モルト侍

池袋のショット・バー、ジェイズバーのバーテンダーが、大好きなシングル・モルトを斬る。

2006年05月

始まる。

サッカーに限ったことはない。スポーツの快楽とはカタルシスである。

ジーコのサッカーに実はカタルシスは少ない。
そのたびに揺れる。
「勝ってなんぼ」。
「勝てば良いってものではないだろう」。
もちろん、負けることを望んでいる訳ではない。
けれど、帳尻を合わせるだけのサッカーはやはりつまらない。
カタルシスなきジーコ・ジャパン。
僕の中で4年間の大きな不満はそこにある。

カタチを作って決めるべき人が決める。
ボールを持ってひとりゴールへと向かう高原はやはり美しい。
ゴール!
そこにはやはりカタルシスが存在する。

本日早朝、ジーコ・ジャパンはドイツとの親善試合を終えた。
昨日は眠くて原稿を落としたばかりだというのに、やはりひと言申し上げたくなった。


攻撃の形は整って来ているのではないのか?
良いことだけを拾って良いことを言わせていただけるなら連携は機能していた。
決定的なチャンスをいくつか作る事もできた。

それは僕の勘違いだろうか?
前に向かって繋がるサッカーが僕は好きだ。
結果として高原は2つのゴールを決めた。

サッカーとはコミュニケーションのゲームである。
大きな歓声に沸くスタジアムで、離れたふたりの選手の間を一本の軌道を持って繋ぐボールは時に奇跡を起こす。それは観戦の中の快楽の瞬間だ。

決定力不足を指摘され続けて来た日本代表。
今日のゲームを終え、マスコミはまだ「点を取れ」と声を上げるのだろうか?
あるいは、その舌の根も乾かぬうちに「ディフェンスを強化しろ」と騒ぎ始めるのだろうか?

予定通り点を取られた。セット・プレーからの2失点。
結局のところ、今日の対戦相手は追い詰められれば、なり振り構わす点を取りに来るのだ。
取りに来られて、取られる。

自由度が高いサッカーをさせるというジーコに対する僕の評価は決して低くない。
けれど、タフに守り切るサッカーには鉄の規律が必要なのだろうか。

ひとつ、告白しておこう。
僕は中田(英)が好きだ。鼻っ柱の強そうなこのやんちゃ坊主が、実は昔から嫌いになれない。
今回代表に合流してから、何やら笑顔の絶えない彼であるが、中田は変わったのか?
試合後のインタビューもわりとソツなくこなしていた様子。試合中も自分のプレーに対するあれほどまでの悔しそうな顔を、僕は今まで代表戦のピッチの上で見たことがあっただろうか。
こんな言われ方を中田本人が嫌がるであろうことは容易に想像できるが、おっさんの僕からすれば、どうしたってWBCのイチロー選手に重ねてしまう。

自由度が高いサッカーをさせるというジーコ。
チームの軸となるのは誰だ?
誰が何を決める?

変わってくれ、ヒデ。
君の笑顔は、よりチームにコミットしようとする意思表示と見た。

寿司屋の親方のオールド・パーを水割りで頂戴しながら大画面でサッカー観戦の水曜早朝。
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眠いのです。

今日はとても眠いのです。
営業終了後、カウンターで「ちょっとだけ」と思い少しウトウトしていたつもりが、気付いたら2時間半ヨダレを垂らしていました。首も痛くなりました。

ホント、お願いなのです。
寝ます。

デジカメを持って取材に来た若い女子の撮った写真の仕上がりが気になり夢を見た火曜早朝。

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ジム・クライル、グレンリベットを語る。(5)

グレンリベット蒸留所が軟水の宝庫であるスペイサイド地域で、硬水を仕込み水とすることは大きな特徴であることは前回記事にした。ジム・クライル氏は続けてもうひとつの特徴について話を始めた。

まずはグレンリベットのサイトの文章をそのまま引用させていただく。
「ザ・グレンリベットのポット・スチル(蒸留器)は胴体とパイプ部分にくびれがあるランタン型で、さらに独特な形状としてネックが細長く、釜の幅が広くなっています。ネックが細長い構造は、雑味のある比重の重い蒸気はポット・スチルの最上部まで上昇することができず、ピュアで比重の軽い蒸気だけが上昇、抽出されます。幅の広い釜は蒸留中にアロマ同士の相互作用を促し、甘く豊かなフレーバーを生み出します。」

ジム・クライル氏が特に強調していたのはポット・スチルのネックが細長い構造を持つこと。引用した文章の中にもあるが、ネックが長いことは、
〇味のある比重の重い蒸気はポット・スチルの最上部まで上昇することができない。
▲團絅△波羹鼎侶擇ぞ気だけが上昇し抽出される。
という結果を生む。

誤解を恐れずあえて言わせていただくが、ネックが長いことで「不純物」が取り除かれ易いということなのである。ここで僕の言う「不純物」とは,痢嵌羹鼎僚鼎ぞ気」ということである。しかし、である。料理の行程において、「アクを取り過ぎてうまみも捨ててしまう」ということがあることをご存知と思う。先ほど僕が言った「不純物」は取り過ぎれば、「味も素っ気もない」ものになってしまう可能性はある。僕が言った「不純物」はウィスキーに複雑さを与えることもある。しかし、その「不純物」は「旨味」や「香味」であるかもしれないが「雑味」であるかもしれない。△鯑匹瓩弌◆屬覆襪曚疋哀譽鵐螢戰奪箸魯團絅△淵Εスキーなのだな」と思うかもしれない。もちろんそれは間違いではないと思うが、例えばプレーンなウォッカに比べればグレンリベット(に限らずシングル・モルトなら全般的に)は十分過ぎるほどに複雑な旨味を感じる。プレーンなウォッカには個性がないかもしれないが、グレンリベットには十分な個性を感じる。

ジム・クライル氏は会場でそのことを「ゴルフボール」と「ピンポン球」に例えて説明をした。熱にあおられた軽い「ピンポン球」はポット・スティルの中で上昇し切ってアルコールとして抽出され、重い「ゴルフボール」はうまく上昇できないということだ。結果として「ゴルフボール」は抽出されない。つまり取り除かれる。だから、
▲團絅△波羹鼎侶擇ぞ気だけが上昇し抽出される。
のが、グレンリベットなのである。ということだ。

ワールドカップに向け準備の進む日曜深夜。
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ジム・クライル、グレンリベットを語る。(4)

1824年、グレンリベットが政府公認第一号蒸留所となったことをきっかけとして、1834年までにはすべての密造業者は正業となる。彼らは堅気になったのだ。逃げも隠れもしなくて良いのなら、人里はなれた山奥でウィスキー作りを続けることはないのではないか。そう思うことは可能であるが、事実はそうならなかった。彼らはその場を離れることなくウィスキー作りをその地で続けた。

ハイランドのスペイサイド地域には今でも多くの蒸留所が集まる。そもそも彼らがその地でウィスキー作りを営み始めたのは徴税官から逃げ隠れするためだけではない。そこには良質な水が豊富に存在するのだ。もちろん、燃料となるピートにも事欠かない。不便ではあってもウィスキー作りには適した場所なのである。結果として堅気になった後も彼らはその地を動こうとしなかった。

ことグレンリベットに関して特筆すべきは「ジョシーの湧水」と呼ばれる泉だ。グレンリベット蒸留所の近くにはリベット川が流れるが、彼らはこの水を仕込み水とはしていない。蒸留所の後方の丘の上に湧き出る「ジョシーの湧水」がグレンリベットのマザー・ウォーターとなるのだ。

この「ジョシーの湧水」、グレンリベットの個性を形作るための、非常に大きな要素のひとつになっているのではないかと思われる。この水の大きな特徴は硬水であるということ。グレンリベットは豊富なミネラル分を含むマザー・ウォーターから作られている。グレンリベットの公式見解を引用させていただくなら、
「雪解け水が地層に浸透し2年の時間をかけて地下約200mの水脈を源泉として再度、地上に湧き出していると言われています。ミネラル分に富む硬水で、特有の香気成分を形成し、このリッチなミネラル分により、糖化過程においてより多くの等分を抽出でき、また発酵を経て豊かなフレーバーが生じます。水温は年間を通して5〜8℃と一定しています」。
とのことなのである。グレンリベットは200年近くもの間、ここに湧き出る水をマザー・ウォーターとしてウィスキーを作り続けてきたのである。

どのような経緯であったか知る由もないのだが、この「ジョシーの湧水」を探り当てたことこそがジョージ・スミスをこの場所でウィスキー作りをスタートさせた一番の理由だったかもしれない。

ハイランドのスペイサイド地域にあって仕込み水が硬水であることは非常に珍しい。いずれもスペイサイドのシングル・モルトであるストラスアイラ、モートラック、マッカラン、グレン・グラント、グレンフィディック、グレンロセス、グレンデュラン、アベラワーなどは軟水を仕込み水とする。ハイランド・地域にまで的を広げてもグレンモーレンジ、アバフェルディなどが硬水であるのみである。

軟水の宝庫、スペイサイド地域で硬水を仕込み水とすることは非常に珍しいのである。

7月に転職の決まった27歳がゆっくりとおっさんになる予感に心の震えた金曜早朝。
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お知らせ

雨の多い5月。春らしい穏やかな日が少ないのが残念でならない。しかし、何より残念なのはゴールデン・ウィーク以降、雨のせいもあって非常にヒマだ。

侍は皆様に呼びかけたい。
ジェイズ・バーに来てシングル・モルトを飲みましょう。
思い出していただきたい。
こんなシングル・モルトがあったじゃないか。

TWEロングモーンまずはロングモーン
驚くほどうまいです。先日の記事の中で、「開けたてよりもしばらく経ってからの方が旨そうな予感がする」と言わせていただいたが、何のことはない。開けてすぐにうまい。今でもうまい。意味も背景も説明不要。ハーフで¥1,000でのご奉仕価格。今年上半期ナンバー・ワンと刺客も薦めるシングル・モルトである。半分くらい売れたら棚に隠すのでそれまでが勝負。

ブレイヴァル次はブレイズ・オブ・グレンリベット
しっくり来るうまさです。時間をかけてゆっくりと飲んでいただきたい。香ばしい麦の香りと甘いオレンジ・マーマレードのようなねっとりとした香りが特徴。インパクトや強烈な個性があるシングル・モルトではないのでびっくりすることはできないが、これは決して凡庸ではない。このシングル・モルトの「丁寧」に感じ入っていただきたい。

続いてグレンロセス
こちらは‘87と’92ヴィンテージの飲み比べ企画を続行中。驚くなかれ。何とプレゼントの爪切りはまだ残っている。極端に当たりを少なくしたせいで皆様少々うんざりかもしれないが、はずれを引いた方が続出した結果、現在かなりの高確率で当たるはず。
どう?引いてみる?


スクエア15そしてご存知、イチロー・モルト
昨日お客様に出して飲み終わった後のグラスを嗅がせていただいたが、出てきました。紛れもなくチョコレート。飲み終わったグラスをそのままにして15分ほど置いておくと、乾いたカカオのような香りはゆっくりと甘いチョコレートになります。しみじみと愉しんで欲しい。お値段据え置き。¥1,000です。


ネイティブ ロスシャーさて、最後にグレンモーレンジ・ネイティブ・ロスシャー
ぼちぼちなくなりそうなのであまり人目に付かないところに隠した。ご注文の際は直接「ネイティブ・ロスシャー」と言って欲しい。もちろん、あまり大きな声では困る。


どしゃ降りの雨の中をバイク通勤、実は1日ノーパンで営業した木曜の夜明け。
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ジム・クライル、グレンリベットを語る。(3)

1822年、ジョージ言いエジンバラで非合法であるウィスキーを欲しがったことが大きなニュースになり、それをきっかけとして1823年に酒税法の大幅な改正に至り、1824年にジョージ・スミスはグレンリベットを政府公認第一号蒸留所とするべく最初に手を挙げたのである。

現在のグレンリベット蒸留所の責任者、ジム・クライル氏はあえてそれを強調したかったように僕には思えた。「ジョージ・スミスが誰よりも先に最初のライセンスを取得したのはビジネスの立場からである」、と。もちろんそれは僕にも納得のいく話だ。

ジョージ・スミスは自らのウィスキー作りに自信があっただろう。しっかりとした生産拠点を持ち、落ち着いて(逃げ回ることなく)ウィスキー作りに専念できれば、たくさんのウィスキーを売ることができるだろう。そう思っていたのではないだろうか。グレンリベット蒸留所の場合、「ビジネスの立場」から考えても税を支払うことは合理的であったのだ。

グレンリベット蒸留所に古い2丁の拳銃が展示されているのをご存知だろうか。ジョージ・スミス所有の護身用の拳銃である。いち早く政府公認の蒸留所となったグレンリベット。彼のその決断をかつての同業者(密造酒仲間)たちは快く思っていなかった。彼はかつての同業者から裏切り者とさえ言われていたのだ。たえず命を狙われた彼は常に護身用の拳銃を持ち歩いたと言われる。

しかし、時代は変わるのだ。ジム・クライル氏は語る。10年後の1834年、すべての密造業者はなくなる。逃げ回ることに意味はなくなったのだろう。さらに10年後の1844年、マーケティング・リサーチをしてPR戦略を打ち立て、グレンリベットは大掛かりに一大消費地であるロンドンへと打って出るのである。その後、アメリカ市場に最初に進出したのもグレンリベットなのである。

うまいウィスキーを作る傑出した職人、ジョージ・スミスは優秀なビジネスマンでもあったのだ。
ジム・クライル氏はそう言いたかったのだろう。確かにジョージ・スミスの判断は間違っていなかった。かつての同業者はグレンリベットの後に続くか廃業するしかなかったのだし、ロンドンへ、そしてアメリカへ進出したのもグレンリベットが最初であるのだ。今や英国にとってスコッチ・ウィスキーは輸出産業として外貨を稼ぐ大きな手立てとして機能している。輸出されることで我々は輸入できるのだし、輸入されることで我々はスコッチ・ウィスキーを飲むことができる。彼らが未だに地下に潜り密造酒作りに精を出していたら、我々の国にまでスコッチ・ウィスキーは届いていなかったのかもしれない。

その始まりは密造酒作りのためであった。徴税官の手を逃れるために彼らは山の奥深くにこもった。そんな彼らが税を支払うようになったのである。さて、彼らはそろそろ山を降りても良いのではないかと思わないだろうか。隠れるのに便利な場所は行くのには不都合であろう。

しかし、一度手に入れたその場所を彼らは手放そうとはしなかった。

雨降りの給料日前誰もいない店、ひとりカウンターで歌った火曜深夜。
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ジム・クライル、リベットを語る。(2)

「決して間違っている訳ではないのだが、正確には正解でない」。
と、僕に教えてくれたのはかつて池袋に住んでいたスコットランド人だったろうか?

皆さんはどう認識しているだろう。
スコットランドのハイランド地方とローランド地方のことである。

地図を見て欲しい。北(上)の方にあるからハイランド、南(下)の方にあるからローランド。
皆さんはそう覚えていないだろうか?
もちろんそれは、結果として間違っていない。北側がハイランドで南側がローランドである。

セミナーの会場でジム・クライルは語り始めた。
「険しい山に囲まれ比較的標高が高いのがハイランド、低い丘陵やなだらかな平地が多いのがローランド」。
土地勘のない日本人には馴染みが薄いことは仕方がないが、緯度の高低ではなく標高の高低を意味するのがハイランドとローランドなのだという認識がスコットランド人にはあるのだろう。

ウィスキー作りは元来素朴なものだったのだ。家内工業的なニュアンスを持つ農民の副業。人々の暮らしの中に溶け込み、四季の変化と密接なつながりをもっていたのがウィスキー作りであったのだろう。自らが飲むためにも、そして時には金や銀よりも換金性の高いウィスキーを彼らが作らなかった訳がないのだ。労働の対価や借地料の支払いに用いられるなど、ウィスキーが決済機能を持つことはごく当たり前だった。彼らは手持ちの麦と手近な水を用いて、暮らしの場の周辺でウィスキーを作り、その場で自らそれを利用した。

そんな素朴な日常を「昔話」に変えてしまったのが税金をはじめとしたウィスキー作りに対する規制である。議会は様々なウィスキーに関わる税を取り決めて行った。大きな境目は1707年、イングランドによるスコットランド併合だろう。イングランドの徴税官は固い決意のもとに乗り込んで来た。スコットランド人も反骨精神が騒いだことだろう。

密造業者は山にこもった。まともな道路もないハイランドの山中は徴税官の手を煩わせた。政府は税の取立てを強化する。密造業者に関する情報には懸賞金を出し、蒸留の設備を見つけ出せば取り壊し、徴税官が動きやすいように新たに道路を整備した。費用のかさむ税の取立てに政府がここまでこだわったのは、スコットランドにイングランドの権威を思い知らせるためであるのだろう。

ウィスキーの密造は弾圧に対する誇り高き抵抗の行為となった。彼らは祖国スコットランドの自由のために戦った。イングランドの圧力に反抗することさえも目的として彼らはウィスキーを作った。だが、密造は思いがけない幸福を産んだ。徴税官の目を逃れるため山中奥深くにスチルを移したことは非常に純粋な仕込み水との出会いをもたらした。また、良質なピートを豊富に得られるようになったのである。

スコットランド人は反骨を貫き通した。イングランドもうんざりしたのかもしれない。税の取立てに熱心になっても経費がかさむだけなのだ。1822年、ジョージ言いスコットランドのエジンバラを訪れたことは昨日申し上げた。そしてその時、当時非合法であったウィスキーを飲みたがったのだ。そのことは大きなニュースとなり、それを機に翌年議会は酒税法を改正する。

ジョージ言ぁ6欧蕕彼は幕引きのためにエジンバラを訪れたのだ。スコットランドの地で国王がウィスキーを飲むことで、スコットランド人は面子を保ったのではないだろうか?

長い連載にしないことを誓いつつ、明日へ続く。
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ジム・クライル、グレンリベットを語る。

5月17日(水)、ちょっとした研修に参加させていただいた。先週の金曜日に少しだけご報告をさせていただいたが、本日はその続きである。参加したのは、「グレンリベット ブランド・アンバサダー 研修セミナー」。関東地方で仕事をするバーテンダーがおおよそ100名ほどが集められただろうか。企画をしたのは正規代理店であるペルノ・リカール・ジャパン。グレンリベットのことをより多く知ってもらい、バーでシングル・モルトを飲むお客様に興味を持っていただこうということだろう。スコットランドからグレンリベット蒸留所の責任者、ジム・クライル氏を招いて直接話を聴かせていただく機会にも恵まれた。本日と明日、セミナーのレポートをさせていただく。

丁寧な挨拶の後、ジム・クライル氏はグレンリベットの歴史から語り始めた。グレンリベットといえば政府公認第一号蒸留所としてつとに有名であることはご存知の方も多いだろう。政府公認第一号として認められたのが1824年。その前年の1823年に酒税法の大幅な改正があり、それを受けてグレンリベットは密造酒であることを止め、税金を払うスコッチ・ウィスキーとなった。密造酒時代に幕を引いた蒸留所なのである。国王であるジョージ言い琉Πしたウィスキーとしても有名である。

創業者はジョージ・スミス。密造酒の時代を傑出した職人として生き抜いた男。職人仲間からも一目置かれる職人である。「ジョージ・スミスのウィスキー」、そのウィスキーの品質の高さは当時有名な話だった。

「ジョージ・スミスのウィスキー」、その噂は国王ジョージ言い里發箸砲眛呂い拭1822年、ジョージ言い魯好灰奪肇薀鵐匹離┘献鵐丱蕕鯔れる。そして、本来なら非合法化されていたウィスキーの利き酒を公然と所望したのだ。このことは大きなニュースとなって国内を駆け巡る。それがきっかけとなり法の整備を求める声が高くなり、翌1823年の酒税法の大幅な改正につながる。酒税法の大幅な改正とはつまり「税金が下がった」ということである。

1707年のイングランドによるスコットランド併合以来、何かとイヂワルをされて来たスコットランドである。ウィスキーに掛けられる信じられないほどの重税もそのひとつ。しかし、税の取り立てに力を注げば注ぐほど出費が増える。スコットランド人はうまく立ち回ったのだろうし、それほどまでにウィスキー作りに誇りと情熱をかけたのだろう。どんなことがあっても密造を止めなかったのだ。

徴税官とウィスキー密造業者はまるで、「NHK受信料の徴収員」とその「未納者」のようだ。NHKはいったい受信料の徴収にどれだけのコストを掛けているのだろう。

ようやく政府は態度を変更する。密造を止めさせるには一定の条件を付けてウィスキー作りを管理するしかない。そういう結論に達したのだ。それまでの密造業者は、一定の許可料を払えば捕まることなくウィスキーを作ることができるようになったのだ。


1823年の酒税法の改正がきっかけとなり、1824年のグレンリベット政府公認第一号蒸留所の誕生につながったという話は今までもよく聞く話であった。しかし、1823年の酒税法の改正が1822年のジョージ言い離┘献鵐丱號問をきっかけにしているらしきことを、ジム・クライル氏の話で知ることができた。この点に至極納得したのである。

さて、もちろん今日のレポートはすべてがジム・クライル氏の話ではない。氏の話を受けて僕の思ったことを付け加えて書かせていただいている。氏は恐らくNHK受信料問題には詳しくないはず。明日もこんな調子で続きます。


迷走する若者をおじさん二人が諭した日曜深夜。
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グレンリベット ブランド・アンバサダー研修セミナー

一昨日の水曜日、お休みをさせて頂いたのは皆様ご存知の通りかと思う。実はあるセミナーに参加させていただいた。場所は赤坂、グレンリベットの正規代理店であるペルノ・リカール・ジャパンの主催する、「グレンリベット ブランド・アンバサダー研修セミナー」である。

僕にとってセミナー自体は非常に有意義であった。スコットランドのグレンリベット蒸留所から責任者のジム・クライル氏を招いての講習会である。シングル・モルトに関しては僕の中に常にいくつかの「痒いところ」があり、そのうちのいくつかに今回は「手が届く」思いがあった。話が終わると質疑応答の時間もある。何事もそうだが、やはり本人に聞くのが一番である。

詳しいレポートと僕の思ったことは来週に改めて報告させていただくが、本日は写真を何枚かご覧いただきたい。

会場受付で貰った資料。
資料







セミナー終了後に授与された「アンバサダー」の認定証だそうだ。
認定証







どんぐりのバッチ。
バッチ







話をするジム・クライル氏。
ジム・クライル







グレンリベットを中心にずいぶんと試飲させてもらった。
サンプル








詳細は来週。
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昨日

昨日は久々に痛飲した。
12時頃には起きて、ブログの原稿を書こうと思っていたが、
今日は本当にごめんなさい。

2ヶ月ぶりの休みだもの。
ね。

今週は土曜日も書きます。
ご勘弁を。

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半分でいいだろ?

TWEロングモーンまずは皆様にシングル・モルトの紹介をさせていただこう。
写真のボトルはザ・ウィスキー・エクスチェンジのロングモーン。1970年蒸留、2006年瓶詰、シェリー・カスク、カスク・ナンバーは28、36年熟成、アルコール度数は56.1%。
久しぶりに刺客の言いなりになって仕入れてみた。とは言え、サンプルを試飲させてもらったが、誠にうまい。刺客曰く、「今年上半期ナンバー・ワンのシングル・モルトですね」。とのこと。もちろん上半期ナンバー・ワンとは刺客の個人的な感想に過ぎないが、侍も納得のシングル・モルトである。

本日より、このシングル・モルトを飲んでいただこうと思う。何と¥1,000にてご提供。ジェイズ・バー開店12周年を記念しての大作戦である。ただしハーフ・ショットでご勘弁を。さらに、お一人様1日1杯限りである。開けたてよりもしばらく経ってからの方が旨そうな予感がするが、まずは1杯飲んでみてくだされ。後日また1杯飲んでいただくとその違いに納得すること請け合いである。

さて、昨日で最終回となった「一筆啓上、山崎蒸留所」の連載であるが、長い間お付き合いいただいた読者の皆様には感謝をしたい。この連載に関しては僕自身ちょっとした思い入れもあったので長い連載となってしまった。うんざりした方も多かったかもしれないがご勘弁を。これからは気持ちを切り替えて新たにスタートといった気分である。

最後になるが、実は本日ちょいとばかり所用がありお休みをいただく。侍は不在であるがゲスト・バーテンダーを呼んで店は営業をする。楽しみにしていただければありがたい。
何時になるかはわからないが、店に顔を出すと思う。本日ご来店のお客様を客席にてお迎えする予定の侍である。

5分で潰れた酔っ払いのコックのいびきを隣で聞きながら原稿を書く火曜深夜。
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一筆啓上、山崎蒸留所(最終回)

山崎蒸留所がいかに困難を乗り越え、多種多彩なシングル・モルトを造り続けているかはご理解していただけたことと思う。これから先、山崎蒸留所で変わらないのは日本の名水百選に選ばれるほどの仕込みの水だけ。なんて言われるような時代になっているのかもしれない。もちろん、それらのすべてを支えているのは蒸留所で働く職人さんたちだ。

確かに、「それらのすべてを支えているのはサントリーの資金力である」との言い方も間違いではないだろう。金がなければ大掛かりなことはできない。スコットランドの片田舎の蒸留所に比べれば、山崎蒸留所は金持ちだろう。しかし、実験的に様々な製造工程を採ろうとする精神は、人に支えられているのではないだろうか。自信がなければできない。リスクをとっても舵取りが利く。とっ散らかることなく、ある程度安定した品質を保てるであろうという自信があればこそ、チャレンジはできるのだ。多種多彩な原酒を手に入れるため、鳥井信治郎は天国でも「やってみなはれ」と言い続けているのだろうか。そしてそれは今を生きる山崎蒸留所の人たちにも通じているのかもしれない。

ウィスキーとしての「山崎」が発売されたのは1984年。今から22年前、サントリー・オールドが爆発的に売れていた頃だ。ちなみにその前年、1983年にサントリー・オールドは過去最高の出荷数を記録していたのである。そんな時代にサントリーの当時のマスター・ブレンダー・佐治敬三は「山崎」を発売させたのである。

サントリー・オールドの成功に満足がいかなかったのであろうか?佐治のその決断は赤玉ポート・ワインの成功に飽き足らず、本格ウィスキーを求めた鳥井信治郎のそれに通じるものがあるように僕には思える。もちろんそれを危機感の現れとするなら、妥当な判断であると言わざるを得ない。サントリー・オールドの好調な売り上げだけにすがり付いていては、現在のサントリーのウィスキー部門に将来はなかったかもしれない。詳しく知らないので多くを語れないが、サントリーの自社製品でそこそこの利益を出しているのは「山崎」なのではないだろうか。

鳥井信治郎はマスター・ブレンダーの視点から「本格ウィスキー」に夢を見たのではないだろうか。彼はブレンドするための原酒として多種多彩なシングル・モルトを欲しがり、その伝統は今でも山崎蒸留所に受け継がれているのではないだろうか。
それが僕の思うところであることは既にお伝えした。

いやしかし、これまでの歴史を簡単に振り返ってもわかるように、赤玉ポート・ワインが好調であっても本格ウィスキーを欲しがり、サントリー・オールドが好調であっても「山崎」を売り出したのがサントリーである。今もなお新たなチャレンジを続ける山崎蒸留所jは、次の何かを産み出そうとしているのかもしれない。

久々に現れた元社長と思い切り怒鳴りあった月曜深夜。
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一筆啓上、山崎蒸留所(25)

スコットランドでは概ね20〜30年に1度のサイクルでポット・スティルを入れ替えるのが一般的なようだ。それに対して山崎蒸留所は10数年のサイクルでそれを行う。最近入れ替えられたばかりではあるが、その工事も17年ぶりとのことである。

「ポット・スティルは自らその身を削ってウィスキーを生み出すのです」。とはイチローさんの言葉だ。当たり前のことだが、ポット・スティルといえども稼動していれば消耗していくのだ。使い尽くせば交換せねばならない。20〜30年に1度。スコットランドにおけるその一般的な入れ替えのサイクルは、恐らくその耐用年数を考えてのことだろう。一方、山崎蒸留所の今回のポット・スティルの入れ替えは17年ぶり。スコットランドのそれに比べ幾分短いサイクルだ。

話は変わるが、式年遷宮というのをご存知だろうか?
10数年に1度、ポット・スティルを更新するという山崎蒸留所の話をかつて聴いた時。僕はその式年遷宮を思い出してしまったのだ。

伊勢神宮では20年に1度すべての建物を建て替え、ご神体も新しい神殿に遷す。それを式年遷宮という。戦国時代などには長い間行えないこともあったようだが、690年の持統天皇の時代から基本的には20年に1度、連綿と続けられて来たことなのだ。そのことの理由と意義は様々に説明が可能であるが、建て替えの技術の伝承というのも大きな意義を持つであろう。例えば50年に1度しか建て替えを行わないのであれば、前回の建て替えを行った者が死んでしまっている可能性もあるだろう。技術者不在では建て替えはままならない。

山崎蒸留所も同じことなのではないだろうか。サラリーマンの寿命は40年にも満たない。ポット・スティルの更新サイクルが30年に1度であるなら、定年までにそれを2度経験できる者は非常に稀だ。2度経験できたとしても、1回目は入社してすぐ。2回目は定年退職を迎えようとする頃。ということになってしまう。働きざかりの中堅と言われるような年齢になって、最初で最後の1回だけしかポット・スティルの入れ替えを経験できない。それが普通になってしまう。確かにそれでは、技術の伝承に不安がつきまとうことだろう。10数年に一度なら、うまくいけば3回、少なくとも2回、ポット・スティルの入れ替えを経験することができる。

様々なチャレンジを繰り返す山崎蒸留所。チャレンジの分だけリスクを背負うことになるなら、なるべくそれを低くしたいと思うのも道理だろう。経験を積んだ技術者が的確に職務を遂行することは、間違ったものを造らないために必要なのかもしれない。

今週水曜の楽しみに心ときめく日曜深夜。
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12周年

実は昨日開店12周年を迎えたジェイズ・バーである。
特にお知らせなどしていた訳ではなく。もちろん特別なイベントなど企画していた訳ではなく。ただ、いつものように普段と変わりなく1日の営業を終えた。

これで終わりではないので、これからもがんばりたい。

イチローさんのシングル・モルト。ぼちぼち飲み頃です。

一筆啓上、山崎蒸留所(24)

スコットランドの蒸留所と比べても山崎蒸留所の規模は決して小さくはない。容量8〜12キロリットルの蒸留釜を初留・再留それぞれ6基づつ、合計12基の蒸留器を稼動させている。最近、そのうちの3対6基の蒸留釜を入れ替えた。17年ぶりのことだという。山崎蒸留所の大きな特徴はそれぞれに形状の違う蒸留釜を使用していることだろう。その形状が違えばもちろん異なったタイプのシングル・モルトができる。形状の違う蒸留釜を用意すること自体が稀なことなのである。

今回入れ替えた3対6基の蒸留釜も異なった形状をしているようだ。蒸留釜はスコットランド・フォーサイズ社製。シェア90%を占めるポットスティル・メーカーだ。実は今回の蒸留釜についてある筋から非常に面白い話を聴いたが、それについてここでは書けない。興味のある方はジェイズ・バーで直接聴いて欲しい。

蒸留したての原酒のことを「ニュー・ポット」というが、山崎蒸留所ではライト、ミディアム、ヘビー、と少なくとも3種類のタイプに作り分けているということだ。しかもそれだけではない。熟成の樽にもタイプの違う数種類のものを用いるのだ。北米産のホワイト・オークを樽材とするバレル、ホッグスヘッド、パンチョン。スパニッシュ・オークのシェリー・バット。さらに極めつけは日本産のミズナラを樽材として使った樽をも熟成に使っている。ミズナラ樽を熟成に使っているのは恐らくサントリーだけなのではないだろうか。

蒸留と熟成の工程の違いがウィスキーの味わいの個性を形作るとするなら、山崎蒸留所のこのやり方をどう見るべきであろう。蒸留の結果でき上がるニュー・ポットは複数種類あり、熟成においても様々な道筋をたどるように用意されているのだ。山崎蒸留所のシングル・モルトは「同じように作ったのだけれど、結果として違う味わいになりました」ということではなく、「その企画時から違う結果を求めました」ということなのである。「蒸留」×「熟成」の結果がウィスキーの個性とするなら、その当初から違う結果が出るように意図されているのである。

しかも、僕が一番に驚くのはその設備の更新時の方法である。蒸留釜(ポット・スティル)の入れ替えはでき上がりのウィスキーの品質の根幹に関わることであろう。一般的にスコットランドの蒸留所においては20〜30年に1度というのがそのサイクルである。しかし、山崎蒸留所では20年を超えて同じ蒸留釜を使うことはないようだ。ここでもさらに極めつけは、その更新時に必要とあらば蒸留釜の形状を変えてしまうのだ。蒸留釜の形状を変更するということは、確実にその味わいが変わるということである。それまでの品質が保証されないということである。

サントリーは意図的にその品質を変えようとするのである。
どのような意図を持つのか?
もちろん、より良きウィスキーのために。ということである。

多くの人に揶揄されることもあるが、僕はこのサントリーの取り組みにこれからも注目したい。

前日はぐっすりと眠り万全な体調で営業に臨むが暇に過ごした木曜全般。
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一筆啓上、山崎蒸留所(23)

かつて僕はイヂワルな悪代官に向け「悪代官に物申す。」という記事を書いたことがある。悪代官の主催する「ブラインド・コンテスト」の解答の選択肢の中に、山崎蒸留所が存在したことに苦言を呈するために書かれた記事だ。一昨日もお伝えしたが、山崎蒸留所は現在でも多種多彩なシングル・モルトを造り続けるのである。スコットランドのシングル・モルトに比べると、蒸留所の際立った個性というものを理解しづらいのが山崎蒸留所ではないのかということだ。つまりそんな山崎蒸留所を「ブラインド・コンテスト」の解答の選択肢に用意するのはズルイ。侍は悪代官にそう申したかったのだ。ちなみに、「悪代官に物申す」と言いながら、スコットランドのブレンデッド・ウィスキーについて語りたくなり、そのためにはグレーン・ウィスキーとシングル・モルトについて言及せざるを得なくなり、山崎蒸留所について説明を試みようと思ったことが今回のこの連載「一筆啓上、山崎蒸留所」につながっている。

前回の「一筆啓上、山崎蒸留所(22)」で、「鳥井が「角瓶」を生み出すまでのチャレンジのプロセスは山崎蒸留所にあるひとつの教訓をもたらしていないだろうか?」と問いを立て、その答えを「山崎蒸留所は現在でも多種多彩なシングル・モルトを造り続ける」ということではないかとの見解を示した。

いづれにしても僕の見解はいつものように憶測の域を出ない。「悪代官に物申す。」の連載の中では山崎蒸留所は「上質なブレンデッド・ウィスキーのために」多種多彩なシングル・モルトを作るのではないだろうかとさせていただいたし、この連載では「角瓶」誕生までのプロセスの中で多種多彩な原酒を手に入れることこそが、マスター・ブレンダーとしての鳥井の望みではなかったのだろうか。ということが僕の思うところだ。多種多彩なシングル・モルトを造ろうとする現在の山崎蒸留所の飽くなきチャレンジを見ていると、それは「教訓」どころか「強迫観念」に近いのではないだろうかとすら思える。

現在はゆっくりと改革の波に洗われているのかもしれないが、伝統的にスコットランドのシングル・モルト造りは保守的だ。「蜘蛛の巣も掃(はら)うな」と言われるほどに頑なにそのスタイルを変えようとしない。日々のメンテナンスも含め、蒸留所の設備を更新する際にも極力変更はしたくないと言うのが本音なのだろう。「ポット・スティルはその身を削りながらウィスキーを造る」とはイチローさんの言葉だが、だからこそスコットランドでも20〜30年に一度入替えを行う。しかもその際も寸分違わず同じ形状にすることにこだわる。人為的にできたへこみなども含めてそうするとさえ言われている。

伝統を守り続けようとするスコットランドの蒸留所に比べ、山崎蒸留所はやはり異質だ。

営業に訪れた刺客の笑顔が心に残る水曜深夜。
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悪代官の店、三鷹にオープン
晩餐バール

Ichiro’s Malt 15年 スクエアボトル

スクエア15ジェイズ・バーで2本目のイチローさんのシングル・モルトであるが、ぼちぼち飲み頃が近付きつつある様子。現在、カラメルのような甘い香りを堪能させてくれている。僕の予測するところでは今週末頃がカカオ風味のピークではないだろうか。楽しみである。

侍の疲労もピークか?
短い記事であるが、本日はこれにて失礼。

重たい足でしっかりと立ちながらグラスを洗い足裏マッサージに思いを寄せる水曜早朝。
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一筆啓上、山崎蒸留所(22)

本日の記事は前回の記事の続きです。

売れる商品を作れてこそ、蒸留所は順調に操業を続けられる。
寿屋の社長、鳥井信治郎はヒット商品が欲しかったはずだ。自社の「本格ウィスキー」として1929年の「白札」から始まり、その後「赤札」を市場に送り出すが評判はいまひとつ。しかし1937年、苦労の末ついに「角瓶」のヒットにたどり着く。僕ら位の年代には「角瓶」は懐かしいウィスキーかもしれない。時代を超えて愛され続けたサントリー「角瓶」。このウィスキーは日本人の舌を捉えたのだ。

1931年、資金難により山崎蒸留所は操業を一時停止。1934年、初代工場長の竹鶴が寿屋を去る。「白札」、「赤札」の市場での不評は既にお伝えした。辛酸をなめながら鳥井は決してウィスキー作りをあきらめなかった。彼は強い意志を持って夢を追い続けたのだ。

確かに鳥井は強い意志の持ち主だったのかもしれない。だからこそ夢を追い続けられたのであろう。しかし、まだその形のはっきりしない夢をなぜそこまで追い続けることができたのであろう。恐らくその答えは、彼の自らの鼻に対する自信ではないだろうか。初代マスター・ブレンダーである鳥井は自らの嗅覚に大きな自信を持っていたのではないだろうか。

鳥井は13歳で丁稚奉公に出る。勤めた先は薬問屋。「鳥井の鼻」と呼ばれるほどに周りからもその嗅覚を認められる。当時の薬問屋は洋酒全般をも扱う。彼はそこで洋酒の製造法と調合技術を身に付けた。潜在的な能力とその後身に付けた技術はほどなく「赤玉ポートワイン」の大ヒットへとつながる。他の者に比べ鋭い嗅覚を持つ自覚はあったはずだ。勤め先では技術を養うこともできた。「赤玉ポートワイン」の成功は鳥井に大きな自信をもたらしただろう。

そんな鳥井が次のチャレンジを欲した。「本格ウィスキー」に夢を見たのだ。自らが鋭い嗅覚を持つことは自覚している。「赤玉ポートワイン」の成功で調合技術には大きな自信がある。初代マスター・ブレンダーである鳥井は思ったのではないだろうか?
「あとはブレンドする原酒だけ」。
鳥井は山崎蒸留所で作られるウィスキーにそれを求めたのではないだろうか?

「白札」、「赤札」の市場での不評は彼を苦しめたであろう。しかし彼は思ったのかもしれない。
「原酒の種類が足りない」。
「ブレンドする原酒の種類が豊富になれば絶対に日本人の舌を捉えることができる」。
そう思っていたのではないだろうか?だからこそ彼は山崎蒸留所をあきらめず、操業させ続けたのではないだろうか?
「多種多彩な原酒さえあれば必ずヒットは生まれる」。

トライ・アンド・エラーを繰り返し、鳥井はブレンディングを続けた。
1937年、ついに「角瓶」は生まれた。「角瓶」は日本人の舌を捉えた。鳥井にとって「やがて来るヒット商品」は「想定内」の出来事であったのかもしれない。

およそ80年前、山崎蒸留所は誕生した。「角瓶」というヒット商品は山崎蒸留所の息の根を止めなかった。山崎蒸留所は現在も操業を続ける。鳥井が「角瓶」を生み出すまでのチャレンジのプロセスは山崎蒸留所にあるひとつの教訓をもたらしていないだろうか?

山崎蒸留所は現在でも多種多彩なシングル・モルトを造り続ける。

ゆっくりと体から風邪が抜け客のいない店内で眠り続けた月曜深夜。
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連休明け

ブルータス最大9日連続のお休みとなった方もいらした様子の今年のゴールデン・ウィークであったが、皆様も本日よりお仕事であろう。ジェイズ・バーは例年通り休みなく営業。今年のゴールデン・ウィークは遠方より多くのお客様にご来店いただいたことを感謝したい。本当にありがとうございました。こんなことは僕の人生でも初めてのことで、心から嬉しく思っております。

連休を使って、わざわざジェイズ・バーのためだけに来た方もいないだろうが、上京したついでにちょっと寄っていただいた方も少なからずいた。皆様無事にご帰宅なさっただろうか。

さて、ちょっとしたお知らせを。
先日、「ブログ進化論」(講談社プラスアルファ新書、岡部敬史)という本にこのブログ「モルト侍」を取り上げていただいたことはお伝えした。実はその岡部さんに連休中にジェイズ・バーにご来店いただいた。仕事を終わらせ、たまたま近くだったので寄っていただいたようだ。大変気さくな方で、今している仕事の話やこれからのブログ全般の話を伺った。そして、もちろん一方的に僕の方からシングル・モルトの話などさせていただいた。
僕にとってもとても有意義な時間を過ごさせていただくことができた。近場でお仕事があった帰りには是非ともまた寄っていただきたい。

ブルータス記事それはさておき、マガジン・ハウスの雑誌「ブルータス」の最新号にジェイズ・バーとモルト侍が紹介された。こちらも、ちと嬉しい。その扱いは非常に小さく、店内の写真の一枚もないくらいの情けないありさまであるが、不満を申し上げるほどのこともない。それはそれで、ありがたい話である。

毎度の話の繰り返しであるが、より多くの人にシングル・モルトを愉しんでいただけるようになって欲しい。それこそが侍の願いである。そのために裾野を広げ、そこに留まろうというのが侍である。多くの人がシングル・モルトに興味を持っていただけるのなら、できる限りのことはしたいと思っている。「よくわかんないけど、シングル・モルトって楽しそうだな」。そう思っていただけるのなら、素直に嬉しい。取材大歓迎の侍である。

若きオーナー・バーテンダーが少しだけ腹のうちを見せた日曜深夜。

やはり少しは目立ちたい。
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イチロー・モルト、再び。

スクエア15大好評のうちに完売となったイチローさんのシングル・モルト。早くも2本目を入荷しました。
開けたての頃の印象と時間とともに変化するさまは既にお伝えしたが、今回もそれを楽しみにしたい。

前回、試していただいていない方も多いと思うが、今回はおそらくラスト・チャンス。
前回同様、イチロー選手応援価格の¥1,000でのご奉仕。

焼肉屋の店主と塩辛いホルモンを喰らいマッコリをビールで割って飲んだ金曜早朝。
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新人バーテンダー

実は先週の土曜から新人バーテンダーの勤務が始まった。
本日は彼女の2回目の出勤。
彼女?

そう、今回の新人は女性バーテンダー。
毎週、1回の勤務だがよろしくお願いしたい。

今日はとても眠いので、これにて失礼。

お恥ずかしいが、よろしくお願いしたい。
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ブレイズ・オブ・グレンリベット 1977 20y

ブレイヴァルニュー・リリースのご紹介である。
今回はハート・ブラザーズのブレイズ・オブ・グレンリベット。1977年蒸留、20年熟成。マディラ樽熟成。ちょっと、古めの瓶詰。1977年に蒸留し20年熟成したのだから、1997年頃、およそ9年前の瓶詰だ。実はこの商品、ずいぶん昔に飲んだ記憶があって、うまい酒だったのを覚えていた。たまたま見かけて思わず買ってしまったが、納得のシングル・モルトである。

封を切って5日ほど経つ。開けたての時には甘い麦芽の香りだったが、少しづつフルーティに変化をしている。43%というアルコール度数もいい感じだ。わかり易い強烈な個性というほどのものを持たないが、落ち着いてゆっくりと飲めば一口づつ胃に納得が落ちてくるタイプのウィスキー。ほんの少し蜂蜜を垂らしたスコーンのような香りだったが、5日経って蜂蜜の代わりにオレンジ・マーマレードを垂らしたように変わった気がする。

新旧ハート・ブラザーズ蒸留所名のブレイズ・オブ・グレンリベットであるが、現在はブレイヴァルと呼ぶ方が一般的だろう。シーヴァス・リーガルの原酒として使われることで有名。

いつ頃からブレイヴァルという蒸留所名に変更したのか定かではないが、この商品の瓶詰された1997年当時、ブレイヴァルという呼び名が「正解」であったはずだ。しかし、ブレイズ・オブ・グレンリベットというのもまだ一般的であった。

蒸留所名も変わったが、ハート・ブラザーズ社もラベルのデザインを変更している。
左はかつてのデザイン。右は現行のデザイン。この変更は実は少し残念。

集中力が持続しない日曜深夜。
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