March 22, 2006

自己紹介と戦いのプロローグ

 表題の本を読んだ方や関係者には説明する必要はないだろうが、(旧)東京教育大学付属駒場中学校・高等学校(通称「教駒」)、現在では1970年の大学校改編により改名され国立大学法人筑波大学付属駒場中学校・高等学校となった通称「筑駒」は、ここ35年以上にわたり中学及び高校受験生の憧れの的であり、実際、東京大学を始め全国一流大学への合格率上位の座を誇る超エリート校である。その高校で奇しくも37年程前に、今のところ創立以来最初で最後であるバリケード封鎖ストライキを敢行した数名の生徒がいた。同書にも書かれたように、その中で最年長であり首謀者だったのがブントの活動家大谷と実名(2003年8月号から10月号までの連載された月刊「新潮」のほうで、後に出版された書籍本のほうは仮名に変えられ、内容も微妙に改竄されているが、ドキュメンタリーと著者自ら称している点には変わりがない)で称されたのがこの私本人だ(これもまた書かれているがもう一人、一期上から留年してきた漫画家志望の新左翼シンパでアナーキーな先輩かつ同学年の友人がいたが、新鋭(前衛)漫画家だけあってトンデいるというか深刻な場においてもあまりにもおチャラケ過ぎていたのでバリケードから退出願った記憶がある)。
 
 確かに当時私は、赤ヘルメットで有名だった共産主義者同盟(ブント)社会主義学生同盟の高校生組織、高校生安保闘争委員会(高安闘委)の主要メンバーであり一時は委員長も務め、活動による逮捕歴も2回あるが、その母体組織ブントがかの赤軍派を生み出し、私もそれにいち早く参加したのも束の間、1969年7月8日に同同盟内中大右派との内ゲバで殲滅拉致され、高校生だからということで多少ぶん殴られたうえで脅かされ強制自己批判をさせられただけで、他の同士に対してなされたような悲惨なリンチ(一人は逃亡しようとして死亡)からなんとか逃れたという、不良学生や暴走族でもない限り今の受験生やエリート高校生からすれば全く考えられないような経験を持っている。もちろん1970年前後の安保闘争や全学連全共闘学生運動の時代を知っている、団塊といわれる世代からすれば、ちょっと早熟だっただけというか、ただ純粋(単純?)だったというだけで、当時では決して珍しいことではなかった。それでも我が母校においては、やれ1969年1月16日から18日にかけて東大安田講堂での機動隊との熾烈な死守攻防戦の末、最後陥落時に赤旗を振っていたのが高校生だったのであれは私ではないかとか(ヘルメットとマスクで顔はわからない為)、或いは1970年3月31日に「よど号ハイジャック事件」を起こし北朝鮮に渡った赤軍派同士の一人に未成年(高校生)がいたと報道されるや、教師や生徒の間で私ではないかと騒がれ、実際に教員会議ではもしそうだった場合の対応策や処分を決めるのに喧々諤々としていたそうだ。実際まったく的外れというわけでは無く、私が加盟していた組織からしても同一或いは関連があり、安田講堂のときは一日違いのことで、東京の者は最後の娑婆ということで家に帰っていた代わりに地方から来た高校生を含む部隊が残留し徹底抗戦の名誉に預かれたわけで、もし機動隊導入が一日遅れれば私達東京組が屋上にいる事になっていただろうし、よど号ハイジャックに際しても前述の内ゲバで拉致された後半強制的に赤軍派から引き離されていなければ、流れとして参加していた可能性はかなり高かっただろう。ただ偶然というか必然的に、その時期に学校に出ていなかったことと(普段からあまり学校には行っていなかったのだが)、記憶に間違いがなければ、当時の報道で少年Yと報じられ私の名前が同イニシャルだったので(実際は、実行メンバーの吉田金太郎と同メンバーで高校生の柴田泰弘のYが混同していたようだったと思う)、ハイジャック事件発生の翌日かに、別件で他党派との内ゲバによる怪我で顔に包帯を巻き、松葉杖をついて親父の車に乗せてもらい登校するまではほぼ間違いなく私だと思われていたそうだ。そのときには既に私の渡米の話が決定しており、ハイジャックの高校生は自分ではないという証明をしに学校に行ったようなものだが・・・。
 
 因みに余談ではあるが、当ブログのIDはその名の通り、私が在米当時ブラックパンサー(黒豹党)との関わり合った頃から興味があり、今では自身がイスラムの地にあり更に心酔している、かの暗殺されたブラックイスラムの指導者・故マルコムX氏の名から頂き、それに続きたいとの想いからXの次の文字でもありマイイニシャルでもあるYをつけたものだ。勿論当時の活動から引き続いて政治活動を現在しているわけではないが、自己の半生の精神的な総括としてイスラムに拠りどころを見出した現在の自分の心情的なものとして使っていると理解いただければ幸いである。

 とにかく、そんな一連の事件の合間の1969年12月8日に、母校でバリストを敢行したのだが、そのときのことを後輩である小林剛己(四方田犬彦の実名)が本にしたと知人から聞き早速読んだその感想は、私に対する個人的な批判は正直むかついたもののそれが彼個人の主観的なものであろうから許せるとしても、事実関係の意図的な曲解や隠蔽と当人の関わり合いに関してのでっち上げや捏造に関しては、彼の社会的立場が影響力をそれなりに持っている立場なだけに、絶対に許されるものではなく、時がときであれば私や当時の仲間から私刑やゲバられても仕方の無いところだろう、と思っていたし、当時の仲間とも話しをしていた。

 にもかかわらず、そんな私が今までの未対応と沈黙を破り、今更になって本バリスト事件に関する事実と著者の本当の姿の欺瞞性を暴露し、同出版社に対しては抗議糾弾するという決意にいたった経緯と心情を、これから出来る限り詳しく書き連ねていきたいと思う。

 尚、当ブログを開始するにあたり、最後にお断りしておくが、なにぶんにも古い話で異国にいることもあり手元に資料も少なく、時期や人名(必要と思われる場合は仮名にするが)などに間違いや勘違いがあったりする可能性も否定できないのでその点をご了承願いたい。但し、四方田と違い嘘や事実捏造は神に誓ってするつもりはないので、元関係者等からの真摯な指摘・批判あるいは関連する資料提供などは歓迎するが、無責任なふざけた2チャンネル的な書き込みはご遠慮願いたい。
       
                   アラブ首長国連邦ドバイにて
                   マルコムYこと大谷行雄


malcolm_y at 23:06│Comments(2)TrackBack(0)

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この記事へのコメント

1. Posted by ブログサーファー!!   March 23, 2006 05:03
ブログサーフィン大好きです。私も良いブログを書きたいです。(`・v・´)
2. Posted by HARUKA    March 23, 2006 05:33
私も良いブログを書きたいです。ブログサーフィンして上級者になりたいです。

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