京都・東山七条。豊臣家滅亡のきっかけになった方広寺の梵鐘と宝物の拝観、大仏殿跡地を訪ねました。

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2015年9月19日(土)半袖でもOKな気候

京都・東山七条。
この地に点在する豊臣秀吉ゆかりの史跡めぐりの続きです。

豊國神社の境内社・槙本稲荷神社のすぐ隣に、戦国史上あまりにも有名なあの鐘。
豊臣家滅亡の契機になった方広寺(ほうこうじ)の梵鐘です。
鐘楼の外から自由に拝観させていただけるとは思いも寄りませんでした。
反対側に鍵のかかる扉があり、開錠時間内であれば志納で鐘楼内に入れます。
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鐘楼のそばに豊臣家の菩提寺、方広寺の本堂があります。本堂が明確にわかる画像は後ほど出てきます。
その方広寺とこの梵鐘について、京都大知典で調べてみました。

方広寺の由緒

山号・不詳 開基・木喰応其 宗派・天台宗

京阪線「七条」駅の北東にあり、豊臣家滅亡のきっかけになった寺として知られています。
かつては大仏を安置する本堂(大仏殿)と鐘楼がありましたが、大仏殿と大仏を火災で失いました。
境内の石垣と石塔は史跡に指定されています。
前ページの京都国立博物館の石垣と「耳塚」「馬塚」が石塔です。

1595(文禄4)年に奈良・東大寺の廬舎那仏にならって豊臣秀吉が創建。
創建当時、奈良の大仏(高さ約15m)を優に上回る高さ約19mの木像大仏を安置する大仏殿は、
壮大な建造物であったと伝えられていますが、翌1596(文禄5)年の地震で破壊されました。
この時秀吉は「自分の身も守れないのか!」と倒壊した大仏にひどく立腹したとか。

秀吉の死後、徳川氏が息子・秀頼と淀君に勧めて再興させ、金銅大仏を本尊とした大仏殿が完成。
つづいて高さ4mの大鐘を鋳造しました。その鐘が現存しているこの鐘です。
その梵鐘銘文の「国 君臣豊楽」を豊臣氏側が曲解したため、
大坂の陣が生じて豊臣家は滅亡しました。

徳川氏の「国 君臣豊楽」の曲解についてですが…
「家康」が分断され(一方「豊臣」は「臣豊」とくっついている)、徳川氏を呪う不吉な銘文として
豊臣家にイチャモンをつけた、という話がよく知られていますが、
ちょっとネットで調べてみただけでも、単純な話ではないようでした。
ex.YAHOO!知恵袋「国家安康の意味」
おいおい、いろいろな文献などを読んで知識を増やしたいです。
ただ、この鐘の一件がなかったとしても…
徳川氏は…家康は、別の手段を講じて豊臣家を滅ぼすことに成功していたのではないでしょうか。

鐘楼の周りをぐるり。方広寺の本堂が見えます。鐘楼との位置関係です。
左手前は手水舎です。
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鐘楼の反対側です。(写真左)手水舎。お水は出ていないようでした。
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さて、いよいよ鐘楼内へ。入口にかかっているお箱に志納します。
これが、あの有名な鐘…重要文化財。
なのに、なぜか、あまりに近すぎて実感が湧かない
(写真左)は鐘の中に入って、鐘の天井を撮影した画像。
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綺麗な天井画。鐘の真上には東・西・南・北が示されています。
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1614年(慶長19年)京都三条釜座の名古屋三昌により鋳造されたこの梵鐘。
大きさは高さ4.2m、外形2.8m、厚さ0.27m、重さは82.7トン。
あの銘文は撞座の左上です。
そう。撞木(しゅもく)側に回って、最大の見どころ。かの有名な銘文「国家安康 君臣豊樂」を。
この銘文は鐘楼内に入らず、外からでも見ることができます。
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秀頼が再興した大仏殿は、その後1662(寛文2)年の地震で倒壊し、
金銅大仏も壊され、徳川氏によって寛文の「文」と入った寛永通宝に改鋳されました。

その後人々の寄進により造られた木造の大仏(高さ14.2m、顔の長さ10.3m)も
1973(昭和48)年に焼失しています。


鐘楼内では方広寺や大仏殿の遺物(全9点)も拝見することができます。
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現在、(写真左)方広寺の本堂には金銅大仏の10分の1の大きさの大仏が祀られており、
(写真右)屋外からガラス窓越しに御尊顔を拝してお参りができるのですが(9時〜16時)、
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本堂に入って間近で拝み、さらに奥の間に展示されている燃え遺った金銅大仏の台座の一部など、
宝物も拝観させていただきました。
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本堂を出て境内を散策中、野良猫でしょうか。可愛い黒猫2匹と出会いました。
1匹は悠々と本堂の前を歩いて去って行きました。
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鐘楼の背後の細い路地を抜けて、大仏殿跡跡地に行ってみます。
振り返ると鐘楼や塀はこんな感じ。左の細い路地を抜けて来ました。
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徒歩1分とかからないところに公園があります。ここが大仏殿跡跡地。
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「京の大仏っあん」、お会いしたかったですねぇ…
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京の 京の 大仏つぁんは 天火で焼けてな… 三十三間堂は焼け残った
          アリャドンドンドン コリャドンドンドン…
 

この記事は不完全なので、おいおい加筆をしていきたいと思っています。