僕らの仕事はオーダーを受けたところから始まるのだろうか。お客さんにメニューを渡し、それを見たら勝手にオーダーが入り、言われた通りに作る。受けたオーダーを懸命にかつ丁寧にこなすことはもちろん大切だが、それが僕らの仕事だろうか。

その態度は作業であるかもしれないが、仕事ではない。僕はそう思う。
他の職業に詳しくはないので僕のことに限って言わせていただくなら、人を気持ち良くさせるのがバーテンダーの仕事である。

当然、僕もバーテンダーの「作業」を軽く見ているつもりはない。僕らの仕事は細かく小さな作業の積み重ねの上に成り立っている。作業がおろそかで人を気持ち良くすることはできない。高いところに行こうと思うなら熟練が必要となる。どのような職業の方でも、そう変わりはないのではないだろうか。僕はおいしいカンパリ・ソーダを作りたいと思っている。

気持ち良くなりたいと思うから、人は酒を飲むのではないだろうか。酒は愉しみを増やす為にある。バーに限らず、飲み屋とはそんな場所ではないだろうか。気持ち良くて良いのだ。酒は快楽の為に存在する。しかし残念だが、酒を飲んでも苦しみは減らない。それを理解し公共の場所である飲み屋で他人に迷惑を掛けなければ良いのだ。それが大人の嗜みである。

快楽を求めることに深い罪悪感を持ってはいけない。適切な戒めを持てば良い。快楽を浪費し幸服を取り逃がすことがあるからだ。快楽を求めることに損得勘定があれば良いのだ。費用対効果である。快楽を効果とするなら、それを得るための費用は付いて回る。費用対効果のバランスが崩れてまで効果(快楽)を求めるのは愚かだ。費用が効果を上回ってはいけない。それを崩しがちな侍から皆様に忠告をさせていただく。

さて、話を戻そう。
愉しみを求めて人は酒場に来るのである。愉しみ方を十分に知る人を前にするなら、僕らの仕事は少し簡単かもしれない。まずは待てば良いのだ。愉しみ方を知る人は、どうしたら自分が気持ち良くなるかを知っている。その人には「心に決めた、飲みたい一杯」があるかもしれない。僕はそれを邪魔するべきではないと思う。オーダーを受けて、それから動き出せば良い。注文通りに適切に対処すれば良い。

恐らくその態度こそが、件のバーテンダー氏のいつもの振る舞いなのではないだろうか。
「お客さんに頼まれたものを精一杯の努力で作ったので、それを嫌いだと言われても、それはお客さんが悪いです」。そのバーテンダー氏は愉しみ方を十分に知る人を前にするなら、きっと非常に優秀なバーテンダーなのだろう。その手の優秀なお客さんはバーテンダーの使い方を心得ている。しかし、裏を返せばその手のバーテンダーは、愉しみ方を十分に知る人の前でしか働くことができない。昨日も言わせていただいた。提案のできないバーテンダーなのではないだろうか。

すべての人が愉しみ方を十分に知った上で酒場に来る訳ではない。
「愉しみ方を知らない人は飲みに来るべきではない」。あなたはそう言うのだろうか?では、愉しみ方を知らない人はどこでそれを覚えたらよいのだろう。もしもあなたがそれを知っているなら、あなたはそれをどこで覚えたのだろう。また、愉しみを十分に知る人でも、すべてを知っている訳ではない。

僕は謙虚でありたい。
不愉快に身悶えし、悪意に怒りを表し、それでも最後は人の過ちを赦したい。
僕は医者ではない。
だから、人の苦しみは治せない。
僕はバーテンダーなのである。
だから、人に愉しみを増やしたい。

ほど良いくらいに連載が終わりますように。人気ブログランキング