mamataroおでかけ日記

在住の浅草から近い都内、主人(旦)の実家がある京都周辺、あるいは鎌倉など。イベントや寺社・史跡巡りが記事の中心です.

2010年02月

森厳なる聖域…覚園寺・特別公開へ。 1002154

写真をクリックすると、大きな画像を見ることができます。

2010年2月15日(月)

鎌倉宮(かまくらぐう)から徒歩7分ほど
覚園寺(かくおんじ)にやって来ました。

2010年2月5日(金)から3月7日(日)まで開催の「梅かまくら寺社特別公開」。
詳しくはコチラ⇒http://www.kamakuratoday.com/plan/13butsu.html
鎌倉十三仏をお祀りしている寺院での特別公開で、第十一番札所です。

事前抽選による当選者は、13時30分から15時30分まで、
愛染堂(写真右)、開山塔、棟立ノ井(むなたてのい)、千躰(せんたい)堂などを拝観させていただきます。

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山門では雨中参詣ねぎらいのお言葉とともにお迎えいただき、とても嬉しく思いました。
受付であらかじめ送付されていた参加証を渡し、拝観料の1,000円を納めて、
上着の目立つところに貼るシールをいただきました。
また、「古都鎌倉十三佛霊場巡拝」および「覚園寺」の解説パンフレット、
そして、かわいい携帯ストラップ(下写真)も。
お寺によって色違いになっているみたいです

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第十一番札所 覚園寺(かくおんじ)【真言宗泉涌寺派】
[阿閦如来]蓮上王 七回忌

1218(建保6)年に北条義時が夢のお告げにより建立した大蔵薬師堂をもとに、
1296(応永4)年に北条貞時が創建※。
阿閦如来以外でも本尊、薬師三尊、十二神将、黒地蔵尊、愛染明王など多彩な仏像を祀っています。
決められた時間に境内を案内しています。
(出典:古都鎌倉十三佛霊場巡拝)

※開基の北条貞時が元寇襲来の再び起こらぬことを祈り、
京都・泉涌寺(せんにゅうじ)から開山〔初代住職〕に招かれたのが智海心慧(ちかいしんえ)。
近代以降真言宗のお寺ですが、もとは真言宗・天台宗・浄土宗・禅宗を兼学した
和尚さんを育成するのが目的という大変欲張りな特徴をもつお寺でした。
やがて禅宗がしだいに人心を捉え始めると、今までの真言宗の教えを省みるようになり、
渡中して真言宗の教えを学び直し、鎌倉の覚園寺と浄光明寺に広めました。

ここから特別拝観のレポートになりますが、撮影禁止のエリアですので、
説明や個人的感想のみのアップになりますこと、ご了承くださいませ。

13時25分。「愛染堂」内にはすでに大多数の参加者がお集まりでした。
ご用意いただいた椅子、鎌検のみなさんの近くに座らせていただきました。

13時30分〜。覚園寺ご住職・仲田昌弘(なかだしょうこう)さんのお話。
あれ〜。さっき明王院で伺ったお話※とおんなじ。※前ページ参照。
…う〜ん。お顔もお声もそっくり
それもそのはず、両寺の住職を兼務なさっているのでした

続いて、副住職・仲田順昌(なかだじゅんしょう)さんのよる堂内のご案内。
まずは参拝者ひとりひとりのために般若心経の唱和から。
そして、堂内の仏像を解説後、各自間近で拝見させていただきました。

愛染堂は、明治初年に廃寺となった大楽寺に所属していたお堂。
大楽寺は1317(文保元)年に胡桃ヶ谷(くるみがやつ)に創建、
その後現在の覚園寺駐車場の位置に移転していました。
以下の諸仏も大楽寺から明治初年に愛染堂ともども移されたものです。

中央の愛染明王坐像。鎌倉時代の作。市内にある愛染明王像では一番大きい。
欲望・煩悩のすべてを受け入れ、より良く生きる力にしてくださいます。
鎌倉時代の武士の信仰厚く、とても人気のあった仏像。
その特徴、赤黒い色。頭に獅子頭。腕6本。
右上の手に何も持っていないのは、かつて仏像は個人の持ち物の意味合いが強く、
願い事を紙に書いて筒状に丸め、仏さまに持たせて拝んでいたため、
現在は何も持っていない空洞のままになっている、というお話が印象に残りました。

愛染明王坐像の向かって右に鎮座する不動明王坐像は、
平安時代後期から鎌倉時代初期の作とされます。
こちらも鎌倉武士好みの、鎌倉らしい仏像です。
別名「試みの不動」と呼ばれる所以は、伊勢原の大山寺の不動明王(国宝)を鋳造するにあたって、
願行上人(がんぎょうしょうにん)が“試し”に造ったことから。
その特徴、鉄製。大人6〜7人で運び出すのがやっと、というくらい重い。
奈良や京都の貴族文化では、ざらざらした手触りや酸化して錆びることから
“雅(みやび)”でないと、鉄製の文化が根付かなかったのですが、
貴族文化とは違った文化をもつ鎌倉では、生活用具や武器などに積極的に鉄を使用しており、
むしろ「強くて硬い」という鉄の利点に美しさを求めて敢えて製造。
鋳造技術が未発達だったため、内部の空洞は握り拳ひとつぶんぐらいしかないのだそうです。

そして、愛染明王坐像の左奥に鎮座する阿閦如来(あしゅくにょらい)坐像。鎌倉時代の作。
「阿閦」とは音読みが先に入ってきた意味のない当て字。
揺るぎない、不動の気持を与えるとのこと。十三仏の第十一番。

今日、2月15日は常楽会(じょうらくえ)〔仏さまが亡くなられた日〕のため、
掲げられた「涅槃図(ねはんず)」も間近で拝見しました。

さらに、雨天でなければ屋外で伺うべき史跡の解説を伺った後、
副住職さん先導のもと、一同、奥の院・開山塔の見学に向かったのでした。

本降りの雨中、ドロドロのぬかるみを注意深く避けつつ谷の奥へ…
ようよう辿り着いたのは、まさに森厳なる聖域という趣きの、歴代住職が眠る墓所。
…立派な石造宝篋印塔2基とそれを取り囲む石造卵塔群でした。
覚園寺が大事に大事に守り続けてきた、あるべき姿が残っている場所。
「ここに来ると、歴代の和尚さんに見られている気持になる」と副住職さん。

石造宝篋印塔は向かって右が開山・智海心慧(ちかいしんえ)の継ぎ目のない墓塔。
たくさんの梵字が刻まれています。
智海心慧は1306年に没、27回忌にあたる1332(正慶元)年の作。
左が二世・大燈源智(だいとうげんち)の継ぎ目のある墓塔。
同年作のため、より良い安山岩の石材を開山の墓塔に譲ったとされます。
 ▼「覚園寺」パンフの文字は、智海心慧の筆。

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宝篋印塔を取り囲む石造卵塔群は、おおむね時計周りの順に三世から二十九世の墓塔。
継ぎ目のない卵型は“宝の玉”。
仏教の教えをまっとうした住職は仏さまの“宝物”という考えから。

そして、覚園寺の境内、山の斜面には、177のやぐらを有する百八やぐら
やぐらには廃仏毀釈などで破壊された仏像も多いなか、
開山塔をここまで脈々と守り続けてきた覚園寺の心意気と誇りを、
鎌倉在住者、そして訪れる参詣者に理解して頂きたいとのことでした。

「足元が悪いので気をつけてくださいね。」と要所要所でお声がけくださる関係者のかたがた。
こまやかで温かいお心遣いが、雨の中、本当にありがたかったです

開山塔から来た道を戻り、次に見学させていただいたのは、
右手の山の谷間に湧いた「棟立ノ井(むなたてのい)」

鎌倉十井(かまくらじっせい)のひとつで、こちらも通常非公開のため、
まさに念願のという感じでした
公開されないのは、井戸やその周辺が荒廃しているからではと、
予想していたのですが、意外にもそのようなことはなく
きれいに整備されていてびっくりしました。

その名の由来は石組みを「棟立」のように立てた“お家”の中にある井戸だから。
本当にその通りの外観で、お屋根の下にお水を湛えていました
横井戸と見られ、左の奥の方から水がしみ出しているそうです。
この井戸水は水質が良く、お寺の宗教行事で仏さまに供される「閼伽水(あかすい)」として、現在も使用中。
後ほど千躰堂(せんたいどう)でお茶の接待をいただくのですが、
晴天だったら、この井戸水でお茶を淹れていただけてたみたいです(残念)。

棟立ノ井の後は、薬師堂〔本堂〕にて、堂内の仏像の解説をいただきました。
こちらは、普段、決められた時間にご案内いただけるスポットですので、
このページでは割愛させていただきます。

特別拝観ツアーもいよいよ大詰め。
最後は千躰堂(せんたいどう)に上がらせていただき、
本来は屋外で拝聴したであろう、地蔵堂「黒地蔵」および千躰堂の解説を伺いました。
霊験あらたかな黒地蔵に願いを託し、その分身を借り受け、
願いが叶うとお礼参りでお福分けに自分でもう1躰つくり、2躰にして返され、
増えていった千躰地蔵がたくさん並んでいます…

そして、若宮大路にお店を構える日本茶専門店「茶来未(ちゃくみ)」さんのお茶を2種頂戴しました。

日本茶専門店「茶来未(ちゃくみ)」HPはコチラ
⇒http://www.chakumi.com/

茶来未さんは、今企画「梅かまくら寺社特別公開」のスポンサー企業のひとつ。
茶師さんの解説で深蒸し『ぱちり』と浅蒸し『そんならば』の飲み比べ
製法によってまったく味が異なり、『そんならば』
今度、若宮大路のお店に行ってみようと思います
それから、和菓子『小菊』は小町の「大くに」さん※から。
:鎌倉市大町2-2-10 :0467-22-1899 月曜定休

歓談を交えての、なごやかなひとときもあっという間に過ぎ去り、
15時30分。解散時間になりました。本当に盛りだくさんで充実の2時間でした。

冒頭で今回の応募者の半分近くが落選されたことを知らされ、
来られなかったかたの分まで…というお話があったのですが、
十二分に覚園寺の雰囲気を満喫させていただき、とても幸せでした
あいにくの雨に見舞われたものの、恐らく一生忘れ得ぬ思い出の日になりました。

覚園寺(かくおんじ)の拝観は…
:鎌倉市二階堂421
:JR鎌倉駅東口・京急バス4番のりば「鎌20」大塔宮行き乗車。
終点「大塔宮」バス停下車後、:約10分。
:0467-22-1195
拝観ツアーの時間:10:00〜/11:00〜/13:00〜/14:00〜/15:00〜(土日祝日は12:00〜もあり)
拝観不可:8月(黒地蔵縁日を除く)・12月20日〜1月7日
そのほか悪天候時に拝観なしになることもあり。
:愛染堂までは無料。拝観ツアー:300円(約50分間)

 ▼覚園寺道を下ったら、鎌倉宮からバスで鎌倉駅方面へ。

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【おまけ】
 ▼途中下車して、Aさん、Sさんとともに、横大路の「Life(ライフ)」へ。
 レトロなインテリアに囲まれ、おいしいブレンドコーヒーとパウンドケーキ&ガトーショコラ

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あったかい石油ストーブ(写真なし)、懐かしいそのフォルムとカラー。
冷え切った身体を温めつつ、1時間あまり。楽しいお茶のひとときを過ごしました

Life(ライフ)
:鎌倉市雪ノ下3-1-27
:JR横須賀線・鎌倉駅東口から徒歩13分。
:0467-22-0449
:10:00〜18:00(L.O.17:30頃)
:不定休(http://pub.ne.jp/life4zushi/で確認を)

こんなにも雨に降られた鎌倉は初めて。本当に寒かった
なのに、いつも通り、心温まる1日として終結するから不思議です。

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明王院・本堂特別公開、梶原井戸へ。 1002153

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2010年2月15日(月)

浅草は曇天でしたが、11時10分に鎌倉駅に到着するとポツポツ雨が降り出しました。
東口改札を出て、停車していた5番のりばのバスに飛び乗り、十二所(じゅうにそ)へ。

2010年2月5日(金)から3月7日(日)まで開催の「梅かまくら寺社特別公開」
詳しくはコチラ⇒http://www.kamakuratoday.com/plan/13butsu.html

鎌倉十三仏をお祀りしている寺院での特別公開で、
先日(5日)の第四番札所・壽福寺(じゅふくじ)に続き、
今日は第一番札所・明王院(みょうおういん)の本堂特別公開に向かいます。

明王院(みょうおういん)の本堂公開は9時から12時まで。何とか間に合いそうです。
「泉水橋(せんすいばし)」バス停下車、徒歩3分ほどで明王院に到着。

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第一番札所 明王院(みょうおういん)【真言宗御室派】
[不動明王]秦広王 初七日忌

鎌倉五大堂のひとつである明王院は、藤原頼経が1235年に創建しました。
本堂には不動明王など五体の明王が祀られています。
鎌倉時代から祈願寺として重んじられ、元寇の際には異国降伏祈願が行われました。
出典:古都鎌倉十三佛霊場巡拝)

本尊は五大明王(不動、降三世、軍荼利、大威徳、金剛夜叉)でしたが、
江戸期の火災により不動明王を残して他の4体は焼けてしまい、
現在の像は、消失後に造像されたものだそうです。

11時30分着。白梅が見頃を迎えた境内のお掃除をされていた方が、
「特別拝観でしたら本堂の中へお入りください。和尚さんがいまお話を始めたところです」
とご案内くださり、靴を脱いでお堂の中に上がらせていただきました。

本堂の中は薄暗く、薄明かりの中にご本尊等7躰のお姿が…。
境内および今回特別拝観の堂内は撮影禁止のため、写真のアップはできません。

ご用意いただいていた椅子に座って、すでにお集まりの皆さまともども、
ご住職の仲田昌弘(なかだしょうこう)さんのお話を拝聴しました。

お寺に来ると費用がかかる、お寺は死んでから行けばいいところ、と思う人が多いかもしれませんが、
けしてそうではなく、仏さまを拝みに来るのみならず、お寺の人に話を聞いたり、
普段からそれぞれの寺のもつ雰囲気をしっかり味わって、
仏さまのもつ力を心に焼き付けて帰ってほしいのです。
そして、ぜひ1年に1度「十三仏巡り」をしてみてください。

何も費用をかけず、「顔」だけでできる3つのことがあります。

1.言葉による労のねぎらい
2.笑顔で迎える
3.目でも優しく語りかける

たとえばこれから帰宅して「今日は疲れてご飯を作るのも嫌だわ」と言うのではなく、
「雨の中でも行った甲斐があったわ」と言えば、留守番の家族も次回またこういう機会があった時、
気持よく送り出してくれるでしょう。
また、お茶を淹れてお土産のお菓子を食べながら語らうひとときがあれば、
今度は家族もお参りに行ってみよう、という気持になるかもしれません。

不平不満を言うよりも、お顔で3つの布施をしてみてください。


ご住職さんの穏やかな語り口に、お話が終わっても皆すぐには立ち去りがたく座っていると、
再び言葉を継いでお話しくださり、三度ほどその繰り返し…。癒
本来お寺とはこのような場所であろうか、と気づいたひとときでした。

江戸時代、子供を亡くした母親が「わたしの子供の匂いはこんな風でした」と、
お地蔵さまによだれかけを掛けてお参りした。というお話が印象的でした。

滞在時間約20分。
帰りがけに「足が冷えたでしょう」と優しいお言葉をいただいて、
そぼ降る雨の中、茅葺の本堂を振り返りつつ、冠木門(かぶきもん)を出ました。

明王院(みょうおういん)の拝観は…
:鎌倉市十二所32
:JR鎌倉駅東口・京急バス5番のりば「鎌23」太刀洗(鎌倉霊園正面前)行き、
もしくは「鎌24」金沢八景駅行き乗車。
「泉水橋(せんすいばし)」もしくは「十二所(じゅうにそ)」バス停下車後、:約3分。
:0467-25-0416
:9:00〜16:00
:無料(本堂内は通常拝観不可)


さて。明王院の石柱の左手を道なりに進みます
途中、紅梅が美しく咲いていました

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 ▼「さろん酔鯨館」が見えたらまもなく。

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 ▼進行方向左手に四角い井戸…「梶原井戸」到着です。ここまで3分ほど。
 1m四方ぐらいの大きさの井戸は、現在も水を湛えていました。

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 ▼梶原井戸の奥が、源頼朝時代の鎌倉幕府で活躍した能吏(のうり)・
 梶原景時の別邸跡といわれています。

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この「梶原井戸」の辺りも梶原景時別邸の敷地内だったのかもしれませんが、
鎌倉時代から使われていたのかどうかはわからないようです。

現場を見た感じ、作業所のようでしたが、ちょうど作業が終了して無人になるため、
ほどなく「立入禁止」のロープが張られ、これ以上奥の様子はわかりませんでした。
作業員のお兄さん曰く「この先には何にもないよ」とのこと。

 ▼やむなくUターン

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いつもお天気がよい日を選んで訪鎌することもあって、鎌倉で雨に降られることは珍しい経験。
なんとなく十二所から金沢街道を荏柄天(えがらてん)神社まで歩いてしまいました
参道を右折してお宮通りを鎌倉宮まで。
…ここまで来ると、さすがに冷えちゃいました

次の訪問は、覚園寺(かくおんじ)の特別拝観、13時30分集合です。
少し時間に余裕があるので、境内の売店で休憩してから行くことにしました。

 ▼この雨で店内は貸切状態です。今日のカイロはオレンジの香り付き

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 ▼ぽ〜っと待つこと10分。「あったか稲庭うどん」600円也
 小さな柚子の皮片がほのかに香ります。

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温ったところで、雨の覚園寺道をずずっと奥へ。薬師ヶ谷へと参ります

続きは次ページにアップします。
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清水観音堂、初午・秘仏ご本尊ご開帳 1002134

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2010年2月13日(土)

上野動物園から徒歩5分ほど。寛永寺「清水観音堂」にやって来ました。

 ▼こちらは上野駅周辺の地図です。右上「●表門」とあるのが、上野動物園入口。
 いま、「現在地」と表示された地点、「清水観音堂」の「清水坂」下にいます。

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 ▼京都・清水寺を模した舞台造(ぶたいづくり)の「清水観音堂」
 石段状の「清水坂」下から望む。

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寛永寺「清水観音堂」
 1625(寛永2)年、天海僧正の発願により上野忍岡に創建された東叡山寛永寺は、
その寺域を比叡山延暦寺と京都の名所を意識して整備されたといわれています。
 清水観音堂も京都清水寺の懸崖造本堂を模して創建された同宇です。
現存する旧寛永寺建造物群では最も古く、1631(寛永8)年に創建されています。
当初、現在地の北側100mに位置する上野忍岡で最も高い摺鉢山(すりばちやま)に創建されていたことは、
京都の清水寺が京都市街地を眼下に臨む東山山麓に建立されていることに倣ったと考えられます。
 清水観音堂の規模は桁行(けたゆき)5間(約12.5m)、梁間(はりま)4間(10.8m)、
単層入母屋造、壁面は赤漆塗、屋根は本瓦葺です。
とりわけ、正面の不忍池(しのばずのいけ)を臨む舞台造は、上野の山を代表する建造物として
江戸時代から浮世絵にも描かれています。
 1990(平成2)年から1996(平成8)年に解体・修理が行われ、様相を一新しました。
その際に発見された棟札から、従来、1696(元禄9)年に移築されたといわれていましたが、
1694(元禄7)年であったことが明らかとなりました。
出典:〜重要文化財(建造物)〜 寛永寺清水堂 ハガキ

今日は旧暦の「初午(はつうま)の日」です。

 ▼午前10時〜と午後2時〜「初午厄除大祈祷会」が催され、
 多くの信徒の皆さんがお見えでした。

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そして、年に一度の秘仏ご本尊「千手観世音菩薩」のご開帳の日であります。

そもそも清水観音堂は、京都清水寺の義乗院春海上人から、同寺安置の千手観世音菩薩像が、
天海僧正に奉納されたことに因んで摺鉢山(↑前述)に建てられたのでした。
この千手観世音菩薩像は、長門本『平家物語』の「盛久受難の身代わり観音」としても知られています。
壇ノ浦の合戦後、各地に落ちた平家の武将には鎌倉側の厳しい追求の手が伸びましたが、
京都に隠れ住んだ主馬判官盛久(しゅめほうがんもりひさ)は、
自分の護持仏・千手観世音菩薩を清水寺の脇尊として奉納し、千日参詣の祈願を続けていました。
しかし志半ばで鎌倉側に捕らえられ、1186(文治2)年6月28日、鎌倉由比ヶ浜で斬首となりました。
ところが、盛久の頸めがけて振り下ろされた刀は折れ砕け、
また北条政子の夢にも清水寺の高僧が現れて盛久の赦免を願ったので、
驚いた源頼朝は直ちに盛久を免しました。
京都に戻った盛久はすぐに清水寺に参詣すると、寺僧から盛久奉納の観音像が、打ち首のその時に倒れ、
腕が損傷した由を聞き、その奇瑞と霊験のあらたかさに感涙にむせんだ、という物語です。
そして、この奇瑞が、ちょうど午の歳、午の日、午の刻に起きたことが、清水観音堂の初午参りの縁日と、
年に一度の秘仏ご本尊ご開帳の縁起になっています。

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午後2時からの「初午厄除大祈祷会」終了後、午後5時までの間、堂内で下足を脱いで中に上がり、
この「千手観世音菩薩」像と
脇尊の「聖観音」像、「子育て観音」像などを間近に拝観させていただけるとのことでした。

わたし達は午後2時50分頃に清水観音堂に到着。
ちょうど拝観者で混み合っていたので、少し(10〜15分)後、
多くの拝観者が退出されて以降、ゆっくり拝観させていただくことにしました。
(たまたまかもしれませんが、午後3時頃には空いていました)

靴を脱いで、順路に従って堂内を進み、ご本尊向かって左の脇尊「聖観音」像、
そしてご本尊の「千手観世音菩薩」像、
さらにご本尊向かって右の「子育て観音」像の順にお参りしました。

最初に拝見した脇尊「聖観音」像のお姿が美しく印象的でした。
この「聖観音」像は、鎌倉時代の運慶派の作と推定されています。

そして、ご本尊「千手観世音菩薩」像は、像自体が黒いうえ、
暗い中だったので、お顔がよく見えないのがたいへん残念でしたが、
高さ50cmくらいの小さな像で、下から覗くような感じで蓮華座、たくさんのお手、光背を確認できました。
多少なりともそのいわれを知っていると、とても感慨深かったです。
今年1月9日(土)に鎌倉能舞台にて、能『盛久』を鑑賞してからのご縁つながりでした。

「清水寺観音堂の案内」リーフによりますと、
平安時代比叡山の高僧・恵心僧都(えしんそうず)の作と伝えられ、大悲観音ともいわれるお姿は、
合掌したお手・禅定印を結ぶお手の他に小さなお手が40本、合計42本のお手があり、
小さなお手の1本が二十五有(にじゅうごう)という25種類に分類されるあらゆる世界の
生きとし生けるもののすべてに慈悲の手をさしのべるお姿を表しています。

「合掌したお手・禅定印を結ぶお手の他に小さなお手が40本、合計42本」とありますが、
文面からなぜ44本にならないのか、よくわかりません

そして、最後にご本尊向かって右の「子育て観音」像
子授・安産・子育ての観音様として、多くの信仰を集めています。
特に子授は『法華経』観世音菩薩普門品に
「若し女人有りて、もし男を求めんと欲して観世音菩薩を供養し礼拝せば、
すなわち端正有相の女を生ぜん」とある通り霊験あらたかで、
この観音様に祈って子宝を授かった両親が、
その無事を願って奉納した身代わり人形が、ご宝前に多数供えられています。
この人形の供養が、今日では可愛がってきた人形に感謝して供養する人形供養になっています。

 ▼清水の舞台を模した舞台造。とその眺め。前方に不忍池を望む
 多くの人々が「物見遊山」に訪れたといいます。

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清水観音堂 江戸三十三観音 第六番札所
〒110-0007 東京都台東区上野公園1-29(西郷隆盛銅像傍)
03-3821-4749

清水観音堂の近くには「天海僧正毛髪塔および供養塔」「彰義隊墓所」などもあり、
また改めて散策に訪れてみたいと思いました。
今回は触れませんでしたが、清水観音堂は1868年の上野戦争の舞台にもなっており、
堂内にはその模様を描いた大きな絵馬や湯島の東大の方から撃ち込まれた大砲の弾が飾られています。
上野戦争で寛永寺は灰燼(かいじん)に帰しましたが、
幸運にも清水観音堂は焼け残り現在に至っています。

【おまけ】

 ▼上野公園内で見つけた薄紅。一番早く咲く「寒桜(カンザクラ)」。

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 ▼それから…「上野大仏」に立ち寄りました。

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つい散策の足を延ばしてしまう暖かな季節の到来が待ち遠しい1日でした。
雪混じりの小雨がぱらつく中、早々に家路につきました。

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ジャイアントパンダ復活決定、上野動物園へ 1002133

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2010年2月13日(土)

雪混じりの雨の中、上野動物園にやって来ました。

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お天気のせいもあってか、園内は閑散としています…。

来年早々にもジャイアントパンダのつがいを中国から借り受けることが決まり、
昨日(12日)に発表があったばかり。
2008年4月に「リンリン」が死んでからジャイアントパンダ不在の日々が続いていましたが、
ようやく上野動物園の、そして上野のシンボルが復活することになりました。

たいへん寒いので、今日はランチと、
旦が見たかったサル山をメインに少しだけ園内を散策してきました

 ▼さっそくランチ、2人前。
 カレーうどんセット(ミニ中華丼付)とハヤシライス(単品)です。

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食事後、サル山へ行ってみます。

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現在、上野動物園のサルは、下北半島からやって来た世界最北に生息するニホンザルで、
国の天然記念物にも指定されています。
今年1月24日(日)に総入れ替えになり、
それまでいたニホンザル達は非公開の施設で飼育中なのだそうです。
サル山に放した下北ニホンザルの1匹が脱走し、同日不忍池(しのばずのいけ)付近で無事捕獲されました。

 ▼(写真右)顔面に小さな点状の入墨をして判別しています。

s-P1070746s-P1070747







 ▼この寒さでニホンザル達も「サル団子」になって暖め合っています。
 厳寒の地、青森から来たサルもこの寒さは堪えるようです。

s-P1070744s-P1070749






 ▼母子と活動中のサル…かわいいです

s-P1070742s-P1070740






顔面の入墨を確認したかったのですが、とても小さな点なのか、
肉眼やカメラのズームでは不可能でした。

次に冬眠中のツキノワグマ「タロコ」を見に行ったのですが、
冬眠している様子はモニターでしか見ることができませんでした。

最後にホッキョクグマを見て退園することにしました。

 ▼ホッキョクグマの「ユキオ」♂は池に浸かって気持よさそう
 やはり寒さには強いのですね。

s-P1070754s-P1070757








上野動物園公式HP⇒http://www.tokyo-zoo.net/zoo/ueno/


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「壽福寺」特別公開に行ってきました。 1002054

写真をクリックすると大きな写真を見ることができます。

2010年2月5日(金)

2010年2月5日(金)から3月7日(日)まで開催の「梅かまくら寺社特別公開」
⇒http://www.kamakuratoday.com/plan/13butsu.html
鎌倉十三仏をお祀りしている寺院での特別公開です。
初日の今日「応募による特別公開」で当選した壽福寺(じゅふくじ)にやって来ました。

 ▼(写真左)「源氏山」碑。
(写真中・右)右端の記念碑「源實朝をしのぶ」揮毫、故・平山郁夫先生なんですね

s-14:24源氏山s-壽福寺総門前
s-源實朝を偲ぶ







見学させていただくのは、写真の山門の奥にある通常「非公開」の本堂内です。

受付開始は13時30分からですが、個々に見学させていただくと思っていたため、
前ページにも書いたように同行者のHさんと英勝寺から13時40分頃に到着。
あらかじめ送付されていた参加証を渡し、拝観料の1,000円を納めて解説文のリーフと
上着の目立つところに貼るシールをいただきました。

すでに当選者の第一陣は本堂見学中で、スタンバイ中の第二陣として15名ぐらいかな、
お集まりの皆さまとご一緒の見学になりました。

s-壽福寺参道s-壽福寺本堂特別拝観s-こちらから






第二陣でご一緒したかたの中には、
鎌倉商工会議所での懇親会でご一緒させていただいたTさんもいらっしゃいました。

特別拝観の本堂内は写真撮影禁止のため、解説や感想のみのアップとなります。

本堂には臨済宗の寺院には珍しい板の間の上に、
中央に通称「籠釈迦(かごしゃか)」と呼ばれる「宝冠釈迦如来坐像」
その両脇に「十三仏」四番札所の「普賢菩薩〔五官王、四・七日忌〕」、文殊菩薩像、
明治の初めまで鶴岡八幡宮の仁王門にあった「仁王像」がさらにその両脇に鎮座。
堂内が暗いため、白っぽく大きな「仁王像」二躯が目立ちました。
靴を履いたまま土間から見学、離れている黒っぽい仏像は少し見えにくかったです
双眼鏡を覗いているかたがいらして
次回このような機会があったら、真似しようと思いました

今回は特別な機会ということで、まずは十三仏詣の第一番札所である
明王院の副住職・仲田晶弘さんとともに「般若心経」を一同唱和。
その後、仲田さんと壽福寺のかたからお話を伺いました。

なお、「僧侶と巡る鎌倉十三仏」は仲田さんのご案内とのことです。
http://www.kamakuratv.com/local_info/topics/detail/1221671_17549.html

本尊の「宝冠釈迦如来〔籠釈迦〕」についてなど、
口頭でご解説があったのですが、わたしの能力では正確に伝えるのが困難なため、
最初にいただいた解説文のリーフを以下にそのまま記載します。

県重要文化財
脱活乾漆像(だっかつかんしつぞう)〔中尊(ちゅうそん)〕 釈迦三尊像(しゃかさんそうぞう)

室町時代
像 高  釈迦如来 282.6センチメートル
      文殊菩薩 148.2センチメートル
      普賢菩薩 149.0センチメートル
所在地  鎌倉市扇ヶ谷1-17-7 寿福寺

 寿福寺仏殿の本尊。中尊は宝髻(ほうけい)を高く結い上げ、禅定印を結んで安坐する。
宝冠や瓔珞(ようらく)は欠失。この種の像は本来『華厳経』の教説に基づいて像率され、
毘盧舎那如来(びるしゃなにょらい)と呼ぶのが正しい。
しかし、同経が毘盧舎那と釈尊とを異名同体と説くため、
わが国では早くから“宝冠釈迦”あるいは“華厳の釈迦”と称する風が生じ、
現在ではもっぱら前者の呼称を用いている。
県下にはこうした像の異例がすくなくないが、寿福寺像が宝髻〔前後二枚矧(は)ぎで内刳(えぐ)り〕と
両手首先〔一材〕が木造のほか、
脱活乾漆造※の玉眼嵌入(かんにゅう)である点がきわめて珍しい。

 両脇侍(わきじ)菩薩像はともに寄木造、玉眼嵌入、漆箔と彩色とを併用する。
二躯のうち、文殊菩薩像は右手に剣、左手に経巻を持ち、
普賢菩薩像は右手の掌を仰向けて膝上に置き、
左手は屈臂(くっひ?:ひじを曲げる)し、第三、四指を軽く曲げる。
構造は、頭部は前後矧(は)ぎ、宝髻(ほうけい)別材、体部は前後左右四材矧(は)ぎで、
左右前膊(ぜんはく:手首からひじまでの部分)・両手・膝部・裳先(しょうせん)などは別材。
内刳(えぐ)りは深く、体部内に、左右前後をつなぐ束と腹部下から地付(じつき?)に達する
束(読み方わからず)〔前面材〕とをそれぞれ彫り残している。

 寿福寺は周知のとおり、北条政子が明庵栄西(みんなん・ようさい/えいさい)を開山に迎え、
正治2年(1200)に開創した。
当初の本尊の造種は明かでないものの、鎌倉で果たした栄西の役割から推測しても、
密教的な像であった可能性が高い。

資料「神奈川県文化財図鑑・彫刻篇」より 神奈川県教育庁生涯学習部文化財保護課

脱活乾漆造(だっかつかんしつぞう)
「乾漆造」とは漆を素材とする製法で、それには二つの方法があり、脱活乾漆造と木心乾漆造です。
脱活乾漆造(だっかつかんしつぞう)は、塑造(そぞう:土造り)と同じように、
初めに心木(しんぎ:心棒。)に粘土を付けておおよその形を造ります。
その上から麻布を何枚も重ねて貼っていく際に漆を用いて定着を促進します。
これを乾燥させたところで背面から切り口を入れ、中の粘土を取り出します。
空洞となったところに木枠を入れて安定させて背後を縫い合わせます。
仕上げに「木屎(こくそう)漆」を塗りながら成形していきます。
「乾漆」とはこの「木屎漆」のことをいいます。
空洞が多く軽量なのが特徴ですが、麻布を何枚も重ねることから、鋭利な雰囲気を出すことは困難です。
しかし、全体としては柔らかい感じになります。

↑う〜ん。仏像用語、むずかしいです。
読み仮名を調べてなるべく入れてみましたが、間違っていたらごめんなさい。

奈良時代後期に盛んに造られた仏像で、それ以後は行われなくなったため、
この壽福寺の本尊は、当時の中国の影響を受けて室町時代に造立されたと推定される、
貴重な作例とされています。

拝観時間は全20分程度でしたが、時節柄けっこう冷えました
天水盤の苔がふわふわだった
大変貴重な機会なので、もう少し本堂周辺を散策したいと未練を残しつつ、壽福寺を後にしたのでした。

壽福寺(じゅふくじ)の拝観は…
:鎌倉市扇ガ谷1-17-7 :JR鎌倉駅西口から徒歩約10分。
:0467-22-6607
:中門まで自由。堂宇非公開。
:無料


                  


壽福寺からお茶するお店に向かう道すがら…

 ▼「鎌倉彫再興碑」

s-鎌倉彫再興碑

 ▼年内オープン予定の「鎌倉市川喜多映画記念館」
 http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/bunka/kawakita.htm

s-川喜多







小町通りを歩いていたら、偶然、お仕事中の有風亭の青木登さんとお会いしました
去年12月の「平家琵琶を聴く会」以来で、「平家琵琶」と「薩摩琵琶」の違いなどをレクチャーいただきました

ほどなく、目指すお店「Dolce far niente(ドルチェ・ファール・ニエンテ)」に到着です。
お店のHPはコチラ⇒http://www.e-ri.net/dfn/

s-ドルチェ ファール ニエンテ






口コミで評判のエスプレッソやカプチーノがおいしいお店とのこと

 ▼ケーキセット(デザートセット)で
 フレーバー・カプチーノのココナッツ、オーダー。
 コクがあっておいしい。ほのかにココナッツの香り

s-いちごs-ハートs-ティラミス






いちごのケーキは、ほわほわクリームとふわふわのスポンジが
お皿の縁近くのクリーム色はコンデンスミルク。
個人的にはHさんがオーダーしたト音記号が可愛いティラミスの方が好みでしたが…
短時間でしたが、約3ヶ月ぶりにいろんなお話ができて楽しかったです


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梅見頃の英勝寺、侘助。荏柄天神、古代青軸。 1002053

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2010年2月5日(金)

鎌倉駅西口から徒歩で約15分、英勝寺(えいしょうじ)にやって来ました
前回訪問時(2009.5.14.)蟇股の十二支の彫刻など建造物の見落としと、
名花「侘助(わびすけ)」、見頃のウメも併せて見学したいと思います。

 ▼(写真中)現在は使用されていない総門。(写真右)太田道灌邸旧跡碑。

s-英勝寺s-総門s-太田道灌邸旧跡












■太田道灌邸旧蹟 (おおたどうかんていきゅうせき)
大正十年(1921)三月建之 鎌倉町青年会
〔碑文〕
此の地は武略(軍略)文藻(文才)兼備へ忝(かたじけな)くも 武蔵野は萱原(かやはら)の野と聞きしかどかかる言葉の花もあるかな テフ(と言う)叡感(天皇の感歎)にさえ預りたる道灌太田持資(もちすけ)が江戸築城前の邸址なり 寛永十一年(1634)今の英勝寺と為る其の創立者水戸藩祖頼房(ともふさ)の准母(内親王)英勝院は道灌の嫡流太田康資の女(むすめ)なるより晩年将軍家光より特に此の地を授りて之に住するに至れるなり 孤鞍(単騎)雨を衝(つ)いて茅茨(ぼうし:茅葺家屋)を叩く少女為に遣(や)る花一枝 の詩趣ある逸話は道灌が壮年猶此に在りし日に於て演ぜられし所のものなり
〔説明〕
この場所は、太田道灌(どうかん)が、江戸城を築く前に住んでいた屋敷の跡です。
道灌は、軍略と文才を兼ね備えた人で、
「武蔵野は、萱原(かやはら)の野と聞きしかど、かかる言葉の花もあるかな」と、
天皇にも誉められるほどの人でした。
英勝寺は1634年に、水戸藩を開いた徳川頼房(よりふさ)の乳母(うば)でもあった英勝院によって建てられました。
その英勝院は道灌の子孫である太田康資(やすすけ)の娘で、晩年になり、徳川家光から特にこの地を授り受けたものです。
太田道灌が一人で馬に乗り、雨の中を駈け、萱葺(かやぶき)きの人家の前で雨具を乞うと、
少女が山吹の花一枝を差し出した、という故事は、この場所に住んでいた頃の逸話です。
〔位置〕
扇ヶ谷1-16-3、英勝寺の山門前右側に建つ。

鎌倉シチズンネット「鎌倉史跡碑辞典」より引用
http://www.kcn-net.org/sisekihi/ohta.htm

到着時刻は12時30分。総門の向かって右手にある通用門。
境内、梅が見頃を迎えていました。

s-通用門s-青空とウメ







公式P97 英勝寺(えいしょうじ) 
浄土宗。山号は東光山(とうこうざん)。開山は水戸家初代の息女、玉峯清因(ぎょくほうせいいん)。
現存する鎌倉唯一の尼寺。
開基の英勝院尼は、太田道灌(おおたどうかん)から数えて四代の孫・康資(やすすけ)の娘。
徳川家康に仕えた後出家、1636(寛永13)年、
三代将軍家光から譲り受けた太田道灌の土地に英勝寺を建立。
没後は水戸家の姫君が代々住職を務め、水戸御殿と呼ばれました。
関東大震災によって一部倒壊しましたが、
運慶作と伝えられる阿弥陀三尊の安置された仏殿(県重文)や鐘楼(県重文)などは、
江戸初期の名建築を今に伝えています。

通用門を出たかつての境内に、
冷泉為相(れいぜいためすけ)の母で『十六夜(いざよい)日記』の著者、
阿仏尼(あぶつに)の墓といわれる供養塔があります。

拝観料の300円を納めて境内へ。

 ▼袴腰(はかまごし)付楼閣形式の鐘楼。

s-袴腰付鐘楼s-鐘楼と梵鐘







「かまくら春秋」2007.No.452
袴腰(はかまごし)付楼閣形式の鐘楼

木々に囲まれた境内を進み、小川にかかる橋を渡ると、袴を着けたような姿の鐘楼が建っています。
袴腰(はかまごし:下層の末広がりの部分)付楼閣形式といい、寺格の高い寺に見られる様式(鎌倉では唯一)。
創建時の姿をとどめる唐門・仏殿・祠堂とあわせて、神奈川県指定重要文化財になっています。

梵鐘には、江戸時代初期の儒学者で徳川家康以降徳川四代の侍講(家庭教師)を務めた
林道春(羅山)の銘文が刻まれ、
その末尾に「寛永二十年五月吉日 法印道春撰 治工大河四郎左衛門吉忠」と記されています。
梵鐘は保存目的のため、いまはもう撞かれることはありません。

 ▼工事中の山門。

s-山門






 ▼仏殿。

s-仏殿東南s-仏殿s-佛殿







 ▼前回見落とした蟇股(かえるまた)の十二支の彫刻をしっかり見学

s-蟇股






仏殿の周囲にぐるりと…。東西南北の干支の彫刻のみアップします。
 ▼北に子(ネズミ)、東に卯(ウサギ)。

s-子(北)s-卯(東)






 ▼南に午(ウマ)、西に酉(トリ)。

s-午(南)s-酉(西)







そして…、
 ▼(写真左)縁の部分に塗られた朱色が残る扁額。なんて書いてある
 (写真右)本尊の阿弥陀三尊立像。運慶作と伝わります。

s-掲額s-阿弥陀如来立像







 ▼唐門(からもん)前のウメ。

s-うめs-白梅








 ▼(写真左)唐門(からもん)。思いっきり逆光
 (写真中)「唐門(からもん)と祠堂(しどう)」撮影日:2009.5.14.
 (写真右)花と流水紋の透かし彫り。

s-唐門s-唐門と祠堂立札s-花と流水紋の透かし彫り







 ▼どんないわれがあるのでしょうか

s-灯篭







 ▼祠堂(右の建物)とその前にある、樹齢100年以上といわれるツバキの名花「侘助(わびすけ)」。
 樹高は約6mです。(写真右)ポツンとひとつ薄紅色

s-祠堂と侘助s-ぽつん







 ▼近づくと、わずかに数輪の「侘助」を見ることができました。

s-侘助ひとつ
s-侘助







公式(第二刷)P75「花の名所」二月 ツバキ(二月上旬〜三月上旬)
名花として知られるのは覚園寺の「太郎庵(たろうあん)」と英勝寺の「侘助(わびすけ)」
いずれも市天然記念物。
以下略。

として記載されている「侘助」ですが、その名の由来は、
茶道のワビ(侘)とスキ(好)の複合語、また千宗易の下僕の侘助にちなむともいいます。
花言葉は、簡素・控えめ。
花期は11〜3月と長く、早咲きの小・中輪花をつけます。
中国産種に由来すると推測される「太郎冠者(たろうかじゃ)」という品種から派生したもの。
一般のツバキに比べて花は小型で、猪口咲きになるものが多い。

咲いている花の形、確かに「お猪口(ちょこ)」に似ていますね


 ▼鞘堂の中、祠堂(しどう)を一部撮影。撮影日:2009.5.14.
 祠堂は鞘堂の中に保護されていて、全体を拝観することが難しいのですが、
 保護されているおかげで元禄期に彩色、1754(宝暦4)年に修復された状態で保存されています。

s-祠堂

 ▼鞘堂(祠堂)前から唐門と仏殿を望む

s-仏殿を見下ろす






つづいて…、
 ▼こちらは書院です。

s-書院






代々住持として水戸徳川家から迎えた姫は、法要の際にもこの書院で過ごしていたのだそうです。

 ▼(写真左)薄氷。(写真右)水琴窟。

s-氷s-水琴窟






 ▼竹林は石畳の工事中でした。

s-工事中

 ▼姫御殿跡と五輪塔。

s-姫御殿跡s-五輪塔







 ▼竹林と書院を望む。

s-竹林






 ▼(写真左)「金毘羅宮」
 (写真右)祠堂の背後にある「来迎の三尊石仏」。

s-金毘羅宮s-来迎の三尊石仏







今回、約1時間を英勝寺の見学にあてていたのですが、
時間が足りなくて見ることができなかったものがいくつかあります。

それは、開基である「英勝院の墓塔」・「太子堂」・「三霊社権現(と内部の仏像)」です。
このうち「太子堂」と「三霊社権現」については、
りんしゅうさんの「鎌倉データベース たゆたい」HPの「寺院」→「英勝寺」で
http://www.geocities.jp/hidekihayasijp/index.html
ページに掲載された境内マップを見ると、左上のピンクの★2つが所在地のようです。
次回英勝寺を訪れる際に見学したいと思います。

英勝寺(えいしょうじ)の拝観は…
:鎌倉市扇ガ谷1-16-3 :JR鎌倉駅西口から徒歩約12分。
:0467-22-3534
9:00〜16:00(不定休)
:300円
駐車施設はありません。      

さて、英勝寺の次に13時30分〜、壽福寺の特別拝観に参加するため、
同行者のHさんと現地で待ち合わせの約束をしていたのですが、
13時すぎに英勝寺の仏殿付近で偶然出会ってしまいました
そして、ご一緒に壽福寺へ向かうことになりました

英勝寺ゆかりの史跡として、壽福寺近くに鎌倉十橋のひとつ「勝ノ橋」跡の石碑がありますが、
その小さな石碑の脇にボーンと立っている長方体の石。
(銭洗弁財天の←看板が立てかけてある石)

s-勝の橋







「勝ノ橋」のかつての敷石とのことです。
何も書いてないので、教えていただくまでまったく無頓着でした。
前出、りんしゅうさんのHPでは、「史跡」→「勝ノ橋」がクリックできなくなっており、
いつの時代の敷石なのかなど、不明で詳細については記載を控えます。


                     


壽福寺特別拝観については、次ページに詳細を記すことにし、
旅の最後に訪れた荏柄天神社(えがらてんじんじゃ)の
ウメ「古代青軸(こだいあおじく)」を最後にアップして、
このページを締めくくりたいと思います。

拝観時間は16時30分まで。何とか間に合いました。

s-荏柄天神社s-古代青軸の樹木







 ▼本殿向かって左脇の「古代青軸」です。

s-古代青軸札s-古代青軸






公式(第二刷)P74「花の名所」二月 ウメ(二月上旬〜三月中旬)
祭神が菅原道真(すがわらのみちざね)なので天神社にはつきもののウメが、
荏柄天神社には100本以上植えられています。
本殿に向かって左手にあるウメは「古代青軸(こだいあおじく)」と呼ばれ、
花の中心が青みががっています。
右手にはコウバイが植えられています。
以下、省略。

ウメの花言葉は「忠実」。バラ科に属し、原産地は中国で古代に日本に渡ってきました。

夕暮れ時であったためか、青みがかった中心の色がよく確認できませんでした。
次回訪れる際には明るい時間帯を選びたいと思います。

荏柄天神社公式HP
http://www1.kamakuranet.ne.jp/egara/
荏柄天神社(えがらてんじんじゃ)の拝観は…
:鎌倉市二階堂74
:JR鎌倉駅東口・京急バス4番のりば「鎌20」大塔宮行き乗車。
「天神前」バス停下車後、:約2分。
:0467-25-1772
:8:30〜16:30
:無料


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北条氏常盤邸跡、残雪の「タチンダイ」 1002054

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2010年2月5日(金)

快晴。鎌倉駅西口から市役所通りを徒歩で長谷・常盤方面へ
これから、国指定史跡「北条氏常盤邸跡(ほうじょうし・ときわてい・あと)」にある
「タチンダイ」と呼ばれる北条一族の有力者の別邸があった平場を目指します。

11時15分に鎌倉駅西口駅前スタート。
わかりやすくするため、要所要所で所要時間を○分と記載しますが、
わたしは歩くペースが遅いことを最初にお知らせします。

当ブログを継続して読んでいただいているかたはご存知かと思いますが、
去年(2009年)11月27日付「常盤の史跡めぐり&大仏切通の入口まで 091127」
⇒http://blog.livedoor.jp/mamataro911/archives/1392631.html
で、常盤(ときわ)方面から近くまで来て所在がわからず諦めた場所です。

北条氏常盤邸跡までは3つのトンネルを抜けて行きます。

 ▼最初に出てくるのが「御成(おなり)トンネル」。

s-11:17御成トンネル







 ▼トンネルを抜けて7分ほど行くと「佐助1丁目13番」に「蓮華寺跡」碑。

s-11:24蓮華寺跡s-蓮華寺跡碑













■蓮華寺址(れんげじ・あと)
昭和五十一年(1976) 鎌倉市
〔碑文〕
蓮華寺は仁治元年(1240)北条常時の創元にかかり 僧良忠を開山とせしが 
寛元元年(1243)之を材木座に遷し 寺号を光明寺と改めし由伝へらる 
又一説に蓮華寺は経時の菩提の為 建長三年(1251)北条時頼之を建立し 
後弘安二年(1279)の頃 武州へ遷せりともいふ 
此谷を佐介ヶ谷(さすけがやつ)と唱ふ
〔説明〕
蓮華寺は、1240年に僧侶の良忠(りょうちゅう)を開山として、北条常時(つねとき)が建てました。 
1243年にこの寺を材木座に移し、寺の名前を光明寺と改めたと伝えています。
また一説によると、蓮華寺は経時(つねとき)の菩提(ぼだい)のため、
1251年に北条時頼(ときより)が建て、
その後、1279年の頃に、武蔵(東京都)へ移したともいわれています。
この谷を佐介ヶ谷(さすけがやつ)と言います。
昭和九年(1934)三月 鎌倉町青年団建
「この石碑は、昭和九年に鎌倉町青年団により蓮華寺跡と思われる松が谷内(登記所西側谷戸)に建てられたものですが、
藤沢-鎌倉線の開通に伴い、この場所に移されたものです。
従って現在地は遺跡ではありません。
〔位置〕
佐助1-13-6にある横浜地方法務局鎌倉出張所の道路側に建つ。

鎌倉シチズンネット「鎌倉史跡碑辞典」より引用
http://www.kcn-net.org/sisekihi/renge.htm

 ▼ち〜っす

s-11:27イヌ






 ▼(写真左)11時30分、新佐助トンネル。
 (写真中)11時35分、長谷トンネル。
 (写真右)長谷トンネルを出たところ、「樹(いつき)ガーデン」入口。

s-11:30新佐助トンネルs-11:35長谷トンネルs-11:38樹ガーデン






3つめの「長谷トンネル」を抜けたら、もうまもなくです。

 ▼最寄の「一向堂」バス停。鎌倉市役所前からバスが出ています。
 本数にバラつきがあり、頻繁に出ていない時間帯もあります。

s-一向堂






 ▼トンネルから徒歩5分で「北条氏常盤邸跡」に到着
 (写真左)前回挫折した地点、トヨタネッツが進行方向前方に見えます

s-11:43ネッツs-鎌倉市歴史的風土保存地区







 ▼国指定史跡「北条氏常盤邸跡」の案内板。

s-北条氏常盤邸跡s-看板拡大s-谷戸







国指定史跡「北条氏常盤亭跡」 1978(昭和53)年12月19日指定
 北条氏常盤邸跡は、鎌倉切通の一つである大仏切通の北に接する要所として、
鎌倉時代に第七代執権北条政村などの北条一族の有力者が別邸をかまえていたことが、
吾妻鏡などの文献により知られています。
 1977(昭和52)年の発掘調査によって建物跡が確認されてその存在が証明されたため、
鎌倉時代の武家屋敷跡をとどめる貴重な遺跡として国の史跡に指定されています。
 史跡内は、山や谷を切り開いてつくった平地に門柱跡や「やぐら」、法華堂跡と伝えられている場所が有り、歴史的にもきわめて重要な史跡です。
                  2004(平成16)年3月 鎌倉市教育委員会

重複する内容ではありますが、『鎌倉観光文化検定公式テキストブック』は以下のように記載しています。

公式(第二刷)P45 北条氏常盤亭跡(ほうじょうしときわていあと)
大仏切通の北に位置する常盤一帯は鎌倉防衛の要衝でした。
そのため、七代執権北条政村(まさむら)をはじめ、北条一族が別邸を構えました。
1977(昭和52)年に発掘され建物跡などが見つかりました。
国指定史跡の範囲は、約11万平方メートルで、門柱跡、法華堂跡、やぐらなどが存在します。
鎌倉時代の歴史書で幕府の編んだ『吾妻鏡(あずまかがみ)』からも
そのたたずまいをうかがうことができます。
鎌倉時代を代表する武家屋敷として国指定史跡になりました。

北条氏常盤亭跡は、世界遺産登録の候補地のひとつにもなっています。


さて、この案内板の左手を見ますと、
「タチンダイ」と書かれた道標と谷戸の奥に続く細道が。
ここをさらに進んで行くことにします

s-11:43タチンダイ方面へs-タチンダイへ






 ▼こんな感じです。目印のピンク色のリボン、ありがたいです

s-11:45細道s-11:45リボン






 ▼ここまで3分。再び「タチンダイ」と書かれた道標が登場します。あと一息。

s-11:46再び道標






 ▼目の前が開け、2月1日に降った残雪の野原が広がっていました。
 ここが…

s-11:47残雪

 ▼11時47分。念願の「タチンダイ」に到着

s-11:47到着

 ▼右手の畑。なんだかホッとします。

s-11:48畑







何の鳥かわかりませんが、さえずりが聞こえ、時折山中でガサガサと音を立てます。

 ▼最後の目印リボン。やぐらへ近づいてみます

s-11:48やぐらへ






 ▼去年建てられたばかりの案内板。日本語・英語に中国語・韓国語まであります。
 近年は多くの中国人や韓国人が観光で来日していますよね。
 (写真右)「タチンダイ」という耳慣れない名前の由来も記述。

s-英語・中国語・韓国語s-国指定史跡

 ▼案内板右に再びピンクのリボン
 どこかへ通じる細道が。

s-11:51どこかへ通じる道






「タチンダイ」は鎌倉時代に政権を担当した武家の屋敷跡や、
その周囲の人工的な崖〔切岸(きりぎし)〕など、中世からの地形をよく伝えており、
北西隅には鎌倉時代頃の墓所で「やぐら」と呼ばれる岩窟があります。

門柱跡や法華堂跡の所在(位置)はわからないので、「やぐら」のみ見学しました。
空洞のみで中には何もありません。

 ▼(写真右)なんとなく顔のようにも見えてきます

s-奥s-やぐらアップs-顔












 ▼左のやぐらアップ。上にほぼ正方形の穴が。何のために

s-やぐら超アップ

 ▼左壁のやぐら。

s-左壁







 ▼やぐら前から見た「タチンダイ」。

s-やぐらからの眺め

 ▼足元の苔むした石。
 なるほど、何かを知っているような…。

s-石







『吾妻鏡』には、鎌倉幕府六代将軍・宗尊親王(むねたかしんのう)の常盤亭訪問の記述あり。
この旧跡ゆかりの北条政村(1205〜73)は、二代執権・北条義時の五男(庶子)で、
鎌倉幕府の七代執権(在職:1264〜1268年)。
宗尊親王在職期間に執権職だったひとり(ほかは時頼〔五代〕・長時〔六代〕です。
幼少の得宗家北条時宗の代理として七代執権となり、辞任後も連署を務めて蒙古襲来の対処にあたり、
一門の宿老として嫡流の得宗家を支えました。
2001(平成13)年のNHK大河ドラマ『北条時宗』では、伊東四朗さんが好演。
還暦を迎えて転がり込んだ執権職に、誰もいないところでひとり小躍りしてほくそえむさまが印象的でした。
「タチンダイ」は政村をはじめ、北条一族の別邸があったとされる場所とのことでしたので、
閑静な谷戸で四季の移ろいや風情を味わいながら、
重職からしばし解き放たれる寛ぎのひとときを過ごしていたのかもしれません。

もしもの話、ここの地主だったら、先ほど見たような畑で作業をし、
お昼になったらお弁当を食べてのんびりしたいような場所でした。

途中の行程でも現地でも特に危険は感じませんでしたが…、
「タチンダイ」は、市役所通りから徒歩3〜4分と、やや奥まったひと気ない場所のため、
女性のひとり歩きの場合、多少用心が必要かもしれません。

滞在時間10分程度。来た道を戻ります。

 ▼いつまで残るか…

s-11:56いつまで残る雪






 ▼11時57分。2つめの「タチンダイ」道標でのらねこと遭遇。
 (写真右)のらが下りて来た細道。どこへ続くのか

s-11:57ねこs-11:58ねこが下りて来た道






 ▼11時59分。市役所通り沿いの野原を見下ろす。

s-11:59谷戸を見下ろす

 ▼「一向堂」バス停。12時4分のバス待ち。

s-一向堂バス停






体力温存のため、帰りはあらかじめチェックしていた時刻のバスに乗って、
鎌倉駅西口まで戻ります

北条氏常盤停跡(タチンダイ)に続いて英勝寺(えいしょうじ)を見学し、壽福寺(じゅふくじ)特別拝観への参加と、
主に鎌倉駅西エリアでの散策を楽しみたいと思います。
よろしければ、次ページ以降のレポートにもお立ち寄りくださいませ。


公式P は、「鎌倉観光文化検定公式ガイドブック」掲載ページ。

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