モルト侍

池袋のショット・バー、ジェイズバーのバーテンダーが、大好きなシングル・モルトを斬る。

2007年06月

例のアレ

さて、本日は例のアレについてお知らせをしなければならないのだが、その前にお知らせ。実は本日は11時半まで貸切で営業のため、通常の営業はそれ以降となります。大変申し訳ないが、よろしくお願いをしたい。

例のアレとはもちろん「スコッチ・ショップ 第11回ブラインド・テイスティング」である。
ほとんどの方がご存知とは思うが、簡単に言ってしまえば利き酒ゲームである。A,B,C,D4種類のシングル・モルトを飲んで、中身が何かを当てろというゲームである。解答は選択式。すべての蒸留所の中から何かを当てろという訳ではない。ご安心を。

出題は毎度のことながら忍者。まぁ、今回もヤツのスケベ振りには呆れる限りである。
今回こそは、「たたっ斬ったる!」。

ちょっと切ない気もするのだが、実は本家のスコッチ・ショップでは既に売り切れ完売。およそ半年に1回あるこの企画だが、ジェイズ・バーでもやらせていただけるようになってもう6回目ということになる。当時はこんなに早目になくなる企画ではなかっただけに、少々申し訳ない気がするのである。

とは言え、ジェイズ・バーには10セット残っております。侍の分を差し引けば、9セット。

解禁は本日深夜12時以降。
毎回電話でお問い合わせをいただくことの多いジェイズ・バーでのこの企画であるが、電話でのご予約は受け付けられませんのでよろしくお願いしたい。在庫状況の確認はできますが、基本的にはジェイズ・バーに来てもらった方から先着順にご提供させていただく。

正直なところ、このような企画はシングル・モルト初心者の方にこそやっていただきたい。先入観なしにお酒を飲む機会もそうそうないと思うし、違うお酒を飲めば違う味がするのだということをしみじみ理解していただけると思う。愉しいぜ。

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一筆啓上、シングルトン(13)

ブログネタ
シングル・モルト に参加中!
シングルトン正解は選ぶものではない。自ら作るものである。
巷にはシングル・カスクのウィスキーが増えた。僕がウィスキーを飲み始めた20年ほど前、現在のこのような状況を僕は到底想像しようもなかった。多品種・小ロットの流れは大きなうねりとなってウィスキー業界を揺らしている。少なければ100本程度しか瓶詰されないウィスキーが巷には溢れている。そして、そのすべてが日本に入ってくる訳ではないのだ。

「昔は良かった」、なんて台詞を僕はできれば使いたくない。だけど、かつてグレンリベットと言えば何を指すか、グレンフィディックと言えば何を指すか、マッカランと言えば何を指すか、そのことはとても明確であった。それらはすべて「オフィシャルもの」を指したのだ。「昔は良かった」と言いたくない僕も、「昔は分かり易かった」ということだけは認めざるを得ない。

マッカランといえばその12年ものを指し、「マッカランの18年って知ってる?」、あるいは「10年の100プルーフって分かります?」、くらいのことがちょっと粋な感じに聞こえたくらいだ。ことの良し悪しは別にして、今やそんな状況ではない。品揃えのあるバーに出向いて「マッカランありますか?」とバーテンダーに聞いてみれば、「オフィシャルものなら12年と18年、ボトラーズものならこちらとこちらになります」、なんて次第だ。

さて、選択肢が増えたことは僕らを幸せにしたのだろうか?

あえて言わせていただこう。
選択肢を増やすことに僕らは直接手を下せない。僕らはいつだって世に出た商品を受け止めるしかない消費者だ。予め提示された選択肢の中から、自分が好きであると思われるものを選ばなければならない。飲んでみて「おいしい」と思えば正解だし、「まずい」と思えばハズレである。

だから、正解は選ぶものではない。自ら作るものである。

片っ端から飲んでいけばそのうち正解をつかむことができるのだろうが、あなたの肝臓と財布にもキャパシティがあるはずだ。限界を超えてチャレンジをすることは誰にもできない。生まれて初めて、最初の1杯でハズレを引いてしまった結果、それ以来シングル・モルトが嫌いになってしまったなんて話を聞くたびに切なくなるのも僕だ。

選択肢が増やされたことと引き換えに、僕らは分かり難さを引き受けねばならなくなってしまったようだ。多品種・小ロットという業界の大きなうねりは、波乗りの得意な人に愉しみを提供することはできたが、波打ち際で遊びたいだけの人には迷惑な話になってしまったのかもしれない。

確かに、例えば20年前に比べれば、業界は非常に活況を呈している。ウィスキー好きの僕からすればとてもありがたいことだ。仕方なしにウィスキーを飲むことは少なくなった。どんな店に行ってもウィスキーを飲みたい僕にいくつかの選択肢は用意されているし、ウィスキーが飲める店についても選択肢がある。だけど、その豊富に用意された選択肢こそが、それを良く知らない人にとっては過剰であり、不親切で不案内に思われることが多い。

もしもあなたが、波打ち際で遊ぶだけではなく、ちょっとは上手に波乗りがしてみたいと思ったなら、僕には何かができるのではないかと思って始めたのが、「ジェイズ・バー・スタンダード18」であるのだが、話はそちらに進めない。ただ、ひとつだけ言わせてもらうが、シングル・モルトを選ぶことを「くじ引き」を引くことと同様に捉えていたら、なかなか「アタリ」を引くことはできない。たまたま引くことのできた「アタリ」だけを飲み続けていても、上手に波乗りをしているとは言えない。

さて、来週もこの連載の続きを書こうと思っている。存外に好評で、少々気を良くしている侍である。ただし、ボチボチ例のアレが始まる。なので、明日は土曜でモルト侍はお休みであるのだが、例のアレについてお知らせを記事にしなければならない。つまり、明日はこのブログを更新しようと思う。是非とも皆様には明日も見に来ていただきたい。ジェイズ・バーでは定員10名の例のアレ、である。

やっぱり遠いかね。現在2位、人気ブログランキング


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侍、並び立つ。

侍、並び立つ越中詩郎さんというプロレスラーをご存知だろうか。ここ最近は、プロレス以外の世界でも非常に人気のある方。侍の異名を取るレスラーである。

縁あって、越中詩朗さんとお会いすることになった。ジェイズ・バーのお客さんの編集者の方が、越中さんの取材場所にジェイズ・バーを貸して欲しいというのだ。聞けばこの越中さん、一時期バーテンダーもやっていたことがあるという。

侍を名乗るバーテンダーがこのモルト侍の他にもいると聞いては、こちらも黙ってはいられない。「ジェイズ・バーのクレジットも巻末に入れさせてもらいますから」。との申し出もあり快諾。こちらの返事はもちろん、「やってやるって!」。

「やってやるって!」とは言うものの、もちろんこちらはプロレスでは戦えないのだが。

強面の大男というのはキュートな笑顔を持っていれば概して優しい。
それは僕がこの仕事を続けて来て持つに至った実感である。もちろん、怒らせれば怖いが。

他愛のない世間話に話が弾んだ。バーテンダー経験があるからか、それがそもそもの人柄なのか、あるいはそれがプロレスラーという職業の本質なのか、この人は人と呼吸を合わせるのが上手なようだ。こんなとき僕は「この人はどんな人生を歩んできたのだろう」と思いを巡らせてしまう。

店に来ておもむろに着替える越中さんにもびっくりしたが、撮影はすぐに始まる。カウンターの中でシェイカーを振る越中さん。他にも数カット。今度はカウンターの椅子に座り酒を飲む越中さん。僕もカウンターに入って越中さんのカクテル、「サムライ」を作った。

撮影が終わり、「申し分けないですが、記念に越中さんと一緒に写真を撮ってもらってもいいですか?」、と聞いてみた。快くOKを出してくれたプロレス界の侍であった。

昨日、その本が出版されたようだ。タイトルは「やってやるって!!」越中さんの大ファンらしい若手芸人のケンドー・コバヤシさんとの共著である。どうやら、夢のタッグ実現のようだ。


作りますよ、サムライ・カクテル。
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一筆啓上、シングルトン(12)

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シングル・モルト に参加中!
シングルトン少ないながら増やされた選択肢のすべてを以って「全体」と思わされ、そのうちのどれかを選べる状態にあることを「豊か」だと僕らは思っていないだろうか?例えるならば、それは回転寿司で喰う寿司に似ている。

もちろん僕は回転寿司を否定しない。あのお手軽さは日本のファースト・フードの原点と言っても良いであろう寿司の現代版である。価格設定も含めたあの気安さは誠にありがたい。頻繁にと言うほどではないが、日常的なレベルで僕も使うことは多い。とは言えしかし、あのベルト・コンベアに並んで回転する寿司ネタだけが寿司のすべてであるなら、僕にとって寿司を喰らう愉しみは半減してしまうだろう。

回転寿司が寿司屋の敷居を低くしてくれたことは確かだ。生まれて初めて入った寿司屋が回転寿司で、そこで寿司の魅力に気付いたら「廻らない寿司屋」に行ってみると良い。確かにカウンターの向こうの職人さんに声を掛けるのは気後れするかもしれない。今までは黙って回転する寿司の載った皿を手に取っていただけだろうから。

思うに、80年代から大きく広がったお酒のディスカウント・ストアは、僕にとっての「回転寿司」であった。僕はそこで洋酒の愉しみに気付かされた。そして、それ以上の専門家のいる、ワンランク上の品揃えのある店に出向くようになっていく。僕の場合、スーパー・ニッカから始まり、バーボンにちょっと寄り道をして、スコッチ・ウィスキーを好むようになり、やがてシングル・モルトに辿り着くようになった。

回転寿司は寿司を好んで食べる人の裾野を広げた。回転寿司が初めて登場するのは1958年。シャリとネタを組み合わせ、ひと口サイズに握って提供する寿司という食べ物は、どんな人にとっても魅力的であっただろう。しかし、いわゆる「江戸前の握り寿司」は、それまで富裕層の好んで食べる高級食でもあったのだ。回転寿司はそれを一気に庶民のレベルまで下げた。

手軽になれば誰でも喰いたくなるのが寿司である。それほどまでに僕らは寿司が好きなのだろう。TVのグルメ番組で寿司が題材になるものは事欠かない。1日でも寿司の話題を取り上げない日があるだろうか。30年前、当時も料理番組はあったが、グルメ番組なるものは如何ほどあったのだろうか。TVで寿司が話題にならない日など、当たり前のことだったと思う。

かつてはさほど気にならなかった寿司の話を、今は多くの人が気にするようになった。これは回転寿司の功績ではないだろうか?一生縁などないかもしれない超高級寿司店の話題に、日本人は飛び付くようにすらなってしまったのだ。回転寿司のおかげで寿司全般は富裕層だけに許される愉しみではなくなった。多くの人がその愉しみを知るようになったのだ。

ウィスキー全般も同様である。ディスカウント・ストアのおかげで洋酒全般は富裕層だけに許される愉しみではなくなった。飲酒文化は確実に、層が厚く幅の広いものになったのだ。

寿司もウィスキーも、そして実はアダルト・ビデオも同様である。
もっと上へ、あるいはその先へと人の関心が向いて行けば、広がりを持った分だけ、そのカテゴリーは細分化されて行くのである。そして、先へと進むことでより高次の価値を産み出してしまうのである。

僕らがまだ若く「アンチ・オジサン」を気取りバーボンを飲み始めた頃、アダルト・ビデオは「小林ひとみ」だけでこと足りたのだ。その先へ、もっと上へと進んだ結果、皆様は今の状況をどのように思われるだろう。選択肢が増えたことは、僕らを幸せにしているのだろうか?

サントリー・オールドは「小林ひとみ」である。

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お願いである。


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一筆啓上、シングルトン(11)

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シングル・モルト に参加中!
シングルトン日本国内でその版図を大きく広げ、その勢力が最大となった1980年、サントリー・オールドは何と1,240万ケースを出荷している。一昨年(2005年)サントリー・オールドの販売数は51万ケースにまで落ち込み下げ止まった。

当時、国内のウィスキー業界の覇権を握ったサントリー・オールド。その覇権により、業界はある意味長く安定した発展を遂げていたと言えるのかもしれない。「本物」のスコッチ・ウィスキーがまだ憧れの時代、サントリー・オールドは「本物志向」を体現していた。「本物」を目指し、それに手が届かない人にサントリー・オールドは愛された。


「本物」を知る人からはその「本物志向」こそを揶揄されることの多かったサントリー・オールドである。存在意義が「本物志向」にあるならば、そのもの自体が「本物ではない」と訴えているようなものである。しかし、僕の本心を素直にお伝えしよう。サントリー・オールドはウィスキー飲酒習慣の裾野を大きく広げた。その前提なくして、今の僕の仕事は成り立たない。

何事も功罪合わせ持つのが人の世の常だろう。サントリー・オールドの功績に素直に感謝したいというのが僕の本心である。

長く続いたサントリー・オールドの覇権もやがて終わりを告げる。その頂点を極めた後、サントリー・オールドは急速にその求心力を失っていく。国内市場一人勝ちのサントリー・オールドの牙城は切り崩されて行く。1980年代、時代は中曽根内閣。官邸主導の下、僕らは外国製品を買うことを薦められた。

お酒のディスカウント・ストアに並んだ輸入酒は、サントリー・オールド包囲網を完成しつつあった。輸入酒の価格は下がり、僕らの手にも入り易くなったのだ。打倒サントリー・オールドを目指す輸入酒は三方に分かれグループを形成した。バーボン、スコッチ、ブランデー、それぞれ茶色い蒸留酒である。

彼らは日本のマーケットに一気に攻め入って台頭して行く。当初、その中でもバーボン勢が大きく勢力を伸張させた。それまでの日本の商習慣に囚われることのない若者の支持を得た。当時、ひとり暮らしの僕は近所の酒屋さんに酒の配達を頼んだことがない。アメリカにはまだカッコ良さがあった。「アンチ・オジサン」を掲げるのにバーボンは都合が良かった。

オジサンたちは少し気後れしたのかもしれない。愛し続けたサントリー・オールドとそう簡単に別れることはできなかった。しかし、憧れの本物のスコッチは次々とその数を増やした。バランタイン、シーヴァス・リーガル、ジョニー・ウォーカー(ジョニ黒)、オールド・パー。かつての憧れは目の前にある。しかも安い値段で。

ブランデーに流れたオジサンたちの方便を聞いて欲しい。「わたしはサントリー・オールドが嫌いになった訳ではない。ウィスキーではなく、ブランデーを求めるようになったのだ」。

80年代中頃から、多くの人の目の前に数多くの選択肢が提示され、その価格も下がった。それまでの当たり前はゆっくりと意味を失った。僕らはもうサントリー・オールドである必要がなくなったのだ。何者かの手によって選択肢が増やされたことを、僕らは「豊かさの象徴」だと思った。そして僕らは「今までと違う何か」に「自分らしさ」を求めた。

その「自分らしさ」は他人の用意した選択肢であることなど忘れて。

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サントリー・オールド

さて、「一筆啓上、シングルトン」としながら、サントリー・オールドの話ばかりしている気がする。シングルトンの話をした後、サントリー・オールドの明るい未来についても語りたいと思っているのだが、どうやらまだ追いつかない。

そこで、お詫びと言うのも何だが、本日よりジェイズ・バー開店以来初の試みとして、サントリー・オールドを販売する。おひとり様、1日1杯限り。¥400でのご奉仕。

サントリー・オールドと言えば「水割り」である。ちょっと濃い目が好きな侍である。もちろん、どのように飲んでいただいても構わないが、「水割り」とご注文いただいた場合、ちょっと濃い目でお作りする(お買得)。飲み方の指定のないまま「サントリー・オールド下さい」、と言われた場合、有無を言わさず水割りである。

今日のような天気にはオールドの水割りはうまい。
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一筆啓上、シングルトン(10)

シングルトンさて、相変わらず全体の構成など考えることなく、思い付くまま書き散らかすのが連載の常であるこの侍であるが、少々整理をしておこう。

侍はシングルトンについて書きたい。
既に皆様の方がお忘れになっていないかと心配な侍である。こちらのことはご心配なく。

蒸留所名を商品名として市場に流通させることの多いシングル・モルトであるが、オスロスク蒸留所のシングル・モルトを「ザ・シングルトン」として販売した事実があることを皆様はどう思われるだろう。蒸留所名と商品名が違うシングル・モルトは、確かに以前から珍しいことではあるが、ない訳ではなかった。今よりは昔の方がそんな商品は多かったと思う。だから、オスロスク蒸留所のシングル・モルトを「ザ・シングルトン」として販売したことは、非常に特別なことというほどのことでもない。

ただ、シングルトンは蒸留所名と商品名が違うシングル・モルトとしては、非常にロングセラーであったと思う。うたかたのように消えてなくなる商品が多い中、シングルトンは随分と長い間売れ続けた。それほどに日本でそこそこの人気商品となった。ピーク時の出荷数については詳しい資料がないが、「ちょっとしたブーム」になったといって良いほどに売れたシングル・モルトではないだろうか。

では何故、シングルトンはそれほどの人気を博したのだろうか?
結論から先にお伝えをして、話を進めたいと思う。

僕らが始めて「シングル・モルト」というものを意識してウィスキーを飲んだのは、シングルトンが初めてではなかっただろうか?僕は実はそう思っている。

一昨日、
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サントリー・オールドを卒業することで「脱・サントリー」を成し遂げた団塊の世代。バーボンを選ぶことでアンチ・オジサンを掲げ、「反・サントリー」を貫いた若者。「サントリー・オールド包囲網」の完成である。大きなきっかけとなったのは、手に入り易くなった輸入酒の存在である。
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僕はそうその日の記事を締め括らせていただいた。

日米貿易摩擦と円高と関税の引き下げと中曽根内閣の政策を背景に、お酒のディスカウント・ストアが生まれた(もちろん生まれたのはそれだけではないが)。週休二日が定着し、僕らは余暇を楽しむことを奨励されされた訳だ。つまり、稼いだ金で遊びなさいと。

当時若者であった僕からすれば「オジサン」世代は「団塊の世代」にあたる。オジサンたちは良く働いたのだと思う。そして、とても慎ましかったのだと思う。スコッチが遠い憧れの「本物」の時代に、彼らは「本物志向」のサントリー・オールドを愛した。オジサンでサラリーマンな彼らは、サントリー・オールドに支えられて働いたのだ。

時代は変わる。モノを造り、外に向けてたくさん売ったオジサンたちのおかげで、日本は外貨を蓄えた。良く働き、良く稼ぎ、日本にお金が集まったが、それは外国のドルというお金だ。ウォーク・マンもVTRもクルマも、アメリカの人は日本製品を良く買ってくれた。一番のお得意さんだ。だけど、アメリカの人がたくさんモノを買ってくれると、アメリカで仕事を失う人がいる。製造業に従事することで生計を立てているアメリカ人に、メイド・イン・ジャパンは脅威になった。日本製品はだから嫌われもした。

日本は戦争をしてアメリカに負けた。戦後、貿易収支でアメリカに勝ったけど、アメリカはやっぱり日本人が嫌いならしい。アメリカの人が日本のモノを買うから、アメリカの赤字が増えるのだけれど。頑張って働いた結果が日米貿易摩擦である。それは日米間の大きな問題となっていた。オジサンたちはそれをどう思っていたのだろう。ちょっぴり切なくて、そして、明日も働こうと思って、サントリー・オールドを飲んでいたのだと思う。オジサンたちのお父さんは戦争に行って帰ってきた人たちでもある。

だから、オジサンはバーボンを飲まない。心の底にある「アンチ・アメリカ」を、誰にも見せないけれど隠して持っている。アメリカのジャズを聴き、アメリカの映画を楽しんだ世代でもあるけれど、ひとつだけ譲れない「アンチ・アメリカ」の発露として、オジサンはバーボンを飲まない。太平洋の向こう側のアメリカよりは、ユーラシア大陸の反対の端っこの島国である英国に思いを馳せたのではないだろうか。心の日英同盟である。

僕がオジサンたちを見る視点はそこにある。勝つこと、そして負けること。そのそれぞれが、オジサンたちには良く分からないのではないかと、僕はそんなことを思うことが多かった。負けには苦しむが、勝っても戸惑う。かと言って負ける訳にもいかない。オジサンたちは途方に暮れていたように思う。そしてオジサンたちはサントリー・オールドを飲みくだを巻く。

僕らはオジサンたちとは違った。全共闘運動にまみれることもなく、だから結果として「若者の挫折」を共同意識として持っていない世代だ。いじめや校内暴力はその嵐が吹き荒れる前の世代だし、オウム真理教をはじめとする宗教が心の隙間に入り込むこともほとんどなかった世代だ。だからその後の世代とも違う。

はざ間にあって比較的安穏とした世の中だったのだと思う。オジサン達がまだほんの少し若くてちょっと元気が良い時には、「お前らはノンポリか?」なんて言われたけど、その当時でさえ「ノンポリ」は死語だった。年によって多少の良し悪しはあったけど、就職に苦しむ人は多くなかった。とりあえず、「定年まで勤められる会社」を選ぶことは普通だったし、それは概ね望むとおりになった。今の時代、その幻想は壊れてしまったけれど、「終身雇用」は前提であった。

不満というほどのものはない。だけど、闘うべき相手、乗り越えるべき困難、目の前に現れた不安、そんなものが世代の共通の対象としてなかった。だから僕らは過剰なまでに「アンチ・オジサン」だったのかもしれない。

お酒のディスカウント・ストアは輸入酒を買い易くした。オジサンたちはサントリー・オールドの隣に並んだスコッチを、僕らの世代はその隣のバーボンを気軽に手に取った。サントリー・オールドは追い詰められたのだ。

僕は「すべての人にとって正しいこと」を語ろうとは思わない。身も蓋もない正解は、正しいだけで意味がない。「すべての人にとって正しいこと」を語ることは何も説明しないことと一緒だ。僕は僕が思ったことしか語れない。

サントリー・オールドはその後ゆっくりとその版図を縮小させる。サントリー・オールド包囲網は完成しつつあった。スコッチ・ウィスキー勢はスコッチが「シングル・モルトとブレンデッド」に分けられることを前面に押し出し、その包囲網を広げようとしたのではないだろうか。

1986年、シングルトンはその尖兵となり日本に上陸する。

本日は二日分の記事。
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飲みました。

池袋東口「Q」の女子3人とジェイズ・バーで飲んでしまいました。
8時を過ぎるまで帰ってくれませんでした。

「男は愚かだ」と訴える女子3人を前に、「男は必死である」と防戦一方の侍でありました。削られることと磨かれることの違いに不案内な女子3名を前に、「消耗戦を闘うな」と必死に訴えた侍であります。

闘うな。持ち寄って、ふくらまし、分け合え。
意思を持ち、ブレることなく、幸福を望みなさいと説いた侍であった。

喋り過ぎ疲れた。

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一筆啓上、シングルトン(9)

シングルトンシングルトンが世に出る1986年、世の中の多くの人はシングル・モルトの何たるかを知らなかった。茶色の蒸留酒は「ウィスキーかブランデーかバーボンのどれか」と認識されることが多かったし、ウィスキーとブランデーは原材料が違うことも、バーボンがウィスキーというカテゴリーに含まれるということも、広く認知されているとは言えない時代だ。

シングル・モルトというのは「単一の蒸留所で作られたモルト・ウィスキーを瓶詰したもの」という説明は、現在ならまだより多くの方に理解をしていただくことができると思うが、蒸留所が何を指し、その数が一体どのくらい存在するのかが分からず、モルトとグレーンの違いについて知らない当時の僕らにはほとんど意味を持たなかったと思う。

1980年に1,240万ケースを売り捌いたサントリー・オールドである。その頃、ウィスキーといえばそれを指すのが当たり前であると思われるのも道理であろう。ブランデーを含めた茶色い蒸留酒の中で、そのほとんどがサントリー・オールドであった時代に、サントリー・オールドか否か?という問題は重要であったのだ。

「1億総中流」と言われた70〜80年代、自らのその中流意識を誇り高く自負する人たちは、安全と安定のためにそのセイフティ・ゾーンに留まることを望み、日本標準であるサントリー・オールドを選んだのではないだろうか。「舶来品」に「憧れ」という価値のある頃、上流階級は「本物」としてスコッチ・ウィスキーを飲み、中流階級の愛したサントリー・オールドには「本物志向」があったのだ。

80年代中頃になるとアッパー・ミドル・クラスの人たちから順に、かつての「憧れ」に手を伸ばすようになる。バランタイン、シーヴァス・リーガル、ジョニー・ウォーカー(ジョニ黒)、オールド・パー。中曽根内閣以降、円高と関税の関係で輸入品が手に入りやすくなったことは先般申し上げた通り。サントリー・オールドのお世話にならずにすむようになったことは、成功の証だったかもしれない。もちろん、スコッチ・ウィスキーを飲んだからといって、「文化的な生活」が手に入ったかどうかは定かではない。

「憧れの舶来品」を欲しがったのは、当時の僕らからすれば「オジサン」達であった。二十歳の僕にとってはまさに団塊の世代がそれにあたる。サントリー・オールドのCMで「恋は、遠い日の花火ではない」とひとり語る長塚京三部長の世代でもある。43歳になった今の僕からすれば、その気持ちは痛いほど良く分かる。ちなみに僕と長塚京三さんはほぼ20歳の年齢差だ。

団塊の世代の人たちは「本物志向」のサントリー・オールドをきちんと通り過ぎて、「本物」であるスコッチ・ウィスキーに辿り着く。サントリー・オールドから卒業をしてしまったのだ。一方、当時の若者であった僕らはどうだったのだろう。僕は「反骨のシンボル」としてスーパー・ニッカを選んだが、多くの若者は(もちろん当初の僕も含め)「アンチ・オジサン」としてバーボン・ウィスキーを選んだのではないだろうか。

サントリー・オールドを卒業することで「脱・サントリー」を成し遂げた団塊の世代。バーボンを選ぶことでアンチ・オジサンを掲げ、「反・サントリー」を貫いた若者。「サントリー・オールド包囲網」の完成である。大きなきっかけとなったのは、手に入り易くなった輸入酒の存在である。

シングルトンまでもう少し。
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一筆啓上、シングルトン(8)

シングルトン80年代の中頃、僕は終身雇用が前提の会社でサラリーマンをやっていた。先輩がいて、その先輩には上司がいた。先輩と良く飲みに行き、上司には時々お誘いを受けた。飲み屋に行けば、周りにも似たような人たちがいて、そんな場所にはサントリー・オールドがあった。シングルトンが世に出る頃、日本はそんな風景だった。

円が安く関税が高い時代に、「舶来品」という言葉はその実態と共に力を持っていたが、僕らの80年代には少しづつ力を失い始め、その名ばかりがくすんだ輝きを微かに発するだけになっていた。お酒のディスカウント・ストアが誰にとってもごく当たり前のものになると、海外旅行の洋酒のお土産は単なる重たい手荷物になり下がり、「舶来品」にありがたいものというニュアンスはなくなりつつあった。

ソニーのビデオ「ベータマックス」は1976年から発売され、ウォークマンが世に出るのは79年。コンパクト・ディスクは82年に開発され、80年代中頃にそれらはどんな人にも当たり前のもになっていた。トヨタのマーク兇脇本の標準的なファミリー・カーだったと思うし、それ以下のクラスの車は少し恥ずかしいと思われもした時代だ。外国製品よりメイド・イン・ジャパンは優秀だった。

良く働き、少し余裕ができて、週に二日の休みを与えられ、僕らは遊んでカネを使うことを奨励された。ロナルド・レーガンは「牛肉とオレンジ」を、マーガレット・サッチャーは「スコッチ・ウィスキー」を、それぞれ日本人が買うことを望んだ。そして、中曽根首相は「輸入品を買って、文化的な生活を送ろう」と訴えた。

牛丼の吉野家が事実上倒産した後に復活するのも、栄華を誇ったサントリー・オールドが「盛者必衰の理」を表してしまうのもこの頃である。輸入ウィスキーと酎ハイブームはサントリー・オールドを少しづつ飲み屋の風景から駆逐してしまった。その事態を誰かの陰謀と見るより、平均への回帰と考えたい。

忍耐を美徳とする価値観から、人々はほんの少し解き放たれたのではないだろうか。さすがに我慢を悪癖と言い切る人もいなかったと思うが、消費は快楽という価値観はその頃から急速に根付いたと思う。とは言え、ジュリアナ東京で女の子達が扇子を振って踊る時代にはまだ早い。

大量生産、大量消費、大量廃棄を前提としているくせに、価値の細分化の進んだ時代でもあったと思う。平凡を嫌い、「ちょっと違う何か」に人々が「自分らしさ」を求めた時代だったのではないだろうか。僕はそれを探しにお酒のディスカウント・ストアに通った。サントリー・オールドよりスーパー・ニッカを好んだ僕は、ジャパニーズ・ウィスキーよりスコッチ・ウィスキーを愛し始めていた。

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一筆啓上、シングルトン(7)

1980年、そのピーク時に1,240万ケースという空前の販売数を誇ったサントリー・オールド。バブル崩壊後の90年代を「失われた10年」と呼ぶように、サントリー・オールドにとってもそれは失われた10年であった。2005年の販売数は51万ケース。頂点を極めた時代から、およそ24分の1にまでその販売数を縮小させた。

長塚京三の出演するサントリー・オールドのCM。「恋は、遠い火の花火ではない」。覚えている方もいるだろうか?今から思えば、遠い火の花火はサントリー・オールドそのものだったのかもしれない。内に秘めた思いはあったのかもしれないが、80年代をピークに高々と打ち上げられたサントリー・オールドの花火は終わってしまった。

サントリー・オールドを愛したのは僕よりも上の世代の人たち。言うなれば団塊の世代の人たちがその中心となっていた。僕らの世代はそれを見倣って酒を飲むことを憶えたのだから、その時代のウィスキーの中心にいて、版図を大きく広げていたのがサントリー・オールドであることは良く知っている。

理由なき反抗はどんな時代も若者にある程度許容される特権かもしれない。だから僕は「アンチ・サントリー・オールド」を標榜したのかもしれない。僕がアンチ・サントリー・オールドを掲げ、反骨のシンボルとしてスーパー・ニッカを好んだのにはそんな理由があったのだろう。だけど、支持であろうが、不支持であろうが、サントリー・オールドに囚われていることに変わりはない。結局はサントリー・オールドを中心にモノを考えていたのだ。陳腐ではあるがそれが若者というもの。

しかし、今や「アンチ・巨人」が意味をなさないのと同様である。口惜しいほどに常に勝つ。だから、読売巨人軍をあえて支持しないことにかつて意味があった。失われた10年を過ぎてサントリー・オールドも同じ命運を辿ったようだ。

上司が部下を連れて飲みに歩き、部下が先輩となる頃、先輩になった部下は後輩を連れて飲みに行く。僕らが一番の下っ端で部下の後輩だった頃、まさに80年代中頃、世の中の繁盛店というものはそうやってお客さんを増やしたものだ。そして、僕らはそんな場所で世の中のことを知って行ったのだと思う。彼らは僕に世の中の仕組みについて語ってくれた。

後輩の僕には、部下だけど先輩がいて、その先輩には上司がいる。80年代の中頃、僕はそんな状況の中を生きていた。僕の目から世の中を眺めても、良く分からないことだらけ。間尺に合わないこと、道理に適わぬこと、不条理なことはたくさんあって、先輩と上司はそれらのことを丁寧に説明してくれた。説明をされて、その意味を理解することは十分に可能であったが、そのどれもは僕にとってとても不都合なことに思えた。

社会のシステム全体に思いの至らぬまま、僕は自分の不都合と不自由と窮屈さだけが気になり、理解はできても納得の行かないものを随分溜め込んでしまったんだろう。彼らは「身を削って会社に合わせることの幸せ」について語ってくれたが、「僕には夢がある」なんて僕は叫んでいたのだと思う。お恥ずかしい話だが、その時の僕の夢の中身など、今から思えば無いのと一緒だ。

話はどんどんズレて行きそうなので、この辺で自分に釘を刺しておこう。
そんな場所でいつも中心にいたのが、サントリー・オールドである。

僕がバーテンダーになる前。終身雇用が前提の会社でサラリーマンをやっていた80年代中頃。僕の目に世の中はそんな風に見えた。シングルトンが世に出る少し前の話。
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シングルトン

一筆啓上、シングルトン(6)

アードベック・インプレッシブ・カスク1980年、サントリー・オールドの販売数をご存知だろうか。何と1,240万ケースである。1ケース=12本で換算すると日本の総人口を軽く超える。同社のピュア・モルト・山崎が発売になるのが1984年。サントリー・オールドの販売数は1980年に頂点を迎えるのだが、そのわずか4年後に山崎を発売させるサントリーの先見性に僕は驚きを隠せない。

80年代にその頂点を極めたサントリー・オールドであったが、2005年の出荷数は51万ケースにまで落ち込む。ご存知の通り、山崎と言えば今や同社のウィスキーのフラッグ・シップと言っても過言でない商品だろう。サントリー・オールドが絶好調の時期から、同社は山崎を売れるウィスキーに育てて来たのである。サントリー・オールドの落日を彼らは正確に予測していたのだろうか。

僕が酒を飲み始めるのもこの時代である。ピュア・モルト・山崎が世に出た頃、僕はちょうど二十歳になる訳だが、当時そんなニュースに興味はなかった。僕はシングル・モルトの何たるかを詳しく知らなかったし、しかし、その頃の世の中でそれは特に不自由なことではなかった。シングル・モルトとブレンデッドの区分はほとんど意味を持たなかったし、それらはひと括りにスコッチと言われていた。むしろ、ウィスキー=スコッチという認識さえあったと思う。以前も書いたが、日本のウィスキー作りはスコットランドに学んだのだ。戦前からのお付き合いである。

「バーボンとウィスキーってどう違うの?」、という程度の認識が当時としては一般的であったと思う。バーボンもスコッチも(そしてもちろんサントリー・オールドも)同様にウィスキーであるとの理解は、ほとんどなかったのではないだろうか。恐らくそれは当時急激にブームとなったバーボンが、ある種特別なもののように思えたからだろう。どこか「本物」のように見えたスコッチの前に、突然現れ空前のブームとなったバーボン。

ウィスキーと言ったらスコッチを指し、サントリー・オールドはジャパニーズ・ウィスキーの代名詞。そんなところに割って入ったバーボンである。噴飯ものと笑わずに聞いて欲しいが、その頃は「カフェ・バー」なんて業態が大流行であったのである。「カフェ・バーでバーボンのロック」は男の子達の最先端のライフ・スタイルであった。

お酒のディスカウント・ストアを廻るのが愉しみのひとつであった僕は、当時からスコッチとバーボンとサントリー・オールドの違いを説明できるとの自負があった。反体制気取りの僕はバーボンよりスコッチを好むようになり、サントリー・オールドよりはスーパー・ニッカを飲むようになった。小さな勢力であるが、「反骨のシンボル」として僕はそれらを掲げた。もちろん世の中には何ら影響を及ぼすことなどなかったが。

スコッチとスーパー・ニッカを愛した僕は、もちろんカフェ・バーなどには行かない。流行は追わない。反体制の名が廃る。迎合はしない。時代の流れに抗うようにバーボンでなくスコッチ、オールドでなくニッカを支持したのだ。通ったのはカフェ・バーではなく「スナック明美」である。誤解をしてはいけない。「スナック明美」はサントリー・オールドではなく、スーパー・ニッカを扱っていたのである。何もカフェ・バーの敷居の高さに気後れした訳ではない。自らのポリシーに従っただけである。ママさんは美人だったけど。だけど、だから通った訳ではない。スーパー・ニッカだからである。

スコッチ好きには年末の愉しみがあった。カティー・サーク・セクシー・ヌード・カレンダーである。若き日の侍は樋口可南子のセクシー・ヌード・カレンダーが欲しかったのだ。この時ばかりは反体制の看板を降ろした。「惚れた女」のためである。そしていそいそと出向いたのは、お酒のディスカウント・ストアではなく近所の酒屋。何故なら、ディスカウント・ストアにはセクシー・ヌード・カレンダーがなかったからである。

平行輸入品を扱うディスカウント・ストアには、正規品のおまけであるセクシー・ヌード・カレンダーは付いていなかったのである。

どうやら筆が止まらない。
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一筆啓上、シングルトン(5)

シングルトン1974年に設立され、1986年に瓶詰された商品を世に送り出したオスロスク蒸留所である。その瓶詰された商品には「ザ・シングルトン」という名が付けられた。

数えれば20年ほど前の話。その20年を「わずか」と思うか、より重たいと思うかはその人の立場にもよるのだろう。今年二十歳を迎える方にとって、20年は人生のすべてでもあるのだ。ただ、この20年の間に日本のウィスキー事情は大きく変わった。そのことは僕の中で実感としてずしりと確実な重たさを持って落ちている。20年前の日本には「シングル・モルト」という明確な区分はなかった。

「明確な区分はなかった」、というものの言い方は間違いである。不適切で言い過ぎであった。お詫びをして訂正をしておこう。正確に言うなら、「区分はあったが、それを知る人は非常に少なかった」ということだ。しかし、「シングル・モルト」という区分は未だ意味を持たなかったというのは事実だろう。サントリーは「ピュア・モルト・山崎」を発売していたが、まだ世の中でウィスキーといえば「サントリー・オールド」の時代である。

80年代中頃といえば、お酒のディスカウント・ストアが増え始めた頃でもある。それまでどこで買っても一律定価販売が常であったお酒の価格が、買う店によって違ってきたのだ。サントリー・オールドとキリン・ラガー・ビールだけ仕入れて、スーパーカブ(ホンダのバイク)さえ持っていれば商売が成り立つなどと揶揄された、街の小さな酒屋さんにとって大きな脅威となったはずである。ウィスキーの広告から「定価」という言葉はなくなり、「希望小売価格」に変わったのもこの頃だろう。

その頃の僕は休日に車に乗ってお酒のディスカウント・ストアを廻るのが愉しみのひとつであった。そこには近所の酒屋さんで買うのより安い値段でビールが売っていたし、見たこともないような輸入酒がずらりと並んでいた。さすがにサントリー・オールドよりも安い輸入酒は少なかったけど、山崎の値段で見たこともない輸入ウィスキーが2本は買えた。「舶来品」という言葉にはある種の重みがまだ存在したのだろうし、「並行輸入」という言葉を知ったのもちょうどその頃だったと思う。

お酒のディスカウント・ストアは僕にとってのワンダーランドだったのだと思う。未開拓の荒野が大きく広がっているように見えた。いつしか僕はフロンティア・スピリッツを持って荒野を開拓するようになった。当時は(空前のと言っても良いだろう)バーボン・ブームで、それに倣ってその頃は僕もバーボンを良く飲んだ。フロンティア・スピリッツにはアメリカの酒が似合うと思ったのかもしれない。

開拓者を自負する僕としては同じものばかり飲んでいられない。しかし、何しろ当時は情報が少なかった。道案内のないまま、様々な酒を買って飲んだ。だから当然、多くの失敗を重ねた。バーボンだと思って買った「サザン・カムフォート」に辟易したし、安いジンはやはりおいしくないのだということを知ったし、とはいえ、高過ぎるブランデーも僕にはあまりありがたくはないことを覚えた。

その昔、サントリーが缶入りのカンパリ・ソーダを販売していて、何でこんなものが売られているのか不思議に思ったことがあったが、ディスカウント・ストアで買ったカンパリをソーダで割った時には旨いと思った。休日の朝に良く飲んだものだ。

ディスカウント・ストアでベルモットを見つけた時の喜びは今でも忘れない。もちろんロック・スタイルだが、これで自分の家でマティーニが作れると思ったものだ。そのカクテルが、ジンとベルモットで作られているものだという知識はあったが、ベルモットの何たるかをその頃の僕はまだ知らなかった。僕がまだバーテンダーになる前の話だ。

当時、ライムという果物はまったく一般的ではなく、扱っている八百屋さんはとても少なかった。ジン・ライムというカクテルに対する救済策として、酒屋さんにはライム・シロップが置いてあった。もちろん僕はそのシロップを購入し、自分の狭いアパートでインチキ・ジン・ライムを飲む訳だが、これがひどく悪酔いした。言うなれば、家で食べるカレーライスの法則である。皿にごはんを盛って、カレーをかける。もちろんそれがカレーライスな訳だが、食べ進むとごはんが残りカレーがなくなる。席を立って鍋からカレーだけをかける。それを食べ進むと今度はごはんが先になくなる。また席を立ち今度は炊飯器からごはんだけを盛る。結果として、延々とカレーライスを食べ続けることになる。ジンとライム・シロップで同じことをしてしまうのである。

さて、本日最後にマティーニの思い出を語ろう。自分の家で初めて飲んだマティーニを実は僕はおいしいと思わなかった。現在考えられる「おいしくない理由」は枚挙にいとまがないのでここでは書かないが、それでも我慢をしてマティーニを飲んだ。どういう訳か、僕の中でマティーニは大人であることの証のようであった。この飲み物を、粋な顔をして飲めるようにならなければ大人ではないと、そう思っていたのだろう。

今から思えば、何の根拠もない。お恥ずかしい話である。マティーニのために買ったそのベルモットを1本使い切ると、僕はもうベルモットを買わなくなった。自宅用にベルモットを買ったのは、それからもう10年も後の話。僕は既にバーテンダーになっていた。バーテンダーになった後に、僕はマティーニが好きになったけれど、どういう訳か、今でもカクテル・グラスの中のオリーブが嫌いだ。

シングルトンの話などしないまま、明日も思い出を語ろうと思う。
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一筆啓上、シングルトン(4)

先週月曜から書き始めた連載の続きである。前回の記事はこちら。

シングルトン1982年から1987年まで、日本は中曽根総理大臣の時代である。行政改革の名の下、専売公社と電電公社と国鉄は、それぞれJTとNTTとJRに民営化され生まれ変わった。民間活力導入が叫ばれ、規制緩和を是とする時代でもあった。膨大に増え続ける対米貿易黒字は、アメリカに追いついて追い越した感触をもたらしたのだろうか。

頑張って結果を出した人はご褒美を欲しがる。もちろん、それはとても素敵なことだ。忍耐は美徳のひとつだと思うが、「辛抱堪らん」というのも人だ。息が詰まれば息抜きをすれば良い。結果が出たのならご褒美を手にすれば良い。すべての人が合理的に節約を始めたら経済は伸び悩む。対米貿易黒字という結果を収支における「勝ち」と思うなら、稼いだカネは使えば良い。

当時の僕らには戸惑いがあったのだろうか。それほどに僕らは謙虚だったのだろう。増え続ける対米貿易黒字は必ずしも僕らを幸せにはしないと不安にもなったのではないだろうか。ベルリンの壁が崩壊するのは1989年。世界はまだ西と東に分かれていた。僕らは西側で一番の働き者を自負していたのだろうか。

良く働き、良く稼ぎ、一番の働き者はご褒美を手にすることができたのだろうか。

世の中に週休二日制が定着し始めたのもこの頃だ。中曽根首相はボードを手にして国民に「輸入品を買いましょう」と訴えた。当時の政府の広報は「輸入品を買って、文化的な生活を送ろう」である。私見だが、僕らが自由で気ままな消費活動を心置きなく謳歌できるようになったのはこの頃からではないだろうか。

節約は現在より数段上の価値を持っていたと思うし、声高に「もったいない」を叫ぶ必要もないことであった。消費活動が経済を発展させるのは確かだろうが、節約はそれを収縮させるとでも思ったのだろうか。良く働き、良く稼いだ僕らは、ゆっくりと節約という束縛から逃れ、カネを使い始めたのではないだろうか。何より政府は国民に時間とカネを与え、さらに消費することを推奨したのだ。しかし、消費活動に税をかけようとした中曽根内閣は急激に失速する。

かと言って、一度味わった気ままな消費活動を僕らはもうやめられない。毎日残業をした僕は良く居酒屋で食事をした。つつましく「吉野家の牛丼」でも良かったのかもしれない。二十歳そこそこの僕にはそれが「身の程」というものではなかっただろうか。結局僕らはたくさんカネを使い、ゴミばかり産み出していたのかもしれない。

そんな時代、1986年にシングルトンは発売される。

ダン・イーダンのオスロスク、1杯¥700。お一人様、1日1杯まで。
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オスロスク

Ardbeg Impressive Cask(アイラ・モルト考)

アードベック・インプレッシブ・カスク実は昨日の記事に写真を貼り付けるのを忘れていた。故に本日も昨日の続きである。左の写真がArdbeg Impressive Caskである。

昨日「アイラ・モルトはズルイ」と言わせていただいたが、本日はアイラ・モルトの魅力(いや、本来なら魔力と言うべきだろうか?)について語らせていただきたい。

アイラ・モルトには多くの人を惹き付ける魅力があるのだと思う。納得の行く旨味を持つアイラ・モルトは多いし、その飲み応えのあり方に感心することもある。どんな時代も人の心を惹き付けて止まないものがあったのだろうし、その背景にはそれなりの理由があるのだろう。今の時代のシングル・モルト好きなら避けては通れないほどのアイラ・モルトである。それほどに大量のアイラ・モルトが販売されている。

惹き付けて止まないほどの魅力を持つことは悪いことではない。しかし、その魅力が魔力に変わる時、人はそこから抜け出せなくなってしまう。時に彼らは「ピート・フリーク」を自称するが、悲しいかな僕には「アイラ・ゾンビ」にしか見えないことがある。

誤解をして欲しくないが、僕もアイラ・モルトの魅力については肯定的である。好きなアイラ・モルトならいくらでもある。しかし、アイラ・モルトならすべてよし。というものでもない。僕にとってアイラ・モルトの最大の魅力は海の影響を背景にした「ダシの旨味」である。

シングル・モルトを1杯のラーメンに例えよう。旨いラーメンにはデキの良いスープが必要だ。それぞれに好みはあるだろうから、何をベースにスープが作られていても構わないが、腕の良い職人が丁寧にひいたダシの存在は不可欠である。

旨いアイラ・モルトは丁寧にダシがひいてある。僕はそれを「昆布だし」に近いものと感じることが多い。いづれにしても魚介系である。柔らかく旨味のある昆布だし。適切な塩味。僕にとってのおいしいアイラ・モルトの条件である。それを前提として、ちょっと多めに「薬味」を加えたのがアイラ・モルトであるとの認識はある。「薬味」とはつまりピートである。

おいしいスープであるからこそ、少々薬味を入れても構わないのだろう。ベースがしっかりしていれば、全体がバランスを壊すこともない。その味わいは印象的で、 深い感銘さえ与えるだろう。びっくりすることはあっても、「これはこれでアリだな」。そう思えるには前提としてスープのおいしさが必要である。スープが旨いからこその薬味である。

マグカップに1杯分のお湯を満たして欲しい。そこに塩をひとつまみ。さらにコショウをふりかける。あなたはそれをおいしいスープだと思うだろうか?「おいしくない」と思ってさらにコショウを足していないだろうか?

ダシの旨味があって初めておいしいスープになるのではないだろうか?
「薬味」のすべてを否定するものではない。しかし、「ほどがある」のも薬味ではないだろうか。「たまにはびっくりしたい」。と言うのも実は本心であるが、「毎日びっくり」なのは嫌だ。

辛いものが好きになり、どんな食べ物にも唐辛子やコショウをふりかけないと気が済まないような人たち。僕の目に「アイラ・ゾンビ」はそのように映る。僕の大好きなダシの旨味が台無しに感じてしまう。

Impressiveの意味をご存知だろうか?
「印象的な, 深い感銘を与える;厳粛[荘重]さを感じさせる;みごとな」
このアードベック・インプレッシブ・カスク。印象的でおいしいが、びっくりさせ過ぎることはない。
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Ardbeg Impressive Cask

さて、週の初めにニュー・リリースのお知らせをさせていただきたい。
インプレッシブ・カスクのアードベック。2000年蒸留、2006年瓶詰。62.7%である。どういう訳だか、最近ジェイズ・バーではアイラ・モルトばかりリリースしている気がする。DCのクラガン、BAのラフロイグ、TWEのボウモア、オフィシャルのノン・ピートのカリラ。CDのハイランド・パークなどもリリースしたが、こちらは妙に80年代のボウモアのニュアンスを感じたりもする。

不思議なことに(いや、何も不思議なことなどないのかもしれないが)、やはりウケが良い。どんなウィスキーを飲んでも、どんなお客さんに飲んでもらうと喜んでもらえるだろうかとイメージしてしまうのは、もう僕の習い性のようになっているが、そんな意味で適切に予測は的中する。

その厚みのある旨さは、飲み応えとしてお客さんの好みにちょうど良くはまる。提供する側のこちらも安心して出せる。ハラハラしない。「大丈夫か?」と不安にならない。建物の床がしっかりしている感じとでも言ったらよいだろうか。「床が抜けることなどありませんから。安心してお上がり下さい」、そう言って案内できる。そんな気分のシングル・モルトである。

もちろん、この手のシングル・モルトが好みに合わないお客さんも少なからずいて、そんな人には少しだけ差し上げる。「でしょ?やっぱりこういうの駄目でしょ?」、なんて言いながら。「やっぱり苦手ですね」、なんて言われて、ちょっぴりご満悦だったりする侍である。タダであげるんだから、いいじゃん。なんてね。

さて、この侍、「アイラ・モルトが嫌いである」。

いや、嘘である。しかし、「アイラ・モルトはズルイ」。
そう思っている。

こういうアイラ・モルトを飲むとつくづく「ズルイなぁ」。と、そう思う。その底の厚い旨味はずっしりと飲み手の脳を直接揺さぶるのではないだろうか。飛んでも跳ねても床が抜けない安心感というものはあるのだ。しかし、アイラ・モルト好きの方に申し上げたい。「旨いのはアイラ・モルトばかりではない」。

苦手な人にも少量差し上げて、苦手を確認してもらうことを常とする侍であるが、最近つくづく気が付いた。彼らは苦手を克服してしまうのである。いや、その魅力に気付いてしまうのである。アイラ・モルトではないものを好きな人を、アイラ・モルトだけが好きな人に変えてしまうようでは本末転倒である。

とはいえ、このアードベックはうまい。
バーベキュウで喰らう肉のよう。少しスモークチーズ。
¥1,400。
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おはようございます

東京は暖かい朝です。
少し曇り空ですが、陽射しは確実に夏に近付いているようです。
半袖のTシャツに固さの緩んだ風が心地良い。

それでは、おやすみなさい。
今晩お会いしましょう。
刺客の来る金曜日。
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一筆啓上、シングルトン(3)

オスロスクシングルトンはその時代の要請した使命があったのではないだろうか。僕はそう思っている。彼はその職責を全うし引退をしたのだ。確かに、感傷的に過ぎるかもしれない。だけど、僕にはそう思えてならない。ボトルを目の前に、オスロスクのグラスを傾けながら、まだお客さんの来ないジェイズ・バーで、僕はシングルトンの運命に思いを馳せてしまう。

設立は1974年。瓶詰された商品が初めてマーケットに登場するのが1986年。さて、日本はどんな時代だったのだろうか?

1974年にオスロスク蒸留所の設立を企図した人たちは、10年後の世界がどのようになっているだろうと想像したのだろう。「10年後」というのは自分達の設立した蒸留所のウィスキーが、初めて世に出る頃のことである。

結果として瓶詰された商品が初めてマーケットに登場するのが1986年。12年後のことであるが、それは日本のバブルの始まりに符合する。良く働き、良く稼ぎ、かと言って地価が高騰したためマイホームの夢をあきらめた人たちが、ヤケクソで高級車を買い、それでも余ったカネを余暇に使い始めた時代。世の中に週休二日制が定着し始めたのもこの頃だ。

そんな時代にシングル・モルト「シングルトン」は発売された。

続きは明日。
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お詫びに本日より(ホントは昨日から)、ダン・イーダンのオスロスク、1杯¥700。
お一人様、1日1杯まで。
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一筆啓上、シングルトン(2)

シングルトン一昨日はシングルトンの思い出について語らせてもらった。それは昔話であり、つまり、僕が語ったシングルトンという名のオスロスク蒸留所のシングル・モルトは、今はもうマーケットから消えてしまった。街の酒屋さんに気軽に並ぶことはないだろうし、少なくとも手軽な価格で手に入れることは不可能だろう。

無礼を承知で言わせていただくなら、シングルトンは凡庸に過ぎたのかもしれない。少なくともマーケットはそのように評価を下したのだろう。人気がある時期を通り過ぎるとその価格は崩れ始め、手に入り易くなったかと思うと、市場の在庫は底をつき終売。生産終了の一報を受け、僅かに残った在庫は掻き集められ、新たに高い値札が付けられ再登場。よくある「生産終了劇」の幕切れである。

商品の人気の先行きは誰にも正確に読めない。売れ行きの好調を受けて生産を拡大した途端に人気が下がる。どんな業界にもある話だろう。蒸し暑い日にたくさん売れるモヒート。天気が悪ければ売れないこともある。僕は大量に仕入れたミントを無駄にすることになる。消費活動というのは自由で、そして、気ままだ。

もちろん、気の向くままにものが買えることは幸せである。だから、ものを売る人は「人の気分」を追いかける。むしろ、「人の気を惹(ひ)く」ことに躍起になる。躍起になった結果、ものを売る人は宣伝広告費にカネを掛ける。宣伝広告費として計上されたコストは販売価格に反映される。そう、僕らはTVを無料(タダ)で観ている訳ではないのだ。

気の向くままにものが買える快楽を手に入れるため、僕らは一定のコストを支払っていることになる。果たしてそれは自由なのだろうか?不自由なのだろうか?気の向くままにシングルトンを買っていた僕らは、気が向かなくなるとシングルトンを買わなくなり、売れなくなったシングルトンはマーケットから姿を消した。

マーケットから姿を消したシングルトンを僕らは寂しく思い、一様に嘆いてみせたりするけれど、無くなってしまったのは僕らが買わなくなったせいでもある。好調に売れ続けていたのなら、生産され販売は続いていたのだろう。僕だって売れないものは仕入れられない。シングルトンの寿命を延ばすために、僕は私財を惜しげもなく差し出すことはできない。

シングル・モルトを飲み続けていると、幾度となくそんな出来事に会うはめになる。現れて、消えてなくなるシングル・モルト。多品種小ロットの流れを受けて、すき間を埋めるように繰り出される瓶詰業者の(しかもシングル・カスクの)商品たちを思えばなおさら。シングル・カスク、つまり、ひとつの樽から100本ほど瓶詰され、売り切って終売。そんなシングル・モルトも時々ある。たった10年ほど前を振り返ってみても、考えられない話なのだ。

うたかたの様に消えてなくなるシングル・モルトは、僕らの思い出の中にしか生きられない。それで良いのだと思う。できれば忘れないでいてあげたいが、それでも忘れてしまうのだろう。だけど時々思い出したい。

オスロスク先日、目白の田中屋さんという酒屋さんで見つけた。ダン・イーダンのオスロスク。擦れて滲んだラベルが切ない。たった1本だけ棚にあったそのボトルを僕はそっと手に取った。手に取ってシングルトンに思いを寄せた。思いを寄せればたくさんの思い出がよみがえる。

シングルトンはその時代の役割を終え消えて行ったのではないだろうか。
僕にはそう思えた。

どうやら続きは長くなりそうだ。人気ブログランキング


本日7時開店

キリンカップ「日本VSコロンビア」のため、本日は7時より開店。
是非ともご一緒に観戦していただきたい。

以上。
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モヒート!

一筆啓上、シングルトン

事情をご存知の方にはちょっと古い話題になると思う。「何を今さら」と言わずにお付き合いを願いたい。思い起こせば久々に「一筆啓上」シリーズの連載である。

シングルトンまずは簡単に説明をさせていただこう。本日のタイトルであるシングルトンについて。
昔、「ザ・シングルトン」という名前のシングル・モルトがあった。ソフトでスムース、ゆっくりと麦芽の甘味を感じる、とてもおっとりとした穏やかな佳酒であった。個性を主張することだけが是ではない。極端な偏りを持ち歪んだ状態だけを指して個性的と言うのだろうか。凡庸でも構わない。均衡の取れたウィスキーを僕は愛していきたいと思ってしまう。

僕のそんな気持ちに応えてくれる、いくつかのウィスキーのうちのひとつがシングルトンであった。大袈裟でない「おいしい」。ちょうど良いうまさを持つウィスキーがいつもそばにある幸せ。その価格も含め「妥当である」という意味でリーズナブル。僕にとってのシングルトンはそんなウィスキーであった。

シングルトンというのは実は商品名である。蒸留所の名前ではない。蒸留所名が商品名として流通することの多いシングル・モルトからすれば、ちょっと珍しいことではある。もちろん、シングルトンがシングル・モルトである以上、中身は単一の蒸留所のウィスキー。その蒸留所の名はオスロスクである。「オスロイスク」とカタカナ表記する向きもあるようだが、どちらでも構わない。

このオスロスク蒸留所、設立は1974年。比較的新しい蒸留所である。歴史は浅いが最新鋭の設備と近代的な建物が特徴である。創業30数年というのは大先輩たちが居並ぶこの世界では格下感が否めないが、シングルトンというウィスキーの国際的な評価は高く、品評会で賞を受けることも数多くあった。

設立は1974年。瓶詰された商品が初めてマーケットに登場するのが1986年。さて、日本はどんな時代だったのだろうか?

蒸留所名が商品名として流通することの多いシングル・モルト。では、何故オスロスク蒸留所のシングル・モルトはシングルトンと名付けられたのだろう。一般的に解説されるのは「オスロスクという発音が難しいため」という理由である。それを否定するつもりはないが、果たしてそれだけであろうか?物事の背景には常に複雑で複合的な要因が存在するのではないだろうか。

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本日7時開店

キリンカップ「日本VSモンテネグロ」のため、本日は7時より開店。
是非ともご一緒に観戦していただきたい。

以上。
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