イチロー H-A C-2 D-3さて、異例の長期連載となったが、本日これにて最終回。

金曜の夜にふらりと現れ、ゴキゲンな様子で周りのお客さんと談笑し杯を重ねるイチローさんである。どうやら大分出来上がってきたご様子。そろそろお帰りの時間だろう。僕の方も作業の手を止め、少しは声を掛けておきたい。その日の来店に感謝し、お世話になった件について礼を述べた。

「9月からまた大変になりますね」。
「確かに、今とは違った苦労もあると思いますが、もちろん楽しみでもあります」。
その通りだろう。これからの活躍を僕も素直に祈りたい。

「目標があります。夢と言っても良いかもしれません」。とイチローさん。
「はい」。
「あと30年働きたい。30年働いて次の蒸留所の30年物のシングル・モルトを飲みたい」。

気の長い話かもしれない。30年後の未来を想像することはできても、確定させることはできない。だからそれは、不確実な未来だ。だけどきっと、この人はそこに辿り着くのだろう。自らを信じ、飲み手の顔を思い浮かべ、恥じることなく働いて、30年後の未来へと着実にその歩みを進めていくのだろう。そして、30年物のシングル・モルトを手に入れるのだろう。

「その時は是非、侍と一緒に……」。
ありがたい。ゴチになろう。僕らはきっと70を過ぎている。

まえかぶ「それではぼちぼち、お会計をお願いします」。
「こちらこそ、ありがとうございました」。
互いに深く頭を下げた。僕はイチローさんに背を向け計算をしている。後ろからイチローさんが声を掛ける。
「領収書をお願いします」。
もちろん、心得ております。
「えーとですね、宛名を(株)ベンチャーウィスキーで・・・」。
誇らしそうなイチローさんの顔が嬉しい。

席を立ってハンガーに掛けた上着を取るイチローさん。と、その時である。
ガラガラ、ガシャン!
イチローさんはハンガーを床に落とした。床に落ちたハンガーは壊れた。
「侍殿、申し訳ない」。
頭を下げるイチローさんである。まぁ、仕方があるまい。その程度のこと、ご愛嬌で済まそうじゃないか。

しかし、イチロー殿。
この借りは30年後に返していただく。1杯ゴチである。
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