写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。2009年4月18日(土)
のち
隅田公園で行われる草鹿(くさじし)と流鏑馬(やぶさめ)を見に行きます。
まずは11時から桜橋寄りの広場で行われる草鹿。
▼神事のスタート、伝法院(でんぽういん)から行列をスタートした
草鹿のご一行が浅草寺東参道にお目見えです。
今まさに江戸通りを横断して隅田公園に入ろうとしています。

今回初めて見る草鹿ですが、始まりはなんと、というかやはり源頼朝が行った富士の巻狩り。
家人が鹿などの獲物を射損じたので、古老の武士にたずね、射術の稽古の方法として草を束ねて鹿の形を作り、
距離を定めて稽古したのがその起源なんだそうです。
元来は馬上から射る騎射の式だったのでしょうが、近世では歩射の式として行われています。



▼右の射手から順にひとりずつ的に向かって矢を放っていきます。


草鹿は、20m離れた鹿の形をした的に矢を放ち、その当たり所を競う競技です。
礼儀作法が大切で、射手は弓が的に当たっても、
的奉行との問答を違えると外れになるなど厳しいきまりがあります。
▼(写真左)的奉行。(写真中)鹿の的、かわゆい
。(写真右)問答の結果はいかに



▼今日の隅田川です。
首都高の向こうに見えるのは、そうスカイツリー(新東京タワー)の工事現場です。


▼こちらは午後1時から流鏑馬(やぶさめ)が行われる特設馬場の埒(らち)外に
設けられた観客席。
11:32。招待席も一般席もまだガラガラなのです。


昨晩のお馬さんはどうしているか、見に行きました。
▼いたいた
大仕事の前に腹ごしらえの真っ最中です。
そろそろ正午、われわれも一旦帰宅してお昼ご飯を食べて出直そうと思います。
▼12:35。自宅から伝法院に向かう流鏑馬の一行が見えました。
草鹿同様、伝法院を起点に浅草の町の中を少し行列してから隅田公園に入ります。

▼12:49。浅草寺東参道まで戻ってきた流鏑馬のご一行です。


▼あら
、鎧兜がよくお似合いで
たぶん…前世は日本人だったのではないですか



▼(写真左)13:03。いよいよ騎射(きしゃ)が始まります。
(写真中)地形上、馬場は一直線というわけにはいかず、カーブがかかっています。
(写真右)馬場元(上手)へ向かって進む一行。
見てください、この観衆の多いこと。1時間半でこんなにいっぱいになっちゃった。




あふれ出した観衆は隅田川の堤防まで。
暑からず寒からずここちよい陽気、ほのかに若葉が薫るなか、
古式ゆかしい神事を心ゆくまで楽しんでいました。
▼馬場元(上手)付近にて。馬場の安全確認後、扇を掲げて出走の合図。

▼一の的(まと)的中、三連発
写真。的の中央に命中すると板が割れて、中から紙ふぶきのような切麻(きりぬさ)が舞い散ります。
なんともいい気分
。素晴らしい技術に感心するばかり。馬場に的は3つありますが〔三的・みつまと〕、なかなかすべての的を射止めるのは大変なことのようでした。



▼鏑矢(かぶらや)が当たらなかった的もいったん外して、新しい的を。
板の裏に貼られた白い紙の内側に切麻が入っているのですね



▼射手の中には確か紅一点、女性がいらっしゃいました。
ソメイヨシノは終わってしまいましたが、馬だまりではちょうど見頃のヤエザクラが…。


▼鏑矢を渡すのもしめやかに。



▼大トリは小笠原流宗家32代目となる御曹司・小笠原清基(きよもと)さん。


小笠原流宗家は、毎年9月14〜16日に行われる鎌倉・鶴岡八幡宮例大祭の最終日(16日)に、
流鏑馬神事を奉仕することでも知られています。
▼すべてを終え、再び伝法院へ向かうみなさん。
無事に勤めを果たして、ふと緩む表情も…。
お馬さんもお疲れさま
。ちょっとご機嫌ナナメなのね。どぅどぅ。


▼特設馬場の上手(写真左)と下手(写真右)。
さっきまでここを疾走していたんですね〜



▼14:31。伝法院からお帰り。
みなさん、これから帰り支度です。

▼ホントお疲れさまでした。体を洗ってもらって気持よさそうな白馬くん



▼縁起物
いただきました。的中して割れた的のカケラ。(写真右)は飛び散った切麻(きりぬさ)です。


今回流鏑馬〔騎射〕を見るのは三回目のことでしたが、何回見ても萌え〜

です。どう考えても無理ながら、自分もやってみたいような衝動に駆られたり、
実際、射手のかたの技術は本当に素晴らしいとつねづね思っています。
また、諸役のかたがたがそれぞれの持ち場でご活躍なさっている様子を拝見できる余裕が出てきました。
やっぱり流鏑馬〔騎射〕って、いいですねぇ…。
地元浅草ということで、最もリラックスして楽しめた流鏑馬〔騎射〕でした。
それにしても、流鏑馬のルーツは思っていたよりもずっと古く、天武天皇の時代、西暦700年頃に始まるのだとか。
宮廷公事としてスタートし、平安時代に盛んに行われていましたが、公家社会の凋落とともに衰退。
変わって武家政治の台頭によって「流鏑馬」と名も方式も改められ継承されていきました。
それも鎌倉幕府の凋落とともに衰退、室町時代にはほとんど途絶えてしまう。
徳川8代将軍吉宗の時代に約400年ぶりに復活されたのだそうです。
うんぬん。また時間のあるときにもう少し詳しく流鏑馬の歴史、紐解いてみたいと思います。
浅草(台東区9と流鏑馬の歴史についても…。
今日のところはここまでにします。
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