モルト侍

池袋のショット・バー、ジェイズバーのバーテンダーが、大好きなシングル・モルトを斬る。

2005年03月

越後屋、来たる。

ローズバンク:撮影、越後屋
年若いやり手の商人がジェイズ・バーに来た。その名は越後屋。
年は30手前、某ファースト・フード店に勤める。丸の内線沿線の駅前の店舗の店長。シングル・モルト好き。侍との付き合いはもう5,6年になるだろうか。健全で誠実でその分悩みも多いが、実は熱い男だ。ウィスキーはバーボンから入ったようだ。でもジェイズ・バーに来るようになる前から、好みはシングル・モルトに傾いていた。「好き・嫌い」と「良し・悪し」を自分の中で区別してシングル・モルトを楽しんでいる。安くて好きな酒を素直に嬉しがるし、高くても良い酒は大切に扱う。そんな彼のスタンスが好きだ。

越後屋が引越しをする事になった。マンションを購入したらしい。越後屋は個人で買い集めたシングル・モルトを借家の自宅にコレクションしていた。引越しを機にそれらのうちの数本をジェイズ・バーに引き取って欲しいという。ある日画像が添付されたメールが届いた。

写真を眺めていてやはり一番気になったのがローズバンク。1989年蒸留、9年熟成、オーク・カスク、アルコール度数はカスク・タイプ。白地の小さなラベルがキュートだ。ピンクがかった茶色の文字が可愛い。なぜかスターバックスの町娘を思い出す。そっとボトルを揺らすとウィスキーの中で沈殿物が漂っている。

夏っぽいな。そんな気がする。梅雨の終わり、夏との境目の一日だけ気持ち良く晴れた日に飲めるといい。

ちなみにこのローズバンク、1993年に閉鎖。残念だが恐らく再開することはないだろう。




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行く人、来る人(つづき)

その後もちょくちょくラーメンを食べに顔を出していたのだが、少しづつこの店は繁盛店になって行く。12時過ぎに店に行くと「スープ完売」で食事にありつけないこともしばしば。時期を同じくして今度はI氏がジェイズ・バーに顔を出してくれるようになる。
多くの人がそうだが、仕事が充実してくると自らへのご褒美を求めて酒場へと足を運ぶ。

彼は元々シングル・モルトが特別に好きだった訳ではない。どちらかというと酒なら何でもOKというタイプ。どこかで仕入れた薀蓄を披露することが目的で飲みに来ている訳ではない。どちらかというと一日の締めくくりに、その日を終わらせるために、帰りにちょっと飲んで帰ろうかな。そんなスタンスでジェイズ・バーに寄って帰る。僕ら以外には世の中の誰も興味を持たないような、くだらない瑣末なその日の出来事なんかを吐き出して帰る。「この店はシングル・モルトがたくさんあるから、自分も何か飲んでみるかな」そんな動機で飲み始めたのだと思う。

もちろん仕事柄、食べ物や飲み物、およそ口に入れるものに興味はある。世の中の多くの人はきっとこういう味が好きなのだろう。ということと、でも自分はこういう味が好き。ということをどこかできちんと分けて考える。そしてそれを前提に「値段が安ければよりハッピー」、そのことを大切にしている。酒に向かってぶれないそのスタンスが僕は好きだ。

比べて飲めば誰にだって味の違いは理解できる。それは誰にとっても同じことだと僕は思う。もちろん彼だって比べて飲めば味の違いを理解する。確かにその味覚は他に人よりも優秀かもしれない。でも彼のスタンスのいちばん優れている点は「結局自分は自分の舌を信じるしかないのだ」という思いがあることだ。彼は他人から借りてきた言葉を披露しようとは思わない。いつでも自分はどう思ったかを言葉にしようとする。
確かにそのスタンスはラーメン屋さんという職業に由来するところは多いと思う。毎日毎日ラーメンのスープを同じ味にまとめなければならない。それは物凄いことなのだと思う。仕込みをしながら、「今日のスープは昨日と同じなのだろうか?」、「昨日のスープは一昨日と同じだったのだろうか?」、「一昨日のスープは開店当初と同じ味だっただろうか?」。それが気にならない訳がない。しかし気にしたところで今より前のことはどうにもならない。スープのできの良し悪し、スープのできに対する自信のあるなしに関わらず、お客さんは気まぐれだ。どこかに不安を抱えたまま営業を始めても、テレビで紹介された次の日であったため常に行列、早い時間に「スープ完売」なんて日もあっただろう。また、今日の仕込みはばっちり決まった。納得がいく仕上がりだ。なんて思った日に限って大雨でヒマなんてこともあっただろう。不安もあるだろうし、悩みも多いだろう。ラーメンのスープを作るための、野菜、肉、魚、などの食材は毎日同じ品質ではない。

そんな彼と2年ほど付き合ってきて思うのは、彼は常に、今飲んでいるこのシングル・モルトは全体の中でどの辺りのポジションにいるのだろう。ということを気にかけている様に思えるところだ。彼の頭の中には平面図があるのだと思う。マッカランはこの辺にあって、オーバンはこの辺にあって、スプリングバンクがこの辺だとすると、タリスカーはここで、ブナハーブンはこの辺、のような。そしてその中でこの辺りが自分の好きなゾーン。一般的に受けが良いのはこの辺だろう。そんな感覚が彼にはあるのだと思う。

批判的なことはあまり言いたくないのが、お勉強好きの人はまずその平面図に地域区分ごとの境界線を引いてしまう。先にその境界線を引いてしまうとちょっと困ったことになるのだ。

ブナハーブン1968例えばこのブナハーブン。一般的に言われる「アイラ・モルト」の特徴を兼ね備えてはいない。目を瞑って飲めば、非常においしいシングル・モルト。少なくとも偏った個性や際立った特徴はない。甘くてコクがあり、隠し味に塩。万人受けするおいしさを持っている。「僕の好みではないですね」という人はいるかもしれないが、「ちょっと個性的過ぎて僕には飲めません」という人はいないと思う。
先に境界線を引いてしまうとどうにもこのシングル・モルトは「アイラ・モルト」の中に入らないのだ。

「飲まなきゃ分からない」が前提なら「飲んでみりゃいいじゃん」。安くてあまりおいしくないのなら納得しよう。でも、高くてまずいのなら腹が立つ。もちろん「おいしい」「まずい」を判断するのは自分の舌。「結局自分は自分の舌を信じるしかないのだ」。
それが彼(I氏)のスタンス。

さてバーテンダーの僕に大いに刺激を与えてくれたI氏。あさって4月1日に大阪に行ってしまう。このラーメン店「K」が大阪の難波にあるラーメンのテーマパークに出店をすることになったのだ。大躍進である。何だか僕だって話を聞いていてドキドキしてしまった。非常に嬉しい、しかし素直にさびしくもある。

旅立つ彼にちょっとした贈り物を用意した。僕とスタッフの荒木君、そしてモトム君とカツラ君から。
恐らく今日がI氏にとってジェイズ・バー最後の日になるだろう。
いづれまた彼は池袋に戻って来る。いつか来るその日まで。いってらっしゃい。
大阪の女に手を出さないように。くれぐれも。

行く人、来る人

出会いは別れの始まりである。世の中、歓送迎会の時期であろうか。ジェイズ・バーでそのような会が催されることはないのだが。4月からあるお客さんがひとり遠くへ行ってしまう。大阪で新たな仕事が始まるらしい。彼が池袋にやって来たのはちょうど2年前。

2年前の春のことである。西口界隈をうろうろしていると、角地のビルの1階の空きテナントに内装の工事業者が入っているのが目にとまった。「何だろう」。中を覗くとL字型の低いカウンター。席数はおよそ10程度。客席の面積よりも厨房スペースの方が広そうだ。料理屋だろうか。しかし気取った昭和レトロ風の内装。ショット・バーではなさそうだ。酒瓶を並べられそうな棚がない。いやいや、分からない。ここから見えないところに棚はあるのかもしれない。

気になっていた。そんな刺激を与えられると考えてしまうのだ。想像力を駆使し憶測を積み重ね僕なりの推論を組み立てた。恐らくきっとこういうことだ。

この店のオーナーは40歳前後、僕と同世代。高校時代のアルバイトがきっかけで料理人の仕事に興味を持つ。高校を卒業しある有名な和食の料理店に就職。苦しみながら下働きを続ける。誰よりも先に店に来て帰るのは一番最後。何より一番辛かったのは、ひとつ年下の中卒の先輩。高校を卒業した自分より結果として2年分キャリアは上である。ひどくいじめられた。営業後の後片付けを任されている彼は他の従業員が帰った後、ひとり包丁を砥ぎ刃先を見つめながら殺意を抱いてしまった事がある。彼は耐えた。早く仕事を覚えたい。その一心で彼は良く働いた。結果として犯罪者にならずに済んだ。毎年のように人が入って来た。そして彼よりも先にそこにいた人も少しづつ減って行った。彼は去る人を見送り、来る人を迎え入れた。辛い事が続き自分の気持ちが押し潰されそうな時、彼は暗い厨房で包丁を砥いでいた自分を思い出す。自分の心の中の邪悪をふたつの掌にすくい取りそっと見つめる。どうか、この自分の邪悪が心の中から溢れてしまいませんように。そっと呟いてまた元に戻す。そんな彼のキャリアも20年を超えた。考えたらずっと店とお客さんのために働いて来た。そろそろ自分のために働いても良いのではないかと思い始めた。ゆっくりとではあるが少しづつ独立の意思を固めた。コツコツと貯めて来た金も少しならある。彼はパートナーに若いバーテンダーを選んだ。やんちゃだがセンスの光る若者。この若者とふたりで店をやって行こう。確かに今までは誰かのために働いてきた。だけど自分だっていろんな人に世話になって来たことも事実だ。世話になった人への恩返しは難しい。今自分がすべきことは恩返しではなく、恩を送ることかもしれない。年長者に恩を返すことよりも、若者に恩を送ることが大切かもしれない。
そう、きっとこの店のオーナーはそんな思いでこの場所に店を作ることにしたのだ。

僕の勝手な思い込みは、まったくハズレた。まったく持って勝手な話である。勝手なくせに話が長い。勝手にも程がある。相変わらずの頓珍漢。「いい加減にしていただきたい」、自分でもそう思う。

さて、正解をお伝えしよう。この店、今では有名優良ラーメン店として名高い西口のラーメン専門店「K」である。つまり僕の推論はハズレ。そして大阪に行ってしまうのはこのラーメン屋さんの店長のI氏。

僕の勝手な思い込みがはずれてしまうのは構わないのだが(いや、少しは気にするべきか?)、池袋にできた新しい店が気にならない訳はない。早速できたてのそのラーメン屋にいってみた。「何だよ、ラーメン屋じゃねぇか」とは言えない。2年前の4月のことである。

素直に旨かったのだ。しょうゆでさかなの味、恐らくダシは鶏。悩んだ。
以下はこのスープのテイスティング・ノート。

ほど良いコク。このコクはヨード由来のものとは若干異なる。ラーメンであることを考えれば上質にオイリー。分かりやすいほどの塩味ではない。塩分はきっちりと「普通」の範疇。香ばしさを保ちつつスモーキー。港町の観光市場の焼き魚の香り。ほど良い苦味がちょっとしたアクセントに。

僕の印象はそんな風だった。ちなみに池袋の焼肉屋の友人が「このスープで餅入れてお雑煮が食いたい」と言っていたのだが、至極納得した覚えがある。

2年前、開店当初はそんなに繁盛している店ではなかったのだ。僕らにとっての昼休み、夜中の12時頃に食事をしに足繁く通った。分からなかったのだ。何度通っても悩ましかった。少々ムキになっていたと思う。「香ばしい焼き魚の香り」、それが分からなかった。何度もお店の人に聞いてみようと思った。でも負けたくはない。
これじゃあ、ブラインド・テイスティングじゃないか!

ある日のことである。店に行って食券を買い席に着くと、情報誌の記事のコピーが置いてある。僕は頭を抱えて叫んだ。
「ノーーーーーー!」

答えが出ていたのだ。「サンマ」。
僕が感じた「香ばしい焼き魚の香り」はサンマであった。
侍はまた斬られた。モルト侍、ラーメンでも返り討ち。

本日の記事は全編前置きにて終了。明日に続く。

昔は良かった

サントリー・リザーブ
昔は良かった、なんて言葉はできる限り使わずに生きて行きたい。現在に絶望したり、未来に希望を失ったり、そんな事態にはできれば陥りたくない。後ろを振り返ったまま前に進むのは難しい。つまづいて転んだり、誰かにぶつかったり、ケガをして痛い思いをするだけだ。

だけど誰だって昔が懐かしくなるものである。いや、むしろ時には積極的に過去を省みる必要があるのかもしれない。歴史は未来へと進むのだから。もしもそんな必要がある時には必ず足を止めるべきだ。転んだりぶつかったりしてしまわないために。立ち止まりくるりと振り返り、見るべきものを見る。再び回れ右をして元の方向へと歩いていく。大まかにでも構わない。自分が歩いてきた道が理解できれば、これから先を歩こうという意思は強くなる。その意味や意図はより明確になる。

昔は良かったと思わず言ってしまいたくなるようなウィスキーを頂いた。モトム君ありがとう。
サントリー・リザーブである。いや、ホントに旨い。程よく乾いた味わい。スモーキーというより焦げ臭い。清涼感のある苦味。あからさまにピーティではないが、どこかアードベックのような雰囲気である。水割りにしてごくごくと飲みたくなる。そんなウィスキーだ。


特級表示このサントリー・リザーブ「特級表示」である。(画像をクリックして欲しい「特級表示」確認できます)恐らく今から20年ほど前のウィスキー。760ml入り。乾燥塔(キルン)を模したボトル。コルクは少し破損している。ちょっと薄手のガラスがどうにも心許無い。ボトルのトップ、三角屋根の部分はプラスチック製。


20年前、僕は何をしていただろう。僕はまだバーテンダーの仕事をしていなかった。あの頃そばにいた人たちは、どこで何をしているのだろう。恥ずかしい事ばかりを思い出す。誰かの差し出すものをうまく受け止められなかったり、僕が差し出すものをうまく受け入れて貰えなかったり。ちょっとしたことに痛みを感じていたけれども、良く考えたら人を傷付けてばかり。
自己愛に満ちて、安っぽいファンタジーの中を生きていたのだろう。
残念だけど、今でもそんなに変わらない。
だからやっぱり、昔が良かった、とは思わない。




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御礼。ふたたび。

本当にありがとうございます。
皆様のおかげでついに1位です。

僕は記事を書き続けて行きたいと思います。
僕の中にあるのはより多くの人にシングル・モルトを楽しんでもらいたいという素朴な想いです。
僕が書いた文章を楽しんで貰えるなら嬉しいですし、それをきっかけにシングル・モルトでも飲んでみるかな、なって思って貰えたら本当に嬉しいです。

世の中にあるたくさんのシングル・モルト。例えばその中からふたつを選んで飲み比べて味の違いが分からない人はいないと僕は思っています。違いが分かれば好き嫌いが発生します。好き嫌いが分かれば楽しみようはあります。

何かの機会に「たまにはシングル・モルト」
そう思っていただければ幸いです。



シングル・モルトの楽しみ

麦チョコ
先月末から今月の初め、4回にわたって僕がシングル・モルトの父と敬愛するマイケル・ジャクソン氏の著作について記事にした。そしてその最後に父の言葉を引用して締めくくった。

何でこんな味になるのか、結局のところそのことを考え続けてもそこに答えはない。
むしろ僕たちがシングル・モルトを楽しむために必要なのは、
「僕はこう感じる」。
ということではないだろうか、そしてそれを語る。
大切なのは「僕はこう感じる」であって「何故こうなるのか」ではない。

以前、「一筆啓上、ピートとヨード(その12)」でも書いた。専門家は「ピート」について詳しく説明をしてくれる。だけどシングル・モルトを楽しんでいて、どんな香りを見つけたら「ピート香」なのか、については誰も語ろうとしない。もちろんそれが難しいのは良くわかる。ピートと言ったって一種類ではないだろう。スコットランドのその土地土地で様々なピートがあるのだろう。そしてそれらには微妙なニュアンスの違いがあるのだろう。ひと括りに語ってしまって、誤解を与えるのは専門家として躊躇すべきことだろう。責めるつもりもない。
「一筆啓上、ピートとヨード(その9)」で、僕はこんな風に簡単に斬り捨ててしまった。確かにこれは僕が飲み屋のオヤジだからこそできることなのだろう。専門家がするべきことではないかもしれない。

高い生チョコ例えば「チョコレートの香りがする」と言ったら、多くの人がそれを簡単にイメージできることだろう。父の著作にも「チョコレートのよう」と言う表現は出てくる。チョコレートというのは多くの人が共有できるイメージだ。ところが良く考えて欲しい。チョコレートといったってたくさんの種類がある。冒頭の写真の駄菓子のようなイチゴ味の麦チョコ、そしてフランスのチョコレート職人の作ったこの小さな生チョコ、どちらもチョコレートには変わりない。だけど皆さんはこのふたつのチョコレートの味が違うのを知っているかもしれない。知らなかったとしても、このふたつのチョコレートは違う味がするのだろう、くらいのイメージはできるはずだ。そしてこの麦チョコひと袋よりも、生チョコ一個の方が値段が高いと言われても皆さんそんなに驚かない。我々はチョコレートに関してはそんな程度の前提がある。カカオと砂糖を使ったお菓子。これは多くの人の共通の認識である。そしてチョコレートがこんなにまでも有名になってしまうと、原材料であるカカオの香りを嗅いで「チョコレートみたいな香りがするぅ」という人が出てきてもおかしくない。

でもこの前提はピートにはない。
シングル・モルト好きのお客さん(A)が、シングル・モルトに興味を持ち始めた人(B)を連れて来る。AはBにラガヴァリンを飲ませる。
A:「これがラガヴァリン」
B:「ふーん」
A:「これはアイラ島のモルト」
B:「ふーん」
A:「どう?クスリっぽい感じしない?」
B:「うん」
A:「それがピート」
B:「ピート?」
A:「ピートっていうのは泥炭のこと、材料の麦を乾燥させるのに使うんだ」
B:「ふーん」
A:「アイラ島にはたくさんピートがあって、スコップで掘って切り出して燃料として使うんだ」
B:「ふーん」
A:「その時にピートを燃やすから、このスモーキーな感じが出る」
B:「ふーん、スモーキー・・・」
A:「ちなみに乾燥させる時はキルン(乾燥塔)っていうのでやるんだ」
B:「ふーん」

Aさんは良く勉強しているのだと思う。ピートについての説明に間違いはない。でもAさんはそもそも「クスリっぽいのは何故なのか」を説明しようとしていたのではないだろうか?Aさんの見解はクスリっぽい原因はピートにあると。そしてまずはピートから説明をしようと。そしてそのピートの説明に間違いはない。でもその原因の物質であるピートについて語ってはいるが、ピートのどのような作用によって薬っぽくなるのか。ということについては語っていない。
いや、ひとつだけ語っていた。「その時にピートを燃やすから、このスモーキーな感じが出る」。だけどこれはピートの作用によってスモーキーになる。ということを説明しているだけだ。ピートを焚いたらスモーキーになる。燻製と同じ原理である。もちろんそのことに間違いはない。Bさんだって想像の範囲で納得できるだろう。でもそれは何故スモーキーなのか?という問いに対する答えである。もちろん世の中の全てのクスリがスモーキーであるならこの説明で良いのだろうけど。

Bさん、わかりましたか?

何故こんなことが起きるのか?ピートの香りとはこんな香りだ。ということを専門家の書物では扱わないからだ。ピートとは何かという説明はしてくれるが。

我々はチョコレートのことなら良く知っている。シングル・モルトを飲んで、
「このモルト、チョコレートっぽいね」、「そうそう、確かに」
それがおかしいとは思わない。カカオ、バニラ、クリーム、そんな印象のシングル・モルトは少なくない。

「このモルト、ピートっぽいね」、「そうそう、確かに」
本当かなって思ってしまう。一般的な日本人が子供の頃から例えばチョコレートのようにピートに馴染んできたとは思えない。

ピート人が「チョコレートっぽいね」というからにはその人の頭にはチョコレートのイメージがあるのだろう。だけど「ピートっぽいね」という時にその人の頭にはピートのイメージがあるのだろうか?


繰り返しになるが、
大切なのは「僕はこう感じる」であって「何故こうなるのか」ではない。
僕はそう思っている。

一筆啓上、グレンロセス

ロセス2本
父の著作(改訂版・前版)と合わせてジェイズ・バー・モルト・ファイルにあるグレンロセスについても調べてみた。それらを資料に他のヴィンテージ(蒸留年度)のオフィシャルもののグレンロセスについても記しておこう。以下のすべてのデータはラベルの写真から僕が読み取ったもの。
無印は父の著作から、*印が付いているものはジェイズ・バー・モルト・ファイルからの引用。

A:蒸留年度:1972 ・ 瓶詰年度:1996 ・ 熟成期間:24年
B:蒸留年度:1973 ・ 瓶詰年度:2000 ・ 熟成期間:27年 
C:蒸留年度:1978 ・ 瓶詰年度:1999 ・ 熟成期間:21年 *
D:蒸留年度:1979 ・ 瓶詰年度:1994 ・ 熟成期間:15年
E:蒸留年度:1982 ・ 瓶詰年度:1999 ・ 熟成期間:17年 *
F:蒸留年度:1982 ・ 瓶詰年度:1997 ・ 熟成期間:15年
G:蒸留年度:1984 ・ 瓶詰年度:1996 ・ 熟成期間:12年
H:蒸留年度:1985 ・ 瓶詰年度:1997 ・ 熟成期間:12年
I:蒸留年度:1987 ・ 瓶詰年度:1999 ・ 熟成期間:12年
J:蒸留年度:1989 ・ 瓶詰年度:2000 ・ 熟成期間:11年
K:蒸留年度:1992 ・ 瓶詰年度:2004 ・ 熟成期間:12年 *

漠然とお気付きだろう。概ね古いヴィンテージの方が熟成年数は長い。もちろん発売された当時の価格を考えればひと括りにして語る事はできない。20年以上熟成のものは明らかにオフィシャルのグレンロセスの中ではアップグレード品であるだろう。
上の一覧から蒸留年度1979と1982のデータ(D,E,F)を見て頂きたい。この頃までは蒸留所の考える「グレンロセス・スタンダード・モルト」は15年以上寝かせよう。という事だったのではないだろうか?それ以降、1984から(G以降)は概ね12年熟成になっている。確かに1989(J)については11年熟成。ちょっぴりズルな気がしないでもないが、質が極端に落ちるという訳でもない。他の12年熟成のグレンロセスと比べてもヴィンテージ違い、ロット違い程度の誤差だろう。1992からはまた12年熟成に戻している。憶測でしかないが、1989に関しては「11年の方がうまいんじゃないの?」って判断があったのかもしれない。

しかし問題は、何故15年熟成から12年熟成に短くしたのか?である。
今度は瓶詰年度に注目して頂きたい。ここから先も僕の憶測、推論、いやいや下衆の勘ぐりかも知れない。それを前提に話を聞いていただきたい。

瓶詰年度として最も古いのは1994年(D)。これは1979年蒸留である。一概にそうとも言い切れない部分もあるだろうが、瓶詰年度とはそのウィスキーが発売された年と考えてもいいと思う。蒸留されたシングル・モルトは樽に収められある一定期間そこに眠っている。時期が来れば樽から瓶に詰め替えられ市場に出荷される。普通に考えて瓶詰され商品化された商品を倉庫に入れたままにして置くだろうか。僕だったら少しでも早く酒屋さんに持って行って売ってしまいたい。だから瓶詰年度=発売した年でいいと思う。
話を戻そう、「発売」年度として最も古いのは1994年(D)。これは1979年の蒸留である。1994年というのは少しづつ世の中にグレンロセスが出まわり始めた年なのだろう。確かに僕にもぼんやりとそんな実感はある。僕がここで店を始める前(なんとまさに1994年)、僕は恐らくグレンロセスを飲んだことはなかったと思う。1979年(1994年発売)の次の蒸留年度は1982年。15年寝かすと1997年になる。
ここがポイントなのではないだろうか?僕はこう推察している。1996年、市場からグレンロセスが品薄になった。なぜ品薄になったかというと、売れ行きが良いからであり、売れ行きが良いというのは、グレンロセスが評価されているからである。評価が良いとはいえ、いつでも売り切れじゃお客さんも買いようがない。予想外に売れ行きが良かった。買いたい人がいるのに売るものがない。次の発売は15年寝かせて1997年に出す予定のもの(F)。だけど1996年中に商品を出したい。1984年に蒸留したシングル・モルトが樽に収めて12年経っている。飲んでみたら結構うまい。
「これ、行っちゃうか!」ってなことだったのではないだろうか?

繰り返しておくがこれは僕の憶測である。取材をしてウラを取り記事を書く。これはジャーナリストの基本である。しかし断っておくが僕はジャーナリストではない。侍である。
いろんな書籍をペラペラとめくったり、PCのモニターを見つめたり、目の前に酒瓶を何本も並べながらそんなことを考えて酒を飲む。そんなことがシングル・モルトを飲む時間を楽しくしてくれる。それでいいんじゃないだろうか。モルト侍、至上の愉楽である。
何も堅苦しく考えることはない。僕が間違っていたらきっと誰かが突っ込みを入れてくれる。

だから今日は斬らない。
飲み過ぎるな侍、残念!



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御礼

御礼を申し上げたい。
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ありがたいことにトップ10入りを果たしてしまった。



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一筆啓上、グレンロセス

ロセス2本
なめらかで柔らかくゆったりとした味わい。嫌味の少ない飲みやすいシングル・モルトである。全般的にフル−ティ。ヴィンテージの古いものになるとドライフルーツのような味わいすら感じる。ただしこれは概ねオフィシャルものに感じる傾向。正直に言わせてもらうと瓶詰業者のグレンロセスにピンと来るものは少ない。もちろんそれは僕が飲んだものの中でということになるけれど。瓶詰業者のしかもカスク・タイプなんかになると、どうにも固い印象を持ってしまう。僕が個人的にグレンロセスに求めるのはこのフルーティな柔らかさ、そしてなめらかさなのだろう。

このグレンロセスにちょっとした異変が起こった。最近のこととは言えない。随分と前の事ではあるのだが。

ロセス92最近市場に出回っている一番新しいグレンロセスはこちら。昔から変わらないキュートな丸いボトル。面積の小さなラベルが謙虚な感じで好きだ。そのラベルを良く見て欲しい。「1992」とある。これは蒸留年度。その上には「DISTILDE IN」とも書かれている。つまり1992年に蒸留したという事である。その「1992」の下を良く見ると小さな文字で「BOTTLED IN 2004」とあるのだ。つまり2004年の瓶詰ということである。
さて、簡単な引き算をしてみて欲しい。
2004−1992=12
答えは12である。つまり1992年蒸留、2004年瓶詰、12年熟成。
良く憶えておいて欲しい。





ロセス87こちらもグレンロセス。ラベルの右端、蒸留年度が書かれている部分の拡大画像である。拡大しているので全体像が把握しできないが、ボトルの形は前の写真と変わらない。パッと見て分かりやすい違いはインクの色が変わったことだろう。もちろんこの事を指して「異変が起こった」と言いたい訳ではない。
ちなみにこのボトルまだまだ市場には残っているはず、しかしそのうち無くなるだろう。
「DISTILDE IN」に続いて1987とある。1987年に蒸留したことを表している。その下には小さな文字で「BOTTLED IN 1999」。つまり1999年瓶詰。
写真を見ながら同じように引き算をしてみて欲しい。
1999−1987=12
答えは12である。つまり1987年蒸留、1999年瓶詰、12年熟成。

ロセス82さてさて、このグレンロセスが本日のキモである。
「DISTILDE IN」に続いて1982。もちろん1982年の熟成。その下には小さな文字で「BOTTLED IN 1999」。つまり1999年瓶詰。
ん?気がつきましたか?引き算をしてみよう。
1999−1982=17
答えは17である。つまり1982年蒸留、1999年瓶詰、17年熟成。

上のものと比べて欲しい。蒸留年度は違うが瓶詰した年は一緒。

このグレンロセス、1982年蒸留のものには、僕の知っている限り2種類のボトルがある。1999年瓶詰めのもの、そして1997年瓶詰のもの。そう、蒸留年度が「1982」と表記してあるグレンロセスは15年以上熟成のラスト・ヴィンテージなのである。実は切り替わり目は1982年と1994年の間。1984年以降、蒸留年数は12年に切り替わるのだ。

つづく

お願い

モルト侍、深々と頭を下げて皆様にお願いである。

実は今週よりブログ・ランキングなるものに参加をした。
ランキングのカテゴリーでは「お酒・ドリンク部門」に登録をしてある。
先ほど確認をしたところこの部門の277のブログの中で初登場39位であった。

トップ10入りを目指している。

クリックをして頂きたいのだ。
PCでご覧の方はトップペイジの左上。「人気ブログ・ランキング」のバナーをクリックして頂きたい。
携帯でご覧の方はどうやらそのバナーがクリックできないようだ。記事のかにリンクを貼っておく。「カチッ」ってやって欲しい。



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是非、お願いしたい。

僕達はウィスキー鑑定家ではない。

ハイランドパーク
そろそろ侍の本来の姿に戻ろうと思う。仕切り直しという気分である。
何よりもまず僕は自分の立場を明確にしておく必要があると思う。僕はモルト侍としてのスタンスをより明確にしておきたいと思うに至った。

そもそも僕はバーテンダーというやり方で飲み屋のオヤジになりたいと思い、日々バーで働いている。キャリアは16年を超えた。気付いたら40歳になった。バーテンダーとして当たり前のことは当たり前にできるつもりでいる。仕事を通じて多くのシングル・モルトに出会い、それらを愛するようになった。世の中に次々と出てくるシングル・モルトを店に来るお客様に紹介していく事を自分の仕事の中心に据えたいと思っている。僕はそんな立場から日々シングル・モルトに眼差しを送っている。

僕はウィスキー鑑定家ではない。シングル・モルト評論家でもない。その日一日を終わらせるために僕の店にやって来て、酒を飲み、他愛のない話に興じ、「さて今日も帰って寝るか」なんて言って去って行く、そんなお客様のために働く飲み屋のオヤジだ。すべてのお客様がシングル・モルトを飲まなくても構わないと思っている。好きなものを飲めばいい。

僕よりおいしいカクテルを作るバーテンダーは世の中にたくさんいるだろう。僕よりウィスキーの知識のある専門家にいたってはそれ以上だと思う。僕は僕なりに自らの身の程を知っているつもりだ。何も悲しむべき事ではない。ただ、僕がこれだけは絶対に誰にも負けないと言える事はひとつだけ。いつものように僕の店に来る目の前のお客様が、どんなものが好きで、どんなものが嫌いかを知っている。その人が次に何を飲んだら気持ち良くなれるかをだいたい当てる事ができる。僕は目の前のあなたのために働きたい。
当然だがそうなる為に僕とあなたにはいささかの時間は必要である。時間を積み重ね、関わり合いを持ち、言葉をやり取りし、お互いの理解のための手がかりを得て、少しづつあなたが何を飲めば気持ちよくなるかを僕は習得することになる。ウィスキーの専門家はウィスキーについて詳しくなりたいと思うのだろう。僕は僕の店に来てくれるあなたについて詳しくなりたい。何より、それが近道だと思うから。

いづれにしても僕もあなたも、僕達はウィスキー鑑定家ではない。ウィスキーが理解できなかったとしても、それほど苦しむ必要はない。あなたはウィスキーを理解しそれを人に説明する必要を抱えていないはずだ。楽しめればよいのではないだろうか?気持ちよければよい。しなければならない事を抱えている分だけ、生きる事は窮屈になるはずだ。ウィスキーは理解できなければ意味がないなんて思う必要はない。しかし、理解できた方が楽しいのも事実。理解する事の気持ちよさに気付いたらそれもまたよし。大切なのは自分にとって気持ちの良い事を丁寧に扱うという事。僕達はウィスキー鑑定家ではない。ただの酒飲みじゃないか。

シングル・モルトを愉しむのにはちょっとしたコツがあると僕は思っている。もちろんそれは「僕なりの」コツではある。でも、そのコツを憶えてもらったら僕はあなたの好みを理解しやすくなる。僕があなたの好みを理解できたらあなたに出す酒に間違いは少なくなる。おいしいと思う酒を飲んだら、あなたは気持ち良くないだろうか?
シングル・モルトを愉しむのにはちょっとしたコツがあると僕は思っている。でもそれはあくまでも僕が思うところのコツだ。他の店では使えないかもしれない。そのコツを軸に僕とあなたの理解が深まれば、僕はあなたを楽しませてあげられるのではないかと思っている。残念だが僕は僕の店に来てくれない人の事に興味はない。僕は僕の店に来てくれるあなたについて詳しくなりたい。

池ブクログ

西口公園
重大発表をしたいと思う。
実はブログをもうひとつ立ち上げようと思っている。タイトルは「池ブクログ」。このタイトルからも察して頂けると思うが、池袋について語るブログだ。池袋の街を歩いていて見つけたこと。池袋の街を歩いていて気付いたこと。池袋の街について思うことを書いていきたい。
「モルト侍」のように毎日記事を書くことはないだろう。不定期な更新になると思う。

しかし、ちょっと口惜しいのだ。今週と先週、僅かながら「モルト侍」のアクセス数が上がっている。シングル・モルトの記事を書かないとアクセスが増えるのだろうか?それとも今までの地道な努力が報われ始めているのだろうか?後者であることを祈っているのだが。
シングル・モルト以外の記事を切り離してしまおうということだ。「モルト侍」の実力が試される。

いいですか、皆さん。あくまでも僕の本業は「モルト侍」である。しっかりと受け止めていただきたい。新しいブログ「池ブクログ」だけを読んで「モルト侍」を読まないなんてことのないように。っていうかホントにお願い。だって寂しくなっちゃうもん。
いやいや、僕の本業はバーテンダーであったか。

さて、世の中三連休である。「モルト侍」も三連休。その間に「池ブクログ」の準備をしたいと思う。予定通りに行けば来週の火曜日からスタート。
もちろんリンクを貼るのでご心配なく。告知を待て。

カフェ

エクセルシオール
コーヒーが好きである。一日何杯コーヒーを飲むのか、自分でも認識できないほどコーヒーを飲む。もちろん煙草とセットだ。スタバの次にここにもよく行く。ジェイズバー・セカンドから近いこともあって、店にいてコーヒーが飲みたくなった時には歩いてスタバまでいくが面倒な時にはよく使う。
この店には実はお気に入りの男の子がいた。もちろんスタバの町娘のように好きだった訳ではない(ん?気付けば過去形である)。その男の子、レジに並ぶ僕の顔を見ると僕と目を合わせゆっくりうなづき、僕がいつも注文するカフェラテを作り始めてくれるのだ。僕がレジで会計を済ませ奥のカウンターまで商品を取りに行くともうカフェラテはできあがっている。お客さんの顔を覚え、その人が自分の店に何をしに来ているかを把握し、常に少しだけ先回りをしようとする。その心持ちは重要だと思う。彼のその先回りが例えフライングで失敗に終わっても、僕はそれを非難する気にはならない。「君はバーテンダーになる気はないか?」、何度かそう声をかけてみようかと思った。結局そんなことはなかったけれど。

そういえば僕の忘れ物を持って走って追いかけてきてくれた女の子もいた。その女の子に恋をすることはなかったけど。

いやいやそんなことはいいのだ。今日の記事はこのカフェの名前、
エクセルシオールなのか
エクセシオールなのか
である。

もうお気づきだろう。冒頭の写真を見て欲しい。正解はエクセルシオールなのである。アルファベットの表記には「EXELSIOR」とある。普段は何気なく「エクセルシオール」とも「エクセシオール」とも使っていたと思う。何だか気になってネットで調べてみたら面白いネタを見つけた。Millano::Monologのこの記事。
昨日気付いていたら写真を撮りに行かなかったかもしれない。しかしこの記事とても参考になった。

さて話は変わるが、確定申告が済んだにもかかわらず、まだこんなくだらないことを書いているのかと皆さんからご叱責を受けるかと思っていたら誰も怒らない。はぼちぼち侍の本来の姿に戻ろうかと思っているのだが、皆さんはそれを期待していないのだろうか。ちょっぴり寂しかったりもするのだが。侍としては考えどころである。

明日は決意も新たに重大発表をしたい。
いいですか、重大発表である。

夢にも思わない

棚に並ぶシングル・モルト(写真と本文は関係ありません)
実を言うと昨日の事を良く憶えていない。
正確に言うならば昨日のこのブログの記事を書き始めた以降の記憶が曖昧なのだ。仕事を終え後片付けを済ませ、ジェイズバー・セカンドに顔を出した。セカンドの店長原田とほんの少し話を交わし、カウンターで飲んでいたお客さんにからまれ、店を出たのが6時半頃。まだ開署前の税務署に行って写真を撮り、マルイの向かい側のエクセルシオール・カフェでコーヒーを飲み煙草を吸い時間をつぶした。9時に税務署に行き、銀行を2件周り、区役所に行き、家に着いたのは10時を回っていたと思う。PCを立ち上げメールをチェック。原稿を書いて、そこから先が良く思い出せない。気付いたら自宅のデスクでうたた寝をしていた。目が覚めたその時点で原稿はまだ書きかけであった。どのようにその記事をまとめたのか。どのように写真を用意したのか。不思議なのはブラウザを立ち上げた記憶すらないのだ。確かに今「モルト侍」にアクセスすると昨日の記事を読むことができる。誰か他の人がやってくれている訳はないので自分でやった事は確実だ。

目が覚め時計を見ると午後5時前。随分遅くまで寝てしまったと思いつつ枕元を見ると缶ビール。持ち上げてみるとほとんど口をつけていない。すかさず自分の頭を触ってみる。安堵と共に不安。いったいいつ風呂に入ったのだろう。もちろん缶ビールのプルタブを開けた記憶もない。

流しに飲み残しのビールを捨てる事から僕の一日は始まった。
お湯を沸かしコーヒーを淹れる。煙草をくわえ火をつける。洗面所で顔を洗い。鏡を見つめ歯を磨く。トイレに入って用をたし、少しづつ落ち着いてきたがまだしっくりと来ない。いづれにしても思い出す手掛かりはもうない。手詰まりである。
何かを必死に思い出そうとしていたせいであろうか。その日に見た夢がフラッシュ・バックしてきた。何だかとんでもない夢を見ていた。夢にも思わないことを夢に見ることはあるのだ。その夢は遠い昔、子供の頃の実在の記憶の情景からスタートし、意外な展開を経由しクライマックスへと向かう手前で終わる。喜ばしい夢であると解釈している。

ところで話は変わるのだが、「エクセシオール・カフェ」なのだろうか。「エクセシオール・カフェ」なのだろうか。明日、調べてくる。

間に合いました。

豊島税務署
本日午前9時、池袋税務署に行って参りました。冒頭の写真、実は午前6時に撮影。
いくら僕でも朝の6時から税務署が開いているとは思わなかったが、8時から開くのか、9時から開くのか、それだけ確かめておこうと思い行ってみた。仕事が終わり税務署が開くまで時間がある。暇だったのだ。「8時から」とか「9時から」とか書いてあればいいのに、不案内なまま門は閉じられていた。

結局のところ開署時間は確かめられないまま9時に行ってみることにする。門の外、警備員のおじさんが車やバイク、自転車を誘導している。「オートバイは右手奥の方にお願いします」。「はーい」、我ながら元気の良い返事だ。「あっ!お客さん。帰りは奥の方、反対側の出口から出てください」。

しかしこの手の役所にお勤めの人たちは、いつ頃から僕らを「お客さん」呼ばわりするようになったのだろう。僕は何だかこそばゆくなってしまうのだ。政治家の「国民の皆さん」よりも照れ臭い。
確かに「お客さん」って呼ばれてもいいんだろうなぁ、という思いはある。少ないながらも僕だって税金は納めている。だけど僕のお金が直接この人に渡っている感覚はない。この人だって僕の払った金が自分の給料になっているという思いはないだろうに。

その点僕らの商売は楽なのかもしれない。お会計の時にお客さんが財布を開く姿を見ることになるし、そのお金が店の売上になっていることを実感できる。素直に頭を下げて「ありがとうございました」が言える。そのことは僕にとってもありがたい。

建物に入ると9時ちょっと前にも関わらず、ちょっとした人数の人が並んでいる。やはり9時前には開いていたのかもしれない。行列は20人ほどだろうか。僕は最後尾に並ぶ。
毎年のことなのだがこの行列に並ぶと、初めての申告のことを思い出す。10年前、何だか随分どきどきしていたな。ちまちまとミスをあら探しされるのではないか。何か決定的な駄目出しをされるのではないか。そんな気分だった。僕の出した書類にさっと目を通し、「パン!パン!」とハンコが押され、「ご苦労様です」。以上で終了。あっけないものだな。そう思った。

さて、今日はもうぐっすり眠ろう。
シャワーを浴びビールを飲んで、ほんの少しぼんやりして布団に入ろう。

今夜は眠れない

これで本当にキーボードが叩けるのか
「今夜は眠れない」、宮部みゆきに同名のタイトルの小説がある。確か彼女の初期の頃の作品。小粒ながら秀作。どうやら僕はこういう男の子の成長物語に弱い。最近、世の中は女の子の物語で溢れている。宮崎アニメを例に出すまでもないだろう。その是非を問う気には今はならないが。しかし、巷の男の子達が途方に暮れているのは事実だ。「男の子はこうあれば良い」、そんなことを今誰も語ろうとはしない。男の子受難の時代である。もちろん誰かが指針を示せば良いとも思わない。たったひとつのそれがある時代が良い時代だとも思わない。その是非を問う気には、今はならない。けれど、だからこそ、大友克洋に感謝をし拍手を送ろう。
悩んで学べ、男の子。悩みも恵みである。

そう、今夜は眠れないのである。確定申告の期限は明日まで。今、14日午前7時。30時間後、僕は「早く眠りたい」と思いながら、税務署の行列に並ぶことになるだろう。それまでは「今夜な眠れない」のである。
しかし何で毎年こんなことになるのだろう。毎年こうなって、毎年そう思うのだ。毎日5分づつ、あるいは毎週30分づつ、あるいは毎月2時間づつ、ちまちましたことを積み重ねていれば、こんなにまでひどい目には合わないのだ。そんなこと分かっていない訳ではないのだ。身に沁みている筈のことである。毎年変わらずに今年もそうだ。

しかし何で毎年こんなことになるのだろう。僕の中で生れたその問いに、実は既に答えはある。

「溜めて、溜めて、出す」である。
ぎりぎりセーフが好きなのだ。その滑り込む感覚が好きなのだ。僕がイチロー選手を好きな理由もそこにある。サッカーを観る理由もそこにある。喉が渇いていた方がビールはおいしいと思う理由もそこにある。遅刻ギリギリまで家を出ようとしない理由もそこにある。

「溜めて、溜めて、出す」、つまりそれは人間の排泄行為である。我慢のあとの快楽。堪忍袋の緒が切れる。そこにはカタルシスがある。
「溜めて、溜めて、出す」、つまりそれはシングル・モルトでもある。長い期間、倉庫で熟成を重ね、瓶詰され出荷される。熟成された分だけ(つまり「溜めた」分だけ)シングル・モルトは旨くなる。

もう随分昔の話になる。池袋のCDショップ「WAWE」がまだ明治通りの向かい側、西武デパートの反対側にあった頃の話だ。池袋の街をトイレを求めてウロウロしていた。かなりヤバかったのだ。前日の飲み過ぎがたたったのだろう。パチンコ屋、本屋、それらの個室は使用中。デパートのトイレは人ごみもあり迷路のようだ。大好きなビックカメラのトイレでは間に合いそうもない。手近なところで「WAVE」のビルがある。あのビルなら土地勘もある。確か1階にはトイレはない。2階から上、遇数階には女子トイレ、奇数階には男子トイレ。
ビルに入って右手の階段を上る。2階、そして3階。突き当たりにトイレが・・・。しかし、なんと、「清掃中」の立て札。むむ。侍の括約筋はもう臨界点に達しようとしていた。佇んで腰を折り、侍は膝に手をついた。待つべきか、動くべきか。答えは「フリーズ!」。動いてはいけない。固まれ。固まってこの波を乗り越えろ。何より今動けるわけもない。目を閉じた。そして神に祈りを捧げよう。「僕の体から悪臭を放つ不幸が溢れませんように」。そうだ羊を数えよう。「ひつじが1匹、ひつじが2匹、・・・、ひつじが9匹」。祈りは神に通じた。侍がひつじを10匹まで数えると、トイレから掃除のおばちゃんが出てくるではないか。右手に掃除用具を入れたバケツを携え、左手は今まさに立て札を持ち上げようとしている。
しかし、まだ動けない。ちょっとした隙を突いて不幸が溢れそうなのである。油断は禁物である。ゆっくりでいいのだ。そーっと少しづつ両膝から手を放せ。ほんの少しでいいのだ。背筋を伸ばしてゆっくり歩け。内股でも構わない。不恰好で何が悪い。それ以上の不幸が今、目の前にあるのだ。と、なんと、侍の脇を小走りに若造が通り過ぎていくではないか。「待て若造!お前もトイレか、オレが先だ」。いやいや、危うく声に出すところであった。そんな先着順がこの世知辛い池袋に通じるはずがない。しかしおばちゃん。あなたは立ち去り際、この侍を笑ったな。いや落ち着こう、今戦うべき相手はあのおばちゃんではない、ましてやあの若造でもない。己の内なる不幸である。あの若造に肩を突き飛ばされなかっただけ良しとしよう。廊下に倒れたウンコタレでは情けない。心配はいらない。個室はふたつある。危ぶむべきは次なる割り込み者である。それではふたつの個室が埋まってしまう。しかし侍、何故お前は手を広げ歩いている。追い越し禁止でも訴えているのか。情けないぞ。
何とかトイレの入口まではたどり着いた。例の若造、小便器の前に立ち安堵の表情。この上ないご満悦の様子である。迷うことなく近い方のドアを開いた。片手でドアを閉め、もう片方の手でベルトをはずし便座に腰を落とした。前屈みになり己の膝に肘を突き頭を垂れた。間一髪、危機は去った。静かに溜息をついた。いやそれは深呼吸であったかもしれない。この狭いトイレのなんと空気のうまいことか。幸せである。生きるって素晴らしい。
無事にことは済んだ。さて、トイレット・ペーパーである。ゆっくりと顔を上げた。目の前は薄い板の壁。落書きの宝庫である。その落書きの一文が目に飛び込んできた。

「間に合いましたか?」

なんという・・・。これは神の言葉か?
手を合わせ、天を仰ぎ、僕は声に出して答えた。
「はい!」

たばこのみ

ケント
20年来吸い続けてきた煙草が製造中止になった、ケントである。
ラインナップ全てが総入れ替え。パッケージ・デザインも変わり、僕が今まで吸ってきたケントはなくなってしまった。
侍は酒と煙草が大好きなのだ。それは確かに他にたいした楽しみのない証拠のようで、何だかやはり切なくもある。朝起きて煙草を吸い、働いて煙草を吸い、時々大酒を飲み寝る。毎日がその繰り返しだ。二十歳を過ぎて20年、ずっと続けてきたことと言えば「酒」と「煙草」と「仕事」。それが僕の人生なのだろうか。気付いたらもう半年休んでない。
上手に力が抜けない。助けて欲しいとうまく言えない。困ったことがあると立ち去るように逃げるだけ。そんな人生だったな。

そんな僕に20年連れ添ってくれた煙草がなくなったのだ。
去年の暮れだったろうか。近所の煙草屋のおばちゃんからケントがなくなることを告げられた。以来少しづつ買いだめをしてストックは70個ほどあるが、それだってあと一月持つかどうか。

煙草屋この煙草屋、つい最近まで薬屋との兼業であった。恐らく薬剤師の資格を持つおばちゃんはクスリも売っていたのだ。かつて自分で所有する土地にビルを建て薬屋を商い始めたのだろう。今はその壁面に自販機を並べ角に小さな窓を付けて煙草だけを扱う店になってしまった。
それにしても薬剤師が煙草を売る。これは日本に特有の現象なのだろうか。良く考えると消防士が実は放火魔だった。そのことと一緒に思えてならない。

池袋もこの辺りまで来ると、自分の土地にビルを建てその1階でそれまで続けて来た商売を継続して行う、そういうケースは多くある。
「街は活気があるのが一番。繁盛する商売をやっている人にいい場所を使ってもらって、いい場所に土地を持っている人は大家さんになればいい」。もちろんその考えは間違っているとは思わない。煙草屋のおばちゃんの所も「いい場所」だと思う。
だけど、人には土地に対する執着があるのだろう。自分の土地、自分の場所、自分のテリトリーを人は大切にする。朝方に仕事を終え、僕は帰宅途中にそれらの土地持ちの商店主とすれ違う。彼らは皆一様に自らの店の前を掃除する。見知らぬ無作法な者には冷たい視線を送るが、顔見知りの者とは笑顔で挨拶を交わす。何か事件が起これば切実に情報を集め、僕らのようにその商店主より買物をする者にはその情報を提供する。
およそ街なんてものは大きくなればなるほどよそ者の集合体であろう。かつては僕もよそ者であった。そして今はこの街に定着している。ジェイズ・バーより以前から商売をしていた八百屋、弁当屋、ラーメン屋、皆ひとつづつ消えていった。だけどそれら地場の人たちは、僕らかつてのよそ者を上手く街に定着させるために要となってきたことも事実だと思う。

確かにこの煙草屋のおばちゃん、かなりのおしゃべり好きだ。大昔、アルバイトの女の子に煙草を買いに行かせたら30分帰って来なかったこともある。おばちゃんに捕まってしまったのだ。

これも随分昔の話になるが、かなり仕事が遅くなって帰宅途中そのおばちゃんの煙草屋(その当時は薬屋)の前を通った。水を汲んだバケツを傍らに大きなほうきを持って佇んでいる。
「いやんなっちゃうわねぇ」、ご立腹である。
「どうしたの?」
「これで3日連続よ!見てよ、この酔っ払いのゲロ」、確かに無残である。自販機にかけることもなかろうに。
やはり僕はこういう人たちに感謝をしたい。
こんな池袋が好きである。

トフィってなんですか?

これもトフィ
このブログのトップコメンテーター「横チン」氏。ご存知の方も多いと思うが、彼は実はジェイズ・バーで昨年9月まで4年ほど働いていた。本名は横沢だっただろうか?横田だっただろうか?いや横溝だったと思う。違うかな?今は確か赤坂のスターバックス・コーヒーで働いている。いや、違うかもしれない。間違っていたらごめん。訂正があればコメントを入れてくれ。

勉強熱心な彼(という事にしておこう)は、ジェイズ・バーに入店してすぐに「モルト・ウィスキー・コンパニオン」(前版)を買ってきた。彼なりに読み込んだのだろう。ある日の事である。
「トフィって何ですか?」、横井君の質問である。
「・・・。うーん。宇多田ヒカルを知ってるか?」
「はい!」、元気の良い返事である。横井君もまだ若かった。トフィと聞いて、宇多田ヒカルと返事が出てくる。しかし、何の疑問も抱かない。けれど話がどう展開するか、不安ではあったかも知れない。
「宇多田ヒカルのニックネームを知っているか?」
「え、はい」、元気の良い横井君のトーンは少し落ちた。甘いぞ横井。
「何だ?」
「えーと、ヒッキーですか?」、横井君、君の不安は的中しそうだ。
「そうだ」

しばし、沈黙である。横井君から言葉が出てくる前に語らねばなるまい。
「塩沢トキを知っているか?」
「はい・・・」、萎むな、そして黙るな横井。

「えっ?」、息が詰まったか?横井君。
「そうだ」
「トフィっていうのは塩沢トキの事なんですか?」
「そうだ」
「終わりですか?」
「そうだ」

「だって・・・、スコットランドでも塩沢トキは有名なんですか?」
「そうだ」
「スコットランドでは塩沢トキを食べたり飲んだりするんですか?」
「そうだ」

何事も経験である。経験に勝るものはない。トフィをあれこれ語っても仕方がない。食べるのが一番である。翌日僕はトフィを用意した。
「横井。これがトフィだ。食ってみろ」
「はい、ありがとうございます」、横井君トフィ初体験である。

「甘いですね」、うむ、確かに甘い。
「わりとしっかりした食感ですね」、うむ、確かにしっかりである。
「チョコ−レートですね」、いや、そこは微妙だ。
「いや、そこは違うかもしれない」
スタバのトフィにはチョコレートが入っているが、チョコレートが入っていなければトフィと言えない訳ではないのだ。父はその著作でもチョコレートを感じた時にはチョコレートと書いている。それをわざわざ「トフィ」と言うからには、やはり「トフィ」と「チョコレート」は区別するべきであろう。父は恐らくトフィの甘味とナッツっぽさを表現したいのではないだろうか。トフィは英国の伝統的なお菓子なのかもしれないが、そもそもはとても素朴なものなのだろう。ある意味「子供騙し」なのかもしれない。

そんな説明をした。横井君、少々困惑気味である。分かったような。分からないような。
「やっぱり、トフィって言うのは、塩沢トキなんですかね?」
「・・・、そうだ」


ついにトフィ

スタバのトフィ
心ならずも足はスタバに向かってしまった。昨日の今日である。不本意。不覚。
嫌よ嫌よも好きのうち、であるか?結局来てしまったのだ。
怯むな侍。大義はこちらにある。「トフィ」を求めよ。

入口の自動ドアの前で棒立ちしてしまった。センサー式の扉ではなかったのだ。慌ててボタンを押す。扉が開く。自然と、いや意識的にか?町娘を探す。しかし、この時の僕は自然に町娘を探していたのだろうか?あるいは意識して探していたのだろうか?敢えて言えば「自然と意識的に探していた」と言いたいところだが、これは日本語の使い方がおかしいのか?しかし、自然に(気付いたら)意識していたなんてことは人には良くあることではないのだろうか。この気付いたらって言い方もおかしいのか?この時に気付いたことっていうのは、それでは気付く前どこにあったのだ?自分の中か?自分の外か?外ではないだろう。それでは中か?
切り口を変えてみよう。自覚という言葉はどうだ?自覚していたか?無自覚であったか?…。うーん。恥ずかしいが自覚していた、な、侍。気付くというのは自覚するという事なのだろうか?それともそれこそ意識するという事なのだろうか?そもそも意識とは何なのだ?考えるという事とは違うのか?だとしたら無意識とは何だ?
今日出てきた言葉の中で一番シンプルなのは「考える」だろうか?確かに「考える」は「考える」だ。「悩む」ということとは別にしているが。「考える」をシンプルに「考える」とすると、意識とはその作業領域であろうか?思考や思索を広げる領域。PCでいうところの「デスクトップ」や「メモリ」といった概念であろうか?だとすると無意識とは「フォルダの中」や「ハードディスク」のようなものであろうか?確実に存在するのだが今は見えていない。
さて、お約束の前置きはここまで。

面倒なので、会いたくて会いに行ったということにしておく。
しかしである。町娘はその日いなかった。そもそも僕が自動ドアのボタンを押し忘れたのは、扉の外から彼女を探し瞬時にいないという判断に達し、いないのなら帰ろうかと思ったからかもしれない。まぁそんなことはいい。また前置きが始まりそうだ。何より今日はトフィを買いに来たのだ。

久々である。トフィを食べてみた。チョコレートのコーティングがしてある。確かに甘い。有り体に言ってしまえばスタバのトフィはチョコレート・バーである。もちろん不味くはない。コーヒーと合わせて食べる事を考えれば丁度良いかもしれない。わりとたくさん入ったナッツは特徴なのかもしれない。サクサクという食感にはならない。固めのしっとりという感じか。

昨日で恋は終わったつもりでいた。自らの未練がましさにも今日とどめを刺された。あきらめよう。終わりは始まりである。寝て起きれば明日は始まる。
さようなら、そしてありがとう。
元気で暮らせ。

恋する侍

スタバ
侍は恋に堕ちた。シングル・モルトではない。町娘にである。堕落である。
先日の記事、「父のスタンス」を憶えているだろうか。
この記事の中で「トフィ」について簡単に話をした。その際スターバックス・コーヒーにも「トフィ」があったとの話をした。父がまだ子供の頃に食べていたような素朴な「トフィ」ではないと思うが、「トフィ」は「トフィ」、念のため現場に行ってみよう。誰でもが触れることの可能な瑣末な事実を扱って行きたい。それは僕のスタンスでもある。ついでにコーヒーを一杯買って行こう。スタバでコーヒーを買って店に入る。そんなに珍しいことではない。いやむしろ、「トフィ」を買うことの方がついでか?

「こんばんは!」こちらの視線をしっかりと捉えようとする町娘の目。重ねてキュートな笑顔。ちょっぴりドキリとした。「誰?オレ?」声にこそ出さなかったが、後ろを振り返ってしまった。誰もいない。その笑顔、間違いなく侍に向けられたもの。しかと受け止めよう。
「トール・サイズのラテ、あったかいのを、1ショット追加で」。モジモジするな侍。
「はい、かしこまりました」。元気で行儀良く好感の持てる対応。やるな、町娘。レシートの上につり銭を乗せ、「奥のカウンターでお待ち下さい」。にっこり。
しかし、なにゆえの1ショット追加か。そんな程度のことで町娘の心を動かせるとでも思うのか。堕ちたな侍。この大ばか者。

わかる。ハイエナどもの言いたい事は良くわかる。
「どうせ・・・」、黙れハイエナ!無礼な!お前らこそ審美眼がないのだ。
ちなみに侍、多くの人と女性の好みが合わないことで有名である。他人と好みが合わないこと自体はむしろ侍を利するところでもあるが、「ブ○好き」とまでは言われたくない。

落ち着こう、そんなことはどうでも良い。
さて、奥のカウンターで待つこととなった。幸い店内は空いている。侍の注文した「トール・サイズのラテ、あったかいのを、1ショット追加で」は現在作業中である。もうすぐ出てくる。
町娘の名を知りたいと思った。残念ながらスタバには名札がないのだ。そうだ!レシート。もしやそこに町娘の名が・・・、なかった。残念。
注文の品を受け取り出口へと向かう。侍の動きを追う町娘。振り向きながら軽く笑顔を送る侍。軽く会釈し笑顔を返す町娘。落ち着け侍。浮ついてはいけない。武士は食わねど高楊枝。清貧と体面を重んじてこそ侍。さっさと歩け、出口へと向かうのだ。
しかし、これはふたりの恋の始まりか。

「こんばんは!」、何?町娘の声。
立ち去る侍に向かい「こんばんは」とはどういうことだ。元気で行儀良く好感の持てる娘と思ったが侍の眼は幻を見たか?礼儀知らずであったか。
と、なんと、入口より新たな来客。なるほどそういうことか。その「こんばんは」はそちらに向けたものであるか。何人にもそのような声で、そのような偽の笑顔で媚を売るのか。お前の目は侍だけを見ていたのではないのだな。心根の純粋さを脇に押しやり、資本主義に毒されおったな。無念である。
背中の後ろで自動ドアが閉まった。

風の匂いが変わった。天を仰ぐ。報告をしよう。「父さん、今度の恋は5分で終わりました」。
俯いて店へと歩いた。横断歩道を渡り、マルイの前。ふと足が止まった。
「そうだ、トフィ」
迂闊であった。失念してしまった。
けれど町娘、お前のその偽りの笑顔はトフィひとつ分の売上を減らすことになったぞ。本当のまごころでなければ人の心は動かせぬ。良く考え反省しろ。
いやしかし、戻ってトフィを買おうか。もう一度会えるし・・・。また来てくれたお客さんって、印象に残るかもしれないし・・・。いや、店へと急ごう。今日は行かない。明日行こう。(結局行くのか!侍)。

ほろ苦いぞ。ラテ。

お断り

さて、関係のない方には興味がないことかもしれないが、世の中確定申告の時期真っ只中である。当然僕もそれに関係している。個人事業主として申告をしなければならない。作業の量もうんざりするほどあって、それはそれで大変なのだが、去年一年の自分の成績票を自分で作らなければならないような、そんな意味でも憂鬱になる。

ところでこのブログであるが、年が明け三が日を過ぎてから平日は毎日休みなく記事を書いて皆さんに読んで頂いている。一本の記事を記事としてまとめるのに大よそ2時間くらいは掛かってしまう。確かにそれも大変なのだが、僕の楽しみのひとつになりつつあるので辞めようとは思っていない。しかし、確定申告の締切りは3月15日、あと10日を切ってしまった。
本当は暫くの間お休みを頂こうと思ったのだが、毎日続けてきた事を途中で一旦中断というのも何だか口惜しくなってきた。確定申告が終わるまで「雑文」を記事にして、途中中断はなしということにしたいと思う。侍の意地である。
このブログのカテゴリーから言えば「日々の雑感」あるいは「池袋」辺りに分類されるような記事であろう。下らんと思った方は読み飛ばしていただきたい。腰に下げた剣を外した侍の姿、侍の休日の姿である。ご心配なく。すぐに戻る。

これを機会に今まで書いた記事を読み直して頂いたりすると嬉しい。
関係ないが、このブログ「モルト侍」はリンクフリーである。好き勝手にリンクを貼ってくれて構わない。折角なのでいろんなモルト好き、モルトに興味を持ち始めた人に読んで欲しい。
あなたの周りにシングル・モルト好きがいたら紹介もして欲しい。多くの人に読んでもらえるようになるのは喜びである。侍も気合を入れて確定申告に取り組む。

さて次回予告。
明日のタイトルは「恋する侍」である。乞う、ご期待。

刺客、再び。

ジェイズ・バーのスプリングバンク
夕方から雪を予告していた天気予報は結果としてはずれた。バイク通勤をする僕にはありがたかったが、街には雨の匂いが充満していた。営業の始まる夜8時頃から池袋は小粒の雨。いやな時間から雨だ。せめてこの雨が雪に変わらなければ良いのだけれど。

刺客から電話が来た。昨日の夜だ。いくつかの用件をやり取りし、その電話は手短に切れた。また侍を斬りに来るつもりか。仕事を済ませすぐ帰るつもりか。腹の内を見せぬまま「早い時間に伺いますよ」、そう言ってその電話は切れた。あれから一月あまり、侍を斬りに来るつもりでいてもおかしくはない。月に一度は来るという刺客。そう、確かにあれから月が変わった。準備をせねばなるまい。今度ばかりは負けられない。

それにしても前回、刺客の捨て台詞か気になる。「いつ、アイラ・モルトを持って来るかが問題なんですよ」。そう言って奴は帰っていった。いずれはそこに手を出さざるを得まい。一般的に特徴があるといわれるアイラ・モルトを持ってきて、アイラ・モルトすら当てられない侍の顔を刺客は見たいと思うだろう。しかし刺客とてあからさまなアイラ・モルトを持って来てきっちり当てられても口惜しかろう。できることなら僕が間違いを犯した後、判りづらいアイラ・モルトの中に確実に存在する微妙なアイラ・モルトのニュアンスを指摘し、侍をこき下ろし溜飲を下げたい。それこそが刺客の夢なのではないだろうか。いずれにしたってこのままアイラ・モルトを扱わずにはいられまい。そのうち必ず出てくる。それは次か、その次か、そのまた次か。しかし、どうせ出さなくてはならないのなら次なのではないか?いやいや、あせってはいけない。次は必ずアイラ・モルトを出さなくてはならないと決まった訳ではない。すべては刺客の手に委ねられている。
しかし、しかしである。「アイラ・モルトをはずしてしまう侍」なんていうような愚は犯したくない。良く考えよう。もしも刺客がアイラ・モルトを持って来るとするならば、それは判りづらいアイラ・モルトであることは間違いない。刺客の望みは「アイラ・モルトをはずす侍」なのだ。騙されてはいけない。微かではあってもアイラ・モルトの特徴を捕まえたら、アイラ・モルトである事をまずは疑ってみるべきだ。
その事だけは肝に据え明日の勝負にのぞもう。

はずした!長過ぎる前置きはいらない。結果を先に伝えよう。この勝負、またしても侍の負けであった。非常に口惜しい。完敗である。まさに盲点を突かれた。
正解はスプリングバンク。冒頭の写真はジェイズ・バーにあるスプリングバンク3本。今回侍の飲んだスプリングバンクとは違う。オフィシャル・ボトルのスプリングバンク、10年、カスク・タイプである。申し訳ないが写真はない。
地域名を絞るところで僕はアイラ・モルトと答えてしまった。結果としてその時点で負け。アイラ・モルトを間違えるのも口惜しいが、アイラ・モルトでないものをアイラと言ってしまうのも同様に愚かだ。鏡の向こうの自分に怯え剣を振り下ろし、鏡を壊してしまったような、そんな気分だ。

グラスに注いでまず一口。とても固さを感じた。ピリピリする感じもある。辛くそして痛くもある。酸味も弱い方ではない。アルコール度数もやや高目。おそらくカスク・タイプ。甘味は割としっかりしている。そこそこコクもある。ややスモーキー、僅かにピーティ、若干の塩味。
最初の印象はそんな風だった。素直に言わせてもらうと、僕が犯した大きな間違いは熟成年数の読み間違いである。正解は10年。僕はこれを若くて15年、熟成を重ねていれば20年もあり得なくないと読んでいたのだ。甘味とコクのあり方がしっかりしていたのだ。端からそこで躓いた。どうやら僕はアイラ・モルトの特徴を探すのに躍起になり過ぎていたのかもしれない。何につけアイラか、アイラでないか、そのことばかり気にしていた。「とても固さを感じた。ピリピリする感じもある。辛くそして痛くもある」。僕のこの印象はある種のアイラ・モルトの特徴のようでもある。しかし見方を変えればカスク・タイプでフレッシュなシングル・モルトそのものである。どうやら僕はアイラ・モルトに過剰反応してしまったようである。しかしこのスプリングバンクが曲者だったのはこの甘味とコク。程度よく秀逸である。熟成年数を上に判断してしまった理由にもなった。
しかし一番の敗因はこのスプリングバンクを飲んでいなかったことにある。実はこのスプリングバンクに限らず熟成の若いスプリングバンクを僕はあまり高く評価していなかった。僕にとっておいしいスプリングバンクとは「テリヤキ」である。甘味があり、コクがあり、辛味があり、塩っぽい。つまり甘辛でしょっぱい、まさに「テリヤキ」である。この特徴は長期熟成タイプのスプリングバンクによく現れる。ここ最近「テリヤキ」スプリングバンクを追い求めるあまり、若いものにはあまり手を出さないできた。だけど僕のいう「テリヤキ」スプリングバンクが、甘味があり、コクがあり、辛味があり、塩っぽいであるなら、それらはすべて僕の最初の印象に含まれている。いまさら悔んでも、悔みきれない。

今回は非常に勉強になった。素直に反省をしよう。若いオフィシャル・ボトルを侮ってはいけない。このシングル・モルトのことは知っている。そんな思い込みは極力排除すべきであろう。何より今回、刺客により僕の中の根拠のない思い込みは斬り払われたかもしれない。感謝をしよう。日々精進である。今日のところは負けたと言っておこう。
さて、今回の負けでリーチがかかった。刺客曰く、サムライ・リーチで「サムリー」なのだそうだ。寒いぞ、刺客。しかし、次回の負けでハラキリ・モルトを用意しなければならない。皆さんの期待はひしひしと感じる。負けるわけには行かぬ。腹は切らぬ。笑うなハイエナども!返り討ちにしてくれる!

腹立ち紛れにではないが、勝負のあと今回は刺客にも問いを投げかけてみた。
「おい、刺客。席を立て!トイレに入れ!」
僕は一本のシングル・モルトを選んだ。オーバンである。
あれこれ悩む刺客。いい気味である。

結果は、「ざ・ん・ねーん」。
刺客が何をどんな風に間違えたかは黙っておこう。武士の情け。
しかし、なぁ刺客。おれたちは泥仕合か?悲しくねぇか?
日々精進である。

刺客は去った。
雨はみぞれになり、午前3時、みぞれは雪に変わった。
箱庭の雪

父のスタンス

父の肖像
何度も繰り返して申し訳ないが、僕はシングル・モルトの父、マイケル・ジャクソンを敬愛して止まない。躓いたり、転んだり、あるいは自らの意思で立ち止まった時にも、父の著作を開く。父の言葉に触れ、目を瞑り、シングル・モルトに思いを馳せる。新たに仕入れたシングル・モルトの封を切る時にも、初めてのシングル・モルトを口にする時にも、父のことを思い出す。「父さんはこのシングル・モルトをどんな風に語るのだろう」。

シングル・モルトの味と香りは僕に様々なことを思い出させる。僕はそのシングル・モルトを一口飲んで、僕の経験と記憶に照らし合わせ、僕なりの言葉を紡いでいく。紡いだ言葉を頭の中で並べる。そして父の著作を開く。僕の言葉と父の言葉を突き合わせ、感嘆したり落胆したり。

昨日の「グラスゴーに向かって出発した汽車?」にしても、「日本のおつまみに出るような」にしても、父は時々そんな悪戯心を差し挟んで来る。お茶目な父なのだ。以前の記事「一筆啓上、ピートとヨード(その3)」を読み返してみて欲しい。つまり父は「テイスティング・ノートというのはウィスキーを飲んで自分が何を感じたのか、何を思い出したのかを素直に書けばいい」。そう言いたいだけなのではないだろうか。そして多くの人にシングル・モルトを語ってもらいたいと思っているのではないだろうか。でも僕自身、マイケル・ジャクソン氏にシングル・モルトの父との思いを寄せる前は「随分勝手なことを言う人だなぁ」と感じていた。もちろん「勝手なことを言う」ことと「素直に書けばいい」ということは、本来なら少し意味が違う。だけどシングル・モルトを飲み始めた人にとっては、自分が何かを「素直に」言おうとしているのか、「勝手に」言おうとしているのかの区別は曖昧になる。自分は勝手なのではないかと思った途端、語ることは億劫になる。僕の懸念はそこにある。それを何とか取り払うことはできないものかと、僕はいつでも思っている。何より僕は語って欲しい。たくさんの人に、自分の言葉で。そしてこれは当たり前のことだけど、自分の言葉は自分の経験の中から生れてくる。

父はテイスティング・ノートの中によく「トフィ」を登場させる。あなたは「トフィ」をご存知だろうか?英国のお菓子である。使い捨てライターを一回り大きくしたような大きさで売られることが多い。基本的にはバターと砂糖に重曹などを加え、鍋で煮詰めて冷やして固めるキャンディのようなキャラメルのようなお菓子。おそらく父は子供の頃トフィをたくさん食べたのだろう。
以前スターバックスで扱っていたことがあったと思うのだが、スタバのトフィはチョコレートの味がしたと思う(違うかな?)。

随分昔の話だが、あるお客さんがダルモアを飲んでいた。散々シングル・モルトの話をした後その人は「トフィのような香りがしますね」と言った。本当に申し訳ないが、僕はその時ほんの少しだけ笑いそうになってしまった。確かに父の著作のダルモアのテイスティング・ノートにはトフィが出てきたと思ったが、本当に「あなたが」そう感じたのですか?と聞いてみたくなってしまった。その人が帰った後すぐに父の著作を調べてみると、確かにダルモア・シガーモルトのテイスティング・ノートにトフィは出てくる。だけど父がトフィを感じたのは「香り」ではなく「味」だ。

正直に言わせてもらおう。そんなに無理をしなくても、ムキにならなくてもいいのにと思う。残念だけど人から聞いてきた話っていうのはどこか薄っぺらい。僕は「あなたの」話が聞きたい。

これは違うお客さんの話だが、「この味は“うまい棒のオムライス味”に似てます」。といった人がいた。僕は心の底からこういうお客さんが好きだ。勝手な言い分かもしれない。確かに僕は「うまい棒のオムライス味」を食べたことがないし、本当にそれが「うまい棒のオムライス味」に似てるかどうかは分からない。それにうまい棒に「オムライス味」がある事も知らなかった。だけどやはり素直な言い分だとは思う。結局その後ジェイズバーはうまい棒の話で持ち切りになり、シングル・モルトの話はぶっ飛んでしまった。だけどそれでいいのだと思う。
だって僕の父さんだって「グラスゴーに向かって出発した汽車?」なのだから。

僕は父さんに言いたい。
僕は「グラスゴーに向かって出発した汽車」を知らない。だけど、父さんだって「うまい棒のオムライス味」は知らないでしょ。

父は前版でも改訂版でも「モルト・ウィスキー・コンパニオン」で「シングル・モルトのA to Z」という章から各蒸留所のテイスティング・ノートへと続くようにその著作を構成している。各蒸留所のテイスティング・ノートが始まる前にその見方について説明をしており、そこでスコア(点数)について読者に理解を求めている。素直に言うと前版では少しぼやけた印象があったのだが、改訂版で父は(息子の気持ちが伝わったのか)それを少し修正してくれた。父の言葉を引用しよう。

控えめな点数だからといって、試してみるのを思いとどまるべきではない。おそらく私はそのウィスキーに熱狂的ではなったのだろう。しかし皆さんはそれが大好きかもしれない。

父さん、僕は父さんが大好きさ。

父の著作(やっぱりつづき)

父の著作
前版のモルト・ウィスキー・コンパニオンでブナハーブンについて、父が詳しくテイスティング・ノートを書いているのは3本。改訂版でそれは13本に増えた。ブナハーブンに限らず概ねどの蒸留所も扱われるシングル・モルトの本数は増えた。全体で前版より112ページ増えて、大きさも一回り大きくなった。おまけに値段もちょっと上がった。
しかし、問題の「ブナハーブン 1963、43度」は姿を消した。「日本のおつまみ」が何であるかはわからないままだ。改訂版が出た後には、という僕の思いは宙に浮いたまま。真相は闇の中からその姿を現すことはないだろう。
僕はその事がずっと気になっていたし、改訂版が出たら父は答えを教えてくれるのではないか、という思いをずっと抱えて生きてきた。そして、ついに改訂版は出たのである。当然僕はブナハーブンの頁を探し、そこから読み始めた。問題の「ブナハーブン 1963、43度」を探したが見つからなかった。
実は今僕は、もしかしたら答えが見つからないままで終わってくれれば、その方が良かったのかもしれない、とさえ思い始めている。

「ブナハーブン 1963、43度」を探したが見つからなかった。つまり改訂版を出すに当って父はこれを削った訳である。確かにこれはある意味妥当な判断かもしれない。このシングル・モルトは市場で手に入れるのはかなり困難なウィスキーでもあるからだ。誰も飲めないウィスキーについて語っても意味がない。父はそう判断したのかもしれない。
しかし、僕にとっての重大な問題は「日本のおつまみ」である。もしかしたら、他のシングル・モルトのテイスティング・ノートに「日本のおつまみ」のヒントが隠されているかもしれない。ブナハーブンは全部で13本。当たり前だが、まずはここから読んでいこうじゃないか。「ブナハーブン 1963、43度」に父は「日本のおつまみ」を感じたのだ。他のブナハーブンにも「日本のおつまみ」を感じたかもしれない。

その日の営業が終わったあと、椅子に座りシンクの淵に足を投げ出して、膝に父の著作を乗せ読み進むうち、P160で僕は脱力した。目を閉じて頭を垂れた。

父のテイスティング・ノートより
ブナハーブン1966、カスク番号4379、46.1度
香り:スモーキー。新鮮な海風。グラスゴーに向かって出発した汽車?

「グラスゴーに向かって出発した汽車?」。最後はクエスチョン・マーク。父さん…。
このクエスチョン・マーク、父さんは僕に何かを問いかけているのですか?
父さん、出来の悪い息子でごめんなさい。父さんにそう聞かれても、僕はグラスゴーに向かって出発した汽車の香りを嗅いだ事がありません。
父さん、ごめんなさい、僕は簡単に音を上げようとしていました。父さんは少しヒントをくれましたね。この部分の最初に「スモーキー」とあります。これはまさに「煙たい」という事ですね。これは蒸気機関車の煙りが「スモーキー」という事でしょうか?「新鮮な海風」ともあります。蒸気機関車、そして新鮮な海風。そうだ、父さんはきっと海沿いの駅のプラットホームにいたんですね。そして、その蒸気機関車はグラスゴーに向かって出発して行った。父さんはきっと、このシングル・モルトを飲んだ時、そのことを思い出したんですね。違いますか?

父さん、今僕はふと不安になりました。父さんは汽車と書きました。僕は蒸気機関車と言いました。父さんの国にはまだ蒸気機関車は走っているのですか?それとも父さんが子どもの頃の話をしているのですか?父さんはその時、駅にいたのですか?それともその汽車に乗っていたのでしょうか?父さん、僕は間違ってしまいましたか?そもそも勘違いをしていましたか?
このブナハーブンの「味:」の部分には「奇妙にエステリー」ともありました。あなたの出来の悪い息子は「奇妙なミステリー」と読み違えてしまいました。

父さん、僕はまた分からなくなってしまいました。

父の著作(つづき)

ブナハーブン2本
シングル・モルトの父、マイケル・ジャクソンの著作「モルト・ウィスキー・コンパニオン・改訂版」が出た。改訂版が出る前の「モルト・ウィスキー・コンパニオン」、「ブナハーブン 1963、43度」(P87)のテイスティング・ノートにこんな記述がある。

フィニッシュ:アーモンドのよう、ほのかに食用の海草、日本のおつまみに出るような。

「日本のおつまみ」である。父よ、あなたの息子は悩みました。
実はこのシングル・モルト、「ブナハーブン 1963、43度」を僕は飲んだ事がない。飲んだ事がないので想像力を働かせて考えるしかなかった。残念な事にラベルの写真もない。悩ましいばかりであった。
あくまでも僕の感覚であるが全般的にブナハーブンに感じるのは、塩っぽいというよりは潮風という程度の塩っぽさ、その塩っぽいことでどこか清涼感を感じさせる程度のものである。それよりも甘味の方が特徴的で重要であろう。程よい甘味のある事が味わいに奥行きを発生させ質の良いコクを感じさせている。もちろん決してベタに甘い訳ではないが、この甘味は全体を下支えする大きな要因になっているはずである。そうでなければ納得しうなづけるほどのバランス感は達成できないだろう。もうひとつ感じるのはナッツのような側面だろうか。僕はある種の噛み応えとしてそれを感じる。麦っぽいシングル・モルトがどこかクッキーやクラッカー、ビスケットなどに思えた時に感じるものとは少々ずれた噛み応えである。独特の香ばしさのようなものを持っており、それがナッツであるせいか、若干のオイリーさやクリーミーさをも感じさせることがある。アーモンドやピーナツの渋皮の渋味や苦味すら感じる。

改訂版が出る前、前作の「モルト・ウィスキー・コンパニオン」から、もう一度父の言葉を順を追って引用し僕なりの解説をしよう。
まずは「アーモンドのよう」、ここは理解できる。僕が飲んでもそれを感じただろう。上にも書いたがブナハーブンには全般的にナッツの特徴があってもおかしくはない。「ブナハーブン 1963、43度」とあるだけで熟成年数はないので不明なままだが、もしも長期熟成のウィスキーであればナッツの特徴はより一層感じると思われる。
次は「塩っぽい」、これも納得しよう。注意すべきは父の表現。恐らく父は「潮風」→「塩っぽい海風」→「塩っぽい」の順で感じた塩分の濃度を濃いものとしているはずである。であればこの「塩っぽい」という表現は、ウィスキーを口に入れ確実に塩分を感じたことの証左であろう。
続いて「ほのかに食用の海草」、これこそは僕が良く使う表現「ダシ」の要因であろう。アイラ・モルト全般に感じる海を背景にしたミネラルっぽさ、味わいを複雑にし柔らか味を持たせ奥行きを与える、まさに僕が旨味と捕らえている要因のひとつである。
そして最後が問題の表現、「日本のおつまみに出るような」。
父さん・・・。

あなたは日本の代表的なおつまみと聞かれて何と答えるだろうか?
塩辛、アン肝、もずく酢、春菊の辛子和え、ほうれん草の胡麻和え、ダシ巻き卵、ふろふき大根、ひじきの煮付け、枝豆、酒盗、ニシンの昆布巻き。そんなところだろうか?
シュウマイ、餃子、レバ刺、キムチ、ソーセージ、フライド・チキン。これは国が違うか。
てんぷら、かつおのタタキ、ブリ大根、おでん。これは「おかず」であろうか。いや、おでんはおかずではないか?いやいや、そもそもそんな話ではない。

父は日本贔屓なのかもしれない。息子には会ってくれないが日本にはよく来る。日本贔屓で「日本のおつまみ」に詳しいのかもしれない。あるいはもしかしたら子供の頃から食卓に「日本のおつまみ」が並ぶような環境で育ってきたのかもしれない(そんな訳はないか)。いづれにしてもこのブナハーブンを飲んだ時に父は「日本のおつまみ」を思い出したのだ。記憶の中に日本で食べたおつまみの記憶のカケラがあり、このブナハーブンを飲んだ時に記憶を検索し「日本のおつまみ」がヒットしたのだ。僕はそう考えている。
「日本のおつまみ」この表現自体非常に曖昧である。もしもこの「日本のおつまみ」が例えば子供の頃から馴染んだニシンの昆布巻きであるなら父は具体的にそう書くだろう。しかし曖昧なままだ。そのことから察しても子供の頃からニシンの昆布巻き(つまり日本のおつまみ)に馴染んできた訳ではないだろう。同様にテイスティング・ノートに食べ物を扱ったケースに「トフィ」もよく出てくるが、そのことを考えてもそれは頷ける。
さて、手詰まりである。どう考えてももうこれ以上は理解不能。前述したが僕自身このブナハーブンを飲んだことがない。だから飲んだ上で特定の何かに似ているとも言えない。しかし僕は熟慮の結果、父の指す「日本のおつまみ」を「ひじき」とすることにしていた。そしてついこの前まで、次なるモルト・ウィスキー・コンパニオンが出たら「日本のおつまみ」の真相について語ってくれるのではないかと思っていたのだ。
父さん・・・。

つづく(やっぱり)
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