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2011年9月22日(木)のちのち

台風一過の青空から一転、午後になって雨雲が空を覆い始めました。
これから芥川龍之介が妻・文子と新婚時代を過ごしたという
鎌倉・材木座の芥川龍之介旧居跡に向かいます。

元八幡の近くにあるとのことですが、場所がわからずにいたところ…

鎌倉でご活躍の観光ボランティアガイドさん『あさちゃんのブログ』2011年5月16日(月)記載
「あさちゃんの鎌倉日記(62)材木座界隈」という散策記事を拝読後、行き方を教わりました。

本日はあさちゃんさんのガイド文で、芥川龍之介旧居跡までの行程をアップします
「大町四つ角」からスタートです。

芥川龍之介さん宅へは比較的簡単です。

大町四つ角を材木座方面に進むと左手に本興寺、右手に辻薬師堂があります。
(写真左)大町四つ角 (写真中)本興寺 (写真右)辻薬師堂
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横須賀線の踏切を渡って最初の道を右折してください。
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英会話の教室があって、角は駐車場です。
(写真左)ISHIZU ENGLISH SCHOOL
(写真右)駐車場にゃ
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曲がり角に「元鶴岡八幡」と彫られた小さな石標があります。
                 (写真右)あるある〜
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右折したらすぐ右側にアパートが見えますので、敷地内にお邪魔します。
(写真左)これか (写真右)ちょっとお邪魔します
s-★P1410041s-★P1410038







手前のアパートの外壁に案内板が取り付けられています。
 あれですか。ごくプライベート空間なので簡単な表示になっていますね。
なるほど、ブログ記事にあったように「塚本」なのに「平塚」文子になってます…
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到着〜






ずっとモヤモヤしていた芥川龍之介旧家を訪ねることができてよかったです
あさちゃんさんをはじめ、鎌倉でボランティアガイドをされている方々にはガイドブックには載っていない
貴重な情報を教えていただいてたいへん感謝しています。

大正7年3月〜8年4月の約1年間住んでいたようです。
ここから勤務先である横須賀の海軍機関学校に通勤したようですが、
教員を辞めた後は(東京の)田端に戻ったそうです。


ふむふむ。
してして、つづきを…

それよりあさちゃんが興味をひかれたのは、すぐ脇にあった古い井戸…
鎌倉十井に入ってはいませんが、石清水の井 気になる名前の井戸でした。
元八幡のすぐ手前です。機会がありましたらチェックしてください。


Yes.アパートのすぐ傍に「石清水の井」…たしかに気になります。
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鶴岡八幡宮の社務所を訪ねて巫女さんに名前の由来を伺いましたら、
「元八幡が京都の石清水八幡宮を勧請したことから」とのこと(予想通りですね)。
残念ながら詳細まではわかりませんでした。

せっかくの機会ですので、元八幡様にお参りします。「石清水の井」からすぐ。
s-★P1410047s-★P1410049







文学案内板に 元八幡横の芥川龍之介旧居跡 と記載があります。
s-★P1410053






以下は記載文です。
 東側のバス通りからこの元八幡に来る道の北側の一画は、大正時代には小山別荘と呼ばれ、
敷地内には別棟の広い家があり、ここを借りて、小説家芥川龍之介が住んだ。
 芥川(1892〜1927)は、明治25年東京に生まれ、大正5年に東京帝国大学を卒業した。
同年横須賀の海軍機関学校の嘱託英語教官となり、11月には鎌倉由比ガ浜に下宿し、
横須賀へ通うかたわら創作に励んだ。
 同(大正)6年に横須賀へ移ったが、翌7年2月に塚本文子と結婚し、3月にこの小山別荘内(大町辻の小山別邸借家)に新世帯を持った。間数は八畳二間その他三部屋に湯殿と台所という独立家屋で、庭に池があり、大きな芭蕉が五六本生えていた。大正8年に大阪毎日新聞社社員となり、創作に専念することになったので、
4月に田端の実家に帰ったが、芥川はこの頃のことを、絶筆となった「或る阿呆の一生」の中で、次のように書いている。

十五 彼等
 彼等は平和に生活した。大きい芭蕉の葉の広がったかげに。
…彼等の家は東京から汽車でもたっぷり一時間かかる或海岸の町にあったから。

詳細は鎌倉文学館(長谷1-5-3 電話23-3911)にお尋ねください。


芥川が愛する文ちゃんと過ごしたお家の佇まいや暮らしぶりを想像しながら、
この界隈をのんびり散策するのも楽しそうです。

一方、文は「追想 芥川龍之介」の中で…
「大正7年2月に私達は結婚し、4月には、田端から鎌倉大町に移転して、私達だけの新しい生活を始めました。・・・大正8年3月で主人は海軍機関学校教官をやめました。そして鎌倉にいては、文壇で活躍してゆくのには遠すぎるといって、鎌倉を引揚げました。二人限りの生活でしたし、私はもっと鎌倉にいたかったのですけれど」と書いています。また、「主人は亡くなる年の前に何となく急に、『鎌倉を引きあげたのは一生の誤りであった』と言ったりしました」とも。
田端で芥川の一族と同居することになった肩身の狭い「嫁」としての生涯。
ここ材木座の借家暮らしは、文にとってかけがえのない「二人だけの生活」を送った1年でした。
芥川にとっても楽しい日々であったことでしょうね。

参考にさせていただいたサイト
「あさちゃんのブログ」さん


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