mamataroおでかけ日記

在住の浅草から近い都内、主人(旦)の実家がある京都周辺、あるいは鎌倉など。イベントや寺社・史跡巡りが記事の中心です.

妙心寺

京都・妙心寺 冬の京の旅「玉鳳院」特別拝観 160311

花園の妙心寺、初訪問レポ。50回記念「冬の京の旅」の特別拝観で塔頭の「玉鳳院」を見学。

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2016年3月11日(金)

前頁京都・妙心寺の御朱印 法堂・浴室 160311の続きです。

50回記念「冬の京の旅」のテーマは「禅 -ZEN- 〜禅寺の美 日本文化の美〜」。
平成28年が、臨済宗を開いた臨済禅師の1150年遠諱にあたることにちなみ、
日本の文化・芸術に大きな影響を与えた禅宗寺院を中心に、普段は見学できない庭園、仏像、襖絵、建築など様々な文化財が期間限定で特別公開されます。

妙心寺は、玉鳳院霊雲院・天球院と3つの塔頭寺院が特別公開です。

本当は3つの寺院とも拝見させていただきたいのですが、
時間の都合もあり、現在の私が最も興味深く感じた「玉鳳院」の拝観に向かいました。建物内部およびお庭は撮影不可。
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【重要文化財】玉鳳院(ぎょくほういん)※通常非公開
〜京都最大の禅寺・妙心寺発祥の地〜
臨済宗妙心寺派大本山の妙心寺は、46の塔頭寺院をもつ京都最大の禅宗寺院。
花園法皇の離宮を禅寺に改めたのが始まりですが、玉鳳院は法皇が建てた山内最古の塔頭寺院です。
法皇(開基)と関山慧玄(開山)がここで問答を行い、禅の教えを深めたといいます。
檜皮葺屋根の寝殿風の方丈は、狩野永真(安信)や洞雲(益信)の筆と伝わる障壁画「麒麟図」「竜図」「秋草図」などで飾られています。
【重要文化財】開山堂「微笑庵」は、開山・無相大師(関山慧玄)を祀る山内最古の建物で、
室町時代のみごとな唐様建築。
また、蓬莱式の枯山水庭園(史跡・名勝)や井戸「風水泉」、豊臣秀吉の子・鶴松の霊屋があります。


建物内部およびお庭は撮影不可ですので、しばらく記事のみのアップになります。
入口で拝観料600円を納めます。
方丈・渡り廊下・開山堂と計3ヶ所のポイントごとにおられるガイドさんの説明を聞くことができます。

まず「方丈」です。明暦2(1656)年の建造。

各室ごとに異なるが台で方丈を飾る狩野派絵師の襖絵。「玉鳳禅宮」の額は後花園天皇の御宸筆。
◆玉鳳院の方丈が他の寺院の方丈と異なる点
ヽ基・花園法皇を祀る(法皇の木造を安置)「昭堂」が存在すること。
⇔サ椶世辰震昌弔罵遒善錣塙睛鵑存在すること。
2岷猖々弔龍椋造ある「拈花室(ねんげしつ)」が存在すること。
  砂塵を防ぐため普段は閉められていますが、こちらも特別に見せていただきました。
  「拈花」は軽く花をつまむことで、開山堂「微笑庵」の「微笑」と対になって「微笑拈花」と。

蓬莱式の枯山水庭園(史跡名勝)は、渡り廊下を挟んで大きく南北に分かれ、
北側に枯滝や石組、南側には一面の白砂に松や敷石が配された庭。
白砂の波は月に2度、6人がかりで丸1日かけて整地されています。

次に「渡り廊下」で「風水泉」「祥雲院殿」(外観)、「唐門」「平唐門」を。

関山慧玄が「立亡(りゅうぼう)」…立ったまま亡くなる尊い死に方のひとつ した場所である「風水泉(ふうすいせん)」。
夭折した豊臣秀吉の長男・鶴松(棄丸)の坐像を祀る霊屋「祥雲院殿」。
後ほど傍に行って中を拝観させていただきました。可愛い鶴松の像を安置、天井には天女が3人。
養育係の石川光重(いしこ・みつしげ)が妙心寺58世・南化玄興に心服していたので、
同寺で葬儀を行うように進言し、妙心寺で葬儀があってこの寺に葬られることになりました。
鶴松の遺骸はおそらく火葬され、坐像の下が墓所になっています。
鶴松のおもちゃの【重要文化財】木製玩具船は京都国立博物館に委託。
檜皮葺の「唐門」、【重要文化財】「平唐門」は四脚門で、平唐門としては最古。

「唐門」表側。※玉鳳院内からの拝観を終えてから外側から撮影した画像です。
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【重要文化財】「平唐門」表側。※玉鳳院内からの拝観を終えてから外側から撮影した画像です。
右の柱に顕著な矢じりの跡、応仁の乱でつけられたものです。
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こんなにはっきりと
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もとい。
玉鳳院の特別拝観…最後に「開山堂」です。
建物内部およびお庭は撮影不可ですので、ふたたび記事のみのアップになります。
【重要文化財】開山堂
方丈と渡り廊下で結ばれた開山堂「微笑庵(みしょうあん)」は、
開山の関山慧玄を祀る妙心寺山内現存最古の建物です。
軒下の重厚な組物もみごとな室町時代中期の唐様建築で、奥に開山像を祀る「享堂(きょうどう)」があります。
手前には珍しい形の妙心寺型石燈籠が据えられ、ソテツの木が植えられています。
室町時代に建てられた四脚門(重文)もみどころです。←前出【重要文化財】「平唐門」
堂内には絶やすことのない常夜灯と常香盤があります。

開山堂の裏の一角に、武田信玄・勝頼の石塔、織田信長・信忠…の石塔が残っています。


ガイドさん方の説明がたいへん詳しく勉強になり、妙心寺への興味が深まりました。
どうもありがとうございました。

特別拝観など、妙心寺にもっと長い時間とどまりたいのですが、
ずっと等持院に行きたい気持が抑えられず、境内を抜けて向かうことにしました。

途中、可愛いネコさんに遭遇です。
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実に広い境内に心も広がります。再訪を心に誓って。
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こちらは「北総門」です。
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後日このページに加筆することがあるかもしれませんが、ここで一旦アップします。

これから等持院に向かうのですが、レポは次のページにアップします。

京都・妙心寺の御朱印 法堂・浴室 160311

花園の妙心寺訪問レポ。法堂(雲龍図)と浴室(明智風呂)を見学し、御朱印をいただいてきました。

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2016年3月11日(金)

冬の京旅2016の2日目。
いよいよ旅のテーマである「禅」寺に詣で御朱印を頂戴します。
さらに「冬の京の旅」キャンペーンの特別拝観を見学です。

本日最初の訪問は花園の妙心寺です。
このページ【前編】では大方丈、法堂(雲龍図)と浴室(明智風呂)の見学をアップします。

JR京都駅から山陰本線(嵯峨野線)【時刻表】に乗って「花園(はなぞの)駅」に降り立ちました。
画像は駅前の様子です。
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周辺地図が駅の昇降口付近の窓に。
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この地図によると、目的の妙心寺は徒歩5分とのこと。
妙心寺に向かう人の流れについて行くと、緩やかな坂道になっている参道の上に南総門。
その向かって左に勅使門があります。
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臨済宗妙心寺派の大本山、正法山(しょうぼうさん)妙心寺…日本で最も大きな禅寺の境内へ。
境内マップ

ああ、清々しい。「大いなるかな心や」。空が高いわ〜。
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妙心寺の歴史】公式HP参照
双ヶ丘の東、京都市右京区「花園」。
かつてこの地域には公卿の邸があり、花畑に四季折々に美しい花が咲き乱れ、
いつしか「花園」と呼ばれるようになっていました。
この地をこよなく愛し、ここに離宮を構えて禅の奥義を究めるとともに、
常に世の中の平和を願った第95代天皇・花園法皇は、建武4(1337)年、この花園の離宮を禅寺に改めました。

これが、臨済宗妙心寺派の大本山である妙心寺のはじまりです。
山号は正法山(しょうぼうざん)。
開山は関山慧玄(かんざんえげん)〔無相大師〕、開基は花園法皇。
その後足利義満の圧迫や応仁の乱などで一時中絶しますが、細川勝元の支援を受けて復興します。
次々に名僧を輩出したことにより、武士層が帰依し大いに隆盛を極めました。

現在の妙心寺は、塔頭46ヶ寺、末寺は日本をはじめ世界各国にわたり3,400ヶ寺あまり、
在籍僧数は約7,000人を数えます。
関連機関としては花園大学、花園高校、花園中学校、洛西花園幼稚園などがあります。



(写真左)三門・仏殿・法堂が一直線に並ぶ禅宗寺院の伽藍配置。
(写真右)仏殿。
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総受付(拝観受付)で「法堂(雲龍図)と浴室(明智風呂)」の拝観料500円を納めます。
この時に300円納めて御朱印をお願いしますと、御朱印帳と引き換えに番号札をくださいました。
最初に法堂、続いて浴室…とお寺の方がガイドしてくださるタイムテーブルが決まっているので…
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それまで少々時間に余裕があった私は、大方丈でお参りをさせていただきました。
賽銭箱に「おかげさま」と大きな白文字が書かれています。
美しく整えられたお庭を眺めていると、心が落ち着き「自由」な感覚が戻ってきました。
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【重要文化財】大方丈
入母屋造単層檜皮葺、承応3(1654)年の建造。
方丈はもと住持の居所を意味しましたが、今は檀信徒の祖先を祀って、その供養を行うところ、
また説教、講演その他の会合の場所ともなり、多数賓客を応待するところとも。
本尊阿弥陀三尊はもと石清水八幡宮の奥の院に祀ってあったもので、鎌倉時代の傑作。
襖の画は狩野探幽と狩野益信の筆です。




番号札の番号が呼ばれ、御朱印をいただいた御朱印帳を開いてみました
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そしてほどなく、法堂と浴室のご案内が始まりました。
今回の旅で最も楽しみにしていた妙心寺の法堂の天井画「雲龍図」を拝観です♪ 堂内写真撮影不可
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【重要文化財】法堂は江戸時代の建立。今日でいう多目的ホールです。
仏像は安置されず、住持による法座や坐禅が行われます。
天井には江戸時代に描かれた狩野探幽法眼守信筆の大傑作「雲龍図」が。

靴を脱いでスリッパに履き替え、ひんやりとした法堂の中。まず、見上げる探幽の「雲龍図」。
月並みな表現ですが、その大きさと迫力に圧倒されます。堂内写真撮影不可
注)この画像は拝観料を納めた時にいただくB4版のチラシを使用しています。
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頭上10m。京都で最も大きな雲龍図の直径は12m。大型バスが1台スッポリ収まる大きさです。
構想3年制作5年、計8年の歳月をかけて描かれた「八方睨みの龍」。
堂内を西側から東側に向かって(反時計回り)、ぐるりと1周しながら、天井の大きな龍のポーズや表情の変化を観察します。
下り龍から上り龍へ。怖い顔から優しい顔へ。
南の位置から見た龍はちょっと笑っているようにも見えます。

龍は空想上の生き物なので、探幽は現存するいろいろな動物のパーツを参考にしたといわれています。
口(ワニ)、髭(ナマズ)、角(シカ)、胴の鱗(コイ)、手足(ワシやタカといった猛禽類)、目(ウシ)…といった具合に。

「雲龍図」を拝観したら、法堂の片隅に保存されている【国宝】「黄鐘調(おうじきちょう)鐘」を拝観。
『徒然草』に「およそ鐘のこえは黄鐘調なるべし…浄金剛院の鐘の声また黄鐘調なり」とある鐘で、もと浄金剛院(廃寺)にあったものです。
記年銘のあるものとしては日本最古※で、飛鳥時代の文武天皇2(698)年の作。
鐘は撞坐が高いほど古いとされています。
その秀高なる形態、流麗なる唐草模様まことに天下の名鐘に恥じない…
1973(昭和48)年までNHK「ゆく年くる年」の冒頭で除夜の鐘を鳴らしていましたが、
あまりに古く撞くと壊れる恐れがあるので現在は撞いていません。
鐘の音の音階は「ラ」。テープをかけて音を聞かせてもらえます。

※九州の仏教美術の殿堂・福岡の観世音寺(かんぜおんじ)にある【国宝】梵鐘は、
この妙心寺の【国宝】「黄鐘調鐘」と同じ鋳型で造られました。
実は「黄鐘調鐘」は福岡で造られ、2つの鐘は「兄弟」ということになります。
観世音寺の梵鐘はいまも現役ですが、日本最古の鐘とされた「黄鐘調鐘」よりも
さらにもう少し古いことがわかったそうです。文様の違いがその決め手。
これだけ大きな鐘だと鋳型を組み合わせて造りますが、文様部分だけ入れ替えています。
「黄鐘調鐘」は宝相華文(ほうそうげもん)という煌びやかな文様が入っていますが、
観世音寺の梵鐘は忍冬唐草文(にんどうからくさもん)というおとなしい文様。
中国では675年頃を境に忍冬唐草文から宝相華文に変わり、それがアジアに伝わって行きます。
観世音寺の鐘の方が形式が古い文様のため、20年ほど早く造られていることがわかったのです。
ちなみにすぐお隣の大宰府政庁跡(都府楼)で菅原道真が聞いた鐘の音はこの梵鐘の音。
大宰府天満宮にもほど近い観世音寺は746年、天智天皇が亡母・斉明天皇の菩提を弔うために建立した寺。
日本書紀や源氏物語にも登場する古刹。国宝1件、重文18件のお宝を所蔵。



法堂を拝観した後は、靴を履いて浴室(明智風呂)に向かいます。

と、その前に。「黄鐘調鐘」はこの鐘楼に吊るされていました。
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さて【重要文化財】浴室(明智風呂)を拝観です。
三門の東側に位置するので、先ほど外観は見ていました。これから内部を拝観します(写真撮影可)。
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入口正面には位牌棚があり、その中央には跋陀婆羅尊者画像(狩野宗信筆)が掲げられています。

天正15(1587)年塔頭の太嶺院(廃寺)の密宗和尚(光秀の叔父)が明智光秀の菩提を弔うために創建した祀堂(しどう)。
一重切妻本瓦葺、浴室内中央に浴槽と洗場があり、その南側に休息室が設けられ、東背面には竈室があります。

(写真左)浴槽(蒸風呂)。ここに入ることも修行のひとつなのですね。
(写真中・右)排水できるように傾斜をつけた床と排水口。
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浴槽は蒸風呂形式で簀子板敷の隙間から蒸気を出し、四壁は正面に出入口と調節窓をもち、他の三方は板壁で閉ざされています。

お湯を沸かすための水路と浴衣を着脱する休息室。
浴衣を包む布(きれ)が「風呂敷」の名の由来になったという一説も。
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本能寺の変で主君織田信長を滅ぼした明智光秀は、「謀反人」と蔑まれ悔恨の念にかられ、
叔父の密宗和尚を頼って妙心寺を訪ね、三門で自害をしようと思いつめます。
しかし密宗和尚から「清浄な境内を血で穢すまじ」と説得されて思いとどまり、
遺産金を託して妙心寺を立ち去りました。
その遺産金を元に光秀の罪を洗い流すべく「祠堂」たる「浴室」を建立したのだとか…
この浴室が通称「明智風呂」と呼ばれる由縁に思わず納得です


このページ、もしかしたら後日さらに加筆するかもです
先が長いので、いったんここで終了します。


続いては「冬の京の旅」特別公開中の「玉鳳院」の拝観に向かいます。
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