かなりひさしぶりに訪れた奈良・法隆寺で御朱印をいただいてきました。
写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。
2015年9月21日(日)敬老の日
夏日
若草山で遊んだ後、奈良のお寺のどこかにお参りに行くことになりました。
候補は…法隆寺・興福寺・薬師寺・唐招提寺。
今回は五重塔を拝観したいという旦の希望で法隆寺へ。
修学旅行で中学生時代に1度、旦とは2度目(前回はブログ開始前)、おそらく3度目かと思われます。
かれこれ10年ぶりぐらいでしょうか。
奈良県生駒(いこま)郡斑鳩(いかるが)町。
(写真左)法隆寺が近づくにつれ、目の前に広がる景色に癒されます。
(写真中)斑鳩三寺(他は法輪寺・中宮寺)のひとつ法起寺の三重塔…
(写真右)車中から法隆寺の参道の松並木、懐かしい。



最寄りの駐車場に車を入れて、門前のお食事処、増田屋へ。
「柿ソフトクリーム」の看板に目を奪われ、遅いお昼ご飯を食べに入店。



懐かしい昭和的な雰囲気の店内で軽食。食後はお楽しみの…



柿ソフトクリーム
柿ペーストが入っているそうですが、香りも味も特に柿の風味を感じることはなかったです

さて。お腹も落ち着いたところで法隆寺に参ります。
恐ろしいくらい何も覚えていない、おバカさん
今回はこうして写真を撮影し、ブログを作るので、きっと記憶に残ることでしょう…
(写真左)◆「南大門」【国宝】室町時代。法隆寺の玄関にあたる総門。
創建時のものは、永享7年(1435)に焼失し、永享10年(1438)に現在の門が再建されました。
(写真中)くるっと振り向いて参道の松並木。(写真右)ズームアップ。



◆中門【国宝】飛鳥時代
西院伽藍の本来の入口となる中門の深く覆いかぶさった軒、その下の組物や勾欄、
それを支えるエンタシスの柱、いずれも飛鳥建築の粋を集めたものです。


重厚な扉と左右に立つ金剛力士像(奈良時代)は、日本に残っている最古のものです。


法隆寺は飛鳥時代の姿を現在に伝える世界最古の木造建築として広く知られています。
その創建の由来は、「金堂」の東の間に安置されている「薬師如来像」の光背銘や
『法隆寺伽藍縁起并流記資財帳』(747)の縁起文によって知ることができます。
それによると、用明天皇が自らのご病気の平癒を祈って寺と仏像を造ることを誓願されましたが、
その実現をみないままに崩御されたといいます。
そこで推古天皇と聖徳太子が用明天皇のご遺願を継いで、
推古15年(607)に寺とその本尊「薬師如来」を造られたのが、
この法隆寺(斑鳩寺とも呼ばれています)であると伝えています。
現在、法隆寺は塔・金堂を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられています。
広さ約18万7千平方メートルの境内には、飛鳥時代をはじめとする各時代の粋を集めた建築物が軒をつらね、たくさんの宝物類が伝来しています。
国宝・重要文化財に指定されたものだけでも約190件、点数にして2300余点に及んでいます。


日本最初の世界文化遺産「法隆寺」でございます。
1993(平成5)年12月に指定され、世界的な仏教文化の宝庫として人々の注目を集めています。

入場料(大人)1500円。さすがに格式が高いです。


まずは、西院伽藍の中心、五重塔・金堂・大講堂を拝観します。
◆五重塔【国宝】飛鳥時代
塔はストゥーパともいわれ、釈尊の遺骨を奉安するためのものであり、
仏教寺院において最も重要な建物とされています。
高さは約31.5メートル(基壇上より)で、わが国最古の五重塔として知られています。
この最下層の内陣には、奈良時代のはじめに造られた塑像群があり、
東面は維摩居士と文殊菩薩の問答、北面は釈尊の入滅(涅槃)、
西面は釈尊遺骨(舎利)の分割、南面は弥勒菩薩の説法が表現されています。
(写真右)は、礼拝石。


◆大講堂【国宝】平安時代
このお堂は仏教の学問を研鑽したり、法要を行う施設として建立されましたが、
鐘楼とともに延長3年(925)に落雷によって焼失しました。
幸い正暦元年(990)には再建され、ご本尊の薬師三尊像及び四天王像もその時に作られています。

◆金堂【国宝】飛鳥時代
法隆寺のご本尊を安置する聖なる殿堂が金堂です。
威風堂々としたこの建物の中には、聖徳太子のために造られた金銅釈迦三尊像(飛鳥時代)、
その左右には太子の父である用明天皇のために造られた金銅薬師如来座像(飛鳥時代)、
母である穴穂部間人皇后のために造られた金銅阿弥陀如来座像(鎌倉時代)、
それを守護するように樟で造られたわが国最古の四天王像(白鳳時代)が、邪鬼の背に静かに立っています。そのほか木造吉祥天立像・毘沙門天立像(平安時代)の諸像が安置されています。
また天井には、天人と鳳凰が飛び交う西域色豊かな天蓋が吊され、周囲の壁面には、
世界的に有名な壁画(昭和24年焼損、現在は再現壁画がはめ込まれています)が描かれ、
創建当初の美しさが偲ばれます。

中から中門。および左から金堂・中門・五重塔。


◆廻廊【国宝】奈良時代
回廊は東側の鐘楼、中央の大講堂、西側の経蔵につながり、西院伽藍を形造っています。
平安時代以前の回廊は、経蔵、鐘楼の手前で閉じられ、大講堂、経蔵、鐘楼は回廊の外側に建っていました。
また西側より東側のほうが一間だけ長くなっているのは、
金堂と五重塔のバランスを考慮したものだと考えられています。


正岡子規の有名な俳句「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」の句碑と鏡池。


池の端、◆聖霊院【国宝】鎌倉時代にて御朱印をいただきます。
鎌倉時代に聖徳太子信仰の高揚にともなって、聖徳太子の尊像(平安末期)を安置するために、
東室の南端部を改造したのがこの聖霊院です。
内部には3つの厨子があり、中央の厨子には法隆寺のご本尊でもある聖徳太子45歳の像、
左の厨子には太子の長子・山背大兄王や兄弟皇子の殖栗王の像、
右の厨子には太子の兄弟皇子・卒末呂王や高句麗僧・恵慈法師の像(いずれも国宝)が祀られ、
秘仏として毎年3月22日のお会式(御命日法要)の時にご開帳されます。

ここ聖霊院で御朱印をいただきます。
「和を以(も)って貴(とうと)しと為(な)す」…十七条憲法の第一条に掲げられる言葉です。
とご説明いただきました。



「和」は絶対的な平和、調和を意味し、そのために捨身、捨命もいとわぬ仏教者の決意が込められています。
行きとし生けるものすべての「和」を実現すること、それこそが菩薩行(ぼさつぎょう)の永遠の目的であります。
法隆寺管主 大野玄妙 2007年2月発行 小学館ウィークリーブック「古寺を巡る」1法隆寺より
推古天皇御所持の仏殿と伝える玉虫厨子(飛鳥時代)もひさしぶりに拝観。
大宝蔵院にて、わが国を代表する宝物類を見学後、東院伽藍へ。
◆東大門【国宝】奈良時代
「中ノ門」ともよばれるこの門は、西院と東院の間に建っています。
かつては鏡池の東側に南向きに建っていたようですが、
平安時代ごろに現在の場所に移されたといわれています。
この門は珍しい三棟造りという奈良時代を代表する建物の一つです。



◆夢殿【国宝】奈良時代
聖徳太子が住まわれた斑鳩宮跡に、行信僧都という高僧が、
聖徳太子の遺徳を偲んで天平11年(739)に建てた伽藍を上宮王院(東院伽藍)といいます。
その中心となる建物がこの夢殿です。
八角円堂の中央の厨子には、聖徳太子等身と伝える秘仏救世観音像(飛鳥時代)を安置し、
その周囲には聖観音菩薩像(平安時代)、乾漆の行信僧都像(奈良時代)、
平安時代に夢殿の修理をされた道詮律師の塑像(平安時代)なども安置しています。
この夢殿は中門を改造した礼堂(鎌倉時代)と廻廊に囲まれ、
まさに観音の化身と伝える聖徳太子を供養するための殿堂として、神秘的な雰囲気を漂わせています。



◆舎利殿・絵殿【重要文化財】鎌倉時代
この建物の東側は舎利殿と呼ばれ、聖徳太子が2才の春に東に向って合掌され、
そしてその掌中から出現したという舎利(釈迦の遺骨)を安置する建物です。
現在では1月1日から三日間「舎利講」という法要が行われ、その御舎利をご開帳(奉出)しています。
また、西側には聖徳太子一代の事跡を描いた障子絵が納められた絵殿があります。

中宮寺にも行きたかったのですが、タイムオーバーです。
次回ゆっくり訪ねたいと思います。

あまりにも偉大すぎて、またしても気圧されてしまった法隆寺。
破格の国宝・重要文化財を長い年月大切に守ってきてくださった数知れない方々への敬意を胸に、
次の訪問はもう少し勉強してからにします。
そして、夢殿の秘仏、聖徳太子の等身像とされる救世観音像を拝観できる時に。
帰りの参道でお土産に「あかしや」の筆ペンを購入。
軽くてかさばらない(値段も手ごろな)ので、いま人気のお土産だとか。
インクがなくなったら、墨汁や墨をつけて使い続けることができるのもセールスポイント


参考資料:法隆寺公式サイト
※「法隆寺〇縁起」(入場券とともにいただくリーフ)も同文
◆世界遺産1300年の歴史 法隆寺のことが全てわかる!
◆ウィキペディア「法隆寺」
【ぷらす】
次回訪問希望の薬師寺遠景。

薬師寺の駐車場の柿、色づき始め。

奈良を「訪ねる」だけでは物足りなくなってきました…
写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。2015年9月21日(日)敬老の日
夏日若草山で遊んだ後、奈良のお寺のどこかにお参りに行くことになりました。
候補は…法隆寺・興福寺・薬師寺・唐招提寺。
今回は五重塔を拝観したいという旦の希望で法隆寺へ。
修学旅行で中学生時代に1度、旦とは2度目(前回はブログ開始前)、おそらく3度目かと思われます。
かれこれ10年ぶりぐらいでしょうか。
奈良県生駒(いこま)郡斑鳩(いかるが)町。
(写真左)法隆寺が近づくにつれ、目の前に広がる景色に癒されます。
(写真中)斑鳩三寺(他は法輪寺・中宮寺)のひとつ法起寺の三重塔…
(写真右)車中から法隆寺の参道の松並木、懐かしい。



最寄りの駐車場に車を入れて、門前のお食事処、増田屋へ。
「柿ソフトクリーム」の看板に目を奪われ、遅いお昼ご飯を食べに入店。



懐かしい昭和的な雰囲気の店内で軽食。食後はお楽しみの…



柿ソフトクリーム

柿ペーストが入っているそうですが、香りも味も特に柿の風味を感じることはなかったです


さて。お腹も落ち着いたところで法隆寺に参ります。
恐ろしいくらい何も覚えていない、おバカさん

今回はこうして写真を撮影し、ブログを作るので、きっと記憶に残ることでしょう…
(写真左)◆「南大門」【国宝】室町時代。法隆寺の玄関にあたる総門。
創建時のものは、永享7年(1435)に焼失し、永享10年(1438)に現在の門が再建されました。
(写真中)くるっと振り向いて参道の松並木。(写真右)ズームアップ。



◆中門【国宝】飛鳥時代
西院伽藍の本来の入口となる中門の深く覆いかぶさった軒、その下の組物や勾欄、
それを支えるエンタシスの柱、いずれも飛鳥建築の粋を集めたものです。


重厚な扉と左右に立つ金剛力士像(奈良時代)は、日本に残っている最古のものです。


法隆寺は飛鳥時代の姿を現在に伝える世界最古の木造建築として広く知られています。
その創建の由来は、「金堂」の東の間に安置されている「薬師如来像」の光背銘や
『法隆寺伽藍縁起并流記資財帳』(747)の縁起文によって知ることができます。
それによると、用明天皇が自らのご病気の平癒を祈って寺と仏像を造ることを誓願されましたが、
その実現をみないままに崩御されたといいます。
そこで推古天皇と聖徳太子が用明天皇のご遺願を継いで、
推古15年(607)に寺とその本尊「薬師如来」を造られたのが、
この法隆寺(斑鳩寺とも呼ばれています)であると伝えています。
現在、法隆寺は塔・金堂を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられています。
広さ約18万7千平方メートルの境内には、飛鳥時代をはじめとする各時代の粋を集めた建築物が軒をつらね、たくさんの宝物類が伝来しています。
国宝・重要文化財に指定されたものだけでも約190件、点数にして2300余点に及んでいます。


日本最初の世界文化遺産「法隆寺」でございます。
1993(平成5)年12月に指定され、世界的な仏教文化の宝庫として人々の注目を集めています。

入場料(大人)1500円。さすがに格式が高いです。


まずは、西院伽藍の中心、五重塔・金堂・大講堂を拝観します。
◆五重塔【国宝】飛鳥時代
塔はストゥーパともいわれ、釈尊の遺骨を奉安するためのものであり、
仏教寺院において最も重要な建物とされています。
高さは約31.5メートル(基壇上より)で、わが国最古の五重塔として知られています。
この最下層の内陣には、奈良時代のはじめに造られた塑像群があり、
東面は維摩居士と文殊菩薩の問答、北面は釈尊の入滅(涅槃)、
西面は釈尊遺骨(舎利)の分割、南面は弥勒菩薩の説法が表現されています。
(写真右)は、礼拝石。


◆大講堂【国宝】平安時代
このお堂は仏教の学問を研鑽したり、法要を行う施設として建立されましたが、
鐘楼とともに延長3年(925)に落雷によって焼失しました。
幸い正暦元年(990)には再建され、ご本尊の薬師三尊像及び四天王像もその時に作られています。

◆金堂【国宝】飛鳥時代
法隆寺のご本尊を安置する聖なる殿堂が金堂です。
威風堂々としたこの建物の中には、聖徳太子のために造られた金銅釈迦三尊像(飛鳥時代)、
その左右には太子の父である用明天皇のために造られた金銅薬師如来座像(飛鳥時代)、
母である穴穂部間人皇后のために造られた金銅阿弥陀如来座像(鎌倉時代)、
それを守護するように樟で造られたわが国最古の四天王像(白鳳時代)が、邪鬼の背に静かに立っています。そのほか木造吉祥天立像・毘沙門天立像(平安時代)の諸像が安置されています。
また天井には、天人と鳳凰が飛び交う西域色豊かな天蓋が吊され、周囲の壁面には、
世界的に有名な壁画(昭和24年焼損、現在は再現壁画がはめ込まれています)が描かれ、
創建当初の美しさが偲ばれます。

中から中門。および左から金堂・中門・五重塔。


◆廻廊【国宝】奈良時代
回廊は東側の鐘楼、中央の大講堂、西側の経蔵につながり、西院伽藍を形造っています。
平安時代以前の回廊は、経蔵、鐘楼の手前で閉じられ、大講堂、経蔵、鐘楼は回廊の外側に建っていました。
また西側より東側のほうが一間だけ長くなっているのは、
金堂と五重塔のバランスを考慮したものだと考えられています。


正岡子規の有名な俳句「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」の句碑と鏡池。


池の端、◆聖霊院【国宝】鎌倉時代にて御朱印をいただきます。
鎌倉時代に聖徳太子信仰の高揚にともなって、聖徳太子の尊像(平安末期)を安置するために、
東室の南端部を改造したのがこの聖霊院です。
内部には3つの厨子があり、中央の厨子には法隆寺のご本尊でもある聖徳太子45歳の像、
左の厨子には太子の長子・山背大兄王や兄弟皇子の殖栗王の像、
右の厨子には太子の兄弟皇子・卒末呂王や高句麗僧・恵慈法師の像(いずれも国宝)が祀られ、
秘仏として毎年3月22日のお会式(御命日法要)の時にご開帳されます。

ここ聖霊院で御朱印をいただきます。
「和を以(も)って貴(とうと)しと為(な)す」…十七条憲法の第一条に掲げられる言葉です。
とご説明いただきました。



「和」は絶対的な平和、調和を意味し、そのために捨身、捨命もいとわぬ仏教者の決意が込められています。
行きとし生けるものすべての「和」を実現すること、それこそが菩薩行(ぼさつぎょう)の永遠の目的であります。
法隆寺管主 大野玄妙 2007年2月発行 小学館ウィークリーブック「古寺を巡る」1法隆寺より
推古天皇御所持の仏殿と伝える玉虫厨子(飛鳥時代)もひさしぶりに拝観。
大宝蔵院にて、わが国を代表する宝物類を見学後、東院伽藍へ。
◆東大門【国宝】奈良時代
「中ノ門」ともよばれるこの門は、西院と東院の間に建っています。
かつては鏡池の東側に南向きに建っていたようですが、
平安時代ごろに現在の場所に移されたといわれています。
この門は珍しい三棟造りという奈良時代を代表する建物の一つです。



◆夢殿【国宝】奈良時代
聖徳太子が住まわれた斑鳩宮跡に、行信僧都という高僧が、
聖徳太子の遺徳を偲んで天平11年(739)に建てた伽藍を上宮王院(東院伽藍)といいます。
その中心となる建物がこの夢殿です。
八角円堂の中央の厨子には、聖徳太子等身と伝える秘仏救世観音像(飛鳥時代)を安置し、
その周囲には聖観音菩薩像(平安時代)、乾漆の行信僧都像(奈良時代)、
平安時代に夢殿の修理をされた道詮律師の塑像(平安時代)なども安置しています。
この夢殿は中門を改造した礼堂(鎌倉時代)と廻廊に囲まれ、
まさに観音の化身と伝える聖徳太子を供養するための殿堂として、神秘的な雰囲気を漂わせています。



◆舎利殿・絵殿【重要文化財】鎌倉時代
この建物の東側は舎利殿と呼ばれ、聖徳太子が2才の春に東に向って合掌され、
そしてその掌中から出現したという舎利(釈迦の遺骨)を安置する建物です。
現在では1月1日から三日間「舎利講」という法要が行われ、その御舎利をご開帳(奉出)しています。
また、西側には聖徳太子一代の事跡を描いた障子絵が納められた絵殿があります。

中宮寺にも行きたかったのですが、タイムオーバーです。
次回ゆっくり訪ねたいと思います。

あまりにも偉大すぎて、またしても気圧されてしまった法隆寺。
破格の国宝・重要文化財を長い年月大切に守ってきてくださった数知れない方々への敬意を胸に、
次の訪問はもう少し勉強してからにします。
そして、夢殿の秘仏、聖徳太子の等身像とされる救世観音像を拝観できる時に。
帰りの参道でお土産に「あかしや」の筆ペンを購入。
軽くてかさばらない(値段も手ごろな)ので、いま人気のお土産だとか。
インクがなくなったら、墨汁や墨をつけて使い続けることができるのもセールスポイント



参考資料:法隆寺公式サイト※「法隆寺〇縁起」(入場券とともにいただくリーフ)も同文
◆世界遺産1300年の歴史 法隆寺のことが全てわかる!
◆ウィキペディア「法隆寺」
【ぷらす】
次回訪問希望の薬師寺遠景。

薬師寺の駐車場の柿、色づき始め。

奈良を「訪ねる」だけでは物足りなくなってきました…
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