去年(2018年)10月に落慶した興福寺 中金堂を拝観し、御朱印をいただいてきました。
写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。
2019年2月23日(土)
午後から奈良へドライブに出かけました

目指すは1300年以上の歴史を持つ法相宗の大本山 興福寺。
主に去年落慶した中金堂の拝観です。
まず、東金堂と国宝館の共通券(900円)を購入して拝観。
国宝館も去年リニューアルされてとても綺麗で、長くなるので詳細は控えますが、
トーハクの平成館や藝大美術館でお目にかかったことがある仏像さんに懐かしさをおぼえました。

東金堂【国宝】は奈良時代現象大乗天皇の病気平癒を願い、聖武天皇が建立しました。
現在の建物は室町時代の再建です。かつては五重塔と共に回廊で囲われていました。
東金堂前から撮影した境内の様子。
御朱印を興福寺勧進所でいただきました☟

いただいた御朱印はこちら。

南円堂は後ほど。

五重塔【国宝】の前にて。
奈良時代、聖武天皇の妃、光明皇后の発願により建立も焼失、室町時代の再建。
江戸時代以前の国宝の塔としては、京都・東寺の五重塔に次ぐ高さです。
純和様の外観は奈良時代の建築様式をいまに伝えています。

花乃松。
弘法大師が東金堂の本尊薬師如来に永代の花として捧げたという松の子孫が
東金堂の前にそびえ、「花の松」と呼ばれて親しまれていましたが、
松食い虫の被害によって枯れてしまい、2008年頃には撤去されて今は石碑があるだけとなっています

さらに中金堂の入場券(500円)を購入して、

300年ぶりに美しく生まれ変わった中金堂を拝観。

中金堂は藤原不比等が興福寺の最初の堂宇として、平城遷都と同時に創建しました。
6度にわたる焼失・再建を繰り返し、享保2年(1717年)に焼失後は、
財政的な問題で文政2年(1819年)に規模を縮小した「仮堂」を再建。
その後は老朽化が進んだため、平成12(2000年)に解体。
発掘調査の後、平成22年(2010年)の立柱式、平成26年(2014年)の上棟式を経て、
平成30年(2018年)に再建落慶を迎え、創建当時の様式で復元されました。
創建当初の本尊は、藤原鎌足が蘇我入鹿の打倒を祈願して造立した釈迦如来像と伝わり、
現在の本尊は江戸時代の作で5代目になります。
金箔を張り替えられて、造立当時を彷彿とさせる耀きを放っていました。
法相柱も色鮮やかな祖師画で彩られています。
【参考資料】
📄奈良興福寺中金堂リーフ
澄んだ空が広々としてとても清々しい。

中金堂の旧材を使った「にほひ袋」。かつての興福寺仏頭展で購入したものです。



南円堂。
平安時代、藤原氏族のひとり冬嗣が父の供養のために建てました。
4度の焼失を経て江戸時代に再建された、日本で一番大きい八角円堂です。

脇の石段を下りて三重塔【国宝】を観に行きました。
人目につきにくいのか、ひっそりと佇んでいるようです。
平安時代に建立され、南都焼き討ちの際に焼失し、鎌倉時代に再建された興福寺最古の建造物です。

高さ19メートル。
五重塔に比べて繊細な建築様式から平安建築の特色が表されているといわれています。
三重塔の北に建つ北円堂【国宝】。
藤原不比等の追善供養のため、721年に建てられました。
八角形の円堂は故人の霊を祀る場所を意味します。

南都焼き討ちで焼失し、鎌倉時代に再建されました。
通常非公開なので外観のみ。

中央に祀られている本尊は弥勒如来坐像【国宝】。
二度の火災で焼失し、鎌倉時代に運慶らによって造られました。
本尊に向かって右に立つ無著菩薩立像【国宝】。
無著は弟の世親とともに法相教学の礎となった唯識の礎を築いた北インドの僧です。
廃仏毀釈のおり、明治4年に政府が興福寺の寺領のほとんどを没収。
築地塀は取り壊され、敷地は奈良公園の一部にされました。
その後、寺を維持する資金源のために、破損した仏像は売り渡され、
寺に残った仏像はしかるべき安置の場所をなくし、一堂に身を寄せ合いました。
苦難の明治初期には五重塔までが売却の危機に瀕したと伝わります。
こうして人々の心を救う寺院は国家の政策によって崩壊していきました。
しかし、廃寺の危機を乗り越え、
歴史ある興福寺を復興させようという奈良の町民の人々の強い願いが明治13年、政府に受理され、
復興が推進される運びに…明治21年に元あった堂に仏像が戻されました。
【参考資料】
📺古都浪漫 こころ寺巡り「興福寺」より
山門も高い塀もないところがまた心地良いのです。
波乱万丈な運命に晒されても不死鳥のごとく蘇ってきた興福寺の歴史。
このお寺の懐の深さを感じて、繰り返し訪れたくなりました。
数多くの国宝や重要文化財を擁し、《天平の文化空間の再構成》を合言葉に進む境内整備事業。
訪れるたびに変化を楽しみたいです。
猿沢池に下りてみます。

冬空を映す寒々とした水面に五重塔も。

私の足音に驚いて水面を走って行った鳥さん。

五十二段を上がって、東金堂と五重塔の間の道を奈良国立博物館の方へ。

小さな「鹿だまり」。夏には大きな「鹿だまり」に行ってみたい。

約1時間前(16時前)に旦が撮影した同じ場所。



春日東西両塔跡。

日中は暖かかったですが、夕暮れ時になるとやはりまだ冬の寒さ。
早目に帰途につくことにします。
写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。2019年2月23日(土)

午後から奈良へドライブに出かけました


目指すは1300年以上の歴史を持つ法相宗の大本山 興福寺。
主に去年落慶した中金堂の拝観です。
まず、東金堂と国宝館の共通券(900円)を購入して拝観。
国宝館も去年リニューアルされてとても綺麗で、長くなるので詳細は控えますが、
トーハクの平成館や藝大美術館でお目にかかったことがある仏像さんに懐かしさをおぼえました。

東金堂【国宝】は奈良時代現象大乗天皇の病気平癒を願い、聖武天皇が建立しました。
現在の建物は室町時代の再建です。かつては五重塔と共に回廊で囲われていました。
東金堂前から撮影した境内の様子。
御朱印を興福寺勧進所でいただきました☟

いただいた御朱印はこちら。

南円堂は後ほど。

五重塔【国宝】の前にて。
奈良時代、聖武天皇の妃、光明皇后の発願により建立も焼失、室町時代の再建。
江戸時代以前の国宝の塔としては、京都・東寺の五重塔に次ぐ高さです。
純和様の外観は奈良時代の建築様式をいまに伝えています。

花乃松。
弘法大師が東金堂の本尊薬師如来に永代の花として捧げたという松の子孫が
東金堂の前にそびえ、「花の松」と呼ばれて親しまれていましたが、
松食い虫の被害によって枯れてしまい、2008年頃には撤去されて今は石碑があるだけとなっています

さらに中金堂の入場券(500円)を購入して、

300年ぶりに美しく生まれ変わった中金堂を拝観。

中金堂は藤原不比等が興福寺の最初の堂宇として、平城遷都と同時に創建しました。
6度にわたる焼失・再建を繰り返し、享保2年(1717年)に焼失後は、
財政的な問題で文政2年(1819年)に規模を縮小した「仮堂」を再建。
その後は老朽化が進んだため、平成12(2000年)に解体。
発掘調査の後、平成22年(2010年)の立柱式、平成26年(2014年)の上棟式を経て、
平成30年(2018年)に再建落慶を迎え、創建当時の様式で復元されました。
創建当初の本尊は、藤原鎌足が蘇我入鹿の打倒を祈願して造立した釈迦如来像と伝わり、
現在の本尊は江戸時代の作で5代目になります。
金箔を張り替えられて、造立当時を彷彿とさせる耀きを放っていました。
法相柱も色鮮やかな祖師画で彩られています。
【参考資料】
📄奈良興福寺中金堂リーフ
澄んだ空が広々としてとても清々しい。

中金堂の旧材を使った「にほひ袋」。かつての興福寺仏頭展で購入したものです。



南円堂。
平安時代、藤原氏族のひとり冬嗣が父の供養のために建てました。
4度の焼失を経て江戸時代に再建された、日本で一番大きい八角円堂です。

脇の石段を下りて三重塔【国宝】を観に行きました。
人目につきにくいのか、ひっそりと佇んでいるようです。
平安時代に建立され、南都焼き討ちの際に焼失し、鎌倉時代に再建された興福寺最古の建造物です。

高さ19メートル。
五重塔に比べて繊細な建築様式から平安建築の特色が表されているといわれています。
三重塔の北に建つ北円堂【国宝】。
藤原不比等の追善供養のため、721年に建てられました。
八角形の円堂は故人の霊を祀る場所を意味します。

南都焼き討ちで焼失し、鎌倉時代に再建されました。
通常非公開なので外観のみ。

中央に祀られている本尊は弥勒如来坐像【国宝】。
二度の火災で焼失し、鎌倉時代に運慶らによって造られました。
本尊に向かって右に立つ無著菩薩立像【国宝】。
無著は弟の世親とともに法相教学の礎となった唯識の礎を築いた北インドの僧です。
廃仏毀釈のおり、明治4年に政府が興福寺の寺領のほとんどを没収。
築地塀は取り壊され、敷地は奈良公園の一部にされました。
その後、寺を維持する資金源のために、破損した仏像は売り渡され、
寺に残った仏像はしかるべき安置の場所をなくし、一堂に身を寄せ合いました。
苦難の明治初期には五重塔までが売却の危機に瀕したと伝わります。
こうして人々の心を救う寺院は国家の政策によって崩壊していきました。
しかし、廃寺の危機を乗り越え、
歴史ある興福寺を復興させようという奈良の町民の人々の強い願いが明治13年、政府に受理され、
復興が推進される運びに…明治21年に元あった堂に仏像が戻されました。
【参考資料】
📺古都浪漫 こころ寺巡り「興福寺」より
山門も高い塀もないところがまた心地良いのです。
波乱万丈な運命に晒されても不死鳥のごとく蘇ってきた興福寺の歴史。
このお寺の懐の深さを感じて、繰り返し訪れたくなりました。
数多くの国宝や重要文化財を擁し、《天平の文化空間の再構成》を合言葉に進む境内整備事業。
訪れるたびに変化を楽しみたいです。
猿沢池に下りてみます。

冬空を映す寒々とした水面に五重塔も。

私の足音に驚いて水面を走って行った鳥さん。

五十二段を上がって、東金堂と五重塔の間の道を奈良国立博物館の方へ。

小さな「鹿だまり」。夏には大きな「鹿だまり」に行ってみたい。

約1時間前(16時前)に旦が撮影した同じ場所。



春日東西両塔跡。

日中は暖かかったですが、夕暮れ時になるとやはりまだ冬の寒さ。
早目に帰途につくことにします。
鎌足が深く帰依した維摩教の教え「令興福力(りょうこうふくりき)」に由来。
福力を興さしめる、つまり人々を幸福にする力を持つという意味が込められている。
福力を興さしめる、つまり人々を幸福にする力を持つという意味が込められている。









