mamataroおでかけ日記

在住の浅草と東京スカイツリー、鎌倉と関西の旅が記事の中心です.

日光山輪王寺・三仏堂「天空廻廊」〜〔復路〕 170610

日光山輪王寺・【重要文化財】三仏堂「天空廻廊」を見物。

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2017年6月10日(土)のち

日光山輪王寺公式HP「日光山 輪王寺とは」より
比叡山「延暦寺」(滋賀県)に「延暦寺」という建物はありません。
山上山下のたくさんの寺院を統合して「比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)」というのです。
「日光山 輪王寺(にっこうざんりんのうじ)」も同じで、日光山全体を統合していました。
明治の神仏分離以降でも本堂・大猷院・慈眼堂・常行堂・中禅寺・大護摩堂・四本龍寺等のお堂や
本坊、さらに十五の支院を統合してできており、その全体を指して「輪王寺(りんのうじ)」と総称します。

…なるほど納得です。
その「輪王寺」にある日光山の総本堂・【重要文化財】三仏堂は、
約50年ぶりとなる大々的な保存修理中でありますが、
2011(平成23)年4月29日〜期間限定の新名所・天空回廊を設けて、保存修理工事の様子を拝観できるようになっています。
三仏堂内のみの見学は一般400円。
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原則的には内部の写真撮影は禁じられていますが、
☟ 撮影が許可されている場所の写真は撮影できます。
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とにかくスケールの大きさにびっくり。
完成した暁にはまたお参りに来たいです♡ どんな姿になるんだろう!?


7Fまで自分の足で階段を上るのはちょっと大変でしたが、なんとか天空廻廊に到着。
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東武日光駅の三角屋根が遠くに見えました👀
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三仏堂を出ました。


こちらは相輪塔です。
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お線香も有名なんですね。
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けっこう歩いてますね💦 こりゃあ疲れるわけだぁ…
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帰りもブラブラ東武日光駅まで歩いて行きます👟 👟

途中、みしまやで名物の「三猿人形焼」を買いましたよ〜(^^♪
3匹セットで390円(税込)でした!
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帰りの電車は17:23発のスペーシア。
栃木といえば「レモン牛乳」ソフトを食べながら歩く私。
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けっこうギリギリになってしまいました…もうちょっとゆっくりしたかったなぁ。
ひさしぶりにたくさん歩いて、帰りの電車ではめっちゃ爆睡でした!






日光東照宮μ欧蠻〜奥院・家康墓所 170610

日光東照宮μ欧蠻〜奥院・家康墓所をアップ。

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2017年6月10日(土)

さて、最後に日光東照宮の最深部「奥宮(家康の墓所)」へ向かいます。

なんだ、この行列は?というくらい参拝者が多くて、旦ともどもちょっと疲れてきました。
この程度で?と思われるかもしれませんが、
国内外の観光客でごったがえす浅草で日常生活を送っているので、すぐ人疲れするのですね…
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奥宮の入口に鎮座ましますのはこちら。
江戸初期の伝説的な彫刻の名人・左甚五郎 作といわれる
かの有名な【国宝】眠り猫、実は意外と小さい
体長21cmほどしかありません。
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「眠り猫」とはいえ、実際のところ猫は体を丸めて眠るのでこのような体勢で眠ることはありません。
つまり眠った❝フリ❞をしているのでした。
猫の顔も江戸時代の平均身長150cmぐらいの高さから見ると優しい表情で寝ているような、
穏やかな表情に見えるのですが、少し離れて前足が完全に見える位置から見ると(写真左)、
耳が立ち、目は吊り上がって威嚇の表情に見えます。
目はつぶっているけれど、何かあったらいつでも飛びかかれるような戦闘態勢になっています。
実は見る角度や高さによって猫の表情が変わり、3Dのアニメーションみたいな彫刻なのです。
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見落としがちですが、
眠り猫の裏面(背面)は雀の彫刻です。
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猫が穏やかに寝ていれば、雀も安心して暮らすことができます。つまり平和な世の中。
ということで、彫刻の表面と裏面で、猫と雀が共存共栄を図れるような安心な国を表現しています。
「眠り猫」の彫刻は、裏面(平面)の雀の彫刻も含めて、ということになりましょうか、
この先の奥宮の墓所に「平和の守り神」として祀られている家康をイメージしているのでした。

眠り猫のすぐ上にある、坂下門(画像はナシ)から先が一般開放されるようになったのは、
ほんの約50年前からです。
それまでは将軍家など限られた人しか通れなかった「開かずの門」でした。

坂下門から家康のお墓がある参道は10分以上かかる長い石段です。
徳川歴代将軍も歩いたこの厳(おごそ)かな参道。
これまで拝観してきた色彩豊かな建物群とはガラリと雰囲気が変わりました。
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この狛犬さんも奉納されたもの。
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ついに到着。
奥社拝殿でお参りをさせていただきました。
家康の墓はこの拝殿の裏にあり、歴代将軍もこの拝殿で合掌していたそうです。
外装は銅板に黒漆を塗った落ち着いた建物です。
(写真中)徳川家の葵の御紋の他に「法輪」という仏教の教えが広がるようにつくられたシンボルも。
仏教のトレードマークがあることも見逃せません。
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拝殿の背中の扉を開け…
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鋳抜門(いぬきもん)を通って将軍家は宝塔(家康の墓)に参詣しました。

家康のお墓の前にある、その鋳抜門(いぬきもん)には狛犬(写真中)と、
蜃(しん・写真右)という龍にも似た不思議な動物の彫刻があります。
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「蜃気楼」の由来になった、気を吐いて人々を惑わす
城郭や楼台(ろうだい)の蜃気楼をつくり出す とも。

また、最後の御門である鋳抜門に仏教の御紋(シンボル)「法輪」が大きく施されているところに、
当時は神仏混合だったことが表れています。


墓前の鶴と亀の燭台。鶴が咥(くわ)えているものは!?
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あと、(鶴亀の燭台に)花瓶と香炉の三具足(みつぐそく)は、朝鮮国王から贈られたものです。
墓前に海外のものを置くということは、海外と友好を深めながら、国をしっかり守っていけというメッセージ。
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いよいよ家康の墓所、宝塔へ。
家康の亡骸(遺体)は地下に埋葬されています。
徳川歴代将軍も主に家康の命日(4月17日)に合わせて参拝していました。
江戸から日光まで約143劼3泊4日で歩いた行列は、
一世によると先頭が日光に到着した時に後ろはまだ江戸にいたともいわれています。
十代将軍・家治は人員23万人、馬30万頭以上動員したそうです。
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家康の墓は南を向いており、まさに北極星の下に鎮座しています(☝写真右は宝塔背後から)。
つまり北極星を背に江戸を見守るような向きに墓が建てられているのです。
(中国の北辰信仰による)天帝と共に地上の王が国を守っていく姿が見て取れます。


◆徳川家康の遺言◆
「御体をハ久能へ納、御葬礼をハ増上寺ニて申付、御位牌をハ三川之大樹寺ニ立、
一周忌も過候て以後、日光山に小キ堂をたて、勧請し候へ、 八州之鎮守に狩被為成」
◇◇◇現代語訳◇◇◇
「遺体は久能さんに埋葬し、増上寺で葬儀を行い、位牌は三河国の大樹寺に置き、
一周忌が過ぎてから、日光山に小さいお堂を建ててまつりなさい。 八州の鎮守になろう」



その、かつての江戸で平穏に暮らしている私なのです。


宝塔近くの「叶え杉」にお参りする行列。
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特に叶えて欲しいことがない私は並びませんでした。
叶えて欲しいとかお願い事がないという状態がここ何年も続いている気がします。
良く言えば過不足なく満たされている毎日、悪く言えば向上心のない「死に体」なのかもしれません。
いいことなのか悪いことなのか、よくわからないけれど、ただ毎日が流れるように過ぎていきます。
いや、光陰矢の如し。

次のページで日光はラストになります。






日光東照宮ヅ睫隋楚斥措法租豌麩 170610

日光東照宮ヅ睫隋楚斥措法租豌麩をアップ。

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2017年6月10日(土)

東照宮の陽明門をくぐると、徳川家康を祀る本殿に通じる【国宝】唐門です。
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屋根の頂には唐獅子もしくは「恙(つつが)」と呼ばれ、豹・虎・人間までもを食らう霊獣の彫刻が。
この恙がいない状態が「恙が無く(つつがなく)」=大丈夫という意味の言葉に使われ、
そんな恙でさえ仲間に取り入れて使っている…恙が有ってもいい、つまり恙をコントロールできるから、
東照大権現(家康)は「最強」ということになるのです。恙は夜の門番です。
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昼の門番は、屋根の上の龍です。この龍は逃げ出さないように尻尾が切られています。
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東照宮で最も重要な【国宝】本社の正門である【国宝】唐門は、徳川家の政治理念を表明しています。
(写真左)611体もの彫刻で特筆すべきは、中国の故事逸話をテーマにした人物彫刻。
(写真中)特に通路真上の「舜帝朝見の儀」は、天下泰平をもたらした実在の皇帝・舜帝を家康公になぞらえ、
平和な世を目指すという徳川幕府のマニフェストと考えられています。
(写真左)一木彫り。
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本殿に吊るされていた大きな鈴。この鈴はどんな由緒があるのでしょうか…
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唐門の向かって左テ方向に【重要文化財】神輿舎(しんよしゃ)
春秋渡御祭(5月18日、10月17日)に使われる、三基の神輿(みこし)が納められています。
御神体は向かって左が源頼朝、中央が徳川家康、右が豊臣秀吉。
頼朝と秀吉は家康が尊敬する人物です。
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【国宝】東廻廊、御朱印所の左テの透彫の金の「茄子」。
ナスは「無駄がない」「物事を成す」など、大願成就を意味し縁起が良いとされます。
東照宮では野菜の彫刻はこのなすびだけみたいです。
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さて、最後に東照宮の最深部、家康の墓所がある奥院に向かいます。
その入口で参詣者を見守っているのが、かの有名な【国宝】「眠り猫」。
続きは次のページです。






日光東照宮ね枳戚隋祖鮮鐘〜回転燈籠 170610

日光東照宮ね枳戚隋祖鮮鐘〜回転燈籠をアップ。

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2017年6月10日(土)

日光東照宮、いよいよ今回の日光詣のメイン【国宝】陽明門  です。

◆徳川家康の遺言◆
「御体をハ久能へ納、御葬礼をハ増上寺ニて申付、御位牌をハ三川之大樹寺ニ立、
一周忌も過候て以後、日光山に小キ堂をたて、勧請し候へ、 八州之鎮守に狩被為成」
◇◇◇現代語訳◇◇◇
「遺体は久能さんに埋葬し、増上寺で葬儀を行い、位牌は三河国の大樹寺に置き、
一周忌が過ぎてから、日光山に小さいお堂を建ててまつりなさい。 八州の鎮守になろう」

二代将軍・秀忠が日光に最初に造った東照宮は、父・家康の遺言に忠実に従った控えめなものでしたが、
三代将軍・家光は、祖父・家康の遺言に逆らって、いまの豪華絢爛な建造に変えてしまいました。
(最初の東照宮は三代将軍・家光によって群馬県太田市に移築され「世良田東照宮」として現存しています)

盤石になった徳川家の権威を全国に知らしめるため、さらに家康を神として崇(あが)めるため。
戦国時代に終止符を打って、これからは徳川家が平和を守り続けていく。
平和をつくった家康の子孫が代々将軍を務めれば世の中は安泰であるということを知らせるために
立派な建物を造ったのだそうです。


ちょうど2ヶ月前の2017年3月10日、2013年7月に着工された修復工事の完了を祝う式典とともに、
三代将軍家光による1636(寛永13)年創建当時の姿を現した陽明門。
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外部塗装劣化などを修繕する、約40年ぶり21回目の工事の総工費はおよそ12億円でした。
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陽明門については…
フリーペーパー、東武沿線見聞録「TOBUMARCO(トウブマルコ)」5・6月号2017Vol.64を参考に、
いつもより少し丁寧に拝観していきます。

当時、最高峰の技師たちによって造られた門の主役は、508体もの彫刻群…
1日中眺めていても見飽きないといわれ「日暮門」とも呼ばれた壮麗な陽明門を各彫刻ごとにじっくりと。


陽明門の夜を守る❶鬼瓦
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扁額の左右、徳のある治世で生きる想像上の動物❷麒麟(きりん)
顔が龍、体が鹿に似て頭に一角あり。
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扁額の左の麒麟を下から撮影。
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神秘的な力を持つ皇帝のシンボル❸龍
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龍によく似た神秘的な❹息(いき) …知らなければ見逃しそう…
東照宮内の建築装飾を記録した『宝暦結構書(ほうれきけっこうしょ)』にのみ登場。
その正体は謎に包まれている。
一角、ブタ鼻、鋭い牙、カールした体毛などが龍との見分けポイント。
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陽明門にだけにいる珍獣❺龍馬(りゅうば)全8体 一般には駿馬(しゅんば)といわれる霊獣。
顔は龍で二角、髭はない。体は馬に似て蹄(ひづめ)があり、脇に翼の名残あり。
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中国から伝承された架空の鳥❻鳳凰(ほうおう)は天下安寧の世に現れるという。桐との組み合わせ多し。
その下に❼目貫の龍。真正面の白龍は君主の象徴。あえてその👀を描かず。
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❽唐子遊び(からこあそび)は、北宋の政治家、司馬温公の子ども時代の逸話。
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この「司馬温公の甕割」は、溺れた友を助けるために、大切な水瓶を石で割った様子。
生命はどんなものにも勝るという教え。
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これは有名な「孟母三遷」。
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伝説の賢者たち❾聖賢。

これは「周公聴訴(しゅうこうちょうそ)」。
周公は孔子にも敬われた聖人。髪を洗っている最中でも訪ねてきた人の話に耳を傾けたという逸話。
訴えを聞くことの大切さを伝えています。
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これは「琴」。
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天井の➓昇り龍・降り龍を手掛けたのは狩野探幽本人。
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平安時代の武装をした⓫随身(ずいしん)が正面の左右を守ります。裏側(背面)には狛犬。
等身大に造られた精巧な像に江戸時代の参拝客は本物と見間違えたとか。
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膝のあたりの家紋が明智光秀の明智家の桔梗紋なのがミステリー。
加えて「明智平」の存在。「秀」忠と家「光」、家康の息子と孫の名前に「光秀」の文字が。
天海が実は光秀だったという伝説の真偽のほどは?
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天海は家康が死ぬ数年前に親密になり、「東照大権現」という号は天海が主導となってつけたもの。
会津の出身で葦名氏の一族というのが現在の通説のようです。


⓬⓭唐獅子は百獣の王。東照宮では最多の霊獣彫刻で、約半数の66体が陽明門の下層に集中。
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陽明門の裏側の彫刻もいつかじっくり見てみたい。
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⓮鳳凰と同格の知られざる霊長「鸞(らん)」は、中国伝来の想像上の鳥で天子の乗り物。
透塀の欄間に施された花鳥の彫刻のひとつ。
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陽明門の彫刻は以上です。


陽明門の向かって右テには【重要文化財】朝鮮鐘があります。
朝鮮国使の奉納で竜頭に小さな穴があり、「虫喰い鐘」とも云われています。
家光の長男でのちの四代将軍・家綱が誕生した折、朝鮮国から寄贈されたものだそうです。
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また、陽明門の向かって左テには1643年にオランダ(東インド会社)から寄贈されたに回転燈籠が。
内側が回転し、火を灯すと美しい光と影を作ります。(実際に火を灯したところを見てみたい♡)
アムステルダムで造られ、喜望峰をまわって船で長崎に運ばれてきたそうです。
この回転燈籠をよく見ると、徳川家の家紋「三葉葵」が誤って逆さまに付いていて間違っています。
しかし、外交を優先した三代将軍・家光は寛容に受け入れ容赦したとのこと。
怒らなかった徳川家の懐さに当時の参拝者は感じ入りました。
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朝鮮鐘も回転燈籠も鎖国時代に江戸幕府が海外との友好関係があったことを読み解くことができるのです。





日光東照宮8羶綣法狙墜篠撒錙粗酥敕甘籠 170610

日光東照宮8羶綣法狙墜篠撒錙粗酥敕甘籠アップです。

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2017年6月10日(土)

なんとか雨はやみ、撮影ができそうでよかった♡
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御水舎には飛龍がいました。羽根の生えた龍です。
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向かって左奥の屋根の先端が欠けているのも、未完成を好む当時の風潮か?
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ここは㊙開運スポット!
青銅鳥居に向かって3つめの三角△から2つめの菱形◇
夜、この「2」の◇のポイントに立つと、延長線上に北極星(北辰信仰の天帝)が見える真北。
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青銅鳥居〜陽明門〜唐門〜家康を祀る「本殿」〜家康の墓所「奥社」まで一直線に並んでいます。
そして上空には北極星、と。
また、この立位置の背後をずっと延長していくと江戸城に繋がる。
ここに北極星と家康のパワーが一点に集まって、江戸城に向かって行くのです。


ここに立てば、青銅鳥居、陽明門、唐門が一直線上に見えるはずですが、人が多くて唐門は見えづらい。
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あ。春日さん。
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(写真左)時々、人波が一瞬切れると見通しが良くなって唐門が見える👀
(写真右)青銅鳥居の最下部。蓮台になっていて神仏混合時代の名残。
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輪蔵。
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「南蛮鉄燈籠」…政宗奉納の鉄燈籠。
当時(海外の)鉄はとても貴重なものでした。この燈籠はポルトガル製。
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政宗はポルトガルとの交流があることを顕示したくて、この鉄燈籠を奉納しました。
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こちらは薩摩藩主・島津家久が奉納した青銅製の燈籠。
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このメインストリートの両脇に伊達と島津の燈籠が安置されているのか。
日本の北と南を治める格上の大大名である両氏を徳川家がちゃんと配下につけている、
さらに伊達と島津という最強の軍隊が神前を守っていることを表しています。



石段を上がっていよいよ陽明門です。






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