E-R ベンリアックさて、それでは「フランスで起きた不幸」からお話して行きましょう。今から150年昔の話から始まり、およそ50年間。100年ほど前までの話。

フランスの酒といえばワイン。ワインがぶどうを原材料とすることはご存知の通り。そして、ワイン同様ぶどうを原材料とする蒸留酒にブランデーがある。ぶどうはフランスの酒作りに欠かせない果実だ。1860年代、そのフランスのブドウ畑がフィロキセラにより壊滅的な被害を受けることになる。「フィロキセラ」、日本語で「ぶどう根アブラムシ」。ぶどうに付く害虫である。

当時の熱心なぶどう栽培家が研究用に「新大陸」アメリカからぶどうを取り寄せた。アメリカのぶどうは結果としてワインには不向きであることが分かったが、その根に付いてともに海を渡ったフィロキセラはフランスを席巻することとなる。フィロキセラのいないヨーロッパで育ったぶどうの木には耐性がなかったのだ。被害はヨーロッパに広がる勢いであった。影響はワインだけに及ばずブランデーにまで波及。高級な蒸留酒として認知されてきたコニャックは、一時期その出荷量を3分の2程度まで減少させた。

どんな時代も人の愚かさに変わりはないのかもしれない。無節操な販売者はコニャックが確保できなくなると、偽物の蒸留酒をブランデーとして販売し始めた。味の分かる消費者は信頼できる代替品を探し始める。当時流行していたブレンデッド・ウィスキーを中心に消費者の志向はウィスキーに傾くのである。

もちろん、その結果がスコッチ・ウィスキーに利をもたらしたとしても、そこに悪意などあるまい。それは陰謀や謀略の類ではない。しかし、善意なる熱心なぶどう栽培家の探究心が、フランス全土に重大な被害を招くことになったのは事実だ。

フィロキセラを契機にスコッチ・ウィスキーはゆっくりとイングランド市場で成果を収めるようになる。ブランデー不足は結果として消費者の目をウィスキーに向かわせることになった。大手ブレンダー会社、ブランド保有会社は一気に攻勢に転じる。新たにマーケティングを展開し、移動販売人を派遣し、販売を支援するために斬新なラベルやポスター、雑誌には広告を掲載し、パブには宣伝を目的に鏡を提供するなど顧客の動機付けになるよう施策を始めたのだ。

この強引とも思える販売手法が功を奏した。それまでも順調に不景気から回復をして来た業界であったが、1890年代中頃にはその生産量は史上最高となる。販売の成功が好調な生産を支えたが、急激な変化は業界全体の在庫バランスを崩すことになる。大手ブレンダーは熟成した在庫はもとより、樽詰前のスピリッツさえ入手が困難な状況に陥り、在庫を使い果たして多くの顧客を失うものも現れた。モノを売る販売者にとって「売るモノがない」という状況がどのようなものか、想像が付くだろうか?それは嬉しいことだけではない。販売機会を失うことは利益を喪失することでもある。

状況を打開するためブレンダーは新たな蒸留所設立に投資し始める。1891年、クレイゲラヒ蒸留所。1892年、ストラスミル蒸留所、グレンモア蒸留所、バルベニー蒸留所。1894年、にはノックデュ蒸留所などが新設され、譲渡や買収なども活発に行われた。その見通しの明るさは、既存蒸留所の拡張・補強を盛んにさせた。クライネリッシュ、クラガンモア、ダルモア、グレンキンチ−、グレンロッシー、マッカラン、グレンスコシアなどこれらの各蒸留所は1890年代初期から中期にかけて再建される。

順調な販売を背景に、銀行や金融業者の一部は積極的に資金を貸し出すようになる。「市場は回復しているのではなく、むしろ伸張している」。それは当時の一般的な認識であったのだろう。ウィスキー業界に金が集まり始めた。ウィスキー・バブルという風船を膨らます空気は用意された。彼らは忘れてしまったかのようだ。ウィスキーという製品を作るのに、一体どのくらいの時間がかかるのかということを。いや、思い出したくなかっただけなのかもしれない。
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