京都・高台寺を参詣して御朱印をいただいてきました。
写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。
2017年7月2日(日)
梅雨らしく蒸し暑い曇天模様。
祇おん萬屋であつあつ(笑)ランチ後、安井金比羅宮が混んでいたので、
先に高台寺および圓徳院、掌美術館に行くことにしました。
このページには高台寺をアップします。
東山霊山の山麓…
高台寺を訪ねるのは二度目になろうかと思います。
初めて訪問の時はまだブログをやっていませんでした。



この「ねねの道」は何度も歩いたことはあるのですが。
今日のような通常の日曜日は混んでいないのですね…ホッ。


いざ。台所坂を上がって高台寺へ。


高台寺帰りの舞妓さん?芸妓さん?とすれ違いました♡
入口で高台寺と圓徳院、掌美術館の3ヵ所を拝観できる共通券900円を購入。
さっそく御朱印をいただいて(本来は参詣後にいただくものである御朱印ですが💦)




豊臣秀吉の没後、その菩提を弔うために正妻の北政所(ねね:出家して高台院湖月尼と号す)が
1606(慶長11)年に開創したお寺。
1624(寛永元)9月6日に76歳で亡くなった高台院。
建仁寺の三江紹益禅師を開山として迎え高台寺となりました。
正しくは鷲峰山(じゅぶさん)高台寿聖禅寺です。
さぁ、境内を散策👟 と思った矢先、とうとう雨☔が降り出しました。
余談ですが、この石はなんか動物(犬みたいな)が吠えているように見えます。

桃山時代に活躍した名作庭家で千利休の弟子でもあった小堀遠州の作による
高台寺の庭園は国の史跡・名勝に指定されています。
「臥龍池(がりょうち)」「偃月池(えんげつち)」の二つの池を中心とした庭園は、
高台寺が創建された約400年前とほぼ同じとのことですので、
高台院(ねね)が実際に見ていた景観ということになり感慨深いです。
順路に沿って進みます👟
遺芳庵(いほうあん)は灰屋紹益と妻・吉野太夫ゆかりの茶室。
紹益の旧邸跡から1908(明治41)年に移築されたものです。
大きな円窓を「吉野窓」といい、「吉野窓の席」とも呼ばれています。
ちょっと室内に入ってみたいな♡


突然の雨は勢いがありました。偃月池(えんげつち)の水が跳ねます。
とにかく、屋根のある所(書院と方丈)まで辿り着かないと。



勅使門と、豊臣秀吉の家紋「五七の桐」。


勢いを増す雨に霊山観音を眺めながら雨やどり。
たまにはこんな時間のロスも良いものだ♡



白砂とウマスギゴケの植え込みの色彩のコントラストが美しいといわれる方丈前庭。



石組についてもよく知りたいものです。いずれ。


廻廊から。
ここにも「五七の桐」♡

開山堂と、楼船廊の中央に位置し、
偃月池(えんげつち)に映った月を眺めるための【重要文化財】観月台。


この後、書院の方にも行ってみました。
一隅に豊臣秀吉坐像(たしか銅像?)を安置しており、会ったこともないのに、
なんだかこういう人だったような気がする〜という印象を受けた(笑)
写真撮影禁止なのでアップはできません。
ようやく雨が止んだので、靴を履いて【重要文化財】開山堂の方へ行ってみます。
ちらほら参詣者がいますが、すべて外国人なのです(ちょっと浅草みたい)。



高台寺一世の住持、三江紹益禅師(1572〜1650)を祀る塔所(堂内撮影禁止)。
左右の壇上には木下家定(高台院〔ねね〕の兄)、雲照院(家定の妻)などの像も安置されています。
礼堂部中央の彩色天井には北政所(高台院・ねね)の御所車の天井、
前方の折上小組格天井には秀吉が使った御船の天井が用いられています。
(写真右)この盛土は何を意味しているのでしょう!? 知りた〜い(^^♪



開山堂と霊屋をつなぐ臥龍廊。

こちらは秀吉と北政所(高台院・ねね)を祀る【重要文化財】霊屋(おたまや)。
内部の写真撮影は禁止されています。
厨子内左右に秀吉と北政所(高台院・ねね)の木像を安置しています。
3年前に塗り直されて400年前の創建時の姿が蘇りました。
晴天時よりも今日のような曇天の方がよく観えるとのことでLucky(^^♪
右片膝を立てた(立膝座り※)北政所(高台院・ねね)像。
※正座は江戸時代に入ってからの座り方で、戦国時代は女性もこの座り方だった。
像の下、地下2mほどの位置に、
秀吉の墓所※の方を向いた坐棺の北政所(高台院・ねね)が葬られています。
※秀吉の墓所といえば豊国廟か!?


中央の秘仏は非公開ですが、10年ぐらい前に特別に公開されたことがあるみたいです。
須弥壇や厨子には華麗な蒔絵が施された世に名高い「高台寺蒔絵」。
桃山時代の漆工芸美術の粋を集めています。
※入場チケット(「楽器尽くし」)やしおり(五七の桐)に一部がプリントされています。


北政所(高台院・ねね)といえば、大河ドラマの主役や戦国時代劇でも有名な秀吉糟糠の正妻。
秀吉が天下人になったのは本人の実力はもとより、
この北政所(高台院・ねね)の支えによるところも大きかったのは誰もが認めるところであり、
現在(いま)でいうところのチーム「天下人秀吉」には欠かせない人物のひとり。
当時の政治的配慮から、ここ高台寺の造営にも、
徳川家康の多大な財政的援助を受けて寺観は壮麗を極めたといいます。
秀吉の死後はつづく天下人家康からも厚遇されているところが、
北政所(高台院・ねね)が破格のすごい女性だったことを物語っているのではないでしょうか。
雨上がりの瑞々しい境内のどこかで鶯が一声♬
つづけて遠雷が聞こえてきました。
墓所。
「最勝院殿釋妙音大姉」とはどなたのことでしょうか!?

石見津和野藩主・高台院(ねね)と親しかった
亀井正矩(かめいまさのり)〔享年30歳〕の墓があります。


【重要文化財】傘亭・時雨亭へ。

こちらは茶室「傘亭」。


お隣の「時雨亭」とともに利休の意匠とされ、伏見から移されたもの。


竹が放射状に組まれ、カラカサを開けたように見えることからその名があります。
傘亭の背後から。


いまも茶室として使われている室内は、天井が高くて外観の印象よりずっと広く感じられるそうです。
傘亭と土間廊下で繋がっている時雨亭。



お隣の「傘亭」とともに利休の意匠とされ、伏見から移されたもの。



傘亭・時雨亭を後にします。
(写真左)土間繋がりなのがよくわかる画像です〜。
(写真中)時雨亭遠景。(写真右)ズーム。



竹林に降りてみます。


雨に濡れて竹の青が冴えて瑞々しい竹林の中。


竹林を抜けて下りてゆくと茶室(雲居庵)があります(画像はなし)。
出口から退出して高台寺の記事はここまでになります。
八坂の塔の遠景。

方丈前庭で見た勅使門の表側です。

天満宮。マニ車なんて初めて。


さーて、次はどっちに行こう。

梅雨らしくまた雨が降って来たので、「掌美術館」に行ってみようか!?
写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。
2017年7月2日(日)

梅雨らしく蒸し暑い曇天模様。
祇おん萬屋であつあつ(笑)ランチ後、安井金比羅宮が混んでいたので、
先に高台寺および圓徳院、掌美術館に行くことにしました。
このページには高台寺をアップします。
東山霊山の山麓…
高台寺を訪ねるのは二度目になろうかと思います。
初めて訪問の時はまだブログをやっていませんでした。



この「ねねの道」は何度も歩いたことはあるのですが。
今日のような通常の日曜日は混んでいないのですね…ホッ。


いざ。台所坂を上がって高台寺へ。


高台寺帰りの舞妓さん?芸妓さん?とすれ違いました♡
入口で高台寺と圓徳院、掌美術館の3ヵ所を拝観できる共通券900円を購入。
さっそく御朱印をいただいて(本来は参詣後にいただくものである御朱印ですが💦)




豊臣秀吉の没後、その菩提を弔うために正妻の北政所(ねね:出家して高台院湖月尼と号す)が
1606(慶長11)年に開創したお寺。
1624(寛永元)9月6日に76歳で亡くなった高台院。
建仁寺の三江紹益禅師を開山として迎え高台寺となりました。
正しくは鷲峰山(じゅぶさん)高台寿聖禅寺です。
さぁ、境内を散策👟 と思った矢先、とうとう雨☔が降り出しました。
余談ですが、この石はなんか動物(犬みたいな)が吠えているように見えます。

桃山時代に活躍した名作庭家で千利休の弟子でもあった小堀遠州の作による
高台寺の庭園は国の史跡・名勝に指定されています。
「臥龍池(がりょうち)」「偃月池(えんげつち)」の二つの池を中心とした庭園は、
高台寺が創建された約400年前とほぼ同じとのことですので、
高台院(ねね)が実際に見ていた景観ということになり感慨深いです。
順路に沿って進みます👟
遺芳庵(いほうあん)は灰屋紹益と妻・吉野太夫ゆかりの茶室。
紹益の旧邸跡から1908(明治41)年に移築されたものです。
大きな円窓を「吉野窓」といい、「吉野窓の席」とも呼ばれています。
ちょっと室内に入ってみたいな♡


突然の雨は勢いがありました。偃月池(えんげつち)の水が跳ねます。
とにかく、屋根のある所(書院と方丈)まで辿り着かないと。



勅使門と、豊臣秀吉の家紋「五七の桐」。


勢いを増す雨に霊山観音を眺めながら雨やどり。
たまにはこんな時間のロスも良いものだ♡



白砂とウマスギゴケの植え込みの色彩のコントラストが美しいといわれる方丈前庭。



石組についてもよく知りたいものです。いずれ。


廻廊から。
ここにも「五七の桐」♡

開山堂と、楼船廊の中央に位置し、
偃月池(えんげつち)に映った月を眺めるための【重要文化財】観月台。


この後、書院の方にも行ってみました。
一隅に豊臣秀吉坐像(たしか銅像?)を安置しており、会ったこともないのに、
なんだかこういう人だったような気がする〜という印象を受けた(笑)
写真撮影禁止なのでアップはできません。
ようやく雨が止んだので、靴を履いて【重要文化財】開山堂の方へ行ってみます。
ちらほら参詣者がいますが、すべて外国人なのです(ちょっと浅草みたい)。



高台寺一世の住持、三江紹益禅師(1572〜1650)を祀る塔所(堂内撮影禁止)。
左右の壇上には木下家定(高台院〔ねね〕の兄)、雲照院(家定の妻)などの像も安置されています。
礼堂部中央の彩色天井には北政所(高台院・ねね)の御所車の天井、
前方の折上小組格天井には秀吉が使った御船の天井が用いられています。
(写真右)この盛土は何を意味しているのでしょう!? 知りた〜い(^^♪



開山堂と霊屋をつなぐ臥龍廊。

こちらは秀吉と北政所(高台院・ねね)を祀る【重要文化財】霊屋(おたまや)。
内部の写真撮影は禁止されています。
厨子内左右に秀吉と北政所(高台院・ねね)の木像を安置しています。
3年前に塗り直されて400年前の創建時の姿が蘇りました。
晴天時よりも今日のような曇天の方がよく観えるとのことでLucky(^^♪
右片膝を立てた(立膝座り※)北政所(高台院・ねね)像。
※正座は江戸時代に入ってからの座り方で、戦国時代は女性もこの座り方だった。
像の下、地下2mほどの位置に、
秀吉の墓所※の方を向いた坐棺の北政所(高台院・ねね)が葬られています。
※秀吉の墓所といえば豊国廟か!?


中央の秘仏は非公開ですが、10年ぐらい前に特別に公開されたことがあるみたいです。
須弥壇や厨子には華麗な蒔絵が施された世に名高い「高台寺蒔絵」。
桃山時代の漆工芸美術の粋を集めています。
※入場チケット(「楽器尽くし」)やしおり(五七の桐)に一部がプリントされています。


北政所(高台院・ねね)といえば、大河ドラマの主役や戦国時代劇でも有名な秀吉糟糠の正妻。
秀吉が天下人になったのは本人の実力はもとより、
この北政所(高台院・ねね)の支えによるところも大きかったのは誰もが認めるところであり、
現在(いま)でいうところのチーム「天下人秀吉」には欠かせない人物のひとり。
当時の政治的配慮から、ここ高台寺の造営にも、
徳川家康の多大な財政的援助を受けて寺観は壮麗を極めたといいます。
秀吉の死後はつづく天下人家康からも厚遇されているところが、
北政所(高台院・ねね)が破格のすごい女性だったことを物語っているのではないでしょうか。
雨上がりの瑞々しい境内のどこかで鶯が一声♬
つづけて遠雷が聞こえてきました。
墓所。
「最勝院殿釋妙音大姉」とはどなたのことでしょうか!?

石見津和野藩主・高台院(ねね)と親しかった
亀井正矩(かめいまさのり)〔享年30歳〕の墓があります。


【重要文化財】傘亭・時雨亭へ。

こちらは茶室「傘亭」。


お隣の「時雨亭」とともに利休の意匠とされ、伏見から移されたもの。


竹が放射状に組まれ、カラカサを開けたように見えることからその名があります。
傘亭の背後から。


いまも茶室として使われている室内は、天井が高くて外観の印象よりずっと広く感じられるそうです。
傘亭と土間廊下で繋がっている時雨亭。



お隣の「傘亭」とともに利休の意匠とされ、伏見から移されたもの。



傘亭・時雨亭を後にします。
(写真左)土間繋がりなのがよくわかる画像です〜。
(写真中)時雨亭遠景。(写真右)ズーム。



竹林に降りてみます。


雨に濡れて竹の青が冴えて瑞々しい竹林の中。


竹林を抜けて下りてゆくと茶室(雲居庵)があります(画像はなし)。
出口から退出して高台寺の記事はここまでになります。
八坂の塔の遠景。

方丈前庭で見た勅使門の表側です。

天満宮。マニ車なんて初めて。


さーて、次はどっちに行こう。

梅雨らしくまた雨が降って来たので、「掌美術館」に行ってみようか!?









