モルト侍

池袋のショット・バー、ジェイズバーのバーテンダーが、大好きなシングル・モルトを斬る。

2008年10月

ヘーゼルバーン 8年 2008年ボトリング

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ヘーゼルバーン2008-1スプリングバンク、ロングロウに続いてスプリングバンク蒸留所から第3のブランド、「ヘーゼルバーン」である。オフィシャルものとしてはサード・リリースになるのだろうか。ノン・ピートで3回蒸留がウリのシングル・モルトである。ラベルの真ん中にはポット・スティルが3基。やはり、3回蒸留がセールス・ポイントなのだろうな。

軽快で甘いシングル・モルト。淡くてふわりとしている。「ノン・ピートで3回蒸留がウリ」と言われれば納得が行かないこともない。

皆さんご存知、人気のスプリングバンク。同蒸留所のセカンド・ラベルのロングロウは、ちょっと重ためにピートを焚いたウィスキーである。そして、第3のブランドとして「ヘーゼルバーン」な訳である。

ヘーゼルバーン2008-ボトルグレン・スコシアを忘れた訳ではないが、キャンベルタウンの雄と言えばスプリングバンク。その凋落ぶりに悲哀すら感じるキャンベルタウンにあって、唯一、独自の信念を持って生き残った蒸留所と言っても良いだろう。彼らの野望は「キャンベルタウンの復権」なのであろうか。ロングロウ、ヘーゼルバーン、ともにかつてキャンベルタウンに存在した蒸留所の名である。

2004年3月のことになるが、同社はキャンベルタウンに3番目の蒸留所をスタートさせている。グレンガイルである。その名を復活させるだけでは飽き足らず、建物の残っていた、閉鎖された蒸留所を復活させたのだ。彼らには大いなる執念があるのかもしれない。

ノン・ピートで3回蒸留。結果として、軽快で甘いシングル・モルト。淡くてふわりとしている。そのような印象を持たれる方も多いと思うが、侍が今まで飲んだ「ヘーゼルバーン」からすれば、ちょっと重ためな印象である。あえて言えば、今回のヘーゼルバーンはちょっとスプリングバンクの方に近付いた。そんな印象である。

今までのヘーゼルバーンからすれば、少々苦めな印象である。ノン・ピートと言うからには、その苦味の背景にあるのはピートの要因ではないのだろう。調べると「シェリーが4割」とのことであるから、苦味の背景にあるのはそれかもしれない。もちろん、塩味もあるから、ちょっとスプリングバンクに近付いたという印象が生れるのだろう。

その苦味を「適切な手応え」と感じるか、「ノン・ピートで3回蒸留」らしからぬ、と判断するかはあなた次第。

お試しあれ。
飲まなきゃ分からない。

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ヘーゼルバーン2008-キャップ

分けること。(12)

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うまいものは、うまいのだ。それより以上の正論はシングル・モルトの愉しみの世界にない。ただ、すべての人が満点と評価するシングル・モルトはない。酒が嗜好品であることを考えるなら、当たり前のことだと思う。だから、ある人が「うまい」と感じるものを、別に人が「飲めない」と感じることならある。100人の人がいるなら、100通りの「うまい」があるだから。

だから、あなたの「うまい」は、誰かの「まずい」である可能性がある。それが、シングル・モルトである。もしもご賛同いただけるなら、あなたの「うまい」は、あなたが「好き」なだけであることをご理解いただきたい。あなたの「うまい」は、「正しい」でも、「善」でも、「良い」でもない。ただ、あなたが「好き」なだけである。僕らは「正誤」、「善悪」、「良・不良」でシングル・モルトを語らない方が良い。

シングル・モルトの味わいに正義などない。

僕らは個人的にシングル・モルトを愉しむのであるから、「好き嫌い」がすべての判断の基準で良いのだと思う。あなたの「好き嫌い」の基準が、すべての人の「正誤」、「善悪」、「良・不良」の基準になり得るはずがないのだから。あなたはあなたの「好き嫌い」の基準で、シングル・モルトを「語ること」を大切にすれば良い。

さて、それでは、あなたの「好き嫌い」の基準は何だろう?

それを、「語ること」は実は表現の始まりである。思わず口から出てしまう「うまい」は表出である。あなたが「好き嫌い」の基準を語れるようになることは表現の始まりである。「すべてのうまいには理由がある」とは、あるビール会社のキャッチ・コピーのことではない。だから、あなたにも考えてみて欲しいのだ。「自分は何故、このウィスキーをうまいと思ったのだろう?」と。

あなたが表出のレベルにおいてのみ「うまい」と言っているのなら、むしろ分かり易いはずだ。「感じる身体」しか持たないあなたが、思わず「うまい」と言ってしまうウィスキーにはある種の傾向がある。詳しい知識など持たず、「感じる身体」しか持たない人の「うまい」ウィスキーには、その人なりの特定の傾向があるものだ。

数種類のシングル・モルトを飲んでもらい、「どちらが好きか?」、「どれが一番好きか?」、「どのように感じているか?」。それらの質問を繰り返し、その傾向を知り、それらを紐解いて行くと、概ねその答えは分かる。あなたのうまいにも理由があるのだ。それをあなたが知り、あなた自身に「語ること」ができるようになると、それは、あなたの表現の始まりである。

あなたのうまいの理由。つまり、あなたの「好き嫌い」の基準。それを、自ら理解することは、あなたにシングル・モルトを語らせて行くだろう。もちろん、あなたのそれは、他人のそれとは違うものだ。また、実はそれは、あなたの立ち位置でもある。あなたはどの場所からシングル・モルトを眺めているのか?「好き嫌い」の基準はあなたの立ち位置をも表している。

あなたはあなたの立ち位置を、キャッチボールの相手に伝えることができるようになる。また、相手の「好き嫌い」の基準を知ることで、あなたはその人の立つ位置を知るだろう。相手の立ち位置が分からないと、どこへボールを投げたら良いのか分からない。あなたの立ち位置が分からないと、あなたの所にボールは届かない。

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ポートシャルロット

分けること。(11)

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「表現」とは相手の心を動かすことである。大袈裟に言えば感動を与えることである。素人の歌うカラオケが「表現」として成り立っていることは、十分にあり得ることである。どんな人の周りにも「芸達者」はいるだろう。その芸達者の「表現」があなたの心を動かしたなら、それは十分に「表現」と認められるべきだろう。

だけど、そのカラオケの上手な素人は、上手に歌うために多くの努力をしたかもしれない。黙々とひとり、カラオケボックスで練習を積み重ねたかもしれない。練習を重ね「表現」としては十分に上達したかもしれない。ただ、たくさん歌い過ぎて、もう、ウンザリしているかもしれない。その人にとって、歌うことは既に「表出」のレベルではなくなっている。

「表出」のレベルではなくなっているということは、つまり、「もうその唄を歌っても、スッキリしなくなった」ということである。練習を目的に、何度も同じ唄を歌っていたら、誰だってそうなるだろう。唄を歌うことで、カタルシスを手に入れることができなくなってしまった訳だ。ただ、「表現」としては上達していて、聴く人の心を動かすことが可能となり、不愉快にさせることは少なくなるだろう。

さて、それでは、「表現」と「表出」はトレード・オフの関係にあるのだろうか?上質な「表現」のために、「表出」は諦めねばならないのだろうか?確かにそういう側面があることを、僕はきっぱり否定できないが、「表出」を諦めたら上質な「表現」が手に入ると思うことは愚かだと思う。欲しいものを手に入れるために犠牲にしなければならないことがあることを、僕は否定しないが、我慢をしていれば欲しいものが手に入る訳ではないだろう。我慢をすることと、欲しいものが手に入ることに直接的な因果関係はない。

「両方欲しい」。皆様にはそう思っていただきたい。我慢せずに欲しいものが手に入るなら、そんなに素敵なことはない。それを理想と思うなら、まずはそれを目指すのが得策なはずだ。「良い子にしていれば、ご褒美がもらえる」というルールは、どうやら子供にしか適応されないルールだなと、大人なら気付くのではないだろうか。我慢をすることと、欲しいものが手に入ることに直接的な因果関係はない。確かに、他人に迷惑は掛けない方が良い。お行儀が悪いのも、まぁ、あまり褒められた話ではない。とは言え、人のことは言えない。

放って置くと、どんどん話がズレるな。修正させていただきたい。話を戻そう。

「表現」が偉くて、「表出」が愚かという訳ではない。シングル・モルトを愉しむためには、どちらも大切なことだ。だから、「両方欲しい」と思っていただきたい。「うまい!」と思っているウィスキーを飲んでいるのに、首をひねって「うーん」と眉間にしわを寄せていても、愉しいことなど何もない。まずは「うまい!」で構わない。「語ること」は後回しで構わない。どの道、時間差があるのだ。

それを思うと、水泳の北島選手の「ちょー、気持ちいい!」っていうのはすごい台詞だな。金メダルを獲ったあとのひと言である。水泳選手としての彼の泳ぎが「表現」として一流であることは、金メダルを獲ったことでも証明されている。その彼が「表現」としてだけではなく、「表出」としても満足を得ているということである。そのカタルシスの大きさが、「ちょー、気持ちいい!」訳である。

確かに、少々お行儀が悪いと思われたフシはあっただろう。だけど、あの時の彼は、「表現も満点」、「表出も満点」だった訳である。何より、泳ぐのが好きなのであろうが、そんなことを人生の中で一度でも経験できることを、僕は心から羨ましく思う。そんな彼の台詞が、北京の金メダルのあとは変わった訳である。「なんも、言えねぇ」。

その重圧の重大さを思うと、僕は切なくなる訳だな。北京までの間、調子を落としていた様子の北島選手である。「泳ぐのが嫌いになったのかな?」と、僕はそう見ていた。つまり、彼にとって泳ぐことは、もう既に「表出」として成立しなくなっていたのではないか?と、そう思っていた。その彼が、北京で「表現」として結果を出したあと「なんも、言えねぇ」な訳である。心なしか、彼の身体が震えているように見えた。

彼のようなレベルまで行くと、「表出」を犠牲にして「表現」で満点が可能になるのだと思う。ただ、「表出」を犠牲にした痛みを、彼は感じていたのだろうなと、そう思う。泳ぐことが嫌いになりそうな予感を、彼は感じていたのではないだろうか?

僕らは愉しみのためにシングル・モルトを飲んでいる。「表現」のためにすべてを犠牲にすることはない。ただ、語り合うことでシングル・モルトの愉しみが大きく膨らむことは確かだ。だから、相手の理解を前提とした「表現」ができるようになったら、その喜びは豊かになる。カタルシスのすべてを犠牲にすることはない。しかし、ほんの僅かなコストとしてそれを差し出すなら、語り合うことの大きな愉しみが、あなたの手に入るだろう。

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テイスター

分けること。(10)

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シングル・モルトを「語ること」のルールとして、僕は先日ふたつのことを申し上げた。
あなたの言葉が誰かを傷付けることを目的としないこと。
相手の理解を求めることを目的とすること。

エチケットとかマナーとか、実は、僕はそんなことが言いたいのではないが、そう受け止めてもらうことはまったく問題がない。だけど、僕が本当に言いたいのは、「その方がキャッチボールを長く続けることができるから」ということ。経験則として、僕はそう考えている。それは何も、シングル・モルトに限ったことではない。

人がいるところにボールを投げる。まずは、取りやすいボールを投げる。
キャッチボールを続けたいと思うなら、誰でもそうすると思うけれど。
変化球や剛速球は、相手の捕球する能力を分かってからで良いと思う。

「感じること」と「語ること」の間には時間差があると以前申し上げた。そして、その時間差こそが「思うこと」である。「感じること」を受けて、「思うこと」があるからこそ、「語ること」に至るまでの時間差がある。簡単に言ってしまえば、「感じること」を受けて、反射的に出て来た言葉は「表出」であり、「思うこと」を経て出て来た言葉が「表現」である。

だから、「感じること」なら誰でもできるが、「語ること」はちょっと難しいのである。「語ること」のためには「思うこと」が必要なのだ。別な言い方をするなら、「表現」の一歩手前の段階にあるのが「表出」ということである。

確かに、「表出」は簡単で「表現」は難しい。だけど、実は話はそんなに単純じゃなくて、「表出」が愚かで「表現」が偉いってことでもない。「表出」っていうのはカタルシス(精神的な浄化作用)を目的としている。「表現」としては、耳を塞ぎたくなるほどであろうけど、カラオケで一曲歌ったらスッキリするっていうことを多くの人が経験しているはずだ。

プロ野球選手の公式試合でのヒットは「表現」であるだろうけど、僕らがバッティング・センターでどんなにたくさん快音を響かせても、それは「表出」に過ぎない。ただ、僕らがバッティング・センターに通うのはスッキリしたいからだ。それは、まったく愚かなことではないだろう。むしろ、必要なことですらあるはずだ。

ウィスキーを一口飲んで、「うまい!」と言ってしまったとしよう。もちろん、その「うまい!」は表現ではなく表出だ。しかし、僕はその「うまい!」を愚かだとは思わない。まったく思わない。むしろ、うまいウィスキーを飲んだら、僕は必ず「うまい!」と言うだろう。だって、うまいウィスキーの方が良いですよね?むしろ、言わなきゃもったいない。その瞬間に心が解放されているのだから。何よりそれが、ウィスキーの愉しみである。

それを愉しまないことの方が愚かである。「うまい!」と思っているのに、首をひねって「うーん」と眉間にしわを寄せていても、愉しいことなど何もない。

ただ、僕は知りたいのだ。自分は何故、このウィスキーをうまいと思ったのだろう?と。

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ロセス82-3

分けること。(9)

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僕はシングル・モルトを「語ること」で愉しみを増やして行きたい。ひとつのウィスキーを巡って、方々で、様々な人から、色々な話が聴けるような世界を作れたらと願ってやまない。「語ること」は僕ら自身の愉しみをも膨らませてくれるだろう。僕はそれを信じてやまない。たくさんの人が、同じものを大切にしようと思う気持ち。

語る人が増えて、その人たちがつながり始めたら、そのネットワークは何かを変える力になるだろう。ウィスキーは僕らの言葉になる。

シングル・モルトは「覚えること」だけではないはずだ。知識を増やすことの重要性を、僕は否定しない。豊富な知識は僕らの想像力をより一層膨らませてくれるだろう。膨らんだ想像力は、僕らの愉しみを増やすだろう。だけど、シングル・モルトの愉しみの始まりは「覚えること」ではない。当たり前だが「飲むこと」である。

「飲むこと」を受けて、あなたの中に「感じること」が生まれ、「感じること」を起点として「思うこと」が膨らみ、「思うこと」を他人に理解してもらうことを求め、「語ること」でシングル・モルトの愉しみは広がる。「覚えること」など必要のないシングル・モルトの愉しみ方。しかし、やがて気付くのだ。知識が自らの想像力を補完してくることを。ひとつの知識が起点となり、そこから想像力が膨らむということは、何もシングル・モルトに限ったことではない。

だから、「覚えること」は自分に何かが足りないと気付いてからで良い。それは、まず始めに必要なことではない。あなたが既に持っている感覚と知識で、シングル・モルトは十分に愉しむことが可能だ。それ以前に、「飲むこと」と「感じること」なら、誰にでも可能だ。ただ、「語ること」のために「思うこと」は必要であり、「思うこと」のために「分けること」が重要だ。

やがて、あなたは知るようになるだろう。シングル・モルトを愉しむために、自分に何かが足りないことに気付き、「覚えること」の重要性を自覚した後、実は、自分の中に「知っていること」がいくつかあることを。人は誰でも、覚えようと思うことなく知ることがある。それは、身に付いて使いこなせている知識である。

「語ること」の一番の目的は、あなたがまだ見知らぬ誰かと繋がることである。あなたの投げたボールが誰かのグローブの中に収まる。その人はあなたにボールを投げ返すだろう。あなたはそのボールをグローブの中に受け止め、投げられたボールに何かを感じるだろう。その繰り返しは、僕らの愉しみを大いに膨らませてくれる。

飲んで「酔った」以上の喜び。飲んで「おいしい」以上の愉しみ。
僕は皆様にそのことを伝えたい。

「語ること」のふたつ目の目的は、それが表現であるからである。人は「私を見ろ!」と叫ぶ生き物である。「私を認めろ」と訴えるのが人だ。つまり、人は「表現」をしたい生き物なのだと思う。「表現」をして、他者から認められたいという欲求を人は持っている。だから、シングル・モルトを語ることは「表現」なのである。誰にでも、上手に表現をしたいという気持ちはあるはずだ。

だから、人はボールを投げたいと思うのだ。「素敵なボールを投げますね」って、本当は誰だって言われたいはずだ。シングル・モルトを「語ること」で、あなたにもそれを手に入れて欲しいと僕は思う。シングル・モルトに限らず、何かを好きな人たち同士が、好きなものを巡って愉しそうに語り合っている様子を、羨ましいと思って眺めたことなら誰にだってあると思う。

シングル・モルトを巡って、あなたがそんな風に愉しそうに語り合って欲しいと僕は思っている。そんな愉しみが拡がることは、あなたの人生を豊かにするはずだ。僕はそう信じて止まない。あなたがあなたなりの「表現」でシングル・モルトを語れるようになって欲しい。高名なウィスキー評論家のテイスティング・ノートをなぞるだけではなく、あなたなりの表現で。

ただ、本日は最後にひとつだけ。
「表現」と「表出」は違うということ。それは、知っておいて欲しい。

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ブラスダA

グレンロセス 1982

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ロセス82-1「グレンロセスよ、どこへ行く」と侍は言いたい訳だな。
現在のグレンロセスは正規代理店がいない状態だ。日本市場に向けた出荷は不安定になるのだろうか。しかし、インターネットで検索しても、今のところ「どこも在庫に余裕がない」なんてことはなく、商品は比較的探し易い様子だ。まったく飲めなくなるなんてことは、今後もないだろうな。

ただ、グレンロセスのオフィシャルものは、通常、基本的に、例外を除いて、蒸留年がラベルに記載されている。昔から長い間そのようにリリースしてきたので、概ね、先に出たものからなくなる、という風にはなくなる。

侍はわりと長い間、グレンロセスを追いかけて来た。入手困難になるヴィンテージが増えるごとに、ちょっぴり溜息をついて来たのだ。思えば90年代後半は、ある意味グレンロセスの黄金期だったなと思う。オフィシャルものはジェイズ・バーでの定番商品であったし、長いことお世話になったとの実感もある。

瓶詰が90年代のものをざっと並べると、1979、1982、1984、1985、1987のヴィンテージあたりが、当時商品としてリリースされていた。それらの蒸留年のシングル・モルトが90年代後半に瓶詰され、それらのうちのどれかは、必ずジェイズ・バーにあったということだ。それらの出来事を過去形で伝えねばならないのは、もう随分と長い間、グレンロセスを扱わなくなったから。

グレンロセスのことは3年半ほど前に記事にしたことがあったが、1979、1982までは、いづれも最低15年の熟成、1984以降は熟成年数が12年以下に減っている。1985、1987くらいまでは侍もジェイズ・バーの定番商品としてうグレンロセスを仕入れていたが、1989(2000年瓶詰)、1992(2004年瓶詰)くらいになると、あまり仕入れなくなったな。

いづれも、90年代後半に瓶詰された商品の話である。最近は1991年蒸留、2007年瓶詰とか、1985年蒸留、2005年瓶詰なんて商品も出ている。まぁ、ちょっとした長期熟成とは言えるだろう。値段もそこそこである。ただ、比較的安価で「なかなか、やるじゃん」という品質のグレンロセスを市場に潤沢に出荷していた90年代後半は、やはり、黄金期であったと思うのだ。

ロセス82-290年代瓶詰のジェイズ・バー最後の在庫である、「グレンロセス 1982」を皆様に飲んでいただこうと思う。90年代瓶詰のグレンロセスは、ジェイズ・バーにもう1本もない。皆様のグレンロセスに対する認識とは違うかもしれないが、侍はあくまで、「穏やかで飲み易く、熟したフルーツのような側面を持ったグレンロセス」が好きなのである。

うまいぞ。

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何だか偉そうなこと書いたけど、久し振りに2000年代瓶詰のグレンロセスでも仕入れてみるかな。
ロセス82-3

分けること。(8)

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僕らは相手をより深く知るために語り合う。目的はそこにあり、それを推し進める力が愉しさなのだと思う。だから、愉しいことを続けていれば、やがて相手を知ることになる。そこに共感があるなら、あなたの心は穏やかになるだろう。相手を知ることは苦しみを請け負うことではない。愉しみを共有することである。

人の感じ方は、実に様々だ。同じシングル・モルトを、まるで違った言葉で表現する。表現に使われた言葉は、その人の生き様を表している。また、同じ言葉でさえ、まるで違った解釈が可能だ。「辛い」の解釈が何通りもあることは、既にお話した通り。だから実は、食い違いのないようにシングル・モルトの話をすることは非常に難しい。

食い違いが生じないように、言葉の使い方を定義することを、僕は望まない。シングル・モルトの解釈を画一化することを望まない。その複雑さを許容し、自由を手に入れたい。あなたの言葉は勝手で構わない。ただし、あなたの言葉が誰かを傷付けることを目的としないこと。相手の理解を求めることを目的とすること。

シングル・モルトを「語ること」のルールは実はそれだけだ。それを守れば、僕らはシングル・モルトに対して自由でいられる。高名なウィスキー評論家のテイスティング・ノートをなぞるだけの苦行から解放される。シングル・モルトを「語ること」の愉しみは尽きない。

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本日はこれにて失礼。
ブラスダ1

アードベッグ ブラスダ

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ブラスダ1目白田中屋さんに行ったら、ノッポさんが「これ、入ったんですけど、知ってました?」と言って倉庫から何やら1本持って来た。今週の月曜日、レジでお会計を済ませた後のこと。「まだ、棚に並べていないんですけどね」と言って、侍の手に持たせた。手に持たされたシングル・モルトの話と、下らないバカ話をして、まぁ、いつもの光景だな。

手に持たされたシングル・モルトの話はしようと思う。
バカ話については内緒だな。

差し出されたシングル・モルトを手に持たされ、手に持ったシングル・モルトを差し戻す訳にもいかず、侍はそれをレジに持って行った。仕入れたのである。

ブラスダ2「意味が分からない」。
アードベッグがお好きな方には、そう言われそうなシングル・モルトかもしれない。ラベルに「LIGHTLY PEATED」とあるように、ピートを軽めに焚き込んだシングル・モルトである。アードベッグ好きにはその軽さが気に入らないかもしれない。公表されているピートのフェノール値は8ppmとのことだが、各方面の話を総合すると、感覚的にも「ピートは3分の1」と思っておいても良さそうだ。情報の出所がハッキリしないので、それ以上のことはジェイズ・バー店内で。

ブラスダとはゲール語で「甘くておいしい」とのこと。瓶詰された度数は40%。「冷却ろ過」だそうである。さらりとはしている。涼しげなアイラだな。

「十分にピーティ」。
侍の素直な感想はそこに尽きる。そもそも侍は、ピーティに過ぎるシングル・モルトは好みではないし、もちろん、足りなければ文句のひとつも言いたくなるが、「ちょうど良い塩梅ってぇもんがあるだろう」と常々思っている。確かにアードベッグの魅力のひとつは、「辛口カレー」のようなものであり、かと言って、辛いだけではなく、唐辛子をたくさん入れてもその味わいを損なわないのは、そもそもアードベッグが持つ本来の旨味があればこそ、とは思う。

「甘くておいしい」と名の付いたシングル・モルトだ。しかし、元来のアードベッグは甘さのあるシングル・モルトだと思う。その甘さは、アードベッグに底の割れない品質をもたらしていると思う。そういう意味で、アードベッグが「甘い」と言われても、今さら驚かない侍である。

薄っぺらな味しかないのに、唐辛子をたくさん入れて、辛さだけで喰わせようってなカレーではないところがアードベッグの良さである。ただね、「こいつぁ、毎食、喰えません」ってぇのが、侍の本心である。時々喰うから旨い!しばらくご無沙汰だと、何だか喰いたくなる!それが、侍にとってのアードベッグ(オフィシャル・10年)の魅力だな。

で、今回の「アードベッグ ブラスダ」であるが、辛さに例えるなら「中辛」のカレーだな。そして、辛さを抑えた分だけ、その旨味を感じることは可能だ。鋭さだけではなく、落ち着いた柔らかさがある。麦の甘味と適切な広がり、バナナのような側面を持ち、注いで飲み干した5時間後のグラスの中は、非常にバニラの香りに溢れ、ココナッツへと変化する。ブラスダ、つまり「甘くておいしい」に、納得はできる。

もちろん、世のアードベッグ好きの、「その中辛の中途半端さこそが凡庸で気に入らん!」という気持ちも理解できなくはない。しかし、凡庸ではなく中庸と考えてみられたらどうだろう。確かに、オフィシャル・10年に比べたら、少々高い価格設定であるから、それを指して「意味が分からない」とおっしゃる気持ちも分かる。「オフィシャル・10年があれば良いじゃないか」、「それで十分」と言いたいのだろう。しかし、この「アードベッグ ブラスダ」はオフィシャル・10年には見られない側面を我々に見せてくれるだろう。

「アードベッグはブレ過ぎである」と、悲嘆することはない。要するに、我々がそのブレ幅を愉しめるかどうかである。ただ、生産者の方には申し上げたい。あまりにもブレ過ぎて、我々を途方に暮れさせてはならない。意図的にブレ幅を作ることと、目先の利益だけを考えて商品を乱発し、いたずらに我々を困惑させるのでは意味が違う。軸足がブレているだけなら、我々はあなた方の商品からそっぽを向かざるを得ない。

確固たる意思と大いなる勇気を持って、新たなる製品造りにチャレンジして行かれることを、侍はまったく否定しない。伝統を守るという立場と、変わろうとしないことは同じではないだろう。「保守」と「守旧」が違うように。

「保つこと」「守ること」のために変革を厭わないのが本質的な「保守」であろう。旧(ふる)きを守れば済む、というものではない。未来のために、今、熟成庫に眠るウィスキーに責任を持つのがあなた方に求められる態度だ。そのために意思と勇気は必要だろう。ただ、勇気と野蛮は違うものだ。下品とも違う。

さて、侍にはちょうど良い「アードベッグ ブラスダ」。
1杯、¥1,300である。
バナナでバニラでココナッツである。
カレーに入れたら美味いな。きっと。

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ブラスダA

分けること。(7)

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1000本のシングル・モルトを飲んだ人が「語ること」と、10本のシングル・モルトしか飲んだことがない人の「語ること」は違う。1000か10か、その全体の形が変わるなら、相対的の概念すら変わってくる。生まれて初めてウィスキーを飲む人なら、どんなウィスキーを飲んだところで、それを「辛い」と言ってしまうかもしれない。おかしなことだろうか?

そもそも、あなたが思わず言ってしまう「辛い」とはどんな状態だろう。「辛い」という言葉で表現できる状態が、いくつかあることは既に申し上げた。唐辛子もワサビも、程度が過ぎれば人はそれを「辛い」と言ってしまうが、そのふたつの辛さが違うものであることは、誰にとっても明らかなことだろう。

「感じること」と「語ること」の間には時間差がある。その時間差は、自分が「感じたこと」を相手に理解してもらうために必要な時間でもある。あなたが「語ること」を理解してもらうために必要な時間。「感じること」と「語ること」の間に生じた時間差。それが、「思うこと」である。感じたことを素直に口にしてしまうことを僕は否定しないが、それは、相手の理解を求める言葉ではない。それは思わず漏れてしまった言葉だ。だから、反射的な言葉は「語ること」とは違う。

語り合うこととは、まさにキャッチボールである。キャッチボールは「相手が取り損ねること」を望んでボールを投げない。「誰もいないところ」を狙ってボールを投げない。「相手に受け止めて欲しい」と望んでボールを投げる。野手のいないところにボールを転がせば、それはヒットになるが、キャッチボールの目的はそこにはない。

シングル・モルトを「感じること」は誰にでも可能だ。「感じること」ができれば、シングル・モルトを愉しむことができる。つまり、あなたが「感じる身体」を持っているということである。つまり、それはあなたがグローブの使い方を知っているということである。あなたはシングル・モルトが表現していることを受け止めることができているのだ。

「辛い」、ひと言そう呟くあなたがいるなら、あなたはシングル・モルトの表現を受け止めている。それが続けば、確かにそれだけでも十分にシングル・モルトは愉しくなるだろう。でも、それ以上にシングル・モルトを愉しみたいと思うなら、あなたもボールを投げてみたら良い。あなたの「語ること」、つまり、あなたの表現は誰かのグローブの中に収まるかもしれない。

受け止めてもらえらなら、あなたはきっと愉しくなるだろう。
投げてみれば良い。僕はあなたのボールを追いかけて、駆けずり回る覚悟を持っている。

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イチロー NB #22

分けること。(6)

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少し間が空きましたが、前回の続きです。

あなたは目の前のシングル・モルトを「辛い」と感じた様子で、思わず「わぁ、辛い!」と言ってしまった。どうやらそれは、反射的に出てしまった言葉のようで、それは、シングル・モルトを「語ること」とは少し違う。ただ、「感じたこと」であることには間違いがない。そう、あなたはそれを、「辛い」と感じたのだ。

「感じること」のそれぞれは全体を知る中で相対化される。80km/hのストレートしか知らなければ、120km/hのストレートは速く感じるだろう。だけど、150km/hの剛速球を知ったら、あなたはそれをどう感じるだろう。80km/hのボールはスロー・ボールでしかなく、120km/hは最早、普通のストレートなはずだ。かつて、速いと感じた120km/hは、やがて普通になるかもしれない。

「速い」⇔「遅い」という相対的な概念は、あなたが「全体をどう捉えてるか?」が分からないと、あなたの話を聴いている人には通じない。野球にまったく興味がない人に「160km/hのストレート」が、いかに剛速球であるかは伝わらない。それを、伝えたいと思うなら、ピッチャーの投げるボールの平均的なスピードから説明をした方が良いだろう。

「感じること」とは他者から不可侵のものである。あなたが「辛い」と「感じること」を誰も変更できない。あなたは、誰からも何も「感じさせられる」必要はないし、「感じること」に関しては素直であれば良いと思う。高名なウィスキー評論家のテイスティング・ノートを読んで、「このシングル・モルトは、このように感じないといけない」などと思う必要はない。また、そう感じなかったあなたが「間違っている」訳でもない。

「感じること」に関しては、あなたは徹底的に素直でいて欲しい。
だけど、「語ること」は相手の理解を求める努力が必要なものであると思って欲しい。
分かって欲しいと思うからこそ、あなたは語るのではないだろうか?

さて、あなたの「辛い」と僕の感じる「辛い」は十分に違う可能性がある。僕とあなたがシングル・モルトを話をしていて、「辛い」という言葉の意味に齟齬があったとするなら、僕とあなたの話は永遠に食い違ったままだろう。僕はそれを、とても虚しいと感じてしまうのだが、皆様はどうなのだろうか?

人は共感を求めてお喋りを繰り返すのだ。人の心の中に、同じものを同じように愉しみたいと願う気持ちがあることは必然的であると思う。何故なら、人は愉しみを共有することに快楽を感じるからだ。

自分がこう感じたことを、あの人はどう感じるのだろう?
それを考えることは、「語ること」の始まりだと思う。「語ること」のために「分けること」が必要である。「分けること」を知るなら、シングル・モルトを「思うこと」は容易だ。同じシングル・モルトを同じように「感じること」があっても、使う言葉が違ったなら「語ること」は違う形になる。

週明け月曜日、本日もまた皆様のご支援をお願いしたい。
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イチロー NB

イチローズ・モルト・秩父・ニューボーン(4)

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イチロー NB #23一挙に6種類もの「イチローズ・モルト・秩父・ニューボーン」を、市場にリリースして来たイチローさんである。昨日も申し上げたが、侍はこの事実を「イチローさんがご祝儀相場を嫌った結果」と読んでいる。つまり、「おめでとう、で済まされちゃ困る!」、「ちゃんと飲んでくれ!」ということだと思う。出したは良いけど、市場から商品がなくならないように、いっぱい出したのだと思っている。

全種類合計すれば、およそ、1800本ほどの「イチローズ・モルト・秩父・ニューボーン」が市場に流通するということである。早急に「完売」あるいは「在庫切れ」という事態はないと思われる。そう簡単に市場から商品が枯れるということはないと思う。「全種類、集めたい」という人はちょっと苦労するかもしれないが、「どれか、飲んでみたい」という人が困ることはないだろう。

「集めたい」人が困っても、「飲みたい」人が困らないように。
イチローさんはそう考えたのだろう。

少々話を変えよう。
「展開力には欠けるが、その複雑さと飲み応えには十分に旨さを感じる」と侍も評価の高い、キルコーマン・ニュー・スピリッツであるが、この酒にはカスクNo.120/121/122の3樽が使われている。

イチローさんは6樽の「イチローズ・モルト・秩父・ニューボーン」を、6本のボトルに分けて瓶詰している。つまり、それぞれのボトルは「シングル・カスク」ということになる訳だ。ジェイズ・バーに入荷済みのものだけを説明するなら、#22.23は新樽のホグス・ヘッド、#80、81はバーボン・バレルである。

はっきり言って、#22,23に大きな違いはない。#80,81にも大きな違いはない。ただ、やはり、20番台と80番台には大きな違いがある。#22,23の違いは小さいが、#22と#80(あるいは#81)の違いは大きい。大差ない熟成期間であるが、樽が違うとその仕上がりは随分と違うことを知ることができる。

しかし、もちろん、同種の樽(20番台と80番台)同士でも、飲み比べるならその味わいは違う。その違いは、目の前に違う種類のボトルがあるなら、どんな人にも飲み比べは可能だ。そして、必ず「感じること」ができるはずだ。大きな違いと小さな差。それは、誰にでも「感じること」ができる。

さて、かねてから、「感じること」がすべての始まりであると訴える侍である。誰にでも「感じること」が可能な、大きな違いと小さな差。皆様にもそれを感じていただけないだろうか?そして、あなたなりの「感想」をイチローさんにぶつけてみて欲しい。

アンケート今回、侍は「アンケート用紙」をご用意した。そこに、皆様が「感じたこと」を記して欲しい。そして、「思うこと」があるなら「語ること」にチャレンジして欲しい。侍はそれをまとめて、イチローさんに渡そうと思う。

臆することはない。「感じる身体」があるのだから大丈夫。どのくらい感じたのか?アンケート用紙に丸を付けてくれれば良いようになっている。

僕らはウィスキー評論家ではないのだから。
酒飲みが少々勝手な生き物であることを、イチローさんは知っている。

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イチローズ・モルト・秩父・ニューボーン(3)

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イチロー NB #80麦の味わいのある蒸留酒。やはり、侍はウィスキーが好きなのだな。
「イチローズ・モルト・秩父・ニューボーン」。この酒を十分に「おいしい」と言う人がいることはおかしなことではない。ただ、侍は「ダイヤの2」の方が好きだな。だけど、できたての蒸留酒の愉しみのひとつは、それが「想像力の起点になるのかどうか?」ということだと思う。

「イチローズ・モルト・秩父・ニューボーン」。この酒を飲んで、この酒の将来を思う。

先週の金曜にジェイズ・バーでは、4本の「イチローズ・モルト・秩父・ニューボーン」を仕入れた。当初2本と言われたそれは、4本になり、あと2本で合計6本とのことだ。最初にその話を聴いた時、「参ったなぁ。いっぺんにそんなに出しちゃって」というのが正直な思いだった。出た分だけ、買わなきゃならないしな。

もちろん、「迷惑な話だな」とは言えない。出すのがあちらの都合なら、買うのはこちらの都合である。とは言え、ちょっぴり「トホホ」な気分ではある。で、「1本だけで良かったんじゃないの?」なんて呟きながら、ハタと思った。

そんな時に侍は考えてしまうのである。「イチローさんは、何故、こんなにたくさん秩父蒸留所のニュー・スピリッツを出したのだろう?」と。

秩父に新しい蒸留所を作るという話を聴いた時には、非常に喜ばしい話と思ったし、蒸留所ができて、製造免許が下りてウィスキー作りが始まった時も、僕にはとても嬉しいことだった。イチローさんが胸を張って「これが、秩父蒸留所のシングル・モルト・ウィスキーです」と言えるようなウィスキーが出て来るのは、もう少し先のことだろう。しかし、その前にはいわゆる「ニュー・スピリッツ」のような蒸留酒が出て来るのだろうし、イチローさんも「出したいですね」とは言っていた。

だから、侍はそれを心待ちにしていた。そして、それが出た。

そして、それが出てすぐに侍は呟いてしまった訳である。「1本だけで良かったんじゃないの?」と。イチローさんがいっぺんにたくさん出した理由を考えながら、侍は「まんまとイチローに嵌められたな」と、そう呟いた。

秩父蒸留所の建設も製造免許も、今までの数々のイチローさんのウィスキーの受賞も、イチローさんの「良いこと」に素直に嬉しくなり、心から「おめでとう」を言い続けてきた侍である。秩父蒸留所から、いわゆる「ニュー・スピリッツ」が出ることを心待ちにして、その時にはまた「おめでとう」を言うつもりでいた侍は、「1本だけで良かったんじゃないの?」と呟いてしまったのである。

さて、一挙に大量リリースとなった「イチローズ・モルト・秩父・ニューボーン」であるが、この出来事自体がメッセージである。侍は「イチローからの果し状」と受け取った。つまり、イチローは「祝福無用」と訴えているのである。そして、侍はまんまと「おめでとう」が素直に言えなかった訳である。

別な言い方をすれば、イチローさんは「ご祝儀相場」を嫌ったのではないだろうか?

イチローさんは「非常に小規模な、シングル・モルト製造の専門メーカー」の経営者という立場にある。そして、非常に短期間ながら実績を作り、今や業界全体を牽引する役割すら担っていると言っても過言ではない。新たにリリースする「カード・シリーズ」などは、あっと言う間に市場から姿を消すような状況だ。3年ほど前、自社製品をかばんに詰めて、自らジェイズ・バーに営業に来ていただいていた頃とは状況は一変している。

きっかけは「ウィスキー・マガジン」での金賞受賞の頃からだろう。じわじわとイチローさんに追い風が吹くようになって行った。イチローズ・モルトと言えば、人気アイテムになってしまったのである。「カード・シリーズ」と言えば、シングル・カスクの商品である。故に、その瓶詰総数も限られたもの。ちょっとした「奪い合い」の様相を呈しているようだ。市場の販売店の在庫が切れれば、買われた商品はオークションサイトに流れ、高値で流通している様子でもある。また、かつては市場のどこの販売店でも、「できるだけ安値を付け、いち早く売り切ること」を善しとしていた様子だが、最近は「高値を付けても、そのうち売れる」と高をくくっているようにも見える。確かに、販売店による価格差は大きくなったと思う。

さて、そんなとこに「イチローズ・モルト・秩父・ニューボーン」な訳である。失礼な言い方をすれば、「限定300本、1本一万円」でもあっと言う間に売れただろう。で、この侍も喜んで買っていたのだろう。ご祝儀相場の成立である。

「おめでとう、で済まされちゃ困る!」。それがイチローさんの本心ではないだろうか?

ならば、侍も受けて立とう。
イチローに目を覚まされた。
その心意気に感謝である。

読者の皆様、ジェイズ・バーにお集まりいただきたい。
助太刀、求む!
詳細は明日。

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イチローズ・モルト・秩父・ニューボーン

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イチロー NB #22さて、昨日は皆様のおかげで、また10位以内に復帰の「人気ブログランキング」
ありがとうございました。
そんな訳で、本日もよろしくお願いしたい。

新しいスピリッツが、その上質さで熟成を重ねたウィスキーに敵う訳がない。身も蓋もないが、それはたくさんのウィスキーを飲んで来た侍の実感である。熟成を重ねたウィスキーの素晴らしさは、その重厚さであり、複雑さであり、あるいは華やかさであり、その展開力である。あえて言うなら、その素晴らしさ、その魅力は、好き嫌いを越えることがあるかもしれない。「好きじゃないけど、魅力的」。そんなウィスキーに出逢うことがあっても良いじゃないか。

熟成を重ねたシングル・モルトはそのように魅力的であるのだが、複雑さを手に入れた分だけ、その素朴さを失ってしまうのかもしれない。それは最早、ウィスキーである必要すらないのかもしれない。侍はおいしいお酒が好きであるだけで、本当にウィスキーが好きなのかと自らに問い掛け、それでもやはり、それはウィスキーにしかできないことなのだと、いつでもそう結論に達する。

より複雑なウィスキーは、かつて、とても素朴なウィスキーであったのだ。ボトルに詰められてここへ運ばれ、今、目の前のグラスの中でその魅力を十分に発揮するシングル・モルトも、かつては素朴な大麦の蒸留酒であったのだ。その色づきも淡い、元気であるが故に少々乱暴な蒸留酒。それらを変える力が時間なのだな。

時間だけが、それを変えられるのだろうか?

熟成を重ねたウィスキーがかつて、無色であった時代に想いを馳せる。そして、まだ若い大麦の蒸留酒に、将来を期待する。熟成を重ねたすべてのウィスキーには、かつて、若く乱暴な時代があった。しかし、若い蒸留酒のすべてに、その未来があるのではない。ボトルに詰められた瞬間に、時間を止められる。選ばれたものだけが、樽の中で、複雑さを手に入れることができる。

選ばれたウィスキーは「熟成を重ねる権利」を手に入れたのだろうか?違うかもしれない。若さを奪われたのかもしれない。若い蒸留酒には、本物の無垢がある。演技ではない存在感。熟成を重ね、複雑を手に入れることは、その純粋を失うことでもある。しかし、もちろん、純粋で無垢であれば良い、ということではないだろう。

さて、ジェイズ・バーにある4本の「イチローズ・モルト・秩父・ニューボーン」。#22,23は新樽のホグスヘッド、#80,81はバーボン・バレル。そのどれもを、素直に純粋とは言えない。熟成半年にして、無垢を残しているが、秩父蒸留所らしい演技力を身に付けているのではないだろうか?もちろん、「秩父らしさ」など、まだ、侍にも良く分からないが。

良く分からないが、#22,23にはイチローズ・モルトらしさは感じる。#22,23は女の子だな。キュートである。#80,81は男の子だな。若造である。まだ足りない。折角うちに来たのだから、「ハイ、やり直し!」とは言わない。フレッシュなウィスキーの良さがある。

つくづく思うのだ。こういう酒を飲むと、自分がウィスキーを好きなことをつくづく思う。

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イチローズ・モルト・秩父・ニューボーン

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イチロー NB現在ジェイズ・バーにあるのはカスクNo.#22,23,80,81の4本。#22,23は新樽のホグスヘッド、#80,81はバーボン・バレル。金曜に入荷、ぼちぼち売れ始めている。

例えば、侍が非常に評価をしているダイヤの2ほどに、そのように上質なウィスキーではない。侍はダイヤの2を、複雑にして華やか、非常に展開力のあるウィスキーと思う。イチローズ・モルトらしさを持ち、さらに切なくなるほどの凛々しさを持つ、このダイヤの2が侍は好きだ。結果として、ダイヤの2を4本も仕入れることになったが、それは、非常にお買い得感があったからだ。

どうやら、市場からはもう消えてなくなった様子。4本買えた幸福に感謝しよう。

実はまだ、もう1本はジェイズ・バー秘蔵の在庫として残っているが、最後の1本は、イチローさんに何か良いことがあった時にでも封を切ろうと思う。さてさて、イチローさんの次の良いこととは何だろう。今回、リリースした「ウィスキー」をわざわざ「ニューボーン」(生まれたて)と名付けたイチローさんである。熟成半年に満たないようなものを「ウィスキー」とは呼びたくないのだろうな。

ならば、イチローさんが胸を張って「シングル・モルト・ウィスキー」と呼べるようなものを市場にリリースした際には、この侍もダイヤの2を皆様に差し出そう。そう思う。しばらくは眠れ。ダイヤの2。3年ほど、先のことになるのかな。そして、3年後の秩父・シングル・モルトよ。ダイヤの2を超えろ。お前らの先輩は手強いぞ。

話しを戻そう。
今日の話題はイチローズ・モルト・秩父・ニューボーンである。

当たり前の話だが、No.#22,23,80,81の4本はそのどれもが、ダイヤの2をまだ超えてはいない。身も蓋もない話しだが、圧倒的な大差でダイヤの2の勝ちである。その「うまさ」において、ダイヤの2に勝てる訳もない。問題はこのニューボーンに「愉しみ」があるのかどうかということだ。結論から申し上げれば、「愉しみ」はある。そう申し上げておこう。

No.#22,23,80,81の4本、そのどれもに共通して感じるのは「甘味」である。ある種の「濃さ」と言っても良いかもしれない。それは今後、ネガティブな意味ではなく「泥臭さ」のように展開するかもしれない。侍にはそう感じた。どちらかと言えばヘビー。そして、オイリーな感触。それらが全般的な傾向かもしれない。

#22,23は新樽のホグスヘッド、#80,81はバーボン・バレル。20番台と80番台には明確な個性の差が存在する。見た目から言えば、#22,23は色が濃く、#80,81は淡い色合い。新樽の影響だろうか、#22,23は樽に支配された様子だ。#80,81は樽の影響に関しては素直。もちろん、4本とも若い麦の味わいだが、80番台の方が、素直で凡庸と思われるかもしれない。

ある意味、20番台の方が「イチローズ・モルト」らしさがあるように思う。フルーティでエステリー。若さが残れば梅のように、熟していけば杏のように、上手に枯れればイチジクのように。現在のイチローズ・モルトの中で、標準的な味わいを持つのが「イチローズ・モルト・15年」との思いが侍にはあるが、20番台の2本はそのように育つのではなかろうか。

80番台の2本は若さが目立つ。若い分だけ素直であるが、素直であるから凡庸と思われるかもしれない。あえて言うなら、「まだ、足りない」ということだ。誤解されないようにひと言申し上げておくが、足りないのは「熟成」である。もう少し具体的に言うなら、足りないのは「バニラ」という気がする。80番台の2本は、今後、「バニラ」を手に入れる可能性がある。侍はそこに「バニラの素」を感じるが、まだそれを展開させるだけの力を持っていない。

さて、本日も話が長いようだ。明日ももう一日、ニューボーンの記事を書こうと思う。そして、最後に、新しいスピリッツの「愉しみ」についてお伝えしたい。新しいスピリッツの愉しみは、「それがイメージの起点になるのかどうか?」だと思う。

例えば、ダイヤの2に比べれば、「うまさ」では敵わない。しかし、十分にそれなりの「うまさ」は兼ね備えている。だけど、新しいスピリッツなら、それなりの「愉しみ」がなくてはならない。今回の4本に、その「愉しみ」は十分に存在する。

さて、ちょっとばかり皆様にお願いをしたい。
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本日入荷(予定)

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本日入荷、あくまで予定である。
いや、ヤツなら必ず持って来る。持って来てくれると期待しよう。
頼むぞ、押売り屋。

秩父蒸留所の蒸留酒が本日手に入る(予定)。
しかも、一挙に4本。
やるな。イチロー!

恐らく、イチローさんのテンションは高い。
侍はそう読んだ。

秩父の蒸留酒が出るらしいという話は、もちろん、以前からあった。多くのウィスキー好きにとって、ゆっくりと「気になる酒」になって来たのが、イチローズ・モルトである。秩父に蒸留所ができてから、何度も「まだですか?」と訊かれたイチローさんだろう。もちろん僕だって「ニュー・スピリッツはまだですか?」。イチローさんだって「そりゃ、もちろん、出したいですね」。かつてはそう答えた。

その蒸留酒が出る。秩父の蔵を出る。
「確実に出る」と聴いたのが少し前、9月も始めのことだったろうか。「2本出る」と聴いたのが、9月も中旬のこと。「いや実は、もう2本出る」と聴いたのが、その2,3日後。合計4本。10月になったら出ると聴いた。

さらに1週間ほど後だっただろうか。「何だか、もう1本出るらしい」と聴いた。むむ。「いやいや、実は、さらにもう1本!」。合計6本?ほんの数日前に聴いた話だ。詳細はまだ不明。情報は錯綜しているのか?

さて、イチローはバッター・ボックスに入った訳だな。どんな打球を飛ばすのか?
侍は実はちょっとビビっている。そそくさと、センターのポジションに構えているが、打球はどちらに飛ぶのやら。イチローだからな。左バッター・ボックスかな?
しかし!その打球、この侍が獲ったる。

本日入荷(予定)は4本。まだ、手元にないので、残念だが写真はない。入荷するのは、
#22、#23、#80、#81の4樽分。#22と#23はホグスヘッドの新樽。#80と#81はバーボン・バレル。蒸留年はもちろん今年、3〜4月のものと5月に蒸留されたものの様子。それぞれ、62〜63%のアルコール度数だ。

初打席から、いきなり気合いの入った様子のイチローである。千本ノックでも始めようというのか?だから、侍もビビっている。キャッチングの技術には自信のある侍であるが、いきなりたくさんのボールが飛んできてもなぁ。

さて、みなさん。今宵、侍と一緒に外野の守備に付きませんか?いかにイチローであっても、みんなでズラッと並べば、きっと誰かがボールを受け止めることができるはず!イチローさんだって、多くの人に気持ち良く受け止めて欲しいと願ってボールを放つのだ。

日本の酒税法上、熟成年数に関する規定がないのをご存知だろうか?しかし、スコッチ・ウィスキーなら「熟成3年以上」という法律がある。それ以下ならラベルに「スコッチ・ウィスキー」と表記することはできない。だけど、日本の場合は熟成1年に満たなくともラベルに「ウィスキー」と表記することは可能だ。

イチローさんはこの蒸留酒を「ニュー・ボーン」と名付けた。「生まれたて」である。
「ウィスキー」とは書かれていない。

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分けること。(5)

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悩みが具体的になると、そこには希望が生まれると思う。

悩みっていうのは、どうやら人を充実させてしまうことがあるようだな。「悩んでいる自分」を延々と確認する作業は、その人の時間を濃密にさせ、満足を与えてしまうことがある。つまり、それは僕の言う「自意識のトリコ」の状態である。しかもそれは(悩ましいことに)、実に簡単に満足を得る方法でもある。だって、他人を必要としないのだから。

簡単な満足であるだけなら、悪くはないかもしれない。でも、そんな時に人は何かを失っているはずだ。やはり、満足にはコストが掛かる。僕から見れば、それは、「腹を空かしたタコが、自分の足を喰っているような状態」に近い。緊急避難的な措置としては、致し方ないこともあるだろう。しかし、「自意識のトリコ」になるなら、「今、自分は自分の足を喰っている」という自覚は持ちたい。

だから、人は誰でも他人を必要とした方が良い。人は他人からエネルギーをもらう生き物だと思う。人はそれを交換することで成り立っているのだと思う。だから、人は人と関わることの重要性を知って行くのだと思う。自分の持つ100のエネルギーは誰かにとって、200にも500にもなることがある。誰かがくれるエネルギーは自分にとって、500にも1000にもなることがある。

それを、交換することは当事者のどちらをも困らせない。
そういうやり取りが続くことを幸福というのだと思う。
ただ、時々、不幸なことに、他人からエネルギーを奪い、削り取る人がいるということだ。
だけど、それを見分ける能力を持つなら、その危機からは逃れられるだろう。

僕はこの仕事を長く続けて来て、たくさんの人を見てきたけれど、間違ったら「ごめんなさい」、困ったら「助けて欲しい」、そうやって、他人を必要とできる人が、結果として力強く生き残って行くのだなと思うことがある。つまり、それは、受け止めたボールをキチンと投げ返すことだと思う。それは、とても難しいことだと思うけど。僕だってうまくはできない。

他人から必要とされる必要は、誰にでもあるのだと思う。ただ、あなたにそれが、必要であるように。あなたがそれを、喜ぶように。あなたの周りにも、それを必要とし、喜ぶ人がいるだろう。あなたがその人を必要とし頼りにすることは、その人を喜ばせるだろう。あなたが他人から必要とされたいと願うなら、あなたがして欲しいことをすれば良い。

どうやら人は、自分を誇らしいと思えないと、上手く生きられないようだ。

たくさんの悩みを抱え、自殺しようと決意した人が、では、死ぬ前に自らの悩みを箇条書きにして書き残しておこうと思った。そして、いざその悩みを書いてみると、あまりにもその数の少ないことに気付き、自殺を思い留まったという。素敵な話だなと思う。だから、僕は思う。悩むな、考えろ。と。自分に言い聞かせる。

さて、ボールはどこへ行っただろう。もちろん、まだ、あなたのグローブの中だ。あなたが戸惑い、躊躇している間に、僕はそんなことを考えていた。いつだってそうだ。僕はあなたの様子を窺いながら、いつだってそんなことを考えている。大体はそうだ。どんな人が相手でも、様子を窺いながらそんなことを考えている。

説明をしようと試みることは、相手の理解と納得を前提としている。僕はあなたに「辛い」についての説明を求めた。それが、僕の問い掛けの内容だ。あなたには分かるはずだ。僕にはあなたのボールを受け止める準備ができていることを。あなたの不安は理解できる。確かに、あなたは今まで投げたことのないような種類のボールを投げようとしていると、思っているかもしれない。

「理解してもらえなかったらどうしよう」。
「おかしなことを言っていると思われたらどうしよう」。
「自分の答えは合っているのだろうか?」。

さてさて、なかなかボールを投げ返そうとしないあなたに向かって、ぼちぼち僕は声を掛けた方が良いかもしれない。あなたが「自意識のトリコ」になる前に。

「僕はあなたに正解を求めている訳ではありません。一般的な辛いについて窺っているのではありません。あなたはさっき、そのウィスキーを辛いと言いました。だから、あなたにとっての辛いについて訊いています。あなたの辛いと誰かの辛いは違う可能性があります。あなたにとって、辛いとはどんなことを指しますか?」。

あなたは頷いている。
どうやら、ボールをグローブから取り出し、右手に持ち替えてくれた様子だ。
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分けること。(4)

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さて、ボールは今、あなたのグローブの中にある。
そして、今度はあなたが僕にボールを投げる順番だ。

あなたはどんなボールを投げるだろう?あなたが投げたボールと、それが僕のグローブに収まった状態から、あなたの「思うこと」が僕には伝わるはずだ。あなたの「辛い」は「塩辛い」ことを指すのだろうか?それとも、「アルコール度数の高いこと」だろうか?「切れ上がりの良い、シャープな印象」?「乾いた印象」かもしれない。「ピーティな感触の強いもの」でも良い。「硬質」であることを「辛い」と言っているのかもしれない。

もちろん、その言葉通り「辛味をたくさん感じるウィスキー」を「辛い」と言うのかもしれない。

僕に言わせれば、どれかが正解で、その他のすべてが不正解ということはない。僕はあなたに「正解を選んで下さい」と言っている訳ではない。もちろん、「辛い」というその言葉の本来の意味からすれば、「辛味成分が多量に存在する状態」を「辛い」とするのが実は正しい。同じ料理なら、唐辛子をたくさん使えば「辛い」し、使わなければ「辛くない」。それだけのこと、ではある。

ただ、その「正しさ」は僕らの生活感覚からは少しズレている。それは、僕らの言葉が自由であるからだ。人は言葉を愉む。例えば、「ミルキーはママの味」っていう宣伝文句はおかしい。お母さんは食べ物ではない。「しょっぱいシングル・モルト」というのがある人にとっては、塩分の存在しないシングル・モルトを指す可能性がある。「しょっぱい」はその人にとって、「面白味に欠けること」を指しているのかもしれないから。

だけど、僕らは通常、その程度の言葉の表現の自由度を許容して受け入れている。どうだろう、僕らはもっと的確な表現で、シングル・モルトを正確に語るべきなのだろうか?「辛味成分が多量に存在する状態」以外を「辛い」と言ってはいけないと、厳格に取り締まるべきなのだろうか?それは、僕らを愉しくしないと思う。面白味に欠けるし、それこそ「しょっぱいな」と僕は思う。

確かに、自由度を許容することは混乱を招く原因にもなる。人が思わず「辛い」と言ってしまうような状況に、そのような多様な解釈が存在することは、僕らを困惑させるだろう。だけど、正解をひとつに決めてしまうことは、僕らの口を閉ざしてしまう可能性がある。誰も語らないシングル・モルト。不正解を恐れて僕らが黙ってしまったら、それは、僕らを愉しくするだろうか。

非常に安定して混乱がないが、冷たくて硬い状態。
熱を持って沸き立っているが、複雑で不安定で危険な状態。

実は僕は、そのどちらかの両極端を望まない。
真ん中あたりのちょうどいい温度が良い。
冷えたら、暖めたい。暑過ぎれば、冷ましたい。
ハンドリングが大事だな。
僕らみんなの居心地が良い温度があるだろう。
僕はそれを目指したい。

だから、僕はあなたとキャッチボールをするのだな。ボールが行き交うたびに、僕らはお互いのことを知るようになるだろう。僕はあなたの「辛い」が分かるようになるし、あなたは「辛い」の解釈が多様であることを知るだろう。あなたの「好き・嫌い」を知り、「愉快・不愉快」を知り、あなたに大切にして欲しいことを伝え、僕らのフィールドが適切な温度であることに僕は努力したい。

さて、気付いたら、話はまだ進んでいなかったな。
ボールは今、あなたのグローブの中にある。
僕に向かって投げてみて欲しい。
「甘くないウィスキーが辛いウィスキーです」、と。

大丈夫、悩みが具体的になると、希望が生まれる。
「分けること」はその手段になる。
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分けること。(3)

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もちろん僕は、そのボールをグローブの中に収める。バシッと音を立てて収まる。わりと強めなボールだなと僕は思う。で、僕はボールをあなたに投げ返す。「辛いっていうのは、どのように辛いのですか?」。僕はゆっくりと緩いボールを投げたつもりだ。そして、あなたはそのボールをグローブの中に収める。

さて、あなたは少し戸惑う訳だ。誤解しないでいただきたいのだが、僕はあなたに意地悪をしている訳ではない。「辛い」の解釈を巡って齟齬があっては面倒だと思っている。だから、僕はあなたの中の「辛い」の解釈を聴きたいと思っている。例えばあなたが、「甘味の少ないウィスキー」を「辛いウィスキー」だと思っている人だとしよう。だから、あなたはそのウィスキーを飲んで、思わず「辛い」と言ってしまったとしよう。

その時点で、まだ僕はあなたの「辛い」の解釈を知らない。だから、僕はあなたに問い掛けた。あなたは問い掛けられて、戸惑っている。戸惑いながら思っている。「辛いって言ったら、甘くないことに決まってんじゃん」と。そう思っているが、「甘くないウィスキーが辛いウィスキーです」とはまだ言わない。僕があなたに向けて投げたボールは取り難かっただろうか?

僕の問い掛けに、あなたは戸惑うかもしれない。だけど、良く考えてみて欲しい。僕の質問に正解はあるだろうか?僕はあなたが思っていることが知りたい。あなたにとっての「辛い」とはどのようなことを指すのか?人が「辛い」と言ってしまうような状態に、様々なものがあることは、昨日お話しした。僕はそれが知りたい。

そう、僕は分けるのだ。人が反射的に「辛い」と言ってしまうような状況は、いくつかに分けることができる。あなたの「辛い」はそのうちのどれなのだろうと。そして、そのうちのどれかが正解で、その他が不正解ということはない。昨日はお話ししなかったが、「しょっぱいこと」、つまり、「塩辛いこと」を「辛い」と思うと答えてくれても構わない。

「辛い」ということに、そのような多様な解釈が存在することを、あなたは意外に思うかもしれない。ただ、言われてみればその通りであると思っていただけると思う。そして、僕の仕事がそれを「分けること」であることも知っておいてもらえると嬉しい。あなたにはあまり興味がないだろうけど、僕は毎日そんなことばかり考えている。

さて、僕とあなたのキャッチボールの話の続きをしよう。
思い出して欲しい。あなたはウィスキーを飲んで、「わぁ、辛い!」と言ってしまった訳だ。つまり、あなたはそのウィスキーから受け取ったボールに「辛い」という印象を持って、すぐさま僕に投げて寄越した。

僕はあなたにゆっくりと緩いボールを投げた。「辛いっていうのは、どのように辛いのですか?」。あなたがどんなものを辛いと思うのか知りたいから。知ることができれば、「分けること」ができるから。

さて、ボールは今、あなたのグローブの中にある。
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分けること。(2)

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シングル・モルトを「語ること」ができるようになると、シングル・モルトは格段に愉しくなる。

つまり、僕はあなたに、シングル・モルトを語れるような人になって欲しいと思っている。そして、僕はそんなあなたとシングル・モルトの話をしたいと思っている。では、どうしたらシングル・モルトを「語ること」ができるようになるだろうか?僕はこれから、その方法を皆様にお伝えしたいと思っている。

これまでも、何度も言っていることだが、僕はあなたの知っていることにあまり興味はない。僕はあなたの感じたこと、そして、思ったことが知りたい。だから、あなたに「語ること」ができるようになってもらうのが一番良いと僕は思っている。僕と同じシングル・モルトを飲んだあなたが、同じものをどのように感じるのかに、僕はとても興味があるし、僕に次の一杯を選ばせてもらえるなら、それは、あなたが「語ること」でより的確になるだろう。

「感じたこと」を言葉にするのが「思うこと」の力だ。「語ること」のためには「感じること」だけでは足りなくて、「思うこと」が必要になってくる。まずは、あなたの「感じる身体」を信じること。

「感じたことを言葉にする」。僕は先ほどそう書いたけど、「感じた」と過去形の文章でしか書けないのは、「感じること」と「思うこと」の間には時間差があるからだ。感じてから思うのである。感じないと思うことはできない。感じる前に思うことを「思い込み」というのだな。もちろん、僕にだって思い込みはあるけれど。

そして、その時間差は「自意識」が入り込む余地を作ってしまう。「感じること」を素直に「語ること」ができない理由のひとつはそれである。「語ること」は反射的な動作ではないのだ。感想とは、熱いものを触って、思わず手を引っ込めてしまうことと違う。何がしかの意思と意図を持って、組み立てられるのが感想というものだろう。

「おいしい」とか「甘い」とか「苦い」とか「辛い」とか、もちろん、それらは確かに、「感じたこと」であるだろうが、どちらかと言えば反射的な言葉である。反射的である分だけ素直ではあるだろうが、組み立てられた感想とは少し違う。例えば、そのシングル・モルトを「辛い」というのなら、その辛さとはどんなものだろう。

例えばあなたは、「辛い」の反対を何と考えるだろう?「甘い」だろうか?正確に言うなら、それは間違っている。「甘辛い」という表現が世の中には存在するのだ。つまり、「甘くて辛い」という事実がある。反対の概念を指す言葉が、ひとつのウィスキーの中に両方あるということはあり得ない。「右ですか?左ですか?」と訊かれているのに、「両方です」とは普通言わない。

だから、「辛い」の反対は「辛くない」でしかない。例えばあなたは、「辛いウィスキー」をどんなウィスキーだと思うだろう?もちろん、その言葉の意味の通り「辛味のたくさん感じるウィスキー」を辛いと言うことはごく普通のことだと思う。そして、どちらかと言えば、「甘味の少ないウィスキー」のことを「辛いウィスキー」と言ってしまうことの方が一般的であったりもする。

「甘くないウィスキーが好きだ」という人がいることは、まったくおかしなことではない。だけど、「甘くないウィスキーを」と注文する方がより正確であるだろうに、多くの人は「辛いウィスキーを」と注文するケースがほとんどだ。もちろん、「甘味の少ないウィスキー」も「辛いウィスキー」の中のひとつだと思うから、間違っているとは思わないが。

しかし、「辛いウィスキー」は「甘味の少ないウィスキー」だけのことを指す訳ではない。先ほどもお話しした「辛味のたくさん感じるウィスキー」もそのひとつだし、「アルコール度数の高いこと」を「辛い」と言うのも一般的であると思う。「切れ上がりの良い、シャープな印象」も「辛い」と言ってもおかしくはないだろう。「乾いた印象」を持つウィスキーも「辛い」かもしれない。何となく全般的に「ピーティな感触」の強いものを「辛い」という人もいる。「硬質」であることを「辛い」という人もいる。

さて、先ほどは感じることと思うことの間には時間差がある、と、そう申し上げた。例えばあなたは、ウィスキーを飲んで反射的に「辛い」と言ってしまったとしよう。あなたがそのウィスキーを「辛い」と感じること自体に、正誤も善悪もない。あなたはそう「感じた」のだ。あなたは、その感じたことを変更する必要はない。

ただ、あなたは、どのように辛かったのか?あるいは、あなたの「辛い」とはどのようなことであるのか?それを説明する必要はあるだろう。

例えばあなたが、僕の目の前でウィスキーを飲んでいる。あなたは思わず反射的に「わぁ、辛い!」と言ってしまったとしよう。もちろんそのこと自体はおかしなことではない。ウィスキーを飲んでびっくりして、何かが漏れてしまうことはある。だけど、結果としてあなたは僕に向かって「辛い」というボールを投げたのだ。

もちろん僕は、そのボールをグローブの中に収める。バシッと音を立てて収まる。わりと強めなボールだなと僕は思う。で、僕はボールをあなたに投げ返す。「辛いっていうのは、どのように辛いのですか?」。僕はゆっくりと緩いボールを投げたつもりだ。そして、あなたはそのボールをグローブの中に収める。

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分けること。

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「感じること」を受け止めて、「思うこと」が可能になる。
「思うこと」が自由になると、「語ること」は自在になる。
「語ること」が自在になると、僕らは同じ愉しみを誰かと共有することが可能になる。
その状態を維持しようとすることは、僕らを幸福にするだろう。

さて、僕はこれから、皆様にひとつづつ問い掛けて行きたい。そして、僕が思う「シングル・モルトを愉しむコツ」をお伝えしていきたい。それらは特に、初心者の皆様に提案したいコツである。自らを中級者、あるいは上級者と自認するような方には、ある意味「釈迦に説法」、無駄なことかもしれないが、それまでの愉しみ方を今一度確認するためにも読んでいただきたい。

ここ最近、僕はこのブログ「モルト侍」を通じて、長い連載を書き続けている。お知らせしたいニューリリースの商品を紹介するのさえ差し置いて、「感じること」、「思うこと」と書き続けている。お付き合いの長い読者の皆様は、次に「語ること」へと続いて行くのだろうと思われるだろう。もちろん、皆様の予測したとおり、最後は「語ること」へと続いては行くのだが。

シングル・モルトを「語ること」ができるようになると、シングル・モルトは格段に愉しくなる。

シングル・モルトを愉しむために、シングル・モルトを「感じること」は前提になる。シングル・モルトを感じないのであれば、あなたの飲む酒がシングル・モルトである必要すらなくなるから。酔うことだけが目的なら、飲み易く安い酒を求めることが合理的である。わざわざ、シングル・モルトを求める必要はない。

だけど、心配は要らない。シングル・モルトを感じることは誰にでもできる。そこには年齢制限があるだけで、20歳以上の方なら、シングル・モルトを感じることを許されている。そして、「感じること」ができているか?できていないか?は簡単に確認することができる。結果として、(恐らくは)誰もがシングル・モルトを感じることは可能だと僕は思っている。

「感じること」ができていても、「語ること」ができない、ということがある。そのために、「思うこと」が大切だとは思うのだが、その「思うこと」がなかなか難しい。それが難しい理由は、大まかに言ってふたつある。気持ちの問題と技術の問題だ。「思うこと」の連載に続けて、「ひと休み」というタイトルで長々と文章を書いたが、気持ちの問題とは「自意識」の問題でもある。

本日から、また、長い連載を始めようと思う。
シングル・モルトをどのように「思ったら良いか?」なんてことは、どうやら誰も教えてくれなさそうであるから。「感じること」、「思うこと」、「ひと休み」、そして「告白」と続き、本日から「分けること」。「自意識」の問題については、とりあえず、もう触れない。シングル・モルトを「思うこと」の技術的な問題は、「分けること」で解決することがある。

「分けること」。
この連載で、シングル・モルトを「思うこと」の技術論に触れたいと思う。どのようにシングル・モルトを思うか。それを、僕なりにお伝えしたい。気持ちの問題で「思うこと」が難しい方は「ひと休み」を読んでいただきたい。だけど、技術的な問題を解決できれば、気持ちの問題は乗り越えることは十分に可能だと思う。

シングル・モルトの様々なことを、要素に分解して考えてみて欲しいと思うのだ。困ったら、「分けること」は大切だ。分けて考えると、解決の糸口が掴めることがある。「分けること」は複雑な事情を単純にしてくれることがあるから。だけど、念のため申し上げておきたい。単純になったところで、簡単にはならない。

そして、本日最後に申し上げておこう。
複雑な味わいを持つからこそ、ウィスキーは愉しいのだ。

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告白(3)

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僕はそうやって延々とウィスキーの打球を受け止め続けて来た。「人に比べたら、ウィスキーの方が裏切らない」とさえ思ったかもしれない。人の投げるボールは、ウィスキーのそれに比べたら、ボールの行方が予測できないことが多いと思ったかもしれない。だけど、本当は全然そんなことはなかった。今思い出すなら、そう思う。

僕は段々と、その気になれば、人の投げたボールも受け止めることができるのではないか、そう思うようになった。ウィスキーのおかげで自信が付いたのかもしれない。ウィスキーの打球を受け止めるっていうことは、ウィスキーが訴えていることを受け止めるっていうことだから。だから、それは相手が人でも一緒かもしれないって思った。

確かに、キャッチングの技術は向上したのだと思う。だけど、今思い出すなら、それまでの僕は、まともに誰かとキャッチボールをしたいと思っていたかどうかすら疑問だ。ただひたすら、自分の投げるボールを、受け止めて欲しいと思っていただけかもしれない。相手のボールを受け止める気があったのだろうか?少なくとも、相手と向き合わないとキャッチボールは成立しない。

だけど、僕は、延々とウィスキーの打球を受け止めることで、その技術を向上させて行ったのだと思う。そして、他の人と比べても、自分がボールを受け止めることが、巧いのではないかと思うようになっていった。

僕は思うのだ。世の中の「コミュニケーションに問題を抱えている」と自覚する人々の多くは、「自分は巧くしゃべれない」と思っているのではないだろうか?つまり、キャッチボールに例えるならば、「巧くボールを投げられない」ということである。自分のピッチング・フォームと投げるボールにしか興味がないように思えてならない。

相手と向き合って、受け取ったボールを投げる。投げたボールをまた受け止める。それは、キャッチボールの基本だ。受け取る気のない人と、キャッチボールは成立しない。自分の好き勝手なところにばかり、ボールを投げていて、それでも誰かが受け止めてくれると思っているのなら、その状態をキャッチボールとは言えない。

コミュニケーションが苦手と思うなら、「巧くボールを投げられない」と悩むより、ボールを受け止めるトレーニングをしたらどうかと思う。自分が投げたボールを丁寧に受け止めてくれたあなたに感謝をし、あなたが投げたボールを受け止めたいと思う人が必ず表れると思う。

上手にボールを投げてみたいと願うなら、上手にボールを受け止められなければならない。上手にボールを受け止められる人の所にボールは集まる。ボールがたくさん集まれば、ボールを投げ返す機会も増える。機会が増えれば、やがてボールを投げることは上手になる。

あなたが世界で一番の人気者なら、そんなことは気にすることはない。すべての人が、あなたにボールを投げたいと思うだろうから、あなたの所にボールは集まるだろう。むしろ、そんなことすら気にする必要はなく、どこへ投げても、受け止めたいと願う人ばかりだろう。

もしも、あなたがそうでないのなら、あなたはどうしたら良いだろう。
僕もそうでないと思ったから、僕はそうやって延々とウィスキーの打球を受け止め続けて来た。

だから、僕はシングル・モルトに感謝している。

僕はシングル・モルトの放つ打球を、一球一球丁寧にグローブの中に収めた。巧く捕球できない時には、そのボールをどのように処理するのかを考えて覚えた。そして、ボールを見つめながら、そのボールの持つ意味について考え続けた。

延々とそれを続けることで、やはり僕はタフになった。グローブの中のボールの意味。それを知ろうとすることは、想像力との闘いである。「このボールは、どうしてここに落ちて来たのだろう?」。その疑問に立ち向かうことである。想像力の起点となるのは「このボールは落ちるべくして、ここに落ちて来た」と想定すること。「ボールがここに落ちる合理性」が存在するのだ。

「ここに落ちた事実」があるなら、「ここに落ちた理由」があるのだ。

シアトル・マリナーズのイチロー選手のヒットは、すべて内野安打だろうか?「イチローなのに、どうしてホームランを打つのだ!」。もしも、あなたがそう訴えるなら、おかしいのはあなたの方だろう。

「ここに落ちた理由」。僕はそれを考え続けて来た。
それはつまり、「どうして僕は、このシングル・モルトをこんな風に感じるのだろう?」、ということ。

それはとても愉しいことだった。
今でも、本当の理由は分からない。分からないので、その疑問はきっと延々と続くのだろう。でも、僕は途方に暮れない。分からないことに絶望もしない。決して苦しいことではない。

ただ、終わらない愉しみが延々と続くのだ。
そして、時々、本当においしいと思うウィスキーに出会うのだ。

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告白(2)

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ウィスキーは僕らにボールを投げて寄越すのだと思う。確かに、ウィスキーは人ではなから、正確に言うなら「投げる」のではないと思う。ウィスキー自体に意図はないのだから。だけど、結果として、僕らはウィスキーから出て来たボールを自らのグローブで捕球する訳だ。僕は時々、ウィスキーにノックを受けているような気分になることがある。

思えば、僕は長い間、そうやってウィスキーにノックを受けてきたのだと思う。結果として、それはとても良いトレーニングになった。ウィスキーが打席に立つ。僕は外野の守備位置に就いて、打球が飛んで来るのを待つ。打球は高く舞い上がり、僕はいち早くその落下点へと走る。僕は延々と守備練習をして来た気がする。

もちろん、その練習はとても愉しい時間だった。だからこそ、長く続いて来たのだし、これからも続けて行くのだと思う。僕はやがて、誰が打席に立つのかで、打球の行方が違うことを知るようになる。アイラ・モルトは右の強打者。力強く引っ張るのが得意なようだ。だから、僕はそんな時はいつもレフトのライン際にポジションを取る。

ローランド・モルトは技巧派が多い。飛距離は短いが、綺麗な流し打ちが得意な様子。だから、僕はライトの定位置の少し前にポジションを取る。ハイランド・モルトは左中間、スペイサイド・モルトは右中間に打球が飛び易い。そして、僕はセンターの野手の守備範囲が広いことを知るようになる。もちろん、すべてがその通りではない。ローランド・モルトだって、甘いボールは引っ張るし、流し打ちが得意なアイラ・モルトだっている。

だけど、打席に立つウィスキーの生れ年(蒸留年度)とそのキャリア(熟成年数)と所属チーム(瓶詰業者)を知れば、大体の打球の落下地点は予測できるようになった。僕はそんなことが愉しかったのだと思う。だから、僕は守備練習に励んだ。もちろん、どんな時も上手く補給できる訳ではなかった。だけど、おかげで、キャッチすることのできなかった打球の処理も上手くなった。

僕は長い間、守備練習を愉しんで来た。でも、本当は人とキャッチボールがしたかった。だけど、どうやら僕は、それが上手くやれないような気がして、気後れしていたのだと思う。本当は僕だって、ボールを投げたかったのだと思う。自分では、結構良いボールを投げるつもりでもいた。だけど、どうらや、僕の投げたボールは誰にも捕球してもらえそうになかった。

僕は自分のことをそんな風に思って来た。
グローブの中に隠した「本当の気持ち」。何のことはない。そのボールを足下に転がし、「分かってもらえる訳がない」と俯いて呟いていたのは僕自身である。

今なら少し分かる。思えば、その頃の僕は、自分がボールを投げることにしか興味がなかったのだ。そして、他人の投げるボールなど、興味がなかった。つまり、僕は捕球をするつもりがなかったのだろう。もちろん、それではキャッチボールは成り立たない。

そんな僕が、どうしてウィスキーの打球は受け止められたのだろう?

簡単に言ってしまえば、ウィスキーが人ではないからだと思う。自分がボールを投げることにしか興味がなくて、実は上手にボールを投げる人が羨ましくて、だけど、そんなボールを捕球するのが悔しくて、そうは言っても、僕がボールを捕球する能力がないと思われるのも悔しくて、だから、僕はウィスキーの打球を受け止め続けたのだと思う。

でも、結果として、僕はそうやってキャッチングの技術を身に付けて行ったのだと思う。やがて僕は思うようになる。「僕ならば、どんなボールでも受け取れるのではないだろうか?」と。

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