モルト侍

池袋のショット・バー、ジェイズバーのバーテンダーが、大好きなシングル・モルトを斬る。

2007年01月

「スタンダード18」という考え方。(14)

以前、全体を森のように考えてみてはどうだろうと、お話をしたことがある。「シングル・モルトの森」の話である。そのすべてを森と考えるなら、ハイランド、ローランド、スペイサイドなど6つの地域区分を林に区分することが可能だし、林に茂る1本1本の木は蒸留所と思えないだろうか。木の幹からはヴィンテージごとに枝が分かれ、その先の葉は熟成を重ねる樽のようだ。やがてその葉は枝から落ち、拾い集めた人が瓶詰をして海を渡り僕らの手元にやって来る。

僕はそんな風に考えている。

シングル・モルトを愉しむというのは、その森を散歩することのようだと僕は思っている。予めコースを決めて森へ入るのも愉しいし安全だ。ご要望があれば僕はツアー・ガイドになろうと思うし、あなたが確信犯で迷子になるのも悪くはない。地図があれば便利だが、大方の全体像がイメージできていればなおさら都合が良い。森の真ん中で身動きが取れず、膝を抱えて途方に暮れているのでは切ない。出口が分からなくなってしまったら家に帰りようがない。

ここ最近、シングル・モルトに対する興味の高まりは僕自身も感じていることだ。同じことを同じように愉しめる人が増えることは当然僕にとってもありがたい。何より、理解を深めたいと考える方の多いことを嬉しく思う。森全体を意識し、お気に入りの木を見つけてもらえればと、僕は願って止まない。ただ、そんな今の世の中に不安がない訳でもない。

改めて考えると、「シングル・モルトの森」の広大さに誰もが気付く。興味を持てばなおさら、理解を深めたいと思えばより一層、その森の広大さは途方もないことのように思える。知りたいと思う人が多ければこそ巷に相応の情報は流れ、その真偽真贋など見極められることなどないまま、また新たな情報が溢れる。そもそもその面積が広大な上に、密度濃く情報が流し込まれ始めたようだ。それらすべての情報の真偽のほどを確かめる術を、残念ながら僕らは持たない。

真偽、真贋、正誤、善悪、是非、それらのすべてが正確に明らかになり、「正解」が選ばれるまで僕らはシングル・モルトを飲めないのだろうか?本末転倒であると申し上げたい。すべての準備が整うまでは何も始められないと言うのなら、僕らは一生何もできない。

森を散歩するあなたは目の前の景色をどう眺めるのだろう。
あなたはその風景に何を思うだろう。
あなたはそれを気に入っただろうか。

良く考えていただきたい。
あなたはその時に何かを思ってしまうはずだ。感想を抱いてしまうはずなのだ。それはあなたの心から沸いてくる。それは「あなたが見たもの」だから。

うそ偽りのないこと。あなたにとっての本当のこと。そのことを「真実」と呼ばせていただこう。巷に流れる真偽不明の大量な情報は、「事実」である可能性がある事柄に過ぎない。僕はあなたがあなたの中に生まれた「真実」を大切に扱ってくれることを願って止まない。「あなたが見たもの」をあなたが語るなら、それはあなたにとっての「真実」ではないだろうか。それはどんな「事実」より重たい。僕が知りたいのはそのことだ。

すべての「事実」がつまびらかになるまで、「シングル・モルトの森」へ入ることはできないと考える態度は愚かではないだろうか?飲まないシングル・モルトが愉しい訳がないと僕は思う。

さて、僕は一昨日のあなたをたくましく思う。
「どうやら自分はアイラの林が好みらしい」と大まかな見当を付けたあなたは、前傾姿勢でズカズカと森へと分け入ったのだろう。そしてお気に入りの場所と景色を偶然にも見つけた。一旦家に戻ったあなたは、どうやら思い出せない。そのお気に入りの場所にどうやって辿り着いたのか。何処から入って、どのように歩いたか忘れてしまった。もう一度、そこに行きたいと思っているのに。

そんなあなたが僕に思い出を語っている。僕は地図を広げてあなたの話を聴いている。それも僕の仕事のひとつだ。なるほど、同じ道を通れるかどうか、僕にもまだ分からない。だけどどうやら、同じ場所になら案内できるかもしれない。
僕は今、そう思っている。人気ブログランキング

「スタンダード18」という考え方。(13)

さて、僕の仕事の始まりだ。
僕の仕事は、まずあなたの話を聴くことから始まる。大切なのはあなたの目にそのブルイックラディがどのように見えたのかということ。もしも、あなたが普段から僕と付き合いのある人で、シングル・モルトに対してあなたがどのような眼差しを向けているのかを知っていれば、実は話は少し早い。例えば、あなたの言う「甘い」が何を指すのか、「辛い」が何を指すのか。僕がそれを知っていれば、互いに共通のイメージを共有し易い。

「芳ばしさ」を表すのに「煎餅のよう」という人もいるし、「滑らかな酸味」を表すのに「ヤクルト」と言ってみたり、人はそれぞれ独特の言い回しでそれらを表現する。感想に正解はないのだし、人の言葉に制約はかけられない。高だかシングル・モルトの感想を述べることくらいに、ルールなどいらないと僕は思う。素直に思いをめぐらせれば言葉は勝手に出てきてしまう。勝手な感想である分だけ、その感想は素直だ。

もちろん、前提として「相手の言い分を理解したい」という気持ちは必要だ。僕とあなたは「最終的には互いのことを理解しましょう」という点に合意をして話が始められれば理想的だ。僕とあなたは喧嘩をするために話し合うのではない。同じものを巡って愉しみを共有したいから語り合うのだ。だから、僕はあなたの知っていることに興味はない。あなたが思ったことを知りたい。

もしもあなたが、ブルイックラディ蒸留所の「住所と電話番号」を知っていたとして、僕に教えてくれたとして、情報として正確であったとして、それは僕らが愉しみを分かち合うのに役に立つだろうか?だから、僕はあなたが何を感じたのかが知りたい。もしもあなたが始めてのお客さんでも、あなたが思ったことを語り続けてくれれば、僕はあなたを少しづつ理解していくだろう。あなたは僕に「正解」を提供する必要はないのだ。

もしもあなたが始めてのお客さんで、シングル・モルトなど飲み慣れない人なら、最初は少し戸惑うかもしれない。飲み慣れないとその視点はブレることが多い。視点がブレると同じものが違って見えてしまう。同じものでも違う角度から見れば、違うものに見える。違って見えるものには、当然違う感想が生まれる。同じものの感想を述べているのに、さっきと今とで違うことを言わざるを得ないことに、あなたは戸惑うかもしれない。自分の言っていることに「辻褄が合わない」と自分でも思ってしまうかもしれない。でも、心配はいらない。少しづつ視点はブレることがなくなる。ゆっくりと焦点は合いはじめる。大切なのは慣れである。

ひとつ目のコツは「分からない時は好き嫌いだけを考える」。何しろ一番大事なのは「好きか?嫌いか?」。愉しく酒を飲みたいだけなのだ。それ以上に大切なことがあるだろうか?

ふたつ目のコツは少し難しい。できれば難しいことは割愛したいので避けて通りたいのだが、簡単に説明をすると「あなたの立ち位置とその眼差し」である。あなたは何処に立って、どのようにシングル・モルトを見ているのかということ。見方としてのテクニックはあるだろうし、その語り方にも作法はあるだろうが、立ち位置が動いてしまうことに自覚がなければその視点はブレ続ける。

まぁ、そんな面倒くさいことはどうでも良い。
飲んでいれば立ち位置などシングル・モルトが教えてくれる。
好きなものを飲めば良い。
愉しければ飲みたくなる。

おかげさまで1位ですが、いつまで続くやら、人気ブログランキング

「スタンダード18」という考え方。(12)

さて、あなたの話をさせてもらおう。
あなたはどこかのバーでブルイックラディを飲んだ。あなたはそのシングル・モルトがとても気に入った。そんなあなたがジェイズ・バーに来たのだ。もちろん、「例えば」の話である。

仕事が終わって軽い食事を済ませたあなたは午後9時にひとりでジェイズ・バーに来た。1杯目のオーダーはジン・リッキー。牛丼を食べたかもしれないし、ラーメンを食べたのかもしれない。あるいは会社に食堂があるのかもしれない。あなたはひとりで食事を済ませジェイズ・バーに来た。

そんな時にジン・リッキーが飲みたくなる気持ちは僕にも良く分かる。「素敵な選択だな」なんて思いながら、僕はライムを搾っている。「どうか、おいしく飲んでもらえますように」と願いながら、僕は炭酸を注ぐ。

ジン・リッキーで少し喉の潤ったあなたは最近飲んだブルイックラディの話を始める。どこかのバーで飲んだ、とても気に入ったブルイックラディ。でも、あなたはそのブルイックラディの詳細を覚えていない。覚えてはいないのだが、印象に残っている。忘れられなくなってしまったのだ。そう、だからあなたはブルイックラディについて僕と語り合いたくなってしまった。

僕の中にも印象に残るブルイックラディはいくつかある。シングル・モルト好きの人とシングル・モルトについて語り合うのは愉しいし、僕がかつて愛したブルイックラディと、もしもまったく同じものをあなたが好きになってくれたのなら、そんなに嬉しいことはない。肩を抱き合ってその喜びを分かち合いたいくらいだ。だから僕もあなたとブルイックラディについて語り合いたい。

さて、そんな僕とあなたは少しばかり困ったことになる。何せ、あなたはどんなブルイックラディを飲んだか良く覚えていないのだ。ブルイックラディであることに間違いはないはず。でも、オフィシャルなのか瓶詰業者なのかも覚えていない。だけど、途方に暮れることなんかないのだ。あなたは思い出すかもしれない。話をしているうちに思い出すかもしれない。少なくとも、そのブルイックラディはあなたが好きな味なのだ。あなたがどのようにそれを気に入ったのかを語れば良い。客観性などいらない。正確な知識など必要ない。ブルイックラディとあなたが愛し合った記憶を語れば良い。

とはいえ、僕だってあなたの一方的な「のろけ話」ばかり聞かされていても口惜しいではないか。あなたが惚れたそのブルイックラディの正体を突き止めたい。もしもその娘がジェイズ・バーにいるなら、もう一度引き合わせてあげたいし、もしも同じ娘がいなければ、似たタイプの娘を紹介したい。あるいは、よくよく話を聴いてみると実はそんな娘よりも、もっとあなたにお似合いの娘がいるかもしれないことを僕は思いついてしまったり、そんなあなたが何故その娘に惚れたのかが分からなくなったりすることもある。

そんな時に僕はイメージの中で僕とあなたの間にテーブルを用意する。
記憶を手繰り寄せ僕が出会ったブルイックラディたちをテーブルの上に並べる。
さて、僕の仕事の始まりだ。
襟を正してお願いしたい。人気ブログランキング
テーブルのブルイックラディ

「スタンダード18」という考え方。(11)

テーブルの向こう側のあなたと、テーブルに載ったシングル・モルトについて語り合う。それが僕のいつもの仕事だ。ただ、僕とあなたは時々、実際に目の前にないシングル・モルトをテーブルの上に載せたつもりで話をしなければならないことがある。

「スコットランドには100を超える蒸留所があり、その蒸留所ごとにそれぞれ個性がある」。
それはよく耳にする言葉で、シングル・モルトを語る上での慣用句のようになっているが、実は僕はこの台詞にちょっとした違和感を覚える。声高に「それは違う」と言いたい訳でもないのだが、このようなものの言い方は、ある種の誤解を与えてしまいかねない。僕はそう危惧を抱いてしまう。

「蒸留所ごとにそれぞれ個性がある」。
もちろん僕も、そのことをあからさまに否定できない。例えば、アードベックとグレンフィディックを飲み比べれば、そこに明確な個性の差が存在することは誰の舌にも明らかだからだ。だから、「蒸留所ごとにそれぞれ個性がある」というひとつの結論は、当然妥当な判断だと言わざるを得ない。しかし、長期熟成でシェリー・カスクのマッカランとグレンファークラスとモートラックには、如何ほどの差があるだろう。ヘビー・ピートのジュラとピートの効いたアイラ・モルトには明確な差があるだろうか。「間違いなく当てろ」と言われたなら、僕は甚だ自信がない。

確かにシングル・モルトはそれぞれに個性的だ。その個性を感じることは愉しみのひとつでもある。そしてその個性の差を感じることは誰にとっても容易だ。だから、シングル・モルトは多くの人にとって愉しむことが可能なのだ。しかし、蒸留所の個性の差は言われているほど明確ではない。蒸留所の個性は蒸留所ごとに標準化されている訳ではないからだ。

例えば、同じペットボトル入り緑茶である「伊藤園のおーいお茶」と「キリンの生茶」。飲み比べればそれぞれに個性的であることは理解できる。味が違うことは分かるはずである。味の違いが明らかになったあなたは、どちらか一方を好きになるかもしれない。あるいはどちらかを嫌いになるかもしれない。どちらかを好きになったのなら(あるいは嫌いになったのなら)、好きな方を(あるいは嫌いではない方を)選んで飲めば良い。そうすれば、あなたはより好きだと思う方を飲み続けることができる。

ペットボトルの緑茶でそれが可能なのは「伊藤園のおーいお茶」も「キリンの生茶」も、それぞれにその味わいが標準化されているからである。規格どおりに生産される工業製品であるから、出来上がった「伊藤園のおーいお茶」も「キリンの生茶」も、それぞれ生産者の目論見どおりの味わいになる。あなたが銘柄を間違えて選ばなければ予定通りの緑茶の味である。銘柄とその味わいは一致するのである。

確かに同一の蒸留所で作られたウィスキーには共通する特徴というものがある。同じ設備を使い概ね同じように作られたのだ。それぞれの蒸留所ごとにその味わいは、ある一定の傾向を持っていると言っても良いだろう。簡単に言えば蒸留所ごとの「らしさ」のようなものだ。しかし、蒸留所はそもそも味の標準化などし難い側面がある。残念だが、ペットボトルのお茶と同じようにいかない。銘柄とその味わいは一致しないことがあるのである。

シングル・モルトは、大麦麦芽を原材料とし単式蒸留器で蒸留したウィスキーである。単式蒸留器は一度にちょっとづつしかスピリッツを作れない。さらにそれらは様々な大きさの樽に詰められ熟成される。大きさだけではない。樽の種類さえ変えるのだ。その上熟成年数さえ違う。

普通に考えて欲しい。このやり方で出来上がりの品質が均一になると思われるだろうか?毎回同じものが作れるだろうか?

だから、「蒸留所ごとにそれぞれ個性がある」というよりは、「蒸留所ごとにある一定の傾向を持っていて、樽ごとにそれぞれ個性がある」という風に僕は思っている。シングル・モルトの個性は樽ごとにあるのだ。同じ蒸留所の同じような熟成年数のウィスキーが、こんなにも違うのかと驚かされることは多い。オーク樽で熟成されたマッカランを飲めば、マッカランという銘柄のシングル・モルトの個性はシェリーに頼ることが多いのだろうと思わざるを得ない。シングル・モルトの個性の最小単位は「樽」であると僕は思う。蒸留所ではない。

さて、あなたの話をさせてもらおう。
あなたはどこかのバーでブルイックラディを飲んだ。あなたはそのシングル・モルトがとても気に入った。そんなあなたがジェイズ・バーに来たのだ。
来週に続く。人気ブログランキング


忍者殿に侘びを入れたい。
こちらの都合で連載の続きを書いているが、来週は「敗者の弁」を記事にせざるを得ないだろう。
多分皆様がこの記事を読む頃には「第10回 ブラインド・テイスティング」の答えが出ているかと思う。午前8時の時点ではまだ出ていないが。
まぁ、侍は嫌なものを見る前に寝たいと思う。
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探しておくれ。

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「スタンダード18」という考え方。(10)

テーブルの向こう側のあなたと、テーブルに載ったシングル・モルトについて語り合う。視点の違う僕とあなたは同じシングル・モルトを違うように見てしまう。

ぼんやりとそのことに気付いたあなたは、どうやらそのことが心配のようだ。例えば、シングル・モルトなどほとんど飲んだことがないあなたは、僕から見えていることの方が「正解」だと思ってしまう。もちろんそんなことはない。僕が言いたいのはそういうことだ。むしろ、びっくりするような「感想」は僕を愉しませてくれる。視点が替われば、僕と同じものがそんな風に見えるのかと。
「感想」の意味を咀嚼できなければ、「して、その心は?」と切り返す。

そんなやり取りが、僕にはとても愉しい。

ただ、僕とあなたは時々実際に目の前にないシングル・モルトをテーブルの上に載せたつもりで話をしなければならないことがある。あなたが昔飲んだ「アレ」である。

「○年くらい前に、○○○○○っていうバーで、○○○○○っていう瓶詰業者の○○○っていうシリーズのスプリングバンク蒸留所のシングル・モルト」について僕とあなたは時々話をする。「アレだよ、アレアレ」。「そうそう、ソレ!」。なんて言いながら。

本日は遅くなりました。人気ブログランキング

夕方会いましょう。

どうにも疲れて眠いので、本日はもう一度夕方に記事を書きます。
おやすみなさい。

市ヶ谷のナベちゃん。
ここを押すんだよ。人気blogランキング
別に不幸なことは起きないから。大丈夫。

「スタンダード18」という考え方。(9)

まずは愚痴を言わせてもらおう。
僕は長い間そんな風に仕事をして来た。だから、「バーテンダーはモルトに頼るべきではない」。なんて言われると切なくなるのだ。ヘコんでいる時には悲しくもなるし、ため息も出る。「買って来たものをグラスに注いで売るだけでしょ」、なんて言われれば、静かに自分の人生を振り返ってみたりもする。「僕は間違っているのだろうか?」。

是か非かでものを語ってもそこに答えはない。人生も、シングル・モルトも一緒だ。結果が出るまでの過程をプロセスと言うのだし、プロセスの中にいることを生きると言うのだ。だとすれば、僕らの「生」はプロセスの中にしか存在しないし、結果など知らぬまま死んで行く。だけど、僕らはそのプロセスの中で誰かと関わり、交わり、恐らくはその誰かの結果にさえ影響を及ぼしてしまう。

この世のすべての結果は常に暫定的だ。最初の打席で三振をしても、次の打席でホームランを打つことがある。そして、その後の二打席にヒットを続けて打ったとしても、試合に負けることもある。だけど、次の日の試合には勝つかもしれないのだ。たとえ自分がヒットを1本も打てなくとも。
長いシーズンを考えればすべての打席もすべての試合も、その結果は常に暫定的でしかない。シーズンの優勝が決まれば、確かにそれはひとつの大きな結果だろうが、それでもまた次のシーズンはやって来る。直前の打席の三振は確かにひとつの結果だ。でもその結果は暫定的でしかない。すべてはまだ終わった訳ではないのだ。野球も、人生も、シングル・モルトも一緒だ。

結果が出るまで是非の判断は付かない。プロセスの中をしか生きられない僕ら、結果など知らぬまま死んで行く僕らが出す結果など暫定的なものでしかない。だから、是か非かでものを語ってもそこに答えはない。それでも人生は続いていくのだ。

「グラスゴーに向かって出発した汽車?」というのは正解だったのだろうか?
「うまい棒のタコヤキ味」というのは正解だったのだろうか?
「納豆がダイエットに効く」というのは正解だったのだろうか?

正直に僕の気持ちを言わせてもらおう。
「どちらでもいい」。

あくまでも、僕らにとってこの程度のことなら正誤、善悪、是非の判断など、どうでも良いのではないだろうか?やっぱり僕は「愉快−不愉快」の方が大事だ。もちろん、できる限り誰をも損ねないよう注意を払うことは前提だが。

「グラスゴーに向かって出発した汽車?」というテイスティング・ノートは、誰かを損ねただろうか?
「うまい棒のタコヤキ味」というテイスティング・ノートは、誰かを損ねただろうか?

確かに、「グラスゴーに向かって出発した汽車?」は不正確かもしれない。「うまい棒のタコヤキ味」はそれを知る人が少ないかもしれない。だったら、ありがちなテイスティング・ノート「チョコレート」は正確なのだろうか?もしもシングル・モルトが「チョコレート」なら、あなたはそれを子供に飲ませるだろうか?残念だが、「シングル・モルト」=「チョコレート」ではない。

「グラスゴーに向かって出発した汽車?」という表現は不正確な分だけ、誰かを不愉快にさせることがあるかもしれない。どんな時も厳密に正確を求める人はいる。曖昧と意味不明を許さない人はいるのだ。「本当のことではない」と彼らは思うのだろうか。だけど、それは誰かを不幸にするだろうか?だとすればそれはどの程度の不幸だろう。取り返しの付かない程の不幸がそこに存在するとは思わない。

でも、正確を求める人たちはいつも「本当のこと」を言っているのだろうか?忘れ物をしたことはないのだろうか?約束を破ったことはないのだろうか?電車に乗り遅れたこともないのだろうか?
多くの人はあまり「本当のこと」を言わない。僕はそう思っている。そもそも、「本当のこと」って何だろう?正確を求める人たちはそれを知っているのだろうか?僕にはお手上げだ。

だから僕は愉しいことを大切にしようと思う。
それなら僕にも良く分かる。
「グラスゴーに向かって出発した汽車?」も、「うまい棒のタコヤキ味」も、僕にはとても愉快だ。「納豆がダイエットに効く」という話はとても不愉快だったけど。
納豆が買えなくて迷惑な話だったし。
だけど、それは取り返しが付かないというほどのことではない。

本日も順位を確認してくれたら嬉しい。人気ブログランキング

「スタンダード18」という考え方。(8)

先週の金曜日にお話したようなことを僕はずっと続けて来た。テーブルの向こう側のあなたと、テーブルに載ったシングル・モルトについて語り合う。僕はそれが自分の仕事だと思っている。

前回お話したように、僕とあなたは違う視点を持っている。だから、同じものを見いていても、それは僕らには違うように見えてしまう。むしろそれは当然のことなのだ。間違ったことではないし、悲しいことでもない。そもそも感想に正解などないのだ。

だから僕は「あなたが思ったこと」が知りたい。あなたがテーブルの上のシングル・モルトを飲んでどう思ったのかが知りたい。僕とあなたは違う人生を歩んできた。そんな僕とあなたが今ここで同じシングル・モルトを飲んでいる。違う道筋を通って来た僕とあなたが、1本のシングル・モルトに吸い寄せられるようにその目の前で顔を合わせたのだ。それはとても素敵なことではないだろうか。

1本のシングル・モルトに向かって僕とあなたは違う方向からやって来たのだ。そこに辿り着くまでのプロセスが違うし、そのシングル・モルトに向かう視点さえも違う。そんな僕とあなたなのだ。1本のシングル・モルトに抱く感想がピッタリ一致する訳がない。

去年の暮れ、こんな記事を書いた。イチローさんの選んだシングル・モルト。軽井沢蒸留所の「ピーテッド・ゴールデン・プロミス」。ジェイズ・バーのお客さんで酒屋さんをやっている方が持って来て売って帰ったのが話の始まり。確かにある意味「勝手な話」かもしれない。でもそれが少しだけ「勝手な話」ではないのは、僕と彼の間にある種の関係ができていたからだ。少ないながらも関わり合い、話し合い、互いを知り、彼なりに僕が何を好むのかを知ったから、彼はそれを持ち込んだのだ。もしも僕がそれを気に入らなかったら、もちろん僕はそれを買わない。

さて、そんな風にまだ飲んだことのない「ピーテッド・ゴールデン・プロミス」が僕らの目の前に現れた。僕らというからには複数形。複数とはこの侍とラーメン屋とN氏。

先ほどの話に戻そう。
違う人生を歩んで来た侍とラーメン屋とN氏である。平均すれば40年に近い、それぞれの人生である。そんな3人の人生がある晩に交錯した。つまり、たまたまその日にラーメン屋とN氏がジェイズ・バーに居合わせたのである。そしてそんなところに「ピーテッド・ゴールデン・プロミス」が舞い降りて来たのである。

違う道筋を通ってやってきた3人はそれぞれの視点で勝手なことを言い始める。それは記事にした通り。どちらかと言えばラーメン屋は「ファイティング・ポーズ」で「まずは俺が好きになるか、嫌いになるか、から始めようじゃないか」、と味わい始める。N氏の方は「受け身」に構える。相手の懐に飛び込み翻弄された振りをして敵を知り、通り過ぎた後に手の内を分析する。それぞれにそれぞれのやり方、つまり愉しみ方というのは生まれる。

そんな人たちを「上級者」と呼んで良いのかどうかは、僕にも分からない。だけどそのような「手馴れた人」たちは概ね視野が広い。「良く分からないものは、絶対に見ない」。という態度はほとんど取らない。そしてそんな風に自分なりの「シングル・モルトの森の地図」を彼らは作っていくのだ。ついでなのでラーメン屋の台詞をご紹介しよう。

「イチローも結構やるじゃねぇか。まだまだですけどね」。
もちろん、ご本人を目の前にそんなことは言わないだろうが、イチローさんだって自分のシングル・モルトが、ジェイズ・バーでそんな風に愉しまれていることを思って悪い気はしないだろう。

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最後にこの場を借りてお伝えしたい。
ぼちぼち正解発表となる「ブラインド・テイスティング」である。
恐らく、今週末か来週の初めには出るだろう。

忍者殿。
水曜くらいには侍の解答を記事にする。
もちろん既にあなたは知っての通りだが。
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本日体調不良に付き

申し訳ないが、どうやら調子が悪い。
悪寒と頭痛に悩んでおります。
都合の良いことに眠気もあるので、このまま眠らせていただきたい。
すみません。

土日にも関わらず少し上がって来たというのにごめんなさい。
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「スタンダード18」という考え方。(7)

人は何故、シングル・モルトを飲んで感想を述べたくなるのだろう。
人は他者と共感をしたい生き物だからだと、僕はそう思う。

それは、夕方のニュースを見て誰かと話がしたくなるのと一緒だ。昨日読み終わった本の、あるいは昔観た映画の話をしたくなるのと一緒だ。同じような体験をしたもの同士が、そのことについて語り合う。共感が生まれることもあれば、違いが明らかになることもある。だけど、そのふたりは同じことについて語り合っている。ことの良し悪しは別にしても、人にはそんな時間が必要なのではないだろうか。ひとつの事象を巡って、「私はこう思うのだが、あなたはどう思うだろう?」。人はそれを必要とする生き物なのではないだろうか。

イチロー D-K(表)僕とあなたはテーブルを挟んで向かい合って座っている。テーブルの上にはイチローズ・モルトのダイヤのキングが乗っているとする。僕とあなたは同じものを見ている。イチローズ・モルトのダイヤのキングだ。同じものを見ているのに違うものに見えてしまう。僕とあなたは向かい合って座っているから。あなたはそれを正面から見ているし、僕はそれをその反対側から見ている。だから、僕とあなたは同じ時間に同じものを見ているのに、正面からとその反対側の違う絵柄を見ている。

イチロー D-K(裏)僕とあなたはテーブルの上に乗ったボトルについて語り合いたいと思っている。目の前のテーブルの上にボトルは1本だけ。論理的に考えるなら、僕とあなたは同じものについて語り合えるはずだ。道理として分かる。お互いに。テーブルの上に他には何もないのだ。だから、僕とあなたは同じものについて語り合えるはずなのだ。だけど、僕とあなたはどうやら話しが合わない。あなたはトランプの絵札のデザインが施された表面について語りたいと思っているし、僕の方からは英語と日本語の文字しか見えない。

違いを明らかにして行くと、僕とあなたはずっと話が合わないままだ。「あなたはそう言うかもしれないけれど、私はそうは思わない」。「あなたの言っていることは間違っている」。「私の言っていることが明らかに正しい」。僕とあなたは仕舞いには喧嘩を始めてしまうかもしれない。

だけど、どうだろう。僕とあなたはひとつのテーブルを挟んで座っている。そして、何もないテーブルの上に先ほどイチローズ・モルトのダイヤのキングを置いたのだ。そこまでは共に合意できないだろうか。だとすれば、僕とあなたは今、テーブルを挟んで座り、イチローズ・モルトのダイヤのキングを共に見ているはずではないだろうか。

気付いて欲しい。僕とあなたは視点が違うのだ。僕とあなたは違う立場で同じものを見ている。
だから、同じものが違う風に見えてしまう。

視点が違えば、同じものが違って見える。
僕はそのことを良く知っている。それは当たり前のことなのだ。

だから僕は、
「あなたが知っていること」に興味はない。「あなたが思ったこと」が知りたい。
僕はこれまで、繰り返し何度も同じことを言ってきた。
僕が飲んだシングル・モルトをあなたはどんな風に感じるのだろう。
だってそれは、シングル・モルトを愉しむ一番のコツだと思うから。

僕とあなたは、お互いに同じものを見ているということに合意をして話を始めたらどうだろう。そうすれば、「僕の方からはこう見えますが、あなたからはどう見えますか?」。僕とあなたはそんな風に話をすることができないだろうか。そうすれば、僕の立場から見えないことをあなたに語ってもらうことができるし、あなたの立場から見えないことを僕から知ることができる。そういう作業の繰り返しは、テーブルの上のイチローズ・モルトのダイヤのキングに対するお互いの理解と共通認識を深めて行くのではないだろうか。

そしてゆっくりと、テーブルの上のイチローズ・モルトのダイヤのキングが、リアルな質感を持って立体的に見えるのである。僕はそういうことがとても愉しみで、そして心地良く愉快だ。

そして時々はテーブルの上のボトルに手を伸ばし、クルリと反対に向けてみてはどうだろう。ついさっきまであなたが語ってくれたことが僕には良く分かるだろうし、僕のおしゃべりの意味があなたに伝わるはずだ。そして時々は肩を寄せ隣に座って同じ側を一緒に見たい。


腹を割ってお願いをしたい。
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「スタンダード18」という考え方。(6)

ガキの頃から「うまい棒」を喰ってきたのなら、胸を張って「うまい棒に似てる」と言えば良い。確かに「うまい棒のタコヤキ味」を食べたことのある人は少なかろう。だったら、「うまい棒のタコヤキ味」がどんな味であったかを語れば良い。ついでに「うまい棒」各種の味の違いについて語れば良い。いつの日かあなたのその思いは誰かに伝わるかもしれない。僕はそんな人を素敵だと思う。

シングル・モルトの父、マイケル・ジャクソンが「トフィー」だの「クッキー」だの「スコーン」だの「ファッジ」だの「ショートブレッド」だの「バタースコッチ」だのというのは、彼が子供の頃からそれに馴染んで来たからだ。どう考えたって、僕らは「ファッジ」よりは「うまい棒」に馴染みがあるのではないだろうか。

日本と同じように大陸の果ての海の先にある英国である。しかも、同じ大陸の東と西の端にある。僕なりに何がしかのシンパシーを感じてしまうし、シングル・モルト・スコッチ・ウィスキーの生まれた故郷ともなれば、ごく当たり前に尊敬と感謝の念を抱いている。それはシングル・モルト売りを生業とするこの侍の日常である。

しかしこの侍、あくまでもこの国に暮らす日本人としてシングル・モルトを愉しみたい。
一昨日もお伝えした。ものの味を愉しむという行為は、人が口にしたものの記憶を背景に成り立つ。それは非常に膨大な量の記憶だ。あなたは自分がこれまでの人生で、一体どのくらいの回数の食事をしたか考えたことがあるだろうか。一日に三回の食事を取るとして、一年で軽く1000回を超えるのだ。あなたの年齢にそれを掛けてみれば良い。もちろんその回数は「おやつ」抜きである。

日本に暮らす僕らには僕らなりのスタイルというものがある。英国にも違った形でそれはあるはずだ。例えば「濡れた段ボール」の匂いは日本も英国のそれも恐らく同じようなものであろうし、言葉で説明をすれば理解し共感を得られるはずだ。だけど、「グラスゴーに向かって出発した汽車?」は僕らには理解し難いし、「正露丸」は彼らに説明が難しい。

ごく当たり前に尊敬と感謝の念を抱いている僕の立場からしても、この背景の違いは埋めようがない。ごはんと味噌汁で育って来たのだ。二十歳を超えるまで「スコーン」など喰ったことがない。毎晩のように「フィッシュ&チップス」の食事ならうんざりするだろう。「アジの干物」なら我慢できるだろうが。

シングル・モルトを愉しむためには、その生活スタイルも英国流に改めるべきなのだろうか?いや、そんなことは本末転倒と申し上げたい。「クッキーをかじりながら午後の紅茶」も良いだろう。だけど、「やっぱり日本茶には煎餅だよね」と思う。日本に暮らす僕らには僕らなりのシングル・モルトの愉しみ方があっても良い。彼らをリスペクトすることと、僕らが英国人になろうとすることは違うはずだ。

今、目の前にある瓶詰されたシングル・モルト。そのシングル・モルトを作った人たち。その人たちを育んだその地域の気候と風土。そしてその国。僕はそれらに思いを馳せ、尊敬と感謝の念を抱きつつ、目の前のシングル・モルトを愉しませてもらう。僕の感想は僕の生き様の中からしか生まれない。

あなたは今日の晩、どこかでシングル・モルトを飲むかもしれない。そして、飲んだシングル・モルトに何か感想を持つかもしれない。あなたの中から生まれたその感想は、先ほど説明した膨大な量の記憶を背景に生まれる。僕はそのことを忘れたいとは思わない。感想とはどのようにおいしいかを伝えることである。何を感じ何を想ったのか、それが感想である。何かを思い出してしまうのだ。何かに似てるとあなたは思ってしまうのだ。いつかあなたにもそんな日が来る。

十分に準備をして「ダルモア」を飲んだなら「トフィー」と言わなければならない。そう思っている人からは「うまい棒のタコヤキ味」という感想は生まれない。

久々に少し上を狙いたいと思っています。
是非とも皆様のご協力を、人気ブログランキング

ラーメン屋、敗れる。

ロングモーン36昨年の11月から「ラーメン屋VS刺客」でブラインド・テイスティング対決をしているのは皆様ご存知のことと思う。第一回目はグレンロセス、第二回目はリンクウッド、そして最終対決となる第三回目が昨日行われた。正解はロングモーン。残念ながらラーメン屋は敗れた。

本来なら昨日の続きを書くのが筋であろうが、今日は急遽変更である。申し訳ない。

「何だろう」と思いながらシングル・モルトを飲むのは愉しい。
当たれば嬉しいのは当たり前だが、当たらないことの方が多いのが当たり前だ。だから、ブラインド・テイスティングというのは、どちらかといえば「はずれること」の方が大前提である。いくつかの選択肢があってそこから選ぶというのではなく、すべての蒸留所が選択肢というのならなおさら。

だから、正解を目指してチャレンジするのではなく、「何だろう」と様々なことに思いを巡らせながらシングル・モルトを飲むことこそを愉しいと思わないと、実はブラインド・テイスティングは苦役となってしまう。

そもそも、シングル・モルトには蒸留所ごとに決まった明確な個性などない。漠然と「この蒸留所なら全般的にこんな傾向にある」という程度のもの。そんな希薄な根拠で合理的に明快な解答など出せるはずもない。同じ蒸留所のシングル・モルトでも、樽が違うだけで明らかに違う味わいを感じるたび、ブラインド・テイスティングなどしても当たるはずがないと途方に暮れるばかり。

非常にピーティなジュラ蒸留所のシングル・モルトはアイラ・モルトと間違い易いだろうし、長期熟成でシェリー・カスクのマッカランとグレンロセスとモートラックとロングモーンは僕には区別が付き難い。胸を張って「絶対に当てられる」とは言えない。

「大人の遊び」と健全に開き直る態度は必要だろう。ブラインド・テイスティングより大切なものは人生にいくらでもある。もちろん憂慮する必要もなかろう。ブラインド・テイスティングに命を懸けて、人生を狂わせた人などいないだろうから。ただし、「大人の遊び」である以上、真面目に遊んだ方が愉しいことは確かだ。

3ヶ月に亘ってラーメン屋と刺客は死闘を続けた訳だが、結果はラーメン屋の3連敗。刺客がたて続けに放った3本の矢は「グレンロセス」「リンクウッド」「ロングモーン」。いづれも長期熟成のスペイサイド・モルト。この中にひとつでも「アードベック」が入っていたら、あるいは「ハイランド・パーク」が入っていたら、かなりの高確率でラーメン屋は正解を導き出していただろう。刺客もまた熟知しているのだ。何が当たり難いかを。

「大人の遊び」とするならば、「何だろう」と思いながらシングル・モルトを愉しむのと同様に、はずれた後の反省を愉しむ余裕も必要だ。希薄な根拠を手がかりに、不明瞭ではあるが、でき得る限り合理的であれと推論を積み重ね解答に至るのである。しかし、間違えたなら、間違えたなりの理由も存在する。また、当たったとしてもその根拠は「鉛筆を転がした結果」より少しマシな程度。実はそれは解なき問いに答えることと変わらない。

愉しみは選ぶものではない。自ら作るものなのだ。
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「スタンダード18」という考え方。(5)

昨日は失礼をいたした。
先週金曜の記事の続き。本日再開である。


シングル・モルトの父、マイケル・ジャクソンが「ブナハーブン1966、カスク番号4379、46.1度」に「グラスゴーに向かって出発した汽車?」とテイスティング・ノートを記していることは前に申し上げた。

さて、皆さんはこの事実をどう思われるだろう。
僕に言わせるなら、これは先週お話した「うまい棒のタコヤキ味」と一緒だ。シングル・モルトを飲んだ感想として、恐らく「うまい棒のタコヤキ味」というのは多くの人に共感を得ることはなかろう。しかし、その「うまい棒のタコヤキ味」という感想は「間違ったこと」ではない。感想というのは勝手に生まれてしまうのだ。「うまい棒のタコヤキ味」という感想は、「うまい棒のタコヤキ味」を食べたことのある人から生まれる。僕らがそれにうまく共感できないのは、僕らが「うまい棒のタコヤキ味」を食べたことのないことに起因する。

「グラスゴーに向かって出発した汽車?」
「うまい棒のタコヤキ味」
そのどちらもが、多くの人に共感してもらい難い表現である。

実は僕は父さんにツッコミを入れたい。
「うまい棒のタコヤキ味」は食べ物だ。父さんは汽車を食べたことがあるのだろうか?
普通に考えれば「うまい棒のタコヤキ味」を食べたことのある人の方が、「グラスゴーに向かって出発した汽車?」を食べたことのある人よりも多いと思う。だとすれば、「うまい棒のタコヤキ味」という感想の方が優秀(いや、少なくとも一般的)ではないだろうか。

もちろん、「うまい棒のタコヤキ味」を食べたことのある人が、「私はうまい棒のタコヤキ味に似ているとは思わない」。というのなら話は別だ。「似てる/似てない」論争は「うまい棒のタコヤキ味」を食べたことのある人同士で成立する。

この国に暮らす人で「うまい棒」を知る人は多いだろう。食べたことはなくても名前くらいは知っているという人は多いだろう。いやしかし、「タコヤキ味」があることは知らなかったという人はいるだろう。だけど、「うまい棒」なら「タコヤキ味」があってもおかしくない。というくらいには想像ができるのではないだろうか。僕らにとって「うまい棒」とはそんなお菓子ではないだろうか。

シングル・モルトと「うまい棒」を結びつけるのはおかしなことだろうか。
「チョコレート」とか「クッキー」とか「オレンジ・マーマレード」なら結びつけるのに?
ましてや喰ったこともない「トフィー」なんて感想を口にしてしまうのに?

味や香りに感想を持つという行為は、人が口にしたものの記憶を背景に成り立つ。それは非常に膨大な量の記憶だ。とても不思議なことに、普段よりもちょっとだけ敏感に味や香りを気にしてみようと思うと、「記憶の検索結果」に自分でも予測できなかったようなものが引っ掛かることがある。時には食べ物でないものまで引っ掛かることがあるくらいだ。「小学生の時に思わずかじってしまった、匂い付きの消しゴム」とか。

それはとても普通のことだ。
「チョコレート」とか「クッキー」とか「オレンジ・マーマレード」なら恥ずかしくなくて、「うまい棒」が恥ずかしい何てことは絶対にない。だって、あなたはそれを思い出してしまったのだ。素直な気持ちで「何に似てるか?」に思いを寄せるなら、感想は沸いて出てくる。

検索結果のトップにある「うまい棒」を採用せずに、何故訳知り顔で「トフィー」なんて言ってしまうのだろうか。そっちの方がよっぽどカッコ悪くないか?

少し調子が良いみたい。ご確認を、人気ブログランキング

見つかりませんか?

どうも、皆さま。
本日は更新が遅くなりました。

ちょっとした手違いで、姿を消してしまいました。
どこにもいないようですね。
たくさんの方に探していただいているようですが、
ご存知ですよね。
このニュース
↑↑↑↑↑↑↑↑
お騒がせして、すみません。僕のことです。

何しろ、英国でのこと。黙って見てはいられませんでした。
つい、手が出てしまったのです。
とはいえ、人助けです。
悪党はこの侍が退治いたしました。
もう大丈夫です。

まぁ、この侍が名乗り出ることはないでしょう。


それで、ですね。
見つからないんですよ。
今日の記事のデータがね。
ちょっとした手違いですかね。
どこにもないんですね。
って言うか。
USBメモリの中になければ、ないんでしょうね。
「保存」したと思ったのに。
おかしいですね。

お騒がせしてすみません。
僕を探さないで下さい。

明日。先週の続きを。
本日。人気ブログランキング

「スタンダード18」という考え方。(4)

だから、まずは正解を求める態度を辞めてみようではないか。
あなたがシングル・モルトを飲んで語るのは「良し悪し」ではない。あなたの「好き嫌い」、つまり感想である。繰り返すが、感想に「正解」はない。「自分勝手」と開き直ってみるのも良し。

あなたの「好き嫌い」、つまりあなたの感想を中心にあなたの言葉であなたがシングル・モルトを語り始めると、あなたの周りできっと不思議なことが起こり始める。意外なことに、あなた自信は「自分勝手」と思い込んで語ったことに、大きく賛同する他者と巡り合うことがあるのだ。

例えばあなたは何かシングル・モルトを飲んだとする。あなたはその味わいが「うまい棒のタコヤキ味」に似てると思ってしまった。何故そう思ってしまったのかなんて、良く分からない。しかし、一度浮かび上がったその思いはなかなかなくならない。

あなたは不安になる。「うまい棒のタコヤキ味」なんていうテイスティング・ノートを今まで目にしたことがなかったからだ。「私は間違っているのか?」、「私の舌はおかしいのではないか?」。絶望的な気分になる。再びそのシングル・モルトを口に含む。

やはり、「うまい棒のタコヤキ味」に感じてしまう。

不安のなくならないあなたは手元にある「モルト・ウィスキー・コンパニオン」を開く。例えばあなたの飲んだシングル・モルトの蒸留所のハウス・スタイルにはこんな風に書かれている。「麦芽風味、濃厚に甘い、少しピーティで、微かに塩味、スパイシー」。

あなたはより落胆してしまう。まさかそこに「うまい棒のタコヤキ味」などと書いてあるはずはないと思っていはいたものの、「うまい棒のタコヤキ味」が頭から離れない自分がおかしいと思ってしまう。このシングル・モルトを飲んで、「麦芽風味、濃厚に甘い、少しピーティで、微かに塩味、スパイシー」と思うのが正解であり、「うまい棒のタコヤキ味」と感じるのは間違いだと思っているから。

何度でも繰り返そう。感想に「正解」はない。

開き直ってもらって構わない。
ジェイズ・バーで飲んでいるのなら僕に向かって言ってみて欲しい。どこかのバーなら目の前のバーテンダーに向かってでも構わない。隣の人に向かってでも構わない。あなたが素直に感じたように、
「僕はこのシングル・モルトをうまい棒のタコヤキ味に感じるのですが」。
と言ってみて欲しい。

100人に1人くらい、あなたの感想である「うまい棒のタコヤキ味」にピンと来る人がいるかもしれない。そしてそのピンと来る人があなたの隣にいるかもしれない。そういう奇跡が起きるのが飲み屋である。

あなたが素直な感想を口にしない限り、そのような奇跡は起きない。
さらに言わせていただこう。「うまい棒のタコヤキ味」と「麦芽風味、濃厚に甘い、少しピーティで、微かに塩味、スパイシー」は僕の中で十分に同じシングル・モルトの感想として説明が成り立つ。目の前であなたがシングル・モルトを飲んで「うまい棒のタコヤキ味」と感じたものがあったなら、あなたが何故そう思ってしまったのか。僕はそれを探す旅にあなたを案内したいと思っている。

だからこそ、よろしくお願いします。人気ブログランキング

「スタンダード18」という考え方。(3)

改めて言わせていただこう。
感想に正解はない。だから僕らは「好き嫌い」を大いに語れば良いのではないだろうか。

よろしいか、皆様。
そもそも僕らはウィスキー評論家ではないのだ。世の普通の酒飲みの、そんな立場の僕らがウィスキーの「良し悪し」など語らんでも良い。「良し悪し」は「正誤」である。「正誤」の背景には当たり前のように「客観的な判断」を必要とする。では僕らは、そもそもそんなものを持っているのだろうか。

ウィスキーを語る時、「間違ってはいけない」という強い思い込みがあるから「正解」を求める。「正解」を求める態度は手近な「権威」を求める。そしてその「権威」は本屋で手に入る。マイケル・ジャクソンが「固いカラメルトフィー」と言えば、すべてのダルモアは「固いカラメルトフィー」になり、マイケル・ジャクソンが「グラスゴーに向かって出発した汽車」と言えば、すべてのブナハーブンは「グラスゴーに向かって出発した汽車」になってしまう。

僕はそんなのが嫌だ。
僕は「あなたが知っていること」に興味はない。「あなたが思ったこと」が知りたい。僕の目の前で僕に向かってそれを教えてくれたなら、僕はあなたが好きだと思うウィスキーを選び、あなたが何故それを好きだと思うかに考えを巡らせ、だったらこんなものが良いのではないだろうかと次の1杯を選ぶ。それが僕の仕事だ。

「正しいこと」を語ろうとする態度は「間違い」を嫌う。間違わないように権威に追従する。それでは間違わなければ正解なのだろうか。僕はつまらないと思う。

「好きなこと」を語ろうとする態度に「間違い」はない。だってあなたがそれを好きなのだから。
それでいいじゃん。

勝手で構わない。あなたには「好きなこと」を語って欲しい。他の誰もが酷評するようなウィスキーでも、あなたが好きならそれで良いではないか。でも、ひとつだけお願いしたいのは、「どうして私はこれが好きなのか?」を是非ともあなたに語っていただきたい。あなたはまだ分からないかもしれないが、「私がこのウィスキーを好きな理由」は必ずあるのだ。あなたの中に。

良く考えていただきたい。
1. 違う銘柄のシングル・モルトを飲めば、味が違うことは誰にでも分かる。
2. 違いが分かるということは、好き嫌いが発生する。
3. 好き嫌いがあるということは、その背景に必ず理由がある。
ということなのだ。

あなたにはまだその理由が分からないかもしれない。あなたが気付いていないだけで、だけどその裏側には「理由」があるのだ。それを探す旅に出てはいかがだろう。シングル・モルトの森の散歩である。道案内はこの侍がしよう。

侍は森の中に18の標識を立てた。
それが「スタンダード18」である。

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「スタンダード18」という考え方。(2)

「例えば」の話である。
侍がシングル・モルトの父として敬愛して止まないマイケル・ジャクソン。父の著作である「モルト・ウィスキー・コンパニオン」に、彼は多くのテイスティング・ノートを残している。例えばダルモアの欄にはいくつかのダルモア蒸留所のシングル・モルトが紹介され、テイスティング・ノートが記され、「オレンジマーマレード」とか「アプリコットジャム」とか「チョコレート」などその「感想」が書かれている。

さて、良し悪し好き嫌いは別にして、彼のその功績は誰もが認めるものだろう。故に彼の放つ言葉はある種の権威を身にまとってしまう。しかし、だからといって、彼のテイスティング・ノートは感想として「正解」だろうか?

ダルモア蒸留所に関して言えば、「オレンジマーマレード」とか「アプリコットジャム」とか「チョコレート」などのテイスティング・ノートは、僕も含め多くの人が同じように思うことであるだろう。取り立てて間違いであるとは僕も思わない。しかし、前版の「モルト・ウィスキー・コンパニオン」で彼は「ダルモア・シガー・モルト」の味を「固いカラメルトフィー」と表現していている。

さて、「固いカラメルトフィー」は感想として「正解」なのだろうか?
「ダルモア・シガー・モルト」を飲んだことがあり、「固いカラメルトフィー」の味を知っている人が、マイケル・ジャクソンの感想を「なるほど」と思うなら、確かにそれを「正解」としても良いのだろうが。

果たして、いか程の人が「カラメルトフィー」の味をご存知だろうか?「チョコレート」の味はイメージできても、「カラメルトフィー」なぞ喰ったこともない。という人も多いのではないだろうか。

僕が心配なのはマイケル・ジャクソンの言うことはすべてが「正解」であり、バーでシングル・モルトを嗜む前には予めその正解を頭の中に予備知識として蓄え、飲み下したなら早速その感想を披露しなければならない。そう思っている方がいらっしゃるのではないかということだ。そして、「カラメルトフィー」を食べたことのない人が、ダルモアをオーダーした後「「カラメルトフィーのようですね」、などと言ってはいないだろうか。「正解の書いてある本を読んで勉強したのだから大丈夫」、なんて思いながら。

確かにそれは「正解」であるのかもしれない。だけど、あなたの「感想」ではない。

もうひとつ、「例えば」の話をしよう。
大昔、この件で記事をひとつ書いた。

ブナハーブン1966、カスク番号4379、46.1度のテイスティング・ノートには「スモーキー。新鮮な海風。グラスゴーに向かって出発した汽車?」とある。それが「正解」であると思ったあなたは、バーでブナハーブンをオーダーした後、「あぁ、これはグラスゴーに向かって出発した汽車の香りがしますね」なんて言ってしまうのだろうか?

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「スタンダード18」という考え方。

年頭につき、皆様に新たな提案をさせていただきたい。
その構想だけはもう2年くらい前からあったものだ。

年頭でもあるので、改めてその前提から申し上げるが、「人生にはシングル・モルトよりも大切なものはたくさんある」。どうか皆様、そのことだけは忘れずにいただきたい。日々の暮らしを大切に生きれば、酒はより愉しくなる。酒を飲めば苦しみを忘れることはできるが、それは一時的なことだ。翌朝、目が覚めれば、また昨日の続きの今日がやって来るだけ。面倒なことはなくなりはしない。

僕はあなたの苦しみを取り除いてあげることができない。だから、愉しいことを増やしたいと思う。僕は今年もそれを仕事にしようと思う。

とはいえ、誰にだって飲み過ぎてしまう日はある。実は僕もあまり人のことは言えない。だからこそ、飲み過ぎれば日々の暮らしは壊れる。そう自戒して新たな年を過ごしていきたい。

さて、前置きの長さだけは結局変わらないまま新年が始まりました。
先へ急ぎましょう。

「おいしいことと愉しいことは違う」。
「良し悪しではなく、好き嫌いを語って欲しい」。

今までも繰り返し言ってきたことだ。おいしい酒、良い酒をおろそかにするつもりはないが、あなたが愉しくて、あなたが好きな酒を提供したいと、僕はいつでも考えている。もちろん僕にはできることとできないことがあるし、さらに、得意なことと不得意なこともある。もう随分長い間この仕事を続けてきたけど、僕には僕なりのスタイルというものができあがってしまっているのだ。

良くも悪くも僕の身の程というものがあるのだろうし、正誤の判断は付かないけれど僕には夢がある。できることを続け、得意なことを伸ばして行きたい。そのすべてが「愉しみを分かち合う」というポリシーのもとに収斂して行けば嬉しい。

さて、それでは、僕にできることの中で、さらに得意なことの中で、僕はどんな時に「愉しみを分かち合えた」気持ちになるのだろうか。簡単にひと言で言ってしまえば「共感」である。僕があなたの好きな酒とその理由を理解し、あなたにも同じように好きなものと嫌いなものの違い、そしてその意味を知ってもらえた瞬間、あなたが「なるほど」と思えた瞬間に心地良さが生まれる。

違う銘柄のシングル・モルトを飲み比べれば、違う味がすることは誰にでも理解できる。味の違いが理解できるということは、確実に好き嫌いが生まれる可能性があるということだ。好き嫌いが生まれるということは、好きなものを選んで飲むという愉しみを知ることができるし、あえて嫌いなものを試すという選択も可能だ。好き嫌いを気にしながらシングル・モルトを飲むということは、その愉しみを大きく広げてくれる可能性を持つのだ。

大切なのは自分の好き嫌いを大切にする態度だ。多くの人が「まずい」というシングル・モルトをあなたが好きでも構わない。あえて言えばあなた自身が「まずい」と思うシングル・モルトでさえ、あなたは好きかもしれないのだ。

よく考えて欲しい。
好き嫌いを大切にシングル・モルトを飲めば、きっと感想が生まれるはずだ。
感想に「正解」はあるだろうか?


だから僕は考えた。
多くの人にとって入手が容易で、シングル・カスクなど小ロットの商品でなく、比較的その味わいのぶれることの少ない、その蒸留所にとってのスタンダード感のある、価格も手ごろなシングル・モルトをいくつか選んで比較できないものかと。

侍はそれを「ジェイズ・バー・スタンダード18」と名付け、すべての蒸留所の中から18本を選んだ。
この18本の中でさえ、あなたの中に好き嫌いは生まれるはずである。

詳細は次回。
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本年もよろしくお願いします。

さて、新しい年がやって参りました。
旧年中はお世話になった皆様。本当にありがとうございます。
もちろん本年もよろしくお願いします。

昨年末より、非常に個人的な理由でバタバタしております。
ご迷惑をお掛けするかと思いますが、何卒ご勘弁を。
もちろん営業はしています。

唐突ですが、今年の目標です。
愉しみを分かち合う。

これです。
どうしたらそれが可能か、よく考えたいと思います。


大変なことになってしまいました。
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