モルト侍

池袋のショット・バー、ジェイズバーのバーテンダーが、大好きなシングル・モルトを斬る。

2006年03月

一筆啓上、山崎蒸留所(10)

天与の才として鳥井は鋭い嗅覚を持って生まれた。
昨日、僕はそう申し上げた。それは正確なものの言い方ではなかったかもしれない。先天的に鳥井が鋭い嗅覚に恵まれていたかどうか、実のところ真偽は定かではない。僕などに知りようがないのだから。

しかし、彼はわずか13歳で薬品を扱う商店に丁稚奉公し、その後も染料などを扱う職場で働いている。それは匂いに溢れた職場ではなかっただろうか。日々数多くの商品の香りに触れ、そのひとつひとつの違いをしっかりと自らの記憶に留め、類型的に捕らえる訓練を積んで来たのではないだろうか。

そもそも利発な子供だったのだ。商人の次男として育ち、13歳で丁稚奉公に出される。その事実は田舎の次男坊が口減らしのために外に出されるという状況とは違うだろう。鳥井信治郎が成し得た事業の成果を見れば、彼が子供の頃から「立派な商人になりたい」という志を持っていても何ら不思議ではない。商品の知識を身に付けることは重要だったはずだ。「目利きになりたい」。彼はそう思ったのではないだろうか。結果として彼は「鳥井の鼻」と周囲の者にそう呼ばせるほどになった。どんなに才能があっても、努力をする意思と訓練する場所がなければそれは育たない。

「目利きになりたい」。
そう願った鳥井は成人し、十分に「鼻が利く男」になったのではないだろうか。

賛否両論ではあるが、サントリーという会社の広告戦略はつとに有名なところであろう。山口瞳や開高健などの作家を育てた会社であるとも言えるのかもしれない。ヌード・ポスターの話は以前した通り。確かに商品および会社の良いイメージを喚起させるのは上手だ。その伝統は創業以来受け継がれており、その始まりはもちろん鳥井信治郎ということになるだろう。

鳥井の生まれ年は明治で言えば5年。13歳で丁稚奉公に出たのが明治18年。それは、日本という国が外に開いて行った頃ではなかっただろうか。多くの人が先進性を持つ外国に憧憬の眼差しを送り始めた頃ではなかっただろうか。鳥井は輸入品を扱う業務をこなすようにもなる。彼の眼差しは「外」に向かうことも多かっただろう。当時の広告戦略に現れるようなセンス。それはそのように培われて行ったのではないだろうか。

今を生きる僕らからすれば、それはヌードではないかもしれない。けれど明治生まれの人々はそれに驚きを隠せなかったであろう。「下品に過ぎる」と悪評を立てられることはないだろうと、判断し予測できた鳥井のセンスに僕は感嘆する。

誤解を恐れず言わせていただくなら、
「鼻が利く男」、鳥井信治郎のどこか一部分は確実に「スノッブ」ではなかっただろうか。
もちろんそれは「先読みができる」、「先進性に優れている」、という特長につながっている。

是非ともお願いをしたい。
人気ブログランキング

一筆啓上、山崎蒸留所(9)

山崎蒸留所がサントリーの所有する蒸留所であることは、すでに皆様ご存知のことと思う。そしてこの記事を読んでいただいている皆様は、その山崎蒸留所の初代工場長の竹鶴政孝氏が、実はニッカ・ウィスキーの創業者であるということも理解していただいていると思う。

昨日までの話の流れからすれば、「なるほど、そんな経緯があり、竹鶴政孝氏は山崎蒸留所の工場長を辞職し、ニッカ・ウィスキーという会社を立ち上げるのだろう」。ご存知のない方もそう思われるであろう。
それはその通りなのである。もちろん、そのことについてはいづれ書かせていただく。しかし、皆様にはここで一度立ち止まっていただきたい。何せこの連載のタイトルは「一筆啓上、山崎蒸留所」なのである。「ニッカ・ウィスキー創業物語」のプロローグではない。

スコットランドのウィスキーに思いを寄せる時。そして日本におけるシングル・モルト・ウィスキーとブレンデッド・ウィスキーを思う時。僕はつくづく考えてしまうのである。「それらはどのように、どのようなきっかけで始まったのだろうか?」、と。その始まりに欠かせないものは、何であったのだろうか?と。

こと日本のウィスキーに関していえば、その始まりに欠かせないものは寿屋(現サントリー)の創業者、鳥井信治郎氏の「鼻」なのではないだろうか。実はそれが僕の思うところだ。鳥井信治郎氏の嗅覚。実はそれこそが、日本のウィスキーの始まりのきっかけに欠かせないものだったのではないだろうか。僕はそう思っている。

簡単に鳥井氏の経歴を押さえておきたい。
1872年、両替商、鳥井忠兵衛の次男として生まれる。非常に頭の良い子供だったようだ。飛び級をして学校を卒業。その当時の商人の息子というのはそういうものであったのだろうか、13歳で薬問屋や絵具・染料を扱う商店に丁稚奉公に入る。ほどなく勤め先の商店の主がいち早く洋酒を扱い、洋酒の製造販売をも始めたのだ。

「鳥井の鼻」。周囲の者にそう呼ばせるほどに、彼は鋭い嗅覚を持っていた。洋酒の製造法と調合技術を身に付けた鳥井信治郎は、1899年に鳥井商店を開き独立。
モボ・モガの時代には少し早かったのかもしれない。しかし、外国の文化に興味の尽きない国民性は当時も変わらないだろう。金持ちならなおさら舶来品に目がなかっただろう。世の中が「ハイカラ」を求めた時代だったのではないだろうか。

天与の才として鳥井は鋭い嗅覚を持って生まれた。その鳥井が洋酒の製造法と調合技術を身に付けた。赤玉ポートワインが大ヒットする背景にそれらの要因は大きな存在だっただろう。1907年、スペイン産ワインを用いて甘味と香味を加え赤玉ポートワインの製造販売を始める。後に赤玉ポートワインはシェアの6割をも占めるほどのキラー・コンテンツになるのだ。爆発的な売上は広告の力だけではあるまい。

明日へ続く。
是非ともこちらを人気ブログランキング

一筆啓上、山崎蒸留所(8)

山崎蒸留所初代工場長の竹鶴。横浜のビール工場の工場長との兼任の命を受け、内心どんな気持ちで働いたのだろう。素直に自らの力の足りなさに思いは至ったのだろうか。彼の中に忸怩たる思いはなかっただろうか。また、不満を抱くことはなかっただろうか。

竹鶴は当初、スコットランドに似た気候と風土を持つ北海道に蒸留所の建設を希望した。東京や大阪など大きな消費地から遠距離であることを理由に鳥井はそれを受け入れなかった。それはボタンの掛け違いの始まりではなかっただろうか。しかし、山崎蒸留所は毎年操業を続ける。それに気付かぬまま、ふたりはボタンをひとつづつ掛けていく。ボタンをひとつづつ掛けながらふたりは共に、「何かおかしい」と感じ始めていたかもしれない。しかし、後戻りはできない。竹鶴は実践の場、「本格ウィスキー」を造る場所が必要であっただろうし、鳥井はその「普及」のため「本格ウィスキー」そのものが必要であっただろう。「本格ウィスキー」という同じ夢を見たふたりは、その中に危ういものを抱えたままお互いを必要としていた。

最後のボタンに手が掛かる時、それはボタンの掛け違いに気付かねばならない時でもある。

1933年。寿屋(サントリーの前身)は横浜工場の売却を決定する。購入額をはるかに上回るほどの高値であった。当然寿屋によっては良い商談であった。しかし、竹鶴には事前に何の連絡もなかった。

カネがなければウィスキーは造れない。そのことを受け入れられぬほどの子供はそこにはいなかったはずだ。出資者は回収することを目的にその資本を投下する。その前提があって竹鶴は実践の場を手に入れ、竹鶴に実践の場を与え鳥井は「本格ウィスキー」を手に入れることができる。しかしついに彼らはボタンの掛け違いに気付いた。
それまで存在していた獏とした不満と不安は、竹鶴の中でこの時「不信」に変わったのかもしれない。

横浜と山崎を往復し竹鶴はその激務に耐えた。会社にとって横浜のビール工場の拡張は急務であったのだ。竹鶴はその仕事に心血を注いだ。竹鶴の働きぶりは会社に大きな実りをもたらしたのかもしれない。結果として横浜のビール工場は購入額をはるかに上回るほどの高値で売却できたのである。

このとき竹鶴はもうひとつの悲しい知らせを受け取る。母の危篤、そしてその死である。

自らが技術者であること。
竹鶴はそのことに悲哀を感じただろうか。それとも落胆を感じただろうか。

明日へ続く。
皆様のご協力を人気ブログランキング

一筆啓上、山崎蒸留所(7)

鳥井信治郎と竹鶴政孝。両者の違いはその視野の広さであったかもしれない。
「本格ウィスキー」の「製造」。どちらかといえばその一点を突破することこそ、竹鶴の仕事であっただろう。一方、「本格ウィスキー」の「普及」に尽力したと思われる鳥井。彼にとっても「本格ウィスキー」の「製造」が要であることに間違いはないが、社長である彼の仕事はそれだけではない。より広い視野を求められたことだろう。「本格ウィスキー」の「製造・販売」をビジネスとして成り立たせて行かねばならないのだ。
両者の違いはその後、サントリーとニッカという「両社」の違いに受け継がれて行ったのだろうか。

1924年11月、山崎蒸留所は竣工された。操業当時その規模は本当に小さなものだったようだ。正式な社員は工場長である竹鶴と事務員がひとり。竹鶴は何でもする工場長であっただろう。とは言え、蒸留酒を造るにはその前段階として醸造酒が必要である。それは人手の必要な工程となる。しかも酒作りに経験のある人材が欲しい。竹鶴は故郷の広島から日本酒作りの杜氏を集めてそれを行う。

どんなに留学中の学習の成果があろうと、初めての実作業は混乱を極めたことだろう。遠く離れた日本に帰れば、スコットランドで記したノートと留学中の記憶だけが頼りだ。そしてその未熟な技師である竹鶴より以上に知識のある者は日本にはいない。初年度の蒸留作業は翌年1925年の夏に終わる。手の空いた竹鶴は問題の解決のためすぐにまたスコットランドへと派遣される。

蒸留してすぐの液体が蒸留酒であることに違いはない。しかし、その液体は樽に寝かされ数年の時を経て初めて「本格ウィスキー」になる。現代に生きる我々にとって、その程度のことは常識の範疇である。しかし、当時の出資者は金ばかりかかってなかなか製品を出荷しようとしない竹鶴を問題とした。できる限り竹鶴の意向に任せて来た鳥井であったが、その圧力に耐えかねたのだろうか。竹鶴に製品の出荷を指示した。

竹鶴は製品として出荷できるほどに熟成された品質を持つのは、初年度に仕込んだ1年分のみと判断していた。手持ちのカードがそれだけでは、ブレンドによりその味わいを調整することもままならない。しかし、出資者を待たせる訳にもいかない。竹鶴にとっては納得のいかない決断であったかもしれないが、彼は製品の出荷に同意した。

1929年4月、竹鶴の手による国産初の本格ウィスキー「サントリー白札」が発売される。しかし、残念なことにセールスとしては完敗であったようだ。販売価格が高価であったということもある。さらにその味わいも不評だったようである。

釈然としないまま発売された「サントリー白札」。セールスの低迷。竹鶴は当時、どんな気持ちで日々過ごしていたのだあろうか。

「サントリー白札」が発売された1929年、竹鶴は寿屋が買収した横浜のビール工場の工場長をも兼任の命を受ける。横浜と山崎、ビールとウィスキー。その距離も、造る酒の種類も、確かにかけ離れている。

新幹線のない時代、その遠距離の移動は罰ゲームに近かったかもしれない。
あるいは鳥井には何か新たな戦略があったのだろうか。
竹鶴はその動機を低下させることなく働けたのだろうか。

明日へ続く。
こちらは順位の確認を。
人気ブログランキング

一筆啓上、山崎蒸留所(6)

先週末の予告どおり今週から「一筆啓上、山崎蒸留所」の連載の続きを始めます。
本日の記事はこちらの続きです。
鳥井信治郎は「本格ウィスキー」の「普及」に心を砕いたのだろう。そして彼の目論見通り、現在の日本に確実にそれは普及した。しかし、彼がどんなにそれを望もうとも、「本格ウィスキー」が手に入らなければその夢は叶わない。まして彼は国産初の「本格ウィスキー」を望んだのだ。そのためには国内初の「本格ウィスキー」の「製造」が不可欠になる。だからこそ、鳥井は竹鶴を必要としたのだ。

一方、竹鶴は自分の手で「本格ウィスキー」を製造したかったのだ。失礼ながら、若くまだ未熟な技師なはずである竹鶴は自らの力を試す場所を欲しがったはずだ。手探りでもいい。彼は実践の場を欲しがったのではないだろうか。

とは言え、失敗は許されない。そのことを竹鶴とて十分に承知していたはずであろう。自らのその責務の重さをしかと受け止めていたことであろう。もちろん彼は良く働いたのだろう。しかし、それ以上に僕が思いを馳せてしまうのは、まだ未熟な技師であるはずの竹鶴に、そのすべてを託すことのできた鳥井の人物の大きさである。寿屋(サントリーの前身)の役員にその熱い思いを語り、出資者のすべてを説得し、不安定な要素を十分に抱えた竹鶴によくぞすべてを任すことができたと、僕は驚きを隠せない。

頼らざるを得なかったのであろうか。しかしそもそもは高給を用意し、スコットランドから技師を招く予定でいたという。調整がうまく行かなかったのであろうか?今となってはその背景を探ることはできない。しかし結果として竹鶴は山崎蒸留所の初代工場長になったのである。もちろん彼はその期待に応えよく働いたことも事実であろう。しかし、いかにもそれは無謀過ぎないだろうか?

「やってみなはれ」。
鳥井もまた、竹鶴に向かいそう言ったのであろうか?

竹鶴の夢である「本格ウィスキー」の「製造」。
そのためにその「普及」は欠かせない。造って、売れて。だからこそまた次が造れる。「製造」と「販売」。そのサイクルが成り立たなければ、「本格ウィスキー」の「製造」はままならない。たとえ竹鶴が技師として実体験を伴わず、どんなに未熟であったとしても、人として子供ではないはずだ。鳥井に対する義理もあっただろう。だから、「本格ウィスキー」の「普及」は竹鶴自身をも幸せにしたはずである。

そして、鳥井の夢である「本格ウィスキー」の「普及」。
もちろんそのために「本格ウィスキー」の「製造」は必須である。だからこそ鳥井は山崎蒸留所の設立後も竹鶴をスコットランドに派遣している。「本格ウィスキー」の「製造」のため鳥井も懸命だったはずである。

「本格ウィスキー」の「製造」と「普及」。
当初、両者の利害は一致していたはずである。両者の幸福は相互補完的だったはずである。

北の大地、北海道にその建設を望んだ竹鶴。
大きな消費地から遠いことを理由にそれを拒んだ鳥井。
結果として国内初の蒸留所は京都に程近い山崎の地に建設される。
竹鶴の意は退けられ、鳥井の思いが叶うことになる。

ボタンの掛け違いはそこから始まってしまったのかもしれない。

続きは明日。
順位のご確認は人気ブログランキング

一筆啓上、山崎蒸留所(中間報告)

誰にも頼まれた訳ではないのに、というところが非常に恥ずかしいのだが、いくつかの連載を抱え「売れっ子作家気取り」の侍である。昨日は「とっ散らかってしまった」と素直な心情を吐露させていただいたが、それはもちろん自ら招いた事態である。

間が空いてしまったせいもある。元々は「悪代官に物申す」、というタイトルで始まった連載であるということもある。昨日は改めて仕切り直しをしたいと宣言させていただいたことでもあるので、本日はこの連載の整理をさせていただきたい。そして来週からは「一筆啓上、山崎蒸留所」の続きを書いていきたい。

繰り返しになるが、そもそもは悪代官のブラインド・コンテストの解答の選択肢の中に山崎蒸留所が入っていたことを受けてこの連載はスタートした。選択肢の中に山崎蒸留所を入れるのは殺生ではないかと。何故、殺生なのかというと山崎蒸留所は多種多彩な味わいのシングル・モルトを造っているからである。彼らは意図的にその蒸留器の形を変えるなどして、味わいの違うシングル・モルトを造ろうとしているのだ。そのスタンスは「伝統的な手法」にこだわる(とされる)スコットランドの蒸留所からすれば異端と取られるかもしれない。だから、シングル・モルト原理主義者の方から見れば不人気であるということもあるかもしれない。結果としてこの先、山崎というシングル・モルトが売れなくなる時代が来るかもしれない。「こだわりを排除し、伝統的な手法を守らぬことはおかしい」「やはり、蒸留所にはある程度統一された味わいというものが必要である」。という時代が来るのかもしれない。けれども僕は山崎蒸留所のチャレンジを見守りたいと思う。
お断りしておくが、僕の山崎に対する評価はは決して低くない。いくつかのシングル・モルト・スコッチ・ウィスキーとブラインドで飲み比べてみても遜色のないのが山崎であると思う。飲み比べてみて一番まずいものが山崎なんていうことは絶対にない。しかし、山崎蒸留所は多種多彩なシングル・モルトを生み出してしまうが故に「これが山崎である」と断定するのは難しいのではないかと。故にブラインド・コンテストの選択肢に山崎蒸留所など入れてくれるなと。侍はそう言いたかったのである。

では何故、山崎蒸留所は多種多彩なシングル・モルトを造る必要があるのだろうか?その問いに対する答えとして重要なカギを握っているのがブレンデッド・ウィスキーの存在ではないだろうかというのが僕の推論だ。その辺りのことを「悪代官に物申す(2)」に書き、では相対的にスコットランドの蒸留所は何故、蒸留所ごとに味わいが違うと言われるのかということを「悪代官に物申す(3)」「悪代官に物申す(4)」で書き、「悪代官に物申す(5)」「悪代官に物申す(6)」ではブレンデッド・ウィスキーに欠かせないグレーン・ウィスキーについて考察を加えjでは小ネタとしてバランタインを取り上げ、「悪代官に物申す(8)」では山崎蒸留所とサントリーの悪口ばかり言わなくとも良いではないかと言わせていただいた。

それらを受けて、それではどんな時代背景にどんな要素が複雑に絡み合ってサントリー(前身の寿屋)は山崎蒸留所を建設したのか?初代工場長の竹鶴政孝氏とは?サントリーの鳥井信治郎氏と竹鶴政孝氏は何故、袂を分かつことになったのか?ということを僕の憶測の域を出ないまま語ろうとしているのが「一筆啓上、山崎蒸留所」の連載である。

さて、本日最後に本音を言わせていただこう。連載を中断してまでも「仕切り直しをしたい」と侍に言わしめた本当の理由である。実はこのことを皆様にお伝えしたかった。

先日刺客と話をしていたら、ヤツは言ったのである。この侍に向かい真っ向勝負を挑んできたのである。
「山崎蒸留所が分からない訳がないじゃないですか」。
「非常に特徴的です」。
「間違いなく分かります。絶対に」。

よろしいか皆様。「絶対に」なのだそうだ。侍は度肝を抜かれた。

関係各方面の方にお願いをしたい。どこかで刺客を見かけたら、グラスに注いだ一杯のシングル・モルトを差し出し、
「山崎かどうか当ててください」。
と言ってみて欲しい。もちろん中身は何でも構わない。必ずしも山崎である必要はない。刺客はその中身が「山崎か山崎でないか」だけは、「間違いなく分かります。絶対に」。なのだから。

もしも、もしもである。いやまさかそんなことはないとは思う。何せ、「間違いなく分かります。絶対に」。なのだから。
しかし、万が一にも刺客が間違っていたら大きな声で、
「この無礼者!」。と言ってあげて欲しい。

さて、侍のためにはこちらを、
人気ブログランキング

仕切り直し

様々な意味において過渡期あるいは境目を感じる侍である。
棚卸をして決算を迎えたら来期に向け動き出さねばなるまい。仕切り直しである。

とっ散らかってしまったのである。そもそもということを言わせていただくなら、あの男が悪い。悪代官である。第3回ブラインド・コンテストをこの時期に企画し、その解答の選択肢の中に山崎蒸留所が入っており、少しばかり解答の遅れた侍に急かせたあの男が悪い。ドンピシャのタイミングで横槍を入れるなと申し上げておきたい。

しかも、である。PCが壊れた。何とか無事終了したが確定申告があった。荒木君は退職した。WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)も観なければいけない。侍は忙しいのである。

とは言え、だらだらと私事ばかり垂れ流す訳にも行くまい。今回もその願いを果たすことはできなかったが、刺客と悪代官に一太刀あびせてこその侍である。公人としてモルト侍の責務を全うせねばなるまい。

実は一昨日、忍者殿がジェイズ・バーに来店した。お客さんのいない早い時間にゆっくりと話をすることができた。非常に有意義であった。自分なりの切り口と見識を持ち穏やかな装いであるが、心の底のどこかにこの侍と共感できるものを抱えていらっしゃるような、そんなことを確認できた時間であった。

喧嘩ばかりしているように見えるだろうが、実はそのことは刺客にも悪代官にも共通する。よりたくさんの人たちに、よりたくさんのシングル・モルトを愉しんでもらえないものだろうか。我々はそんなことを考えている。そういう意味ではそれぞれに切り口は違うが、同じ思いはあるのだ。
しかし、もちろん横槍を入れる悪代官を許せないという気持ちとはまた別の問題である。

さて、なるほど時の権力や政治の力に左右されるのが忍者の宿命であるのだろうか。シングル・モルト界のこの忍者殿、業界の力関係や利害関係、つまりは業界の政治学者のような側面をお持ちのようだ。

話を戻そう。
とっ散らかってしまったと先ほど申し上げたが、何がとっ散らかってしまったのかというと、このブログの記事がとっ散らかってしまったのである。何故とっ散らかってしまったのかというと、悪代官の横槍のせいである。ということを皆様にご確認いただき話を先に進める(危うくまたとっ散らかってしまうところだった)。

忍者殿にご提供いただいたブラッカダー社のロウ・カスク、ブレアフィンディをネタに「一筆啓上、蒸留所表記なし」の連載を始めた。そこへ横槍を入れて来たのが悪代官のブラインド・コンテストである。連載を中断し悪代官の問いに返答せねばなるまいと思っていたら、選択肢に山崎蒸留所が入っていたことに端を発して「悪代官に物申す」の連載が始まった。悪乗りの感は否めないが、山崎蒸留所の意味を問ううちにブレンデッド・ウィスキーとは何であるかを語り始めたところ、業を煮やした悪代官から解答せよとの催促が来て「悪代官を斬る」を書かせていただいた。悪代官を斬った後も山崎蒸留所のことを話したくて仕方がなくなり、タイトルを「一筆啓上、山崎蒸留所」と変えて今に至るのである。

「一筆啓上、蒸留所表記なし」、「一筆啓上、山崎蒸留所」このふたつの連載はまだ終了していない。しかも、驚くことなかれ悪評の高い「一筆啓上、ダン・イーダン」も実はまだ終了していないのだ。

とにかく、今一度整理をさせていただきたい。
明日は今までの記事を整理する記事を書いて、来週より改めてどれかの記事の続きを書いていこうと思う。もちろんそれが「一筆啓上、ダン・イーダン」である可能性は十分にある。

人気ブログランキング

今日からひとり。

3月20日をもって荒木君が退職をした。
WBCで日本がキューバを破り優勝を果たした本日より、いつまで続くか分からないひとり仕事の始まりである。

3月20日の営業を終え、荒木君とふたり送別会をした。労をねぎらい、感謝を表し、いささかながらアドバイスをさせていただいた。

必要だと思うものは「欲しい」と口に出す。
要らないものには手を出さない。

僕が言ったのはつまりそういうことだ。

欲しがるということは非常に大切である。
何を欲しがるべきなのかというと、必要なものを欲しがるべきなのである。
何が必要なのかというと、それが自らの幸せに役立つのかということなのである。
人は自らの幸せのために必要なものを欲しがるべきである。

欲しいものを手に入れることを「成功」という。
そして、手に入れたものを手に入れた後までも、「欲しい」と思い大切にし続けられるかどうかで、その人の幸せは決まるのだ。子供が買って貰ったおもちゃに飽きるように。そしてまた、すぐに次のおもちゃが欲しくなるように。そんなことを繰り返していても仕方がないのではないだろうか。自らの幸せについて考え、そのために必要なものを見極め、僕らはそれを「欲しい」と言うべきなのではないだろうか。

成功体験は快楽を伴う。
だけど、快楽を貪り食い続けることで僕らは幸せになれるのだろうか?

もちろん快楽は不要なものではない。僕自身、自らが快楽主義者であるとの自覚もある。楽しいこと、気持ちの良いことは大好きである。しかし、快楽を手に入れるためには費用がかかる。費用をかけた結果、効果として快楽が手に入る。費用対効果のバランスが崩れてしまっては身も蓋もない。

快楽とは消費するものなのだ。消費活動によって金は消えてなくなる。
幸せとは資産である。それを持つ人はその資産により潤いとゆとりを得ることができる。
自らの幸せのために必要なものを欲しがるべきなのではないだろうか。

欲しがる気持ちを躊躇させるのは、欲しがることによって発生する「責任」である。「欲しい」と言ったものに「責任」を持たねばならない。それは大人なら一様に感じなければならないことである。だから人はなかなか「欲しい」とは言わない。「責任」の重みに耐えかねるのだ。だから人は「欲しがる」よりも「欲しがられる」ようにしてしまう。

どうやら「欲しがられる」ためにはコツが必要ならしい。世の中には人から欲しがられる方法論があふれている。良い学校を出ることも、何かの資格をとることも、あるいは美しくなることも、人から欲しがられるためのコツなのだ。人から欲しがられたいと思う人にとって、それは必要な準備なのだろう。

だけど、完璧な準備というものは存在するのだろうか?どこまで準備をしたらいいのだろう?あるいはいつまで準備をしたらいいのだろう?準備を整えるのに一生を費やしてしまったら、それは愚かなことなのではないだろうか。

荒木君。君がすべての準備を整えることができたとは僕も思わない。君にはまだ足りないところがたくさんあるし、もちろん君自身にもその自覚はあるだろう。だからこそ君は良く勉強をするし、そのことは決して間違ってはいない。
けれど、君が今より上の次のステージに昇ろうとするなら、君はぼちぼち何かを欲しがらねばならない。自らの責任において手を上げて「欲しい」と言わねばならない。


「困ったことがあったら相談できる場所、帰れる場所を作れたことが一番の収穫でした」。
ジェイズ・バーでの1年半を振り返って君はそう言ってくれた。
その言葉を僕は嬉しく思うし、そんな君を誇らしく思う。

困ったことなどなくて構わない。いつでも飲みに来てくれ。歴代のジェイズ・バー退職者と同様、君もチャージ無料リストに名を連ねることになった。

ありがとう。そして、お疲れ様でした。

人気ブログランキング

本日最終日

皆様ご存知の通り、本日の営業を最後に荒木君が退職をいたします。
新たなる門出のためにも、お暇な方には是非ともお集まりいただきたい。特に何かをして欲しいという訳ではないが、ジェイズ・バーのカウンターの中で仕事をするのは最後。顔くらい見届けてあげて欲しい。

先週金曜日に荒木君と闘った。最後の闘いとなるはずであったのだが、結果はドローとなった。情けない話であるのだが、お客さんが入り仕事が立て込み、闘いどころではなくなってしまったのである。折角準備を整えて来てくれた刺客には申し訳ないことをしてしまった。この場を借りてお詫びをしたい。

良く考えれば当たり前のことだが、結果として今までの闘いも、荒木君がいることで成り立っていたことを証明したようだ。侍が思う存分闘って来られたのも、荒木君が隣で仕事を捌いてくれたおかげなのである。その荒木君と闘おうというのだから、バーテンダーとして当たり前のことができる訳がなかったのである。仕方がないので闘いを途中で中止させていただいた。

当然、ハラキリ・モルトをご用意させていただいた。
今回ご提供するのはウィリアム・マックスウェル社のダルユーイン。1971年蒸留、31年熟成。もちろん価格は¥1,200です。お楽しみいただきたい。

是非とも皆様、ご来店を。

人気ブログランキング

僕はあきらめない。

君たちの熱い戦いぶりに、僕は涙が止まらない。
君たちの真摯なその態度を、僕は誇らしく思う。

君たちは決して恥ずかしくなかった。
愚かな審判にゲームを壊されても、
薬物に頼ることなく、
相手に危険な死球を与えることなく、
君たちは自らのその責務を全うした。

最初からうまくいった訳ではない。
もちろんそれは僕も知っている通り。

野球という競技の基礎となるのは、
打線のつながりと、守備の連携。
当初、君たちのチームの中で、
それはうまく機能していなかった。

今日のゲームの上原に感謝しよう。
君はあきらめず、うんざりせず、
里崎にうまくリードされながら、
頭を使い、丁寧に、粘り強く投げ続けた。

だから僕は君を信じたけど、
君はチームメイトを信じたのだろうか?

僕は奇跡を観たのだろうか?

ただひとつ確かなのは、
偶然と偶然が積み重なり、
それが必然と変わる様子を僕は眺め続けたということ。

君たちは決してみっともない真似はしなかった。
胸を張って欲しい。
僕は君たちを誇らしく思う。
君たちは勝利をつかんだのだ。

大好きなイチロー選手に言いたい。
君は壁に向かって汚い言葉を吐くべきではない。
シアトルのすべての子供たちが、
尊敬する君のマネをしてバッター・ボックスに立つことを、
君は知っているはずだ。

君がアメリカに渡り、活躍し、実績を積み、
その功績を認められていることは揺るぎない。
だけど、君がメジャー・リーグの世界で孤独を感じ、
日本人としてのマイノリティ意識を強めたことも知っている。
そのことが君のこの大会に強く参加を希望する動機になっていることも、
僕は僕なりに理解しているつもりだ。

日本人として日の丸を背負い試合に勝利したい。
君のそんな物言いに僕は強く共感するし、
また、心強くも思う。

だけど良く考えてくれ、
今回の日本のチームの中で、
君のその態度は一番アメリカ人に近いのではないだろうか?

僕は君にダメ出しをしたくはない。
だけど、もしも君が潔さを失ってしまったら、
きっと君は魅力的ではなくなるだろう。
大好きな君のことが僕はとても心配だ。


僕は野球が好きだ。
ずっと好きだった。
これからも好きだろう。
野球を観て来た。
これからも観るだろう。

尊敬と感謝の念を前提に、
野球を知っているという自負もある。
だけど、知っているからこそ、
僕はずっと野球を斜めに観てきたのかもしれない。

「特に好きなチームはない」。
「素晴らしい野球を見せてくれれば満足」。

僕は長い間そう言い続けて来た。
だけど、僕は子供の頃を思い出してしまった。
疑うことなく応援できるチームを決めて野球を観ることの喜びを。
心の底から「勝って欲しい」と思いながら固唾を飲んで野球を観ることの喜びを。

ありがとう。
僕は心の底から君たちを誇らしく思う。
僕もあきらめない。

一筆啓上、山崎蒸留所(5)

北海道に蒸留所の建設をするべきだとする竹鶴の考えに難色を示したのは鳥井だった。北海道では大きな消費地である東京や大阪から遠く、輸送コストがかかること。また、客に直接蒸留所を見学させ「本格ウィスキー」に対する認知度を上げたいという思いも鳥井にはあった。

ウィスキー作りに大きな権限を与えられている竹鶴であったが、北海道はあきらめざるを得なかった。竹鶴は次の候補地に山崎を推す。北海道には遠く及ばないが、水質も空気もウィスキー造りには適している。霧が多いことも気に入ったようだ。鳥井はこの提案を受け入れ、この地での工場建設を命じた。

「本格ウィスキー製造」に関わる設備全般の設計には竹鶴が関わった。特にポット・スティルの製造には苦労したことだろう。その時代、国内にポット・スティルなるものを造った業者など存在しないのだから。竹鶴は細かい指示を与えるため、何度も製造業者を訪れたようだ。寿屋に入社した翌年に山崎蒸留所は完成し、竹鶴は初代工場長となる。

前人未到の「国内初、本格ウィスキー製造」。先駆者は孤独だ。
目の前に道はない。先人が通った道を辿って行けば良い訳ではない。苦しい時に自らの内側に問いかけ、そこに存在する知識と知恵に耳を傾け、進むべき方向を決め、信じる道を切り開いて行かねばならない。大きく暗い闇を一歩一歩前へと進まねばならない。例えどんなに大きな情熱を持とうとも、どんなに力強い意思を持とうとも、大きな不安を同時に抱えていたに違いない。情熱も意思も不安を消してはくれない。苦労と努力の代償として確実な成功が約束されている訳でもない。その不安を乗り越えるひとつの手立てになり得たのは希望だろう。そして、希望を持った者を支える人がいたのだろう。

希望を手に彼らは大きく暗い闇に道をつけたのだ。
彼らとは竹鶴政孝と鳥井信治郎である。
彼らはともに支えあったのではないだろうか。
その情熱と意思を「本格ウィスキー」に傾けることで、彼らはともに支えあったのではないだろうか。

ただ、「本格ウィスキー」をめぐり、将来に向けられたその眼差しの方向が違っていただけだ。

竹鶴の眼は「本格ウィスキー」の「製造」に向かい、
鳥井の眼は「本格ウィスキー」の「普及」に向かっていたのではないだろうか。

その眼差しの違いは、まず蒸留所の建設地選びに表れたのではないだろうか。

来週へ続くので、こちらをお願いしたい。
人気ブログランキング

何を今さら。

下らない言い訳をしても仕方がないとは思うのだが、

深夜、飲みに来た焼肉屋の店主と恵比寿まで飲みに行ってしまった。
荒木君が退職してしまったら、そう簡単に気軽に外に飲みに行く機会などないだろうなんて思いながら、飲みに行ってしまった。最後の贅沢だな、なんて思いながら。

ほどほどに飲み、そして少し気持ち良い。

連載の続きは夕方までに書こうと思う。
それよりも本日は荒木君との決戦。皆様、お集まりいただきたい。

最終決戦

本日は韓国に勝つ予定の日本であるが、何もワールド・ベースボール・クラシックだけが最終決戦ではない。今月は刺客を招いての闘いをまだ終わらせていない。今週17日金曜に闘いを行う予定だが、気になる対戦相手についてお知らせをしたい。

侍が是非ともと今月の対戦相手に選んだのは荒木君。
ご存知の通り3月20日でジェイズ・バーを退職するスタッフの荒木君だ。別れを惜しむつもりなどない。ジェイズ・バーを退職したからといって、すべての付き合いがなくなる訳ではないのだ。一生ジェイズ・バーで働く訳にいかないのは、そもそも彼が働き始めた時から了解済み。侍の下ではないところに自分の居場所を作らねばならないのが彼の運命。いづれ彼は一番上に立たねばならないのだ。それまでいくつかの場所を動くことを彼は選んだ。

ならば、侍を倒せ。最終決戦である。

入店当時、荒木君はシングル・モルトに明るいバーテンダーではなかった。もちろん当たり前以上のことは知っていたが、未知なる目の前の一杯のシングル・モルトをどう扱うべきかということに自分なりの切り口を持っている訳ではなかった。その男がなかなかに成長した。闘う相手に不足はない。侍も本気である。今まで以上に本気である。

かかって来い、荒木。
侍を乗り越え、先に進め。

決戦は金曜日。午後10時頃より。
皆様には明日、是非ともお集まりいただきたい。

人気ブログランキング

山崎の続きは明日。

終了

確定申告はひとまず無事終了いたしました。
毎年のことだが、一年間の自分の成績表を自分で申告するような気持ちになります。それにしても去年はあまり良い成績とはいえませんでした。
恥じ入る侍でございます。

20日で荒木君も去ってしまうことなので、しばらくはひとりでコツコツと毎日働こうかと思っております。12年前、29歳の僕がしてきたように。

仕事って何だろうなと、
働くって何だろうと、
そんなことをふと思いました。

思えばずっと働いてきたなと。

僕はどうやら、働くことが嫌いになれないようです。
だけど、嫌いになれなくても、うんざりすることはあるのです。
うんざりしても休むこともできず。
休めなくても助けを求めることもできず。
辛いなと思いながら働きます。
しばらくはひとりでコツコツと毎日働こうかと思っております。
12年前、29歳の僕がしてきたように。
ただ、今よりもう少し自分が辛いことを自覚できるようにはなりたいと、
そう思います。


さて、もうひとつ、嫌いになれないものに野球があります。
今日の日本はメキシコに快勝。
明日は韓国との決戦に臨みます。

靖国神社の近くにいるナベちゃん。
野球の話をしたいので来るように。
鶴ちゃんじゃ話にならない。

今夜は眠れない

本日は確定申告の提出期限前日である。
急なトラブルにも関わらず、何とか目途が立った。と思う。
寝ずに最後の仕上げに入り、明日のアサイチで提出をしたい。

さて、昨日のワールド・ベースボール・クラシックについてひと言申し上げておきたい。申し訳ないが、連載の続きは明日以降ということでご勘弁を。

事情をご存じない方には頓珍漢なお話だろうが。
最悪の事態である。この試合を主催した組織とこの試合をジャッジした球審に僕は「あなた方はみっともない」、と申し上げたい。

アメリカ国内のスタジアムでアメリカのチームが戦う試合に、日常的にアメリカ国内の試合をジャッジする人にこの日の試合の審判を勤めさせようと決めたこと。そのことがそもそもの誤りである。日頃から目立ちたがり屋で有名な球審が「アウト」と判断し、西岡のタッチアップを無効にしてしまったことが、この試合を決定的に壊してしまった。

これもゲームであるという認識が僕にはあるので、あえて日本の選手に同情はしない。しかし、責任のある方に対して「恥ずかしいことをした」という強い認識を持っていただきたい。

アメリカ人の観客の多くいるスタジアムでの球審の判断に、ある種のバイアスがかかることは当然予測され危惧されたことであった。敵に向かってなおさらひとつになろうとする人たちである。スタジアムで試合を見守る観客の力は決して小さくはない。

しかし、それでは、例えばサッカーの国際試合のように第三国から審判を出す。という風にすれば良かっただろうか。
第三国であるなら、それはイタリアだろうか?オランダであろうか?キューバであろうか?あるいは中国であろうか?

今思えば、当然そうすべきであったと、後悔してやまない。
例え僕が先ほど列挙した第三国の審判がどんなに未熟であっても。

確かに僕の中にもそれら第三国の審判が、審判としてどれほどの習熟度を持つのか、どれだけの経験を持つのか、疑問であるとの思いはあった。緊張して「ビビリまくり」な審判にこんな大きな試合を取り仕切れというのも酷であろうとの思いも若干ながらあった。
だからこそアメリカの審判にお得意の「正義」を貫いて欲しかった。


「何だか野球ってカッコ悪いね」。
たくさんの人がそう言っている気がしてならない。

僕にとって「野球の国」アメリカであった。
これからも「野球の国」はたくさんの魅力的な選手を生み出すだろう。
そして僕はその魅力的な選手たちにはこれからも熱い眼差しを送るだろう。
今シーズンのメジャー・リーグのゲームもたくさん観るのだろう。

「絶対に負けられない」、誰でもがそう思い戦うべきだ。
けれど「勝つためには何でもあり」、ではいけない。
もちろん、「どこの」「誰に」「どんな」意図があったのかは特定できない。
けれど、「アメリカの野球ってそうなんだね」。
たくさんの人がそう言っている気がしてならない。

僕はもう、「野球の国」を尊敬できない。

でも僕は、悔しいけど、野球を嫌いになれない。

人気ブログランキング

横槍

確定申告を前にPCのトラブルに見舞われ、「一筆啓上、山崎蒸留所」の連載も終わらぬというのに、悪代官から横槍が入った。

前回のブラインド・コンテストの結果が発表されたようだ。

ゆっくりとご覧あれ。残念なことに今回も侍は悪代官の魔の手に阻まれた。
正解はモートラック。侍の答えはグレンファークラス。
今回、ゲストの中からスリー・リバースの三河屋1号さんが正解なさったようだ。

言い訳はするまいと思いながら、言いたいことは山ほどある。山ほどあるが、時間がない。
侍の言い分は「一筆啓上、山崎蒸留所」の連載が終わったあとにさせていただく。

もしも明日、記事が書けなかったらごめんなさい。

それでもこちらはお願いしたい。
人気ブログランキング

特別寄稿(4)

新グロモント先週の日曜は鶴様の都合により延期をさせていただいた。
本日は第4弾。今回を含め残りは2回の予定だそうだ。
前回はこちら。

**********************

「町外れの決闘 その4」

( 鶴 ) いやー「侍」の強さは尋常じゃねーなー
(麻里) うん、確かにあの踊りは素人離れしてるはね!
( 鶴 ) いやそうじゃなくって

[忍者] お話し中ちょっといいですか?
( 鶴 ) うわっ、なんだてめえは!
[忍者] ハイ、見てのとおり忍びの者でございます。
(麻里) スゴーイ、ねえねえ本物なの?
( 鶴 ) っていうか、いいのかよ! 昼間っからそんな格好で登場しちゃって?
[忍者] 天下太平まったく問題ございません。それから正真正銘の本物です。
本日はお二人にちょっとご協力願おうかと思いまして参上いたしました。
ちょっとこれを見てください、これもわたくし同様、正真正銘の本物です。
これを使って「侍」に一太刀浴びせいただきたいんです。
( 鶴 ) おっ手裏剣じゃん いいねー 一度投げてみたかったんだよこれ
(麻里) えっ タダでいいの?
[忍者] いえいえ、タダというわけにはいきません 天下太平のおり本業が不調でして
一回、たったの30文でいかがでしょう、かなりのお値打ちかと思いますが。
( 鶴 ) 乗った 買った 投げちゃうよ オイラ!
(麻里) まったく調子いいんだからぁ 大丈夫なの?
( 鶴 ) 大丈夫 大丈夫 どうせ当たりゃしねえんだ ちょいとした余興だよ
[忍者] そうです、世の中は全て余興です・・・ ではよろしく
(麻里) ねえねえ 歩いていっちゃったよ 忍者さん 煙とか出さないの?
( 鶴 ) ああ いちいち煙だしてたら採算取れねえんだよきっと

一方そのころ「侍」は
全身の毛穴から 冷たい汗が流れ落ち 凍りついていた
「侍」の野生が何かを察知し、じりじりと足元を広げさせた
先程まで手さえかけなかった刀の柄を握りしめ
瞳でだけで左右を伺うその姿は少し猫背になっていた

その「侍」の足元、踵から半間ほど後ろの地面から
音もなく、すうっと刃(やいば)が突き出しはじめると
みるみるうちに土の中から一人の忍びが姿をあらわした
「伊賀の吉○」見参!
恐るべし!「土遁の術(注)」である (朝4時からずっと土に埋まってました)

( 侍 ) ・・・うっ! 後ろか?・・・

どうする「侍」絶体絶命! 次回たぶん最終回 乞ご期待!
人気ブログランキング

緊急事態のご報告

何もこんな時にとは思うのだが、実はメインに使っていたPCをぶち壊してしまった。
確定申告の時期を前に深刻な事態が発生してしまったのである。
PCそのものに未練はない。4年も使ったのだ。4月になったら買い替えようかとすら思っていた。データのバックアップをまるで取っていなかった自分も悪いのであるが、しかし、決算の資料のすべてが入っていたPCが使えなくなってしまったのである。途方に暮れた。

泣きながら鶴さまに電話を入れた。
「お願いですから助けてください」。
鶴さまは笑いながら返事をした。
「絶対に何にも触らないで(笑)、そのまま本体を持って来てよ」。

木曜の深夜、PCを担いでタクシーを拾った。都内某所、鶴さまの会社を目指した。

今では鶴さまを神と思う侍である。日付が変わった金曜午前0時。神が奇跡を起すのを侍は見た。PCの中でデータ、つまりHDDこそはまさに魂である。その身体は成仏してしまったが、機能しなくなったその身体から神は魂を取り出し、見事にそれを復活させたのである。

皆様にお願いしたい。本日より、「ゴッド・ハンド・鶴」と呼んでいただきたい。

神の起した奇跡に侍はひとり手を合わせた。
合掌。そして感謝である。

さて、そんな訳で金曜の記事を落としてしまった。楽しみにしていてくれた皆様にも申し訳なく思っている。また、急に休むことになりジェイズ・バーに来ていただいたお客様にも申し訳なく思っている。さらに、はるばる遠方よりご来店いただいた偽社会人さま。ゆっくりとお話ができなかったことが残念でならない。次の機会を本気で楽しみにしております。

復旧の目途は立ったが、まだまだ予断を許さない状況である。まして、確定申告が終わるまではどのような憂慮すべき事態が起こるかすら想像もつかない。月曜には連載の続きを更新したいと思っているが、書けなかったらごめんなさい。
まだネットワークは復旧していない。この記事を漫画喫茶で書いてる。
コメントをいただいた方。必ずお返事をいたします。しばしお待ちを。
侍宛にメールをいただいた方。当然のことながらメールのチェックができない状態です。緊急のご用件は電話で。

皆様の祈りを侍に。
人気ブログランキング

一筆啓上、山崎蒸留所(4)

話を戻そう。と思ったが、
しかし、その前にさらにひと言申し上げさせていただく。

抜群の商売センスを持つ鳥井信治郎、自らのその良心を裏切ることのできない職人気質な竹鶴政孝。その両者が後に袂を分かつのは、日本でのウィスキー作りのその始まりから既に決まっていたことなのかもしれない。
と、一昨日そう申し上げた。しかし、僕はその両者に優劣を付けようというのではない。鳥井信治郎は竹鶴政孝の技能なくしてその事業を動かせなかったであろうし、竹鶴政孝は鳥井信治郎の資本とセンスなくしてその夢を叶えられなかったであろう。両者の出会いなく、山崎蒸留所は生まれることなく。山崎蒸留所が生まれることなく、日本はウィスキー大国にはならなかった。

僕にとってはどちらが偉いということはない。

国内初の本格ウィスキー製造。
どちらを向いていたかは別にして、始まりのその時、両者にその思いがあったことは間違いがないことなのではないだろうか。日本人の持つ文化的な背景。日本人の持つ味覚。それがあるなら、「本格ウィスキー」は必ず支持される。竹鶴政孝と鳥井信治郎はそう思っていたのではないだろうか。

彼らの願いは叶ったのだ。今僕らがウィスキーを気軽に飲み愉しむことができるのは、竹鶴政孝と鳥井信治郎、そのふたりの出会いがあったからである。
僕は彼らに敬意を表したい。そして静かに感謝の念を送りたい。

そんな訳でやっと話を戻そう。
お互いが譲れないものを抱えたまま歩み寄り、山崎蒸留所はその操業を開始したのかもしれない。前回、僕はそう申し上げた。もちろんそれは僕の憶測の域を出ないことも申し上げた。

なので話を続ける。
竹鶴政孝は当初、北の大地、北海道にその蒸留所を建設することを願っていたらしい。なるほど、今の僕から見ても納得の行くプランである。前人未到、国内初の本格ウィスキー製造なのである。苦労して学習し集めた知識と知恵の実践の場として、スコットランドに似た風土の北海道の地を選ぶことは妥当であろう。スコットランドに似ていない場所を選ぶことはリスクとさえ感じただろう。

ましてや、造るものが本格ウィスキー。蒸留してすぐに製品として出荷できるものではないのだ。蒸留された酒は樽に寝かされ数年の時をおいて、初めて瓶詰され製品となる。その仕上がりに確信が持てないとしても当然であろう。まんじりとしない夜を何年も過ごさねばならないのだ。最悪なことを考えれば、「間違い」に気付くのは数年後。10年経って、「やっぱりこの場所では良いウィスキーは造れません」なんて言えないだろう。しかもその10年間、「本格ウィスキー」を造り続けてしまっているのである。

できる限りスコットランドに似た風土を持つ場所。
ウィスキー造りに命を賭けた男である。彼がそれを北海道に求めたことは想像に難しくない。しかし、竹鶴政孝のその思いは叶うことなく京都にほど近い場所、山崎に蒸留所は建設された。

本日こそは上を狙いたい。
人気blogランキング

一筆啓上、山崎蒸留所(3)

山崎蒸留所はそもそもその始まりから、鳥井信治郎氏と竹鶴政孝氏の間の妥協の産物であったのかもしれない。お互いが譲れないものを抱えたまま歩み寄り、山崎蒸留所はその操業を開始したのかもしれない。

もちろんそれは、いつものことのように僕の憶測の域を出ない。
僕は僕の知っていることを語ろうとはしない。僕は僕の思っていることを語ろうと思う。誰でもが知ることのできる出来事を拾い、それらを分解し、並べ替え、組み立て直し、ひとつのストーリーに仕立てて語りたいと思う。同じ「事実」も見方や切り口を変えれば違うように見えるはずだ。それは僕にとっての「真実」である。僕はそんなことを語ろうとしている。

「あなたは間違っているかもしれない」。僕は良くそう言われる。
では、正解とは何だろう。僕はいつでも考える。正しきこととは何だろう。「正しいと思いたいこと」なら、どんな時代のどんな人にもあるだろう。僕にとっての「真実」には当然僕なりのバイアスがかかる。「事実」に僕のバイアスをかけて出来上がった「真実」。僕はこれからもそれを語っていきたい。悪びれるつもりもないが、世の中は思い込みと幻想で成り立っているのではないだろうか?

正義とは何だろう。誰がそれに評価を下すのであろうか。神が審判を下すのか。後世の人が歴史を書くのだろうか。だとすれば、今を生きる僕らに現代は解釈できないのだろうか。

「あなたは間違っているかもしれない」。僕は甘んじてそれを受け止めねばならないのだろうか。

僕が語るのは、あなたの話が聴きたいからだ。
僕が語ることを受けて、あなたに思うところがあるなら、僕はあなたの話が聴きたい。

もちろん、ここ、池袋のジェイズ・バーのカウンターでお喋りをしてくれて構わない。もちろん、こんな時代だからブログを通じて自分の思うところを語ってくれても構わない。僕はあなたの話が聴きたい。

ぼちぼち話を戻さねばならないが、ひとつだけ言わせていただきたい。
ひとつだけコツがある。自分の思うところを語るコツ。それは、敬意も感謝もできない相手のことはなるべく語らないことだ。「間違い探し」と「後出しじゃんけん」は有効な暇つぶしの手立てにはなるだろう。しかしそこから、あまり素敵なことは生まれない。

お気付きの通り、本日は話が先に進んでいない。
しかし、皆様に僕の中にある前提として受け止めて欲しいことがある。
鳥井信治郎氏と竹鶴政孝氏が出会うことがなければ、日本人は好んでウィスキーを飲むようにはならなかったかもしれない。だから僕らはこんな風にシングル・モルトを愉しむことができなかったのかもしれない。
僕は彼らの功績に敬意を表し、そして、彼らの出会いに感謝をしたい。

本日の最後に竹鶴政孝氏の話をお伝えしておきたい。
「世間には、スコットランド専売のウイスキー造りを持ち帰った私に、英国人が良い感情を抱いていないのではないか、と危惧する人がいる。とんでもない。スコットランドでしかできないウイスキーを日本で造ったおかげで、今ではどんな田舎 でもウイスキーが飲まれている。日本はスコッチの大きな市場となったのだから、私の方こそエリザベス女王から勲章をもらってもよいくらいだ」。


さて、話は変わるが、ぼちぼち確定申告の時期も大詰めを迎える。
今年も提出期限ぎりぎりの対応となりそうだ。明日から来週初めくらいまでは記事が落ちることもあるかと思う。ご了承願いたい。
ご了承していただいた上、こちらもお願いしたい。
人気blogランキング
休みの日も、ね。

一筆啓上、山崎蒸留所(2)

1924年(大正13年)、山崎蒸留所は完成した。山崎蒸留所というと、どういう訳か京都にあると思う方が多いがその所在地は大阪府三島郡島本町。確かに京都府との県境の近くではある。ウィスキー作りに適した良質の地下水が確保できることが決め手となりこの地が選ばれたようだ。

山崎蒸留所の建設に当ってその力を大いに発揮したのが、ニッカ・ウィスキーの創業者、竹鶴政孝氏。彼は山崎蒸留所初代工場長でもある。

1918年(大正7年)24歳の青年は単身英国に渡り、門外不出と言われたウィスキー製造法を学び日本に持ち帰った。帰郷後、国内で蒸留所建設に携りたいと希望していた竹鶴氏であったが、不景気、資金難の壁に阻まれ計画は頓挫。大阪の中学で化学を教えていたという。

そんな彼の人生を大きく変えることになったのが、サントリーの前身、大阪の洋酒製造販売業者「寿屋」の社長、国内初の本格ウィスキー製造を企画していた鳥井信治郎氏である。

当時の「寿屋」にはキラー・コンテンツがあった。輸入したワインに甘味や香料を加え日本人向き飲みやすくした「赤玉ポートワイン」である。その味付けも当時の日本人に受けたのであろうが、「赤玉ポートワイン」をキラー・コンテンツと成しえたのに広告の力は大きい。寿屋は「赤玉ポートワイン」の広告に日本で初のヌード・ポスターを使ったのだ。もちろん、今見るなら何のことはない。その「エロ度」は非常に低い。しかし、それが1922年(大正11年)であるなら、大きく世間を騒がせたであろうことは想像に難しくない。やはりこの会社、その創業当時からものを売るのが上手だったのであろう。

ハイカラな時代に「赤玉ポートワイン」は売れた。潤沢な資金を背景に鳥井信治郎氏は国内初の本格ウィスキー製造を企画した。社内の大きな反対を退けての英断であっただろう。大卒の初任給が40〜50円だった時代に年俸4000円という破格の好待遇を用意し、彼はスコットランドに適任者となる技師がいないか問い合わせた。ほどなく回答が得られた。
「わざわざ呼び寄せることはない。タケツルという技師が日本に帰ったはずだ」。

迎え入れるスコットランド人技師に支払う予定だった年俸4000円の条件のまま、竹鶴政孝氏は寿屋に入社する。鳥井信治郎と竹鶴政孝。このふたりの出会いなくして日本でのウィスキー作りは始まらない。

抜群の商売センスを持つ鳥井信治郎、自らのその良心を裏切ることのできない職人気質な竹鶴政孝。その両者が後に袂を分かつのは、日本でのウィスキー作りのその始まりから既に決まっていたことなのかもしれない。

順位を確認してみてください。
人気blogランキング

一筆啓上、山崎蒸留所

悪代官との闘いも終わってしまったので、今回より連載のタイトルを変更させていただいた。今日の記事は先週末の「悪代官に物申す(8)」の続きである。悪代官もさぞかしうんざりであっただろう。申し訳ない。

守旧に傾かず、保守でありたい。
何もそれは僕がシングル・モルトだけに求めるものではない。僕は自らの人生そのものにもそれを求めている。

「伝統的な手法」に対するこだわりを僕はあまり高くは評価しない。この日本がウィスキー産業の新興国であるという謙虚な認識があるならなおさら、新たなチャレンジをそっと見守りたいと思っている。

もちろん山崎蒸留所に、否、サントリーには言いたいこともある。
この場を借りて言わせていただこう。

「もう少し、安くはならぬか?」。
「その山崎2本で、欲しいスコッチが3本買えるぞ」。

侍の素直な気持ちである。
侍は「質と価格の折り合いの付いたシングル・モルト」を支持したいという気持ちをいつでも強く持っている。良きシングル・モルトが評価され、悪しきシングル・モルトが淘汰される。そんな市場であるべきだと思う。そして自らは健全な消費者でありたいと思う。「妥当」なシングル・モルトこそ評価されるべきである。

もう、かれこれ1年近く前の話になるのだが、昨年の5月、サントリーは長期熟成のシングル・モルト・ウイスキー「山崎50年」を50本限定で発売した。価格は1本、100万円。驚いたことに翌日には完売。

いや、しかし、この会社はものを売るのが上手なのだろうか。100万円が50本。5,000万円である。それが1日で売れてしまうのである。100万円の山崎を妥当だろうと思った人が、この日本に50人いたということなのだろうか。どうにも僕にはピンと来ない。飲んでその味わいに納得をしたというのであれば、もちろんそれは僕が口を挟む話ではない。

当時、この山崎は非常に話題になった。新聞、雑誌、あるいはテレビでさえ、こぞってこの話題を取り上げた。1本、100万円の商品。この話題性。結果として大きな宣伝効果に繋がったはずだ。そんなことが、サントリーを嫌いな人を「嫌い」と言わせるのだろう。

かつて町の酒屋さんは、「キリン・ラガー・ビールとサントリー・オールドだけ配達していれば、十分にメシが食っていける」。なんて揶揄された時代があった。もちろん今は違う。お酒のディスカウント・ショップは町の酒屋さんの大きな脅威だろうし、メーカーにとってもキリン・ラガー・ビールとサントリー・オールドはキラー・コンテンツではなくなっている。消費者の嗜好の多様化を受けて試行錯誤を繰り返している状態だ。

当然メーカーにも危機感はあるだろう。僕はその危機感が健全に機能することを願って止まない。その危機感が「おいしいものを造ろうではないか」という方向に機能してくれることを願って止まない。

皆様のクリックを願って止まない。
人気blogランキング

悪代官に物申す。(8)

風邪だか花粉症だか分からない鼻水にやられっ放しだから、という訳ではないのだが、本日はちょいと短めな記事でご勘弁を。

ブラインド・コンテストの選択肢に山崎蒸留所が入っていたことに端を発した「悪代官に物申す」、というこの連載であるが、悪代官の「あの字」も出さぬまままだ続いている。ブラインド・コンテストの解答もしてしまったのに、である。今さら悪代官に申し上げることも少なくなっているし、10日前に比べたらその情熱も当然冷めてしまった。

山崎蒸留所といえばサントリーの所有する蒸留所であることは、もちろん皆さんご存知のことと思う。しかし、このサントリーという会社、巷の酒飲み、中でもシングル・モルト好きには滅法人気のない会社である。

そもそもこの連載の2回目で、山崎蒸留所は多種多彩なシングル・モルトを造っているということをご紹介させていただいた。下衆の勘ぐりとのそしりを免れぬが、どうやら「シングル・モルト原理主義者」の皆様はその事実こそが気に入らぬようだ。「こだわりを排除し、伝統的な手法を守らぬことはおかしい」、「山崎にハウス・スタイルはないのか」と彼らは言いたいようだ。

「シングル・モルト原理主義者」は保守派気取りに余念がない。しかし、それは僕から見れば「保守」ではなく「守旧」でしかない。大切なものを「保ち守る」ことを保守というのだ。「旧(ふる)くを守る」態度は守旧でしかない。大切なものを「保ち守る」ために変革を受け入れるのが真っ当な保守の態度ではないだろうか?昔と同じであることだけがOK。思考停止したまま間違い探しに余念がない。そんな「シングル・モルト原理主義者」守旧派に僕は違和を憶える。

もちろん「突っ込まれ放題」なサントリーも如何なものかとは思うのだが、シングル・モルトを支持したい態度がそのままひっくり返って、安直に「サントリーは嫌いだ」と言っていれば済んだ気でいる人たちに僕は違和を憶える。

山崎蒸留所が今後「失敗」の烙印を押されることもあるかもしれない。「やはり、蒸留所にはある程度統一された味わいというものが必要である」。という時代が来るのかもしれない。もしもそうなれば「シングル・モルト原理主義者」守旧派の人たちは「それ見たことか!」と気勢を上げるのであろう。でも僕は山崎蒸留所のチャレンジを、まずは見守りたい。

悪代官に端を発したこの連載であるが、
何故、山崎蒸留所は多種多彩なシングル・モルトを造る必要があるのだろうか?
ということを追いかけつつ、その前提として存在するスコットランドのシングル・モルトとグレーンの関係、そこに付随するちょっとした小ネタなどにも言及しつつ記事をまとめようと思っていた。そうこうするうちにブラインド・コンテストも〆切りとなった。

いやしかし、日曜までは間に合うようだ。ブラインド・コンテストに参加し、まだ解答をメールしていない方がいたら、お早目に悪代官にメールを。3月5日(日)が正式な〆切りのようだ。飲んでいない方もまだ若干残りがある模様。

人気blogランキング

悪代官に物申す。(7)

おいしいブレンデッド・スコッチ・ウィスキー、バランタインをご存知だろうか?核となるシングル・モルトは「魔法の7柱」と呼ばれる。バランタインを形作るキー・モルト、スキャパ、プルトニー、バルブレア、グレンカダム、グレンバーギ、ミルトンダフ、アードベック、の7つである。キーとなるのはその7つのシングル・モルトであるが、もちろんそれだけではない。細々としたものを合わせれば50種類を超えるであろう。それに対してグレーン・ウィスキーは3,4種類。

本当のところ、おいしいブレンデッド・ウィスキーを造るのに、そんなにもたくさんの種類の原酒が必要になるのかどうかは分からない。7つのキー・モルトの蒸留所名はつとに有名であるが、「その他」の蒸留所の名前は、隠すつもりもないのだろうがあまり表に出てこない。もしかしたら、という意味で言わせていただけるなら、「何でもよい」のかもしれない。造りたいウィスキーの総量、計画された生産量というのは決まっているだろうから、その味わいに大きな影響を与えない範囲で、ある程度の量が確保でき、できる限り安価に入手可能な原酒。そんな観点からそれらは選ばれているのかもしれない。もちろんそれは、僕の憶測の域を出ない。

むしろ、だからこそ、彼らはことさらに7つのキー・モルトについて大きな声で語るのかもしれない。「我々の造るブレンデッド・ウィスキーがこんなにもおいしいのは理由がある」、と。

理由はどうあれ、バランタインは僕にとってもおいしいブレンデッド・ウィスキーであることに変わりはない。「その他」の蒸留所がどうあれ、7つのキー・モルトがしっかりしていれるからこそバランタインはおいしいのだと言われれば、僕も大いに納得せざるを得ない。

いづれにしても、おいしいバランタインを造るために、最低でもその7つのキー・モルトが重要であるというのは、彼らの変わらぬポリシーであるのだろう。もちろん、すべてのブレンデッド・ウィスキーのキー・モルトが7種類以上あるという訳ではない。バランタインの「魔法の7柱」。これはむしろキー・モルトとしては多い方だと思う。

しかし、多くの選択肢の中からいくつかのキー・モルトを選択できる状況は、ブレンデッド・ウィスキーの生産者から見れば好都合であることに違いない。繰り返すが、その好都合な状況はグレーン・ウィスキーが生産される以前よりあったのだ。

スキャパ、プルトニー、バルブレア、グレンカダム、グレンバーギ、ミルトンダフ、アードベック。
7つの蒸留所に魔法をかけて、バランタインは造られる。巧みな魔法はそのおいしさを支えている。バランタインは今後、その魔法のレシピを変更することがあるだろうか?もしもそうなったら、魔法が解けた蒸留所は経営困難に陥ることはないだろうか。

7つの蒸留所のうち、僕の中で一番その存在感を主張するのは「ミルトンダフ」。
みなさんはどう思われるだろう?

人気blogランキング

お知らせ

昨日悪代官との闘いを済ませ、本日から3月を迎える今日。やはり皆様にはお伝えしておかねばなるまい。

今月20日をもって、荒木君が退職をすることになりました。
1年半の間、良く働いてくれた。振り返れば、僕にとっても非常にしんどい時期を一緒に過ごして来たのだと思う。何より感謝の言葉を述べたい。

本当にありがとう。

今思えば、本当に真面目な男だった。こまごまといろんなことに気付く男であった。恐らく一度も遅刻をすることなく、時間を守り働いてくれた。今までジェイズ・バーで働いてくれた他のスタッフと比べると、飛び抜けて一番であることに間違いはない。
僕はまだ、君が何処に行くのか知らないけれど、そのスタンスだけは守り続けなさい。それは君が確実に続けていけることのうちのひとつだ。それは君の重要な素質なはずだ。君はそれを大切にすべきだ。

そしてこれからはお客さんとキチンと関われるようなバーテンダーになりなさい。僕らの仕事は、お客さんに球を投げ続けることではないし、お客さんの打つノックを受け続けることではない。人として人に向かい、受けた球を投げ返し、その球を受け止めてもらえるような、そんな人になりなさい。

知っていることではなく、思ったことを語りなさい。お客さんの知らないことを教えるのは、僕らの仕事ではない。お客さんの知りたいことを伝えればいいのだ。小さな知識を集め、下らん権威を身にまとい、自分を守ろうとするな。お客さんは敵ではない。真っ当に交われば必ず良きものが生まれる。大丈夫、君はもう、そう簡単に壊れないほどには十分にタフだ。

「この人に触れてみたい」と思われるような人になりなさい。そんな場所に人は集まる。

まだ、「ご苦労様でした」は言わない。
残りの20日間、やり残すことのないように。

人気blogランキング
ツイッター
Counter
UL5キャッシング
QRコード
QRコード
Archives
  • ライブドアブログ