坂東三十三観音霊場・札所第二番「岩殿寺」の散策レポです。

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2012年4月30日(月・振替休日)ときどき

前記事の続きです。
(写真左・右)法性寺(ほっしょうじ)前の県道205号線を逗子駅方面に向かって進みます。
(写真中)「久木(ひさぎ)ハイランド入口」の交差点を通過後、歩くこと15分程度。

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これから訪ねる坂東三十三観音霊場・札所第二番「岩殿寺(がんでんじ)」は、
札所中唯一の禅宗・曹洞宗のお寺です。
…とはいえ、現在のところ坂東三十三観音霊場めぐりをする予定がないこともあり、
(そもそもタイトルの「霊場」や「札所」の意味を理解していない
源頼朝ファミリーゆかりの寺であることが岩殿寺を訪ねる主な理由でした。
つねづね行ってみたいと思っていましたが、ようやくその機会を得られました。

県道205号線から閑静な住宅街に続く路地へと左折。
道標に従ってずんずん奥へ進み…行き着いた谷戸に岩殿寺はありました。

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ほとんど予備知識がないので、門前の「岩殿寺縁起」を読んでみます。

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 相州三浦郡久野谷郷(神奈川県逗子市久木)海前山岩殿寺(現在は海雲山となっている)の由来は
皇統四十五代の聖武天皇の勅願による大和の国(奈良県)の長谷寺の開山本願徳道上人が、
この地に下向されたときに始まる。

 それゆえ、当山は徳上、行基両上人の開基と言われている。
また、大非殿前から南海を見渡せるので、山を海前(現代は海雲山)と名付け
岩窟が自然の殿堂のようであったので、寺を岩殿寺と号したといわれる。

 正暦元年庚寅春三月十七日六十五代後白河法皇が来山され、
ここを坂東三十三カ所第二番の霊場とお定めになった。

なお、源頼朝が蛭ケ児島にいた頃、文覚上人の勧めで、当時の本尊を厚く信仰し、
夢に現われてお告げを蒙ることがしばしばあったという。
戦乱の折、敗色濃くなってからも、大非の冥助幾度も得て、立直れたというが、
なかでも石橋山敗軍のときは、観世音が船人ととなって頼朝を房州洲崎に渡して
たちまち十一面観世音の妙容をあらわして、三浦の方にとび去ったという。
頼朝は御報恩のため御来印を下賜され、治世の間は毎月欠かさず参拝されたという。

文治三年正月二十三日には頼朝公の姫が参詣。

建久二年子の三月には三浦義澄同六兵衛義村参詣。

建久三年巳兎の五月八日後白河法皇四十九日の御仏事のため百僧集まり参詣。
この折に南堂を補修する。

承元三年五月五日には右大将実朝将軍参詣。
寛喜二年十一月十一日、大破せる伽藍再建のため、
大僧正院家並び十二院の別当が日夜法要を修行され、
そのとき、鎌倉殿の命に依り僧西願に勧進して堂宇を再建、
三代盟主三七日昼夜祈念したことが「東鑑」にも記されている。

 しかし、その後もまた、ものかわり星うつりて七堂伽藍も荒廃し、
寺院の面目もなかったものを東照神君(徳川家康)の御仁恵により
境内ならびに田畑山林と御朱印を賜わり、その徳沢に潤い、
且つ申し請けて寺領五石の御朱印を賜わったという。

(以上「東鑑」「三浦郡記」「相模風土記」および土地旧家覚之書による)

ふむふむ。後白河法皇が登場するとは思いも寄りませんでした。

(写真左)岩殿寺山門。拝観料100円を納めて中へ
(写真中)源氏の家紋「笹竜胆(ささりんどう)」
(写真右)雲海山岩殿寺本堂

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(写真左)利生堂
(写真中)ここから石段を上がって「観音堂」へ
(写真右)伝空海作の爪彫地蔵

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報恩供養碑と岩殿寺縁起碑。
花山法皇・後白河法皇・源頼朝・徳川家康とビッグネームがズラリ。

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観音堂に到着。ご本尊は十一面観音です。
観音堂前の石段の上から眺める逗子の風景

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観音堂周辺の史跡たち。
(写真左)左に稲荷明神社、右に猿田彦神社を祀っています。
(写真中)奥の院 岩殿観音。
境内が岩で囲まれていたことが寺名の由来であるように、観音堂背面は岩に覆われています。
その中央に天の岩戸「奥の院岩殿観音」と書かれた祠があり、行基菩薩作・石の十一面観世音菩薩立像を祀っています。
(写真右)熊野権現社。右脇の50段ほどの石段を上ると東屋の「瑞光亭」があります。
瑞光亭にはここからではなく、後ほど観音堂左手の石段から右に続く小道づたいに行きました。

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(写真左)観音堂を背景に。(写真中)弁財天。
(写真右)蛇や蔵。この地に住んでいた大蛇を祀る井戸で、江の島弁天窟に通じていると伝わっています。

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そして「鏡花の池」。参拝者の憩いの場になることを願って泉文豪・泉鏡花が寄進した瓢箪池です。

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東京・神楽坂の芸奴伊藤すずと恋に落ちた泉鏡花は、すずと共に逗子での同棲生活を始め、
1902(明治35)年7月、岩殿寺を訪れた2人を心配した住職がお茶を出したことから、度々こちらを訪れるようになりました。
岩殿寺が舞台の小説『春昼』『春昼後刻』をはじめ、鏡花文学は同寺の影響を大きく受けています。

足が疲れたので、ベンチに座って休憩します。
しばし他に参詣者はなく、とても静かで落ち着く場所でした。

観音堂左手にさらに石段があり、扉の外の小道を…
左に進むと(写真左)世界平和之碑 聖徳太子像。
右に進むと(写真右)秩父三十四観音霊場札所御詠歌碑の奥に
「長寿観音」と呼ばれる十一面の正教観音菩薩塔が所在します。

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復路の参道「南無観世音菩薩」の赤い奉納幟旗が緩やかにはためいて。
曇よりとした空とは裏腹にとても清々しい気持で下山しました。

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 本日もよく歩きました
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岩殿寺をご存知の方はお気づきかと思いますが、
不勉強で泉鏡花の歌碑や鐘楼など撮影し忘れた境内史跡がいくつかあり、
できれば岩殿寺が登場する鏡花作品を読んでから再訪したいと思っています。

帰りは最寄の「久木(ひさぎ)三丁目」バス停から京急バスで逗子に出ます。バス代170円。
土地勘がないのでバスを利用しましたが、逗子駅までは歩ける距離でした。
終点の逗子駅で下車したら、目と鼻の先の新逗子駅から京急線に乗って1本で浅草です


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