足利将軍家の菩提所、京都・等持院を拝観して御朱印をいただいてきました。

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2016年3月11日(金)

妙心寺の北総門を出て、地図を頼りに足利将軍家の菩提所、等持院(とうじいん)を目指しています。

前方に見える美しい稜線を描く山こそ…たまたま通りかかった地元の人に確かめてみよう。
「あの山は何という山ですか
「衣笠山(きぬがさやま)。私も先輩から聞いたんやけど…
雪が降り積もって衣(きぬ)を被った笠のように見えたのが名前の由来なんやて」
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なんて風流な…そしていま実際に衣笠山を眺めながら雪が降り積もった姿を想像すれば、
まさに「衣(きぬ)を被った笠」みたいだと真に実感するのでした。

そういえば…京都発祥のご当地丼🍚「衣笠丼」はこの衣笠山に由来しています。京都固有の呼び名。
注)写真は京阪線・樟葉駅構内の食堂のサンプルです。
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衣笠丼の発祥については、主に以下のような説があるものの、
どの説が正しいのかは判然としていません。
西陣などの職人が仕事の合間にさっと食べる丼として始まったとする説。
太秦の俳優が、撮影の合間などに腹を満たすための丼として広まったとする説。

衣笠山は、真夏に雪景色を所望し、山に白絹を掛けて雪に見立てたという宇多天皇の伝承に因んで
"きぬかけ山"とも呼ばれています。
この"きぬかけ山"にちなんで、丼に盛った姿をそれに見立てて「衣笠丼」の名が付いたのですね。



京福電鉄北野線「等持院駅」からだと徒歩約10分。
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閑静な住宅街の中に等持院はありました。
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吉川英治作『私本太平記』あしかゞ帖の主人公足利尊氏の菩提寺です
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(写真左)いよいよ…
(写真中)さっき望んだ衣笠山が近くに見えます。
(写真右)室町幕府を開いた足利氏の家紋で、
     将軍家の権威の象徴でもある「丸に二つ引(足利二つ引)」紋。
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牧野省三の墓所と日本映画の父「マキノ省三先生像」と彫られた銅像。
等持院でロケをして「チャンバラ」で本堂の中の襖を破ってしまったこともあったとか…
なんともおおらかな時代でしたね…
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【等持院の由来】
暦応四年(1341年)、足利尊氏が天龍寺の夢窓国師を開山に迎え、衣笠山の南麓に創建。
後に尊氏・義詮将軍時代に幕府があった等持寺もこちらに移されて、
足利将軍家歴代の菩提所になりました。
応仁の乱などの戦乱や火災に見舞われましたが、豊臣秀吉も秀頼に建て直させたほど重んじました。
その後も変遷はあるものの、足利15代、230余年の歴史を語るだけの貴重な文化財が
今なお充分に保存されています。 参考資料:臨済宗天龍寺派 等持院 リーフ


拝観料500円と御朱印の300円を納めて。拝観後いただいた御朱印帳を開いてみますと…♪
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順路に従って方丈(本堂)へ向かいます。

(写真右)等持院の前の前の住職・関牧翁(せきぼくおう)老師筆「達磨絵図」。
「看脚下(かんきゃっか)」「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」という言葉が書かれているお寺が多いが、
当寺ではその代わりに、自分自身の心の写し※、という意味でこの「達磨絵図」を安置しています。
※自分自身の心次第で達磨が怒っているようにも微笑んでいるようにも見える
(写真左)足利義満直筆の「扁額」。足利家の菩提寺ならではの貴重なものです。
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(写真左)南庭。(写真右)方丈(本堂)の外観。
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現在の方丈(本堂)は、元和二(1616)年、福島正則が妙心寺塔頭海福院に建立し、
文政元(1818)年に等持院に移築されたもの。
南庭を控えた広縁を静かに歩くと鴬張りの音が心地よく響きます。
方丈の襖絵は狩野興以の作で、明治維新当時一部損壊し、さらに映画の撮影所が等持院内にできて、
方丈がロケに使われたためにかなり破損しましたが、今日修復、年一回の寺宝展で公開されています。


最も拝観したかったこの「霊光殿」。内部は撮影禁止
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霊光殿の外観。
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足利尊氏が日頃念持仏として信仰した「利運(りうん)地蔵菩薩立像(伝弘法大師作)」を本尊として中心に祀り
達磨大師と夢窓国師を左右に、足利歴代の将軍像〔5代義量(よしかず)と14代義栄(よしひで)の像を除く〕が、
徳川家康の像と共に両側に配置されています。
家康の像は42才の厄除けの霊験を受けたもので、はじめ石清水八幡宮・豊蔵坊※にありましたが、
廃仏毀釈後に等持院に移され、本尊と共に利運を願う人たちに進行されています。
※家康が三河国にいるときからの祈祷所で、戦場にあっても自身の加護を祈った。

ここ来たかったぁ♡
中央奥のご本尊にお参りした後、尊氏から義詮・義満…と順を追って将軍像を拝観していきます。
歴史の教科書やテレビの映像で見たことがある像の「実物」と対面する愉しいひととき♪

3代将軍・義満の像の目にはガラス玉が嵌められており、よりリアルに義満の顔を表現。
以前等持院にあった巻物や頂相画を元にしているので、その当時の顔がよく再現していると思われます。
いずれの木像も首が抜けるように造られており、そのため江戸時代の終わりには、
初代・尊氏、2代・義詮、3代・義満の首と位牌が持ち去られ、賀茂川の河原に晒されたこともありました。
俗にいう「足利三代木像梟首(きょうしゅ)事件」です。

参考資料:BS11「京都国宝浪漫」足利家の菩提寺 等持院

霊光殿を出て順路に従って進むと、足利尊氏の墓が見えました。
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「芙容池」を望む。
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そう。書院から開山・夢窓疎石作の庭園散策へ。尊氏の墓はその一角。順路の最後です。
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書院から望む西の芙容池は、古い木立で区切られ、蓮の花を形どった庭園に花木をあしらい草木を配し、
石組も変化に富んでいます。
書院に座ってお茶の香りを愛でながらお庭を眺めることができます。

尊氏の百年忌の長禄元(1457)年に当寺を復興した際、
庭園の中に「清漣亭(せいれんてい)」が新築され、「義政好み」と呼ばれました。
また、水上勉原作の「雁(がん)の寺」という映画の舞台になった場所でもあります。
水上勉は等持院の2階に書生として住み込んでいたのだそうです。

遠目で見た「清漣亭(せいれんてい)」。
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下足のままで内部を拝観することができます。
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ジロジロ…
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ジロジロ…
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このお庭でも有楽斎(侘助)に出会いました。寒の頃から春先にかけて咲き始めます。
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方丈の北庭の東の苑池である心字池(草書体の心の字をかたどって作られた池庭)のあたりの景色は幽邃で、
かつて中ノ島には妙音閣がありましたが、現在は礎石でその面影を偲ぶことができます。半夏生(三白草)が咲く夏至の頃のこの庭の風景も良い。と等持院のリーフにあります。
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大小ふたつの島で「亀島」。
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足利尊氏之墓所。方丈北の中央に尊氏の墓である宝篋印塔があります。
塔の台座は四面に立派な格狭間(こうざま)があり、宝瓶に蓮華を挿した紋様があって、
室町時代の形を示しています。台座の正面に延文三年四月※の文字が見られます。
※尊氏の死没年月日は延文三年四月三十日(1358年6月7日)
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鎌倉の長寿寺にも尊氏の遺髪が納められているという墓があり、いつか等持院の尊氏の墓に…と思っていました。
雨の長寿寺。平家琵琶を聴く 091211

どちらも日本史上に名を残す有名人にしてはこじんまりとした墓所ですが、
たとえば源頼朝ほどの有名人であっても、埋葬されたとされる墓自体が残っていないことを考えると、
大切に守り続けられて今年で658年(台座に刻まれた年月から換算)…凄いことだなぁと思います。

門前の食料品店・等持院とりはらで「等持院まんじゅう」を買って帰りました。 
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またひとつ念願を果たして穏やかな気持になりました。
続いて北野天満宮で見頃の梅を愛でてきます。