「赤坂見附跡」と旧「赤プリ」跡地の再開発工事現場の周辺を散策しました。

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2014年9月27日(土)

メトロ銀座線「赤坂見附(あかさかみつけ)」駅「D(ディー)」出口(紀尾井町口)を出たところ。
弁慶橋の袂です。

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最寄りの弁慶堀・弁慶橋弁慶フィッシングクラブ

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この日の目的地は講演会が行われる千代田放送会館ですが(ブログ記事)、
途中にある「赤坂見附跡」や2011年3月末日に営業終了した旧「赤プリ」こと、
グランドプリンス赤坂再開発工事現場の一部〔旧「赤プリ」旧館(李王家邸)〕を遠目に眺めながら、
プリンス通り(「諏訪坂」)まで散策します。

赤プリ旧館(李王家邸)を西側から撮影。
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国道246号線(青山通り)を三宅坂方面に進んでいくと、突然「アオサギ」がふわり、飛んできました。
プリンス通り(諏訪坂)に左折する手前、緩い坂の途中に「赤坂見附跡」があります。
ここから旧赤プリ旧館(李王家邸)を南側から撮影。
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【標柱の解説】
左側にある石垣は、江戸城外郭門のひとつでもある赤坂御門の石垣の一部です。
江戸城の門は、敵の進入を発見する施設であるため「見附」とも呼ばれ、
ふたつの門が直角に配置された「枡形門」の形式をとっています。
詳しい説明は、右に坂を登った角にある説明板に記されています。
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…というわけで、さらに坂を登って詳しい説明を読んでみます。
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美しく組まれた石垣に
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時節柄、ヒガンバナが咲いていました。
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プリンス通り(「諏訪坂」)に左折します。
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現在、かつてここにあった旧「赤プリ」こと、グランドプリンス赤坂の跡地の再開発が行われており、
西武グループの不動産会社である西武プロパティーズが、
2棟の高層ビルを建設中で、2016年5月の竣工を目指しています。


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旧赤プリ旧館(李王家邸)を東側から。
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この旧館(李王家邸)については取り壊さずに歴史的建造物として保存されます。

【旧李王家東京邸の歴史】
旧李王家東京邸は、朝鮮王家昌徳宮李王垠(ぎん)殿下の邸宅として、
宮内省内匠寮の設計により昭和5年に竣工した建物です。
赤坂プリンスホテルとしては、客室数35室で昭和30年に開業し、
最近では婚礼施設やバー、レストランとして営業。
そして、2011(平成23)年に東京都指定有形文化財(建造物)として指定を受け、
今後の保存、利活用を検討しています。

【曳家概要】
〜旧館保存について〜
旧李王家邸がホテルとして利用されて来た中で、部分的に増築されているか所があrますが、
今回の保存においてその増築部分を撤去してなるべく竣工当時の姿に戻す計画をしています。
また、将来の建替え計画の関係から建物を曳家(ひきや)することで、建物位置の変更をする予定です。


「竣工時の旧館」と「建物の外観保存」。
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他にも「中庭」「大客室」「大食堂」「撞球(どうきゅう)室」の写真あり。
「中庭」として利用されていた部分には厨房が増築されていましたが、
厨房を除去し、当初の姿に復元する予定。
飾り柱っや天井に細かい彫刻など特に凝った部屋だった「大客室」(メインの客室)は、ホテル開業時、ロビーとして利用されていました。
「大食堂」は来客数に応じて可動間仕切りで調節。
ホテル開業後、最近はチャペルとして利用されてきました。
「撞球(どうきゅう)室」とはビリヤード室のことで、
当時の皇室建築には、運動部屋が配置されることが多く、旧李王家東京邸にはビリヤード室がありました。


これが「計画イメージ」。プリンス通りから旧館を望んだ風景。
イメージが膨らみます…素敵なお庭に旧館が映えそう
完成した暁には再訪させていただきたいです。

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再開発の工事現場のほど近く、プリンス通りに「諏訪坂」の標柱があります。

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【標柱の解説】
この坂を諏訪坂といいます。
『新撰東京名所図会』には「北白川宮御門より赤坂門の方へ下る坂を名づく。
もと諏訪氏の邸宅ありしを以ってなり」と記されています。
道路の向かい都道府県会館の敷地には、江戸時代に旗本諏訪家が長期間屋敷を拝領していました。
また、別名を達磨坂ともいいますが、旧北白川邸が紀州藩邸であった頃、
その表門の柱にダルマに似た木目があったため達磨門と呼ばれ、
その門前を達磨門前、坂の名も達磨坂と呼ばれたためです。


以上です。



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