昨日は失礼をいたした。
先週金曜の記事の続き。本日再開である。


シングル・モルトの父、マイケル・ジャクソンが「ブナハーブン1966、カスク番号4379、46.1度」に「グラスゴーに向かって出発した汽車?」とテイスティング・ノートを記していることは前に申し上げた。

さて、皆さんはこの事実をどう思われるだろう。
僕に言わせるなら、これは先週お話した「うまい棒のタコヤキ味」と一緒だ。シングル・モルトを飲んだ感想として、恐らく「うまい棒のタコヤキ味」というのは多くの人に共感を得ることはなかろう。しかし、その「うまい棒のタコヤキ味」という感想は「間違ったこと」ではない。感想というのは勝手に生まれてしまうのだ。「うまい棒のタコヤキ味」という感想は、「うまい棒のタコヤキ味」を食べたことのある人から生まれる。僕らがそれにうまく共感できないのは、僕らが「うまい棒のタコヤキ味」を食べたことのないことに起因する。

「グラスゴーに向かって出発した汽車?」
「うまい棒のタコヤキ味」
そのどちらもが、多くの人に共感してもらい難い表現である。

実は僕は父さんにツッコミを入れたい。
「うまい棒のタコヤキ味」は食べ物だ。父さんは汽車を食べたことがあるのだろうか?
普通に考えれば「うまい棒のタコヤキ味」を食べたことのある人の方が、「グラスゴーに向かって出発した汽車?」を食べたことのある人よりも多いと思う。だとすれば、「うまい棒のタコヤキ味」という感想の方が優秀(いや、少なくとも一般的)ではないだろうか。

もちろん、「うまい棒のタコヤキ味」を食べたことのある人が、「私はうまい棒のタコヤキ味に似ているとは思わない」。というのなら話は別だ。「似てる/似てない」論争は「うまい棒のタコヤキ味」を食べたことのある人同士で成立する。

この国に暮らす人で「うまい棒」を知る人は多いだろう。食べたことはなくても名前くらいは知っているという人は多いだろう。いやしかし、「タコヤキ味」があることは知らなかったという人はいるだろう。だけど、「うまい棒」なら「タコヤキ味」があってもおかしくない。というくらいには想像ができるのではないだろうか。僕らにとって「うまい棒」とはそんなお菓子ではないだろうか。

シングル・モルトと「うまい棒」を結びつけるのはおかしなことだろうか。
「チョコレート」とか「クッキー」とか「オレンジ・マーマレード」なら結びつけるのに?
ましてや喰ったこともない「トフィー」なんて感想を口にしてしまうのに?

味や香りに感想を持つという行為は、人が口にしたものの記憶を背景に成り立つ。それは非常に膨大な量の記憶だ。とても不思議なことに、普段よりもちょっとだけ敏感に味や香りを気にしてみようと思うと、「記憶の検索結果」に自分でも予測できなかったようなものが引っ掛かることがある。時には食べ物でないものまで引っ掛かることがあるくらいだ。「小学生の時に思わずかじってしまった、匂い付きの消しゴム」とか。

それはとても普通のことだ。
「チョコレート」とか「クッキー」とか「オレンジ・マーマレード」なら恥ずかしくなくて、「うまい棒」が恥ずかしい何てことは絶対にない。だって、あなたはそれを思い出してしまったのだ。素直な気持ちで「何に似てるか?」に思いを寄せるなら、感想は沸いて出てくる。

検索結果のトップにある「うまい棒」を採用せずに、何故訳知り顔で「トフィー」なんて言ってしまうのだろうか。そっちの方がよっぽどカッコ悪くないか?

少し調子が良いみたい。ご確認を、人気ブログランキング