたま市の各区役所前のポストが
各区の特長を生かした、ラッピングが施されたお話をしました。

それにつながるものでしょうか。
写真は11月18日、11時16分から18分にかけて見つけました。
岩槻駅の高架自由通路の、東口側と西口側の突き当りにある
15枚組の縦長の大きな窓のうち、上部・中部の10枚を使って
区内の名所・旧跡がお目見えしました。
東口に向かって左側に八つ橋、右側に久伊豆神社遷喬館
西口側に岩槻城黒門時の鐘となっています。
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11月21日の17時04分、真っ暗になる寸前です。
1枚目、いつもの窓ガラスから、離れて撮ろうとすると、
外が暗く通路内が明るいため、背景がガラスに反射します。
それでも富士山の頂上が分かります。
偉大です。
ピントもあわせづらくなります。
2枚目は同じカットを8枚撮ってもあいませんでした。
ガラスに若い兄ちゃんが映りました。
どうやら、私が富士山を撮り終えるのを待っているようです。
もうすぐ暗くなります。
ゆずりました。
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11月24日、13時34分から38分にかけての
ホトトギスツワブキナンテンです。
ナンテンは、2020年11月25日に書きました。
「難を転ずる」に通じる縁起の良い木です。
実がなるのは11月から2月といわれていますが、
これからが見頃、緑の葉っぱに赤い実が映えます。
ツワブキといえば、去年の9月5日に書きましたが、
蛙が「鳥獣戯画」で、河童が「百鬼夜行」で
傘にしていそうな、大きく丸い葉をつけます。
そんな特徴ある葉に、可愛らしい黄色い花を咲かせます。
ホトトギスは、まだまだ、まだまだ頑張っています。
開花時期は8月〜9月、7月〜10月、8月〜10月などがありますが、
元気に咲き乱れ、まだまだ蕾もたくさんありました。
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まだ、富士山が続きそうなもので、
ほかのネタが、なかなかアップできず、
今回は、2日4回分をアップします。
11月19日の14時10分から12分にかけて (1・2・3)
11月20日の10時39分 (4・5)
 ・12時24分から25分にかけて (6・7・8)
 ・14時44分 (9・10) です。
気になるところでは、
 ・19日の3枚目 (3) 、縦位置の逆光の写真、
   下の方の真ん中にちゃんといます。
 ・20日の3枚とも (6・7・8)
   富士山の手前の小さな雲が浮いています。
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はじめ、それを見たのは11月14日
与野本町の南部建設事務所と、中浦和の鴻沼資料館
大宮の大宮図書館と、浦和の中央図書館の4か所をまわったとき、
南部建設事務所の向かいにある中央区役所前のポストと
大宮図書館と同居する大宮区役所前のポストでした。
ともに上部からの帽子をかぶったヌゥが顏をだしています。
帽子には「CHUO」「OMIYA」の文字があり、
ポストはラッピングが施されていました。
そして、16日には、ちょうど岩槻駅東口のロータリーにある
ポストをラッピングしているところを見かけ、
18日には除幕式が行われていました。
帽子には「IWATSUKI」の文字がありました。

ネットを開くとありました。
政令指定都市移行・区制施行20周年を記念したもので
ラッピングポストが各区にお披露目されるのだとか。
各区の特長を生かしたデザインになっているようです。
西区・北区・大宮区・見沼区・中央区・桜区・浦和区・南区・緑区・岩槻区
ほとんどが区役所前にあるポストのようですが
浦和と岩槻だけ駅東口ポストが対象になっていました。

お披露目は10月8日の浦和を皮切りに、17日の中央、
21日の桜、26日の西、11月11日の見沼、12日の大宮、
15日の緑、18日の岩槻、19日の南、22日の北と
全区のポストが様変わりしました。
たぶん、全ポストのコンプリートはできないでしょう。
いちおう3つだけかな。
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11月18日の11時18分、空は青く曇っています。
ほとんどみえませんが、唯一、左側の輪郭だけが
形を浮き彫りにさせて居ます(上)
同じ18日の13時56分、空は黄色くなりました。
雲に隠れた頂上付近を除いて、全体的に見ることができます。
かなり広い範囲に雪が積もったようで、地肌がまっ白です。
左側の一部分、やけに明るくなっている個所があります。
たぶん、雲の切れ間から太陽の光が注いでいるのかと思われます(下2枚)

ここまで1日おきが4回続きました。
また今後、冬に向かって
空気が澄んで、見える機会が多くなり
アップ回数も多くなりそうな予感です。
1日おきのアップは続くかもです。
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11月15日、大宮の大宮図書館と、浦和の中央図書館、
与野本町の南部建設事務所と、中浦和の鴻沼資料館を
まわる順番を、どうしようかというお話をしました。
じつは14日に、三角形を左回りに、与野本町から
中浦和、浦和、大宮とまわってきました。
南部建設事務所「高沼用水路 東縁・西縁」をいただき、
鴻沼資料館で4枚の大きなパネルを写真に収め、
浦和図書館で2006年の「来ぶらり通信」の創刊号をいただき、
大宮図書館「大宮市食肉中央卸売市場 昭和39年 年報」を複写しました。

さいたま市建設局土木部河川課発行の「高沼用水路 東縁・西縁」と
さいたま市立北浦和図書館発行の「来ぶらり通信」(上1枚)
鴻沼排水路に沿った遊歩道端に咲いていたのは、
たくさんのコスモスです(中3枚)
ちょっと見にくいですが、細いい遊歩道が続くだけなのに、
なぜか、白線が敷かれた跡がたくさんありました。
ちょうど排水路をまたぐ導水管が、地下から地上に
出るところで、そこを遊歩道が迂回していたのです(下2枚)
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11月16日(木)、10時35分。
いつもと同じ岩槻駅の高架自由通路、
東口寄り大宮方の窓から富士山を望んでいます。
かなり霞んでいて、ボケてもいるようですが、
下の方がくもっていて、頂上付近を見ることができます。
富士山は、ちゃんとそびえていました。

見えそうで見えない、見えなさそうで見える。
それが富士山です。
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11月15日は、大宮のCHOUZIにて
催された「Room P」に参加しました。
今回は3巡まであり、
 1巡目に「枕元のパンツ」「白痴美人」(ともにオリジナル)
 2巡目に「秋止符」(横山みゆき)
     「哀愁のページ」(南沙織)
 3巡目に「遠い海へ帰ろう」(オリジナル)
をうたいました。

その3巡目、
「遠い海へ帰ろう」をはじめようとしたとき、
ちらっと店のオーナーの成島さんと目が合いました。
成島さんは「そんなに望むなら、バックにつこうか」と、
ギターを持ち用意をはじめます。
なんと、成島さんがバックについてくれる。
これまで、いろんな人のバックで弾いている姿を見てきました。
そして、話をしたこともありました。
でも、実際、一度も合わせたことはなく、
即興の、ぶっつけ本番です。
それでも、成島さんを信じ、成島さんなら任せられると
「2カポのGで」とだけ伝えて、前奏をはじめました。
 (2カポのGということはオープンAとなります)
成島さんの音は、とても心地よかったです。
なにも作らず、なにも飾らず、自然に耳に入ってきました。
キーとなる「A・D・E」の3コードからの
派生音を滑らかにつま弾いています。
初めてとは思えない感じにまとまりました。
最後、うたい終わり、後奏も終え、成島さんを見ました。
エンディングに向けて弾いています。
そして、最後の1音だけを残して間が空きました。
瞬間、お店が静かに。
すかさず、6弦の2フレット目を押さえ親指で弾(はじ)きました。
途端、店が笑いの渦となりました。
成島さんが拍手します。
みんなが拍手しまた。
 (拍手まで動画あり)

2巡目1曲目の「秋止符」は
1979年9月に発売された、横山みゆきのデビューシングルです。
作詞・谷村新司、作曲・堀内孝雄の、あのアリスの「秋止符」です。
「秋止符」は、はじめ1979年6月発売の『アリスVII』に収録され、
9月に横山のデビューシングル、12月にアリスのシングルカットと、
シングルとしては、アリスより横山の方が先にリリースされました。
だからでしょうか。
「秋止符」は横山の歌で知りました。
個人的には、女性ボーカルの、しっとりした
「秋止符」が好きです。

「藤城かおる・ちゃんねる」



いつもと同じ、岩槻駅の高架自由通路、
東口寄りから大宮方を望んでいます。
11月14日、9時20分から21分にかけて(上4枚)、
この時期、初めてくっきり、はっきり見ることができました。
まばらですが、全体的に雪が降ったようです。
頂上付近のエスカレータを横から見たようなギコギコ
また、正面の糸で塗ったようなギコギコ
その横には縦に伸びるいく筋かの筋も見ることができました。

さらに、同じ日の夕方16時44分(下2枚)。
左右に雲が伸びていますが、輪郭が確認できました。

この日の最低気温は2.9度、
最高気温は18.1度と、気温差が15.2度もありました。
ちなみに、前回、見ることができた13日(今回の14日の前日)の
雲に隠れるなか、左の輪郭が見えたときの温度差は9.7度でした。
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11月11日の
宮内家のOMでの2曲をアップしました。
今回の2曲は、ともに初めての試みな感じです。
まずはOMのお仲間、
鈴木薫さんに伴奏していただき
高田渡の「当世平和節」をうたいました。
1か所、言葉につまったところがあります。
続いて、「当世平和節」のもとになる歌詞の歌
「東京節〜平和節〜ノンキ節〜解放節〜平和節」
つなげてうたいました。
「当世平和節」のもとの歌詞4曲5節を
うたったのは、史上初めてかと。

当日のライブレポはこちらです。

「藤城かおる・ちゃんねる」





11月13日の14時06分。この日の
最高気温は15.9度、最低気温6.2度だったそうで。
いつもの岩槻駅高架橋自由通路の
東口寄りから大宮方を望んでいます。
完全に雲に隠れているようですが、
なんとなく、左側の輪郭が見えているような・・・。
たぶん、輪郭でしょう。
ぜったい、輪郭でしょう。
そう思いたいです。
ぜったい、そうです。
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どれもさいたま市内ですが、いっぺんに
大宮図書館中央図書館南部建設事務所鴻沼資料館
行こうかと思っています。
資料を見ると、それぞれの場所は
・大宮図書館 京浜東北線の大宮駅から徒歩12分ほど、
・中央図書館 京浜東北線の浦和駅前ロータリーの向かい、
・南部建設事務所 埼京線の与野本町駅から徒歩5分ほど
・鴻沼資料館 埼京線の中浦和駅から徒歩15分ほどとなっています。
路線別に分けると、埼京線に2か所、京浜東北線に1か所、
埼京線京浜東北線の起点に1か所となります。
いったいぜんたい、どのようにまわったら滞りなくいくのでしょうか。

まわる順番として、なるべくなら
開館時間が昼9時から12時の中浦和を1番目として、
帰途、野田線に乗り換える大宮が4番目に
設定できればいいかなと思いました。
そうしたら、駅から遠い2か所が、最初と最後になります。
はじめにひとつ考えたのが
中浦和、与野本町、(大宮経由)浦和、大宮でした。
でも、行って戻ってが2回繰り返され、ややこしくなりそうです。
ならば、たとえば中浦和を2番目にしたら、どうなるでしょうか。
大宮を起点とした京浜東北線、武蔵野線、埼京線の三角形を考え、
浦和、(南浦和・武蔵浦和経由)中浦和、与野本町、大宮とします。
ただ、そうすると中浦和は2番目ながら、浦和から中浦和までの間に
乗換えが2回あり時間がかかりそうです。
そしたら逆に、武蔵野線が中浦和よりあとになる
左回りの与野本町、中浦和、(武蔵浦和・南浦和経由)浦和、大宮
どうでしょうか。
これならば、目的地としても初めに市役所と資料館、
あとに図書館2つとなり、頭のなかで整理もしやすいです。
途中、時間にゆとりがあったり、体力に余裕があったら
中浦和の資料館からから浦和の図書館まで、
埼京線、武蔵野線、京浜東北線と乗り換えずに、
歩くのもありかなと思いました。
はい。行って帰ってを2回繰り返すよりも、
右回りにするよりも、最後の左回りが
順当な感じになりましょうか。
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11月11日は宮内家のOMに参加しました。
126回目のエントリーは、実験的な2曲。
高田渡の1曲をうたい、そのもとになる4曲から
1節ずつを抜き出しうたいました。
まずは高田渡の「当世平和節」
高田の3rdアルバム
『石』(ベルウッド/OFL-11/1973年6月25日)の
B面4曲目に収録されています。
それも、今回はなんと、畏れ多くも伴奏を
OMのお仲間・鈴木薫さんにお願いし、藤城はうたうだけ。
間違えないようにうたう、波瀾万丈ドキドキものでした。
そして、もう1曲は、同じ高田の
「当世平和節」ですが、そのもと歌です。
というのも、曲はアメリカ民謡(traditional)ですが、
歌詞は、添田さつきの「東京節」から1節と、「平和節」から2節、
さつきの父啞蟬坊の「ノンキ節」から1節、
啞蟬坊と山路赤春の合作「解放節」から1節、
計5節の歌詞から成り立っているのです。
高田は、5節のうち「東京節」「平和節」「解放節」を2つに分け、
「ノンキ節」はそのままに、歌詞に手を加え
「当世平和節」のタイトルで全9節をうたいました。

「当世平和節」の全9節を、添田知道の
『演歌の明治大正史』掲載の歌詞をもとに分解してみます。
・1節目 東京の名物満員電車・・・
   「東京節」(全6節中)の4節目前半
・2節目 だめだめと両手をふり・・・
   「東京節」(全6節中)の4節目後半
・3節目 いくら稼いでも足りないに・・・
   「平和節」(全9節中)の9節目前半
・4節目 いやにしなびて青白く・・・
   「平和節」(全9節中)の9節目後半
・5節目 生存競争の八街走る・・・
   「ノンキ節」(全15節中)の15節目
・6節目 あたしも貧乏でおとなりも・・・
   「解放節」(全5節中)の5節目前半
・7節目 塩いくら味噌いくら・・・
   「解放節」(全5節中)の5節目後半
・8節目 おめでたいおめでたい・・・
   「平和節」(全9節中)の1節目前半
・9節目 いざ祝えみんな祝え・・・
   「平和節」(全9節中)の1節目後半

インターネットなどで、
「当世平和節」の「もと歌は何と何」という記述はよく見かけます。
でも、実際、そのもと歌をつなげてうたった人は見当たりません。
そこで、高田が抜き出した、もともとの4曲5節を、つなげたら
どうなるのか、試してみたかったのです。

4曲のうち「東京節」「平和節」「解放節」は、
同じメロディ(アメリカの「ジョージア・マーチ」)で、
間にはさまる「ノンキ節」だけが違うメロディとなります。
実際、つなげてうたうと、どうしても前の歌につられて、
途中で切り替えるのがひと苦労でした。
特に練習のときは、続けてうたうから、
よくこんがらがりました。

はじめにも書きましたが、たぶんメドレーとして
「東京節〜平和節〜ノンキ節〜解放節〜平和節」をうたったのは
これまで誰もいないと思います。
たまたまの思いつきで、史上初の快挙です!

最後になりましたが、1曲目で伴奏していただいた
鈴木薫さん、本当にありがとうございました。

近いところで2曲の動画をアップします。
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暑いときは小康状態でしたが
暑さが収まったころから、また飛びはじめました。
それが、ここにきてさらに寒さが増していますが、
まだまだフル回転で頑張っております。
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