写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2009年3月31日(火)のち

またまた大船に来ています。今月2回目。
今日の主な目的は、あの北条早雲が築いたといわれる玉縄城(たまなわじょう)跡の見学ですが、
その前に付近に存在する玉縄北条氏〔後北条氏の分家〕ゆかりの史跡、社寺を訪ねたいと思います。

 ▼このページの行程はこのマップ中、
 ピンクのラインで表しています。

s-P4010410加工








JR大船駅西口から県道402号線沿いを徒歩で岡本2-2(鎌倉岡本郵便局そば)まで来ました。
10:46。大船駅西口から歩いて7分程度です。

 ▼「あの山の名前は何といいますか」と柏尾川(かしおがわ)越しの遠方に見える山を、
 通りがかりの地元の人に聞いてみました。
 が、わからないとのこと。方角からして天神山じゃないのかなぁ…。
 どなたか教えてくださ〜い

s-10:46岡本2-2s-10:47天神山?







 ▼そのすぐそばに玉縄首塚〔怨親平等(おんしんびょうどう)〕碑。
 今月5日(木)にフラワーセンターを訪ねたときにも見ました。

s-10:48六地蔵s-★10:48怨親平等碑s-P3310024s-10:49六地蔵アップ













■玉縄首塚由来(怨親平等) たまなわ・くびづか・ゆらい(おんしんびょうどう)
大昭和四十三年(1968)八月
玉縄史蹟顕彰会建之
篆(てん)額 :富岡周吉郎 文並書:光峰楚石
〔碑文〕
今を距(へだて)る四百四十余年 大永六年(1526)十一月十二日
南総の武将里見義弘(×誤り)鎌倉を攻略せんと欲し 
鶴岡八幡宮に火を放ち 府内に乱入せるを知るや
時の玉縄城主北條氏時(早雲の孫)豪士大船甘糟(あまかす) 渡内の福原両氏と供に
里見の軍勢を此処戸部川畔に邀撃(ようげき:迎撃)し
合戦数合之を潰走(かいそう:壊滅)せしめ鎌府を兵火より護る 
この合戦に於て甘糟氏以下三十有五人は戦禍の華と散り 
福原氏は傷を負ひ里見勢の死者その数を知らず 
干伐収(おさまり)て後城主氏時彼我の首級を交易(交換)し之を葬り塚を築き塔を建て
以て郷関(郷里)死守の霊を慰の怨親平等の資養と為し玉縄首塚と呼称す 経云我観一切普皆平等
〔説明〕
今から473年前の1526年11月12日に、
南房総の武将里見義弘(さとみよしひろ)が鎌倉を攻め落とそうと進軍し、
鶴岡八幡宮に火を放ち鎌倉内に乱入しました。
このことを知った当時の玉縄城主北條氏時(うじとき:早雲の孫)は、
大船甘糟(あまかす)と渡内福原の両軍と協力して里見の軍勢をこの戸部川辺にて迎え撃ち、
合戦すること数回にして敵を打ち破り鎌倉を守りました。
この合戦において甘糟氏以下35人は戦死し、福原氏は傷を負い、
里見軍の死者は数がわからないほどでした。 
戦闘が終わった時、城主の氏時は敵と味方の首を互いに交換し、
これらを葬(ほおむ)り塚を築いて塔を建てました。
そして郷里を死守した霊を慰めると共に、怨親(おんしん:敵味方)平等という考え方の例としました。 
これを玉縄首塚とよんでいます。 
経云我観一切普皆平等(お経には、すべての人は敵味方なく皆絶対平等であると説いております)。
〔位置〕
岡本2-2-20付近の戸部会館の前に建つ

鎌倉シチズンネット「鎌倉史跡碑辞典」より引用
http://www.kcn-net.org/sisekihi/tamanawa0.htm

中央の五輪塔が首塚とされる。
画面右手の案内板には里見氏側の大将を「里見義弘」としているが誤り
出典:ウィキペディア)

柏尾川は戸部川ともいうのですね。
毎年8月19日「玉縄史跡まつり」という供養を兼ねた祭りが開催されています。

第2-2(6)
後北条氏が下総の里見氏と激戦の後、渡内福原氏、大船甘粕氏を始め、味方の主だった将兵35名を葬った塚は何か。
答え 4.玉縄首塚


 ▼岡本2-3という電柱の脇道からトンネルをくぐっていきます。
 (写真右)よそ者にとっては“異界”への入口のよう。

s-10:49岡本2-3トンネルへs-10:50岡本トンネル








入口を抜けると、そこは閑静な住宅街でした。

 ▼まもなく左手に玉縄小学校の桜並木

s-10:54玉縄小学校s-10:55サクラ






 ▼玉泉寺(ぎょくせんじ)に立ち寄り(前ページにアップしています)

s-10:59玉泉寺








玉泉寺から道なりに歩いて3分
11:11。県道402号線沿いフラワーセンター大船植物園の斜向かいです。
右手にある短いトンネルを抜けます。
これは「玉縄トンネル」ではありません。

s-11:11フラワーセンターs-11:11短いトンネル







 ▼11:15。ほどなく龍寶〔宝〕寺(りゅうほうじ)に到着です。
 山門は木造茅葺で元禄年間の創建と伝わっています。

s-11:15龍寶寺s-11:15s-11:15案内板s-11:15案内






公式P96プラス(別資料) 龍寶寺(りゅうほうじ)
山号は陽谷山(ようこくざん)。開山は泰絮宗栄(たいじょそうえい)と伝えられます。
玉縄北条氏の菩提寺として栄えました。

1503(文亀3)年、北条綱成(為昌を初代とすると2代目玉縄城主)
建立した「瑞光院(ずいこういん)」がこの寺のはじまり。

1575年(天正3年)、(為昌を初代とすると)4代目北条氏勝(うじかつ)によって、現在地に移されました。
創建当時は広大な寺領を有しましたが、小田原北条氏の滅亡とともに衰退。
氏勝はのちに徳川家康に仕え、玉縄城開城後、千葉県岩富城主となりました。
1611(慶長16)年、氏勝は謀反の疑いをかけられ自殺。龍寶寺にはその位牌があります。

玉縄城は、1619(元和5)年には松平正綱が城主になり正信、正久と嗣ぎ、
1698(元禄11)年、三河吉良に移封、玉縄城は廃城となり、天領となって、伊豆韮山代官の支配下になります。
植木相模陣に陣屋が設けられたのは松平氏が城主となった時代で、寺にはその時の家臣の墓石が残っています。

1844(明治10)年、玉縄学校がこの地に移りました。
本堂には本尊の宝冠釈迦如来(しゃかにょらい)と、文殊(もんじゅ)・普賢(ふげん)菩薩が祀られ、
歴代城主や(大檀那である)実朝の位牌が安置されています。
境内には江戸時代の儒学者・新井白石(あらいはくせき)の碑や、
国の重要文化財の旧石井家の住宅もあります。

第2-2(27)
自然・景観について関連あることがらの組み合わせとして誤っているもの
1〜4から選びなさい。
答え 3.石井家住宅・大寶寺 正しくは「龍寶寺」

第2-2(47)誤りの選択肢として
答え 1.龍寶寺・柳沢吉保の碑 正しくは「新井白石の碑」



▼門を入ってすぐ左。敷地の中に玉縄幼稚園があります。
 春休み中とあって閑散としていました。さっきの園児さんは特別お預かりかも。
 
s-12:03玉縄幼稚園







貞宗寺(ていそうじ)境内から玉縄学校(現・鎌倉市立玉縄小学校)が移転したのは、
ここ玉縄幼稚園がある場所。
その後1937(昭和12)年8月に現在地(玉縄1丁目)※へ移転するまで50年近く存在。
※さっき通った桜並木のところです。

参道を挟んで幼稚園の向かい側にあるのが「旧石井家住宅」「玉縄民族博物館」です。
各100円ずつ入場料をお支払いします。両方見学するなら、まとめて200円。
有人の受付がないので、備え付けの料金箱に投入します。

実は手前の博物館を見落としてしまい、先に旧石井家住宅を見学し、その後行きました。

 ▼元禄時代に建てられた農家を移築。旧石井家住宅は国の重要文化財。
 石井家はもともと後北条氏に属した地侍で、後北条氏滅亡後は帰農して関谷村の名主を代々務めていました。

s-12:00旧石井邸とサクラs-11:23石井家s-11:20解説








 ▼住宅の中は真っ暗ですが、中に入ると自動的にほの明るい電気が点きます。
 それでも暗くて怖かったけど…。
 
s-11:21土間s-11:21石井家s-11:22囲炉裏







茅葺屋根の通気性を良くし、防虫するため、囲炉裏で年中火を焚く…。
今月19日訪れた鎌倉・覚園寺(かくおんじ)のかたに教えていただいたことを思い出しました。
旧家のお嫁さんの苦労がしのばれます…。


 ▼こちらは玉縄民俗博物館の中。
 檀家や村民から寄贈された民俗資料が展示されています。
 誰もいません。静寂の中、物言わぬ展示品が怖い、ちょっと。
 (写真左)解説がないけど、消防の車ですよね。その奥はお輿か
 (写真右)ショーケースの細かいアイテムが鳩サブレの缶々に入ってるのがかわいい
 鎌倉らしいですね

s-11:42s-11:26陳列ケース







 ▼印象に残ったもの。他にも多数…玉縄城跡のページでご紹介しますね
 (写真左)縄文時代の土器。一昨年、和賀江島で拾った破片と似ている。
 (写真右)宝永山とは富士山の左側斜面にあるデコ山のことかな

s-11:26縄文時代土器s-11:27宝永山の火山灰








 ▼玉縄城跡に行くなら、こちらで地形の把握をしていくと
 (写真左)現在地と玉縄城のある山の位置関係がよくわかりました。
 (写真右)玉縄城の本丸や諏訪壇の辺り。

s-11:32現在地模型s-11:31本丸付近模型








「平山城」と聞いていたけど…、なんか全然詳しくはないのに、
ここは攻めたくないなぁ〜と思っちゃいました。素人目にも攻めにくそう。
あの連戦連勝の戦上手、上杉謙信も攻めるの諦めたっていうし…。

 ▼2階もあります。農具や生活用品が展示されていました。

s-11:40二階展示場s-11:40農具s-11:40








 ▼参道に戻って…、庚申塔(こうしんとう)です。

s-11:45庚申塔







龍寶〔宝〕寺がある場所を「七騎谷(ななきやと)」といったのだそうです。
頼朝、石橋山合戦後の「七騎落ち」みたいですね。

 ▼龍寶〔宝〕寺本堂。自由拝観です。
 昭和26年の火災で全焼、昭和34年に大岡実氏の設計で再建。

s-11:56龍寶寺







 ▼本堂内。
 本尊の釈迦如来坐像脇侍の文殊菩薩・普賢菩薩が安置されている他、
 大檀那・源実朝や後北条時代の歴代玉縄城主の位牌も祀られています。
 龍寶寺の土地は七騎谷と呼ばれており、秦野に向かった公暁が難を避けて逃れた場所ではないかとも。
 左右の欄間には五百羅漢像が彫られています。

s-P3310186s-11:53龍寶寺s-P3310185







 ▼本堂左手の石段。
 ここを上っていくと、ぶっけり地蔵
 行かなかったのでわかりませんが、
 …裏山には玉縄北条氏の供養塔がある模様です。

s-11:49石段







 ▼参道の石畳は御影石。
 廃止された横浜市電の軌道にあったものを転用しています。

s-11:56石畳







実は新井白石(あらいはくせき)の碑を見落としてしまいました…。
帰ってきてから調べたところ、玉縄幼稚園の少し先の細道を左手に進むとあるとのことです。
ぶっけり地蔵ともどもアップできず反省。またの機会に写真撮影できればと思います。

ちなみに新井白石の碑は「朝散大夫新井源公碑銘」といい、
1725(享保10)年に室鳩巣(むろきゅうそう)が書いた文の一説を碑にした白石にまつわるもの。
風雨により磨耗しており銘文は判読できないとのこと。
新井白石が付近の城廻(しろめぐり)に家禄を得ると、白石は龍寶寺に200石を献上し、
朝鮮通信使の宿舎として使われました。


さて、龍寶寺からさらに県道402号線を進むと、ほどなく諏訪神社(すわじんじゃ)があります。
歩いて3分とかからないと思います。12:10着。
場所は「神社前」の信号があるとこ歩道橋の手前、右の細い路地の先です。自由拝観。

 ▼(写真右)合祀を表す、両太神の文字が…。

s-12:10諏訪神社s-12:11両太神








 ▼(写真左)由緒の碑に合祀のことが書かれています。
 (写真右)ひっそりとした境内。石段を上がります。

s-12:12石段s-12:12由緒







 ▼ちょっとピンぼけしてしまいましたが、本殿です。

s-12:13諏訪神社








公式P114 諏訪(すわ)神社
植木、岡本、城廻(しろめぐり)の鎮守。
祭神は建御名方神(たけみかたのかみ)。
1512(永正9)年、北条早雲が玉縄城築城の際に勧請したといわれます。
以後、北条氏の崇敬を集めましたが、
1619(元和5)年に玉縄城が廃されたとき、現在地に移されました。
その際、鎌倉権五郎景政を祀る関谷(せきや)の御霊社と合祀されました。
農業の神として崇敬されています。


諏訪神社を後にして、いよいよ玉縄城跡のある清泉女学院中学・高校へ。
県道402号線、ゆるい坂道を上がっていきます。
今回初めて知ったけど、この道は…
神奈川県道402号阿久和鎌倉線(かながわけんどう402ごうあくわかまくらせん)といって、
神奈川県横浜市瀬谷区阿久和東(阿久和交差点)から鎌倉市岡本に至る県道。
この路線は通称「かまくらみち」と呼ばれています。
1180(治承4)年頃、源頼朝鎌倉から府中方面へ抜ける街道として整備した道。
別名、陣街道、西の道。
出典:ウィキペディア)

…そうなんだぁ
なんか急に感慨深くなってきました。
むかしむかし、頼朝の頃から開かれていたのですね。


 ▼その沿道、鎌倉市立植木小学校。余談ですが、昨晩の夢に出てきました。
 もちろんここを訪れるのは初めてなので、今までに見たことはありません。
 ひさびさに予知夢見ました。夢の中で
 「なんでこの小学校、“御成小学校”と同じ校門なの」と
 誰かに質問していましたが、この植木小学校だったとは…

s-12:19植木小学校






 ▼12:24。前方に玉縄トンネル
s-12:24玉縄トンネル






このトンネルを抜けたら、玉縄城跡はすぐです



公式P は、「鎌倉観光文化検定公式ガイドブック」掲載ページ。
は、参考にさせていただいた本からの出典。

第1-3は、「第1回鎌倉観光文化検定3級」出題。
       第2-2は、「第2回鎌倉観光文化検定2級」出題。



にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 鎌倉情報へ
にほんブログ村

にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 歴史ブログ 中世史(鎌倉・室町)へ
にほんブログ村