2022年2月17日(木)未明、すい臓がん闘病の末亡くなった義弟の法要に参列してきました。
2022年2月18日(金)
2022年2月17日(木)未明、すい臓がんの闘病中だった義弟(旦の長弟)が亡くなりました。
18日(金)の18時〜の通夜から連なる法要に参列するため、
同日10時の新幹線のぞみで京都へ。まずは旦の実家を目指しました。

コロナ禍で遠出を控えていたので…

少し新鮮な気持ちになりました。

はて、前回はいつだったのだろう。

雪をかぶった富士山が…ハッとするほど

美しい姿を見せてくれました。

冠雪部分をズームアップ。

岐阜は平野に積雪していました。

この雪景色を観れただけでも嬉しかったです。

車中、ガードマンさんが何度も通路を往復して警備に努めていました。安心です。

京都に到着。あっという間の2時間12分でした。

旦の実家で休憩、身支度をして斎場へ。最寄りの葬祭ホールで18時〜通夜です。
明日は10時〜葬儀が行われます。

故人は親想いな性格だっただけに、義父の心中はいかばかりかと思います。
享年55歳という早すぎる死でした。
通夜の後は、親族のみ残ってお斎(とき)のお寿司をいただきながら歓談して帰りました。
何年かぶりに会った故人の長男と長女の成長ぶりがまぶしかったです。
2月19日(土)
10時〜の葬儀の前に祭壇をバックにして親族のみの記念撮影が行われました。
(撮影時だけマスクを外しました)
故人は会社員として現役だったので、親族や知人友人の他に会社の人たちが参列してくださり、
喪主の義父が高齢であることから、故人の兄であり、喪主の長男の旦がお礼の挨拶を任されました。
(旦は前夜遅くまで原稿作りをして臨みました)
出棺前にたくさんの美しい花々が参列者の手によって納められ、
義妹(故人の妻)が好物や愛好の煙草を納めた後、左頬にそっと触れて最後のお別れ。
エントランスまで葬送行列の後、親族や近しい男手により霊柩車に棺が運び込まれました。
コロナ禍なので火葬場に行けるのは小人数の親族のみに限られました。

火葬場は思ったより遠くて、車窓から伏見城や…

京都タワーが見えましたが、こんな時なので何の感情も湧きませんでした。

山科の京都市中央斎場に到着。
土曜日のせいなのか、駐車場にはたくさんの車が停まっていて、
建物の中に入るまで10分ほどマイクロバスの車中で待っていました。

棺の窓を開けて親族が最後のお別れをした後、火葬炉に入った義弟は荼毘に付されました。
他家の待ち人たちが思い思いにテーブルについているラウンジで、
義父や親戚の人と1時間半ほど歓談した後、骨壺に納めるお骨を拾うお部屋へ。
葬祭ディレクターさんの指示に従って無事に納骨を終えることができました。
再びマイクロバスに乗って葬祭ホールに戻り、初七日法要の後、洋室でお斎をいただきましたが、
黄色をまじえたテーブルクロスの上に乗ったお膳に次々供される献立はどれもおいしくて、
沈んだ心があたたかく和むものでした。
外に出ると雪が風に舞って寒かったです。旦の実家に帰りました。

2月20日(日)
午後、旦の実家にほど近い石清水八幡宮に行きました。
最寄駅が「八幡市」から「石清水八幡宮」に改称されていました。

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』になぞらえてか、北条泰時の言葉がありました。


源氏の信仰が篤かったお宮です。

夕方になり寒くもなっていたせいでしょうか、猫の集会はやっていませんね。
勝手に名前をつけて可愛く思っている猫も見つけられませんでした…残念。

2月21日(月)
実家の片づけ、精神的な疲れもあって写真撮影など帰途の記録ができませんでした。
むろん楽しい旅にはなるはずがないことは出かける前からわかっていましたが、
コロナ禍で会えずにいた義父をはじめ旦の親族の無事を確かめられてよかったです。
2022年2月18日(金)

2022年2月17日(木)未明、すい臓がんの闘病中だった義弟(旦の長弟)が亡くなりました。
18日(金)の18時〜の通夜から連なる法要に参列するため、
同日10時の新幹線のぞみで京都へ。まずは旦の実家を目指しました。

コロナ禍で遠出を控えていたので…

少し新鮮な気持ちになりました。

はて、前回はいつだったのだろう。

雪をかぶった富士山が…ハッとするほど

美しい姿を見せてくれました。

冠雪部分をズームアップ。

岐阜は平野に積雪していました。

この雪景色を観れただけでも嬉しかったです。

車中、ガードマンさんが何度も通路を往復して警備に努めていました。安心です。

京都に到着。あっという間の2時間12分でした。

旦の実家で休憩、身支度をして斎場へ。最寄りの葬祭ホールで18時〜通夜です。
明日は10時〜葬儀が行われます。

故人は親想いな性格だっただけに、義父の心中はいかばかりかと思います。
享年55歳という早すぎる死でした。
通夜の後は、親族のみ残ってお斎(とき)のお寿司をいただきながら歓談して帰りました。
何年かぶりに会った故人の長男と長女の成長ぶりがまぶしかったです。
2月19日(土)

10時〜の葬儀の前に祭壇をバックにして親族のみの記念撮影が行われました。
(撮影時だけマスクを外しました)
故人は会社員として現役だったので、親族や知人友人の他に会社の人たちが参列してくださり、
喪主の義父が高齢であることから、故人の兄であり、喪主の長男の旦がお礼の挨拶を任されました。
(旦は前夜遅くまで原稿作りをして臨みました)
出棺前にたくさんの美しい花々が参列者の手によって納められ、
義妹(故人の妻)が好物や愛好の煙草を納めた後、左頬にそっと触れて最後のお別れ。
エントランスまで葬送行列の後、親族や近しい男手により霊柩車に棺が運び込まれました。
コロナ禍なので火葬場に行けるのは小人数の親族のみに限られました。

火葬場は思ったより遠くて、車窓から伏見城や…

京都タワーが見えましたが、こんな時なので何の感情も湧きませんでした。

山科の京都市中央斎場に到着。
土曜日のせいなのか、駐車場にはたくさんの車が停まっていて、
建物の中に入るまで10分ほどマイクロバスの車中で待っていました。

棺の窓を開けて親族が最後のお別れをした後、火葬炉に入った義弟は荼毘に付されました。
他家の待ち人たちが思い思いにテーブルについているラウンジで、
義父や親戚の人と1時間半ほど歓談した後、骨壺に納めるお骨を拾うお部屋へ。
葬祭ディレクターさんの指示に従って無事に納骨を終えることができました。
再びマイクロバスに乗って葬祭ホールに戻り、初七日法要の後、洋室でお斎をいただきましたが、
黄色をまじえたテーブルクロスの上に乗ったお膳に次々供される献立はどれもおいしくて、
沈んだ心があたたかく和むものでした。
外に出ると雪が風に舞って寒かったです。旦の実家に帰りました。

2月20日(日)

午後、旦の実家にほど近い石清水八幡宮に行きました。
最寄駅が「八幡市」から「石清水八幡宮」に改称されていました。

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』になぞらえてか、北条泰時の言葉がありました。


源氏の信仰が篤かったお宮です。

夕方になり寒くもなっていたせいでしょうか、猫の集会はやっていませんね。
勝手に名前をつけて可愛く思っている猫も見つけられませんでした…残念。

2月21日(月)

実家の片づけ、精神的な疲れもあって写真撮影など帰途の記録ができませんでした。
むろん楽しい旅にはなるはずがないことは出かける前からわかっていましたが、
コロナ禍で会えずにいた義父をはじめ旦の親族の無事を確かめられてよかったです。









