祇園閣(銅閣)で知られる龍池山大雲院の外観を見てきました。
写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。
2017年7月2日(日)
夕方になって雨が上がり、4月の銀閣、昨日の金閣ときて「銅閣」を見たくなりました。
その銅閣(祇園閣)を有する龍池山大雲院は…高台寺・掌美術館・圓徳院と参詣して、
幸いにも高台寺から円山公園に続く「ねねの道」の沿道にあります。



通常は非公開で年に1回特別拝観があります。
今年は「京の夏の旅 大雲院 祇園閣」として7月8日(土)〜9月30日(土)まで開催。
あと1週間で観れたのに残念です…9月にまた来ようかな(笑)
「大雲院」はもともと1587(天正15)年、正親町(おおぎまち)天皇の勅命により
烏丸御池の信忠が本能寺の変の際に討ち死にした二条御所跡に創建。
天皇は皇居の造営や経済的支援を織田信長・信忠父子らに受けたといわれ、
その恩義に報いるために菩提寺を建てたとされます。
寺院名の「大雲院」は信忠の法名から。
その後豊臣秀吉の命で下京区に移り、天明の大火で焼失後、明治初期に復興。
1889(明治22)年の第1回京都市会はこのときの大雲院で開かれました。
のちに同じ下京区の高島屋南に移転。
珍しい建築様式の本堂や石川五右衛門の墓で知られていました。
さらに1972(昭和47)年に八坂神社の南東に位置する現在地にあった、
大倉喜八郎旧邸を買得して再移転し、本堂を新築、墓も移転したのです。
祇園祭の鉾をかたどった高さ36mのコンクリート建造物である祇園閣(銅閣)がよく目立ちますが、
この祇園閣(銅閣)は大倉財閥を築いた豪商・大倉喜八郎が1927(昭和2)年に建てたもの。
屋根が銅板葺きの祇園閣について「金閣、銀閣があるんやったら銅閣があってもええやろ」とは大倉弁。
境内には現在、この祇園閣のほかに本堂・庫裏・鐘楼があります。
浄土宗系単立寺院。本尊は阿弥陀如来。
✑参考資料:京都大知典「大雲院」
Wikipedia:「大雲院」参照



いつか特別公開で再訪したいな。
すぐそばには芭蕉堂や

西行庵があったりします。


次は安井金比羅宮です👟
写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。2017年7月2日(日)

夕方になって雨が上がり、4月の銀閣、昨日の金閣ときて「銅閣」を見たくなりました。
その銅閣(祇園閣)を有する龍池山大雲院は…高台寺・掌美術館・圓徳院と参詣して、
幸いにも高台寺から円山公園に続く「ねねの道」の沿道にあります。



通常は非公開で年に1回特別拝観があります。
今年は「京の夏の旅 大雲院 祇園閣」として7月8日(土)〜9月30日(土)まで開催。
あと1週間で観れたのに残念です…9月にまた来ようかな(笑)
「大雲院」はもともと1587(天正15)年、正親町(おおぎまち)天皇の勅命により
烏丸御池の信忠が本能寺の変の際に討ち死にした二条御所跡に創建。
天皇は皇居の造営や経済的支援を織田信長・信忠父子らに受けたといわれ、
その恩義に報いるために菩提寺を建てたとされます。
寺院名の「大雲院」は信忠の法名から。
その後豊臣秀吉の命で下京区に移り、天明の大火で焼失後、明治初期に復興。
1889(明治22)年の第1回京都市会はこのときの大雲院で開かれました。
のちに同じ下京区の高島屋南に移転。
珍しい建築様式の本堂や石川五右衛門の墓で知られていました。
さらに1972(昭和47)年に八坂神社の南東に位置する現在地にあった、
大倉喜八郎旧邸を買得して再移転し、本堂を新築、墓も移転したのです。
祇園祭の鉾をかたどった高さ36mのコンクリート建造物である祇園閣(銅閣)がよく目立ちますが、
この祇園閣(銅閣)は大倉財閥を築いた豪商・大倉喜八郎が1927(昭和2)年に建てたもの。
屋根が銅板葺きの祇園閣について「金閣、銀閣があるんやったら銅閣があってもええやろ」とは大倉弁。
境内には現在、この祇園閣のほかに本堂・庫裏・鐘楼があります。
浄土宗系単立寺院。本尊は阿弥陀如来。
✑参考資料:京都大知典「大雲院」
Wikipedia:「大雲院」参照



いつか特別公開で再訪したいな。
すぐそばには芭蕉堂や

西行庵があったりします。


次は安井金比羅宮です👟









