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2010年8月27日(金)

8月の鎌倉ガイド協会主催ツアー「夏木立に蝉の声を聞き、鎖大師の御心を聴く」
に参加させていただきました。その前編【青蓮寺】です。

大船駅からバスで青蓮寺(副住職の法話)〜鎌倉山〜夫婦池公園までの半日コース。
徒歩約6km、高低差あり。参加費500円。拝観料など200円。交通費(バス代)220円。

集合場所はJR大船駅南改札ルミネウィング前。
8:30頃到着。参加者は全60名ほどだそうです。
先着順に15名ずつのグループに分かれ、わたしは二番手のグループで出発。
皆さんと2番バスのりばから乗車。
15分ほど乗車して、「鎖大師」バス停のひとつ先「西ヶ谷(にしがや)」バス停で下車。

 (写真左)県道…今バスで来た坂道(男坂)を戻るように下って、青蓮寺(しょうれんじ)へ。
 (写真右)この小さなトンネルの中、かつての参道なんだそうです。
 県道が1957(昭和32)年に出来るまでのお話。
 
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参加者60名一同に青蓮寺で副住職さんの法話を聞くので、
先発隊は後発隊が到着するまで、周辺や境内を散策しながら待ちます。

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最寄の熊野神社へお参りに行きました
青蓮寺の子院の宝積院が管理しているそうです。
鰐口を鳴らすとドンドンと音がして神様が出てくる言い伝えは、
社殿に住みついたテンのしわざ。




 (写真左)こちら青蓮寺(しょうれんじ)山門です。
  この辺りは関東大震災で水浸しになり、山門はその後建てられました。
 (写真右)鬼が咥えている部分を「ゆい」と言うのだそうです。なんか可愛い
                              ガブッ
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公式P86 青蓮寺(しょうれんじ)
高野山真言宗。山号は飯盛山(はんじょうさん)※1。開山は空海(弘法大師)。
東国をまわっていた空海※2が、
819(弘仁10)年、青蓮寺裏山で護摩の悲報を修行していたとき、
美しい天女※3が現れて力を貸してくれました※4
大師が無事修法を終えたとき、天女は一粒の仏舎利(釈迦のお骨)を大師に託して姿を消しました※5
その仏舎利を密教の法具※6に納めて翌朝目覚めると、
池に青色の蓮華の花が咲きそろっていたといいます。
また別名「鎖大師」※7と呼ばれる由来は、本尊の木造弘法大師坐像の両足の関節が、
鎖のような細工のため自在に動かせるようになっていることにあります。
この本尊は鎌倉時代の作で鎌倉に四体ある写実的な裸形彫刻※8の一つ(国重文)。
厄除け大師としても知られます。

以下【※印の注釈】は、鎌倉ガイド協会制作のレジュメと副住職さんのお話からいただきました。

※1:門前から見える、山号になった飯盛山(めしもりやま)。

s-●飯盛山

あの山の頂上で、弘法大師が7日間護摩焚きを行った。
「弘法大師護摩修行之霊場」の碑があり、
弘法大師が護摩焚きをした1坪ほどの場所には、
手入れもしないのに未だに草があまり生えないのだとか。


※2:称名寺(今泉)・成就院・青蓮寺。鎌倉には3回立ち寄っている。

※3:美しい天女とは江の島弁財天のこと。

※4:修行に入ると身の回りのことが疎かになるので、給仕などを手伝ってもらった。
  弁財天が「給仕」に関わった山だから「飯盛山」。
  宮中ではお祝い事でご飯をこんもり盛ることからおめでたい名前でもある。

※5:弁才天は「池」に姿を消した。池は10畳ぐらいの広さ。今後整備をする予定。
  この池は弁財天が江ノ島と青蓮寺を行き来するのに使っていた。
  今でも境内にある池の底は江ノ島の方に抉(えぐ)れ、
  江ノ島方に向かって流れるように水路の穴がある。

※6:五鈷杵(ごこしょ)という先端が5つに分かれているダンベル型の密教の法具。
  そのグリップ部分に仏舎利を納めた。鎖大師さまが持っているのも五鈷杵。
  現在使われている五鈷杵は現住職がオーダーメイドし、
  仏舎利の代用としてメノウ系の特殊な白い石を加持後、七宝とともに入れてある。

※7:お寺の通称にもなっている本尊の弘法大師坐像【鎖大師】は、
   1月21日(初大師)・4月21日(大祭)・8月16日(施餓鬼会)・12月21日(収大師)  
                      の年4回のみご開帳の秘仏
  ふだんは内々陣にお姿の写真がかかっている。
  
  史実では鎌倉時代後期の作であるが、お寺に伝わる伝記(伝説)では、
  816(弘仁7)年、嵯峨天皇の命により弘法大師が諸国行脚の旅に出る時、
  天皇との別れを惜しんで、等身大の像を鏡に向かって作り、
  着ていた衣服・法衣・念珠・五鈷などをつけ、天皇に献上したといわれている。
  天皇が亡くなった後、大和(奈良県)の岡寺に移され、
  やがて鶴岡八幡宮寺等覚院蓮華定院に安置されていたものだった。
  1868(慶応4・明治元)年の神仏分離令の際、
  鶴岡に所属する松源寺(現・川喜多映画記念館の辺りにあった)に移され、
  その後壽福寺を経て青蓮寺に安置された。
  
  神仏分離令の廃仏毀釈運動で鶴岡八幡宮寺の仁王門が焼かれ、
  仁王像は下駄屋に売られるところを壽福寺に引き取られた。
  仏像は由比ヶ浜で焼かれることになっていたが、いよいよ焼かれる前日、
  この弘法大師像がいなくなり、草履を履いて壽福寺に行って座っていたのを
  青蓮寺が引き取ったという伝説がある。

  鎖大師の特徴は、鎌倉時代を代表する写実的な裸形彫刻のひとつ、
  法衣を纏って手指の爪は水晶。目は水晶を使った玉眼。
  右手に五鈷杵、左手に念珠を持つ。
   
  「鎖大師」の名で呼ばれる由来は2点あり…、
  (1)仏像の技法的な意味  
  (2)信仰上の意味 ◎青蓮寺ではこちらを重視

  (1)は法衣の着替えのために、両脚の付根が動くようになっている。
  その関節に「鎖のようなもの」が使われていることから。
  実際には鎖が使われていないというナーバスな問題もあるが…。
  歴史上の書物で最初に鎖大師の表記があるのは、
  水戸光圀が編纂した『新編鎌倉誌』で、
  「足を屈伸するように作ってある珍しい仏像で、名づけて鎖弘法大師という」とある。
  日本にはあまりない、恐らく唯一の技法を用いた仏像。

  (2)は62世くさなぎぜんり(京都の大覚寺を大覚寺派という独立したひとつの  
  宗派に仕立て上げた人物)が信仰上の意味を明確に示し、
  「大師様を信仰する人と大師様が鎖のように強いご縁で結ばれるように」
  との願いが込められているとのこと。

  座高88cmとほぼ等身大。裸体の像に絹の法衣を纏った
  ほぼ人間と同じスタイルは、仏ではなく人間であり、皆の言葉も気持もよくわかる。
  気持が通じるから強い絆で結ばれることができるということを意味している。
  
※8:鶴岡八幡宮の弁財天、延命寺の身代わり地蔵、江の島弁財天、青蓮寺の鎖大師。


法話のお時間まであと少し。ガイドさんについて境内を散策

 手広と笛田の激しい水争いで裁判沙汰に…何故か釈宗演の名が。

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 頭の上に「青い蓮」を咲かせ、その上金色の五輪等を載せた五輪塔童子
 萬霊供養と諸祈願成就のために建立されました。
 勝負運・健康運・恋愛運などをもたらすとされ、
 全5体、五輪塔を表す5つの梵字をそれぞれの童子が持っています。
 童子に優しく触れてお願いを…。「あ」は金運
 この五輪塔と五輪塔童子は、東京藝術大学教授 薮内佐斗司さん作。
 薮内さんはあの「せんとくん」の制作をした方。似てる

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植木がツルやイルカの形に刈られています。
…明るく親しみやすい雰囲気の境内でした。





 (写真左)飯盛山仁王院(にんのういん)青蓮寺  
 (写真右)その向かい側にある、手広山寶積院(ほうしゃくいん)薬王寺

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(写真左)手広山寶積院薬王寺は、2006(平成18)年1月31日に、
高野山金剛峰寺本山に本山に正式登録されました。
青蓮寺には江戸時代二つの塔頭寺院、寶積院と東福院がありました。
その一つを再建したのが、この手広山寶積院薬王寺です。
1591(天正19)年徳川家康から二十五石の朱印を受けた格式。
寺領は現在の手広交差点付近(山門から500m)まであり、
青蓮寺に力があったため江戸幕府の政策として青蓮寺から力を削ぎ、
その力を分割するために創られたのが寶積院といわれています。
本尊の薬師如来は江戸時代に安置されていた仏像で、病を癒し恐怖を取り除いてくださる仏像。


青蓮寺の本堂内に入り、ここから写真撮影はしていないので、
文章のみのレポになります。

10:00 手広山寶積院薬王寺住職 兼 飯盛山仁王院青蓮寺副住職(次期住職)の
服部全志さんの法話を40分ほど伺いました。
お話を伺う中で1960年代後半生まれと推察でき、同世代の方なので親近感を覚えました。

「皆さんのお身体を心配するというよりは、熱中症で倒れられた後の青蓮寺の評判が…」
と冗談を交えつつ、椅子に着席して仰ぐのもOK、飲み物携帯可能という、
たいへん寛容なご配慮がありがたかったです
気さくで軽妙な語り口の服部さんのお話に、あっという間に過ぎ去った40分間。
ざっくりと青蓮寺のご紹介・仏像などのお話をいただきました。
その中で特に印象に残ったお話は…

・お寺さんで信仰の対象である仏像を見学させていただく際に、
「見せていただけませんか」とお願いするのではなく「拝ませていただけませんか」という表現をした方が、
お寺さんの心証がずっと良いということ。
お断りを受けるにしても、その断られ方にも違いが出るだろう、というお話。
文化財としてより信仰の対象であるとの認識で。

・近い将来、何かお祝い事とともに、たぶんそれは新住職の誕生、
 服部さんが青蓮寺第65世住職に就任する時と同じくして、
 20〜30年に一度行われる鎖大師像のお衣(法衣)替えの法要を行う。
 前回は服部さんが高校生の頃だったので、そろそろ23〜24年経過している。
 国の重要文化財であるため、お衣替えは大掛かりなもので、
 文部科学省と鎌倉国宝館から立会人が複数列席する。
 お坊さんも修行の度合いによっては立ち会えない場合がある。
 お衣は高野山に取りに行く(当時高校生だった服部さんは、
 その行事には参加できたが、お着替えには立ち会えなかったのだが)
 鎖大師さまを内々陣の収蔵庫から外陣(げじん)に運び出し、
 白い布を張ってお着替えする。

・9月1日に五輪塔童子のケータイの待ち受け画面(525円)が発売される。
 カレンダー、時計、鎖大師のロゴ入り、左方で童子がクルクル回る
 ケータイの中に取り込めるお守り。
 せひダウンロードされたし

法話の後は各自内陣を拝観するお時間と、
体験学習を目指している青蓮寺では仏具に触れる準備をされているとのことで、
五鈷杵や独鈷などに触らせていただきました。

11:00 皆元気に青蓮寺を後にします。
外は相変わらずの暑さでしたが、とても清々しい気持に

レポは後編【鎌倉山から夫婦池】へ続きます。


青蓮寺HP⇒http://kusaridaishi.jp/

青蓮寺(しょうれんじ)の拝観は…
:鎌倉市手広5-1-8
:JR藤沢駅南口(1〜3番)から江ノ電バス「鎖大師」下車。
       JR大船駅東口(2番)(湘南モノレール下のバスのりば)から江ノ電バス「鎖大師」下車。
       JR鎌倉駅東口(1番)藤沢駅行き江ノ電バス「手広」下車、
           「手広」の交差点を江ノ島方面へ徒歩約500メートル。
        湘南モノレール「西鎌倉」駅下車徒歩15分。

:0467-31-1352
:自由拝観
:無料


公式P は、「鎌倉観光文化検定公式ガイドブック」掲載ページ。


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