写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。2010年5月27日(木)
のち
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JR大森駅北口から荏原町行きバスで10分ほど「馬込南台(まごめみなみだい)」バス停で下車。
(
最寄は「馬込南台」の次の「万福寺」バス停です)バス通りを反対側に渡って荏原町方面に進み、ほどなく魚屋さんの角を右折すると、
なだらかな下り坂の突き当たりに「万福寺」が見えます

「馬込南台」のバス停からゆっくり歩いても7〜8分程度の道のりでしょうか。


わざと1つ前のバス停で降りて、万福寺に続く緩い坂を下りながら思い巡らすのは、
10代最後の1年間、この近所で大叔父が経営していたアパートで過ごした日々。
大家の大叔父夫婦は1階に居を構え、何かとドラ娘の面倒を看てくれました。
当時の私は、こんなに近所にある万福寺に参詣したこともなければ、
梶原景時所以の寺であることなど知る由もありませんでした。
およそ四半世紀の時が流れ、病の床に伏していた大叔父が2001年1月2日に逝去。
万福寺の「梶原殿」で執り行われた葬儀に参列した際に
その名から開基が梶原景時と伝わっていることを初めて知り、
以来、何故鎌倉の武将である梶原景時の墓が馬込に
という疑問を抱きつつ、再訪への想い幾年、本日ようやくその機会を得ました

いつの間にか空は厚い雲に覆われ、ポツポツと雨が降り出して

降水確率30%…傘がない

到着。切妻造り茅葺きの立派な山門で雨やどり

山門前の名馬・磨墨(するすみ)の像。


「磨墨」は、宇治川の戦いで佐々木高綱と先陣争いをした梶原景季(景時の嫡子)が、
武勲の恩賞として源頼朝から賜った名馬です。
像の横腹には源氏の家紋「笹竜胆(ささりんどう)」が見えます。
その昔、馬込一帯は丘陵大地で馬
の放牧が盛んだったため、「磨墨」は馬込産とも言われ、生地に葬り祀ったとの言い伝え。
南馬込三丁目臼田坂下には「するすみ塚」も。
男坂、女坂…。一瞬のうちに雨脚は強くなり、山門から一歩も出られない状態に。
突然の雨に磨墨号もずぶ濡れです



ヒマ潰しにメールを打つ少年と、作業を中断した職人さんの紫煙を眺める私。
山門で庇を借りる者、待つ身はゞ。あ、閻魔堂にも誰かいたぉ




20分ほど降り続いた豪雨は止み、青空のカケラが…。散策開始



曹洞宗 慈眼山 万福寺 縁起〔山門脇の案内板より〕江戸名所図絵に「慈眼山万福寺馬込村にあり曹洞宗の禅林にして本尊は金銅阿弥陀、観音、
勢三一光三尊なり、相伝う当寺は梶原平三景時創立の梵宇なり」と。
当寺は鎌倉時代の初期、建久年間(1190年頃)に梶原景時が将軍源頼朝の命により、
大檀那となり梶原家相伝の阿弥陀如来三尊仏を本尊として大井丸山という所に建立されました。
元応二年(1320年)に火災に遭い、景時の墓所のある馬込に移され再建。
室町時代末期以来寺域荒廃し、天正三年(1575年)相模鎌倉の禅僧明堂文龍大和尚によって
従来の密教寺院から曹洞宗に改め再興されました。
参詣後、本堂左手から魔尼輪堂を望む。

まず梶原景時に関わるものをまとめてアップします。
子安観音から右へ進むと「梶原景時の墓」方面へ。道標に従って進みます。


こちらが当山開基「梶原景時の墓」。予想よりずっと立派なものでした。
地輪正面には「正治二庚申年正月二十日 万福寺殿 」とあります。
傍らの解説板が景時をこの上なく賞賛しているのが印象的で、
頼朝の寵臣として活躍した景時に対する畏敬の念が伝わってきます。



万福寺に近い大田区立郷土博物館(大田区南馬込5-11-13)がある谷の旧家の敷地は、地元では古くから梶原屋敷と呼ばれ、梶原景時の屋敷があったという伝承があります。
ただしこれらの遺構や伝承と実際の磨墨や梶原景時との関わりを示す具体的な証拠はなく、
あくまでも俗説に過ぎません。
戦国時代の1559(永禄2)年、後北条氏により編纂された『小田原衆所領役帳』には、太田康資を筆頭とする江戸衆の中に、武蔵国馬込に梶原助五郎、同新井宿に梶原日向守の名が見え、
戦国期の土豪・梶原氏の事跡が後世、梶原景時と混同されたというのが真相のようです。
(
出典:ウィキペディア)また、江戸期の『新編武蔵風土記稿』にもこの五輪塔を景時の墓とする説を否定した記述があり、
塔の様式や法号から近世の建立ではないかと考えられています。
縁起との矛盾を感じつつ、なるほど

なお「梶原景時の墓」は以下にもあります。
・静岡市梶原山公園の梶原堂
・鎌倉市深沢小学校敷地内の五輪塔
本堂近くの大絵馬は「洞窟の頼朝」。
景時が見逃した敗軍の将・頼朝のレリーフ。

「梶」の木ってこんなの
。樹皮が特徴的。

そして、こちらが葬祭ホール「梶原殿」。2001年1月4日以来の再訪です。
鍵が閉まっていたので、2階の歴史資料展示室の見学は断念。

万福寺には梶原景時以外の史跡もいろいろとありましたので、以下にアップします。
【墓石・供養塔】
(写真左)梶原景時の墓近くにある「歴代住職の墓」
(写真右)徳川幕府の棟梁を永く務めた「木原義久の墓」
日光東照宮の奥の院及び御廟・上野寛永寺の徳川家御廟・浅草寺の旧本堂・
上野東照宮の社殿・赤坂の山王日枝神社旧本殿の造営などに携わる。
現存のものはすべて国宝・重要文化財。


木原義久は尾張の出身ですが、徳川家康の上洛とともに江戸に入り、
大森山王高台を木原山と称して所領し邸を構えていました。
(写真左)魔術の女王と呼ばれた「松旭斉初代天勝の墓」
明治末から昭和初期に活躍したマジシャンで美貌とセクシーな水芸で一世風靡。
その人気は日本のみならずアメリカ興行でも
云々…。「天勝を残す会」によって当山に分骨されました。
(写真右)史蹟「お幸の墓」と「お幸身代り地蔵」 お幸って誰



大田区文化財「日待供養塔」


【句碑】
室生犀星(むろうさいせい)の句碑は境内に2基。
かつて犀星は万福寺の裏に住んでいました。


こちらは道元の句碑。

作業を再開した職人さんとすれ違いざま、
「さっきの雨はスゴかったねぇ。まるでバケツを引っ繰り返したようだったなぁ
」「そうでしたねぇ
」とても充実した境内散策
でした。眩いばかりの五月の空に、雨上がりの古刹は清々しく爽やかで。
万福寺(まんぷくじ)のアクセスは…
:大田区南馬込一丁目49番1号 
:JR京浜東北線大森駅西口下車、東急バス荏原町駅入口行きで万福寺バス停下車徒歩約3分。
【おまけ】
帰りは梶原殿前を道なりに進み、「馬込文士村散策の道」に出ました。


住宅密集地の中に往時を偲ばせる石像。
宮の森を思わせる木立に近づくと、それは北野神社でした。



さらに道なりに進んで環七に出て、最寄のバス停からバスでJR大森駅へ。
散策は次ページに続きます。
本日散策したエリアのマップ
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