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2009年6月30日(火)ときどき

延命寺から大町大路を経て小町大路を北上し、妙本寺(みょうほんじ)にやって来ました。
こちらのお寺はNHK大河ドラマ『草燃える』で見た凄惨な1シーン、
北条氏に滅ぼされた比企(ひき)氏邸跡だというイメージが強すぎるせいか、
これまで訪れてもすぐに立ち去りたい思いが先立ち、見落としの多かったのが気になっていました。
四季折々、花の寺としても人気がある妙本寺に、いつまでも腰が引けているのは非常にもったいないことです。
今日こそはこのお寺をゆっくり散策して何かが変わることを期待します

それにしても3回訪問中2回雨とは…
1回目:2006.12.12. 2回目:2009.5.26.
どちらも当ブログ内で訪問レポートをアップしています。 


s-妙本寺門前s-P6300075







 ▼文学案内板も今日はしっかり。林不忘(はやしふぼう)のお墓があるのですね。

s-妙本寺解説s-文学碑








 ▼比企能員(ひきよしかず)の館があった、ここ比企ヶ谷(ひきがやつ)。

s-比企能員邸址碑








比企能員邸址 (ひきよしかず・ていあと)
大正十二年(1923)三月 鎌倉町青年団建
〔碑文〕
能員は頼朝の乳母(うば)比企禅尼の養子なるが 
禅尼と共に此の地に住せり 
此の地比企が谷(やつ)の名あるも之に基づく 
能員の女(むすめ) 頼家の寵(ちょう)を受け若狭局(わかさのつぼね)と称し 子一幡(いちまん)を生む 
建仁三年(1203)頼 家疾(病)むや母政子関西の地頭(じとう:庄官)職を分ちて 
頼家の弟千幡(せんまん)に授けんとす 
能員之を憤り蜜(ひそか) に北条氏を除かんと謀(はか)る 
謀泄(漏)れて 郤(反)つて北条氏の為一族此の地に於て滅さる
〔説明〕
比企能員(よしかず)は、源頼朝の乳母(うば)であった比企禅尼(ひきのぜんに)の養子であり、
禅尼と共にこの場所に住んでいました。
この土地の名前が、比企ヶ谷(ひきがやつ)というのもこのためです。
能員の娘は頼家に愛されて妻になり、若狭局(わかさのつぼね)とよばれて、一幡(いちまん)を産みました。
1203年頼家が病で倒れると、母親でもあり、頼朝の妻でもある政子が頼家の権力を二分して、
頼家の弟・千幡(せんまん)に渡そうとしました。
このことに能員が怒り、ひそかに北条氏を滅ぼそうと計画しましたが、
逆に北条方に覚られ、比企一族はこの地で滅ぼされてしまいました。
〔位置〕
大町1-15-1、妙本寺総門の前の右側に建つ。

鎌倉シチズンネット「鎌倉史跡碑辞典」より引用
http://www.kcn-net.org/sisekihi/hiki.htm

公式P108 妙本寺(みょうほんじ)
日蓮宗。山号は長興山(ちょうこうさん)。
創建は1260(文応元)、開山は日蓮。
有力な御家人だった比企一族の邸宅跡で、開基は能員の子、能本と伝えられます。
日蓮に帰依した能本が邸を喜捨(きしゃ)※、妙本寺が創建されました。
山号の長興は能本の父・能員の法号、寺号の妙本は母の法号。
直弟子の日朗(にちろう)はここを拠点に布教を行いました。
境内には、能員の娘で鎌倉幕府二代将軍・源頼家(よりいえ)に嫁した
若狭の局(わかさのつぼね)を祀る蛇苦止堂(じゃくしどう)
比企一族の供養塔
若狭の局の子で6歳で落命した一幡(いちまん)を祀る袖塚などがあります。
寺宝として日蓮の臨終の際、枕元に掲げられた自筆本尊、
存命中に刻ませたという日蓮聖人像、
徳川慶喜(よしのぶ)による写経「撰法華経」など。

※喜捨(きしゃ)…仏教ですすんで金品を寄付すること。類:寄贈。

第1-3(45)比企一族の邸宅跡で、比企能員の子、能本が開基となった寺はどこか。
答え. 4.妙本寺


まずは、蛇苦止堂(じゃくしどう)から見学に行きます。
方丈門前の狭い路地を入っていくと突き当たりの石段の上です。
蛇苦止堂(じゃくしどう)です。前回は工事中でした。
頼家室・若狭(わかさ)の局(つぼね)〔比企能員の娘〕を祀っています。
やっぱり中は工事中で、蛇苦止明神は遷座中。

s-蛇苦止堂s-蛇苦止明神遷座移転






 ▼書院にて拝観させてもらいました。足元に小さなヘビがひかえるかわいい仏さま。
 間近で拝観できて良かったです。写真撮影は禁止なのでアップはできません。

s-書院








 ▼二天門祖師堂。撮影日:2009.5.26.

s-二天門s-祖師堂








日蓮像、そして…時節柄、ノウセンカズラが綺麗でした。
写真撮影のグループが2、3いらっしゃいました。

s-日蓮像s-ノウセンカズラの木s-ノウセンカズラと日蓮











公式P78 ノウセンカズラ
緑に映えるオレンジ色の花弁はいかにも真夏の花。
妙本寺の二天門背後では、棚とウメの古木に巻きついた左右一対が鮮やかな花をつけます。
海蔵寺、光則寺、本覚寺、来迎寺(材木座)などにも夏を運びます。

…とのことでしたが、対になっているのは気づきませんでした。


今日は見落とさなかった(写真左)、一幡(いちまん)の袖塚
そして、比企一族のお墓。

s-袖塚s-比企一族の墓







祖師堂へお参りに行こうとしたら、階段に何やらかわいいモノが…。

s-祖師堂とねこs-階段とねこ






 ▼なんてかわいいねむりねこ
 階段を上が靴音なんか気にもせず、ゴンゴン寝てます
 (写真右)ほぼ、のらちゃんの目線から二天門を望む

s-スリーピングねこs-ねこから二天門












ああ、なんか和みました。一気に。
美しい花とかわいいねこ、妙本寺への先入観が薄らいでいきます。

 ▼こちら、あのカイドウの木かな。小林秀雄と中原中也が見上げたというカイドウの三代目
 花の見ごろにまた来てみよう。

s-カイドウの木






公式P76 カイドウ〔海棠〕(4月上旬〜中旬)から抜粋
妙本寺には、1937(昭和12)年、中原中也(ちゅうや)とともに見上げた、と
小林秀雄『中原中也の思ひ出』に描いたカイドウがありましたが、
現在は三代目になっています。

中原中也と小林秀雄の話は、4月25日(土)に行われた鎌倉検定の1級ガイダンスで、
講師の原田寛さんも引用されていました。

小林秀雄と中原中也が妙本寺を訪れ、海棠の散る光景をみつめたのは、
昭和12年(1937)の晩春のことでした。
ふたりの関係には複雑なものがありました。
かつて中原が同棲していた長谷川泰子が、その後、小林の下へ走り、やはり同棲したからです。
真っ直ぐに間断なく散る海棠を目にしながら、小林は
「あれは散るのぢやない。散らしてゐるのだ、一ひら一ひらと散らすのに、
屹度(きっと)順序も速度も決めてゐるに違ひない、何んといふ注意と努力」と考えますが、
そのうち厭な気分に襲われます。
ちょうど、そのとき、中原が「もういゝよ、帰〔旧字〕らうよ」と言いだします。
小林は動揺を隠しながら、「お前は相變らずの千里眼だよ」といいます。
中原は、小林の言葉に
「いつもする道化た様〔旧字〕な笑ひ」(以上、引用は「中原中也の思ひ出」より)を返すのでした。
中原は、それから半年もたたない10月、鎌倉養生院(現・清川病院)で病没しました。
(出典:鎌倉の文学小事典(かまくら春秋社)P62〜63)


 ▼祖師堂左手奥、「万葉集研究遺跡」碑。

s-万葉集碑







万葉集研究遺跡(まんようしゅう・けんきゅう・いせき)
昭和五年(1930)二月 宮中顧問官井上通泰撰 菅虎雄書 鎌倉町青年団建碑
〔碑文〕
此地は比企谷(ひきがやつ)新釈迦堂 
即将軍頼家の女(むすめ)にて将軍頼経の室なる竹御所(たけのごしょ)夫人の廟(びょう)のありし処にて 
当堂の供僧なる権律師(ごんのりっし)仙覚が万葉集研究の偉業を遂げしは実に其僧坊なり 
今夫人の墓標として大石を置けるは 適(まさ)に堂の須弥檀(しゅみだん)の直下に当れり 
堂は恐らくは南面し 僧坊は疑はくは西面したりけむ 
西方崖下の窟(いわや)は仙覚等代々の供僧の埋骨処ならざるか 
悉(詳し)くは 万葉集新考 附録 万葉集雑攷(考)に言へり
〔説明〕
この場所は、比企谷(ひきがやつ)の新釈迦堂(しんしゃかどう)があった所で、
将軍頼家(よりいえ)の娘であり、また将軍頼経(よりつね)の妻でもあった竹御所(たけのごしょ)夫人の墓のあった場所であります。
この堂の僧である仙覚(せんかく)が万葉集について立派な研究を行ったのは、この堂においてでありました。
現在の夫人の墓として、大石が置いてあるところは、ちょうど堂の仏壇の直下に当ります。
堂は多分南に面し、僧侶の住む建物は、西に面していたと思われます。
西の方の崖下の岩屋は、仙覚など代々の僧侶の骨を埋めた所と推定されます。
詳しいことは、「万葉集新考 附録 万葉集雑考」に書かれています。
〔位置〕
大町1-15-1妙本寺の奥にある祖師堂の左のハイキングコース入り口前に建つ。

鎌倉シチズンネット「鎌倉史跡碑辞典」より引用
http://www.kcn-net.org/sisekihi/manyou.htm


左手の緩やかな石段を上っていきますと、ほどなく右手にハイキングコースの山道。
そのまま石段を上っていきますと最奥に源よし子〔竹の御所〕の墓がありました。
よし子の「よし」は漢字変換できませんでした。女篇に美と書きます。

s-源よしこの墓全景s-源よしこの墓石s-源よしこの墓








頼家の娘ということは、頼朝や政子の孫。とても親しみを感じます。
でも、悲劇的な最期を迎えるのは家系の運命(さだめ)なのでしょうか。

今日の妙本寺ではとても心が癒されるような充実したひとときを過ごせました。
先入観を解き放てた今後は、また美しい花を愛でに参りたいと思います。

妙本寺(みょうほんじ)の拝観は…
:鎌倉市大町1-15-1 :JR鎌倉駅東口から徒歩約7分。
:0467-22-0777
:9:00〜16:00
:無料(二天門のところで100円)


【おまけ】

もうすぐ大町まつり。7月11日(土)・12日(日)・13日(月)。

s-大町まつり









公式P は、「鎌倉観光文化検定公式ガイドブック」掲載ページ。
は、参考にさせていただいた本からの出典。

第1-3は、「第1回鎌倉観光文化検定3級」出題。
       第2-2は、「第2回鎌倉観光文化検定2級」出題。


は、鎌倉の文学に関することがらを表しています。
出典は「鎌倉の文学小事典」から。


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