モルト侍

池袋のショット・バー、ジェイズバーのバーテンダーが、大好きなシングル・モルトを斬る。

一筆啓上

一筆啓上、シングルトン(27)

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シングルトン僕にシングル・モルトを考えさせるきっかけとなった、「ひとつの樽」を意味する「ザ・シングルトン」。飲み易さを保ちつつちょっぴり個性的で、しかも他人に自慢できそうなこのシングル・モルトは、バブルの時代にそれなりのセールスを上げた。派手な広告はほとんど見かけなかったが、輸入代理店はプロモーションに躍起になっていたはずだ。

この手の商品はバーのカウンターに置いてあるだけで宣伝になる。ウィスキーに説明を施すバーテンダーは、優秀なセールスマンでもある。当時、僕が勤めていた店にも営業さんが足繁く通ってくれた。お客さんの名前を直接刻印したボトル・キープ用の「ネームタグ」なんかも作ってくれていた。各種イベントも華やかに開かれていた記憶がある。バブルの時代の話である。

「デザイナーズ・ウィスキーに過ぎない」と揶揄されたこのシングル・モルトは、少なくともバブルに沸く日本では、「ちょっとカッコいいウィスキー」と見られたかもしれない。その洗練されたボトルのデザインもそれまでのシングル・モルトとは「ちょっと違う感じ」を演出していた。確かに、このシングル・モルトが「オスロスク」という名で売られていたなら、「野暮ったいウィスキー」と思われたかもしれない。

どこか取っ付き難い表情のそれまでのシングル・モルトに比べ、僕らに新たな選択肢を与えた「ザ・シングルトン」は、どこか誇らしげでカッコ良かったのだと思う。(今でもさほど変わりはないが)、常に「伝統」を売り物として来たシングル・モルト・スコッチ・ウィスキーが、ほんの少しくだけてくれた印象を僕らに与えたのだろう。

我慢して良く働き、世界に誇れるほどの経済発展を成し遂げた僕らは、もう少し個人の暮らしを豊かにできて当然だろうと思ったのだろう。でも、個人の快楽だけを求める姿に、まだどこか恥ずかしさを感じていた僕らに、「重厚な伝統」を押し付けるかに見えたそれまでのシングル・モルトは、ほんの少し煙たかったのかもしれない。

そんな流れの中にシングルトンは登場し、そして売れた。少なからず、シングルトンを通してシングル・モルトに至った人はいると思う。シングルトンというシングル・モルト。かく言う僕もシングルトンを通じてシングル・モルトについて物思うようになったのである。シングルトン以降、僕はシングル・モルト全体を部分に分けて考えるようになったのだ。森であり、林であり、木である。

単一の蒸留所で作られたウィスキーというシングル・モルトの定義を、多くの日本人に認知させるのに成功したかに見えたシングルトン。その尖兵となって日本市場に切り込んできたが、数年前にその役割を終え市場から引退をした。「単一」であることがシングル・モルトの特徴であることを訴えて成功したシングルトンは、より「単一」であるものの登場をきっかけに退場したのである。シングル・カスクの登場と、ボトラーズ・ブランドの成功はシングルトンを市場から押しやった。

それでも僕はシングルトンを愛して止まない。グレンフィディックの1%でも売れてくれるシングル・モルトであったなら、シングルトンはなくならなかったかもしれないのにと嘆いている。もちろん、「ありがとう」と感謝の意は伝えたい。
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先週末、「次週で最終回」と断言してしまったが、あと一回だけ書かせて下さい。明日はニュー・リリースの記事を書く予定。
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一筆啓上、シングルトン(26)

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シングル・モルトの父、マイケル・ジャクソンは改訂版の「ウィスキー・モルト・コンパニオン」でこう言っている。
「数年間、このウィスキーは外国人を誘惑することを期待して製品名をザ・シングルトンとしてきた。この言葉はしばしば、シングル・カスクを指すために使われる。」

マイケル・ジャクソンの指す「外国人」が、主に日本人であることに僕は疑いを持っていない。日本人には発音し難いと判断された「オスロスク」という蒸留所名は、あえて商品名にはされず、一般的な慣行を無視して「ザ・シングルトン」と名付けられた。また、彼が「数年間」としているように、1986年から日本の市場に出回ったこのウィスキーは既に生産されていない。

オスロスク蒸留所の設立は1974年。仕込水に「ドリーの井戸」と呼ばれる泉を使用しているが、ウィスキー作りに理想的な良質な軟水であるとのこと。この地に蒸留所設立を決めた理由のうちの大きなものであっただろう。良質な軟水から作られるウィスキーは繊細な特徴を持っている。当初、その繊細なウィスキーはブレンデッド・ウィスキーであるJ&Bの原酒として使用される目的であったようだ。もちろんその特徴は「ザ・シングルトン」にも受け継がれていた。

「ザ・シングルトン」を指して、「ちょっとだけ個性的なグレンフィディックのようだ」と感想を述べるお客さんが多くいたのを覚えている。複数のお客さんのそのような感想に、僕もとても共感する。そこに存在する「微かなクセ」のようなものが、市場に出回り始めた「ザ・シングルトン」に支持を与えたのだろう。アイラ・モルトのような「強烈な個性」を必要としない顧客に、「ザ・シングルトン」は別の形の回答を示したのだ。

あえて注釈を付けさせてもらうが、「ちょっとだけ個性的なグレンフィディックのようだ」と感想を述べたそのお客さんの多くは、グレンフィディックがシングル・モルトであることを良く理解していない。当時、滑らかな飲み易さを持つグレンフィディックというシングル・モルトは、ブレンデッド・ウィスキーのように飲まれていたのではないだろうか。1990年前後の話である。

「ザ・シングルトン」は僕らに新たな選択肢を与えたのだ。凡庸でなく、かと言って個性に偏り過ぎず、しかし、繊細で飲み易く、シングル・モルトらしく特徴がある。当時の酒屋の棚に並ぶ商品群からすれば、それこそが「ザ・シングルトン」だったのではないだろうか。僕と同じように「ザ・シングルトン」の登場をきっかけに、シングル・モルトについて思いを巡らせた人は多かったのではないだろうか。「蒸留所の数だけ個性があるのがシングル・モルトなのではないだろうか」。少なくとも僕の中にそんなインスピレーションが沸いたのは事実だ。

「ひとつの樽」を意味する「ザ・シングルトン」という商品名のオスロスク蒸留所のウィスキーは、僕にシングル・モルトを考えさせるきっかけとなった。単一の蒸留所のウィスキーがシングル・モルトであるなら、その全体はどのようなものだろう?全体はどのくらいの数の蒸留所で構成されているのか?そして、そのそれぞれに蒸留所ごとの違いはあるのか?「ザ・シングルトン」をきっかけに、僕の思いはそのような方向へ向かったのだと思う。

マイケル・ジャクソンの言葉を借りるなら、「外国人を誘惑することを期待して製品名をザ・シングルトンとしてきた」のがこのウィスキーである。そして、その目論見どおり、「ザ・シングルトン」は僕らの心を誘惑し続けた。比較的長い間、「ザ・シングルトン」は好調なセールスを続けたのである。蒸留所名が商品名とならないこのウィスキーは当初、懐疑的な人たちに「デザイナーズ・ウィスキーに過ぎない」と揶揄されたようでもあったらしいが、結局はその味わいを認知されるようにもなっていった。しかし、どうやら英国市場ではあまり流通していなかったのだろう。マイケル・ジャクソンはこのように嘆いている。

「なかなか面白いこのスペイサイド・モルトは、主として日本に出荷されているが、もっと入手しやすくするだけの価値がある。」(モルト・ウィスキー・コンパニオン・2000年版)

好調なセールスをベースに、恐らくは「ひと儲け」したであろう「このスペイサイド・モルト」である。英国で売るよりも、日本で売ることが望まれたのであろうか?
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一筆啓上、シングルトン(25)

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目の前の1本の木を見つめ、森全体に思いを寄せる。1枚の葉を見つめ、その木のすべてを感じる。思えば僕はそんなことを繰り返して来たのだと思う。個を見つめ全体を考える。目の前に現れたひとつの個は、全体の中のどの位置に存在するのか。僕がいつでも考えてしまうのはそんなことだ。

目の前のこの木は、森の中のどの辺りにあるのだろう。
地べたに落ちたこの1枚の葉は、この木のどの枝に付いていたのだろう。

全体の中の部分。部分の中の個。僕は全体を思い、それを単位に還元してきた。その繰り返しが僕の中でのシングル・モルトの歴史だ。キーワードは「シングル」。つまり、単一ということである。

シングル・モルト、単一の蒸留所。
シングル・カスク、単一の樽。

オスロスク蒸留所のシングル・モルト、「ザ・シングルトン」。蒸留所の名がそのまま瓶詰された商品名に使用されることの多いシングル・モルト・ウィスキーの中にあって、特別な商品名が付けられるのは稀なことではある。オスロスク蒸留所の名はスコットランド人以外には発音が難しすぎるとの配慮から「ザ・シングルトン」の名が付けられた。

スコットランド人以外の人に、彼らは配慮をせざるを得なかったのである。そして、彼らが配慮せざるを得なかったのは、日本人なのである。

シングル・モルトの父、マイケル・ジャクソンの話を借りよう。
「なかなか面白いこのスペイサイド・モルトは、主として日本に出荷されているが、もっと入手しやすくするだけの価値がある。」(モルト・ウィスキー・コンパニオン・2000年版)

オスロスク蒸留所の設立から10年ちょっと、1986年に熟成を重ねたそのウィスキーは「ザ・シングルトン」という商品名で、日本市場に向けて出荷された。日本人には発音し難いと判断された「オスロスク」という蒸留所名は、あえて商品名にはされず、一般的な慣行を無視して「ザ・シングルトン」と名付けられた。

その戦略は功を奏したのだろうか。バブルに沸き始めた日本でそのウィスキーは売れた。その戦略に見事に引っ掛かった者のひとりとして、僕も正直に告白をした方が良いだろう。シングル・モルトの気になり始めた僕に、シングルトンというその商品名は心の琴線に響いたのである。
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一筆啓上、シングルトン(24)

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シングルトン「ザ・シングルトン」というシングル・モルトの登場を機に、僕の中でスコッチ・ウィスキーは分裂を始めた。それ以降、僕の解釈の中でのスコッチ・ウィスキーは繰り返される分裂の歴史だ。キーワードは「シングル」。シングルトンであり、シングル・モルトであり、そして今や、シングル・カスクの時代である。

僕はシングル・モルト全般をひとつの森と理解している。シングル・モルトをひと括りに考えることは誰にとっても自然なことであろう。森にはひとつの生態系があるのだ。適者生存は常である。弱者は淘汰され、強者は次世代へと命を繋ぐ。生き残りを賭けた闘いの果て、今のような森のカタチが存在するのだ。

80年代、それまで未分化であった森は、「ザ・シングルトン」の登場を機に、僕の中にある種のひらめきをもたらすことになる。森を林に、林を木に、そして木は幹から枝分かれしてその先に葉を付けた。森はシングル・モルト全般であり、林は地域区分であり、木は蒸留所であり、葉は樽に詰められたウィスキーそのものである。僕はウィスキーをそのように理解するようになった。

僕らの眼差しはまず、森へと向かってしまう。それは不思議なことではない。目の前の森に圧倒的な魅力が存在しているのだから。森の魅力に気付いた僕らは、吸い寄せられるように森へ近づく。しかし、森の入口で躊躇してしまう。近づいてみると、森は魅力的であるのと同時に、人を寄せ付けない畏怖すら持っているのだ。森の入口で僕らは、森の大きさに気付く。気付いてしまった森の大きさは、そのまま畏怖の大きさでもある。

もしもあなたが、森の入口に誰かに連れて来られたのなら、その人と一緒に森へと入るのが良いだろう。その人はきっと良い案内人になってくれるだろうから。良い案内人を伴わない人は、本屋で良いガイドブックを買うのもひとつの手だ。地図を持たずに森へ入るのは心細いだろうから。

80年代に僕はひとりで森へと入っていった訳だが、もちろん僕の周りに良い案内人はいなかったし、本屋には良いガイドブックは置いていなかった。当時の僕はとても視野が狭くて、森がこんなにも広大であることに考えが及ばなかった。だからこそ入って行けたと考えるなら、それこそは幸運であったかもしれない。少なくとも残念なことではない。だけど、無駄に歩き回っていただけかもしれない。

既にお話をしたが、もうひとつ幸運だったのは「グレンフィディック」の存在だろう。森のその木の存在を知らなかったら、僕は森へと入って行けたのだろうか。僕は今でもそのことを思い出す。

森という大きな全体を、僕はそれぞれの部分という単位に分けるように考え始めた。歩き疲れて僕がマッカランの木の前に座り込んで動かなくなった頃の話だ。森全体を考えるには疲れてしまって、僕はもうお気に入りの木の前から動きたくなくなってしまったのだ。面倒臭く、もうどうでも良くて、木の幹に寄りかかって一生マッカランを飲み続けてやろうなんて、その頃の僕は思っていた。全体を部分に分けて考えてみてはどうかと思い、僕はまた腰を上げて森を歩き始めた。

全体を部分という単位に分ける。分けられた単位をまた分ける。森は林に分けられ、林は木に分けられ、木は枝分かれして葉を付ける。今のところ、僕の解釈の中での最小単位は「葉(つまり樽)」であるけれど、この先、「樽」を「ボトル」単位にまで分けなければならない時代は来るのだろうか。

「森」→「林」→「木」→「葉」という分裂を繰り返して来たのが、僕の中でのシングル・モルトである。だけど、すべての葉を集めて並べたら、それは森になるのだろうか。僕の中でそのイメージは圧倒的な力を持っている。すべての葉の並んだ姿は森の面積を軽く超えてしまう。それは完璧に森を凌駕してしまうのである。

全体は部分の総和より以上である。
部分についての理解が深まるほど、そう思うようになるのである。
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一筆啓上、シングルトン(23)

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シングルトン木の集合体として森が存在するのであれば、何より重要なのは木であろう。木なくして森は成り立たない。しかし、森が大きく育ちその意味の大きさを増していくと、森は木の存続にさえ影響を与え始める。1本の木の影響が森を変化させることもあれば、平均への回帰を求める森は木を枯らすこともある。

木はそれぞれ個別にバラバラな場所に存在していても、森は全体として機能しない。1本1本の木がそれぞれに魅力的であることに変わりはないかもしれないが、木は森の中にあってその輝きを増すのだ。お気に入りの木が森の中のどの位置にあるかを知ることは、僕らに大いに愉しみを与えてくれないだろうか。

木は同じ森の中にあることで互いに共鳴し連係し、時に競争をして成長を重ねる。木は森の中で個性を主張するのだ。そうでなければ生き残れないのが、今どきのシングル・モルトの森のようだ。1本の木に何かの魅力を感じた僕らは、「そこからは見えないけれど、近くにある場所」にもっと素敵な木を見つけられるかもしれない。

そんな予感にワクワクさせてもらえるのも、それが森であるからだ。片道8時間を超えるような場所に「隣の木」があっても、誰も歩いて行ってみようとは思わない。それは最早、散歩の領域を超えている。

1本のお気に入りの木の前から絶対に動こうとしない態度は、安全ではあるが愉しみをそれ以上に増やさない。もちろんそれを愚かだとは思わない。「木の魅力こそが、シングル・モルトの愉しみ」。当然、僕もその意見に反対はしない。しかし、森を知れば木の魅力が更に増すことを僕は知っている。森の中の木。木が集まり森をなす。それを知る者は森を上手に歩いて行くことだろう。

全体は部分の総和より以上である。
複雑で複合的であるから森は愉しいのだ。常に成長し変化を遂げる森は永遠に固定しない。確定的な理解も解釈も絶対に受け付けない。だから、ひと言で済まされる説明は意味を成さない。様々な立場の人がそれぞれの視点でものを語れば良いのではないだろうか。唯一確実なのは、今あなたの目の前にあるできごと。それだけだ。僕らはそれを自分の言葉で語れば良い。現在の森のすべての事情を僕らは知ることはないのだ。

僕の言う「木」が蒸留所を指し、「森」がシングル・モルト全体を指すことは皆さんご存知の通りだと思う。およそ20年余りの「僕のスコッチ・ウィスキー史」の中で、シングル・モルトを森と捉える視点が生まれたことを意識したのは比較的最近のことである。しかし、思えば分裂を繰り返してきたのが「僕のスコッチ・ウィスキー史」であることはお伝えした。

その視点に立ち、凄まじいスピードで分裂を繰り返すウィスキーを意識して眺めるようになった僕に、ある種の加速度を付けさせたのが「ザ・シングルトン」の登場ではなかっただろうか?僕はそう思っている。「ザ・シングルトン」をきっかけに、僕は全体の中の部分を、木の集合体としての森を意識してシングル・モルトを考えるようになった。

来週は遂に最終回を迎える。人気ブログランキング


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一筆啓上、シングルトン(22)

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スコッチ・ウィスキーという「全体」をシングル・モルトとブレンデッドという「部分」に分け、シングル・モルトという「部分」をさらに6つの地域区分に分け、6つの地域区分に分けられたそれぞれの「部分」の中には蒸留所が存在するので、最終的に蒸留所という「部分」に分ける。それこそが、「シングル・モルトの森」と「地域区分の林」と「蒸留所としての木」ということに他ならない。

しかしどうだろう。その考え方は物事の理解の助にはなってもその本質を語っている訳ではない。何故なら、木(蒸留所)より先に森(シングル・モルトというカテゴリー)が生まれた訳ではないのだ。大地に根をおろし木は成長し、それらが寄り添い林を成し、その集合体として人はそれを森と捉える。

森の中の1本の木に、自らが森の構成員であるという自覚はどれほどあるだろう。木が密集している地域を指して「森」と呼んでしまうのは、それはそれを見る人の都合である。そもそも、木は自らの都合でそこに根をおろし自らの努力で成長する。そこが成長するのにより最適な場所であれば、より大きく成長するのであろうし、それは他の木にとっても同様であるだろう。だから、他の木もその場所に根をおろし易いし、結果としてその場所に木は集まり易くなる。しかし、集まり過ぎるとその存在自体が他の木の成長を阻害する要因にもなりかねない。そのようなバランスの下、森はある種の秩序を持って成り立つのだ。

スコットランドのウィスキーの森には「木(蒸留所)が育ち易い環境」があったのだろうか。あるいは、スコットランド人に「木(蒸留所)を育てなければならない事情」があったのだろうか。僕はここで多くを語ろうとは思わないが、その「環境」も「事情」もあったのだろう。繰り返しになるが、森は先にできない。木の集合体がやがて森と認識されるようになっただけだ。

森を説明することは難しい。それを観察する者の視点により、幾通りもの解釈が可能だからだ。違う人の違う解釈は必ずしも間違いではない。森は「正解」「不正解」の判定をしない。誰かが立てた解釈に他の誰かが「賛成」「反対」の意思表示をすることで論争が展開されるだけだ。観察者の数だけの説明が存在してもおかしくないが、森は「正解」「不正解」の判定をしない。

「単一の蒸留所で作られたウィスキー」という説明に反対の意を唱えることは非常に困難だ。だから僕も当然のようにそれに賛成をするが、だけど、その短い一文は一体誰かの役に立つのだろうか?正し過ぎる正解は何も説明しない。森を愉しみたいと思う者にその短い説明はまったく役に立たない。

「シングル・モルトって何ですか?」と聞かれ、「単一の蒸留所で作られたウィスキーです」と答えられるようになったら、シングル・モルトのすべてが分かったと言えるだろうか。そう答えられなくとも(そう答えられる人より以上に)シングル・モルトの愉しみを知る人が、世の中にはたくさんいることを僕は知っている。理解することは愉しみをより一層深めるという意見に僕は全面的に賛成するが、飲まなければまったく愉しくない。

森を理解しないうちは森へ入るべきではないと、もしもあなたが思っているなら、あなたは一生森へ入ることはないだろう。森は日々変化している。森へ入り愉しむことと理解することは相互補完的である。

下降気味。皆様、順位を確認してやって下さい。人気ブログランキング


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一筆啓上、シングルトン(21)

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「モルトって何だろう?」、僕の中でその思いは深くなる。
20年前、スコッチ・ウィスキー好きを自認する僕にとって、「モルト」はその先、その次を予感させたのだろう。僕は夢の続きを見られると思ったのかもしれない。だから、僕は「モルト」を試してみようと考えたのだ。

当初、「ひと塊」であったスコッチ・ウィスキーは僕の中で分裂を始めた。今から思えば、僕の中でのスコッチ・ウィスキー史は繰り返される分裂の歴史でもあった。

しかし、僕の中にも複雑な気持ちがあったことは確かだ。その先、その次、夢の続きを予感させたモルトであったが、スコッチ・ウィスキー好きを公言してはばからないということは、「アンチ・オジサン」の看板を降ろしたということでもある。少し切なくもあり、大いに挫折を味わった気分でもあった。

まず、僕の中でスコッチ・ウィスキーは「ブレンデッド」と「シングル・モルト」に分裂する。ひとつの塊はふたつに分かれた。僕がどのようにシングル・モルトを飲み始めたかは既に書いた通り。スコッチ・ウィスキーの中の「シングル・モルト」という塊を、僕はシングル・モルトの森と認識するようになった。

それぞれの蒸留所を森の中の1本の木のように思った。僕は森をさまよい、森の木を見て廻った。そして、森の木にはそれぞれある種の傾向や特徴があることを知り、同じ特徴を持つものは森の中で林として存在することも理解していった。地域区分を林と捉えることで、僕は森に対する理解をより深くして行った。スコッチ・ウィスキーという塊は「ブレンデッド」と「シングル・モルト」に分裂すし、「シングル・モルト」はハイランド、ローランド、スペイサイド、キャンベルタウン、アイランド、アイラの6つの地域区分に分裂し、それぞれの林には多くの木々が存在する。

あれから20年経った今。シングル・モルトが分裂を繰り返してくれたおかげで、僕はその全体をより詳しく理解することが可能になった。全体の中の個。つまり、森の中の1本の木がどのような場所に立っているのか?林で言えば、どの林に属するのか?それを思い、知ることは、その味わいを想像するひとつの手がかりになり得るし、イメージを膨らます起点になり得る。

ウィスキーを種々の特徴によって分類し、それらを体系的に組み立て直しまとめることで、僕はウィスキーの多様性を理解していったのだと思う。全体の中の個。個の集合体としての全体。個は互いに密接に関連し全体を形作っていく。枯れる木もあれば、新たに芽吹く種もある。同様の傾向を持つ木が一気に枯れることもあるし、同じ時期に急速にその規模を縮小する林もある。膨らみ過ぎていくつかに分かれた林もあれば、その枝にもう数枚の葉しか持たない木もある。

森は生きている。その規模も形も時代と共に変えながら、それでも森は生きている。僕がそのシングル・モルトのあり様を、まるで森の観察者のような視点で理解することを可能にしているのも、シングル・モルト全体を個に分類して見せてくれた人がいたからである。しかし、その作業は動機を持つものに対する理解を容易にさせてはくれたが、世の中の多くの人にその様相をより複雑にしてしまったことは確かだ。

さて、僕はどうしたら良いのだろう?
複雑を受け止め、より深い理解を欲すれば良いのだろうか?

元来、その森に木の数は多過ぎた。そもそも単純なままでの理解など受け付けない類のものだったのかもしれない。

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一筆啓上、シングルトン(20)

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僕が初めて飲んだシングル・モルトはグレンフィディックであった。いや、それは正確ではないかもしれない。それまでも、知らぬまま飲んだシングル・モルトがあったのかもしれない。だけど、自覚して飲んだシングル・モルトはグレンフィディック。少なくとも「初めて自分のお金で買った」シングル・モルトはグレンフィディックである。いや、それも実は正確ではない。当時のグレンフィディックはそのラベルの中央に「PURE MALT」とプリントされていたのだから。

20年前、多少なりとも洋酒に詳しい人にとって、ブランデーとバーボンとスコッチと、そして日本のウィスキーはそれぞれに「ひと塊」であったのだと思う。その人たちは茶色い蒸留酒の違いを、ぼんやりとではあるが理解していたと思う。ブランデーは葡萄を材料にした、金持ちが飲む香り高い甘い酒。バーボンはトウモロコシを材料にした、クセのある男っぽい酒で若者に支持された。スコッチは滑らかで飲み易く、オジサンたちの憧れの的。そして、日本のウィスキーはスコッチっぽい酒で、その「ひと塊」は団塊の世代に愛された。

もちろんその説明は正確ではなく、詳細を詰めていけば間違いだらけになるだろうが、その理解の仕方は当時の洋酒事情を反映していたと思う。ただ、茶色い蒸留酒が「ひと塊」であった時代よりは進歩した。そんな程度だ。ブランデーとバーボンとスコッチと、そして日本のウィスキーはそれぞれに違うものであるとの認識が僕らには生まれたのである。「何が違うの?」、という質問に先ほどのように答えたなら、「へぇ〜、詳しいんだね」と、そう言ってもらえるような状況があったということである。

とは言え、バーボンもスコッチも日本のウィスキーも、それぞれに同じ「ウィスキー」というカテゴリーに属するというところまでは、ほとんどの人の気は回らなかった。バーボンとスコッチとサントリー・オールドと、それとは別にウィスキーっていうものがある。と思っていた人は多い。

僕は当然金持ちではなかった。自由であることが素敵だと教えられ、自分を窮屈だと思い込み、反体制とアンチ・オジサンを気取り、僕は何となくバーボン支持を訴えていたが、普段飲むのは日本のウィスキー。ウィスキーを巡る僕の暮らしはそんな風だった。バーボン業界はそれをビジネスチャンスと見たのだろうか。一気に攻勢を掛けバーボン・ブームが発生し、気が付けばブームは沈静化した。おいしいバーボンにもいくつか巡り合ったが、ブームが去る前に僕はバーボンから去った。

ピュアモルト山崎が発売されるのは1984年。どうやら茶色い蒸留酒がお気に入りのようだと気付いた僕は、お酒のディスカウント・ストアで経験を積み重ね(つまり失敗を繰り返し)、スコッチ・ウィスキーへと辿り着く。

スコッチ・ウィスキー好きを自認する僕は「モルト」というキーワードが気になり始める。サントリー・モルツが発売されるのが1986年。「モルトって何だろう?」、僕の中でその思いは深くなる。

その本来の意味からすれば「モルト」とは麦芽を指す訳だが、世の中の酒飲みの皆さんにとっては、今でこそ「モルト」と言えばシングル・モルト・ウィスキーのことを指すことが当たり前のようになっている。僕もそれを特に不都合とは思わない。いいじゃないかと思う。バーのカウンターで「何かモルトを下さい」と言って、麦芽を出すバーテンダーがいたなら、そちらの方が不都合でイヂワルではなかろうか?

「随分と時代は変わったものだな」と、オッサンのようにそう言ってみたくもなる。
バーのカウンターで「何かモルトを下さい」と言っても、サントリー・モルツも麦芽も出ない。バーテンダーは「どんなモルトがお好きですか?」と聴いてくれるだろうから。

グーグルで「モルト」と検索をすると、僕のブログ「モルト侍」は3番目か4番目くらいに表示される。僕がブログを始めてから2年半ほど経つが、シングル・モルトに関わる700本くらいの記事を書いている。二十歳の僕はそんなことを想像すらしていない。20年の時を経て、世の中は随分と変わった感がある。

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一筆啓上、シングルトン(19)

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94 林それより以前の古い資料が見当たらなかったので、皆様にはこちらをご覧いただきたい。写真は94年度版の「世界の名酒事典」(講談社)。94年当時に至ってもこの本のモルト・スコッチ・ウィスキーの区分は、ハイランド、スペイサイド、ローランド、アイラそしてヴァッテッド・モルトなのである。もちろん「シングル・モルト・スコッチ・ウィスキー」となれば、そこからヴァッテッド・モルトは除外される。

ジュラやハイランド・パーク、タリスカーなど、現在で言うところのアイランズ・モルトとスプリングバンクの属するキャンベルタウン・モルトはどちらもハイランド・モルトに分類されている。94年当時ですらそんな状況であった。

シングル・モルトをひとつの森に見立て、ハイランド、スペイサイド、ローランド、アイラ、アイランズ、キャンベルタウンの6つの地域区分を僕は林と捉えている。その6つの地域区分は現在では非常に一般的なものとなっているが、それが定着するきっかけになったのが土屋守氏の「モルトウィスキー大全」(小学館)だろう。

地域区分を林に例えるなら、林の木々は蒸留所に例えられる。そして、木々はやがて葉を成す。その1枚の葉を樽に例えてはいかがだろうか、というのが僕の思いだ。土屋守氏のおかげで、僕はシングル・モルトの森の全容を知ることができた。

土屋守氏の「モルトウィスキー大全」(小学館)は初版が1995年。現在の一般的な6つの地域区分であるハイランド、スペイサイド、ローランド、アイラ、アイランズ、キャンベルタウンはこの本の出版を境に急速に広まったのではないだろうか。当時のその理解は「樽」の単位にまで及ぶことはなかったが、1本1本の木に至るまで、僕はこの本でその詳細をそれまで以上に知ることになった。

80年代中頃から、僕はシングル・モルトをひとつの森に例え、地域区分を林に見立て、ひとつの蒸留所を1本の木と捉えようと決め、何も分からぬまま森を探索し、10年の時間が過ぎてやっとその全貌を理解する手がかりを掴んだ。

僕の中でウィスキーは分裂を繰り返し、その先へ、その次へと細分化していった。僕にとって80年代中頃からの10年はそんな風だった。その10年で、確かに僕は「全体を考える想像力」と「個を見つめる理解力」を付けたかもしれない。しかし、漫然とシングル・モルトの森を散策していても良かったかもしれない。あるいはお気に入りの場所に留まり、その風景を愉しんでいても良かったのかもしれない。

その方がラクチンであったことは確かだ。
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一筆啓上、シングルトン(18)

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かつて僕の中で茶色い蒸留酒はその全体がひとつのカテゴリーであり、僕にとっての森であった。「茶色い蒸留酒の森」、それはバーボンとスコッチとブランデーと日本のウィスキーの4つの「林」に分かれていた。

やがて僕はスコッチ・ウィスキーを森と捉えるようになり、その森にブレンデッドとシングル・モルトの林があることを知った。次第に僕はシングル・モルトの林に入り浸るようになり、シングル・モルトこそがその全体、つまり、森と言っても良いような状況になって行った。

道を失い、戸惑い、迷子になり、その出口を探し出せなくなることを繰り返し、僕はシングル・モルトの森の探索に夢中になった。そして、森の探索を続けるうちに、僕はゆっくりと「迷子になりそうな予感」が少しづつ薄れていたことに気付く。

僕は森を知りつつあった。シングル・モルトの森はいくつかの林に分かれていた。現在の僕がそれを6つの林に分けて考えていることは、皆さんご存知のことと思う。ハイランド、スペイサイド、ローランド、アイラ、アイランズ、キャンベルタウン。だけど、当時の認識は違った。そこまで細分化されていなかったのが一般的ではなかっただろうか。

80年代後半になっても、僕の中には3つの林しかなかった。ハイランド、ローランド、アイラ。そもそも、当時の僕の周りにはシングル・モルトに関心のある人はほとんどいなかった。そして、現在では一般的な6つの地域区分(ハイランド、スペイサイド、ローランド、アイラ、アイランズ、キャンベルタウン)などまったく知られていない。今から思えば、当時からアイラ・モルトは特別だったのだろう。ハイランドとローランドは地図上の、行政区分上の境界線と同じなのであるから。

スコットランドの地図を広げて、ハイランド地方にあるのがハイランド・モルト、ローランド地方にあるのがローランド・モルト、アイラ島だけ特別にアイラ・モルト。僕はそんな風にそれを認識したけど、「シングル・モルトの森の3つの林」と考えると、それはほとんど意味をなさない。何故ならほとんどの蒸留所がハイランド・モルトになってしまうからだ。

そんな調子で「シングル・モルトの森の3つの林」を認識していたのでは、確かに迷子にもなりやすかっただろう。何しろ、ハイランドの林は広大に過ぎた。そして、シングル・モルトに対する世の中の関心がほんの少し(本当に微かに)上がっていくと、ハイランドの林は分裂した。ハイランドの中からスペイサイドが独立したのである。僕の中でシングル・モルトの森は4つの林で構成されるようになった。

ハイランド、スペイサイド、ローランド、アイラの4つである。アイランズとキャンベルタウンはウィスキー好きにさえほとんど知られていなかったはずだ。僕がそれを知るきっかけになったのが「世界の名酒事典」(講談社)。年度ごとに発行されるこの本は情報の少ない当時、僕には大切な本であった。ウィスキー以外のページにほとんど目を通したことはないのだが。

僕は躍起になってシングル・モルトの森をいくつかの林に区分することを望んだ。そうでないと、僕はその森で迷子になりそうだった。世の中でシングルトンがぼちぼちその名を知らしめていた頃。

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一筆啓上、シングルトン(17)

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シングルトングレンフィディックの木の前で僕は躊躇していた。そして、その眼差しはシングル・モルトの林のその奥深くにあった。僕の背中の後ろにはシングル・モルトとブレンデッドの林の境界線があるはずだ。そしてその境界線の向こうにはグランツの木が立っている。

僕はその場所でどのくらい戸惑っていたのだろう。普段より長く、じっくりと時間を掛けてグレンフィディックを1本飲み終えたのだけは良く憶えている。飲みながら考え、考えながら先に進むか、また戻るかを決断しつつあった。

結果として僕は、先へと進む道を選んだ。その動機がどこにあったのかと問われれば、「未知なる本物への憧れ」、簡単にそう言ってしまうことは不可能ではない。

先に進む決断を下したものの、そう簡単に先へ進めるものではなかった。スコッチ・ウィスキーの森のシングル・モルトの林に僕はまったく不案内で、地図もなくガイドを申し出てくれる人もいなかった。おまけに当時のシングル・モルトの高価格は、ぬかるみの様に、先へと進む僕の足にまとわり付いた。

僕はやはり息切れをして、時々は安酒に手を伸ばすことになる。安価に手に入る予定通りの心地良さは、僕にある種の安らぎをもたらしてくれたが、その安らぎは平凡でもあり、僕はその平凡を退屈にも思い始めた。僕は刺激を求めてまたシングル・モルトの林へと分け入り、その意外性とそこに由来する興奮は僕を愉しませた。しかし意外性は落差でもあり、その落差は僕を落胆させることもあった。

当時の僕には、残念に思うシングル・モルトがいくつかあり、残念に思うことは僕を悲しくさせた。代表的なのはボウモア。初めて手に入れたボウモアを、僕はまったくおいしいとは思わなかった。今ではその理由が良く分からない。

世の中は少しづつサントリー・ピュアモルト・山崎を認知しつつあった。山崎は「高級な贈答品」の領域から少しはみ出した様子だった。山崎を街場で見かけることが多くなった。今から思えば、それは1980年代の後半。恐らくはシングルトンが世に出る1986年前後のことだったと思う。僕はぼんやりと山崎の存在が気になり、一度飲んでみたいと思うようになっていた。

飲んでみたいと思うようにはなっていたが、如何せん値段が高い。僕は早々に山崎をあきらめ、シングル・モルト・スコッチ・ウィスキーをゆっくりと嗜んでいったのだが、意外なことで山崎に廻り合う。誰かが大量に手に入れたお中元だかお歳暮のお裾分けの横流しであった。僕は山崎を飲んで非常に「おいしい」と思った。そして、それをおいしいと思った自分をほんの少し切なく思った。

僕は本物とは何だろうかと思いを廻らす。ついに本物を定義付けすることには至らなかったが、過剰なまでの本物志向をやめた。もしもそれが、本当に本物であるなら、それは尊敬に値するのだろうが、「おいしさ」と「愉しさ」を前に本物であることはそれほど意味のないことのように思えた。あるいはこういうことかもしれない。「おいしさ」と「愉しさ」を求めるなら、偽者を掴むリスクは少なくなるだろう。

僕はゆっくりとシングル・モルトの林の奥深くへと進むようになる。
やがて僕は気付く。「迷子になりそうな予感」が少しづつ薄れていたことに。それは僕の中でかつて大きな不安であった。不安がなくなったことは大きな自信へと繋がる。シングル・モルトを意気揚々と愉しめそうな自分を、僕は誇らしく思ったものだ。

そして、もうひとつのことに気付く。
それまで林だったシングル・モルトは、僕の中でゆっくりとシングル・モルトの森へと、つまりそれこそがその全体へと変化しているようだった。

若き日の侍にシングル・モルトを森と捉える視点はこの時に生まれる。世の中にシングルトンが出た頃。実は若き日の侍は、まだシングルトンの存在を知らない。

しかし、分かったつもりでいたことをいつでも思い知らされる中年の侍。
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一筆啓上、シングルトン(16)

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シングルトン「シングル・モルトの林」の外側で僕はウロウロしていた。僕はその原生林のような佇まいに畏怖を感じ、不安で心細く、でもそれはとても興味深いものだった。シングル・モルトの何が僕をそんなに惹き付けたのか、今でもそれは良く分からない。当時、ぼんやりとスコッチ・ウィスキーを飲んでいた僕はシングル・モルトをブレンデッド・ウィスキーの次にあるものだと思ったのだろうか。僕は先へ進みたかったのかもしれない。

「シングル・モルトの林」の前で僕は身動きができなくなっていた。誰かに何かを聴きたかったけど、シングル・モルトについて詳しい人は周りにいなかった。だけど、もしもいたとして、僕は何を聴いて良いのか分からなかったかもしれない。

仕方がない。入ろう。
僕はそう思った。僕は先へ進みたかったのだ。僕の周りに案内人はいないし、地図を持っている訳でもない。不安だが入ったところからまた出て行けば、迷子になることもないだろうと、僕はそう思った。何せ隣は「ブレンドッドの林」なのだ。隣の林のことなら少しは知っている。

入ろうと決意をしてから、僕は「シングル・モルトの林」の入口を探した。迷子にならないために、入り易くて出るのも簡単な出入口が最適だった。

僕は「ブレンデッドの林」から向こう側の「シングル・モルトの林」を眺めた。分かり易い目印となるものがある場所を、僕なりの出入口にすれば良い。僕はしばらく「ブレンデッドの林」にいて、「シングル・モルトの林」との境界線を歩きながら、その目印がある場所を探した。その境界線近く、僕は「グランツ」というブレンデッド・ウィスキーの前で足を止めた。振り向いて境界線の先を眺めると、そう遠くないところに「グレンフィディック」があった。

ディスカウント・ストアの棚からグレンフィディックを1本取って、僕はレジへと向かった。当時のグレンフィディックはさほど安いものではなかった。財布が軽くなったのを憶えているが、僕は「シングル・モルトの林」に入った。少しドキドキしながら、車の助手席にグレンフィディックを置いて家に帰ったが、その値段の高さは少なからず垣根となって僕の邪魔をするだろうと、僕を困惑させた。グレンフィディックとて安いものではなかったが、それ以外のものはそれ以上に高かったのだ。

家に帰るとその頃のいつものように僕はそれをロックで飲んだ。その後、ストレートで飲み水割りにもした。「これが本物なのだ」と言われたら、そんな気もしたのだろうが、実のところ「明らかにおいしい」とは思わなかった。「値段の分だけおいしいじゃないか」と言われても、しっかりと頷くことはできなかったかもしれない。だから、少し口惜しかった。

僕には本物が分からないのだろうか?僕は少し不安になった。不安になった僕は自分の感想について考えた。「僕はグレンフィディックを飲んで、何を感じたのだろう?」。僕はその時の感想を良く憶えている。「滑らかで少し甘い」。僕はそう思った。もちろん、「おいしい」とは思ったが、「値段の分だけ」か、どうかは良く分からなかった。その思いはやはり僕を不安にさせた。

グレンフィディックの前で僕はシングル・モルトの林に思いを寄せた。その先はまだ良く見えない。人手の加わった形跡がなく、道もなく、深く薄暗くそして怖くて不安だった。背中の向こうには「ブレンデッドの林」があることを知っている。つい先日まで馴染んだ場所だ。振り返ればその境界線の向こうにグランツの木が立っている。

グレンフィディックを1本飲み切ったら、また「ブレンデッドの林」に戻ることは十分に可能だ。ついさっき入ったところから、また出て行けば良い。出入口は逃げない。僕がどこに行こうとするのか。

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一筆啓上、シングルトン(15)

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20年前、僕はアイラ・モルトの意味を説明できなかった。もちろん、当時はその存在さえ知らない。やがて僕はアイラ・モルトを知るようになるのだが、それを知った当時アイラ・モルトはアイレイ・モルトと呼ばれるのが一般的だった。Islayはアイレイと発音された。

長い時間をかけ、ウィスキーは僕の中で分裂を繰り返した。その大きな塊はゆっくりと分裂を繰り返し、樽というセグメントまで砕かれるようになった。現在のところその最小単位であると思われる樽という「部分」は、これから先「瓶(ボトル)」という単位にまで分裂し、瓶ごとに価値を持ち始めるのだろうか。

生まれて初めて僕が出会った酒はビールだと思う。僕がまだ本当に子供の頃、小学生になるかならないか位の頃だと思う。ビールというのは子供に飲むことの許されない飲み物のようだと、子供の僕は認識したのだと思う。だから、酒と言えばビールのことで、ビールは酒のすべてであった。

やがて僕はビールの他にも子供に許されることのない飲み物の存在を知った。それが見た目にビールと違うのは、まず泡が立たないこと、そして氷を入れたグラスに水で割って飲んでいたこと。ビールではないその飲み物を、大人たちはウィスキーと言っていた。

子供に飲むことが許されない飲み物が2種類あることを僕は知った。それは酒であり、酒にはビールとウィスキーがあることを知った。酒というのはアルコール飲料全般を指す言葉である。ならば、ビールとウィスキー以外にも酒があるのだろうと、僕は思っただろうか。

二十歳を過ぎた頃から、僕は日常的に酒を飲み始める訳だが、その頃にはビールとウィスキー以外にもアルコール飲料があることを知識としては知っていた。そのすべてが一度に目の前に現れたような気にさせてくれたのが、僕にとってのお酒のディスカウント・ストアであった。僕は小さな宇宙を見た気がしたのだろう。僕は興奮した。

そこには混沌と秩序が存在した。未開拓な荒野の突然の出現に僕は混乱し眩暈がした。しかし、落ち着いてその地平を見渡せば、そこに秩序のあることを感じた。普遍性と言っても良いのかもしれない。酒瓶はある種のルールに適って並んでいたのである。今から思えば、お酒のディスカウント・ストアに僕は「森」を感じていたのだろう。

木々の間を縫うように、僕は森の散歩に夢中になった。方々を散々歩いたけれど、僕は結局「スコッチ・ウィスキーの林」がお気に入りになった。もちろん、時々は隣の林に出掛けることはあったけど、帰ってくるのは「スコッチ・ウィスキーの林」だった。

「スコッチ・ウィスキーの林」に入り浸っていると、その林は僕にとっての全体、つまりそれこそが「森」になった。「スコッチ・ウィスキーの森」はシングル・モルトとブレンデッドのふたつの林に分かれていることを知った。初めのうちは「ブレンデッドの林」をウロウロしていた。「シングル・モルトの林」は原生林のようで、人手の加わった形跡がなく、深く暗くそして怖くて不安だった。だけど、だからこそ、その純粋な在りようが僕の心を惹き付けた。

「シングル・モルトの林」に入ることを僕は躊躇した。畏怖を感じたのだと思う。気安く入れる気はしなかった。だから僕は、「シングル・モルトの林」に入ることなく、その外周を一回りしてみようと思った。その全体像を外側からでも掴みたいと思った。内側に入ることなく、その外側から「シングル・モルトの林」を歩きながら眺めた。

程なくその作業の途方のなさに僕は思い至った。歩き始めるまで、「シングル・モルトの林」の大きさに気付かなかった。歩いても歩いても、一回りして元の場所に戻って来るまで、どのくらいの時間がかかるのか想像もできなかった。今いる場所が全行程の何パーセントをクリアしているのか理解ができなかった。すべてが徒労に終わる予感に足が止まった。

一回りするよりも、「シングル・モルトの林」を横切った方が早いかもしれない。
そう思った。

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シングルトン

一筆啓上、シングルトン(14)

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シングルトン20年前の僕らは、酩酊することを主な目的として酒を飲んでいたのではないだろうか?もちろん現在でも酩酊することは、飲酒の目的のひとつであることに変わりはないが、20年前に比べたらその大きさは相対的に下がった。少なくとも、「主な目的」ではなくなりつつある。「酔っ払うことができれば良い」という態度だけで、僕らは酒を飲まなくなったようだ。

「酩酊」することだけが目的なら安い酒から売れるはずである。20年前ですら、サントリー・オールドより安いウィスキーはあった。そんな時代に何故サントリー・オールドは売れたのだろう。それはサントリー・オールドにある程度の「カッコ良さ」があったからではないだろうか。サントリーという会社は非常に宣伝が上手い。

「本物」が高くて手に入らない時代、「本物志向」を持つサントリー・オールドは、団塊の世代のオジサンたちに「憧れのライフ・スタイル」を実現させた気分をもたらせた。

僕ら日本人は全般的に味覚に優れたものを持っていると思う。おいしいものをおいしいと判断できるくらいには優秀であると思う。だから、おいしいものには敏感で貪欲だ。そして、おいしいものは概ね売れ易い。「本物」ほどではないかもしれないが、「本物志向」のサントリー・オールドは、だから売れたのだと思う。

「酩酊」、「カッコ良さ」、「美味さ」と来たら、次は「知ること」の快楽である。

1980年を迎えるまで、僕らにスコッチとバーボンとブランデーの明確な区分はなかった。茶色い蒸留酒はぼんやりと「ウィスキーみたいなもの」として認識されていたのではないだろうか。スコッチとバーボンはひと括りにウィスキーというカテゴリーに分類することが可能で、ブランデーとは原材料が違うということを理解していた人はどの程度いただろう。

さらに言わせていただくなら、「ウィスキーみたいなもの」の中には、スコッチとバーボンとブランデーとサントリー・オールドがある。そう思っている人も少なくはなかったはずだ。その4つの違いは非常に曖昧で、だけど、有名な分だけサントリー・オールドだけは良く知っている。そんな様子であったと思う。

お酒のディスカウント・ストアは僕にとってのワンダーランドだった。そこは広大な未開拓の荒野が無限に広がっているように思えた。僕はその荒野を探索することを企図し、まずはその地平を遠くまで見渡した。ビールがあり、ワインがあり、スコッチがあり、バーボンがあり、ブランデーがあり、ジンがあり、ラムがあることを知った。ビールとワインが醸造酒であり、スコッチとバーボンとブランデーとジンとラムが蒸留酒であることを知った。ビールとワインは原材料が違うこと。スコッチとバーボンは同じウィスキーにカテゴライズされるが、作っている場所が違うこと。ウィスキーとブランデーとジンとラムは同じ蒸留酒にカテゴライズされるが、その原材料が違うこと。それらのことを、僕はゆっくりと知るようになる。

知ることは快楽であり、僕は様々な知った酒をいろいろ飲むようになる。結果としてウィスキーに辿り着き、中でもスコッチが良いのではないだろうかと僕は思うようになった。普段飲みに安い国産のウィスキーを選び、ちょっとした贅沢にバーボンを手に取ることが多かったが、やがてそれはスコッチに代わった。

ちょっとした贅沢は給料日を迎えるたびにやって来て、僕はそのサイクルを長い間繰り返した。それを何順も繰り返し、そのサイクルが永遠に続くのではないかと思われた頃、世界は少しづつ変わり始めた。

僕がここで指す「世界」とはお酒のディスカウント・ストアの中の世界。つまり、僕が先ほど広大な未開拓な荒野と申し上げた世界だ。

世界にシングル・モルトが登場し始めたのだ。今から思えば、それがシングル・モルトであることは自明であるのだが、その時の僕はそれがシングル・モルトであるとは気付かない。何しろラベルにはスコッチ・ウィスキーと書いてあったから。そしてそこに「ピュア・モルト」と書いてあることが気になったのは確かだが、その意味を僕は理解できなかった。

今から思えば、僕が最初に手に取って見たシングル・モルトは、グレンフィディックではなかっただろうか。グレンフィディックを知る人が少なからず、まだそれを「グレンフィディッチ」と発音していた時代である。それ以降、僕は様々なところで、グレンモーレンジやグレンリベットやマッカランなどを目にするようになる。気になる存在で、どうやらそれらはスコッチの中のひとつのカテゴリーのようであるとのことに気付いたが、シングル・モルトの意味を理解してはいなかった。何しろ、それらは非常に高価だった。

「ピュア」とか「シングル」なんて言葉にほんの少し惹かれた。何だか純粋でただひとつだけの特別なもののように思えた。だけどやはりそれらは高価で、そのボトルを手に持ってレジへと向かうには大きな決断が必要でだった。そして残念ながら、僕はその決断を下せない。

決断を下せないまま、それらは僕の中で少しづつ憧れに変化して行く。それらこそが「本物」なのかもしれないと思った。樋口可南子のカレンダー欲しさにブレンデッド・ウィスキーを買った自分をほんの少し恥じた。今飲んでいるウィスキーがおいしくないかもしれないとも思った。

僕は少し不安になった。高い金を払いその「本物」を手に入れて、もしもその味わいの違いが分からなかったらどうしようかと。その頃の僕は「バーボンよりはスコッチの方が好きですね」、なんてほざいていたのである。自らの台詞を僕は呪った。果たして自分は「違いの分かる男」なのだろうか?

1986年、シングルトンが出始めた頃。世の中の理解は深まりつつあった。茶色い蒸留酒は少なくとも、「スコッチとバーボンとブランデーの3種類くらいには分かれているらしい」との認識を持たれ始めていた。シングルトンが世に出たことをきっかけにスコッチ・ウィスキーは一気に分裂を始めた。

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一筆啓上、シングルトン(14)

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シングルトン選択肢が増やされたことと引き換えに、僕らは分かり難さを引き受けねばならなくなってしまったようだ。多品種・小ロットという業界の大きなうねりは、波乗りの得意な人に愉しみを提供することはできたが、波打ち際で遊びたいだけの人には迷惑な話になってしまったのかもしれない。

現在、シングル・モルトはそんな状況にあると僕は思っている。水遊びをすることにはある種のリスクが付きまとう。それは何もシングル・モルトに限ったことではない。だから、それは大人にしか許されないことになっている。法というものはどこかで線を引かざるを得ない。だから、日本ではその年齢は二十歳以上ということになっている。

波乗りであれ、波打ち際の水遊びであれ、突然の津波にさらわれれば命を失うこともある。その高低は別にして、水際で遊ぶことはリスクを伴うのである。確かに、浜辺で日光浴をしようと思っただけなのに高波にさらわれてしまうのは不幸であるが、雨の日に日光浴は成り立たない。家を出る前に天気予報くらいは確認した方が良いだろう。

作為があれば、報いを受ける。
それは人の世の常である。罰という形で報いを受けるのは僕も嫌だが、どんな形であれ達成感をもって報われたい。「報いを受ける」は褒美でありたい。それが大人というものではないだろうか。選択の後に決定をして結果が出れば、大人はそれに責任を持たねばならない。天気予報を確認することくらいである程度リスクが回避できるなら、天気予報は見た方が良いのだ。雨の日の浜辺でただひとり、パラソルを抱え佇んでいても切ないではないか。

波打ち際の水遊びであれ、ある程度のリスクは伴うのだ。もちろん、水遊びは火遊びほど危なくはない。自己決定の後、自己責任は引き受けねばならぬ。


それでは何故、僕らはこのような「分かり難さ」を引き受けねばならなくなってしまったのだろう。

キーワードは「シングル」ではないかと思っている。
シングル・モルト、シングル・カスク、そしてシングルトン。

例えば20年前、アイラ・モルトの何たるかを知っていた人はどのくらいいただろう?詳しく説明できた人がいたとしても、それらはまだ「アイレイ・モルト」と言われていた時代である。

不謹慎な暴論であるとの謗りを免れないが、言わせていただこう。20年前の僕らは、酩酊することを主な目的として酒を飲んでいたのではないだろうか?もちろん現在でも酩酊することは、飲酒の目的のひとつであることに変わりはないが、20年前に比べたらその大きさは相対的に下がった。

人は快楽を求めて酒を飲む。「酩酊」も快楽であるし、「カッコ良さ」も快楽であるし、「美味さ」も快楽であるし、そして、「知ること」も快楽なのだ。

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一筆啓上、シングルトン(13)

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シングルトン正解は選ぶものではない。自ら作るものである。
巷にはシングル・カスクのウィスキーが増えた。僕がウィスキーを飲み始めた20年ほど前、現在のこのような状況を僕は到底想像しようもなかった。多品種・小ロットの流れは大きなうねりとなってウィスキー業界を揺らしている。少なければ100本程度しか瓶詰されないウィスキーが巷には溢れている。そして、そのすべてが日本に入ってくる訳ではないのだ。

「昔は良かった」、なんて台詞を僕はできれば使いたくない。だけど、かつてグレンリベットと言えば何を指すか、グレンフィディックと言えば何を指すか、マッカランと言えば何を指すか、そのことはとても明確であった。それらはすべて「オフィシャルもの」を指したのだ。「昔は良かった」と言いたくない僕も、「昔は分かり易かった」ということだけは認めざるを得ない。

マッカランといえばその12年ものを指し、「マッカランの18年って知ってる?」、あるいは「10年の100プルーフって分かります?」、くらいのことがちょっと粋な感じに聞こえたくらいだ。ことの良し悪しは別にして、今やそんな状況ではない。品揃えのあるバーに出向いて「マッカランありますか?」とバーテンダーに聞いてみれば、「オフィシャルものなら12年と18年、ボトラーズものならこちらとこちらになります」、なんて次第だ。

さて、選択肢が増えたことは僕らを幸せにしたのだろうか?

あえて言わせていただこう。
選択肢を増やすことに僕らは直接手を下せない。僕らはいつだって世に出た商品を受け止めるしかない消費者だ。予め提示された選択肢の中から、自分が好きであると思われるものを選ばなければならない。飲んでみて「おいしい」と思えば正解だし、「まずい」と思えばハズレである。

だから、正解は選ぶものではない。自ら作るものである。

片っ端から飲んでいけばそのうち正解をつかむことができるのだろうが、あなたの肝臓と財布にもキャパシティがあるはずだ。限界を超えてチャレンジをすることは誰にもできない。生まれて初めて、最初の1杯でハズレを引いてしまった結果、それ以来シングル・モルトが嫌いになってしまったなんて話を聞くたびに切なくなるのも僕だ。

選択肢が増やされたことと引き換えに、僕らは分かり難さを引き受けねばならなくなってしまったようだ。多品種・小ロットという業界の大きなうねりは、波乗りの得意な人に愉しみを提供することはできたが、波打ち際で遊びたいだけの人には迷惑な話になってしまったのかもしれない。

確かに、例えば20年前に比べれば、業界は非常に活況を呈している。ウィスキー好きの僕からすればとてもありがたいことだ。仕方なしにウィスキーを飲むことは少なくなった。どんな店に行ってもウィスキーを飲みたい僕にいくつかの選択肢は用意されているし、ウィスキーが飲める店についても選択肢がある。だけど、その豊富に用意された選択肢こそが、それを良く知らない人にとっては過剰であり、不親切で不案内に思われることが多い。

もしもあなたが、波打ち際で遊ぶだけではなく、ちょっとは上手に波乗りがしてみたいと思ったなら、僕には何かができるのではないかと思って始めたのが、「ジェイズ・バー・スタンダード18」であるのだが、話はそちらに進めない。ただ、ひとつだけ言わせてもらうが、シングル・モルトを選ぶことを「くじ引き」を引くことと同様に捉えていたら、なかなか「アタリ」を引くことはできない。たまたま引くことのできた「アタリ」だけを飲み続けていても、上手に波乗りをしているとは言えない。

さて、来週もこの連載の続きを書こうと思っている。存外に好評で、少々気を良くしている侍である。ただし、ボチボチ例のアレが始まる。なので、明日は土曜でモルト侍はお休みであるのだが、例のアレについてお知らせを記事にしなければならない。つまり、明日はこのブログを更新しようと思う。是非とも皆様には明日も見に来ていただきたい。ジェイズ・バーでは定員10名の例のアレ、である。

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一筆啓上、シングルトン(12)

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シングルトン少ないながら増やされた選択肢のすべてを以って「全体」と思わされ、そのうちのどれかを選べる状態にあることを「豊か」だと僕らは思っていないだろうか?例えるならば、それは回転寿司で喰う寿司に似ている。

もちろん僕は回転寿司を否定しない。あのお手軽さは日本のファースト・フードの原点と言っても良いであろう寿司の現代版である。価格設定も含めたあの気安さは誠にありがたい。頻繁にと言うほどではないが、日常的なレベルで僕も使うことは多い。とは言えしかし、あのベルト・コンベアに並んで回転する寿司ネタだけが寿司のすべてであるなら、僕にとって寿司を喰らう愉しみは半減してしまうだろう。

回転寿司が寿司屋の敷居を低くしてくれたことは確かだ。生まれて初めて入った寿司屋が回転寿司で、そこで寿司の魅力に気付いたら「廻らない寿司屋」に行ってみると良い。確かにカウンターの向こうの職人さんに声を掛けるのは気後れするかもしれない。今までは黙って回転する寿司の載った皿を手に取っていただけだろうから。

思うに、80年代から大きく広がったお酒のディスカウント・ストアは、僕にとっての「回転寿司」であった。僕はそこで洋酒の愉しみに気付かされた。そして、それ以上の専門家のいる、ワンランク上の品揃えのある店に出向くようになっていく。僕の場合、スーパー・ニッカから始まり、バーボンにちょっと寄り道をして、スコッチ・ウィスキーを好むようになり、やがてシングル・モルトに辿り着くようになった。

回転寿司は寿司を好んで食べる人の裾野を広げた。回転寿司が初めて登場するのは1958年。シャリとネタを組み合わせ、ひと口サイズに握って提供する寿司という食べ物は、どんな人にとっても魅力的であっただろう。しかし、いわゆる「江戸前の握り寿司」は、それまで富裕層の好んで食べる高級食でもあったのだ。回転寿司はそれを一気に庶民のレベルまで下げた。

手軽になれば誰でも喰いたくなるのが寿司である。それほどまでに僕らは寿司が好きなのだろう。TVのグルメ番組で寿司が題材になるものは事欠かない。1日でも寿司の話題を取り上げない日があるだろうか。30年前、当時も料理番組はあったが、グルメ番組なるものは如何ほどあったのだろうか。TVで寿司が話題にならない日など、当たり前のことだったと思う。

かつてはさほど気にならなかった寿司の話を、今は多くの人が気にするようになった。これは回転寿司の功績ではないだろうか?一生縁などないかもしれない超高級寿司店の話題に、日本人は飛び付くようにすらなってしまったのだ。回転寿司のおかげで寿司全般は富裕層だけに許される愉しみではなくなった。多くの人がその愉しみを知るようになったのだ。

ウィスキー全般も同様である。ディスカウント・ストアのおかげで洋酒全般は富裕層だけに許される愉しみではなくなった。飲酒文化は確実に、層が厚く幅の広いものになったのだ。

寿司もウィスキーも、そして実はアダルト・ビデオも同様である。
もっと上へ、あるいはその先へと人の関心が向いて行けば、広がりを持った分だけ、そのカテゴリーは細分化されて行くのである。そして、先へと進むことでより高次の価値を産み出してしまうのである。

僕らがまだ若く「アンチ・オジサン」を気取りバーボンを飲み始めた頃、アダルト・ビデオは「小林ひとみ」だけでこと足りたのだ。その先へ、もっと上へと進んだ結果、皆様は今の状況をどのように思われるだろう。選択肢が増えたことは、僕らを幸せにしているのだろうか?

サントリー・オールドは「小林ひとみ」である。

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お願いである。


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一筆啓上、シングルトン(11)

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シングルトン日本国内でその版図を大きく広げ、その勢力が最大となった1980年、サントリー・オールドは何と1,240万ケースを出荷している。一昨年(2005年)サントリー・オールドの販売数は51万ケースにまで落ち込み下げ止まった。

当時、国内のウィスキー業界の覇権を握ったサントリー・オールド。その覇権により、業界はある意味長く安定した発展を遂げていたと言えるのかもしれない。「本物」のスコッチ・ウィスキーがまだ憧れの時代、サントリー・オールドは「本物志向」を体現していた。「本物」を目指し、それに手が届かない人にサントリー・オールドは愛された。


「本物」を知る人からはその「本物志向」こそを揶揄されることの多かったサントリー・オールドである。存在意義が「本物志向」にあるならば、そのもの自体が「本物ではない」と訴えているようなものである。しかし、僕の本心を素直にお伝えしよう。サントリー・オールドはウィスキー飲酒習慣の裾野を大きく広げた。その前提なくして、今の僕の仕事は成り立たない。

何事も功罪合わせ持つのが人の世の常だろう。サントリー・オールドの功績に素直に感謝したいというのが僕の本心である。

長く続いたサントリー・オールドの覇権もやがて終わりを告げる。その頂点を極めた後、サントリー・オールドは急速にその求心力を失っていく。国内市場一人勝ちのサントリー・オールドの牙城は切り崩されて行く。1980年代、時代は中曽根内閣。官邸主導の下、僕らは外国製品を買うことを薦められた。

お酒のディスカウント・ストアに並んだ輸入酒は、サントリー・オールド包囲網を完成しつつあった。輸入酒の価格は下がり、僕らの手にも入り易くなったのだ。打倒サントリー・オールドを目指す輸入酒は三方に分かれグループを形成した。バーボン、スコッチ、ブランデー、それぞれ茶色い蒸留酒である。

彼らは日本のマーケットに一気に攻め入って台頭して行く。当初、その中でもバーボン勢が大きく勢力を伸張させた。それまでの日本の商習慣に囚われることのない若者の支持を得た。当時、ひとり暮らしの僕は近所の酒屋さんに酒の配達を頼んだことがない。アメリカにはまだカッコ良さがあった。「アンチ・オジサン」を掲げるのにバーボンは都合が良かった。

オジサンたちは少し気後れしたのかもしれない。愛し続けたサントリー・オールドとそう簡単に別れることはできなかった。しかし、憧れの本物のスコッチは次々とその数を増やした。バランタイン、シーヴァス・リーガル、ジョニー・ウォーカー(ジョニ黒)、オールド・パー。かつての憧れは目の前にある。しかも安い値段で。

ブランデーに流れたオジサンたちの方便を聞いて欲しい。「わたしはサントリー・オールドが嫌いになった訳ではない。ウィスキーではなく、ブランデーを求めるようになったのだ」。

80年代中頃から、多くの人の目の前に数多くの選択肢が提示され、その価格も下がった。それまでの当たり前はゆっくりと意味を失った。僕らはもうサントリー・オールドである必要がなくなったのだ。何者かの手によって選択肢が増やされたことを、僕らは「豊かさの象徴」だと思った。そして僕らは「今までと違う何か」に「自分らしさ」を求めた。

その「自分らしさ」は他人の用意した選択肢であることなど忘れて。

水割りが大人気、サントリー・オールド。人気ブログランキング



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一筆啓上、シングルトン(10)

シングルトンさて、相変わらず全体の構成など考えることなく、思い付くまま書き散らかすのが連載の常であるこの侍であるが、少々整理をしておこう。

侍はシングルトンについて書きたい。
既に皆様の方がお忘れになっていないかと心配な侍である。こちらのことはご心配なく。

蒸留所名を商品名として市場に流通させることの多いシングル・モルトであるが、オスロスク蒸留所のシングル・モルトを「ザ・シングルトン」として販売した事実があることを皆様はどう思われるだろう。蒸留所名と商品名が違うシングル・モルトは、確かに以前から珍しいことではあるが、ない訳ではなかった。今よりは昔の方がそんな商品は多かったと思う。だから、オスロスク蒸留所のシングル・モルトを「ザ・シングルトン」として販売したことは、非常に特別なことというほどのことでもない。

ただ、シングルトンは蒸留所名と商品名が違うシングル・モルトとしては、非常にロングセラーであったと思う。うたかたのように消えてなくなる商品が多い中、シングルトンは随分と長い間売れ続けた。それほどに日本でそこそこの人気商品となった。ピーク時の出荷数については詳しい資料がないが、「ちょっとしたブーム」になったといって良いほどに売れたシングル・モルトではないだろうか。

では何故、シングルトンはそれほどの人気を博したのだろうか?
結論から先にお伝えをして、話を進めたいと思う。

僕らが始めて「シングル・モルト」というものを意識してウィスキーを飲んだのは、シングルトンが初めてではなかっただろうか?僕は実はそう思っている。

一昨日、
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サントリー・オールドを卒業することで「脱・サントリー」を成し遂げた団塊の世代。バーボンを選ぶことでアンチ・オジサンを掲げ、「反・サントリー」を貫いた若者。「サントリー・オールド包囲網」の完成である。大きなきっかけとなったのは、手に入り易くなった輸入酒の存在である。
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僕はそうその日の記事を締め括らせていただいた。

日米貿易摩擦と円高と関税の引き下げと中曽根内閣の政策を背景に、お酒のディスカウント・ストアが生まれた(もちろん生まれたのはそれだけではないが)。週休二日が定着し、僕らは余暇を楽しむことを奨励されされた訳だ。つまり、稼いだ金で遊びなさいと。

当時若者であった僕からすれば「オジサン」世代は「団塊の世代」にあたる。オジサンたちは良く働いたのだと思う。そして、とても慎ましかったのだと思う。スコッチが遠い憧れの「本物」の時代に、彼らは「本物志向」のサントリー・オールドを愛した。オジサンでサラリーマンな彼らは、サントリー・オールドに支えられて働いたのだ。

時代は変わる。モノを造り、外に向けてたくさん売ったオジサンたちのおかげで、日本は外貨を蓄えた。良く働き、良く稼ぎ、日本にお金が集まったが、それは外国のドルというお金だ。ウォーク・マンもVTRもクルマも、アメリカの人は日本製品を良く買ってくれた。一番のお得意さんだ。だけど、アメリカの人がたくさんモノを買ってくれると、アメリカで仕事を失う人がいる。製造業に従事することで生計を立てているアメリカ人に、メイド・イン・ジャパンは脅威になった。日本製品はだから嫌われもした。

日本は戦争をしてアメリカに負けた。戦後、貿易収支でアメリカに勝ったけど、アメリカはやっぱり日本人が嫌いならしい。アメリカの人が日本のモノを買うから、アメリカの赤字が増えるのだけれど。頑張って働いた結果が日米貿易摩擦である。それは日米間の大きな問題となっていた。オジサンたちはそれをどう思っていたのだろう。ちょっぴり切なくて、そして、明日も働こうと思って、サントリー・オールドを飲んでいたのだと思う。オジサンたちのお父さんは戦争に行って帰ってきた人たちでもある。

だから、オジサンはバーボンを飲まない。心の底にある「アンチ・アメリカ」を、誰にも見せないけれど隠して持っている。アメリカのジャズを聴き、アメリカの映画を楽しんだ世代でもあるけれど、ひとつだけ譲れない「アンチ・アメリカ」の発露として、オジサンはバーボンを飲まない。太平洋の向こう側のアメリカよりは、ユーラシア大陸の反対の端っこの島国である英国に思いを馳せたのではないだろうか。心の日英同盟である。

僕がオジサンたちを見る視点はそこにある。勝つこと、そして負けること。そのそれぞれが、オジサンたちには良く分からないのではないかと、僕はそんなことを思うことが多かった。負けには苦しむが、勝っても戸惑う。かと言って負ける訳にもいかない。オジサンたちは途方に暮れていたように思う。そしてオジサンたちはサントリー・オールドを飲みくだを巻く。

僕らはオジサンたちとは違った。全共闘運動にまみれることもなく、だから結果として「若者の挫折」を共同意識として持っていない世代だ。いじめや校内暴力はその嵐が吹き荒れる前の世代だし、オウム真理教をはじめとする宗教が心の隙間に入り込むこともほとんどなかった世代だ。だからその後の世代とも違う。

はざ間にあって比較的安穏とした世の中だったのだと思う。オジサン達がまだほんの少し若くてちょっと元気が良い時には、「お前らはノンポリか?」なんて言われたけど、その当時でさえ「ノンポリ」は死語だった。年によって多少の良し悪しはあったけど、就職に苦しむ人は多くなかった。とりあえず、「定年まで勤められる会社」を選ぶことは普通だったし、それは概ね望むとおりになった。今の時代、その幻想は壊れてしまったけれど、「終身雇用」は前提であった。

不満というほどのものはない。だけど、闘うべき相手、乗り越えるべき困難、目の前に現れた不安、そんなものが世代の共通の対象としてなかった。だから僕らは過剰なまでに「アンチ・オジサン」だったのかもしれない。

お酒のディスカウント・ストアは輸入酒を買い易くした。オジサンたちはサントリー・オールドの隣に並んだスコッチを、僕らの世代はその隣のバーボンを気軽に手に取った。サントリー・オールドは追い詰められたのだ。

僕は「すべての人にとって正しいこと」を語ろうとは思わない。身も蓋もない正解は、正しいだけで意味がない。「すべての人にとって正しいこと」を語ることは何も説明しないことと一緒だ。僕は僕が思ったことしか語れない。

サントリー・オールドはその後ゆっくりとその版図を縮小させる。サントリー・オールド包囲網は完成しつつあった。スコッチ・ウィスキー勢はスコッチが「シングル・モルトとブレンデッド」に分けられることを前面に押し出し、その包囲網を広げようとしたのではないだろうか。

1986年、シングルトンはその尖兵となり日本に上陸する。

本日は二日分の記事。
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一筆啓上、シングルトン(9)

シングルトンシングルトンが世に出る1986年、世の中の多くの人はシングル・モルトの何たるかを知らなかった。茶色の蒸留酒は「ウィスキーかブランデーかバーボンのどれか」と認識されることが多かったし、ウィスキーとブランデーは原材料が違うことも、バーボンがウィスキーというカテゴリーに含まれるということも、広く認知されているとは言えない時代だ。

シングル・モルトというのは「単一の蒸留所で作られたモルト・ウィスキーを瓶詰したもの」という説明は、現在ならまだより多くの方に理解をしていただくことができると思うが、蒸留所が何を指し、その数が一体どのくらい存在するのかが分からず、モルトとグレーンの違いについて知らない当時の僕らにはほとんど意味を持たなかったと思う。

1980年に1,240万ケースを売り捌いたサントリー・オールドである。その頃、ウィスキーといえばそれを指すのが当たり前であると思われるのも道理であろう。ブランデーを含めた茶色い蒸留酒の中で、そのほとんどがサントリー・オールドであった時代に、サントリー・オールドか否か?という問題は重要であったのだ。

「1億総中流」と言われた70〜80年代、自らのその中流意識を誇り高く自負する人たちは、安全と安定のためにそのセイフティ・ゾーンに留まることを望み、日本標準であるサントリー・オールドを選んだのではないだろうか。「舶来品」に「憧れ」という価値のある頃、上流階級は「本物」としてスコッチ・ウィスキーを飲み、中流階級の愛したサントリー・オールドには「本物志向」があったのだ。

80年代中頃になるとアッパー・ミドル・クラスの人たちから順に、かつての「憧れ」に手を伸ばすようになる。バランタイン、シーヴァス・リーガル、ジョニー・ウォーカー(ジョニ黒)、オールド・パー。中曽根内閣以降、円高と関税の関係で輸入品が手に入りやすくなったことは先般申し上げた通り。サントリー・オールドのお世話にならずにすむようになったことは、成功の証だったかもしれない。もちろん、スコッチ・ウィスキーを飲んだからといって、「文化的な生活」が手に入ったかどうかは定かではない。

「憧れの舶来品」を欲しがったのは、当時の僕らからすれば「オジサン」達であった。二十歳の僕にとってはまさに団塊の世代がそれにあたる。サントリー・オールドのCMで「恋は、遠い日の花火ではない」とひとり語る長塚京三部長の世代でもある。43歳になった今の僕からすれば、その気持ちは痛いほど良く分かる。ちなみに僕と長塚京三さんはほぼ20歳の年齢差だ。

団塊の世代の人たちは「本物志向」のサントリー・オールドをきちんと通り過ぎて、「本物」であるスコッチ・ウィスキーに辿り着く。サントリー・オールドから卒業をしてしまったのだ。一方、当時の若者であった僕らはどうだったのだろう。僕は「反骨のシンボル」としてスーパー・ニッカを選んだが、多くの若者は(もちろん当初の僕も含め)「アンチ・オジサン」としてバーボン・ウィスキーを選んだのではないだろうか。

サントリー・オールドを卒業することで「脱・サントリー」を成し遂げた団塊の世代。バーボンを選ぶことでアンチ・オジサンを掲げ、「反・サントリー」を貫いた若者。「サントリー・オールド包囲網」の完成である。大きなきっかけとなったのは、手に入り易くなった輸入酒の存在である。

シングルトンまでもう少し。
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一筆啓上、シングルトン(8)

シングルトン80年代の中頃、僕は終身雇用が前提の会社でサラリーマンをやっていた。先輩がいて、その先輩には上司がいた。先輩と良く飲みに行き、上司には時々お誘いを受けた。飲み屋に行けば、周りにも似たような人たちがいて、そんな場所にはサントリー・オールドがあった。シングルトンが世に出る頃、日本はそんな風景だった。

円が安く関税が高い時代に、「舶来品」という言葉はその実態と共に力を持っていたが、僕らの80年代には少しづつ力を失い始め、その名ばかりがくすんだ輝きを微かに発するだけになっていた。お酒のディスカウント・ストアが誰にとってもごく当たり前のものになると、海外旅行の洋酒のお土産は単なる重たい手荷物になり下がり、「舶来品」にありがたいものというニュアンスはなくなりつつあった。

ソニーのビデオ「ベータマックス」は1976年から発売され、ウォークマンが世に出るのは79年。コンパクト・ディスクは82年に開発され、80年代中頃にそれらはどんな人にも当たり前のもになっていた。トヨタのマーク兇脇本の標準的なファミリー・カーだったと思うし、それ以下のクラスの車は少し恥ずかしいと思われもした時代だ。外国製品よりメイド・イン・ジャパンは優秀だった。

良く働き、少し余裕ができて、週に二日の休みを与えられ、僕らは遊んでカネを使うことを奨励された。ロナルド・レーガンは「牛肉とオレンジ」を、マーガレット・サッチャーは「スコッチ・ウィスキー」を、それぞれ日本人が買うことを望んだ。そして、中曽根首相は「輸入品を買って、文化的な生活を送ろう」と訴えた。

牛丼の吉野家が事実上倒産した後に復活するのも、栄華を誇ったサントリー・オールドが「盛者必衰の理」を表してしまうのもこの頃である。輸入ウィスキーと酎ハイブームはサントリー・オールドを少しづつ飲み屋の風景から駆逐してしまった。その事態を誰かの陰謀と見るより、平均への回帰と考えたい。

忍耐を美徳とする価値観から、人々はほんの少し解き放たれたのではないだろうか。さすがに我慢を悪癖と言い切る人もいなかったと思うが、消費は快楽という価値観はその頃から急速に根付いたと思う。とは言え、ジュリアナ東京で女の子達が扇子を振って踊る時代にはまだ早い。

大量生産、大量消費、大量廃棄を前提としているくせに、価値の細分化の進んだ時代でもあったと思う。平凡を嫌い、「ちょっと違う何か」に人々が「自分らしさ」を求めた時代だったのではないだろうか。僕はそれを探しにお酒のディスカウント・ストアに通った。サントリー・オールドよりスーパー・ニッカを好んだ僕は、ジャパニーズ・ウィスキーよりスコッチ・ウィスキーを愛し始めていた。

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一筆啓上、シングルトン(7)

1980年、そのピーク時に1,240万ケースという空前の販売数を誇ったサントリー・オールド。バブル崩壊後の90年代を「失われた10年」と呼ぶように、サントリー・オールドにとってもそれは失われた10年であった。2005年の販売数は51万ケース。頂点を極めた時代から、およそ24分の1にまでその販売数を縮小させた。

長塚京三の出演するサントリー・オールドのCM。「恋は、遠い火の花火ではない」。覚えている方もいるだろうか?今から思えば、遠い火の花火はサントリー・オールドそのものだったのかもしれない。内に秘めた思いはあったのかもしれないが、80年代をピークに高々と打ち上げられたサントリー・オールドの花火は終わってしまった。

サントリー・オールドを愛したのは僕よりも上の世代の人たち。言うなれば団塊の世代の人たちがその中心となっていた。僕らの世代はそれを見倣って酒を飲むことを憶えたのだから、その時代のウィスキーの中心にいて、版図を大きく広げていたのがサントリー・オールドであることは良く知っている。

理由なき反抗はどんな時代も若者にある程度許容される特権かもしれない。だから僕は「アンチ・サントリー・オールド」を標榜したのかもしれない。僕がアンチ・サントリー・オールドを掲げ、反骨のシンボルとしてスーパー・ニッカを好んだのにはそんな理由があったのだろう。だけど、支持であろうが、不支持であろうが、サントリー・オールドに囚われていることに変わりはない。結局はサントリー・オールドを中心にモノを考えていたのだ。陳腐ではあるがそれが若者というもの。

しかし、今や「アンチ・巨人」が意味をなさないのと同様である。口惜しいほどに常に勝つ。だから、読売巨人軍をあえて支持しないことにかつて意味があった。失われた10年を過ぎてサントリー・オールドも同じ命運を辿ったようだ。

上司が部下を連れて飲みに歩き、部下が先輩となる頃、先輩になった部下は後輩を連れて飲みに行く。僕らが一番の下っ端で部下の後輩だった頃、まさに80年代中頃、世の中の繁盛店というものはそうやってお客さんを増やしたものだ。そして、僕らはそんな場所で世の中のことを知って行ったのだと思う。彼らは僕に世の中の仕組みについて語ってくれた。

後輩の僕には、部下だけど先輩がいて、その先輩には上司がいる。80年代の中頃、僕はそんな状況の中を生きていた。僕の目から世の中を眺めても、良く分からないことだらけ。間尺に合わないこと、道理に適わぬこと、不条理なことはたくさんあって、先輩と上司はそれらのことを丁寧に説明してくれた。説明をされて、その意味を理解することは十分に可能であったが、そのどれもは僕にとってとても不都合なことに思えた。

社会のシステム全体に思いの至らぬまま、僕は自分の不都合と不自由と窮屈さだけが気になり、理解はできても納得の行かないものを随分溜め込んでしまったんだろう。彼らは「身を削って会社に合わせることの幸せ」について語ってくれたが、「僕には夢がある」なんて僕は叫んでいたのだと思う。お恥ずかしい話だが、その時の僕の夢の中身など、今から思えば無いのと一緒だ。

話はどんどんズレて行きそうなので、この辺で自分に釘を刺しておこう。
そんな場所でいつも中心にいたのが、サントリー・オールドである。

僕がバーテンダーになる前。終身雇用が前提の会社でサラリーマンをやっていた80年代中頃。僕の目に世の中はそんな風に見えた。シングルトンが世に出る少し前の話。
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シングルトン

一筆啓上、シングルトン(6)

アードベック・インプレッシブ・カスク1980年、サントリー・オールドの販売数をご存知だろうか。何と1,240万ケースである。1ケース=12本で換算すると日本の総人口を軽く超える。同社のピュア・モルト・山崎が発売になるのが1984年。サントリー・オールドの販売数は1980年に頂点を迎えるのだが、そのわずか4年後に山崎を発売させるサントリーの先見性に僕は驚きを隠せない。

80年代にその頂点を極めたサントリー・オールドであったが、2005年の出荷数は51万ケースにまで落ち込む。ご存知の通り、山崎と言えば今や同社のウィスキーのフラッグ・シップと言っても過言でない商品だろう。サントリー・オールドが絶好調の時期から、同社は山崎を売れるウィスキーに育てて来たのである。サントリー・オールドの落日を彼らは正確に予測していたのだろうか。

僕が酒を飲み始めるのもこの時代である。ピュア・モルト・山崎が世に出た頃、僕はちょうど二十歳になる訳だが、当時そんなニュースに興味はなかった。僕はシングル・モルトの何たるかを詳しく知らなかったし、しかし、その頃の世の中でそれは特に不自由なことではなかった。シングル・モルトとブレンデッドの区分はほとんど意味を持たなかったし、それらはひと括りにスコッチと言われていた。むしろ、ウィスキー=スコッチという認識さえあったと思う。以前も書いたが、日本のウィスキー作りはスコットランドに学んだのだ。戦前からのお付き合いである。

「バーボンとウィスキーってどう違うの?」、という程度の認識が当時としては一般的であったと思う。バーボンもスコッチも(そしてもちろんサントリー・オールドも)同様にウィスキーであるとの理解は、ほとんどなかったのではないだろうか。恐らくそれは当時急激にブームとなったバーボンが、ある種特別なもののように思えたからだろう。どこか「本物」のように見えたスコッチの前に、突然現れ空前のブームとなったバーボン。

ウィスキーと言ったらスコッチを指し、サントリー・オールドはジャパニーズ・ウィスキーの代名詞。そんなところに割って入ったバーボンである。噴飯ものと笑わずに聞いて欲しいが、その頃は「カフェ・バー」なんて業態が大流行であったのである。「カフェ・バーでバーボンのロック」は男の子達の最先端のライフ・スタイルであった。

お酒のディスカウント・ストアを廻るのが愉しみのひとつであった僕は、当時からスコッチとバーボンとサントリー・オールドの違いを説明できるとの自負があった。反体制気取りの僕はバーボンよりスコッチを好むようになり、サントリー・オールドよりはスーパー・ニッカを飲むようになった。小さな勢力であるが、「反骨のシンボル」として僕はそれらを掲げた。もちろん世の中には何ら影響を及ぼすことなどなかったが。

スコッチとスーパー・ニッカを愛した僕は、もちろんカフェ・バーなどには行かない。流行は追わない。反体制の名が廃る。迎合はしない。時代の流れに抗うようにバーボンでなくスコッチ、オールドでなくニッカを支持したのだ。通ったのはカフェ・バーではなく「スナック明美」である。誤解をしてはいけない。「スナック明美」はサントリー・オールドではなく、スーパー・ニッカを扱っていたのである。何もカフェ・バーの敷居の高さに気後れした訳ではない。自らのポリシーに従っただけである。ママさんは美人だったけど。だけど、だから通った訳ではない。スーパー・ニッカだからである。

スコッチ好きには年末の愉しみがあった。カティー・サーク・セクシー・ヌード・カレンダーである。若き日の侍は樋口可南子のセクシー・ヌード・カレンダーが欲しかったのだ。この時ばかりは反体制の看板を降ろした。「惚れた女」のためである。そしていそいそと出向いたのは、お酒のディスカウント・ストアではなく近所の酒屋。何故なら、ディスカウント・ストアにはセクシー・ヌード・カレンダーがなかったからである。

平行輸入品を扱うディスカウント・ストアには、正規品のおまけであるセクシー・ヌード・カレンダーは付いていなかったのである。

どうやら筆が止まらない。
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一筆啓上、シングルトン(5)

シングルトン1974年に設立され、1986年に瓶詰された商品を世に送り出したオスロスク蒸留所である。その瓶詰された商品には「ザ・シングルトン」という名が付けられた。

数えれば20年ほど前の話。その20年を「わずか」と思うか、より重たいと思うかはその人の立場にもよるのだろう。今年二十歳を迎える方にとって、20年は人生のすべてでもあるのだ。ただ、この20年の間に日本のウィスキー事情は大きく変わった。そのことは僕の中で実感としてずしりと確実な重たさを持って落ちている。20年前の日本には「シングル・モルト」という明確な区分はなかった。

「明確な区分はなかった」、というものの言い方は間違いである。不適切で言い過ぎであった。お詫びをして訂正をしておこう。正確に言うなら、「区分はあったが、それを知る人は非常に少なかった」ということだ。しかし、「シングル・モルト」という区分は未だ意味を持たなかったというのは事実だろう。サントリーは「ピュア・モルト・山崎」を発売していたが、まだ世の中でウィスキーといえば「サントリー・オールド」の時代である。

80年代中頃といえば、お酒のディスカウント・ストアが増え始めた頃でもある。それまでどこで買っても一律定価販売が常であったお酒の価格が、買う店によって違ってきたのだ。サントリー・オールドとキリン・ラガー・ビールだけ仕入れて、スーパーカブ(ホンダのバイク)さえ持っていれば商売が成り立つなどと揶揄された、街の小さな酒屋さんにとって大きな脅威となったはずである。ウィスキーの広告から「定価」という言葉はなくなり、「希望小売価格」に変わったのもこの頃だろう。

その頃の僕は休日に車に乗ってお酒のディスカウント・ストアを廻るのが愉しみのひとつであった。そこには近所の酒屋さんで買うのより安い値段でビールが売っていたし、見たこともないような輸入酒がずらりと並んでいた。さすがにサントリー・オールドよりも安い輸入酒は少なかったけど、山崎の値段で見たこともない輸入ウィスキーが2本は買えた。「舶来品」という言葉にはある種の重みがまだ存在したのだろうし、「並行輸入」という言葉を知ったのもちょうどその頃だったと思う。

お酒のディスカウント・ストアは僕にとってのワンダーランドだったのだと思う。未開拓の荒野が大きく広がっているように見えた。いつしか僕はフロンティア・スピリッツを持って荒野を開拓するようになった。当時は(空前のと言っても良いだろう)バーボン・ブームで、それに倣ってその頃は僕もバーボンを良く飲んだ。フロンティア・スピリッツにはアメリカの酒が似合うと思ったのかもしれない。

開拓者を自負する僕としては同じものばかり飲んでいられない。しかし、何しろ当時は情報が少なかった。道案内のないまま、様々な酒を買って飲んだ。だから当然、多くの失敗を重ねた。バーボンだと思って買った「サザン・カムフォート」に辟易したし、安いジンはやはりおいしくないのだということを知ったし、とはいえ、高過ぎるブランデーも僕にはあまりありがたくはないことを覚えた。

その昔、サントリーが缶入りのカンパリ・ソーダを販売していて、何でこんなものが売られているのか不思議に思ったことがあったが、ディスカウント・ストアで買ったカンパリをソーダで割った時には旨いと思った。休日の朝に良く飲んだものだ。

ディスカウント・ストアでベルモットを見つけた時の喜びは今でも忘れない。もちろんロック・スタイルだが、これで自分の家でマティーニが作れると思ったものだ。そのカクテルが、ジンとベルモットで作られているものだという知識はあったが、ベルモットの何たるかをその頃の僕はまだ知らなかった。僕がまだバーテンダーになる前の話だ。

当時、ライムという果物はまったく一般的ではなく、扱っている八百屋さんはとても少なかった。ジン・ライムというカクテルに対する救済策として、酒屋さんにはライム・シロップが置いてあった。もちろん僕はそのシロップを購入し、自分の狭いアパートでインチキ・ジン・ライムを飲む訳だが、これがひどく悪酔いした。言うなれば、家で食べるカレーライスの法則である。皿にごはんを盛って、カレーをかける。もちろんそれがカレーライスな訳だが、食べ進むとごはんが残りカレーがなくなる。席を立って鍋からカレーだけをかける。それを食べ進むと今度はごはんが先になくなる。また席を立ち今度は炊飯器からごはんだけを盛る。結果として、延々とカレーライスを食べ続けることになる。ジンとライム・シロップで同じことをしてしまうのである。

さて、本日最後にマティーニの思い出を語ろう。自分の家で初めて飲んだマティーニを実は僕はおいしいと思わなかった。現在考えられる「おいしくない理由」は枚挙にいとまがないのでここでは書かないが、それでも我慢をしてマティーニを飲んだ。どういう訳か、僕の中でマティーニは大人であることの証のようであった。この飲み物を、粋な顔をして飲めるようにならなければ大人ではないと、そう思っていたのだろう。

今から思えば、何の根拠もない。お恥ずかしい話である。マティーニのために買ったそのベルモットを1本使い切ると、僕はもうベルモットを買わなくなった。自宅用にベルモットを買ったのは、それからもう10年も後の話。僕は既にバーテンダーになっていた。バーテンダーになった後に、僕はマティーニが好きになったけれど、どういう訳か、今でもカクテル・グラスの中のオリーブが嫌いだ。

シングルトンの話などしないまま、明日も思い出を語ろうと思う。
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一筆啓上、シングルトン(4)

先週月曜から書き始めた連載の続きである。前回の記事はこちら。

シングルトン1982年から1987年まで、日本は中曽根総理大臣の時代である。行政改革の名の下、専売公社と電電公社と国鉄は、それぞれJTとNTTとJRに民営化され生まれ変わった。民間活力導入が叫ばれ、規制緩和を是とする時代でもあった。膨大に増え続ける対米貿易黒字は、アメリカに追いついて追い越した感触をもたらしたのだろうか。

頑張って結果を出した人はご褒美を欲しがる。もちろん、それはとても素敵なことだ。忍耐は美徳のひとつだと思うが、「辛抱堪らん」というのも人だ。息が詰まれば息抜きをすれば良い。結果が出たのならご褒美を手にすれば良い。すべての人が合理的に節約を始めたら経済は伸び悩む。対米貿易黒字という結果を収支における「勝ち」と思うなら、稼いだカネは使えば良い。

当時の僕らには戸惑いがあったのだろうか。それほどに僕らは謙虚だったのだろう。増え続ける対米貿易黒字は必ずしも僕らを幸せにはしないと不安にもなったのではないだろうか。ベルリンの壁が崩壊するのは1989年。世界はまだ西と東に分かれていた。僕らは西側で一番の働き者を自負していたのだろうか。

良く働き、良く稼ぎ、一番の働き者はご褒美を手にすることができたのだろうか。

世の中に週休二日制が定着し始めたのもこの頃だ。中曽根首相はボードを手にして国民に「輸入品を買いましょう」と訴えた。当時の政府の広報は「輸入品を買って、文化的な生活を送ろう」である。私見だが、僕らが自由で気ままな消費活動を心置きなく謳歌できるようになったのはこの頃からではないだろうか。

節約は現在より数段上の価値を持っていたと思うし、声高に「もったいない」を叫ぶ必要もないことであった。消費活動が経済を発展させるのは確かだろうが、節約はそれを収縮させるとでも思ったのだろうか。良く働き、良く稼いだ僕らは、ゆっくりと節約という束縛から逃れ、カネを使い始めたのではないだろうか。何より政府は国民に時間とカネを与え、さらに消費することを推奨したのだ。しかし、消費活動に税をかけようとした中曽根内閣は急激に失速する。

かと言って、一度味わった気ままな消費活動を僕らはもうやめられない。毎日残業をした僕は良く居酒屋で食事をした。つつましく「吉野家の牛丼」でも良かったのかもしれない。二十歳そこそこの僕にはそれが「身の程」というものではなかっただろうか。結局僕らはたくさんカネを使い、ゴミばかり産み出していたのかもしれない。

そんな時代、1986年にシングルトンは発売される。

ダン・イーダンのオスロスク、1杯¥700。お一人様、1日1杯まで。
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オスロスク

一筆啓上、シングルトン(3)

オスロスクシングルトンはその時代の要請した使命があったのではないだろうか。僕はそう思っている。彼はその職責を全うし引退をしたのだ。確かに、感傷的に過ぎるかもしれない。だけど、僕にはそう思えてならない。ボトルを目の前に、オスロスクのグラスを傾けながら、まだお客さんの来ないジェイズ・バーで、僕はシングルトンの運命に思いを馳せてしまう。

設立は1974年。瓶詰された商品が初めてマーケットに登場するのが1986年。さて、日本はどんな時代だったのだろうか?

1974年にオスロスク蒸留所の設立を企図した人たちは、10年後の世界がどのようになっているだろうと想像したのだろう。「10年後」というのは自分達の設立した蒸留所のウィスキーが、初めて世に出る頃のことである。

結果として瓶詰された商品が初めてマーケットに登場するのが1986年。12年後のことであるが、それは日本のバブルの始まりに符合する。良く働き、良く稼ぎ、かと言って地価が高騰したためマイホームの夢をあきらめた人たちが、ヤケクソで高級車を買い、それでも余ったカネを余暇に使い始めた時代。世の中に週休二日制が定着し始めたのもこの頃だ。

そんな時代にシングル・モルト「シングルトン」は発売された。

続きは明日。
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お詫びに本日より(ホントは昨日から)、ダン・イーダンのオスロスク、1杯¥700。
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一筆啓上、シングルトン(2)

シングルトン一昨日はシングルトンの思い出について語らせてもらった。それは昔話であり、つまり、僕が語ったシングルトンという名のオスロスク蒸留所のシングル・モルトは、今はもうマーケットから消えてしまった。街の酒屋さんに気軽に並ぶことはないだろうし、少なくとも手軽な価格で手に入れることは不可能だろう。

無礼を承知で言わせていただくなら、シングルトンは凡庸に過ぎたのかもしれない。少なくともマーケットはそのように評価を下したのだろう。人気がある時期を通り過ぎるとその価格は崩れ始め、手に入り易くなったかと思うと、市場の在庫は底をつき終売。生産終了の一報を受け、僅かに残った在庫は掻き集められ、新たに高い値札が付けられ再登場。よくある「生産終了劇」の幕切れである。

商品の人気の先行きは誰にも正確に読めない。売れ行きの好調を受けて生産を拡大した途端に人気が下がる。どんな業界にもある話だろう。蒸し暑い日にたくさん売れるモヒート。天気が悪ければ売れないこともある。僕は大量に仕入れたミントを無駄にすることになる。消費活動というのは自由で、そして、気ままだ。

もちろん、気の向くままにものが買えることは幸せである。だから、ものを売る人は「人の気分」を追いかける。むしろ、「人の気を惹(ひ)く」ことに躍起になる。躍起になった結果、ものを売る人は宣伝広告費にカネを掛ける。宣伝広告費として計上されたコストは販売価格に反映される。そう、僕らはTVを無料(タダ)で観ている訳ではないのだ。

気の向くままにものが買える快楽を手に入れるため、僕らは一定のコストを支払っていることになる。果たしてそれは自由なのだろうか?不自由なのだろうか?気の向くままにシングルトンを買っていた僕らは、気が向かなくなるとシングルトンを買わなくなり、売れなくなったシングルトンはマーケットから姿を消した。

マーケットから姿を消したシングルトンを僕らは寂しく思い、一様に嘆いてみせたりするけれど、無くなってしまったのは僕らが買わなくなったせいでもある。好調に売れ続けていたのなら、生産され販売は続いていたのだろう。僕だって売れないものは仕入れられない。シングルトンの寿命を延ばすために、僕は私財を惜しげもなく差し出すことはできない。

シングル・モルトを飲み続けていると、幾度となくそんな出来事に会うはめになる。現れて、消えてなくなるシングル・モルト。多品種小ロットの流れを受けて、すき間を埋めるように繰り出される瓶詰業者の(しかもシングル・カスクの)商品たちを思えばなおさら。シングル・カスク、つまり、ひとつの樽から100本ほど瓶詰され、売り切って終売。そんなシングル・モルトも時々ある。たった10年ほど前を振り返ってみても、考えられない話なのだ。

うたかたの様に消えてなくなるシングル・モルトは、僕らの思い出の中にしか生きられない。それで良いのだと思う。できれば忘れないでいてあげたいが、それでも忘れてしまうのだろう。だけど時々思い出したい。

オスロスク先日、目白の田中屋さんという酒屋さんで見つけた。ダン・イーダンのオスロスク。擦れて滲んだラベルが切ない。たった1本だけ棚にあったそのボトルを僕はそっと手に取った。手に取ってシングルトンに思いを寄せた。思いを寄せればたくさんの思い出がよみがえる。

シングルトンはその時代の役割を終え消えて行ったのではないだろうか。
僕にはそう思えた。

どうやら続きは長くなりそうだ。人気ブログランキング


一筆啓上、シングルトン

事情をご存知の方にはちょっと古い話題になると思う。「何を今さら」と言わずにお付き合いを願いたい。思い起こせば久々に「一筆啓上」シリーズの連載である。

シングルトンまずは簡単に説明をさせていただこう。本日のタイトルであるシングルトンについて。
昔、「ザ・シングルトン」という名前のシングル・モルトがあった。ソフトでスムース、ゆっくりと麦芽の甘味を感じる、とてもおっとりとした穏やかな佳酒であった。個性を主張することだけが是ではない。極端な偏りを持ち歪んだ状態だけを指して個性的と言うのだろうか。凡庸でも構わない。均衡の取れたウィスキーを僕は愛していきたいと思ってしまう。

僕のそんな気持ちに応えてくれる、いくつかのウィスキーのうちのひとつがシングルトンであった。大袈裟でない「おいしい」。ちょうど良いうまさを持つウィスキーがいつもそばにある幸せ。その価格も含め「妥当である」という意味でリーズナブル。僕にとってのシングルトンはそんなウィスキーであった。

シングルトンというのは実は商品名である。蒸留所の名前ではない。蒸留所名が商品名として流通することの多いシングル・モルトからすれば、ちょっと珍しいことではある。もちろん、シングルトンがシングル・モルトである以上、中身は単一の蒸留所のウィスキー。その蒸留所の名はオスロスクである。「オスロイスク」とカタカナ表記する向きもあるようだが、どちらでも構わない。

このオスロスク蒸留所、設立は1974年。比較的新しい蒸留所である。歴史は浅いが最新鋭の設備と近代的な建物が特徴である。創業30数年というのは大先輩たちが居並ぶこの世界では格下感が否めないが、シングルトンというウィスキーの国際的な評価は高く、品評会で賞を受けることも数多くあった。

設立は1974年。瓶詰された商品が初めてマーケットに登場するのが1986年。さて、日本はどんな時代だったのだろうか?

蒸留所名が商品名として流通することの多いシングル・モルト。では、何故オスロスク蒸留所のシングル・モルトはシングルトンと名付けられたのだろう。一般的に解説されるのは「オスロスクという発音が難しいため」という理由である。それを否定するつもりはないが、果たしてそれだけであろうか?物事の背景には常に複雑で複合的な要因が存在するのではないだろうか。

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一筆啓上、中身は何ですか?(6)

このブログも2日間お休みをさせていただいたせいもあり、本日の記事は1週間前の続きである。「アイリークの中身を探る侍の旅はこうして始まった」。と、前回の記事を終わらせている。

実はアイリークの中身が何であるか、現在正式に公表されているのかどうかを僕は知らない。僕なりにいろんな人に話を聞いてみたが、それぞれの人に様々な意見があるようだ。もちろん僕には僕なりの意見はある。それはこの連載の最後にお伝えする予定だ。しかし、僕にしろ他の多くの人にしろ、それらは当然「意見」あるいは「感想」の域を出ない。特に僕の場合など、いつものように「憶測」あるいは「邪推」と言ってもいいのかもしれない。賢明なる読者の皆様が、僕のそんな態度を「いつものこと」と、ご理解していただいていることを前提に話を進めたい。

日頃よりブログのネタ切れ防止を目的に「結論先延ばし」の癖がある僕であるが、悪しき習慣から足を洗うために、本日はまず中間的な結論から申し上げたい。アイリークが出た当初、「中身は何であるか?」という問いに対する答えは、「ラフロイグ、ラガヴァリン、あるいはカリラ」というものが多かったと思う。結果として、僕の結論もその3つのうちのどれかであるということを、まずお伝えしておこう。

この連載の2回目で中身がアイラ・モルトであることはお伝えした。そして、アードベック、ボウモア、ブルイックラディ、ブナハーブン、カリラ、ラガヴァリン、ラフロイグ、ポート・エレンの8つのアイラ・モルトの中からポート・エレンを除いた7つのうちのどれかであることも。

まずは、アイリークがどんなシングル・モルトであるのか。あくまでも僕の感想に他ならないが、そこから進めたい。

と思っていたのだが、実は大変なことが起きてしまった。
ジェイズ・バーのトイレが不調。営業後、素人なりに修復にチャレンジしたが挫折。
カツラ君、昨日はありがとう。
今日はプロの力に頼るつもり。
早起き必須のため、本日はこれにて。

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一筆啓上、中身は何ですか?(5)

さて、ぼちぼち皆様もお気づきのことと思う。そもそもはアイリークの「中身は何ですか?」というところからこの連載は始まったのである。もちろん最終的にはそこに辿り着く予定であるが、少々遠回りをさせていただいている。以前の書きかけの記事、「一筆啓上、蒸留所名表記なし」で書き切れなかったことを書きたいとの思いもあるのでお許しを。

JMファークラスJMファークラス裏瓶詰業者に蒸留所名を使用させないグレンファークラスであるが、時々グレンファークラスと書かれたボトルがあることも事実だ。写真はかなり古いジェームス・マッカーサーのもの。実は表にグレンファークラスとの表記はないが、裏にはしっかり書いてある。

タリスカー次の写真はタリスカー。この蒸留所も瓶詰業者のボトルには蒸留所名を表記させないことが多いが、やはり例外というものはあるのだろう。こちらはしっかりと表のラベルに「タリスカー」とある。

このような例外が何故存在するのか、詳しいことは分からないが「恐らく」ということで言わせていただくなら、「仲良し度」で決まるのだろう。

一部の例外を除いてこれらの蒸留所(1)は瓶詰業者(2)のボトルに、その蒸留所名を記載させることを許可しない。それでも瓶詰業者はそれらの蒸留所のウィスキーを自らのブランドで瓶詰したがる。当然、瓶詰業者の扱ったボトルには蒸留所名は記載されない。そして、そうやって瓶詰されたボトルは日本に向けて送られ、販売店(3)の棚に並ぶ。

1,2,3は「ウィスキーが売れればいいな」という点で利害は一致している。売る為ということを考えれば、ラベルに蒸留所名が記載されている方が良いに決まっている。買いに来たお客さんは、中身が分からないものは買うのをためらうかもしれない。もちろん2(瓶詰業者)にも、彼らが培ってきた彼らのブランドというものはあるだろう。しかし、ボトルに1(蒸留所)の名が入っているか、いないか、では商品の説得力に違いは出るだろう。2は1に「その名を使わせてもらえるとありがたいのに」とは思うだろう。しかし、1は2にそれを許さない。

とはいえ、売れなくても困る。だから、3(販売店)の現場では「ラベルに表記はありませんが、中身は○○○○です」という風に売られる。1から2、2から3へとその情報は送られてくるのだ。ラベルに蒸留所の名を記載できなくとも、2は瓶詰するのがどこの蒸留所のものかは分かっている。3も2に聞けばそれを知ることができる。だから、分からないものはお店の人に聞いてみると概ね答えてくれる。

ところが、アイリークのような商品も出る。アイリークが出た当初、僕は「聞けば分かる」と思っていたのだ。しかし、誰に聞いてもハッキリしたことは言わない。実はこのアイリーク、本当に中身の不明なシングル・モルトなのだ。
3(販売店)の人たちは良く知らないようだった。3の人たちが知らないということは2の人たちが教えない(バラさない)ということである。2の人たちが知らないということはあり得ないだろう。だって、メーカーである1から、シングル・モルトを譲り受けているのだから。

アイリークの中身を探る侍の旅はこうして始まった。
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一筆啓上、中身は何ですか?(4)

さて、
1. ウィスキーを蒸留し樽に詰めそれを熟成庫に入れて保管する人。
2. 樽に入ったウィスキーを手に入れそれを瓶詰し販売できるようにする人。
3. 瓶詰されたウィスキーを棚に並べて売る人。
つまり1は蒸留所のウィスキー生産者、2は瓶詰業者、3を小売業者として話を進めたい。

誰でもが知り得ることが可能なそのボトルの中身であるのなら、その蒸留所の名を隠すことなくラベルに記載し、広く公に明らかにしても良いのではないかと思うのはおかしなことではないと思う。しかし、実際には昨日ご紹介したグレンファークラスやタリスカーのようなシングル・モルトは存在するのである。

何故そのようなことが起きるのかということについて、残念ながら詳しく語ることはできない。しかしその理由として一般的に言われているのは、「ブランド戦略」とでも申し上げたら良いだろうか。つまり、上記1のウィスキー・メーカーたる蒸留所が、自らの蒸留所の名をあまり他所に使って欲しくはないということのようでもある。

もちろんすべての蒸留所が、そのようなポリシーで動いている訳ではないのは明らか。いわゆる「オフィシャルもの」として瓶詰されるシングル・モルトが存在しない蒸留所などは、むしろ喜んでその蒸留所の名を世の中に広く紹介したいとさえ思うのかもしれない。しかし、例えば数多くの「オフィシャルもの」のボトルを有するグレンファークラスなどは、「何を今さら」と思うのかもしれない。彼らは「GLENFARCLAS」と蒸留所の名の記されたラベルの貼られたボトルは、彼ら自らが管理下に置いて瓶詰を行ったボトル(つまりオフィシャルもの)だけにしたいと思っているのかもしれない。

もちろんそれは彼らの自信と誇りに裏付けられた所作である。比較的好調なセールスが成り立っていることも事実だろう。その態度を貫けるだけの背景を彼らは自らの力で手にしたのだ。十分に賞賛に値する。確かに、グレンファークラス蒸留所がそのオーナーであるグラント一族の所有する家族経営の会社であり、そのことがこの蒸留所に独立経営の性格を持たせ、彼らの意思が十分に尊重されるであろうことは大きな要因として注目すべきだろう。

瓶詰業者(上記の2)は当然売れるウィスキーを瓶詰したい。セールスの見込めるグレンファークラスなら扱いたいと思うだろう。しかしグレンファークラス蒸留所(上記の1)は2にウィスキーを扱わせることは許せても、瓶詰したウィスキーのラベルに蒸留所の名を記載することまでは許可しない。2としてはラベルに「ブレアフィンディ」とあるよりは、「グレンファークラス」とあった方が売り易いと判断するであろう。それこそがブランドとしての「グレンファークラス」の価値である。しかし、1はそれを許さない。

明日に続く
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一筆啓上、中身は何ですか?(3)

そうやって、蒸留所名が表記されないままウィスキーは瓶詰され、僕らが買えるように酒屋さんの店頭に並ぶ。そして店頭に並んだウィスキーを僕らは初めて手にする訳だが、そこに蒸留所の名は書かれていない。「シングル・モルトって書いてあるのに!」である。

そもそも、「シングル・モルトっていうのなら、蒸留所の名前くらいハッキリさせろ!」と実は言いたい。「事情も都合もねぇだろ」と、「分かり難いんだよ」と。とはいえ、そんなことを言っていてはこんな記事も書けない訳だし、それはそれで良しとしよう。蒸留所名が書いてないことで中身が何かを想像もできるのだし。思いを巡らせるのもまた愉しみのひとつである。

例えば、僕が初めてアイリークと出会ったのは目白田中屋という酒屋さん。何だか見たことのないウィスキーが売っている。よーく見る。「THE MAN FROM ISLAY」と書いてある。「PEATY」と書いてある。「ISLAY SINGLE MALT」と書いてある。「SCOTCH WHISKY」と書いてある。ふむふむ。手に取る。値段を見る。おぉ。なるほど。「で、蒸留所どこよ?」。ひとりつぶやくのである。

お店の人が目の前を通り過ぎる。
「あっ!○○○○○さん。これって、中身は何ですか?」

えっ!?
>中身が何かを想像もできるのだし。
してないじゃん。
>思いを巡らせるのもまた愉しみのひとつである。
巡らせてねぇよ。
聞いてるじゃん。

まぁ、結論としては、「分からんことは聞けば良い」が信条の侍である。詳しい人がそばにいるのであればなおさら。

で、こういう場合は概ね「あぁ、中身はドコソコの蒸留所ですよ」、ということになるのである。例えば「ブラッカダー社のロウ・カスク・シリーズのブレアフィンディ」であれば、「中身はグレンファークラスでしょうね」とか、「グレンスコマのシングル・アイランド」であれば説明の通り「タリスカーです」ということになる。

ごく普通に考えればこれは非常に不思議なことではある。ラベルに蒸留所名は記載されていないが、その中身が何なのかを誰でも知りようがあるのだ。「中身は何ですか?」という問いに対する答えが用意されているのだから。「だったら、ラベルに書けばいいじゃないですか」、と言いたくなるのが当たり前である。だって、不親切じゃん。

昨日、
1. ウィスキーを蒸留し樽に詰めそれを熟成庫に入れて保管する人。
2. 樽に入ったウィスキーを手に入れそれを瓶詰し販売できるようにする人。
つまり1は蒸留所のウィスキー生産者、2は瓶詰業者ということである。
という風に話を進めた。続いて、
3. 瓶詰されたウィスキーを棚に並べて売る人。
つまり3を小売業者として話を進めたい。

続きは明日。
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一筆啓上、中身は何ですか?(2)

アイリーク112前回の続きではあるが、本日よりタイトルに「一筆啓上」を加え変更させていただいた。こちらのカテゴリー分けの都合である。長い連載にしたくないと思いながら、先行き不透明なままの続きである。できる限り開き直らずに話を進めたい。
蒸留所の名が表記されないまま瓶詰されているシングル・モルト、「アイリーク」(写真は12年もの)の中身が何であるのかを、もちろん憶測の域を出ることはできないが、考えてみようではないかということがこの連載の主旨である。

前回も話したが、ラベルには「ISLAY SINGLE MALT」とあるのでアイラ・モルトであることは間違いないと思う。だから、中身がマッカランであったりすることはない(と思う)。そして、現実的な可能性からするとポート・エレン以外のアイラ・モルト、アードベック、ボウモア、ブルイックラディ、ブナハーブン、カリラ、ラガヴァリン、ラフロイグであるだろうとは思われる。何故、ポート・エレンではないのかということは前回書いたので繰り返さない。もっとも、閉鎖された蒸留所であるポート・エレンがこの値段で買えるのなら激安である。

ちょっとだけ話はズレるが(確実にちょっとなのでお付合い願いたい)、ラベルに「THE MAN FROM ISLAY」とある。そもそもこのボトルの銘柄「アイリーク」とは、アイラ生まれであることを意味する。「アイリーク」で検索をすると、そのものズバリ、通販サイトの商品がいくらでも引っ掛かる。日本語ではカタカナで「アイリーク」が商品名であるが、元来の発音はどうやら「イーラック」に近いようだ。アイラ生まれという意味の「アイリーク」。そもそもは「イーラック」。

これで中身がアイラ・モルトでないのなら確実に詐欺である。

話を戻そう。
これまでのいくつかの手掛かりを頼りに可能性を手繰り寄せて行くと、ポート・エレン以外のアイラ・モルトであると判断することが妥当であるだろう、というところまでは同意いただけるであろうか。つまり残るは7つの蒸留所である。今後の展開で、あくまでも僕の見解を明らかにしたい。

そもそも何故このような、蒸留所名の表記されていない(つまりはっきりしない)シングル・モルトのボトルが販売されるのだろう。「彼らには彼らの事情があるのだろう」、としか言えないのが事実だ。彼らとは、
1. ウィスキーを蒸留し樽に詰めそれを熟成庫に入れて保管する人。
2. 樽に入ったウィスキーを手に入れそれを瓶詰し販売できるようにする人。
つまり1は蒸留所のウィスキー生産者、2は瓶詰業者ということである。何らかの事情があり1が2へウィスキーを手渡す際、「中身のウィスキーが何であるか特定できないように、蒸留所の名前は書かないでね」と約束をするのだ。約束は守られ、蒸留所名が表記されないままウィスキーは瓶詰され、僕らが買えるように酒屋さんの店頭に並ぶ。

続きは明日。
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中身は何ですか?

アイリーク112以前「一筆啓上、蒸留所名表記なし」という連載をさせていただいたことがある。様々な事情や思惑があり蒸留所の名がラベルに記載されないボトルが存在するということをお伝えしたかったのである。お恥ずかしい限りであるが、その連載を締め括ることなきまま現在に至っている。皆様ももうお忘れだろうとも思うし、「寝た子を起すな」との思いも僕にはあるので、実のところ放ったらかし状態であったのだ。

話を始める前に、どうにも煮え切らない気分にならざるを得ないのだが、本日の記事のタイトル「中身は何ですか?」に対して、僕はうまく答えられないということを最初にお断りしておこう。

さて、本日冒頭の写真、そして昨日も記事にさせていただいた「アイリーク12年」であるが、その中身が何であるのか、実ははっきりしたこと分からない。ラベルには「ISLAY SINGLE MALT」とあるのでアイラ・モルトであることに間違いはない。となれば、アードベック、ボウモア、ブルイックラディ、ブナハーブン、カリラ、ラガヴァリン、ラフロイグ、ポート・エレンの8つのうちのどれかとなる。しかし、本日の写真を見ていただいても明らかなように、このボトルの熟成年数は12年。今年の初めか去年の暮れ頃から日本で売られ始めた「アイリーク12年」である。1983年に閉鎖されたポート・エレンがその中身であることはないだろう。もしも仮に2005年に瓶詰されたとなると、1993年に蒸留されたと見るのが妥当であろうし、1993年にポート・エレン蒸留所は閉鎖されていて蒸留は行われていない。当たり前だが1984年以降はウィスキーを蒸留していないのだ。となれば、その中身はポート・エレン以外の7つのアイラ・モルトのうちのどれかであると予測するのが正解であろう。

実は今回記事にした「アイリーク 12年」であるが、12年ものを出すに至るまでの変遷がある。数年前、最初に出たのが(写真左から1,2,3)、
3ほん
1. 年数表記のない40度のボトル
2. 続いて年数表記のない58度(カスク・ストレングスの表記あり)
3. そして今年になり熟成年数12年の43度のボトルだ。

ボトルやラベルのデザインに大きな変更点はない。どれも一目見ればアイリークであることは分かる。上記の1,2,3のどれであるかは、より詳しく見ればすぐ分かる。シンプルではあるが、違いも理解し易い。好き嫌いはあるだろうが、悪いデザインではないだろう。親切ではある。1,2についてはラベルの左上に、「インターナショナル・ワイン&スピリット・コンペティション」、金賞受賞の刻印がある。3にそれはない。

それぞれラベルの中央あたりに「ピーティ」とあるが、そのどれもはピーティに過ぎるというシングル・モルトではない。アイラ・モルトとして適切な程度にピーティであり、そのピーティさは決して痛くはない。痛過ぎるほどのピーティさで、切れ上がりの良さや、清涼感を演出しようという意図を持ったピーティではない。むしろそのピートに由来するものなのか、この価格帯にしては十分なコクと滑らかさを持つシングル・モルトである。ほど良い甘さを含み、ひと口飲んで旨味を感じるアイラ・モルトである。

あまり長い連載にしたくはないが、明日に続く。
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ブラインド・テイスティング−D

A,B,Cと続けてきたスコッチ・ショップの「第9回ブラインド・テイスティング」であるが、この「問題D」をもって最終問題となる。毎度のことであるが、出題者である忍者は「問題D」だけをちょっとした変化球として放り投げてくる。「問題D」、それは今までのように選択肢から蒸留所名を選ぶのではなく、地域名を選ばなければならない問題である。

つまり、「問題D」に対する解答の選択肢は以下の6つ。
1. ハイランド
2. スペイサイド
3. アイレイ
4. アイランド
5. キャンベルタウン
6. ローランド
当たり前であるが、以上の6つが選択肢となる。解答するのが難しいことはA,B,C,Dどれも変わりがないのだが、この「問題D」は難しいのに加えより以上に悩ましいのが厄介である。

思い起こせば忍者も非道な男だ。かつて「問題D」に「アイル・オブ・ジュラのヘビー・ピート」を出題してきたことがある。ごく普通に考えれば、ほど良く塩味の利いたダシっぽいシングル・モルトであるのがジュラである。もちろんそれはジュラがアイランド(島)・モルトであることを背景としている。つまり海の影響を受けているということである。

一方、アイラ・モルトというのも当たり前ではあるが、実は島モルトである。アイラ・モルトとはアイラ島にあるからアイラ・モルトなのだ。他の島に比べアイラ島には多くの蒸留所が存在するので、便宜上アイラ・モルトをアイランド(島)・モルトと分けているところがある。一般的にアイラ・モルトはピーティであると思われがちである。それを全否定するつもりはないが、すべてのアイラ・モルトがピーティに過ぎるかというとそんなことはない。むしろ、すべてのアイラ・モルトに共通する特徴は海の影響である。つまりそれはアイランド(島)・モルトと同一ということになる。アイラ・モルトもアイランド・モルトも島モルトなのである。

アイラ・モルトにしろアイランド(島)・モルトにしろ、侍の言うところの「ダシ」のニュアンスを感じたとしてもおかしくはない。何せ、どちらも島モルトなのだから。実のところ侍はアイランド(島)・モルトであるジュラとアイラ・モルトであるブナハーブンを、良く似た特徴を持つシングル・モルトだと理解している。海の影響があることを背景にダシっぽいと思わせるところがあり、そのことがコクを感じさせ、さらにそこに麦芽系の甘味が乗り、ほど良く塩味を感じ、ナッツのような味わいがあることがある。このふたつは実に良く似た側面を持っていると思うのだ。

さて、それでは先ほどの話。「問題D」に「アイル・オブ・ジュラのヘビー・ピート」を出題した忍者である。アイル・オブ・ジュラはもちろんアイランド(島)・モルト。そこに強烈にピートを焚き込んだ「ヘビー・ピート」という商品が出題されたのだ。これはごく普通に考えれば「アイラ・モルト」という答えを選択させようという引っ掛け問題である。何事も素直であることを是として育てられた侍は見事に引っ掛かった。

Q.ダシの味わいを感じ、塩味を感じ、ピーティであるシングル・モルトは?
A.アイラ・モルト!

だって、父さんにそう教えられたんだもん。
しかし、侍は斬られた。

忍者、恐るべし。
忍者への怨念を拡大させつつ、明日へと続く。

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一筆啓上、山崎蒸留所(最終回)

山崎蒸留所がいかに困難を乗り越え、多種多彩なシングル・モルトを造り続けているかはご理解していただけたことと思う。これから先、山崎蒸留所で変わらないのは日本の名水百選に選ばれるほどの仕込みの水だけ。なんて言われるような時代になっているのかもしれない。もちろん、それらのすべてを支えているのは蒸留所で働く職人さんたちだ。

確かに、「それらのすべてを支えているのはサントリーの資金力である」との言い方も間違いではないだろう。金がなければ大掛かりなことはできない。スコットランドの片田舎の蒸留所に比べれば、山崎蒸留所は金持ちだろう。しかし、実験的に様々な製造工程を採ろうとする精神は、人に支えられているのではないだろうか。自信がなければできない。リスクをとっても舵取りが利く。とっ散らかることなく、ある程度安定した品質を保てるであろうという自信があればこそ、チャレンジはできるのだ。多種多彩な原酒を手に入れるため、鳥井信治郎は天国でも「やってみなはれ」と言い続けているのだろうか。そしてそれは今を生きる山崎蒸留所の人たちにも通じているのかもしれない。

ウィスキーとしての「山崎」が発売されたのは1984年。今から22年前、サントリー・オールドが爆発的に売れていた頃だ。ちなみにその前年、1983年にサントリー・オールドは過去最高の出荷数を記録していたのである。そんな時代にサントリーの当時のマスター・ブレンダー・佐治敬三は「山崎」を発売させたのである。

サントリー・オールドの成功に満足がいかなかったのであろうか?佐治のその決断は赤玉ポート・ワインの成功に飽き足らず、本格ウィスキーを求めた鳥井信治郎のそれに通じるものがあるように僕には思える。もちろんそれを危機感の現れとするなら、妥当な判断であると言わざるを得ない。サントリー・オールドの好調な売り上げだけにすがり付いていては、現在のサントリーのウィスキー部門に将来はなかったかもしれない。詳しく知らないので多くを語れないが、サントリーの自社製品でそこそこの利益を出しているのは「山崎」なのではないだろうか。

鳥井信治郎はマスター・ブレンダーの視点から「本格ウィスキー」に夢を見たのではないだろうか。彼はブレンドするための原酒として多種多彩なシングル・モルトを欲しがり、その伝統は今でも山崎蒸留所に受け継がれているのではないだろうか。
それが僕の思うところであることは既にお伝えした。

いやしかし、これまでの歴史を簡単に振り返ってもわかるように、赤玉ポート・ワインが好調であっても本格ウィスキーを欲しがり、サントリー・オールドが好調であっても「山崎」を売り出したのがサントリーである。今もなお新たなチャレンジを続ける山崎蒸留所jは、次の何かを産み出そうとしているのかもしれない。

久々に現れた元社長と思い切り怒鳴りあった月曜深夜。
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一筆啓上、山崎蒸留所(25)

スコットランドでは概ね20〜30年に1度のサイクルでポット・スティルを入れ替えるのが一般的なようだ。それに対して山崎蒸留所は10数年のサイクルでそれを行う。最近入れ替えられたばかりではあるが、その工事も17年ぶりとのことである。

「ポット・スティルは自らその身を削ってウィスキーを生み出すのです」。とはイチローさんの言葉だ。当たり前のことだが、ポット・スティルといえども稼動していれば消耗していくのだ。使い尽くせば交換せねばならない。20〜30年に1度。スコットランドにおけるその一般的な入れ替えのサイクルは、恐らくその耐用年数を考えてのことだろう。一方、山崎蒸留所の今回のポット・スティルの入れ替えは17年ぶり。スコットランドのそれに比べ幾分短いサイクルだ。

話は変わるが、式年遷宮というのをご存知だろうか?
10数年に1度、ポット・スティルを更新するという山崎蒸留所の話をかつて聴いた時。僕はその式年遷宮を思い出してしまったのだ。

伊勢神宮では20年に1度すべての建物を建て替え、ご神体も新しい神殿に遷す。それを式年遷宮という。戦国時代などには長い間行えないこともあったようだが、690年の持統天皇の時代から基本的には20年に1度、連綿と続けられて来たことなのだ。そのことの理由と意義は様々に説明が可能であるが、建て替えの技術の伝承というのも大きな意義を持つであろう。例えば50年に1度しか建て替えを行わないのであれば、前回の建て替えを行った者が死んでしまっている可能性もあるだろう。技術者不在では建て替えはままならない。

山崎蒸留所も同じことなのではないだろうか。サラリーマンの寿命は40年にも満たない。ポット・スティルの更新サイクルが30年に1度であるなら、定年までにそれを2度経験できる者は非常に稀だ。2度経験できたとしても、1回目は入社してすぐ。2回目は定年退職を迎えようとする頃。ということになってしまう。働きざかりの中堅と言われるような年齢になって、最初で最後の1回だけしかポット・スティルの入れ替えを経験できない。それが普通になってしまう。確かにそれでは、技術の伝承に不安がつきまとうことだろう。10数年に一度なら、うまくいけば3回、少なくとも2回、ポット・スティルの入れ替えを経験することができる。

様々なチャレンジを繰り返す山崎蒸留所。チャレンジの分だけリスクを背負うことになるなら、なるべくそれを低くしたいと思うのも道理だろう。経験を積んだ技術者が的確に職務を遂行することは、間違ったものを造らないために必要なのかもしれない。

今週水曜の楽しみに心ときめく日曜深夜。
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一筆啓上、山崎蒸留所(24)

スコットランドの蒸留所と比べても山崎蒸留所の規模は決して小さくはない。容量8〜12キロリットルの蒸留釜を初留・再留それぞれ6基づつ、合計12基の蒸留器を稼動させている。最近、そのうちの3対6基の蒸留釜を入れ替えた。17年ぶりのことだという。山崎蒸留所の大きな特徴はそれぞれに形状の違う蒸留釜を使用していることだろう。その形状が違えばもちろん異なったタイプのシングル・モルトができる。形状の違う蒸留釜を用意すること自体が稀なことなのである。

今回入れ替えた3対6基の蒸留釜も異なった形状をしているようだ。蒸留釜はスコットランド・フォーサイズ社製。シェア90%を占めるポットスティル・メーカーだ。実は今回の蒸留釜についてある筋から非常に面白い話を聴いたが、それについてここでは書けない。興味のある方はジェイズ・バーで直接聴いて欲しい。

蒸留したての原酒のことを「ニュー・ポット」というが、山崎蒸留所ではライト、ミディアム、ヘビー、と少なくとも3種類のタイプに作り分けているということだ。しかもそれだけではない。熟成の樽にもタイプの違う数種類のものを用いるのだ。北米産のホワイト・オークを樽材とするバレル、ホッグスヘッド、パンチョン。スパニッシュ・オークのシェリー・バット。さらに極めつけは日本産のミズナラを樽材として使った樽をも熟成に使っている。ミズナラ樽を熟成に使っているのは恐らくサントリーだけなのではないだろうか。

蒸留と熟成の工程の違いがウィスキーの味わいの個性を形作るとするなら、山崎蒸留所のこのやり方をどう見るべきであろう。蒸留の結果でき上がるニュー・ポットは複数種類あり、熟成においても様々な道筋をたどるように用意されているのだ。山崎蒸留所のシングル・モルトは「同じように作ったのだけれど、結果として違う味わいになりました」ということではなく、「その企画時から違う結果を求めました」ということなのである。「蒸留」×「熟成」の結果がウィスキーの個性とするなら、その当初から違う結果が出るように意図されているのである。

しかも、僕が一番に驚くのはその設備の更新時の方法である。蒸留釜(ポット・スティル)の入れ替えはでき上がりのウィスキーの品質の根幹に関わることであろう。一般的にスコットランドの蒸留所においては20〜30年に1度というのがそのサイクルである。しかし、山崎蒸留所では20年を超えて同じ蒸留釜を使うことはないようだ。ここでもさらに極めつけは、その更新時に必要とあらば蒸留釜の形状を変えてしまうのだ。蒸留釜の形状を変更するということは、確実にその味わいが変わるということである。それまでの品質が保証されないということである。

サントリーは意図的にその品質を変えようとするのである。
どのような意図を持つのか?
もちろん、より良きウィスキーのために。ということである。

多くの人に揶揄されることもあるが、僕はこのサントリーの取り組みにこれからも注目したい。

前日はぐっすりと眠り万全な体調で営業に臨むが暇に過ごした木曜全般。
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一筆啓上、山崎蒸留所(23)

かつて僕はイヂワルな悪代官に向け「悪代官に物申す。」という記事を書いたことがある。悪代官の主催する「ブラインド・コンテスト」の解答の選択肢の中に、山崎蒸留所が存在したことに苦言を呈するために書かれた記事だ。一昨日もお伝えしたが、山崎蒸留所は現在でも多種多彩なシングル・モルトを造り続けるのである。スコットランドのシングル・モルトに比べると、蒸留所の際立った個性というものを理解しづらいのが山崎蒸留所ではないのかということだ。つまりそんな山崎蒸留所を「ブラインド・コンテスト」の解答の選択肢に用意するのはズルイ。侍は悪代官にそう申したかったのだ。ちなみに、「悪代官に物申す」と言いながら、スコットランドのブレンデッド・ウィスキーについて語りたくなり、そのためにはグレーン・ウィスキーとシングル・モルトについて言及せざるを得なくなり、山崎蒸留所について説明を試みようと思ったことが今回のこの連載「一筆啓上、山崎蒸留所」につながっている。

前回の「一筆啓上、山崎蒸留所(22)」で、「鳥井が「角瓶」を生み出すまでのチャレンジのプロセスは山崎蒸留所にあるひとつの教訓をもたらしていないだろうか?」と問いを立て、その答えを「山崎蒸留所は現在でも多種多彩なシングル・モルトを造り続ける」ということではないかとの見解を示した。

いづれにしても僕の見解はいつものように憶測の域を出ない。「悪代官に物申す。」の連載の中では山崎蒸留所は「上質なブレンデッド・ウィスキーのために」多種多彩なシングル・モルトを作るのではないだろうかとさせていただいたし、この連載では「角瓶」誕生までのプロセスの中で多種多彩な原酒を手に入れることこそが、マスター・ブレンダーとしての鳥井の望みではなかったのだろうか。ということが僕の思うところだ。多種多彩なシングル・モルトを造ろうとする現在の山崎蒸留所の飽くなきチャレンジを見ていると、それは「教訓」どころか「強迫観念」に近いのではないだろうかとすら思える。

現在はゆっくりと改革の波に洗われているのかもしれないが、伝統的にスコットランドのシングル・モルト造りは保守的だ。「蜘蛛の巣も掃(はら)うな」と言われるほどに頑なにそのスタイルを変えようとしない。日々のメンテナンスも含め、蒸留所の設備を更新する際にも極力変更はしたくないと言うのが本音なのだろう。「ポット・スティルはその身を削りながらウィスキーを造る」とはイチローさんの言葉だが、だからこそスコットランドでも20〜30年に一度入替えを行う。しかもその際も寸分違わず同じ形状にすることにこだわる。人為的にできたへこみなども含めてそうするとさえ言われている。

伝統を守り続けようとするスコットランドの蒸留所に比べ、山崎蒸留所はやはり異質だ。

営業に訪れた刺客の笑顔が心に残る水曜深夜。
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悪代官の店、三鷹にオープン
晩餐バール

一筆啓上、山崎蒸留所(22)

本日の記事は前回の記事の続きです。

売れる商品を作れてこそ、蒸留所は順調に操業を続けられる。
寿屋の社長、鳥井信治郎はヒット商品が欲しかったはずだ。自社の「本格ウィスキー」として1929年の「白札」から始まり、その後「赤札」を市場に送り出すが評判はいまひとつ。しかし1937年、苦労の末ついに「角瓶」のヒットにたどり着く。僕ら位の年代には「角瓶」は懐かしいウィスキーかもしれない。時代を超えて愛され続けたサントリー「角瓶」。このウィスキーは日本人の舌を捉えたのだ。

1931年、資金難により山崎蒸留所は操業を一時停止。1934年、初代工場長の竹鶴が寿屋を去る。「白札」、「赤札」の市場での不評は既にお伝えした。辛酸をなめながら鳥井は決してウィスキー作りをあきらめなかった。彼は強い意志を持って夢を追い続けたのだ。

確かに鳥井は強い意志の持ち主だったのかもしれない。だからこそ夢を追い続けられたのであろう。しかし、まだその形のはっきりしない夢をなぜそこまで追い続けることができたのであろう。恐らくその答えは、彼の自らの鼻に対する自信ではないだろうか。初代マスター・ブレンダーである鳥井は自らの嗅覚に大きな自信を持っていたのではないだろうか。

鳥井は13歳で丁稚奉公に出る。勤めた先は薬問屋。「鳥井の鼻」と呼ばれるほどに周りからもその嗅覚を認められる。当時の薬問屋は洋酒全般をも扱う。彼はそこで洋酒の製造法と調合技術を身に付けた。潜在的な能力とその後身に付けた技術はほどなく「赤玉ポートワイン」の大ヒットへとつながる。他の者に比べ鋭い嗅覚を持つ自覚はあったはずだ。勤め先では技術を養うこともできた。「赤玉ポートワイン」の成功は鳥井に大きな自信をもたらしただろう。

そんな鳥井が次のチャレンジを欲した。「本格ウィスキー」に夢を見たのだ。自らが鋭い嗅覚を持つことは自覚している。「赤玉ポートワイン」の成功で調合技術には大きな自信がある。初代マスター・ブレンダーである鳥井は思ったのではないだろうか?
「あとはブレンドする原酒だけ」。
鳥井は山崎蒸留所で作られるウィスキーにそれを求めたのではないだろうか?

「白札」、「赤札」の市場での不評は彼を苦しめたであろう。しかし彼は思ったのかもしれない。
「原酒の種類が足りない」。
「ブレンドする原酒の種類が豊富になれば絶対に日本人の舌を捉えることができる」。
そう思っていたのではないだろうか?だからこそ彼は山崎蒸留所をあきらめず、操業させ続けたのではないだろうか?
「多種多彩な原酒さえあれば必ずヒットは生まれる」。

トライ・アンド・エラーを繰り返し、鳥井はブレンディングを続けた。
1937年、ついに「角瓶」は生まれた。「角瓶」は日本人の舌を捉えた。鳥井にとって「やがて来るヒット商品」は「想定内」の出来事であったのかもしれない。

およそ80年前、山崎蒸留所は誕生した。「角瓶」というヒット商品は山崎蒸留所の息の根を止めなかった。山崎蒸留所は現在も操業を続ける。鳥井が「角瓶」を生み出すまでのチャレンジのプロセスは山崎蒸留所にあるひとつの教訓をもたらしていないだろうか?

山崎蒸留所は現在でも多種多彩なシングル・モルトを造り続ける。

ゆっくりと体から風邪が抜け客のいない店内で眠り続けた月曜深夜。
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