北政所(高台院・ねね)終焉の地・圓徳院を参詣してきました。
写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。
2017年7月2日(日)
高台寺、掌美術館と拝観した後、高台寺の塔頭のひとつ圓徳院へ。
(写真左・中)長屋門を入ってすぐの拝観受付と解説板。
敵から攻められた場合すみやかに侍たちが守りにつくため、門に侍長屋がつながっているという、
寺には存在しない形式で、北政所(高台院・ねね)が住んでいた頃の姿を大切にするために保存して現存。
圓徳院は北政所(高台院・ねね)の実家・木下家初代以降歴代藩主の墓が置かれ、木下家の屋敷でした。
そのため正門は長屋門の形態がとられています。
(写真右)唐門
門の形状として製作に非常に技術を必要とし、その分貴人を迎えるにふさわしい形式とされています。
上半が凸、下半が凹の反転する曲線になる破風(はふ)を唐破風といい、
この唐破風のつけられた門を総称して唐門と呼びます。



豊臣秀吉の没後、正妻・北政所(ねね)が「高台院」の号を勅賜されたのを機縁に、
高台寺建立を発願し、1605(慶長10)年、秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿と
その前庭を山内に移築して移り住みました。時に北政所(ねね)58歳のこと。
北政所を慕う大名や禅僧、茶人、歌人、画家、陶芸家など多くの文化人が訪れたと伝えられています。
77歳で没するまでの余生19年間を過ごした場所、高台院(北政所・ねね)終焉の地です。
その北政所(ねね)を支えていたのが、兄の木下家定とその次男の利房です。
圓徳院は利房の手により、高台寺の三江和尚を開基に木下家の菩提寺として開かれ、
高台寺の塔頭とされました。寛永9年、ねねの没後9年目のことです。
秀吉公好みの手水鉢。



石♡

靴を脱いで方丈へ。
こちらは枯山水の南庭。
昭和初期に奈良国立文化財研究所・故森蘊博士(作庭家)指導で現存する唯一の日本庭園です。
森氏は日本庭園を学問として追及したパイオニアで、特に平安期が好きで熱心に研究していました。
現在は作庭家・北山安夫氏が監修しています。
「粘り(きちんと魂がこもっていること」)があるいい石を使っている」と北山氏評。
石は雨が降ったり、水をかけてやると「濡羽色(ぬればいろ)」になります。
石の白く見える部分は「カビ」です。
白砂の線引きがされており、
雨降りの今日はまさにその「濡羽色」の石(^^♪

奥の中央は岩島(がんとう)。約40トン近い重さがあります。
その前の石たちは波の荒さ(打ち寄せる波)を表現しています。



中央は半島を表しています。半島は日本庭園には必ず必要なものです。

「ねね様を想い女性好みに合うように、
長屋門からこの南庭まで年中できるだけ花や紅葉を愛でられるように工夫されています」
ん。借景になるのかなぁ…!?

桃山時代を意識した豪華絢爛な襖絵を所蔵しています。
上間(じょうかん)の間 松竹梅図襖 木下育應作。



下間(げかん)の間 雪月花図襖 志村正作。



ねねの小径。



長谷川等伯筆の障壁画 【重要文化財】山水図襖 「冬の絵」部分


桐紋などを散らした唐紙には絵は描かないのが通例にもかかわらず、
この襖絵には桐紋を雪に見立てて、その上に絵を描くという非常に珍しいもの。


大徳寺の三玄院住職・春屋宗園に襖絵制作を常々懇願しながら許されなかった等伯が、
ある日住職が留守であることを知って、客殿に駆け上がり、腕を振るって水墨を乱点し、
一気に描きあげてしまったもの、と伝えられています。

渡り廊下を使って北書院へ。
その途中にあるのが「無 蔵」


「歌仙の間」。

北書院に到着。ここにもいらしたのは外国人ばかり(苦笑)

「北庭」は国の名勝指定を受けています。
こちらの庭石は各大名が豊臣秀吉に献上したもの。
名石ばかりが集結していますが、それらをうまく組み合わせています。

もともと伏見城北政所化粧御殿の前庭を移したもので、
当時の原型をほぼそのままに留める桃山時代の代表的庭園のひとつ。
賢庭作でのちに小堀遠州が手を加えました。池泉回遊式ですが、枯山水になっています。
原点になるのは東北部で、枯滝石組を構成し、
築山を中心にして左右に多数の石組を二等辺三角形にまとめて数群展開、あるいは蓬莱石組に。
池泉にかかる数個の橋はみごとな巨石。その厚さからくる迫力はこの庭の特筆すべき点です。


中央の石をセンターの頂点にして、左右のどちらかの石を寄せる、
もうひとつを少し離して三角形の配置にすることで遠近法を使って遠くに見せています。

当初は水を張っており時代が下って水を抜いたと考えられるそう。
このように多数の巨石大岩がふんだんに置かれている庭は珍しく、
これが桃山時代の豪華さ、豪胆さです。
の時季には庭園がライトアップされます。
2017(平成29)年は12月10日(日)まで。拝観時間は22時までです。
ジャック・オー・ランタンの蚊取り線香が素敵♡


桧垣の手水鉢 は北書院脇の茶室のそばにあります。とのことでしたが、わかりませんでした。
茶室に入らないと見れないのか? 見逃していたら残念です…またの機会に要チェック。
宝塔の笠を利用し、笠石を横にして、その面を凹字形に切り取り手水鉢としたものです。
笠石は室町時代の作と考えられています。
茶室では季節により、にじり口から入っての茶席を楽しめます(有料)。
方丈前庭も良かったですが、この北書院北庭の雰囲気が好きです♡
また来たいなぁ♡♡
床の間には北政所(高台院・ねね)と…


秀吉の肖像が描かれた掛け軸が。秀吉の言葉がぐっときます。



二つの肖像画の違いにも着眼すると面白いですね。
拝観が終わって圓徳院
出口から出ると(地図)ここ「京・洛市ねね」に出ました!
まさに初訪問って感じ。


圓徳院最寄りの、こちらも高台寺塔頭のひとつ



祇園祭(^^♪

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2017年7月2日(日)

高台寺、掌美術館と拝観した後、高台寺の塔頭のひとつ圓徳院へ。
(写真左・中)長屋門を入ってすぐの拝観受付と解説板。
敵から攻められた場合すみやかに侍たちが守りにつくため、門に侍長屋がつながっているという、
寺には存在しない形式で、北政所(高台院・ねね)が住んでいた頃の姿を大切にするために保存して現存。
圓徳院は北政所(高台院・ねね)の実家・木下家初代以降歴代藩主の墓が置かれ、木下家の屋敷でした。
そのため正門は長屋門の形態がとられています。
(写真右)唐門
門の形状として製作に非常に技術を必要とし、その分貴人を迎えるにふさわしい形式とされています。
上半が凸、下半が凹の反転する曲線になる破風(はふ)を唐破風といい、
この唐破風のつけられた門を総称して唐門と呼びます。



豊臣秀吉の没後、正妻・北政所(ねね)が「高台院」の号を勅賜されたのを機縁に、
高台寺建立を発願し、1605(慶長10)年、秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿と
その前庭を山内に移築して移り住みました。時に北政所(ねね)58歳のこと。
北政所を慕う大名や禅僧、茶人、歌人、画家、陶芸家など多くの文化人が訪れたと伝えられています。
77歳で没するまでの余生19年間を過ごした場所、高台院(北政所・ねね)終焉の地です。
その北政所(ねね)を支えていたのが、兄の木下家定とその次男の利房です。
圓徳院は利房の手により、高台寺の三江和尚を開基に木下家の菩提寺として開かれ、
高台寺の塔頭とされました。寛永9年、ねねの没後9年目のことです。
秀吉公好みの手水鉢。



石♡

靴を脱いで方丈へ。
こちらは枯山水の南庭。
昭和初期に奈良国立文化財研究所・故森蘊博士(作庭家)指導で現存する唯一の日本庭園です。
森氏は日本庭園を学問として追及したパイオニアで、特に平安期が好きで熱心に研究していました。
現在は作庭家・北山安夫氏が監修しています。
「粘り(きちんと魂がこもっていること」)があるいい石を使っている」と北山氏評。
石は雨が降ったり、水をかけてやると「濡羽色(ぬればいろ)」になります。
石の白く見える部分は「カビ」です。
白砂の線引きがされており、
雨降りの今日はまさにその「濡羽色」の石(^^♪

奥の中央は岩島(がんとう)。約40トン近い重さがあります。
その前の石たちは波の荒さ(打ち寄せる波)を表現しています。



中央は半島を表しています。半島は日本庭園には必ず必要なものです。

「ねね様を想い女性好みに合うように、
長屋門からこの南庭まで年中できるだけ花や紅葉を愛でられるように工夫されています」
ん。借景になるのかなぁ…!?

桃山時代を意識した豪華絢爛な襖絵を所蔵しています。
上間(じょうかん)の間 松竹梅図襖 木下育應作。



下間(げかん)の間 雪月花図襖 志村正作。



ねねの小径。



長谷川等伯筆の障壁画 【重要文化財】山水図襖 「冬の絵」部分


桐紋などを散らした唐紙には絵は描かないのが通例にもかかわらず、
この襖絵には桐紋を雪に見立てて、その上に絵を描くという非常に珍しいもの。


大徳寺の三玄院住職・春屋宗園に襖絵制作を常々懇願しながら許されなかった等伯が、
ある日住職が留守であることを知って、客殿に駆け上がり、腕を振るって水墨を乱点し、
一気に描きあげてしまったもの、と伝えられています。

渡り廊下を使って北書院へ。
その途中にあるのが「無 蔵」


「歌仙の間」。

北書院に到着。ここにもいらしたのは外国人ばかり(苦笑)

「北庭」は国の名勝指定を受けています。
こちらの庭石は各大名が豊臣秀吉に献上したもの。
名石ばかりが集結していますが、それらをうまく組み合わせています。

もともと伏見城北政所化粧御殿の前庭を移したもので、
当時の原型をほぼそのままに留める桃山時代の代表的庭園のひとつ。
賢庭作でのちに小堀遠州が手を加えました。池泉回遊式ですが、枯山水になっています。
原点になるのは東北部で、枯滝石組を構成し、
築山を中心にして左右に多数の石組を二等辺三角形にまとめて数群展開、あるいは蓬莱石組に。
池泉にかかる数個の橋はみごとな巨石。その厚さからくる迫力はこの庭の特筆すべき点です。


中央の石をセンターの頂点にして、左右のどちらかの石を寄せる、
もうひとつを少し離して三角形の配置にすることで遠近法を使って遠くに見せています。

当初は水を張っており時代が下って水を抜いたと考えられるそう。
このように多数の巨石大岩がふんだんに置かれている庭は珍しく、
これが桃山時代の豪華さ、豪胆さです。
の時季には庭園がライトアップされます。2017(平成29)年は12月10日(日)まで。拝観時間は22時までです。
ジャック・オー・ランタンの蚊取り線香が素敵♡


桧垣の手水鉢 は北書院脇の茶室のそばにあります。とのことでしたが、わかりませんでした。
茶室に入らないと見れないのか? 見逃していたら残念です…またの機会に要チェック。
宝塔の笠を利用し、笠石を横にして、その面を凹字形に切り取り手水鉢としたものです。
笠石は室町時代の作と考えられています。
茶室では季節により、にじり口から入っての茶席を楽しめます(有料)。
方丈前庭も良かったですが、この北書院北庭の雰囲気が好きです♡
また来たいなぁ♡♡
床の間には北政所(高台院・ねね)と…


秀吉の肖像が描かれた掛け軸が。秀吉の言葉がぐっときます。



二つの肖像画の違いにも着眼すると面白いですね。
拝観が終わって圓徳院
出口から出ると(地図)ここ「京・洛市ねね」に出ました!
まさに初訪問って感じ。


圓徳院最寄りの、こちらも高台寺塔頭のひとつ



祇園祭(^^♪










