🌟深谷「青天を衝け」史跡めぐり【前編】 211215 はコチラ
期間限定※の「論語の里」循環バスに乗って、
渋沢栄一翁の生誕地に建つ「中の家(なかんち)」をはじめ、
バスの名前にもなっている「論語の里」に点在する、栄一翁ゆかりの地をめぐりました。
※「論語の里」循環バスは、大河ドラマ館の開館期間、
2022(令和4)年1月10日(月・祝)まで走行中。
2021年12月15日(水)
「論語の里」循環バスには、グループで訪れていた多くの年配者が乗り合わせて満員でした
(さっきまで同じ時間帯に大河ドラマ館で展示品を見学していた皆さんです)
移動手段が(平日はさらに本数が少ない)この1日数本のバスか、
タクシーしかないので、やむを得ない結果でしょうね…バスの中ではずっと立っていました。
しかも、皆さん、どうやら「中の家(なかんち)」に隣接している
深谷名物の煮ぼうとう店でランチをしようと計画している模様(うわっ、ドンかぶりやん💦)。
実は私も同じように計画していたので、仮にすぐお店に入れたとしても
煮ぼうとうが出て来るのに時間がかかるのではないか、と予想しました。
朝が早かったこともあり、だいぶお腹も空いてつらくなりそうです。
どうしよう…
ふと
、大河ドラマ館でもらったフリーペーパー「深谷煮ぼうとう食べ歩きMAP」
を開いて(画像は帰宅後撮影)、バスの中で急きょ計画を練り直すことにします。

同乗の皆さんとは袂を分かち…というか、最初から単独行動をしているのですから、
自由に行動して良いのに、なぜか群れから離れるようで心細くなる…
しかし。
ここはひとつ奮起して、一番近い「尾高惇忠(おだかじゅんちゅう)生家」バス停で下車し、
バスで走って来た道を少し戻ったところにある、煮ぼうとう屋さんを目指すことにしました。

それは…食べ歩きMAPの番号❶割烹「楓(かえで)」というお店です。

駐車場には観光バスも停車し(向かい側の畑には深谷ねぎが)

団体さんを受け入れられるくらい大きなお店で、ちょうど12時になるところ、
店内は大流行りで活気がありました。芸能人の色紙もたくさん貼ってある人気のお店ですね。
ひとつ空いているカウンター席で「煮ぼうとう(825円)」単品をオーダー。

顔を上げると正面には「青淵題」?…やはり渋沢栄一翁の書なのでしょうか。
「利義合一」?はて「義利合一」?「義理合一」?

朝採れ野菜たっぷり(もちろん深谷ねぎも)、太い平打ち麺にお醤油ベースのお出汁もおいしい。
お店のおねえさんの接客も密かにたいへん勉強になりました。
思いがけずこのお店の煮ぼうとうを食べることができてよかったです。

ごちそうさまでした

お腹もいっぱいになり、元気も出て、「尾高惇忠生家(市指定文化財)」に向かいました。
この辺りは旧「下手計(しもてばか)村」といって、
渋沢栄一翁の生誕地がある旧「血洗島村」の隣村になるんですね。
江戸時代後期に惇忠の曽祖父・磯五郎が建てた家と伝わります。
屋号は「油屋」。この地方の商家建物の趣を残す貴重な建造物です。

大河ドラマ『晴天を衝け』では、田辺誠一さんが惇忠役を好演されています。

「藍香(惇忠)ありてこそ青淵(栄一)あり」
栄一翁にとって10歳年上の従兄。論語など
学問の師として多大な影響を与えた尾高惇忠さん。

「知行合一(ちごうごういつ)」の水戸学に精通。

惇忠さんや栄一翁たちが若い頃、尊王攘夷思想に共鳴し、
高崎城乗っ取り・横浜外国商館焼き討ちの謀議をはかったのもこの家の2階。
家屋の正面向かって左端にある八畳間。
深谷大河ドラマ館にはこのシーンで使われた「連判状」がありましたよね。
高崎城乗っ取り計画など、長七郎さんが中止させて中止になっていましたが…

いまわたしが立っている屋外から家屋を見た八畳間の間取り図です。

家屋の中、部屋の入口から見た八畳間の画像です。

家屋の中へ入ってみますと…
惇忠さんのポートレイトや

座敷の奥には渋沢栄一翁の書の扁額がありました。

この家で惇忠・千代・平九郎↓・ゆう(惇忠娘・富岡製糸場伝習工女第一号)※が育ったのですね。
※たびたび敬称略ですみません。
平九郎さん、ホント、イケメンですね
。たたずまいからして。

内庭の煉瓦倉庫は明治30年頃建てられた日本煉瓦製造株式会社※※製。
※※かつて渋沢栄一翁がつくった会社ですね。

尾高惇忠生家を後にして、近所の鹿島神社は旧下手計村の鎮守です。



藍香尾高翁頌徳碑(市指定文化財)があります。題額は徳川慶喜の揮毫。
惇忠さんの功績を称える大きな石碑。

もっと近くに行って見学すればよかったです。しかしながら…
日中、だんだん気温が上がり、上着が要らないくらい季節外れに暑くなってくると喉が渇き、
コロナ禍の運動不足もたたってか、たいして歩いていないのにもう疲れ気味です。ヤバい💦
次の訪問先、渋沢栄一記念館も疲れて建物の外観さえ撮影するのを忘れてショック。
館内も正直なところ、雑に見学してしまいました。☟資料室の一部です。


渋沢栄一翁そっくりの講義室のアンドロイドは、団体さんご利用中で拝見・拝聴できませんでした。

残念だなぁ…

しかし。これはサプライズ。記念館の裏口の外に大きな大きな渋沢栄一翁の銅像が。

表口ではなく裏口の方に立っているのが、栄一翁らしくとても謙虚に思えました。

その視線が望む先は、赤城山ですか。

裏口から清水川を渡って(実は渡る必要はなかったです)、青淵公園の小径をてくてく歩いて、
最後の訪問スポット旧渋沢家「中の家(なかんち)」を目指します。
栄一翁の生誕地に建っているお家です。

こんな長閑な田舎で生まれ育ち、大望を抱いて幕末から明治・大正・昭和と、
日本のために中央政界や経済界で八面六臂の大活躍をしたのですね…栄一翁は。
日本史上もっともっと有名になってしかるべき人物かと思うのに。
私欲や名誉欲が薄かったこともあるのかもしれませんが、
栄一翁をよく知らない一般人にとって、翁の功績が計り知れなかった場合…
「偉大な人」という実感が湧かなくなってしまうのでしょうか。
しかしながら、深谷市民(特にこの周辺)の皆さんにとっては、
押しも押されぬ、地元の大英雄だということに疑いの余地はありませんね。
「青淵由来の跡碑」が出てきたので、清水川をまた南側に渡りました。

青淵池。

そのすぐ横が旧渋沢家「中の家(なかんち)」の裏口です。

栄一翁の父と母、見立て養子の平九郎、3基の石碑が、
当初建てられた谷中霊園の渋沢家墓所縮小に伴って寄贈され、
2014(平成26年)に「中の家(なかんち)」の現在地(裏庭の一角)に移設されました。

仲良く並ぶ栄一翁の父・市郎右衛門さんと、母・ゑいさんの招魂碑。
石碑の説明を読んでゆくと、このご両親にして栄一翁ありだな、と思いました。
ご両親揃って素晴らしい人格者だったのですね。
栄一翁が有名になり、ご両親の偉大さも世間に知られることになってよかった。

こちらは「渋沢平九郎追懐碑」。
栄一翁が平九郎没後50年の大正6年に、平九郎を偲んでつくったもので、
平九郎の手跡を石に刻むとともに、栄一翁が平九郎を追懐して造った詩が刻まれています。
平九郎の最期は大河ドラマでも衝撃的に描かれていました。録画を再び観るのもつらいシーンです。
若くして散った平九郎の無念を心に深く刻んだ栄一翁は、死ぬまで忘れなかったでしょうね。

旧渋沢家「中の家(なかんち)」。渋沢栄一翁の生誕地に建つ養蚕農家の主屋。
1895(明治28)年に妹のなか夫妻によって上棟された建物です。

幕末の青年期をこの家の長男として過ごし、1863(文久3)年、23歳の時に離れました。

主屋の中に入ることはできませんでしたが、外から座敷を見学できました。

お。いらっしゃいましたよ。
栄一翁、実際、帰省の際にはこの主屋にお泊りになられたことがあるそうです。

渋沢栄一翁のアンドロイド、時々お顔が動いたりしておもしろかったです。

こちらが表門ですね。

すぐ横にはやはり深谷ねぎの畑がありました。

「中の家(なかんち)」バス停でバスを待ちましょう。

「論語の里」循環バス到着。「論語の里」をぐるっと巡回した後、JR深谷駅前まで運んでくれます。

コロナ禍はいまだ続いていますが、本当にひさしぶりに趣味の史跡散策ができて楽しかったです。
JR深谷駅前にいくつかホテルがありますので、いつか泊りがけで来てみたいと思いました。
今年のNHK大河ドラマ『青天を衝け』の放送もあと2回。
12月19日(日)第40回と26日(日)の第41回(最終回)を残すのみとなりました。
1回も欠かさずに観続けてきて、なにも知らなかった渋沢栄一翁に関する知識が増えて、
飛鳥山、深谷と栄一翁ゆかりの地を訪ねることで、さらに翁を身近に感じられるようになりました。
少しは増えた知識を元にさらに勉強して理解を深めてゆきたいです。
平九郎さんへの興味から、飯能戦争のことも調べて、いつになるかわからないけれども、
能仁寺や飯能市立博物館、渋沢平九郎自決の地といった史跡めぐりもしてみたいと思っています。
期間限定※の「論語の里」循環バスに乗って、
渋沢栄一翁の生誕地に建つ「中の家(なかんち)」をはじめ、
バスの名前にもなっている「論語の里」に点在する、栄一翁ゆかりの地をめぐりました。
※「論語の里」循環バスは、大河ドラマ館の開館期間、
2022(令和4)年1月10日(月・祝)まで走行中。
2021年12月15日(水)

「論語の里」循環バスには、グループで訪れていた多くの年配者が乗り合わせて満員でした

(さっきまで同じ時間帯に大河ドラマ館で展示品を見学していた皆さんです)
移動手段が(平日はさらに本数が少ない)この1日数本のバスか、
タクシーしかないので、やむを得ない結果でしょうね…バスの中ではずっと立っていました。
しかも、皆さん、どうやら「中の家(なかんち)」に隣接している
深谷名物の煮ぼうとう店でランチをしようと計画している模様(うわっ、ドンかぶりやん💦)。
実は私も同じように計画していたので、仮にすぐお店に入れたとしても
煮ぼうとうが出て来るのに時間がかかるのではないか、と予想しました。
朝が早かったこともあり、だいぶお腹も空いてつらくなりそうです。
どうしよう…

ふと
、大河ドラマ館でもらったフリーペーパー「深谷煮ぼうとう食べ歩きMAP」を開いて(画像は帰宅後撮影)、バスの中で急きょ計画を練り直すことにします。

同乗の皆さんとは袂を分かち…というか、最初から単独行動をしているのですから、
自由に行動して良いのに、なぜか群れから離れるようで心細くなる…

しかし。
ここはひとつ奮起して、一番近い「尾高惇忠(おだかじゅんちゅう)生家」バス停で下車し、
バスで走って来た道を少し戻ったところにある、煮ぼうとう屋さんを目指すことにしました。

それは…食べ歩きMAPの番号❶割烹「楓(かえで)」というお店です。

駐車場には観光バスも停車し(向かい側の畑には深谷ねぎが)

団体さんを受け入れられるくらい大きなお店で、ちょうど12時になるところ、
店内は大流行りで活気がありました。芸能人の色紙もたくさん貼ってある人気のお店ですね。
ひとつ空いているカウンター席で「煮ぼうとう(825円)」単品をオーダー。

顔を上げると正面には「青淵題」?…やはり渋沢栄一翁の書なのでしょうか。
「利義合一」?はて「義利合一」?「義理合一」?

朝採れ野菜たっぷり(もちろん深谷ねぎも)、太い平打ち麺にお醤油ベースのお出汁もおいしい。
お店のおねえさんの接客も密かにたいへん勉強になりました。
思いがけずこのお店の煮ぼうとうを食べることができてよかったです。

ごちそうさまでした


お腹もいっぱいになり、元気も出て、「尾高惇忠生家(市指定文化財)」に向かいました。
この辺りは旧「下手計(しもてばか)村」といって、
渋沢栄一翁の生誕地がある旧「血洗島村」の隣村になるんですね。
江戸時代後期に惇忠の曽祖父・磯五郎が建てた家と伝わります。
屋号は「油屋」。この地方の商家建物の趣を残す貴重な建造物です。

大河ドラマ『晴天を衝け』では、田辺誠一さんが惇忠役を好演されています。

「藍香(惇忠)ありてこそ青淵(栄一)あり」
栄一翁にとって10歳年上の従兄。論語など
学問の師として多大な影響を与えた尾高惇忠さん。

「知行合一(ちごうごういつ)」の水戸学に精通。

惇忠さんや栄一翁たちが若い頃、尊王攘夷思想に共鳴し、
高崎城乗っ取り・横浜外国商館焼き討ちの謀議をはかったのもこの家の2階。
家屋の正面向かって左端にある八畳間。
深谷大河ドラマ館にはこのシーンで使われた「連判状」がありましたよね。
高崎城乗っ取り計画など、長七郎さんが中止させて中止になっていましたが…

いまわたしが立っている屋外から家屋を見た八畳間の間取り図です。

家屋の中、部屋の入口から見た八畳間の画像です。

家屋の中へ入ってみますと…
惇忠さんのポートレイトや

座敷の奥には渋沢栄一翁の書の扁額がありました。

この家で惇忠・千代・平九郎↓・ゆう(惇忠娘・富岡製糸場伝習工女第一号)※が育ったのですね。
※たびたび敬称略ですみません。
平九郎さん、ホント、イケメンですね
。たたずまいからして。
内庭の煉瓦倉庫は明治30年頃建てられた日本煉瓦製造株式会社※※製。
※※かつて渋沢栄一翁がつくった会社ですね。

尾高惇忠生家を後にして、近所の鹿島神社は旧下手計村の鎮守です。



藍香尾高翁頌徳碑(市指定文化財)があります。題額は徳川慶喜の揮毫。
惇忠さんの功績を称える大きな石碑。

もっと近くに行って見学すればよかったです。しかしながら…
日中、だんだん気温が上がり、上着が要らないくらい季節外れに暑くなってくると喉が渇き、
コロナ禍の運動不足もたたってか、たいして歩いていないのにもう疲れ気味です。ヤバい💦
次の訪問先、渋沢栄一記念館も疲れて建物の外観さえ撮影するのを忘れてショック。
館内も正直なところ、雑に見学してしまいました。☟資料室の一部です。


渋沢栄一翁そっくりの講義室のアンドロイドは、団体さんご利用中で拝見・拝聴できませんでした。

残念だなぁ…

しかし。これはサプライズ。記念館の裏口の外に大きな大きな渋沢栄一翁の銅像が。

表口ではなく裏口の方に立っているのが、栄一翁らしくとても謙虚に思えました。

その視線が望む先は、赤城山ですか。

裏口から清水川を渡って(実は渡る必要はなかったです)、青淵公園の小径をてくてく歩いて、
最後の訪問スポット旧渋沢家「中の家(なかんち)」を目指します。
栄一翁の生誕地に建っているお家です。

こんな長閑な田舎で生まれ育ち、大望を抱いて幕末から明治・大正・昭和と、
日本のために中央政界や経済界で八面六臂の大活躍をしたのですね…栄一翁は。
日本史上もっともっと有名になってしかるべき人物かと思うのに。
私欲や名誉欲が薄かったこともあるのかもしれませんが、
栄一翁をよく知らない一般人にとって、翁の功績が計り知れなかった場合…
「偉大な人」という実感が湧かなくなってしまうのでしょうか。
しかしながら、深谷市民(特にこの周辺)の皆さんにとっては、
押しも押されぬ、地元の大英雄だということに疑いの余地はありませんね。
「青淵由来の跡碑」が出てきたので、清水川をまた南側に渡りました。

青淵池。

そのすぐ横が旧渋沢家「中の家(なかんち)」の裏口です。

栄一翁の父と母、見立て養子の平九郎、3基の石碑が、
当初建てられた谷中霊園の渋沢家墓所縮小に伴って寄贈され、
2014(平成26年)に「中の家(なかんち)」の現在地(裏庭の一角)に移設されました。

仲良く並ぶ栄一翁の父・市郎右衛門さんと、母・ゑいさんの招魂碑。
石碑の説明を読んでゆくと、このご両親にして栄一翁ありだな、と思いました。
ご両親揃って素晴らしい人格者だったのですね。
栄一翁が有名になり、ご両親の偉大さも世間に知られることになってよかった。

こちらは「渋沢平九郎追懐碑」。
栄一翁が平九郎没後50年の大正6年に、平九郎を偲んでつくったもので、
平九郎の手跡を石に刻むとともに、栄一翁が平九郎を追懐して造った詩が刻まれています。
平九郎の最期は大河ドラマでも衝撃的に描かれていました。録画を再び観るのもつらいシーンです。
若くして散った平九郎の無念を心に深く刻んだ栄一翁は、死ぬまで忘れなかったでしょうね。

旧渋沢家「中の家(なかんち)」。渋沢栄一翁の生誕地に建つ養蚕農家の主屋。
1895(明治28)年に妹のなか夫妻によって上棟された建物です。

幕末の青年期をこの家の長男として過ごし、1863(文久3)年、23歳の時に離れました。

主屋の中に入ることはできませんでしたが、外から座敷を見学できました。

お。いらっしゃいましたよ。
栄一翁、実際、帰省の際にはこの主屋にお泊りになられたことがあるそうです。

渋沢栄一翁のアンドロイド、時々お顔が動いたりしておもしろかったです。

こちらが表門ですね。

すぐ横にはやはり深谷ねぎの畑がありました。

「中の家(なかんち)」バス停でバスを待ちましょう。

「論語の里」循環バス到着。「論語の里」をぐるっと巡回した後、JR深谷駅前まで運んでくれます。

コロナ禍はいまだ続いていますが、本当にひさしぶりに趣味の史跡散策ができて楽しかったです。
JR深谷駅前にいくつかホテルがありますので、いつか泊りがけで来てみたいと思いました。
今年のNHK大河ドラマ『青天を衝け』の放送もあと2回。
12月19日(日)第40回と26日(日)の第41回(最終回)を残すのみとなりました。
1回も欠かさずに観続けてきて、なにも知らなかった渋沢栄一翁に関する知識が増えて、
飛鳥山、深谷と栄一翁ゆかりの地を訪ねることで、さらに翁を身近に感じられるようになりました。
少しは増えた知識を元にさらに勉強して理解を深めてゆきたいです。
平九郎さんへの興味から、飯能戦争のことも調べて、いつになるかわからないけれども、
能仁寺や飯能市立博物館、渋沢平九郎自決の地といった史跡めぐりもしてみたいと思っています。









