日光・輪王寺の家光廟所(国宝・大猷院廟)に行ってきました。
写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。
2014年2月28日(金)
東照宮、二荒山神社から輪王寺(りんのうじ)の大猷院(たいゆういん)へ。
徳川家康の孫で、東照宮を建立した三代将軍家光の廟所(墓所)です。
二社一寺の位置関係はコチラの地図をご参照ください。


滋賀県の比叡山「延暦寺」に「延暦寺」という建物はなく、
山上山下の多くの寺院を統合して「比叡山延暦寺」という具合に、
こちらの「日光山 輪王寺(にっこうざんりんのうじ)」も日光山全体を統合していました。
明治の神仏分離以降も本堂・大猷院・慈眼堂・常行堂・中禅寺・護摩天堂・四本龍寺等のお堂や本坊、
さらに十五の支院を統合して、その全体を「輪王寺」と総称しています。
日光山輪王寺公式HPより
入口の「仁王門」から家光公墓所の入口「皇嘉門」(こうかもん)まで、
意匠の異なる大小6つの門で境内が立体的に仕切られており、
門をくぐるたびに景色が変わって、あたかも天上界に昇っていくような印象を与えます。
拝観料を納めて、写真左から「仁王門」、工事中の「二天門」、「夜叉門(牡丹門)」。
雪の冷気と静謐な空気の中、石段を上りながら進んでいきます。



続く「唐門(からもん)」は唐風の様式でできており、総金箔張り・群青・緑青・朱などの極彩色が施されています。
唐門の中央には、金地の波に白龍が彫られ、「青海波に玉取りの白龍」と呼ばれています。


いよいよ「大猷院廟」に到着。大猷院の中心建造物です。
建物全体に純金に近い金箔が多様されているので、別名「金箔殿」とも呼ばれています。
江戸時代最高の技術を駆使した、(写真左から)拝殿・相の間・本殿で構成される権現造り。
東照宮に似ていますが、より洗練されていて「権現造りの完成された様式」ともいわれます。
明治41年に国宝に指定されました。



家康公の廟所(東照宮)を凌いではならないという家光の遺命によって、
彩色や彫刻は控え目に造られましたが、かえってそれが重厚で落ち着いた雰囲気を醸し出しています。
靴を脱いで拝殿(撮影禁止)に上がり、家光公御位牌を拝ませていただきました。
歴代将軍が参拝した拝殿…その内部には徳川御三家が奉納した献上品などがあります。
徳川家の御用絵師である狩野探幽の代表作「唐獅子」、祖父家康から贈られ家光が着用した鎧なども。
偉大なる祖父・家康への並々ならぬ畏敬。
家康は、両親(秀忠と江)の愛情と期待を一身に受ける優秀な弟・国松ではなく、
自分(家光:幼名・竹千代)を三代将軍に指名しました。
生まれながらの将軍という立場に苦悩しながら泰平の世の礎を築いた家光の治世。
力尽きて48歳没、遺命した永久の安息所は…
幾度となく夢にまで現れた祖父の東照宮から500メートルのこの地でした。
そして、雪の中にたたずむ「皇嘉門(竜宮門)」。
奥の院(家光の墓所)の入口です。


廟所のある大黒山を下山し、大猷院を後にして、
同輪王寺の「三仏堂」の修理見学施設に行ってみましたが、
受付時間を超過していて残念ながら中に入ることはできなかったので、外観のみ撮影してきました。


少し早いですが、夕方から用事があるので、
来た時と同様、復路も徒歩で東武日光駅に向かいます。
11時に到着して17時25分頃の電車で帰ったので、半日あまりの短い滞在時間でしたが、
日光東照宮や輪王寺・大猷院で、家康と家光の御霊に触れたような気持になりました。
来年は東照宮の四百年式年大祭(家康公没後400年)ですね、ぜひまた訪れたいです。
写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。2014年2月28日(金)

東照宮、二荒山神社から輪王寺(りんのうじ)の大猷院(たいゆういん)へ。
徳川家康の孫で、東照宮を建立した三代将軍家光の廟所(墓所)です。
二社一寺の位置関係はコチラの地図をご参照ください。

滋賀県の比叡山「延暦寺」に「延暦寺」という建物はなく、山上山下の多くの寺院を統合して「比叡山延暦寺」という具合に、
こちらの「日光山 輪王寺(にっこうざんりんのうじ)」も日光山全体を統合していました。
明治の神仏分離以降も本堂・大猷院・慈眼堂・常行堂・中禅寺・護摩天堂・四本龍寺等のお堂や本坊、
さらに十五の支院を統合して、その全体を「輪王寺」と総称しています。
日光山輪王寺公式HPより
入口の「仁王門」から家光公墓所の入口「皇嘉門」(こうかもん)まで、
意匠の異なる大小6つの門で境内が立体的に仕切られており、
門をくぐるたびに景色が変わって、あたかも天上界に昇っていくような印象を与えます。
拝観料を納めて、写真左から「仁王門」、工事中の「二天門」、「夜叉門(牡丹門)」。
雪の冷気と静謐な空気の中、石段を上りながら進んでいきます。



続く「唐門(からもん)」は唐風の様式でできており、総金箔張り・群青・緑青・朱などの極彩色が施されています。
唐門の中央には、金地の波に白龍が彫られ、「青海波に玉取りの白龍」と呼ばれています。


いよいよ「大猷院廟」に到着。大猷院の中心建造物です。
建物全体に純金に近い金箔が多様されているので、別名「金箔殿」とも呼ばれています。
江戸時代最高の技術を駆使した、(写真左から)拝殿・相の間・本殿で構成される権現造り。
東照宮に似ていますが、より洗練されていて「権現造りの完成された様式」ともいわれます。
明治41年に国宝に指定されました。



家康公の廟所(東照宮)を凌いではならないという家光の遺命によって、
彩色や彫刻は控え目に造られましたが、かえってそれが重厚で落ち着いた雰囲気を醸し出しています。
靴を脱いで拝殿(撮影禁止)に上がり、家光公御位牌を拝ませていただきました。
歴代将軍が参拝した拝殿…その内部には徳川御三家が奉納した献上品などがあります。
徳川家の御用絵師である狩野探幽の代表作「唐獅子」、祖父家康から贈られ家光が着用した鎧なども。
偉大なる祖父・家康への並々ならぬ畏敬。
家康は、両親(秀忠と江)の愛情と期待を一身に受ける優秀な弟・国松ではなく、
自分(家光:幼名・竹千代)を三代将軍に指名しました。
生まれながらの将軍という立場に苦悩しながら泰平の世の礎を築いた家光の治世。
力尽きて48歳没、遺命した永久の安息所は…
幾度となく夢にまで現れた祖父の東照宮から500メートルのこの地でした。
そして、雪の中にたたずむ「皇嘉門(竜宮門)」。
奥の院(家光の墓所)の入口です。


廟所のある大黒山を下山し、大猷院を後にして、
同輪王寺の「三仏堂」の修理見学施設に行ってみましたが、
受付時間を超過していて残念ながら中に入ることはできなかったので、外観のみ撮影してきました。


少し早いですが、夕方から用事があるので、
来た時と同様、復路も徒歩で東武日光駅に向かいます。
11時に到着して17時25分頃の電車で帰ったので、半日あまりの短い滞在時間でしたが、
日光東照宮や輪王寺・大猷院で、家康と家光の御霊に触れたような気持になりました。
来年は東照宮の四百年式年大祭(家康公没後400年)ですね、ぜひまた訪れたいです。









