2011年07月04日

長崎ハテナ?(03)引揚船「上海丸」

ひさびさの「長崎ハテナ?」です。
「上海丸」といっても
大正12年に長崎と上海の間に就航した
日華連絡船「長崎丸」「上海丸」の
「上海丸」ではありません。
日華連絡船の「上海丸」は
第2次世界大戦のまっただなか、昭和18年10月30日
南方兵員輸送船「崎戸丸」と衝突して沈没してしまいます。

今回のお話は、その次?に就航した「上海丸」。
引揚船に名づけられた「上海丸」についてです。
初めて引揚船「上海丸」を知ったのは
岩波現代文庫の『増補戦後写真史ノート』の一節。
「2 名取洋之助の“戦後”」の項、19ページ5行目に
〈(名取洋之助が)翌四六年四月に引揚船上海丸で長崎に上陸したときには・・・〉とありました。
引揚船「上海丸」は、舞鶴でも佐世保浦頭でもなく
長崎についていたのです。
ただ、ほんとうに長崎なのか、
広い意味で佐世保を長崎といっているのかもしれません。
次に引揚船「上海丸」を知ったのはネットでした。
NHKのTV番組『その時歴史が動いた』で
放映された内容を紹介しているサイトがありました。
その第308回放映として
『戦後引き揚げ660万人故郷への道』というお話。
「番組の内容について」の一節です。
〈最後の集団引き揚げ船はベトナムのハイフオンから、門司港に帰着した上海丸。門司港に帰着したのは昭和36(1961)年6月27日。引き揚げ者は元軍人5人でした〉
「上海丸」が戦後最後の引揚船に使われたのです。
昭和36年の引揚船・・・興味津々ですが、それはまた別の話。

はてさて、名取洋之助が乗ってきた「上海丸」と
最後の引揚船「上海丸」には15年の開きがあります。
でも、引揚船として同じ船だと思えてなりません。
いまのところ、資料は2つだけ。
引揚船「上海丸」の船歴については
まだ、なにも分からない状態です。
日華連絡船と同じ名前の「上海丸」。
もしかして「長崎丸」もあったりして・・・。
もう少し深く調べてみたい感じです。

makuramot at 00:23│Comments(0)長崎年表にて 

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紹介1(profile)
藤城かおる
3代続いて東京生まれ、
生粋の江戸っ子ですが、
1991(平成3)年の秋から
長崎に住みました。
長崎で歴史に興味を持ち
いつのまにかこんなになって
2010(平成22)年の春、
こんどは埼玉県に移りました。
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