mamataroおでかけ日記

在住の浅草から近い都内、主人(旦)の実家がある京都周辺、あるいは鎌倉など。イベントや寺社・史跡巡りが記事の中心です.

特別拝観・特別公開

大覚寺「戊戌開封法会」の御朱印と嵯峨菊 181127

平成三十年厳修「戊戌開封法会」で「60年に一度の勅封般若心経」を特別公開(初公開)している(会期は2018.11.30.まで)京都・大覚寺へ。

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2018年11月27日(火)

忙しさにかまけているうちに会期(平成30年10月1日〜11月30日)が残り少なくなり一念発起。

平成三十年厳修(ごんしゅ)「戊戌(ぼじゅつ)開封法会」で、
「60年に一度の勅封般若心経」を特別公開している、京都は嵯峨野の大覚寺へ。

【旧嵯峨御所 大本山 大覺寺】公式サイト

個人的には昨春以来の訪問になります。
「mamataroおでかけ日記」 大覚寺・大沢の池の桜は…!? 170406


紅葉のシーズンと重なり、嵐山・嵯峨野方面の混雑を見越して、
バスや嵐電を避けて、京都駅からJR山陰本線(嵯峨野線)のホームへ向かうも…
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10時27分発(少々遅れ)。園部行きの電車はホームにあふれるような人人人でした。
それでもなんとか座席をキープし、満員電車に揺られて嵯峨嵐山駅に着くと、
車両に乗っていたほとんどの人人人がどどっと同駅で下車。
またしてもホームにあふれる人人人。
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昨今話題の「オーバーツーリズム」という言葉が頭をよぎりました。
まさに世界に誇る観光都市・京都、恐るべしです。
しかし改札を出ると、この人々は南口の「トロッコ嵯峨駅」方面に流れ、
北口「大覚寺・清凉寺」方面に向かう人はまばらでした。

のんびり徒歩20分ほどで大覚寺に到着。
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平成三十年厳修(ごんしゅ)「戊戌(ぼじゅつ)開封法会」。
心経殿で嵯峨天皇宸翰「60年に一度の勅封般若心経」を特別公開しています。
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式台玄関前に咲く色とりどりの嵯峨菊の鉢。
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大覚寺の開基である嵯峨天皇(786〜842年・在位は809〜823年)は、
空海、橘逸勢(たちばなのはやなり)と共に書に優れた平安初期の「三筆」の一人。
桓武天皇の息子であり、平安時代の礎を造った天皇です。

1200年前の平安時代、都で大飢饉による疫病が流行り、時の帝・嵯峨天皇は、
弘法大師の勧めにより般若心経を写経、勅封(封印)して奉安し、国民の安泰を心から願いました。
奉安された年が弘仁九年(818)の戊戌(つちのえ・いぬ、ぼじゅつ)の年であり、
以来60年に一度、戊戌の年に、大覚寺ではその写経(勅封心経)を開封し、
天下泰平を祈る伝統儀式「戊戌開封法会」を執り行っています。
この嵯峨天皇宸翰勅封心経は、
通常、天皇の命令がなければ封印を解けない「勅封」の扱いで秘蔵されており、
一般公開されるのは初めてのことです。
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そして今年、2018(平成30)年は、戊戌(つちのえ・いぬ、ぼじゅつ)の年。

「60年に一度、ひらく扉がある」
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いま、その扉の向こうへ。村雨の廊下を通って。
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勅封心経殿に入る前に塗香を掌に頂いて…
☟(同じ塗香が売店に売っていました)
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読経の声が響く勅封心経殿の中で合掌して勅封心経を拝観。
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御影堂(心経前殿)と
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勅封心経殿をつなぐ五色の紐。
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それはあっという間のできごと。
奉伺(ほうし:おそばにつかえること)する薬師如来像を仰いで、
その下のガラスケースの中に「布(絹)に書かれた般若心経」が。
一見、布(絹)には見えません。

仏の教えに基づいた国造りを誓い、一文字書くたびに三回祈る…一仏一字。
この般若心経により国は安らかになったと伝わります。
後の天皇たちは国難に直面した時、この般若心経の文字を削って呑んであやかろうとしました。
よって特に下の方はその際に削られてか、文字が見えなくなってしまっていましたが、
(生地の上の「花」の文様もかなり薄かった…)
私にとって最初で最後の、嵯峨天皇直筆の般若心経を拝観できて、清々しい気持になりました。

次の「戊戌開封法会」は60年後の2078年です。
私が次の「戊戌開封法会」にめぐり合わせることはないでしょう。111歳ですから…

続いて霊宝館へ。
NHK総合「ごごナマ」11月放送 ※本放送はNHK総合大阪「かんさい熱視線」で11月2日(金)
「よみがえる祈り 〜京都・大覚寺 般若心経復元〜」という番組で観た
復元された「嵯峨天皇宸翰勅封心経」をショーケース間近で観ることができました。※
次の「戊戌開封法会」では実現できなかったであろう、このプロジェクト。
こんな素晴らしい技術を継承する後継者が足りないなんて残念すぎます。
なんとかならないのでしょうか…

※嵯峨天皇にならって歴代天皇☟が書かれた「紺紙金泥経」も霊宝館に展示されていました。
通常は、後光厳、御花園、後奈良、正親町、光格天皇の勅封心経も、
嵯峨天皇の勅封心経と共に「勅封心経殿」に納められ、60年に一度の開封です。


五大堂(本堂)で記念に2種類の御朱印をいただきました。
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五大堂(本堂)から見えた赤い赤い紅葉。
今年は紅葉が少し遅いようで、京都の紅葉はおおむねいまが見頃のようです。
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勅使門を望む。
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勅封心経殿の手前にある御影堂(心経前殿)は、日々の祈りの場所。
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宸殿の蔀戸と狩野山楽の牡丹の障壁画。
最も格式が高い、正面の「牡丹の間」の天井は折上小組格天井。
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殺生をしないセミが金具のモチーフに。
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秋を彩る大覚寺の風物詩「嵯峨菊展」。11月1日(木)〜11月30日(金)
嵯峨菊は嵯峨天皇の御代、大沢池の菊ヶ島に自生していた嵯峨野独特の野菊で、
様々な風情ある嵯峨菊を大覚寺境内の中で一般公開しています。
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嵯峨菊とは…
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これは「御所の春」。黄色は「御所の秋」。白は「御所の雪」。
「御所錦」は黄色〜オレンジの二色。あるいは朱色とも表現。
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ひっちゃん登場(笑)
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もう12月も近いというのに、今日はまるで春を通り越して初夏のような暖かさ。
どんな上着も必要ないくらいです。なんか異常だな…

さて。
大沢の池の方へ…少し散策してみます。

長谷寺・本尊大観音尊像特別拝観と大観音大画軸大開帳 180503

奈良県桜井市の長谷寺で5月6日(日)まで開催中のぼたんまつり。6月30日(土)まで特別拝観が行われている本尊大観音尊像とご縁を結び、5月31日(木)まで特別公開中の大観音大画軸大開帳を拝観してきました。

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2018年5月3日(木)憲法記念日

G.W.後半の天気予報はあまり良くなかったのですが、
やや肌寒くはありますが、なんとか(雨が降らずに)もちそうな曇天。
午前中から奈良の長谷寺に行くことになりました。

「花の御寺」とよばれる奈良県桜井市の長谷寺で5月6日(日)まで開催中のぼたんまつり。
6月30日(土)まで特別拝観が行われている本尊大観音尊像、
5月31日(木)まで特別公開中の大観音大画軸大開帳を拝観するのが目的の初参詣です。

どんぐり街道
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やがて前方に特徴のある山が出てきました。
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土地勘がないので帰宅後調べたら…二上山(にじょうざん)でした。
奈良県葛城市と大阪府南河内郡太子町にまたがる山で、金剛山地北部に位置し、
北方の雄岳(517m)と雌岳(474m)の2つの山頂がある双耳峰です。

ここは三輪そうめんのふるさと。
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あの山は何かな?
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長谷寺駅が右テに出てきました。
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もうすぐ。
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表参道前の駐車場に停車(料金は時間無制限で1,000円)。
しかしここから長谷寺までなんと15分も歩くことに。
初めてで様子がわからなかったので、とにかく駐車しなければ、という焦りが出てしまいました。
表参道や長谷寺のすぐ近くにも空いている駐車場があって料金も同じ。まぁ、仕方ないですね…
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表参道の門前町は長谷寺に近づくにつれ賑やかしく。
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門前に出ました。
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縁起です。
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仁王門。
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☟こちら、有名ですよね。
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重要文化財の登廊。
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今回の旅は…本当によく石段を上ります💦
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登廊の途中、左テの歓喜院では説法が行われていました。
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歓喜院の境内から本堂がよく見えます。
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「大悲閣」とは観世音菩薩像を安置した仏堂。観音堂のこと。
御朱印にも書かれていました。
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登廊をさらに上って行くと
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新緑が綺麗
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そして国宝の本堂に辿り着きました。すでに御朱印所の行列が…
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行列は本堂の入口の方に向かって延びています。
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これからいよいよ、本尊大観音尊像の特別拝観です。
鎌倉の長谷寺の大きな観音様と似ているかな!?
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特別拝観のお参りの手順はあらかじめ決められています。
下足を脱いで本堂の中で受付。
五色線をいただいて腕に通し、両掌を塗香(ずこう)でお清めしてから、
日本最大級12m13僉文背まで)の大観音尊像の御足(おみあし)に触れながらお参りをして結縁。
続いて大観音尊像の周囲を右回りに1周して退出するのです。
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可愛い五色線♡ 大切にします。
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御朱印をいただいて、本堂前の懸造り(舞台造り)へ。
この舞台からは、大観音尊像のお顔を拝みながらお参りができます。
御足に触れながらの特別拝観を希望しない参詣者はこちらから。
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ぼたんは盛りを過ぎていましたが、鉢によって遅咲きの花を鑑賞できました。
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これから谷の向こうの本坊に向かいます。本坊の大講堂が大観音大画軸大開帳の会場です。
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総受付でこの大観音大画軸大開帳の拝観料も一緒に、ひとり1,800円納めていましたが、
(本尊大観音尊像特別拝観を含む入山券1300円+大観音大画軸大開帳の拝観料500円=1,800円)
本尊大観音尊像特別拝観を含む入山券1300円のみご購入の場合、
こちらの拝観料500円を入口の受付で納めれば本坊大講堂の中に入れます。
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めったにない機会なので、ありがたく拝観させていただきます。
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本坊の入口。そう、大観音大画軸大開帳は西国三十三所草創1300年記念の一環でした。
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中から本堂を遠望。
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ズーム!
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さて、大観音大画軸は…「本尊十一面観音菩薩御影大画軸」。
名称は長谷寺式十一面観音菩薩三尊像。
なんと。所定の場所からなら写真撮影が可能でした。
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この御影は本尊十一面観音菩薩立像を原寸大に描いたものです。
縦1646.6僉別16m47僉法横622.6僉別6m23僉法⊇杜125.5圈
室町時代に造られ、現在は奈良県指定有形文化財になっています。
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こちらでも御朱印をいただいて、長谷寺の御朱印は2種類になりました。
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本坊前から再び本堂を望みます。
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まだまだ境内散策をしたいところですが、今日は時間的に難しいので下山することにしました。
できればもう少し年を取ってから再び参詣したいお寺です。

帰りがけ、表参道の発起院に立ち寄りました。
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縁起です。
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若いカップルがお参りに行ったここも気になるけれど、寄るのはちょっと無理なので断念…
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さて、帰途です。

むむ。あの大きな鳥居は…
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大神神社(おおみわじんじゃ)の大鳥居ですよね。
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さようなら〜!いつかお参りに行けるといいなぁ♡
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あ。二上山だ!
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信号待ちで
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ふと左テを見ると低い山が覗いています…耳成山(みみなしやま)でした。
香久山(かぐやま)、畝傍山(うねびやま)とともに大和三山のひとつ。
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生駒山??
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薬師寺。
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工事中。
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あ。若草山。大好き♡今回は行けなかったけど、また行きたいな。
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うわぁ〜ん。帰りたくないよ〜。
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奈良、遊び足りない…中途半端すぎてダメだこりゃ。


長楽寺 春季特別展「建礼門院秘宝展」180502

建礼門院が出家した長楽寺 春季特別展「建礼門院秘宝展」に行って来ました。

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2018年5月2日(水)

時計は15時50分。降りしきる雨。
雨だけど帰るにはまだちょっと早い。あともう1ヶ所ぐらい行けたらいいな…
だけど雑踏に揉まれたくない。どこか、ひと気ない静かなお寺に行きたい。
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京阪線の祇園四条駅で下車して八坂神社の南楼門前の御幸通を奥へ奥へと進んで行きます。
祇園四条駅からは徒歩15分。南楼門からだと徒歩8分ほどになるでしょうか。
その❝どんつき❞がこちら☟
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平清盛の娘、建礼門院が出家した寺として知られる黄台山長楽寺に到着しました。
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拝観は17時まで。
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寺宝。
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由緒その1
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由緒その2
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本堂にお参りした後、建礼門院塔を
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右テに観ながら
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収蔵庫に展示されている寺宝「建礼門院秘宝展」を拝観に。
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続いて拝観所へ。
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こちら。
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内部の宝物は撮影禁止ですが庭園の撮影は可能です。
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室町幕府第8代将軍・足利義政に仕えた相阿弥作の園池です。
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安徳天皇の御衣幡(複製)や建礼門院御影、御尊像など
ちょっとせつない気持ちになる寺宝の数々…晴天であれば感じ方も変わるのでしょうか!?
鳴りやまぬ雨音に一層哀しみが深くなるようです…

閉門時間の17時も近く、参詣者はほとんどいません。
雨が本降りだったので、墓所の拝観には行きませんでしたが、また訪れる機会がありましたらぜひ。
短い時間ではありましたが、静かで落ち着いた時間を過ごすことができました。
祇園や八坂神社の近くにありながら、こんなにも閑静な場所があったなんて(驚)…

雨に濡れた御幸通の新緑、しっとり、とても綺麗でした。
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祇園四条駅から京阪線で帰途につきます。

「谷の御所」霊鑑寺 秋の特別公開 171125

「鹿ヶ谷比丘尼御所」「谷の御所」といわれる通常非公開の尼門跡寺院、霊鑑寺 秋の特別公開に行きました。

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2017年11月25日(土)

気温がぐんぐん上がり、上着がなくても大丈夫なくらいの暖かさ…絶好の行楽日和です。

哲学の道の寺の前橋を渡って、霊鑑寺(れいかんじ)を目指します。
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秋の特別公開は12月3日(日)まで。
通常非公開の尼門跡寺院、円成山(えんじょうざん)霊鑑寺(れいかんじ)。
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円成山(えんじょうざん)霊鑑寺(れいかんじ)は、1654(承応3)年、後水尾天皇が勅許し、
同時に皇女・浄法身院宮宗澄(じょうほっしんいんのみや・そうちょう)を
得度入寺させたことに始まりました。
以来、明治維新まで5人の皇女や皇孫が入寺することになり「霊鑑寺尼門跡」と称し、
所在する「鹿ケ谷」の場所がら「鹿ヶ谷比丘尼(びくに)御所」や
「谷の御所」と呼ばれている臨済宗南禅寺派のお寺です。

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拝観券を買い求め、まずは御朱印をいただこうと思いましたが、
昨今の御朱印人気、ましてや普段は拝観できないお寺の御朱印をいただきたい参詣者は多く
「預かっても書ききれない」状態に陥っていらしたのです。
2匹の看板犬さんを眺めながら、対応できる冊数になるのを待ち、お預けして拝観へ。
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石段を上がって本堂の如意輪観音像を拝観。
待機されているガイドさんのお話を伺います。
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山裾に広がる回遊式庭園。
京都の名木のひとつに数えられているタカオカエデは「霊鑑寺楓」と呼ばれるほど。
樹齢350年を超える大木で緑を少し残しつつ紅葉の真っ最中でした。
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紅葉が陽光に映えて綺麗です。
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手入れのよく行き届いた美しい庭園でほっとひと息。
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この佇まい、落ち着きます。
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順路に従って庭園を拝観した後は、靴を脱いで後西天皇の院御所の御殿を移築した書院に上がり、
ガイドさんのお話を伺いながら上段の間など内部や寺宝を拝観します。撮影は禁止。
狩野派の作と伝わる華麗な障壁画が見どころです。
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拝観している間に書いていただいた御朱印帳を受け取って霊鑑寺を後にします。
ご多忙中、丁寧に書いてくださってありがとうございました。
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再び「哲学の道」を戻って(写真左)、いよいよ「京都の秋は永観堂」(写真右)を目指します。
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どうだろう!? さっきより混んでいるかな!?





【世界遺産】西芳寺(苔寺)の苔の庭 170704

【世界遺産】西芳寺(苔寺)の苔の庭を拝観してきました。

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2017年7月4日(火)のち

事前申し込みの上、【世界遺産】西芳寺(苔寺)の拝観へ。

阪急松尾大社駅からバスで苔寺道バス停下車。徒歩で苔寺に到着。
阪急松尾大社駅前から苔寺まで 170704
苔寺到着後、まず、本堂(西来堂)で宗教行事に参加。
【世界遺産】西芳寺(苔寺)拝観 苔の庭に出逢う前に 170704

そして、いよいよ苔の庭の拝観に参ります。
拝観者は庭園入口にほど近い観音堂の脇に集合して、建造物や苔についての説明を聞いた後、
スマホやデジカメなどで思い思いに撮影をしながら自由に苔の庭を散策します。
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さぁ。憧れ続けた、めくるめく苔の世界へ…

拝観者は破格の拝観料を納めさせていただいておりますし、
これから初めて訪問される方々へのネタバレになってしまうのはどうだろう…と鑑み、
当ページの編集については、画像の枚数や歴史の勉強じみたキャプション(説明文)を控え、
これまでとはだいぶ趣を変えて、イメージ優先のページにしました。

まずは池泉回遊式庭園です…こちらは金剛池の合同船
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s-★朝日ヶ島・夕日ヶ島(鎮守堂)P1060547






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こちらは枯山水庭園です…
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夢窓疎石が瞑想に耽った「座禅石」
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私は1時間ぐらいかけてじっくりゆっくり拝観させていただきました。
他の拝観者、とりわけツアー参加者は集合時間が決められていたので、もう誰もいません。
だいぶ長居をしすぎたか…💦
出口に近づいた頃、朝の入場時と同じお寺の方が出ていらして、
「ゆっくり楽しんでいただけましたか」と門扉を開錠してくださり、
「お世話になりました」と声をかけていただいて心癒されました。

ありがとうございます。

こちらこそ、本当にお世話になりました♡

もしも夢窓疎石が、足利義満や義政が、この苔の庭を観たらどんなに驚くでしょう。
そして今なお守り続けてくださっている方々に心から感謝の言葉を、きっと。

【世界遺産】西芳寺(苔寺)拝観 苔の庭に出逢う前に 170704

西芳寺(苔寺)は庭園だけの拝観は行っておりません。

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2017年7月4日(火)のちのち

苔の見頃は「梅雨時」ということで、この時季の拝観を切望していた私。
しかしながら、そこは最も拝観が難しい【世界遺産】である西芳寺(以下「苔寺」)。
参拝証(後述)を受け取った時、(私、本当に行けるの!?)(本当に行っていいんだよね!?) 
ぐらい殊勝な(控えめで真面目な)気持でした。

午前9時30分〜苔寺への入口・衆妙門の前で、拝観予約時間(10時〜)を待っています。
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三重納経塔・書院や本堂の屋根が見えます。
「衆妙門」は老子 道徳経 第一章の最後、「衆妙之門」によるものでしょうか…
忍の一字は衆妙の門」なんて諺もあるみたいです。
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長年憧れてきた「苔の庭」までもう少しの辛抱です💦
「衆妙」…天地万物の深遠な道理。
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◎苔寺の拝観は事前予約が必要であり、往復はがきで申し込みます◎

往復はがきに★必要事項「拝観希望日・同伴人数・代表者の氏名・住所・電話番号」を明記して、
遅くとも見学希望日の1週間前までに苔寺に届くように送ります。

・2ヶ月(60日)前からの申し込み順に決定されます。
・拝観希望日は念のために第2希望日まで書いた方がよいです。
・希望時間の指定はできません。
・土日祝日は希望者が殺到するので、60日以上前に申し込むか、できれば平日の方が確実です。

◇往復はがき送付先
〒615-8286  京都市西京区松尾神ヶ谷町56
西芳寺参拝係 宛 
 
◇問合わせ先(西芳寺)
TEL: 075-391-3631


すでに行かれた方のHPやブログなどでおおよその要領を知りました。
主に参考にさせていただいたHPはこちら

❶まず、苔寺にお電話をして、希望の日にちに空きがあるか確認➡OK
※希望時間の指定はできません。
男性の声で「おそらく大丈夫かと思いますが、希望日を書いた往復はがきを出してみてください」との回答。
参詣希望者多数にしても、つっけんどんな対応にちょっとショック…💦
往面の裏に★☝に記載の必要事項(希望の日にちを第1希望と第2希望の2日)を書いて、
ポストに投函したのが5月28日(日)夜  お電話は同日の夕方にかけました。

❷5日後の6月2日(金)に苔寺からの返信(復はがき)が到着。それがこちら☟
第2希望日に決定していました。ちなみに第1希望日は7月3日(月)でした。
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❸ 後日、写経の筆は持参するのか苔寺にお電話したところ、また別の男性の声で、
「写経はないので持参しなくていいです。だから(復)はがきに筆持参とは書いてなかったでしょ」とのこと。
なぜ写経はないのですか?と聞こうと思ったら、すぐに電話が切れてしまいました💦


❶と❸のように2度にわたって電話での対応が素っ気なかったので、ちょっと応対が冷たいお寺、
もしくは敷居が高いお寺なのではないかと心配になりました。

❹ 7月4日(火)申し込み当日 参拝証(復はがき)を持参して苔寺拝観

なぜ写経がないのか、ハイシーズンで参詣者が多く対応がたいへんだからなのか?
こわくていまだに聞けていません…なんで〜?

しかしながら、9時33分頃に門を開いて誘導してくれたお寺の方♂は、
こちらがお世話になるのに「お世話になります〜」と声をかけてくださるなど、
とても腰が低くて優しく丁寧な応対だったので安堵しました♡

緑に包まれた境内に参詣者。
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大きな石碑の文章は大佛次郎作・川端康成筆。
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苔の庭を拝観する前に、一同、この本堂(西来庵)の中で宗教行事に参加させていただきます。
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時節柄、大賀ハスが見頃でした。
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堂内入口で靴を脱ぎ、拝観受付で参加証(復はがき)を提示して、参拝冥加料(3000円)を納めます。
すぐお隣で御朱印を受け付けているので、500円納めて御朱印帳を預けました。置き書きの御朱印もあり。
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苔の庭はあっちかぁ♡
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拝観受付でいただいたもの。
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建物内部の写真撮影は禁止になっています。

本堂(西来庵)に用意された多数の小机の前に座って、午前10時の開始時間を待ちます。
途中ツアーの団体さんもどどっと入場されました。
こんなにたくさん参詣者がいるとは…

定刻になるとご住職様ほかお寺の方が入場され、般若心経を参詣者ともども3回唱え、
その後、坐禅和讃を唱え除災招福の御祈祷をしていただきます。
苔寺の歴史や堂内の説明cf.襖絵(堂本印象作)などのお話の後、
準備されている硯と墨、小筆で祈願したいことと住所・名前を札に書いて、
書いた参詣者から順次お供えしてお参りをすると終了。私は10時20分終了でした。

私は入口の受付で御朱印帳を受け取りました。この御朱印は見開きで500円です。
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各自靴を履いていよいよ「苔の庭」の拝観へと向かいます。



阪急松尾大社駅前から苔寺まで 170704

阪急・松尾大社駅前からバスおよび徒歩で西芳寺(苔寺)予約拝観に向かいます。

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2017年7月4日(火)ときどきのち

阪急「松尾大社」駅前(改札を出て左テ50mぐらい)から
京都バスに乗って「苔寺道」バス停を目指します。
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今日日(きょうび)、バスの時刻表もネットで簡単に調べられる便利な世の中になりましたよね。
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なので、拡大写真はアップしません。
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苔寺こと西芳寺の事前予約拝観・午前10時〜に余裕をもって着くためには…
「苔寺・すず虫寺方面」行 63系統もしくは73系統 73系統は京都駅前から来るバスですね。
松尾大社駅前バス停の時刻表だと、
平日は…9時11分(73系統) 18分(63系統) 26分(73系統) 42分(73系統) あたりか。
私は9時11分発(73系統)のバスに乗って、最寄りの終点苔寺道バス停で下車。乗車時間は10分ほどで到着しました。
苔寺道バス停は、小さなバスターミナルのよう。バス停というよりもバス発着所という感じです。
(写真左)私が乗ってきたバス🚌は定時になると次は京都市街に向けてここ(写真右)から発車。
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目の前に茶店が2軒あり、その前の道を左テに行くのが苔寺道、参道ですね。
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ほどなく、徒歩2分ほどで西芳寺(以下「苔寺」)の総門が見えますが、ここは通過。
総門前には高浜虚子の歌碑。
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路肩の壁面にも苔がびっしり。湿気の多い土地柄なのですね〜。
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西芳寺川の向こう岸に苔寺の庭が少し見え、期待が高まります。
小さな喫茶店がありました。
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前方の「衆妙門」前にこれから見学すると思われる人たちの姿が見えました。ここが入口ですね。
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門前の小さな石庭。
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西芳寺川に渡月橋か…
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苔寺道バス停から入口の衆妙門までゆっくり歩いても、ものの5分。
9時30分に着いてしまいました。予約の10時まで皆さんと一緒に待つことに致しましょう。

建仁寺塔頭・両足院の「半夏生」 170703

京都・建仁寺で初夏の特別拝観中の塔頭・両足院の「半夏生」を鑑賞してきました。

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2017年7月3日(月)

祇園の花見小路から建仁寺で「初夏の特別拝観」中の塔頭・両足院へ。
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今年の「初夏の特別拝観」の会期は5月26日(金)〜7月6日(木)なので、けっこうギリですね💦


建仁寺といえば栄西、栄西といえばお茶( ^^) _旦~~ てなわけで、お茶の木。
まだ青い種と落ちていた茶色の種。
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両足院を訪ねるのは2回目。前回は…もう、おととし(2015年1月31日)の新春特別公開になります。
前回のブログ「建仁寺塔頭・両足院と霊源院の特別公開 150131
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両足院の「両足」は、お釈迦様の尊称(別名)である「両足尊(りょうそくそん)」に由来します。
知恵と慈悲を兼ね備え「両方が満ち足りている」お方、という意味です。
また、両足院は「饅頭始祖のお寺」としても知られています。
開山の龍山徳見(りゅうざんとっけん)が中国に留学して帰国する際に惜別に耐えかね、
追随するように来朝した「林浄因(りんじょういん)」が日本で初めて饅頭を作りました。
帰化して「塩瀬」姓を名乗って奈良に住み饅頭屋を生業にした林浄因。
そのご子孫が営んでいるのが老舗・塩瀬総本家です。

仏道を歩む修行者を守護する神のひとり「毘沙門天」像を祀るために建てられた毘沙門天堂は、
北隣にある両足院の鎮守社。
こちらの毘沙門天像は像高7cmで鞍馬寺の毘沙門天像の胎内仏でした。
現在は勝利をもたらす仏様として、地元の人々から深い信仰を得ています。
また、関ケ原の戦いで黒田長政が内兜に収めて奮戦し勝利を収め、代々黒田家で信仰された後、
維新の変革で1877(明治10)年ごろに寄進されています。こちらの記事が詳しい。
ご利益ありそう♡ 
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狛虎※さんがいます🐯🐯 
虎のおみくじもあるみたいです。
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※毘沙門天が現れたのが「寅年・寅日・寅刻」だったとされることから、寅(虎)は毘沙門天の使いといわれています。


さて。入口で拝観料600円を納めて…


まずは枯山水の坪庭、「閼伽井庭(あかいてい)」です。
閼伽というのは仏様にお供えする水、井は井戸。
こちらに毎朝水をお供えし、燈籠は灯りを示すもの、蝋燭にたとえたりします。
その中央に位置する丸い小さな石が「礼拝石(らいはいせき)」と呼ぶ拝む場所です。
その前にある3つの石が「三尊石」に見立てています。
苔が仏様のいる場所とすれば、周辺の白い部分は雲と見ることもでき、
また波間の孤島にも見立てることができます。
こちらの画像はわかりづらいので、前回ブログをご参照ください。
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こちらは桃山時代の作庭「方丈前庭」です。
石組はやはり三尊石。
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本堂は室中に⼆重格天井を備え内陣に本尊「阿弥陀如来⽴像」を安置。
堂内の撮影は禁止されています。

道釈画家 七類堂天谿(しちるいどうてんけい)筆
「黄龍傳燈図(おうりょうでんとうず)」を拝観。

(西側)
※両足院開祖 龍山徳見(りゅうざんとっけん)禅師 ←栄西禅師の法孫 長く唐に渡り、黄龍派の禅を嗣法
饅頭始祖 林浄因(りんじょういん) ←手に饅頭を持っていてカワユイ

※龍山徳見(1284〜1358)は下総の香取郡に千葉氏として誕生。
12歳の時に鎌倉の寿福寺で栄西の法孫・寂庵上昭(じゃくあんじょうしょう)を拝して得度。
渡唐、黄龍派の官寺・兜卒寺(とそつじ)の住持を務めるなど、傑出した功績を残した。
45年間に及ぶ中国生活の後、足利尊氏・直義兄弟の招きで帰朝。
建仁寺35世、南禅寺24世、天龍寺6世住持として活躍。
朝廷からその法誉に対して「真源大照禅師」の号を賜る。示寂(じじゃく)75歳。

(東側)
建仁寺開山・栄西禅師


道釈画家 七類堂天谿(しちるいどうてんけい)筆
「汎下生観音図」 を拝観
半夏生として変化された観音様。
汎下生は遍く現生を救済するために現れるという意味。



本堂を後にして書院に向かいます。

こちらは池泉回遊式庭園で、京都府の名勝庭園に指定されています。
前回ブログには
「いまは冬で見ることができませんが、池の淵に半夏生(はんげしょう)が一面に咲きます。
葉っぱが白く色づく半夏生は、ここから見ると白い花が咲いたように見えるそうです。」と書きました。
その半夏生を今日は鑑賞に来たのです。

両足院の公式HPにも
梅⾬の頃には、半夏⽣が、いきいきと⽣い茂る。
初夏になると徐々に⾊を変え、まるで⽩い可憐な花が咲いた様に池辺を彩る。 とあります。

あ。少しだけ半夏生が見えました♪ 楽しみです✌('ω'✌ )三✌('ω')✌三( ✌'ω')✌
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だんだん…わぁ〜(^^♪
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ホントだ、白い花のように見える!その正体は葉っぱ🍂🍂
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虫媒花である半夏生の花は地味なので、葉を白くして花びらのように見せることで目立たせ、
虫を呼び寄せるのではないか、とは植物学者の弁。
葉は上の3枚だけが白くなり、花が終わる頃にまた緑になります。
そして10月に黄葉し11月に茶色になり、地上1僂里箸海蹐妊ットされるのだそうです。

すごく綺麗。
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書院に到着です。
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書院から撮影した半夏生です。
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左手に見える「水月亭(暦の席)」は、織田信長の実弟・織田有楽斎の名席として有名な国宝「如庵」の写し。
一時東京に移築された如庵を偲んで1910(明治43)年に建てられた茶室です。
腰張に中国の暦が貼られているので「暦の席」とも。
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ん〜♡
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水面に映った姿も美しい。
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風に乗って仄かに香ってくるのは、半夏生の花の香りなのでしょうか…
いつかどこかで半夏生の花を近くで見る機会があったら、匂いを嗅いでみようと思います。

まずい、まずい💦 ここには何時間でもいられます〜
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バッグの中で一緒に旅をしているひっちゃんがいなくなっていたことに気づいたのは、
やっぱりもうちょっと観ようと、玄関から戻った廊下でのこと。
もしそのまま行ってしまったら、ひっちゃんとは永久の別れになっていたかもしれません。
よかったぁ〜♡ しかし、いつの間に落ちちゃったんだろう。
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両足院を後にします。
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入口で300円納めて、御朱印(置き書き)をいただきました。

何度でも来たい両足院。素敵な思い出が出来ました♡

次はどこかな!?

日光山輪王寺・三仏堂「天空廻廊」〜〔復路〕 170610

日光山輪王寺・【重要文化財】三仏堂「天空廻廊」を見物。

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2017年6月10日(土)のち

日光山輪王寺公式HP「日光山 輪王寺とは」より
比叡山「延暦寺」(滋賀県)に「延暦寺」という建物はありません。
山上山下のたくさんの寺院を統合して「比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)」というのです。
「日光山 輪王寺(にっこうざんりんのうじ)」も同じで、日光山全体を統合していました。
明治の神仏分離以降でも本堂・大猷院・慈眼堂・常行堂・中禅寺・大護摩堂・四本龍寺等のお堂や
本坊、さらに十五の支院を統合してできており、その全体を指して「輪王寺(りんのうじ)」と総称します。

…なるほど納得です。
その「輪王寺」にある日光山の総本堂・【重要文化財】三仏堂は、
約50年ぶりとなる大々的な保存修理中でありますが、
2011(平成23)年4月29日〜期間限定の新名所・天空回廊を設けて、保存修理工事の様子を拝観できるようになっています。
三仏堂内のみの見学は一般400円。
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原則的には内部の写真撮影は禁じられていますが、
☟ 撮影が許可されている場所の写真は撮影できます。
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とにかくスケールの大きさにびっくり。
完成した暁にはまたお参りに来たいです♡ どんな姿になるんだろう!?


7Fまで自分の足で階段を上るのはちょっと大変でしたが、なんとか天空廻廊に到着。
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東武日光駅の三角屋根が遠くに見えました👀
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三仏堂を出ました。


こちらは相輪塔です。
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お線香も有名なんですね。
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けっこう歩いてますね💦 こりゃあ疲れるわけだぁ…
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帰りもブラブラ東武日光駅まで歩いて行きます👟 👟

途中、みしまやで名物の「三猿人形焼」を買いましたよ〜(^^♪
3匹セットで390円(税込)でした!
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帰りの電車は17:23発のスペーシア。
栃木といえば「レモン牛乳」ソフトを食べながら歩く私。
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けっこうギリギリになってしまいました…もうちょっとゆっくりしたかったなぁ。
ひさしぶりにたくさん歩いて、帰りの電車ではめっちゃ爆睡でした!






日光東照宮/清供狙伉撒錙糎渊電磧170610

日光東照宮/清供狙伉撒錙糎渊電磴鬟▲奪廚靴討い泙后

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2017年6月10日(土)

東武日光駅から日本ロマンチック街道を北上して、朱塗りの「神橋(しんきょう)」に辿り着きました。
神橋は聖地日光のいわば表玄関。日本三大奇橋のひとつです。
縁結びのご利益があるとされ、人気スポットになっています。
橋の袂で300円を納めて渡ることができます(が、今日は渡らず)。
ここから聖域…下を流れる大谷川(おおたにがわ)の清流に心洗われるよう。
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世界遺産「日光の社寺」の石碑前から始まる参道の石段を上がって行きます。
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なんともはや、情けないことに、この石段を上りながらすでに足が疲れています。
なおかつ、予想だにしなかった雨が降り出し、テンション、ダダ下がり…
勝道上人像まで辿り着き、もう一息といったところ。
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今からおよそ1250年前の奈良時代、山岳仏教の僧侶 勝道(しょうどう)が
神のお告げに導かれてここ日光山に二荒山神社と輪王寺を開いたと伝わります。
以来日光山全体が聖地とされ、(あの源頼朝も信仰)
さらに江戸時代になって徳川家康の霊廟として建てられたのが日光東照宮です。

そして日光山輪王寺・日光二荒山神社・日光東照宮の2社1寺=3つの建造物群、
それを取り巻く遺跡が1999(平成11)年に「日光の社寺」として世界文化遺産に登録されています。

明治政府による神仏分離令以前は神仏混合であり、もともと神社とお寺は一体であったため、
東照宮は神社でありながら仏教的要素がもりだくさんなのです。

さて、いよいよ東照宮に到着です。
杉木立に囲まれて荘厳な雰囲気…
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社号柱で記念撮影。
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【重要文化財】の石鳥居。「東照大権現」は時の天皇の筆によります。
鳥居前の石段はわずか10段ながら、最下段幅7m50mから最上段幅6m50cmと道幅を狭め、
遠近法を用いることで、鳥居を大きく見せ、家康の墓がある場所を荘厳さを演出しています。
江戸時代に造られたものとしては最大級、花崗岩製の石鳥居は福岡藩初代藩主・黒田長政の奉納。
はるばる福岡・玄海灘から船で運び出したもの。
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外様大名ならではの忠誠心の現れ。
関ヶ原の戦いで斬り込み隊長的な役割を果たした長政は、
家康から大幅に領地を加増されて大いに恩義を感じていました。
この石鳥居に始まって、日本各地から寄進されたものが東照宮の随所に存在しています。

一番上の段中央にある「照降石(てりふりいし)」といって天気を占える石。
湿度が高くなると右が黒くなり、左右の色が違うほど天気が崩れるといわれます。
(写真左)雨が降り出して、左右の色の差がなくなった。
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(写真右)帰る頃、雨が止んで左右の色の差がはっきりと。
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一枚石ですが密度の違う石が合体しており、
南側にある山の雲のかかり具合で、石の濃さと山の雲の関係で、
あと何分後に雨が降るということがわかったのだそうです。

この「照降石(てりふりいし)」の位置はこちらです!
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石鳥居を抜けてすぐの左テに五重塔があり、初層の心柱を特別公開しています。
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実はこの五重塔は「未完成」です。
最上層の垂木だけ「扇垂木」になっていて、多層の垂木は「並行垂木」になっています。
昔は1ヶ所だけ(ここでは最上層)違った仕様にすることで意図的に未完成にする風潮があったのだそうです。
完璧に造ってしまうとあとは崩壊していくだけだから。
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東側の右から虎(寅)・兎(卯)・龍(辰)の彫刻は、
初代・家康(寅) 二代・秀忠(卯) 三代・家光(辰)の生まれ年の干支を表しています。
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南側(左テ)に回ると、蛇(巳)・馬(午)・羊(未)…という具合に、
東・西・南・北の四面に十二支の干支の彫刻が順番に3つずつありますが、
四代・家綱(巳)と四代将軍までは奇跡的に連続していますが、
五代・綱吉はご存知のように(戌)ですので、残念ながらここで途切れてしまいました。


東照宮全体で26種の生物の彫刻があり、頭数にすると714頭にものぼります。
いろいろな動物を見つける楽しみが。
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ここ五重塔でしか見られないのが、ネズミ・ヘビ・ウマ。
ネズミやヘビは自然発生的に見れますし、馬は神馬がいるので珍しくないからです。
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西側の面の扉が開かれ、初層の心柱が特別公開されています。
写真撮影は禁止です。
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心柱を地上から10冑發せることによる免震構造は、
東京スカイツリーにも転用されています。
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塔の北側に回ると隙間から観れます。
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前回は積雪の影響で運悪く拝観不可になっていた五重塔の心柱。
ようやく観ることができて良かったです。


✑参考資料
・「ブラタモリ #25 日光東照宮」 2015年12月12日(土)19:30〜放送
・「お坊さんバラエティ ぶっちゃけ寺 新春3時間スペシャル 
 日光東照宮でぶっちゃけ寺の初詣!徳川家の謎解明SP」 2016年1月4日(月)19:00〜放送

日光殿堂案内共同組合理事長(東照宮で江戸時代から続く「堂者引き〔案内人〕」)春日武之氏のガイドによるロケ 



夜の特別拝観「石清水灯燎華」 170504

去年2月9日に国宝になった京都・石清水八幡宮。5月4日(木・祝)19:00〜21:00に催された夜の特別拝観「石清水灯燎華」を拝観してきました。

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2017年5月4日(木)みどりの日

京都府八幡市。
国宝・石清水八幡宮で毎年5月4日(木)みどりの日の19時〜21時に催される「石清水灯燎華」。
もう少し時間に余裕をもって出かけるべきでした。
山上の駐車場は満車でこの渋滞です…
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なんとか19時すぎに八幡さんに到着。
これなにかな?…八幡さんのお使いがハトだから♡ハート(笑)?
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プログラムです。
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はー♡
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美しいですね〜☆彡
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昼間の石清水八幡宮とはガラリと様相が変わって…
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この耀きの正体は…献灯(祈願ろうそく奉納)でした。
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生演奏素敵…笛奉納演奏 森田梅泉さんです。
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こちらは神楽殿です。巫女舞ですね…
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私は社務所で1000円納めて本殿の特別拝観に参加。
到着順に並んで集団ごとに神職さん方にご案内していただきます。
待ち時間が思ったより長くて、清峯殿(研修センター)
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急いで清峯殿(研修センター)移動…こちらは参道の一ツ石。夜だとなんだか神秘的な雰囲気。
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清峯殿(研修センター)です。本殿の特別拝観の申し込みをしたので、
こちらでは、格別の崇敬をよせた歴代の天下人たちの文書類、
「織田信長領知朱印状(重文)」「豊臣秀吉領知朱印状(重文)」「徳川家康禁制(重文)」をはじめ、
足利家文書などを拝観させていただきました。
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お疲れ様でした。
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エジソン記念碑で猫ビーーーーム!
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もうビーム出さないもんね…(ふん!)
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貴重な貴重な宝物をたくさん拝観できて幸せだったけど、時間にもっと余裕があればなおよかった。
「石清水灯燎華」を満喫するには2時間じゃ足りないかも〜。





【世界遺産】薬師寺・御朱印と玄奘三蔵院伽藍 170501

玄奘三蔵院伽藍・春季公開中の薬師寺で御朱印をいただいてきました。

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2017年5月1日(月)

若草山を下りた後、玄奘三蔵院伽藍・春季公開中薬師寺を訪ねることになりました。

車窓から見た與樂門。
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薬師寺を訪ねるのは実に35年ぶり。中学三年生の時に訪れた修学旅行以来です。
当時の記憶はほとんどなく、お坊さんのお話が面白かった(内容は覚えていない)というのみ…
初訪問といっても過言はありません。
世界遺産にも登録されている有名なお寺なのに、拝観時間は1時間足らず。
残念ですが来られないよりはマシ、と閉門時間まで精いっぱい拝観させていただきます。
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南門。何はともあれ急いで中へ。
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薬師寺は「法相宗[ほっそうしゅう]」の大本山です。
天武天皇により発願(680)、持統天皇によって本尊開眼(697)、
さらに文武天皇の御代に至って、飛鳥の地において堂宇の完成を見ました。
その後、平城遷都(710)に伴い現在地に移されたものです(718)。
現在は平成10年よりユネスコ世界遺産に登録されています。
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復興西塔初層伽藍を観る時間を割愛して(´;ω;`) 白鵬伽藍と玄奘三蔵院伽藍の1100円券で。
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二天王像が睨みをきかす中門です。デジカメの画面に収まり切れない横幅💦
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金堂です。奥に見えるのは大講堂。
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金堂縁起
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国宝・薬師三尊像を安置。
何年か前トーハクで拝観した日光月光菩薩様と再会(⌒∇⌒)

初層伽藍を特別公開中の西塔
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「凍れる音楽」と称される国宝「東塔」は…
2020(平成32)年(その頃には退位により平成の御代は終わっているかもしれないが)
6月頃の完成予定に向け、大修理中です。
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御朱印をいただける大講堂です。
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あと2〜3分遅ければ御朱印300円をいただくことはできませんでした。感謝。
(写真右)3月25日(土)〜4月23日(日)開催の「噂の刀展供廖
特別な御朱印も残り少なと伺っていただきました。300円 
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鐘楼。
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東僧坊。
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境内の案内板。
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聚寳館。
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急げ急げ。

(写真左)北受付を抜けて白鵬伽藍はここまで、道を挟んだ門をくぐると…
(写真中)また目の前が開けた!右テに地蔵院と本坊寺務所。
(写真右)玄奘三蔵院伽藍の礼門です。
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拝観受付でチケットを提示。
玄奘塔で開扉されている玄奘三蔵の座像を拝観。
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つづいて大唐西域壁画殿で平山郁夫画伯入魂の壁画を鑑賞。撮影不可。
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【玄奘三蔵伽藍】
玄奘三蔵[げんじょうさんぞう](600または602〜664)は、
『西遊記』で有名な中国唐時代の歴史上の僧侶。
17年間にわたりインドでの勉学を終え、帰国後は持ち帰られた経典の翻訳に専念、
その数1335巻に及びます。
玄奘三蔵の最も究めたかった事は、「瑜伽唯識[ゆがゆいしき]」の教えでした。
その教えの流れを継承している宗派が法相宗[ほっそうしゅう]です。
現在、薬師寺と興福寺が法相宗の大本山で、玄奘三蔵は法相宗の鼻祖に当たります。
昭和17年(1942)に南京に駐屯していた日本軍が土中から玄奘三蔵のご頂骨を発見しました。
その一部が昭和19年(1944)に全日本仏教会にも分骨されましたが、
戦時中でもあり、埼玉県岩槻市の慈恩寺に奉安され、その後ご頂骨を祀る石塔が建てられました。
薬師寺も玄奘三蔵と深いご縁のあることから、
遺徳を顕彰するため全日本仏教会より昭和56年(1981)にご分骨を拝受し、
平成3年(1991)玄奘三蔵院伽藍を建立しました。
平成12年(2000)12月31日に平山郁夫画伯が入魂された、玄奘三蔵求法の旅をたどる「大唐西域壁画」は、玄奘塔北側にある大唐西域壁画殿にお祀りしています。


本当にギリギリの拝観でしたが、ひと気がなくてイイ雰囲気でした。
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むむむ。
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むむ。
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お経会場。これから向かう人、もう閉まってますよ…
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さっきの人たち、戻って来ました(残念)。
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「閉門準備中」の貼り紙に急かされます。
仕事柄、私も閉める方の側の気持はわかるつもり。ごめんなさい。
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五時の鐘が鳴り始めました。図らずも間近で聞く鐘の音の荘厳さに心打たれる…
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【国宝】東院堂とその縁起
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【国宝】東塔が完成後にぜひとも再訪したいですね。
あと3年後の私、どうなってるんだろう…謎


帰り道、道に迷ってさっきまでいた若草山を望む道路に戻ってしまいました。ラッキー(^^♪
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しかし。奈良で見る夕日はどうしてこうも、まろ〜んとして神々しいのだろう。
以前、明日香村で見た太陽もそうだった。
古の人々は奈良が特別な場所であると感じたからこそ都ができたのでしょう…




金峯山寺 秘仏本尊「金剛蔵王権現」特別ご開帳 170410

奈良の吉野・金峯山寺に初めてお参りし、秘仏の本尊・金剛蔵王権現を拝観させていただきました。

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2017年4月10日(月)

近鉄・吉野駅からケーブルで吉野山駅で下車。
金峯山寺の参道、門前町を歩いていると総門である黒門が出てきました。
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本当に吉野山に来たんだなぁ。初めて訪れる憧れの地です。
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弘願寺。
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こちらは青銅の鳥居。いわれを知ってびっくり。
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あー。見えてきました、金峯山寺
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わぁ。これが世界文化遺産の重み。金峯山修験本宗 総本山金峯山寺。公式HP
現在、国宝仁王門大修理勧進で日本最大の秘仏本尊・金剛蔵王大権現3体(重要文化財)の特別ご開帳が行われています。
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桜はポツリポツリと。
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工事中の仁王門の中。
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いざ、蔵王堂へ。
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なんか、空気が清々しい(^^♪
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ははぁ〜。
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こちらも御朱印は行列ですね〜。
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拝観料1000円を納めて堂内へ。
拝観料に付属のミニ木札と特製エコバッグをいただきました。エコバッグに下足を入れます。
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まず、少し離れた御前で正座してお参りさせていただきました。
さらに15分ほど列に並んで、懺悔をするための「発露の間」で間近に拝ませていただいた中尊(釈迦如来)。
像高約7m。日本最大の秘仏本尊・金剛蔵王権現様にはただただ圧巻。
素直な心で日頃の懺悔をして、気持も新たに誓いを立てました。本当に来て良かったなぁ。


奥で写真展もやっていました。
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山伏さん達の姿、ひたすら素敵です。
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参詣後、御朱印いただきました。御朱印帳が1000円、御朱印が300円です。
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御朱印帳の裏表紙です。
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そして「くまぶしくん」1000円と錫杖の交通安全守護(御守)800円もね。
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「くまぶしくん」と錫杖の交通安全守護(御守)をこのようにセットすると可愛さ倍増ですね。
この組み合わせはネットで知りました。
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それから…邪気を吹き飛ばす「魔除け 法螺(ほら)」3000円。
美しいフォルムの法螺貝の御守です。ちょっとお高いですが、一生モノにしたいと買いました。
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桜の様子。
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(写真左)愛染堂にもお参りをして御朱印をいただきました。
(写真右)金峯山寺の御朱印が2つになりました。
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恋愛成就の神様、愛染明王は金の矢を携えています。
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境内を散策してみよう。

遺徳天満宮。
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鐘楼。
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桜に彩られた南朝妙法殿を眼下に望む。
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お。準備が進められているみたい!?
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行事が始まるまで少し時間があるので、町の方に降りて散策しながら、
後醍醐天皇所縁の史跡、吉水神社(義経・静ゆかりでもある)と南朝妙法殿の拝観に出かけます。

清凉寺(嵯峨釈迦堂)の桜と春の特別拝観 170406

京都・嵯峨野、通称・嵯峨釈迦堂=清凉寺に行って来ました。

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2017年4月6日(水)
大覚寺の帰り、清凉寺(嵯峨釈迦堂)東側より、経蔵から流れる声明を聞きながら境内に入りました。
古木に生えるという潜伏芽(せんぷくが)がたくさんありますね…
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仁王門とソメイヨシノ。見頃です。
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境内図と本堂。
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声明(テープ)が響く一切経蔵。
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こちらから入れます(今回は入らず)。
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源昇公墓碑
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いよいよ本堂にお参りです。現在、毎年4月1日〜5月31日の春の特別公開中
念願のご本尊(写真右)を拝観させていただきました。
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阿弥陀堂。
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手水舎と背後の
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霊宝館へ。
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本堂寄りから仁王門方向に向かって、境内の史跡を見学。

(写真左)薬師寺で憩う子供たち。(写真中)だからか〜(笑)!
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秀頼公首塚と大坂の陣諸霊供養碑。なぜここに?
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鐘楼
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枝垂桜
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源融塔・檀林皇后塔・嵯峨天皇塔
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多宝塔
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児童遊園に生えているクローバー。🍀🍀ふたつ見つけた♬
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ここもソメイヨシノが綺麗。
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法然上人像
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愛宕権現社
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清凉寺を後にします
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気になる〜
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愛宕野々宮両御旅所
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なんか可愛い山、あそこに行ってみた〜い!
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法然寺と天龍寺
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嵐電の嵐山駅に着きました。このお寺も気になってる。
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このオブジェを見ると「嵐山」にいるって感じする
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いつか泊りがけで来たい嵐山。どんな感じなんだろう、年間の混み具合!?
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大徳寺・聚光院 創建450年特別公開 161011

大徳寺の塔頭・聚光院の創建450年特別公開に行きました。

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2016年10月11日(火)

事前のネット予約で、13時20分〜大徳寺の塔頭・聚光院の創建450年特別公開へ。
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特別公開は2016年3月から2017年3月26日(日)まで1年間。
京都国立博物館に寄託していた狩野永徳とその父、松栄による本堂障壁画46面(全て国宝)が
9年ぶりに里帰りし、ここ聚光院で一挙公開されるとあって(他にも見どころたくさん)、
本日も大変込み合っており、事前予約なしの拝観は難しいようでした。
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★拝観予約は「京都春秋」 拝観予約カレンダー 大徳寺聚光院


1566(永禄9)年、戦国武将の三好義継が養父・長慶(ながよし)の菩提を弔うために創建。
開山は大徳寺第107世住職の笑嶺宗訴(しょうれいそうきん)。
聚光院の名は三好長慶の戒名「聚光院殿前匠作眠室進近大禅定門」に由来します。
笑嶺宗訴(しょうれいそうきん)が千利休参禅の師であったことから、
利休はここ聚光院を自らの菩提所にしました。
さらに利休の流れを汲む茶道三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)歴代の墓所でもあります。

桃山時代の方丈建築を代表する建物の方丈(本堂)は【重要文化財】になっています。
何気なく置かれた石さえ、何か所以がありそうな…
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撮影はここまでです。
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拝観料(2000円)を納めた後、文化財保護のため手荷物を預け、拝観者はガイドさんについて40分程度…
・【名勝】方丈庭園「百積庭」
・JR東海の「そうだ 京都は、今だ(2016年)のポスターにもなった
 本堂の【国宝】狩野永徳・松栄筆 本堂障壁画38面
・利休好みの【重要文化財】茶室「閑隠席」「枡床席」
・千住博画伯筆 書院障壁画『滝』
…などを説明していただきながら見学させていただきました。

本堂の【国宝】狩野永徳・松栄筆 本堂障壁画は、通常、京都国立博物館に寄託されているのですが、
本来あるべき場所で拝観するという趣旨により特別拝観になったとのことです。
当時24歳という永徳の才能はすでに松栄(私初めて知った、永徳の父)を凌いでいたのでしょうか。
「わび・さび」の渋い世界を堪能した後、最後に待っていたのは、
目が覚めるような清冽な千住博画伯筆 書院障壁画『滝』でした。
岩絵の具の群青の青さが目に染みるように焼き付いています。

書き置きの御朱印(500円)☟と絵葉書セットを買いました。
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二度と訪れないかもしれない貴重な機会を得られて幸甚でした。
しかしながら、自身に日本画や茶道の知識・経験がないのが悔やまれます。
もっと素養を高めて理解を深めたいのだけれど、現状ではちょっと難しそうで…
ただその必要性を感じざるをえませんでした。
でないと、超一級の茶室を観ても、まさに「猫に小判」なのです。


続いて、やはり特別公開中の大徳寺の塔頭・総見院へ。信長公にお目見えして来ます。

大徳寺・高桐院「曝凉」 161009

大徳寺の塔頭・高桐院の 曝凉(ばくりょう)へ。

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2016年10月9日(日)

大徳寺本坊の 曝凉(ばくりょう)に続いて、山内西端の塔頭・高桐院の 曝凉(ばくりょう)へ。
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高桐院の表門前。
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建立は関ケ原の合戦の翌年、慶長6(1601)年の建立。
戦国武将で、茶人としても「利休七哲」の一人でもある細川忠興が、
叔父の玉甫紹(ぎょくほじょうそう)を迎え、大徳寺の禅寺としたのがここ。

正保2(1645)年に忠興が83歳で没。
遺言によってここ高桐院に埋葬され、以後細川家の菩提寺に。


唐門に続く石畳がとても美しい。
この唐門の奥に、客殿を兼ねた本堂と南庭が。
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はぁ…溜息が出るように綺麗な青モミジ
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ほんの少し色づいたモミジの葉。
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拝観料500円と御朱印代300円を納めていざ。
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お庭を眺めながら…
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紅葉〜。
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南庭(なんてい)を望む本堂(兼客殿)へ。
縁側でお抹茶(400円)をいただくことができます。
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灯籠は忠興とガラシャの墓塔のレプリカとして作られたもの。
無駄なものが一切ない、シンプルで落ち着いた雰囲気でした。
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緑の地苔の上に、赤や黄色に色づいた紅葉が彩りを添える南庭。
紅葉の美しい季節はさぞや、と想像するだけで…
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この本堂(兼客殿)から曝凉(ばくりょう)を特別拝観できるのですが、先にお庭の方を見学します。
備え付けのスリッパを履いて庭へ降ります。
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見落としそうだった「三齋井戸」。三齋=忠興。
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その前に細川家の廟所。
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忠興とガラシャの墓塔。忠興は熊本で没、ここには歯が埋葬されています。
もとは利休秘蔵の「天下一」という灯籠でした。
(写真右)裏面の3分の1をはじめ、数ヵ所が欠けているのは、
忠興と豊臣秀吉に所望され、困った利休が秀吉に譲らないためにあえて損傷させたため。
ゆえに別名「欠灯篭」ともいいます。
それを切腹の折に三齋(忠興)に譲ったとか…利休は秀吉によほど譲りたくなかったのですね。
さらに完全を良しとしない忠興が続いて数ヵ所を削ったとも伝わっています。
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忠興は千利休から贈られたこの墓塔をこよなく愛し、自ら墓標に指定したといわれています。

灯籠の墓塔を観たのは初めてです。
「墓塔になぜ灯籠を?」と不思議に思いましたが、忠興の所有に至った経緯を知ると、
「天下人」に屈することなく、自分の愛した灯籠を託した利休の志を理解できる忠興だからこそ、
あえて墓塔に定めた気高さに感じ入り、忠興の人柄が偲ばれるようでした。


(写真右)南庭の灯籠(この墓石のレプリカ)と見比べてみます。
確かによく似ていますね。
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その右手に細川家の墓地があります。
最奥は初代・藤孝の墓石。両脇に細川家十一代までの墓石が並んでいます。
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忠興の愛した世界が凝縮されているようなコンパクトな空間。
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苔、最高!と心の中で叫んでいる私がいて…
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目に入るものすべてが心に残るような。
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朝鮮の王城の礎石で作られた袈裟型の手水鉢。
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だるまさんの目に映るものは!? この灯籠にも苔が生えていました。
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放課後の部活の時間でしょうか…すぐ近くの紫野高校から吹奏楽の演奏が聞こえてきました。
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室内に戻り、本堂(兼客殿)から書院にかけて飾られている寺宝は主に掛軸。

本堂(兼客殿)から。
【国宝】絹本墨画山水図2幅(附絹本墨画楊柳観音図)、【重文】絹本著色牡丹図2幅など、
…貴重な寺宝の拝観をさせていただきます。
上記の宝物は、「高桐院寳物曝凉目録」,鉢△砲覆蠅泙后
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「一山一寧一行書」は、茶室「鳳来」の床の間に。
「女優の岩下志麻さんが、最も落ち着くお部屋」と、
タクシーの運転手さんがお客さんにガイドしていました。
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※掛軸の撮影は不可なので、その下の解説のみ一部撮影させていただきました。

こちらは書院です。寺宝が凄すぎて…。
「高桐院寳物曝凉目録」Δ鉢
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伝 利休邸 書院「意北軒(いほくけん)」。
利休が暮らしていた邸宅から、忠興が譲り受けた書院。なんとも渋い雰囲気です。
襖図は、狩野探幽の弟・狩野永真安信の筆。
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左手にお庭を眺めながら廊下伝いに進むと水屋に突き当り、その左テ、最奥が「茶室 松向軒」。
寛永5(1628)年、三齋(忠興)の建立です。
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最後に御朱印をいただいて。繰り返し訪ねたい素敵なお寺でした。
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【おまけ】帰りに大徳寺総門近くの「おはりばこ」に立ち寄りました。
お着物さん。私もいつか和装で大徳寺を訪ねたいです。
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もっと余裕もたな(汗)。続きを読む

大徳寺・本坊「曝凉」 161009

毎年10月第二日曜日に行われる大徳寺本坊「曝凉」 に行って来ました。

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2016年10月9日(日)

今回の京都、7日(金)に続いて2度目の大徳寺・本坊は…
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貴重な国宝・重要文化財を間近で拝観できる「曝凉(ばくりょう)」です。
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庫裡の入口で1300円納めて中へ。
宝物を傷つけないように手荷物を預けると同時に身軽に。
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これまで見たことのある肖像画、「国宝」なのに、「重要文化財」なのに、手が届くところに。
後日、18日(火)〜上野の東京国立博物館で開催される特別展「禅  心をかたちに」行く予定ですが、
トーハクで再会できる作品も多数。
トーハクではショーケースの中に収められているでようから、こちらの方が贅沢に鑑賞できます。
この世にたった1枚しかない国宝や重要文化財の書画を短期間に2回拝見できる貴重な経験に感謝です。

続いて同じく大徳寺の塔頭・高桐院の「曝凉(ばくりょう)」へ。
次ページにアップします。

銀閣寺「東山文化の原点 国宝 東求堂」拝観 161008

銀閣寺で秋の特別公開中「東山文化の原点 国宝 東求堂」の拝観に出かけました。

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2016年10月8日(土)

三連休の初日。私にとって京都2日目は東山からスタート。
銀閣寺で秋の特別公開中「東山文化の原点 国宝 東求堂」の拝観へ。
期間は10月1日(土)から11月30日(水)までです。

天気予報では午後から雨とか(実際には降らず)…
湿度が高く、かなりムシ暑いので半袖1枚で全然OKでした(それでも暑いくらい)。
この時季の京都の服装は着脱ができる格好が重宝だなぁと実感。

銀閣を訪ねるのは実に32年ぶり…高校2年生の秋、修学旅行のグループ行動以来ですが、
記憶が定かではないので、初めての訪ねるといっても過言ではありません。
まずは特別拝観前にじっくり境内を散策しました。

ここまでの詳細は、前ページにアップしています。
銀閣寺「東山文化の原点 国宝 東求堂」拝観前境内散策 161008


境内の散策を済ませて、いよいよ特別拝観イきますか。
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さて、定刻までここ〈本堂(方丈)廊下の隅〉で待ちまひょ。
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受付時刻になったら、靴を脱いで受付で1000円納めてパンフレットをいただきます。
1回の定員は25名まで。

ガイドを担当してくださる方について、
本堂(方丈)(↓画像)から
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東求堂(↓画像)、弄清亭(ろうせいてい)と拝観させていただきました。
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内部の撮影は不可ですが、本堂(方丈)の廊下からお庭の撮影はOK。
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東求堂の縁からお庭の撮影もOKでした。
池の中央よりやや左にある「座禅石(ざぜんせき)」は、
その名の通り、上で座禅をした石。
え〜。あの石の上で座禅!?
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展望所へ続く小道。
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ガイドさんの説明がとてもわかりやすくて、パンフレットを見ると各シーンが蘇ってきます。
東求堂の義政公の木造は、外が曇りのせいか薄暗い室内でぼんやり観えました。
実際に目の前にすると、ああ…(感嘆) です。
「同仁斎」といい、国宝の中で過ごした約40分間はとても貴重なひとときでした。
今後は絵画への造詣も深めていきたいなぁ…と思います。

最後に御朱印所であらかじめお願いしていた御朱印をいただいて…
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帰り道、「雲に蜘蛛」。
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見つけたのは、来る時すれ違った海外の参詣者のグループ。
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これからまたバスで烏丸今出川へ。
相国寺の境内にある承天閣美術館へ若冲展を観に行きます。

京都・建仁寺 冬の京の旅「開山堂」特別拝観 160313

祇園の建仁寺、50回記念「冬の京の旅」の特別拝観で栄西禅師が眠る「開山堂」を見学。

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2016年3月13日(土)

京都市地下鉄烏丸線「烏丸御池」駅で東西線に乗り換え「三条」駅下車。
京阪線「三条」駅に乗り換え…
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「祇園四条」駅下車。川端通から団栗通へ。
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建仁寺へのマイ・ルートです。

お天気が良い土曜日の午後、夕方から「東山花灯籠」が始まる今日の祇園は、
いつもよりいっそう人出も車も多いような気がします。

建仁寺の境内に入るとなぜか「ただいま」感に包まれて心がふっと穏やかになる…

思わず見上げた空の深さに感じ入り…
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思い出すのはあの言葉…「大哉心乎(おおいなるかな しんや)」。
建仁寺開山 栄西禅師 興禅護国論の序です。  画像は方丈にて撮影。
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この言葉に幾度となく救われる昨今の私なのです。

大哉心乎

ここにいるだけで、こころ静かに自らと向き合える

栄西禅師が説いた「大(おお)いなるかな 心(しん)や」   
人のこころは本来自由で大らかである

八百年の時を超え、その教えが息づくこの場所で、自らのこころを見つめなおす

日本に禅をもたらし、茶を広めた
建仁寺開山栄西禅師の入寂から八百年
報恩感謝と禅の未来を願う建仁寺


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京都最初、つまり最古の禅寺である建仁寺は、臨済宗建仁寺派の大本山で、
1202(建仁2)年に鎌倉幕府二代将軍源頼家が栄西禅師に帰依して建てられた寺院です。
室町時代には三代将軍足利義満が設けた京都五山制度のもとで、第三位に位置づけられました。

今日はまず、50回記念「冬の京の旅」の特別拝観で塔頭「開山堂(旧護国院)」を見学します。
開山堂(旧護国院)は、古くは興禅護国院と呼ばれた開山・栄西禅師の塔所(廟所)で、
通常は非公開になっている聖域です。


おととし、去年と訪れ境内の配置はだいたい頭に入っていました。
足下に転がっている松ぼっくりさえ微笑みかけてくれるように見えるのです。
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(写真左)桑の碑 と(写真右)茶碑の間に開山堂への(写真中)参道。
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開山堂では…
開山・栄西禅師の廟所 加藤文麗筆「龍虎図」 原在中筆「松鶴波図」ほか拝観します。
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こちらは去年撮影した開山堂
楼門「宝陀閣(ほうだかく)」です。
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開山堂の境内の撮影は禁じられていますので、
ここからは文章と方丈で上映していたビデオ映像を撮影した画像のアップになります。

開山堂
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まずは文化2年(1805)に建造された妙心寺塔頭玉龍院の客殿(方丈)を、
明治10年に移築した「客殿(方丈)」からガイドさんの説明を伺います。
6室で構成され、正面と両側の三方に広縁がまわされた大型の客殿。
広縁の東端に尾を広げた「孔雀図」の杉戸絵は、原在中の傑作中の傑作。杉戸絵「滝図」と、
室中の間と仏間を除く上間二の間の「松鶴波図」、下間一の間の「水墨山水図」、二の間の「白梅群禽図(ぐんきんず)」なども原在中の作品です。相國寺の杉戸絵「白象図」などは模写だったので本物が見れて良かった。
また、室中の水墨画「龍虎図」は加藤文麗筆です。
本尊の赤栴檀(しゃくせんだん)釈迦如来像は、嵯峨清凉寺本尊釈迦如来像の模刻。
通常楼門「宝陀閣(ほうだかく)」の階上に安置されている陶製の十六羅漢像も、ここ客殿(方丈)に特別展示。
清水坂・五条坂の16人の陶工による個性的な像でした。

楼門「宝陀閣(ほうだかく)」。
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廊下を通っていよいよ開山塔へ。
ひんやりとしてほの暗い堂内…「華蔵世界」の扁額が掛っていました。
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明治17年に建立された開山塔は礼堂(らいどう)、相の間、祠堂(真室)の三室からなります。

法要の風景。
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礼拝のための礼堂の向かって右脇壇に宝暦3(1753)年作の開基源頼家の束帯坐像、
左脇壇に木碑祖師塔銘(開山の略歴文)が置かれています。
銘鈑を背負っている贔屓(ひいき)のお話をガイドさんから伺って目から鱗でした。
相の間に石と瓦で石壇が築かれ、その下に栄西禅師の遺体が納められた座棺が埋葬されています。
…頂相の栄西禅師の姿が浮かびました。
備中(いまの岡山)で生まれ、比叡山で学び落髪、二度にわたる入唐、九州での布教、
鎌倉への下向、そして建仁寺建立開山に。重源に次いで二代目東大寺勧進職に就任、
最晩年あの「喫茶養生記」を著す…75年の生涯を仏教に捧げた栄西は、ここで永久の眠りに就いているのですね。

奥の祠堂(真室)は享和年間(1801〜04)の造営で、
内部には寛文4年(1664)作の開山栄西禅師坐像と
宝永2年(1705)作の乙護法天童(おとごほうてんどう)像を安置しています。

開山塔の前庭の菩提樹は、栄西禅師が宋から持ち帰って植えた霊木といわれています。
楼門「宝陀閣(ほうだかく)」は三間一戸二十門、入母屋造、本瓦葺の門で南北両脇に山廊を構えます。
明治17年に開山塔が建立された後、明治18年に右京区宇田野の妙光寺の山門を移築したもので、
江戸時代初期の建築を伝えています。先ほど客殿(方丈)で拝観した陶製の十六羅漢像等を階上に安置。
平成23年から2ヶ年計画で半解体修理工事が行われました。

楼門「宝陀閣(ほうだかく)」ふたたび。
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建仁寺の開山塔を拝観させていただいた時、私のこのたびの「冬の京旅2016」はピークに達しました。
連日めくるめく感動の日々に心は満たされ、帰京後も心安らかな日々が長く続くことでしょう。
自分の欲を抑えて自分以外の誰かの想いを大事にするゆとりをもって。


これから行く方丈と法堂は、おととしに続いて2度目の拝観になりますが、
前回御朱印をいただいていないので今回はぜひ 次ページにアップします。




京都・妙心寺 冬の京の旅「玉鳳院」特別拝観 160311

花園の妙心寺、初訪問レポ。50回記念「冬の京の旅」の特別拝観で塔頭の「玉鳳院」を見学。

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2016年3月11日(金)

前頁京都・妙心寺の御朱印 法堂・浴室 160311の続きです。

50回記念「冬の京の旅」のテーマは「禅 -ZEN- 〜禅寺の美 日本文化の美〜」。
平成28年が、臨済宗を開いた臨済禅師の1150年遠諱にあたることにちなみ、
日本の文化・芸術に大きな影響を与えた禅宗寺院を中心に、普段は見学できない庭園、仏像、襖絵、建築など様々な文化財が期間限定で特別公開されます。

妙心寺は、玉鳳院霊雲院・天球院と3つの塔頭寺院が特別公開です。

本当は3つの寺院とも拝見させていただきたいのですが、
時間の都合もあり、現在の私が最も興味深く感じた「玉鳳院」の拝観に向かいました。建物内部およびお庭は撮影不可。
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【重要文化財】玉鳳院(ぎょくほういん)※通常非公開
〜京都最大の禅寺・妙心寺発祥の地〜
臨済宗妙心寺派大本山の妙心寺は、46の塔頭寺院をもつ京都最大の禅宗寺院。
花園法皇の離宮を禅寺に改めたのが始まりですが、玉鳳院は法皇が建てた山内最古の塔頭寺院です。
法皇(開基)と関山慧玄(開山)がここで問答を行い、禅の教えを深めたといいます。
檜皮葺屋根の寝殿風の方丈は、狩野永真(安信)や洞雲(益信)の筆と伝わる障壁画「麒麟図」「竜図」「秋草図」などで飾られています。
【重要文化財】開山堂「微笑庵」は、開山・無相大師(関山慧玄)を祀る山内最古の建物で、
室町時代のみごとな唐様建築。
また、蓬莱式の枯山水庭園(史跡・名勝)や井戸「風水泉」、豊臣秀吉の子・鶴松の霊屋があります。


建物内部およびお庭は撮影不可ですので、しばらく記事のみのアップになります。
入口で拝観料600円を納めます。
方丈・渡り廊下・開山堂と計3ヶ所のポイントごとにおられるガイドさんの説明を聞くことができます。

まず「方丈」です。明暦2(1656)年の建造。

各室ごとに異なるが台で方丈を飾る狩野派絵師の襖絵。「玉鳳禅宮」の額は後花園天皇の御宸筆。
◆玉鳳院の方丈が他の寺院の方丈と異なる点
ヽ基・花園法皇を祀る(法皇の木造を安置)「昭堂」が存在すること。
⇔サ椶世辰震昌弔罵遒善錣塙睛鵑存在すること。
2岷猖々弔龍椋造ある「拈花室(ねんげしつ)」が存在すること。
  砂塵を防ぐため普段は閉められていますが、こちらも特別に見せていただきました。
  「拈花」は軽く花をつまむことで、開山堂「微笑庵」の「微笑」と対になって「微笑拈花」と。

蓬莱式の枯山水庭園(史跡名勝)は、渡り廊下を挟んで大きく南北に分かれ、
北側に枯滝や石組、南側には一面の白砂に松や敷石が配された庭。
白砂の波は月に2度、6人がかりで丸1日かけて整地されています。

次に「渡り廊下」で「風水泉」「祥雲院殿」(外観)、「唐門」「平唐門」を。

関山慧玄が「立亡(りゅうぼう)」…立ったまま亡くなる尊い死に方のひとつ した場所である「風水泉(ふうすいせん)」。
夭折した豊臣秀吉の長男・鶴松(棄丸)の坐像を祀る霊屋「祥雲院殿」。
後ほど傍に行って中を拝観させていただきました。可愛い鶴松の像を安置、天井には天女が3人。
養育係の石川光重(いしこ・みつしげ)が妙心寺58世・南化玄興に心服していたので、
同寺で葬儀を行うように進言し、妙心寺で葬儀があってこの寺に葬られることになりました。
鶴松の遺骸はおそらく火葬され、坐像の下が墓所になっています。
鶴松のおもちゃの【重要文化財】木製玩具船は京都国立博物館に委託。
檜皮葺の「唐門」、【重要文化財】「平唐門」は四脚門で、平唐門としては最古。

「唐門」表側。※玉鳳院内からの拝観を終えてから外側から撮影した画像です。
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【重要文化財】「平唐門」表側。※玉鳳院内からの拝観を終えてから外側から撮影した画像です。
右の柱に顕著な矢じりの跡、応仁の乱でつけられたものです。
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こんなにはっきりと
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もとい。
玉鳳院の特別拝観…最後に「開山堂」です。
建物内部およびお庭は撮影不可ですので、ふたたび記事のみのアップになります。
【重要文化財】開山堂
方丈と渡り廊下で結ばれた開山堂「微笑庵(みしょうあん)」は、
開山の関山慧玄を祀る妙心寺山内現存最古の建物です。
軒下の重厚な組物もみごとな室町時代中期の唐様建築で、奥に開山像を祀る「享堂(きょうどう)」があります。
手前には珍しい形の妙心寺型石燈籠が据えられ、ソテツの木が植えられています。
室町時代に建てられた四脚門(重文)もみどころです。←前出【重要文化財】「平唐門」
堂内には絶やすことのない常夜灯と常香盤があります。

開山堂の裏の一角に、武田信玄・勝頼の石塔、織田信長・信忠…の石塔が残っています。


ガイドさん方の説明がたいへん詳しく勉強になり、妙心寺への興味が深まりました。
どうもありがとうございました。

特別拝観など、妙心寺にもっと長い時間とどまりたいのですが、
ずっと等持院に行きたい気持が抑えられず、境内を抜けて向かうことにしました。

途中、可愛いネコさんに遭遇です。
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実に広い境内に心も広がります。再訪を心に誓って。
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こちらは「北総門」です。
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後日このページに加筆することがあるかもしれませんが、ここで一旦アップします。

これから等持院に向かうのですが、レポは次のページにアップします。

智積院〔後編〕第49回冬の京の旅・特別公開 堂本印象筆『婦女喫茶図』ほか 150201

智積院で長谷川等伯筆『楓図』(国宝)やその息子・久蔵筆の『桜図』(国宝)、名勝庭園「利休好みの庭」、3月18日(水)まで特別公開中の宸殿で堂本印象筆の『婦女喫茶図』などを見学してきました。
このページは後編。第49回冬の京の旅で特別公開中の宸殿で拝見した堂本印象筆の『婦女喫茶図』などをアップしています。

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2015年2月1日(日)ときどき
これから大書院に連なる特別公開の宸殿(しんでん)に向かいます。
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この先の宸殿内と宸殿の廊下から見えるお庭も撮影は不可です。
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宸殿は賓客を迎える建物で、京都画壇の巨匠・堂本印象(いんしょう)が内部の障壁画を手がけました。
洋装と和装の女性を描いた『婦女喫茶図』や『松桜柳(しょうおうやなぎ)図』など金地に豊かな色彩で描いた襖絵と、
対照的に墨の色合いが美しい『朝顔に鶏の図』『茄子に鶏の図』『流水に鳶の図』など水墨の襖絵で飾られています。
また、今回は長谷川等伯筆『十六羅漢図屏風』や『一の谷合戦図屏風』(重要美術品)も特別展示されていました。

〔私の感想〕
こちらではなんといっても『婦女喫茶図』が圧巻でした。
現代風俗を描いた珍しい障壁画とのことですが、お寺の中にしては斬新すぎるのでは!?と驚いている時点で、既成概念に囚われすぎてつまらない自分の感性を思い知らされました。
和装の女性が履いたサンダルは、ガイドさんに教えていただかなければ気づかなかったかもしれません。
お茶をしている女性の背景左端の「松」などの樹木が、等伯の代表作を意識しているのではないかと考えられているようです。
これも教えていただかなければ、まったく気づかなかったことです。


智積院で拝見した「本物」のもつ迫力にただただ気圧されながら帰途につきました。


【ぷらす】
最寄りの京阪七条駅に向かう途中に、訪れたい寺院があるので下見に行きました。
再訪したい三十三間堂、その向いに建つ養源院と…
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法住寺です。
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すでに閉門時間を過ぎているので、どちらもまったくひと気はありません。
あらためて開門時間中に尋ねます。遠からず。


参考資料
智積院公式HP
・「第49回 京の冬の旅 非公開文化財 特別公開 ガイドブック」200円(税込)




建仁寺塔頭・両足院と霊源院の特別公開 1501315

祇園の建仁寺で特別公開中の塔頭・両足院と霊源院を拝観してきました。

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2015年1月31日(土)ときどきときどき

嵐山の散策を早めに切り上げて京都の中心部に戻りましたが、
時計は15時20分を回っており、非常に焦💦っております。
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向かったのは去年のG.W.に訪ねた祇園の建仁寺。京都最古の禅寺です。
今回は建仁寺の2つの塔頭にお邪魔します。
新春特別公開中(最終日)の両足院と、
第49回京の冬の旅・非公開文化財特別公開中(〜3月18日まで)の霊源院です。

かなり無謀💦 スピードアップして行きます。

臨済宗の大本山、建仁寺には14の塔頭があります。
そのひとつ「両足院(りょうそくいん)」が本日1月31日(土)まで新春特別公開中。
絵画にお庭に見どころがいっぱいです。
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両足院の「両足」は、お釈迦様の尊称(別名)である「両足尊(りょうそくそん)」に由来します。
知恵と慈悲を兼ね備え「両方が満ち足りている」お方、という意味です。
また、両足院は「饅頭始祖のお寺」としても知られています。
開山の龍山徳見(りゅうざんとっけん)が中国に留学して帰国する際に惜別に耐えかね、
追随するように来朝した「林浄因(りんじょういん)」が日本で初めて饅頭を作りました。
帰化して「塩瀬」姓を名乗って奈良に住み饅頭屋を生業にした林浄因。
そのご子孫が営んでいるのが老舗・塩瀬総本家です。

(写真左)毘沙門天堂と(写真右)手水舎、右手に入口。
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入口で拝観料(600円)を納めて中へ。

まずは枯山水の坪庭、「閼伽井庭(あかいてい)」です。
閼伽というのは仏様にお供えする水、井は井戸。
こちらに毎朝水をお供えし、燈籠は灯りを示すもの、蝋燭にたとえたりします。
その中央に位置する丸い小さな石が「礼拝石(らいはいせき)」と呼ぶ拝む場所です。
その前にある3つの石が「三尊石」に見立てています。
苔が仏様のいる場所とすれば、周辺の白い部分は雲と見ることもでき、
また波間の孤島にも見立てることができます。
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こちらは桃山時代の作庭「方丈前庭」です。
石組はやはり三尊石。
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鶴亀組は、文字通り鶴と亀を表わしています。
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本堂を後にして書院に向かいます。

こちらは池泉回遊式庭園で、京都府の名勝庭園に指定されています。
いまは冬で見ることができませんが、池の淵に半夏生(はんげしょう)が一面に咲きます。
葉っぱが白く色づく半夏生は、ここから見ると白い花が咲いたように見えるそうです。
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左手に見える「水月亭(暦の席)」は、織田信長の実弟・織田有楽斎の名席として有名な国宝「如庵」の写し。
一時東京に移築された如庵を偲んで1910(明治43)年に建てられた茶室です。
腰張に中国の暦が貼られているので「暦の席」とも。
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伊藤若冲筆「雪梅雄鶏図」、七類堂天谿筆「興禅護国図」「黄龍傳燈図」「教外別伝図」の襖絵16面など
寺宝が特別公開されましたが、やはり最も印象に残ったのは、伊藤若冲筆「雪梅雄鶏図」でした。

◇「雪梅雄鶏図」伊藤若冲 江戸時代
禅の教えにも親しんだ若冲は、この絵で様々な生命の有り様を表現しました。
これから咲こうとする、いまが盛り、終わりかけと山茶花(さざんか)の三態、
雪に押しつぶされそうな水仙…最も美しい時ばかりでなく、すべての段階が美しい。
梅の枝に空いている穴は「無常」を表わす!?餌を探している鶏も意味ありげ。





16時で拝観締切なので、急ぎ足で霊源院に向かいました💦
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霊源院は「五山文学」の最高峰とされた建仁寺の塔頭寺院です。
応永年間(1394〜1428)、両足院の開山でもある龍山徳見(りゅうざんとっけん)を勧請開山として、
その弟子・一庵一麟(いちあんいちりん)が創建しました。
鎌倉末期〜室町時代にかけて禅宗寺院で栄えた漢文学「五山文学」の最高峰の寺院のひとつ。
「建仁寺の学問面(がくもんづら)」の中核を担い、五山派の代表的学僧を多く輩出しました。

「妙喜世界」と掲げられた方丈の入口で拝観料の600円を納め、ガイドさんの説明を聴きながら宝物や茶室、お庭を拝見。
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◆霊源院のみどころ…
南北朝時代の肖像彫刻の傑作のひとつ「中厳円月坐像(ちゅうがんえんげつざぞう)」重要文化財は、
玉眼を嵌め込んだ表情が見事な、五山文学を代表する高僧の木像です。
(中厳円月は、「妙喜世界」(妙喜庵)という庵を建仁寺内に移築してそこで没し、明治期にその跡地に霊源院が移転しました)
平成8年の修理の際に胎内から発見された胎内仏「毘沙門天立像」は、鎌倉時代の慶派仏師が手がけたもので、
衣の表現など細部まで丁寧な細工が施され、
左手に掲げた水晶の中に伝教大師(でんぎょうだいし)最澄が持ち帰ったという仏舎利が納められています。
足利七代将軍義勝10歳の時の作という墨画「達磨図」、水墨淡彩で描かれた「縄衣文殊像」、
「柳澤元政夫妻像」など多くの寺宝が伝えられています。

◆茶席と庭
方丈内ににじり口がある四畳半の茶席「也足軒(やそくけん)」や、
壁に大きな花頭窓をもつ「妙喜庵(みょうきあん)」の二つの茶席を備えています。
(メモ:妙喜庵内には「こころ ころころ ころころ 心」という栄西禅師の言葉が掛っていました)
甘茶を植えた枯山水庭園「甘露庭(かんろてい)」なども特別公開されました。

中厳円月坐像と向き合い、玉眼の瞳と目が合うと心を見透かされ、何か語りかけられそうです。
極めて貴重な体験に来て良かったと心から思いました。

「オン・ベイシラ・マンダヤ・ソワカ」と毘沙門天の真言を3回唱えながら拝み、御朱印(書置き)300円をいただきました。
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閉門。短くも充実の時間をいただきました。
いつか再訪したいです。
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大きくて可愛いサモエドくんに出会いました。この後、建仁寺の境内でアイドルになります。
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実は前日1月30日(金)の夕暮れ、境内を少し散策したので以下アップします。

(写真左)勅使門。銅板葺切妻造の四脚門で鎌倉時代後期の遺構を今に伝えています。
柱や扉に戦乱の矢の痕があることから「矢の根門」または「矢立門」とも。
元来、平重盛の六波羅邸の門、あるいは平教盛の館門を移建したものといわれています。
(写真右)門前から八坂通の右手を望むと「八坂の塔」=法観寺は建仁寺の末寺(臨済宗建仁寺派)。
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三門。大正12年、静岡県浜名郡の安寧寺から移建したもの。
空門・無相門・無作門の三解脱門。
「御所を望む楼閣」という意味で「望闕楼」と名づけられました。
楼上には釈迦如来、迦葉・阿難両尊者と十六羅漢が祀られています。
室町時代中期の瑞巌龍惺の「春眺」の詩の中に
「望闕楼高くして帝城に対す」という句があります。
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寛永五年(1628年)三江和尚(諱紹益)によって建立された浴室。
七堂伽藍のひとつで内部は待合、浴室、土間(火炊場)に三分されており、
湯気で体を温める蒸し風呂で、禅寺では入浴も修行の大切な部分として、厳しい作法が細かく定められています。
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(写真左)「楽神廟(らくじんびょう)」は開山・栄西禅師の母親が岡山吉備津神社の末社である楽の社に参詣して
      夢に明星を見て禅師を体内に授かったという因縁から建仁寺境内に祀られています。
(写真右)開山堂。石柱に「扶桑佛心宗 第一開山 千光祖師榮西禅師入定塔」とあります。
      旧名護国院、古くは興禅護国院といい、開山栄西禅師の入定塔(墓所)。
      苔むした庭に開山お手植えの菩提樹が今も茂っています。
      この方のブログが詳しい。
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洗鉢池に佇むアオサギ。何故か寺社の池の畔にいるイメージ(気のせいか?)。
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栄西禅師の茶碑。
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こちらは桑の碑。これも栄西禅師でした。
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西来院。開基は蘭渓道隆(1213−78年)。
応永年中(1394−1428年)、道隆四世の法孫大宗が清本院を再建して西来院と号したのがはじまり。
応仁および天文の兵火に罹りましたが、慶長(1596−1615年)以降に再建されました。
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(写真左)法堂。明和2年(1765年)上棟。仏殿兼用の「拈華堂(ねんげどう)」。
      五間四間・一重・裳階付の堂々とした禅宗様仏殿建築。
      正面須弥壇には本尊釈迦如来座像と脇侍迦葉尊者・阿難尊者が祀られています。
      天井には平成14年(2002年)創建800年を記念して「小泉淳作画伯」筆の双龍が描かれました。
(写真右)本坊。すでに閉門。また来て御朱印をいただきたいです。
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まだまだ見切れない境内散策(境内見取図)はまた次回に持ち越し。

祇園。花見小路を四条通へ向かいます。やっぱり多い中国人観光客。
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丹波屋四条南座前店。さんざん迷った末(笑)、桜餅と豆大福をお土産に買いました。
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去年初めて訪れてから、どうも…建仁寺が好きなようです。
もっと深く勉強したくなってきました。

龍安寺の石庭と特別公開「仏殿」「西の庭」 150130+(150606加筆)5

「石庭」で世界的に有名な龍安寺、京の冬の旅10年ぶりの公開「仏殿」「西の庭」を拝観してきました。

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2015年1月30日(金)のち

朝から冷たい雨。
どこへ行こう…この雨の中の散策はつらい。
「石庭」なら屋内から拝観できると思い立ったが吉日

四条大宮駅から嵐電に乗って…
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帷子ノ辻(かたびらのつじ)駅で乗り換え…
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龍安寺駅で下車。傘をさして徒歩で向かいます。
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ちょうどお昼頃だったので、お腹が空いていました。
龍安寺を目前にお食事処でランチタイム。
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「アフタヌーンランチ」1080円。今日の焼魚は鱚(きす)。
天ぷら以外食べたことがなかったので、珍しく思いながらいただきました。
デザートはコーヒーとチーズケーキです。
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お腹を満たしていざ。龍安寺です。
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ささやかな山門。すぐ横の受付で拝観料を納めます。
世界中から年間100万人が訪れるという龍安寺ですが、
この寒さに雨、修学旅行の生徒さん以外は空いているとのことでした。
鏡容池を左手に見ながら進んでいきますが、ほとんどひと気はありません。
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衣笠山を背にしたきぬかけの路沿いに佇む禅刹、龍安寺。
境内の総面積は15万坪(東京ドーム10.7個分)にも及びます。
1450(宝徳2)年に細川勝元が公家の徳大寺家の別荘地を譲り受けて創建したのが起源です。
室町幕府の管領(かんれい)だった勝元は、
もともと妙心寺の開祖・義天玄承(ぎてんげんしょう)に帰依しており、
仏教への関心が高かったといいます。
堂宇は勝元が東軍の総大将として戦った応仁の乱で焼失しましたが、
勝元の子・政元が再建し、一時期は23の塔頭が立ち並ぶ隆盛を誇りました。
しかし1797(寛政9)年の火災で再び堂宇のほぼ全てを焼失しました。
現在の方丈は、1608(慶長11)年建立の塔頭・西源院(せいげんいん)の方丈を移築したものです。

(写真左)苔むした参道や境内の道の周囲を囲むのは、
      透かしの部分に割竹を菱目状に編んだ龍安寺垣(りょうあんじがき)。
      柱や道のカーブにも沿いやすい形の垣は龍安寺独特のもの。
(写真右)庫裏(くり)。
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庫裏の入口でチケットを提示し、靴を脱いで中へ。
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まず御朱印をお願いしました。
御朱印帳を預けて番号札をいただき、帰りに受け取ります。
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「石庭」の実物を見る前にミニチュアを。龍安寺の石庭は「盆石」をもとに造られたといわれますが、
目の不自由な方のためのこの「ミニ石庭」は、鳥瞰で大小15個の石すべてを一度に見ることができます。
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そしていよいよ「石庭」へ。
1975年に来日したエリザベス女王が訪れ、世界中に「ロックガーデン」として知れ渡り、
禅の信奉者だった故スティーブ・ジョブズも魅せられた世界的に有名な庭です。
土に菜種油を混ぜ込んだ「油土塀(あぶらどべい)」に囲まれた白砂の中に、
5つの群れに分かれた大小15個の石を配したわずか75坪の方丈庭園。
別名「虎の子渡しの庭」とも呼ばれ、極端なまでに抽象化された構成美で知られています。
方丈の中から眺める枯山水の庭。僧侶たちはここで坐禅を組んで悟りを得ようとします。
本来、枯山水庭園は禅の教えを表わすとされていますが、龍安寺の「石庭」は謎が多く
何を意図しているのか、誰が造ったのかさえ、文献には何も残されていません。
「心」という字、海の中に浮かぶ島、宇宙を表わしているなど諸説があり、
作者についても寺を創建した細川勝元か、絵師の相阿弥か、茶人の金森宗和か、はたまた…!?

ここからいっぺんに見える石はどの角度から見ても14個という不思議。
1個は他の石の陰に隠れてしまうのですね。
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なんて、廊下や縁側に座って石庭を眺める人が多いですが、実は方丈内から立って見るために作られ、
方丈内の部屋には15個すべての石をいっぺんに見ることができるスポットがあるといわれています。
現在の方丈は、1608(慶長11)年建立の塔頭・西源院(せいげんいん)の方丈を移築したものです。
方丈は重要文化財に指定されています。


「清冽!」 …初めて「石庭」を見た私の第一印象です。
雨に洗われた石たちが清らかなオーラを発しているように見え、
この庭がもつ意味を自分なりに読み解いてみたいけれどうまく表現できません。
ただ意匠の根底にあるものが、なぜか直感的に❝わかった❞ような気がしたのです。

石、それぞれに違う色や形や表情。
名石はひとつとしてありません。取るに足らない15個の石なのです。

5群を2群と3群に分けて順に見ていきます。
左右2枚の画像、上下が少しズレていますが、1枚につなげて見てください。
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幅25m×奥行10m。水平な作りになっているように見える石庭ですが、
排水を考慮した工夫で実は左奥が低くなっています。
また、西側の壁は手前から奥に向かって低く造られています。
これは視覚的に奥行を感じさせるための工夫です。
また、石庭を名画に喩(たと)えると、額縁にあたるのが土塀ですが、
高さ1m80僂量土塀は長い年月に耐えるだけの堅牢な作りになっています。
この土塀に高低差があることで、遠近感を感じることができるのだとか。
ちなみに高低差は最大50cmとのことですが、まったくそれを感じさせません。


さて、「石庭」に並ぶ石は様々に解釈されます。

,泙此∈玄蠅2群から。
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(写真左)これは何?
(写真右)この二つの石は「鯨(くじら)」!?
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△修靴董右手の3群です。
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(写真左)こちらは3つで「虎の親子」!?
(写真中/手前)この3つは「水鳥」!?を表わすともいわれます。
(写真右)そして「水から首を出した亀」!?
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春には油土塀の向こうから色鮮やかな枝垂れ桜がのぞき、石庭に彩りを添え、
隠れた桜の名所として多くの人の目を楽しませてくれるといいます。 
ここからの借景は石清水八幡宮がある男山とのことですが、今は樹木に遮られて見えません。

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3月9日(月)まで特別公開中の「仏殿」と「西の庭」を拝観します。
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ここから先は撮影禁止なので解説のみにて。
「京の冬の旅」10年ぶり公開(1月10日〜3月9日のみ公開)の仏殿と西の庭。
仏殿は昭和56年再建の総檜造の建物で、堂内天井には墨と金泥で「下り龍」が描かれています。
その奥の昭堂には鎌倉時代後期の慶派の作と伝わる本尊・釈迦如来像と、勧請開山・日峯宗舜(にっぽうそうしゅん)の像、創建開山・義天玄承(ぎてんげんしょう)の位牌を安置。
仏殿西側に広がる「西の庭」は、室町期の庭を復元した約1000坪の回遊式庭園で、江戸期に作られた細川勝元の木像を祀る細川廟が建つ。
「石庭」で名高い龍安寺のもう一つの庭です。

徳川光圀寄進のと伝わる手水鉢(ちょうずばち)〔あるいは蹲(つくばい)〕のレプリカを最後に見学。
中央の水穴を漢字の「口(くち)」に見立て、周りの四文字お合わせて
「吾唯足知(われただたるをしる)」と読み、仏教の真髄を表しています。
実物は3月10日〜18日のみ公開の茶室「蔵六庵」にあるんですよね。本物が見たいです!
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勅使門。鏡容池を擁する庭園を散策しながら帰途につきます。
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先ほど拝観した「西の庭」や「仏殿」に続く門。細川廟の屋根にもこの家紋が入っていました。
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雨が上がり、しっとり潤った境内のみずみずしさ。
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(写真左)1970(昭和45)年建立の涅槃堂。
(写真右)回遊式庭園を行く。
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(写真左)鏡容池(きょうようち)に出ました。(写真中)衣笠山(201m)を望みます。
寺域が徳大寺家の別荘だった時代は、平安貴族もたびたび舟遊びに興じたといわれる雅な池。
古くから明治期までは鴛鴦(おしどり)の飛来地であったことから、「おしどり池」とも呼ばれていました。
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水分石(みくまりいし)。
徳大寺家の別荘時代の遺構で、この地点を境にして南東、南西に水が流れていたとされます。
池の水嵩(みずかさ)を調整する指標にも使われ、石が水に沈むと水門を開いて水位を下げました。
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キリがないので、この辺でこの記事をいったんアップすることにします。
後日加筆するかもしれません。

聞くところによると、京都のお寺の中では現在、醍醐寺の次に広い境内をもつという龍安寺。
もっと勉強して知識と理解を深めたいと思います。
あいにくのお天気でしたが、冬の雨の「石庭」もたいへん趣がありました。
次は時節や趣を変えて訪ねたいです。


参考資料
龍安寺公式HP
Find Travel  「龍安寺」の石庭を見に行く前に知っておきたい事、総まとめ
京都風光「龍安寺」
さ都でやっておきたい100のこと JTBのMOOK  35 世界一有名な石庭を見る
サ都古寺を巡る「龍安寺」 JTBのMOOK 龍安寺 

長谷寺「坂東午年特別開帳 秘仏 後立観音」拝観へ 1409155

「坂東三十三カ所観音霊場」の第四番札所、長谷寺の「坂東午年特別開帳 秘仏 後立観音」の拝観へ。

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2014年9月15日(月・祝)

鎌倉の長谷寺(はせでら)は「坂東三十三カ所観音霊場」の第四番札所です。
「長谷の観音さま」こと、木造では日本最大級の金色に輝く十一面観音像が有名ですが、
十二年に一度の「午歳特別結縁巡礼」の今年は、「秘仏 後立観音像」を特別開帳。
後期の御開帳は、8月1日〜9月末日までなので、このたび拝観させていただきます。

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平安時代に西国で始まった三十三観音巡礼が、
坂東で成立したのは鎌倉幕府の成立がきっかけだといわれています。
源頼朝は熱心な観音信者でした。
源実朝もしばしば観音信仰を行ったことが知られ、
実朝が西国の霊場を模範にして札所を制定したとも伝わっています。

上の境内にある「観音堂」です。
内部は撮影が禁じられています。
本尊である十一面観音菩薩像(長谷観音)が安置されています。
いつ拝観させていただいても圧巻の偉容に感じ入ります。
長谷観音の左下に「前立観音」。
そして右下には「秘仏 後立観音像」が安置されており、無事、結縁させていただきました。
たいへん貴重な機会をいただきましたこと、感謝致します。

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観音堂に隣接する「阿弥陀堂」にもお参りしました。
内部は撮影が禁じられています。
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安置される阿弥陀如来坐像は、伝承によると鎌倉幕府初代将軍である源頼朝が、
自身の42歳の厄除けのために建立したものといい、「厄除阿弥陀」ともいいます。
ただし、この像はもともと長谷寺で造立されたものではなく、
その銘文によれば市内の誓願寺(現廃寺)の本尊であったということです。
現在この尊像は「鎌倉六阿弥陀」のひとつにも数えられます。
ちなみに、最初の阿弥陀堂は現在の地蔵堂辺り(階段中段部)に建てられていたことが、古い境内図などによって知られます。







宝物館」は現在長期休館中です。
リニューアルオープンは平成27年秋頃の予定なんですね。
「大黒堂」の「出世開運授け大黒天」と「さわり大黒」は下の境内の「大黒堂」に御遷座していました。
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鶴岡八幡宮の「神幸祭」はたいへんな人出でしたが、長谷寺も多くの参詣者で賑わっていました。
境内を撮影している外国人の姿も少なくありません。
この時節、ヒガンバナが段葛や長谷寺の境内の随所に咲いていて。
人ごみにもまれて疲れましたが、お天気が崩れることもなく穏やかな1日で良かったです。

東寺・国宝「五重塔」春の特別拝観 1404305

春期特別公開中、京都の東寺・国宝「五重塔」へ。

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2014年4月30日(水)ときどき


真言宗総本山 教王護国寺「東寺」
5月25日(日)まで春期特別公開中。東寺のシンボル、国宝「五重塔」初層の拝観へ。

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特別拝観料800円(金堂・講堂・五重塔)を納めて五重塔へ。
徳川家光によって五度目の再建がなされた現在の五重塔は、外観に細やかな装飾を付けない古風な姿で、
創建当時の塔を思い描かせます。
高さは約55mあり、木造の塔としては日本最高です。

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特別公開している初層内部には、真言八祖像、阿弥陀など四如来坐像と諸菩薩立像の華麗な姿。
本尊である大日如来がいないのは、中央心柱(しんばしら)の角柱を大日如来に見立てているため。
弘法大師が唐から持ち帰った仏舎利を心柱の基部に納入したといいます。
参考資料:古寺を巡る3「東寺」

※拝観料を納めるといただけるリーフレットにさらに詳しい五重塔の解説が載っています。
「耐震構造」についての記載もたいへん興味深いです。


続いて国宝・金堂内と、隣接する重文・講堂内を拝観しましたが、諸尊像にただただ圧倒されるばかり。
今朝東京から出てきて、もう心が満たされてしまいました。

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国宝・御影堂や宝物館、子院の国宝・観智院も…という気持は自然に抑えられ、
またの機会に拝観させていただくことに。
※ご覧になられる方は、あらかじめ「共通券」1,300円を納めると、
金堂・講堂・五重塔・宝物館・観智院が拝観できます。


【おまけ】
東寺東門の側近くの老舗和菓子店「東寺餠」。

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銘菓「東寺餠」と「花見団子」を買いました。各130円。
店名にもなっている有名な「東寺餠」。
きめ細かくなめらかなこし餡を包む、驚くほどやわらかな求肥(ぎゅうひ)の食感。
一度食べたら忘れられないおいしさでした。

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これからJR京都駅に戻って、祇園の建仁寺に向かいます。

石清水八幡宮・夏の夜間特別拝観 130813 5

8月31日(土)まで「夏の夜間特別拝観」を行っている、京都府八幡市の石清水八幡宮へ。

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2013年8月13日(火)

京都府八幡市男山にある“やわたのはちまんさん”こと石清水八幡宮では、
8月31日(土)まで夏の期間としては初めての「夏の夜間特別拝観」を開催しています。

◎ 期 間:7月13日(土)〜8月31日(土) 毎日
◎ 時 間:《ライトアップ》19時〜21時30分
       《本殿特別拝観》18時30 分〜21時30分(受付21時まで)
      ※18時〜18時30分一旦閉門予定 最終閉門21時30分
      ※男山ケーブル最終22時まで延長運行
◎ 拝観料:《本殿特別拝観》高校生以上500円 小・中学生200円 乳幼児無料
      ※境内無料

石清水八幡宮は、JR東海 2013夏「そうだ 京都、行こう。」でもPR中です。 

美しくライトアップされた境内を散策します。
社殿は「八幡造」と呼ばれる独特の構造で、楼門から奥へと続く舞殿・弊殿・本殿は、
いずれも国重要文化財です。

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千年以上もの間、都の裏鬼門を守護する国家鎮護の社として全国から篤い崇敬を受け、
伊勢の神宮に次ぐ国家第二の宗廟とも称された歴史ある石清水八幡宮の境内で幽玄な世界に浸ります。

美しい燈籠のデザイン、そして信長塀にはほんのり明るい行灯の光が。

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一の鳥居を望む参道にて。写真、右→に向かってズーム。
ふっと鳥肌が立った瞬間、貴族や戦国武将が生きた時代の空気を感じる…

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現在の社殿は寛永11(1634)年、徳川三代将軍家光公の修造によるものです。
本殿特別拝観(500円)は当宮の方が、
一定人数ずつの拝観者をまとめて引率しながら詳しいガイドをしてくださいます。
写真撮影は禁止ですので、コチラをクリックして写真をご覧ください。

平安時代末、元服したばかりの平清盛が舞を奉納した舞殿(ぶでん)を歩き、
御本殿を囲む丹漆塗の瑞籬(みずがき)に施された極彩色の欄間彫刻(国重文)を間近に拝観。
左甚五郎作と伝わる「目抜きの猿」とも初対面です。
そして念願の「信長が寄進した黄金の樋」を拝見することができました。
石清水八幡宮に有事があった場合、換金できるようにと「金」で設えた樋を寄進するあたり、
信長らしい粋で合理的な計らいを感じます。



帰宅前に冷房が効いて涼しい茶房石翠亭で夕ご飯。
八幡カレーは夏バージョンの「トマトカレー」でした。
渋いトレイにさりげなく社紋がついています。
薬味も充実(真ん中は細かく刻んだ生サーモンか)。デザートはストロベリーアイス。

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今回のツアーも初日からとても充実した1日。
明日は終日、大阪・天王寺で活動します。
よろしければ、続けて次ページもご覧くださいませ。

醍醐寺・霊宝館にて国宝「絵因果経」全巻初公開 1211034

京都・醍醐寺内の霊宝館で全巻初公開の国宝「絵因果経」を見学してきました。

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2012年11月3日(日)文化の日

洛南・京都市伏見区。
紅葉がぼちぼち色づき始めた醍醐寺にやって来ました。
詳しくは醍醐寺公式HPをご覧下さい。

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旧奈良街道の東に聳える醍醐山(別名:笠取山)の全山が寺域。
伽藍が山上の「上醍醐」と山下の「下醍醐」に分かれる200万坪もの広大な境内をゆっくり回るには
たいへん残念ながら本日は時間が少なすぎます。

境内のご案内

また機を改めて訪れることにして、霊宝館で全巻初公開中の国宝「絵因果経」を拝見し、
霊宝館の近くをほんの少し散策してきました。

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2010年に創建時の姿に修復された桃山テイスト溢れる国宝の三宝院の唐門(勅使門)
三間一戸、桧皮葺の平唐門で、壮重な唐破風をもち、2枚の扉いっぱいに五七桐紋が取り付けられ、
両脇には12弁の菊紋が配されています。

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西大門(仁王門)

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仁王像は平安後期のもので、仏師勢増・仁増作です。渋い

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その時、整列したお坊さんが歩いて来られました。

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…(ただ見送りました)。

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さてそろそろ霊宝館へ。
国宝や重文だけで4万点、未指定の文化財を含めると、約10万点余りに及ぶ寺宝を収蔵。
彫刻、絵画、工芸、古文書など、日本の仏教史や美術史上貴重な資料ばかりです。
春と秋に一般公開を行っています。
今年(2012年)は9月29日(土)〜12月16日(日)開催。拝観料は600円です。

国宝の「絵因果経(えいんがきょう)」が全巻初公開されています。
美しい白壁に五七桐紋のレリーフ。

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絵因果経(えいんがきょう)」は仏伝経典の代表的なものの1つである『過去現在因果経』の写本の一種で、
巻子本の下段に経文を書写し、上段に経文の内容を説明した絵画を描いたもの。
日本では平安時代以降盛んになる絵巻物の原初的形態とみなされています。
醍醐寺(報恩院)本は巻三上の全体を残す完本で国宝です。

館内は撮影禁止です。
絵因果経(えいんがきょう)」は、奥の広々とした平成館のショーケースに展示されていました。
経文は読めずとも下に要所要所に短文の解説がありました。
絵が可愛らしくて…チケット窓口の方が「漫画のようなもの」と教えて下さったことに納得です。
また、平成館の正面に安置された仏像も中央の三体が国宝でした。

一旦外へ出て隣接する仏像棟へ。
醍醐寺の明王像は飛び出してしまいそうなほど大きな眼球が特徴。
大威徳明王像の水牛の顔がどこかで見たことがあるイラストのように面白可愛かったです

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今回はほんの一部しか拝観できませんでしたが、
「国宝」「重文」「国宝」「重文」…夥しい数の歴史的建造物や宝物から溢れ出すオーラが、
境内の空気に凛と漂っているような【世界遺産】醍醐寺の雰囲気を感じました。
願わくば秀吉の「醍醐の花見の雰囲気を…桜の季節に再訪したいのですが、
どのくらい混むのか想像しただけで怖い気が致します。

次のページは今回の京都旅で目指すメインスポットです。

名越切通・「まんだら堂やぐら群」臨時公開 1204305

名越切通内「まんだら堂やぐら群」のゴールデン・ウィーク中臨時公開のレポです。

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2012年4月30日(月・振替休日)ときどき

通常は閉鎖され、ゴールデン・ウィーク中臨時公開されている、
名越切通(なごえきりどおし)内「まんだら堂やぐら群」の見学に出かけました。
詳しくはコチラをクリックしてご覧ください。

(写真左)JR鎌倉駅から徒歩で20分ほど。最寄の名越踏切まで歩いてきました。
(写真中)JR横須賀線の名越踏切を渡って左折。
     線路沿いの小道を進み、名越トンネルの上の名越切通を目指します。
(写真右)小道の途中、右手に古井戸があります。
     鎌倉五名水のひとつ「日蓮乞水(にちれんこいみず)」です。
     日蓮上人も安房国から名越切通を越えて鎌倉にやって来たのでしたね。

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再び踏切を渡って、「名越切通」まで700mの道標に従って右折します。

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さらに「名越切通」まで600mの道標に従って進みます。
前方に「まんだら堂やぐら群」を見学してきたであろう人々の姿が見えました。

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ほどなく若葉の黄緑に包まれた山道に入ります。
前日雨が降っていなくても各所にぬかるみがあります。

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素敵な難所ですが、登りはちょっと大変かな

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まもなく中央に巨石が出てきます。ここから「まんだら堂やぐら群」まであとわずか。
「国指定史跡 名越切通(なごえきりどおし)」の立柱、やがて解説板が現れます。

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国指定史跡 名越切通(なごえきりどおし) 解説板文
 名越切通は、鎌倉から相模湾沿いに三浦半島を結ぶ交通路で、
『吾妻鏡』天福元年(1233)8月18日条に「名越坂」として初めて登場し、
明治時代になって直下を通る現在の横須賀線や県道のトンネルが開通するまで、
長い間幹線道路として使い続けられた重要な道です。
 急峻な尾根を掘り割って造られた切通は、時代が下るにつれて通行しやすいように改修したり、
地震等で崩れては復旧を繰り返しているため、鎌倉時代の姿そのものではありません。
しかし、その周辺には、
横穴式の供養施設であるやぐらが約150基も集中する「まんだら堂やぐら群」や、
死者を荼毘に付した跡など、中世の葬送に関する遺構が数多く分布するほか、
切通の防衛にも関係すると考えられる人工的な平場や
大規模な石切場跡(大切岸:おおきりぎし)が尾根筋に見られるなど、
古都鎌倉の周縁の歴史景観をたいへん良く残しています。

昭和41(1966)年に国史跡に指定されました。


山道に入って10分程度で「まんだら堂やぐら群」に到着しました。入場無料です。

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ここが… とても美しく整備されています。ウッドチップの散歩道が足に優しい
過去の状態を見たことがないのでわからないのですが…
「以前はこんなじゃなかったのよ」という声が聞こえました。
受付で解説のリーフをいただいて順路に沿ってまず1周します。

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第一印象は…やはり。まさに「やぐらのマンション」でした。

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参考資料:現地で配布された解説リーフ
 「まんだら堂」の名が確認できる最も古い文献は、文禄3(1594)年の検地帳です。
しかし、そこには畠の地名として記されているのみで、「まんだら堂」がどんな建物だったのか、
いつまで残っていたのかなど、詳しいことは全くわかっていません。

 やぐら群を形成する2m四方ほどのやぐらは小規模で単純ですが、
150穴以上の存在が確認されている有数のやぐら群で、
これだけまとまったやぐらを良い状態で見ることができる遺跡は鎌倉市内にも少なく大変貴重です。
中に並ぶ五輪塔は、後世動かされているものが多いので、中世の姿そのままとはいえませんが、
主に火葬した骨を納めるなど供養するために建てられたものです。
葬られたのは、武士や僧侶が多かったと考えられていますが、
経済力を蓄えた商工業関係者なども含まれていたかもしれません。

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 何誰かが置いたのでしょうか
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鶯が盛んに囀っています。長閑で心地良い場所ですね


(写真左)秋の土日祝日公開日には美しいイチョウの黄葉が見られるかもしれません。
(写真右)ベンチに腰を下ろして休憩します。

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ここからさらに左手に進むと再びやぐら群。

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グリーンのビニールシートが掛けてある所もありました。

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(写真左)ウチに洋風ガーデンがあれば庭石にしたいような…
(写真右)アゲハチョウが花の蜜を集めることしきり…春だわ

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入口の受付に戻って今度は右の道に進み、新たに公開になった展望台に上がってみます。

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展望台の上から眺める「まんだら堂やぐら群」です。
可愛いワンコさんもお散歩にやって来ました。

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背後はこんな感じ。晴天だったらもっとよかったですね。
(写真左・中)右手に見えるのは、逗子マリーナのリゾートマンションですかね。
(写真右)左手に見えるのは

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これで「まんだら堂やぐら群」を後にします。


(写真左)元来た名越切通を小坪方面に緩い下り坂を進んで行くと、ほどなく分岐点の道標が。
右折して下ると小坪階段口、「緑ヶ丘入口」のバス停があります。
(写真中)前方に見えるのが第1切通の最も狭まった部分。
現在の幅は約90cmですが、発掘調査によって、かつては約270cm以上あったことがわかり、
それ以外の部分も現在の道幅の倍以上広かったと推定されます。
名越切通の第1切通部分は、江戸時代の後半には現在よりも幅の広い道路でしたが、
それ以降、数度の大地震などで崖が崩落して埋まり、その都度かさ上げしながら道幅を狭めつつ復旧し
使われてきたものと考えられます。
(写真右)本道の右手を少し上がった高台から本堂を見下ろした画像。
ここから下の本道を通る敵軍に矢を射掛けたり落石して攻撃

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スゴい崖です。思わずカメラを向けたくなっちゃいます。

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小坪側から入る名越切通の入口です。入口付近にはトイレが1つありました。
ここまで「まんだら堂やぐら群」から5分ぐらいかな。

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この入口の背後は緩い下り坂で、小坪の住宅街が続いています。
この後は、再び名越切通に戻って、最寄の「お猿畠(おさるばたけ)」、
そして法性寺(ほっしょうじ)口から県道205号線に下って行きました
続きはまた後でアップします。

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鎌倉まつり・花まつり・浄光明寺 1204085

4月8日(日)に訪ねた鎌倉・浄光明寺のレポです。鎌倉まつり期間中限定で特別公開される覚賢五輪塔を拝観させていただきました。

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2012年4月8日(日)

鎌倉まつりのパレードが催されている若宮大路を離れ、扇ガ谷の浄光明寺に向かいます。
若宮大路の喧騒が嘘のように静かな路地です。
毎年、鎌倉まつり期間中(4月8日〜15日雨天中止)、
国の重要文化財である覚賢五輪塔が特別公開されています。

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美しい花々に彩られた明るい境内に心が和みます。スケッチをする方々のグループもいました。

陽光を受けて輝く桜、そして…

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ミツマタとラッパスイセンですね。

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さっそく拝観料(200円)を納めて裏山へ。
崖の木々がずいぶんスッキリ伐採されて見晴らしが良くなっていました。
網引地蔵前の草原はいつも涼しい風が吹いています
タンポポでミツバチが忙しくはたらいていました。

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覚賢五輪塔へは冷泉為相の墓の背後の木戸から奥の山道に進みます。
ふだんはこの先に進むことはできません。
この裏山のあたりが「多宝寺(たほうじ)跡」で、16穴のやぐら群が発掘調査されました。

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覚賢五輪塔は、ここから山の尾根を400mほど進んだところにあるとお寺の方に伺いました。
歩きやすく石畳が敷いてありますが、アップダウンがあって雨の日は拝観中止に納得です。
風に乗って遠く若宮大路のパレードの喧騒が聞こえてきます。

山道の途中にはスミレが群生していました

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通り過ぎる澄んだ涼風と鎌倉らしい風景に心癒されます
あのお寺は薬王寺になるのかなぁ。間違っていたらスミマセン…

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最後に崖を下ったところに覚賢五輪塔はありました。
国の重要文化財で日本有数の大きさを誇り、
鎌倉では極楽寺の忍性五輪塔(3.57m)に次ぐ大きさで3.26mあります。
写真撮影禁止ではないですが、これからご覧になられる方のお楽しみにエアブラシをかけました。
※ネット上には画像をアップしたブログなどがありますけどね。

s-★P1520750(加工)






この塔は以前、極楽寺を開いた忍性(にんしょう)の墓といわれていましたが、
関東大震災で倒壊して篤志家による修復の際、地輪の下の台座がくりぬかれており、
発見された遺骨を納めた容器から、
1306(嘉元4)年に亡くなった(西大寺の末寺)多宝寺の僧・覚賢(かくけん)の墓ということがわかりました。
それでこの塔を「覚賢塔(かくけんとう)」ともいいます。覚賢塔は翌1307(徳治2)年に造立されたものです。
覚賢塔の山の下に1974(昭和49)年に東京から移転した日蓮宗の妙伝寺(みょうでんじ)があります。

【ご参考】あとで妙伝寺に行ってみました。
浄光明寺の山門を出たら、前の道を左に進み、「泉の井」より先の左手の小道奥です。
妙伝寺の入口に看板などは見当たりませんでした。
本堂に「多宝谷山」と掲げられています。

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もとい。覚賢(五輪)塔から来た道を戻って再び客殿前にいます。
今日は4月8日(日)「花まつり」の日です。

綺麗なお花で飾られた花御堂(はなみどう)。小さなお釈迦様の像に甘茶をかけて…

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ご用意されている甘茶をいただきました。とてもおいしかったです

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この行事は釈迦が生まれたときに天から竜が下ってきて香湯(こうとう)へ入浴させた
という伝説がもとになっているといわれます。
各寺では花御堂(はなみどう)といういろいろな花で飾った小さいお堂を作り、
その中に甘茶を湛えた水盤を置き中央に誕生したときの姿の釈迦像を安置します。
参詣者はその釈迦像に甘茶をかけて入浴させるのです。
寺ではたくさんの甘茶を作っておいて参詣者に分けます。

以上、現ページ内参考資料:かまくら子ども風土記

暖かく眩い日差しに心から春を愛で、穏やかな心持で鶴岡八幡宮に向かったのでした。
15時〜は「静の舞」を拝見します。
よろしければ…第54回「鎌倉まつり」∪鼎良顱120408 (←クリックするとジャンプします)もご覧ください。


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浅草寺・大絵馬寺宝展と伝法院庭園拝観 111117 5

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2011年11月17日(木)

朝10時。浅草寺は今日も多くの参詣者で賑わっています。
今月1日(火)〜12月5日(月)まで開催中の「大絵馬寺宝展と庭園拝観」に朝一番で行ってきました。
※詳しくはアンダーラインをクリックしてご覧くださいませ。

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拝観料は300円です。本展の収益は東日本大震災の義援金になります。
まず特別展示館で江戸時代から明治時代にかけて浅草寺本堂(観音堂)に奉納された見事な大絵馬の数々と寺宝を拝観し
写真撮影禁止)、順路に従って鑑賞後、外へ出て伝法院(でんぽういん)の庭園に進みます
寺伝によれば、寛永年間(1624〜44)年に、幕府の作事奉行を勤め、茶人としても有名だった
小堀遠州によって築庭されたといわれています。
今年(平成23年)9月21日、国指定名勝に指定されました。
広さは約1万平方メートルもの回遊式庭園で、園内を逍遥すると一歩一歩その景観を異にします。

以下2008年に三度の拝観を経て四度目になりますが、
何といっても今回は「東京スカイツリー」の遠望が楽しみです。
本日「東京スカイツリー」はギネスの「世界一高いタワー」に認定されました。
【ご参考】
「浅草寺 昭和本堂落慶五十周年『記念大開帳』始まる 081015」
「伝法院の庭園、再訪。(^^)vニカイメ。 081102」
「ポカポカ日和「浅草観光」 081114

よく手入れの行き届いた素晴らしい庭園。
特に開場時は拝観者が少なく、浅草の喧騒をついぞ忘れる閑静な佇まいに心癒されます。

(写真左)順路の最後に見かけた美しい朱い実。
(写真右)説明書きはありませんが、手前の石造の「多宝塔」は一見の価値ありです。
寸法:147.0cm(総高) 奉納者:不明 製作者:不明 造立年代:室町時代・応永三十二年(1425年12月22日)
「多宝塔」は仏塔の一種で、円筒状の胴体に裳階(もこし:屋根のように見える部分)をつける形式を取ります。
この多宝塔は角のある基壇に載せられており、とても珍しい形であるとされます。
浅草寺に残されている金石の多くは江戸時代以降の作ですが、その中にあって室町時代に遡るこの塔は、
その形とともに異色を添えると言ってよいでしょう。 出典:「浅草寺」11月号P55境内散策「金石探訪23」

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伝法院は、浅草寺の本坊で、当山の僧侶や信徒の回向(えこう)・修行道場。
江戸時代には徳川家の祈願寺だったため、宮様をはじめ将軍の御成(おなり)がたびたびあったといいます。
本堂参拝後は、ここでご休息、浅草奥山の大道芸などをお楽しみになられました。

(写真左)経が島(きょうがしま)…一字一石の写経が埋められた清浄なる聖域の地。
     浅草寺中興第一世・忠豪(ちゅうごう)上人の墓塔や板碑壁があります。
(写真右)関守石 どちらも立入禁止。

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大書院(おおじょいん)で温かいお茶の接待をいただきました

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大書院は…1871(明治4)年に再建された浅草寺本坊・伝法院の書院のひとつ。
上の間・中の間・下の間に分かれています。
江戸時代、浅草寺は法親王様のご兼帯寺であり、ご来寺の際には上の間でご休憩されていました。


いざ鏡池。
水面に映った五重塔の美しさよ。
これまではこの眺めでしたが…

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今年からは少し引くと右手に「東京スカイツリー」も風景に収めることができるようになりました

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一歩一歩その景観を異にする「東京スカイツリー」を。

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「ジャノヒゲ」も色づき始め、深まりゆく秋の気配を感じます。

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何度来ても帰りたくなくなる素敵なお庭です
出口付近に名残を惜しむかのようにカエデが…秋の陽光が落とす影もまた美しい。

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公開は12月5日(月)まで。めったにない機会です。
浅草観光にお越しの際は、ぜひお立ち寄りくださいね
入場時間は午前10時〜午後4時(4時30分閉館)です。


【おまけ】
「浅草寺の絵馬」図録(1500円)購入しました。これで解説をじっくり読める
本堂前参道左右、お札やおみくじの販売所で売っています。

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戦後初の一般公開!芝・増上寺「三解脱門」 111104(+150519加筆)4

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2011年11月4日(金)暖かい

11月30日(水)まで芝・増上寺で開催中の
戦後初の一般公開「三解脱門(三門)」に行ってきました。

こちらは通称「大門(だいもん)」。三解脱門(三門)の手前にある増上寺の表門です。

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これから上がらせていただく増上寺の中門「三解脱門(三門)」の正面へ。
朱漆塗りの威風堂々たる外観は、寺格百万石と謳(うた)われた増上寺の面影を今に伝えています。
明治期に入って境内地が狭まり、
現在ではこの朱塗りの三門が増上寺の入口の門=表の顔として広く知られるようになりました。
楼上に外を眺めている人が見えます

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増上寺が江戸の初期に大造営された当時の面影を残す唯一の伽藍〔建造物〕で、
国の重要文化財に指定されています。都内でも最も古い建造物のひとつです。
慶長16年(1611)、徳川幕府の助成により、幕府の大工頭・中井正清とその配下によって建立され、
およそ400年前の元和8年(1622)に再建されました。

建築様式は、入母屋造り・本瓦葺の屋根に朱漆塗重層の最も格式の高い「五間三戸」二階二重門で、
唐様を中心とした建物に和様の勾欄(高欄)などが加味され、美しさを見せています。
間口およそ19.5m、奥行およそ9m、高さおよそ21mで両側に山廊があります。

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三つの入口のうち、一般的には本尊がある正面の入口を避けて通るのが良いとされています。
「おっぱい金具」や「乳金具」と呼ばれる釘隠しの金具は、
幕府から許可の下りたお寺しか付けられませんでした。
増上寺には「おっぱい金具」の数が大小たくさんあります。
門を赤くすることも幕府の許可制で格式の高いお寺しか許されなかったそうです。
2015.4.3.放送「ぶっちゃけ寺3HSP」

三門は寺院の正面に配置される門であり、寺院を構成する七堂伽藍の中でも代表的な建物です。
三門の正式名称「三解脱門」とは三毒煩悩から解脱するという意味で、
むさぼり(貪欲)、いかり(恚瞋・しんに)、おろかさ(愚癡・ぐち)の三つの毒から離れ、
極楽浄土(を模した大殿〔増上寺の本堂〕)に入る心をつくるための門です。

昨日(3日・文化の日祝日)は、公開を始めた9月17日(土)以来、最も拝観者が多く、
中には諦めて今日出直したという方もいらっしゃるほど。
写真、グラント松で本堂が隠れてしまいましたが、平日ながらなかなか参詣者が多そうです。

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三解脱門(三門)の正面から見て右側の山廊の急な階段を上って楼上へ。
(拝観後は左側の山廊のやはり急な階段を下って地上に下ります)
時刻は14:00すぎ。すでに行列ができていました。
拝観料は500円(中の自販機で購入)で、増上寺の素敵な竹栞が記念についています。

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足の不自由な方はご遠慮いただいているそうで、たしかに急な階段でした…
先に上っている人が足を滑らせないか心配でしたし、
同じようにmamataroがコケて後続の人に迷惑をかけないよう慎重に上りました。
着いた楼上はテニスコートが一面取れるかな、というくらいのスペースで、思ったより広かったです。

三解脱門(三門)の中は撮影禁止。楼上から外を撮影するのも禁止でした。

楼上には中央に釈迦三尊像、その左右に八躯ずつ、計十六躯の羅漢像※※が安置されています。
釈迦三尊像のうち中尊・釈迦如来坐像は、寄木造りで像高115.5cm、七重蓮台に坐しています。
向かって左の象に乗った普賢菩薩坐像、右の獅子に乗った文殊菩薩坐像※はともに像高約69cm。
三尊とも玉眼で漆箔がしてあり、衣には蒔絵風の模様があります。
三尊の脇壇上に腰掛け、あるいは坐っている十六羅漢像は、寄木造り、玉眼、円頭。
像高は88〜100cm、胡粉仕上げで衣は極彩色。
釈迦三尊像、十六羅漢像※※ともに、京仏師絵所法眼(ほうげん)徳悦が彩色を行っています。
これまで仏像そのものの作者は不明でしたが、
最新の研究によると、室町時代末から江戸時代初期にかけて南都を中心に活躍した
下御門仏師・宗印一門の手によるもので、製作年代は天正末期から慶長前半あたりと推測されています。
最前列には江戸時代中期までの歴代上人のお像が左右計三十一躯奉安されています。
小さな像ですがお顔の特徴をよく捉え、生前中のお姿をよく写しているのではないかと思いました。

※知恵というのは「切れ味」なので、それを象徴するために文殊菩薩は刀を持っておられます。
「知恵を武器にしている」のです。
※※十六羅漢とはお釈迦様の弟子で特に優れた代表的な16人。


高層の建築物がなかった江戸時代は、いまのJR浜松町の駅の先にあった海が見えました
増上寺は浄土宗の学問所・修行道場であり、将軍家の菩提寺でもあったので、
当時の庶民が自由に入ることができませんでしたが、
四月八日の潅仏会、春秋のお彼岸、七月十八日の開山忌などには三門へ上ることが許されました。
人々は楼上に上って、お釈迦様に手を合わせ、そして、背後に広がる江戸の町並みを見渡し、
江戸湾と遥か先の房総の山々を眺めて楽しんだのでしょう。
その様子は当時の歳時記や錦絵にも多く描かれていて、
江戸庶民にとって三門が格好の「展望台」でもあったことが伺えます。
いまは遠き江戸の当時に想いを馳せて…後ろの扉からの景色を眺めました

およそ400年前、この三門がつくられた当時、
ここから見える「大門(だいもん)」の先の山手線あたりまでが海(江戸湾:現・東京湾)だったそうです。

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増上寺の正五九黒本尊祈願会 110915+(150519加筆)4

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2011年9月15日(木)真夏日

12時50分。都営地下鉄浅草線・大江戸線「大門」駅から増上寺へ。
今週末9月17日(土)〜11月30日(水)は、この三解脱門(三門)〔国重文〕を戦後初の一般公開
楼上に上がり、釈迦三尊像・十六羅漢像(都指定文化財)を拝観できます。
時間:10時〜16時。拝観料:500円(記念品付き)。詳しくはアンダーライン部分をクリック。
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本日は安国殿で正五九黒本尊祈願会が催されます。
午前11時から崇源院(お江)御祥当忌法要も行われました。
経蔵(きょうぞう)も一般公開(無料)されているのを知りましたので、後ほど行ってみます。
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大殿前。いつもよりぐんと参詣者が目立ちます。
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それにしても良いお天気です。







こちらが正五九黒本尊祈願会が行われる安国殿。
今年(2011年)の法然上人八百年御忌(ぎょき)を記念し、
念仏信仰の拠点として家康が成し遂げた天下泰平の世を願い、昨年再建されました。
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13時から法話、14時からご祈願の法要が行われました。南無阿弥陀仏
本日は殿内撮影禁止ですので、今年6月28日(火)に撮影した画像をアップします。
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法要後、下足を脱いで外陣に上がり、御前立の背後の三葉葵紋で装飾された扉の奥に
安置されている「黒本尊さま」の御姿を傍近くで拝観しました。
御丈二尺六寸。その昔は金箔が燦然と輝く金色でしたが、
長年の香煙で黒ずんだことから黒本尊と呼ばれるようになりました。
黒本尊のご利益の筆頭は、「勝運(かちうん)」。
「勝運」とは「物事全般が勝(すぐ)れた方向に運ぶ」という意味だそうで、
勝負に勝つことだけでなく、あらゆることが良い方向になることにご利益があるとのことです。
「勝運」「所願成就」「厄除け」の仏様として信仰を集めています。

恵心僧都の作と伝わる秘仏黒本尊は、関ヶ原の戦い以前から家康が深く尊崇した念持仏でした。
出陣の際、戦勝を祈願し共に戦場に赴いたと伝えられています。
幾多の危難を逃れ家康が勝利を得ることができたのも「黒本尊さま」の功徳の賜物。
以後「勝運黒本尊」として徳川家のみならず、現在に至るまで人々の信仰を集めてきました。
そのありがたい「黒本尊さま」が年三回、正月、五月、九月(正五九)の
「十五日」のみ御開帳になり祈願法要が営まれています。

安国殿の左陣奥には、皇女和宮御像や歴代将軍の御位牌が安置されています。
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安国殿前で販売していた「ブラタモリ」で紹介された境内全盛期古地図の風呂敷、
「勝運」厄除け根付(KAT-TUNに幸あれ)、今年の干支のウサギのおきあがりこぼしです
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本日は徳川将軍家墓所特別公開日(拝観無料)でもあります。
詳しくは拙ブログ「増上寺・お江と秀忠のお墓参拝 110628」をご覧ください。
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さて、境内場所を移して経蔵(きょうぞう)の一般公開(無料)へ。
徳川幕府の助成により建立された、内部中央に八角形の大輪蔵(だいりんぞう)を配する、
九間四面、土蔵造りの典型的な経蔵で、都の有形文化財に指定されています。
正面前には「輪蔵」を考案した傅翕大士(ふきゅうだいし)の木像。
傅翕大士は中国南北朝時代、斉の東陽の人(497〜569)。解説補足後述。
左に長男の普建(ふけん)、右に次男の普成(ふじょう)の二笑童子を安置しています。
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こちらが慶長中期頃の作といわれ、日本一の大きさを誇る朱塗極彩色の「大輪蔵(だいりんぞう)」。
あまりに大きいので、カメラに全体を収めることができませんでした。
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文盲や修学できる環境にない人々にも広く仏教と縁を結ばせるために「輪蔵」を考案した傅翕大士。
「輪蔵」を時計回り(右回り)に一回転させると、「大蔵経」を修学するのと同じ功徳を得られるとされ、
それが経蔵に対する信仰心を深めることになったといいます。

見学者が誰もいなかったので、mamataro1匹でウンウン押し回してみましたが、
これが想像以上に重くてノロノロ1周する間に、この暑さで汗が吹き出してきました
その後、テープで流れる解説を聞きながらしばし見学していると、
50代ぐらいの男性が1人、また1人やって来たので、受付のお姉さんの声がけで4人で押すことに。
先ほどとは比べ物にならないくらい軽〜い押し心地でした

経蔵の中に収蔵されていた宋版・元版・高麗版の各大蔵経は、家康が増上寺に寄進したもので、
国重文に指定されています。現在は後方の収蔵庫に移管。

あまりに暑いので、増上寺にほど近い東京タワーの足元にある紅葉谷に涼を求めました。
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拝むと金運がアップするという蛇塚(へびづか)。
どこにあるのかわからなくて、近くの交番のお巡りさんに教えてもらいました
(写真左・中)この奥に蛇がいるなんて思いも寄らなかった…。
       ウズラの卵がお供えしてあります。ヘビの好物だから
(写真右)お参り直後、急に人気(ひとけ)が。実はスゴく有名なのかニャ
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再び都営地下鉄浅草線「大門」駅に戻るので、増上寺の境内を通ることにしました。
グラント松の緑と三解脱門(三門)の朱のコントラストがいい感じ
s-P1400254






増上寺の雰囲気が好きなんですね。きっとまた…恐らく何度も参詣すると思います。


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増上寺・お江と秀忠のお墓参拝 110628+(150519加筆)4

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2011年6月28日(火)のち猛暑

芝・増上寺(浄土宗大本山)の徳川霊廟特別公開に行き、お江と秀忠のお墓を参拝してきました。
増上寺はお江の義父・徳川家康の帰依をきっかけに発展し、
上野の寛永寺(天台宗)とともに徳川将軍家の菩提寺になっています。

(写真左)東日本最大級。都内で最も古い建造物の一つ、三解脱門(三門)は国重文。 
 三解脱門とは三つの煩悩「むさぼり、いかり、おろかさ」を解脱する門のこと。
(写真中)逆光でよく見えませんが、大殿と東京タワー。
s-三解脱門s-増上寺と東京タワーs-★「増上寺」
















今(2011)年の大河ドラマのヒロイン・お江も、
夫で二代将軍の秀忠とともにこちらの墓所で眠っています。
s-お江ポスター








水盤舎は清揚院(三代将軍家光の三男・甲府宰相綱重)の霊廟にありましたが、
明治時代の解体・昭和の空襲を逃れ、現在地に移築されました。
徳川将軍家霊廟建築を伝える数少ない遺構のひとつです。
s-水盤舎








本堂の右手奥に進むと徳川将軍家の霊廟があります。受付で冥加料の500円を納め、
記念品(徳川将軍家旧御霊屋絵葉書10枚セットと旧境内全図)をいただきました。
どちらもたいへん貴重なもので、ずっと大切に保管しようと思います。

(写真左)鋳抜門(旧国宝)。戦前6代将軍家宣の霊廟で使われていたものです。
      通常通り抜けすることはできません。
(写真右)いよいよ拝観させていただきます。
s-徳川家霊廟s-参拝出入口








想像していたよりもこじんまりとした空間でしたが、
そこに立ち並ぶ大きくて立派な宝塔と燈籠群の存在感に圧倒されました。

こちらの墓所には6人の将軍と、
二代将軍秀忠の正室・お江、十四代将軍家茂の正室・和宮をはじめ5人の正室、
同じく5人の側室、および将軍の子女多数が埋葬されています。

s-遠景s-やや遠景s-★燈籠群













かつては増上寺山内の北側と南側に、厳粛かつ壮麗な徳川将軍家霊廟が広がっていました。
御霊を祀るために造営された墓所・本殿・拝殿を中心とした施設の数々には、
その当時最高の技術が駆使され、戦前「国宝」に指定されていました。

s-焼失前s-焼失前







しかし昭和20年の戦災によりほとんどが焼失し、わずかに残った建物もその指定を解除されました。

【参考】日比谷通り沿道。ザ・プリンス パークタワー東京から徒歩2分。
焼失せず1632(寛永9)年当時の姿を今に伝える「台徳院霊廟惣門」。
台徳院は二代将軍秀忠(お江の夫)の法名です。
s-台徳院惣門






mamataroはチェックするのを忘れてしまい、写真がないのですが、
日比谷通り沿道には「有章院霊廟二天門」も現存します。
有章院は七代将軍家継の法名です。
2011年9月15日(木)に撮影してきました。
逆光であまりよく撮影できなかったので、またいつか撮影し直したいと思います。
s-P1400232s-P1400231s-P1400230






昭和33年から文化財保護委員会の許可を得て詳細なる学術調査が行われ、
南北に配していた墓所は本堂裏手の現在地に改装されました。


参考資料(太字文章):受付でいただいたチケット裏面

霊廟内右最奥。
こちらが崇源院(お江)と台徳院(二代秀忠)夫妻の遺骨が納められた宝塔。
大河ドラマの影響か、なんとなく親近感を感じてしまいます。
木造だった台徳院宝塔は焼失したため、崇源院宝塔を使用。
s-崇源院・お江と台徳院・秀忠s-★お江と秀忠











2代将軍秀忠のお墓には実はスゴいドラマがありました。
秀忠のお墓を拝む建物「台徳院殿霊廟」は、
東京を代表する名所だったのですが空襲で焼失。
高村光雲たちが作った10分の1のレプリカが
1910年に英・ロンドンの日英博覧会東京市の展示物として出品されました。
このレプリカ(模型)は博覧会終了後に英国王室へ贈呈されたのですが、
(この先は増上寺の公式HPの文章とは少し異なります)
なんと、その後長い間行方不明になってしまったのです。
しかし、それを残念に思い、レプリカ(模型)がどこかにあるのではないかと、
ウィリアム・コールドレイク教授※が捜索した結果、ようやく19年前にイギリスの片田舎の倉庫で発見。
なぜそこにあったのかはわからないのですが、
そのような奇跡を経てイギリスのロイヤルコレクションに残っていました。
今年(2015)年が家康公が亡くなって400年の節目ということで、
このたびイギリス王室からこの増上寺に「「台徳院殿」のレプリカが
105年ぶりに長期貸与されることになりました。

模型ながらも「国宝級」と称される「台徳院殿霊廟模型」は、
2015年4月2日(木)〜一部が一般公開されています。ガラスケース内の展示です。
◆詳しくは「増上寺宝物展示室 2015年4月2日OPEN

当時の芸術の粋を尽くした「絢爛装飾」。
彫刻家・高村光雲監修の下、当時の日本を代表する一流の職人たちが作製。
軒下の細部に至るまでの華麗な彫刻。
梁などに龍や鳳凰。屋根には銅板瓦を使って忠実に再現。徳川家の葵の紋章もしっかり。
建物だけでなく彫刻も忠実に再現しています。
一本の檜から実物と全く同じ形に作製されたそうです。
塀の欄間彫刻まで全てが完璧。

※英国ロイヤル・コレクション・トラスト代表
台徳院霊廟模型プロジェクト・コーディネーター
東京大学大学院特任教授

2015.3.2.放送「ぶっちゃけ寺3HSP」より


(写真左から)文昭院(六代家宜)・有章院(七代家継)・惇信院(九代家重)の宝塔。
 文昭院の宝塔は青銅製です。
s-文昭院・六代家宜s-有章院・七代家継s-惇信院・九代家重









(写真左から)慎院(十二代家慶)・昭徳院(十四代家茂)・
 青銅製の靜寛院宮(家茂正室:皇女和宮)の宝塔。家茂&和宮夫妻の宝塔は同形。
 和宮の遺体は京都に戻すよう沙汰がありあmしたが、増上寺は本人の遺言を尊重しこれを拒絶。
                         家茂と並んで葬られました
s-十二代家慶s-昭徳院・十四代家茂s-和宮








(写真左)合祀塔。清揚院(三代家光の三男・甲府宰相綱重)をはじめ、
 家光側室で五代綱吉生母の桂昌院、十一代家斉正室廣大院、家宣側室の月光院ら
 南北の御霊屋に祀られていた歴代将軍の婦人や子女の多数が埋葬されています。
 なお、この宝塔は月光院輝子の墳墓に祀られていた宝塔です。
(写真右)墓所内部から撮影した鋳抜門(旧国宝)。
 元は文昭院(六代家宣)宝塔前の中門でした。
s-合祀塔s-鋳抜門









平日の昼下がりとあって参詣者も少なく、喧騒を忘れてしまうほど閑静な佇まいの墓所でした。
徳川霊廟特別公開は、〜11月30日(木)まで。【時間】10時〜16時 【冥加料】500円(記念品付き)
いただいた「増上寺御霊屋」のリーフの埋葬者プロフィールがおもしろかったです。


増上寺の境内は見どころがたくさん→http://www.zojoji.or.jp/keidai/index.html
また、周辺にも芝東照宮や丸山古墳などなど史跡が点在し、
またの機会にじっくり再訪したいと思いました。

最後に増上寺の大殿裏で出会ったお仲間
「しかし暑い1日だったニャ」っと。
s-ねこ







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浅草神社宮神輿特別展示 1105213

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2011年5月21日(土)

昨日から日曜日まで三社祭例祭中の浅草神社です。
s-DSC_0967s-DSC_0968s-DSC_0980







東日本大震災の被災状況や社会情勢に配慮し、今年の三社祭は例大祭式典のみ行われ、
「大行列」「町内神輿連動渡御」「本社神輿各町渡御」は中止。
各種祭事・行事の日程表はコチラ。

会期中、特別展示されている宮神輿を拝観します。
s-DSC_0971s-DSC_0975







中央が「一之宮」右が「二之宮」左が「三之宮」です。
祭礼の際は、一之宮に土師真中知命、二之宮に桧前浜成命、
三之宮に桧前竹成命の御神霊を移し、町中を渡御します。
s-DSC_0976s-DSC_0978







ご参考までに日中は「花二」の子供神輿が練り歩いていました。
s-P1290792s-P1290794













社務所でこんなお守りが売っていました。その名も「大丈夫守」。
「大丈夫」…こんな世相だからこそ、いま一番皆が求める言葉かもしれません
s-P1350807














すぐお隣の浅草寺の方へ行ってみます。
18時を回ってもまだまだたくさんの参詣者が…
何故か一列に並んでお参り。昔はこんなことなかったように思うけど。
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「がんばろう日本」と添え書きされた三社祭の提灯が店先に。
s-P1350823







本来は三社祭で大いに賑わうはずの浅草神社・浅草寺界隈。
例年に比べると人出はだいぶ少ないでしょうが、
仲見世を行きかう人々は精気に溢れ、どこか華やいだ雰囲気
2ヶ月〜という時間の経過がもたらした復調を実感しました。



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清水観音堂・初午厄除大祈祷会 1102084

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2011年2月8日(火)

上野公園の上野広小路側入口です。
寛永寺「清水観音堂」のご本尊秘仏ご開帳の拝観目的で来たのですが、
ご開帳まで少し時間があるので園内を散策します
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国民栄誉賞受賞者の手形。
千代の富士(現・九重親方)はKY線持ちなんですね。意外。
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去年の初午の日、行きそびれた「天海僧正毛髪塔」です。
寛永寺を造ることで、上野を江戸の一大名所にした江戸幕府・最高顧問のお坊さん。
…明智光秀と同一人物なんですかね
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彰義隊の墓。
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ここでおもしろいおじさんと出遭い、30分ほど歴史談義。
「日本の歴史の7割は嘘だよ。何でも真に受けてはいかん。
むしろ嘘みたいな話が真実(ほんとう)だったりするんだから」とおじさん。
そんな歴史を教え込まれたわたし達ってどうなんですかね…。
東京って、ちょっと出歩くとエ~ッと思うような人に出遭えるのがおもしろい
サイン&握手してもらいました。年々ずうずうしさが増す自分

さて寄り道はこのくらいにして、いよいよ清水観音堂へ。
14時から本日2回目の初午厄除大祈祷会が執り行われています。
平日だから…と甘く見ていましたが、お堂に入れない人もいるくらい、
たくさんの人がお参りに来ていました。
s-P1290168s-P1290165s-P1290163







ご本尊は大祈祷会終了後の14時45分~ぐらいから拝ませていただけます。
しかし、しばらく混みますので、ゆったり拝観を希望するので、
15時20分~16時(恐らく閉扉の時刻)の間がよいかと思われ、
混み時間の間、清水観音堂周辺を散策していました

京都・清水寺の「舞台造」を模造し、桜の名所だった界隈を眺める絶景ポイントに。
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◆立看板の文章
弊堂(清水観音堂)の秘仏ご本尊・千手観世音菩薩は、
「平家物語」に登場する「受難身代わり観音」です。
江戸初期より「厄除」霊験あらたかな観音様として信仰を集めております。
脇尊の子育観世音菩薩は「子授け」「安産」「子育て」に霊験あらたかで、
無病息災の元気な子供が育つということから古くから女性の信仰を集めております。
                   江戸三十三観音第六番札所 清水観音堂

この千手観世音菩薩の由来や像の説明、何ゆえ初午の日にご開帳になったのかなどは、
去年のブログをご覧くださいませ。
http://blog.livedoor.jp/mamataro911/archives/1435553.html




清水坂の途中に十代将軍・徳川家治寄進の燈籠
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15時半頃の堂内(写真撮影不可)はだいぶ空いていました。
二度目の拝観になりますご本尊の千手観世音菩薩。
黒っぽいので去年はよく見えなかったため、今回はLED懐中電灯を持参。
おかげで像のお姿、42本もの小さな腕を拝見させていただけました。
脇尊の子育観世音菩薩も赤ちゃんを抱っこしていたのですね…
こちらも暗くて去年は全然わかりませんでした。
後で僧侶さんが「鑑賞ではありません。参拝ですので」と、ある参詣者に声掛けされていらしたので、
感心な行動ではなかったとは思いますが…

最後に清水の舞台から見下ろす弁天堂へ。
弁天堂がある弁天島(人口島)は「竹生島」を模しています。天海僧正プロデュース。
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ここは「琵琶湖」。冬枯れの不忍池、お掃除大変そうです。
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天龍橋から清水観音堂を望むとするとこんな感じです。
s-P1290217




浅草から近いのにもったいない。上野また来よう…


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瀬戸神社・所蔵文化財特別公開へ 1011204

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2010年11月20日(土)

カナロコでたまたま一昨日知ったニュース。

本日のみ限定で所蔵文化財が公開されるとのことで金沢八景の瀬戸神社に出かけました。
拝観したかったのは、やっぱり実朝愛用の面「抜頭(ばとう)」と「陵王(りょうおう)」。

実は瀬戸神社には11日(木)に鎌倉ガイド協会のツアーで行ってきたばかりで、
実朝愛用の面のこともガイドさんに教えていただいて知ったばかり。
なんとなく深いご縁を感じ実物を間近に拝見できるのを楽しみに出かけました。


13:40。瀬戸神社到着。石柱の文字、中曽根元総理大臣筆だったんですね
今日はゆっくりお参りができました。

s-P1250298s-P1250230









宮司さんの居間を使って、瀬戸神社内では初めての公開となる所蔵文化財の数々。
たいへん貴重な機会なので、朝10時から多くの人が訪れ、
わたしでだいたい250人目ぐらいとのことでした。

お部屋の中には説明をしてくださるボランティアの方が数名いらっしゃり、
どの方も質問に対してとても易しく丁寧に教えてくださいました。
資料の部数が足りなくなり、ご自身の分を快く譲ってくださった方、たいへん感謝しています。

購入した5枚セットの御神宝集(500円)から画像を取った実朝愛用の舞楽面
(写真左)陵王(りょうおう)と(写真右)抜頭(ばとう)

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どちらも国の重要文化財。鎌倉時代作。運慶作ともいわれ(そうでなくても慶派か)ています。
実朝が1219(建保7)年に暗殺された後、
政子がわが子の菩提を願って奉納したものと伝わります。

想像していたよりもずっと大きくて重厚感のあるお面でした。
重いからゆっくりとした舞にしか使用できなかったようです。

陵王の頭にしがみついているような意味ありげな龍とか。
抜頭のこめかみに浮き出した血管とかもすごくリアルで。

ああ。あの親子はどんな顔をしていてどんな会話をしていたのか知っている

また、水戸徳川家の斉昭がレンタルしていたこの2つの面を
1826(文政9)年に返却する際、新調した水戸徳川家奉納の収納箱に書いた文章の文字は、
つい最近書いたのではないかと思われるような瑞々しさで。
こちらもたいへん保存状態が良いのに驚きました。

文化財の説明文を丸写しにしてきたので書きたいところですが控えます。
最近またブログがダラダラ取りとめなくなってきたので短めに。
詳細な説明は今後自分専用の書庫に収納しようと思います。


14:40。あの狭いお部屋に1時間近く居ついてしまったぃ。
外へ出ると境内の菊の清い香りに秋の深くて冷たい底辺を感じました。
…お父様は白菊が好きだったね

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蛇柏槙の中を覗いてみました

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摂社・琵琶嶋神社にも行ってみました。福石もチェック

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海育ちには潮の香りが一番のビタミン剤だな。

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これから瀬戸橋を渡って、金沢文庫方面へ。称名寺(しょうみょうじ)を目指します。
11日(木)の鎌倉ガイド協会のツアーのおさらいですね。

15:08。瀬戸橋から…今度は釣りに行く。いいよね〜。

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なぜか目の前に蓑虫(みのむし)がブラ〜ン

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15:16。洲崎神社。今日はちゃんとお参り。

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15:20。あれ。もしかして二ヶ所

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 15:26。金沢八幡宮。ここもお参りしよう。
 イチョウが綺麗だな。

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15:33。寺町って感じ。
なんとなく京都の風情を感じる。

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浄土式庭園は紅葉が進んでいた。池水に映る影がまた美しくて見入ってしまいます。

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ツイツイ。カモくんレース。
ムービーも撮った

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今日は特に美しく感じるこの眺め。みんなに写メしよう。

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じっと目を凝らせば…白いサギと紅葉

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スケボの兄ちゃんに山上までの道を聞かれたけれど、
こんなに暗くなってから何しに行くのだろうか。

今宵の月はこんなだよ。

s-P1250433
明日はどんな1日になるんだろう。
とにかく今日はたくさん寝よっと

浅草から往復14558歩。5.53km歩きました。
今日は★4.5だな。また来よ

建長寺&円覚寺宝物風入 1011044

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

11月4日(木)〜5日(金)の深夜作成しましたが、その後修正と加筆しました。

2010年11月4日(木)のち

所用で鎌倉に出かけ帰りに北鎌倉へ。
建長寺と円覚寺でこの3・4・5日の3日間行われている「宝物風入れ」を見学してきました。

建長寺公式HP「お知らせ」http://www.kenchoji.com/
円覚寺公式HP「居士林だより」http://kojirindayori.blog108.fc2.com/


鎌倉観光文化検定
公式テキストP177 祭りと行事  11月3日を含む3日間

●宝物風入れ/建長寺・円覚寺

古書画や仏像など寺所蔵の貴重な宝物を、年一回虫干しをかねて方丈などに展示し、
有料で一般に公開します。
日ごろ見ることができない国宝や重要文化財などが拝観できるため、
例年多くの拝観者が訪れます。

(写真左)特別拝観券と(写真右)目録。

s-P1240747s-P1240752












【建長寺宝物風入】

(写真左)13:40。建長寺着。(写真右)法堂では法話中。
(写真中)建長寺の会場「方丈」。展示物の撮影は禁止です。感想のみアップします。

s-P1240623s-P1240642s-P1240639








つい書跡をジロジロ見てしまいます。筆跡って人柄が出ていそうだから。
同一人物の墨蹟(自筆の書)であっても蘭渓道隆(大覚禅師)の詫び状も兼ねた書状と
罰榜ではちょっと違っていたり。
ショーケースに入った念珠や払子(ほっす)、袈裟輪など所用のお品も。

猿猴図(円覚寺では岸樹遊猿図)を見て等伯かなと思ったわたしは未熟者
どちらも等伯が強い影響を受けた牧渓(もっけい)の筆。
等伯の技術は明らかに劣っているが、その筆法を会得するまで何度も繰り返し描いたのだという。

済田地蔵菩薩像かわいい
9月の秋の特別拝観で仏殿の心平寺地蔵尊を拝見していたので親近感もありました。

作品に振番号が明示してあるので、戻って見学するのもわかりやすかったです。

第一会場から第二会場に移る前に、
お坊さんがご用意くださるお抹茶とお菓子をいただきました


 陽光で仏殿内がびっくりするくらい明るかったので撮影。本尊・地蔵菩薩像。
 下足箱もはっきりと

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さて、時計はすでに14:30を回っていたので円覚寺に急ぎました。


【円覚寺宝物風入】

14:45。円覚寺着。

s-P1240694







こちらも会場は方丈です。展示物の撮影は禁止です。感想のみ。

s-P1240699s-P1240700s-P1240701








第二展示場(大書院)入口で、通りすがりのお坊さんに目録を見てもらい、
「この“1”ってどれですかね」と尋ねたら、
「俺もわかんない。ごめんね(笑)」と言われ、
そのお人柄というか、自然な対応に親しみを感じてしまった

別のお坊さんに尋ねると、“1”の夢窓国師像(黄梅院像)絹本着色一幅は、
第二展示場(大書院)の最奥に展示されていたのでした。

落ち着いて「展示場」の図を見ればわかるようになっているのですが、
今回は初めてということもあって勝手がわからなかったこと、
閉場までの残り時間があまりなく、若干焦っていたこともあり…。

手書きの文字の振番号が見づらかったかな…。

第二展示場(大書院)は墨書天国でしたが、時間がなくてあまりよく見ることができず残念でした。
またの機会にゆっくり時間を取って再訪したいです。


そして…16:00の閉場まで残り25分。急いで(北条氏康墨書の)舎利殿へ。
途中、妙香池のカエデがわずかに紅葉し始めていました。
万両もよく見ると下方の実がうっすら赤く染まり始めています。

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撮影禁止でしたが、舎利殿近くでお坊さんの説明を聞きました。
もう16:00近かったので薄暗く観音菩薩と地蔵菩薩は拝めませんでしたが、
内部の宮殿はぼんやり見えました。
舎利殿脇から裏の開山堂の端が見え、
9月の「秋の特別拝観」に行かれなかったことが悔やまれました。
舎利殿坐禅道場「正法眼堂」開山堂とともに円覚寺随一の幽邃(ゆうすい)の地。
幽邃とは「景色などが奥深く静かなこと。また、そのさま」という意味で、
夕闇の訪れに微かに虫の音がしました。

図録や本を購入すると、筆文字で日付を入れていただけます。
早く乾くようにパタパタしたり半紙を挟んだり。

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 貴重な遺産をたくさん拝見することができ、
 本日の鎌倉も佳き1日でした
 頭上でモズが鳴いていました。ピィ

s-P1240715









【おまけ】
円覚寺の居候ねこ「しいちゃん」です 受付の前辺りにいます。

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s-P1240729s-P1240735







円覚寺に迷い込んだ「やせ猫」…。
管長さんの指示で雲水(修行僧)の「しのぶ」さんが
何度も動物病院に連れて行くなど面倒を見てこんなに元気になりました。
居候だけど実はすごくお金がかかっているんだそうです。
しのぶさんに因んで「しいちゃん」と命名され、今ではすっかり人気者に。
毎日三度三度きっちりご飯をいただき、♂なのに妊娠中と間違われるほど丸々と。
とても人懐こい猫ちゃんでした。


帰りの横須賀線内から夕暮れの富士山です。

s-P1240738
恋の歌を一種

君がため
惜しからざりし 命さえ
長くもがなと 思ひけるかな   
               藤原義孝

                      と出ました



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建長寺・秋の特別拝観 1009083

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2010年9月8日(水)

台風9号は太平洋高気圧の勢力が弱まったことで東寄りに進路を変え、福井県敦賀市に上陸。
その影響で東海や関東地方は記録的な大雨の中、
事前に応募していた秋の特別公開-禅のこころに触れる-の建長寺特別拝観に出かけました。

s-P1220257

昨日までの猛暑一転、
この雨で参詣者もまばらな建長寺。





総門で受付をした後、三門(山門)下に集合。
今日も豚返しが外されていました。
13:30。三門楼上に上がり靴を脱いでお坊さんから建長寺のお話を伺いました。
このお天気で照明設備のない楼上内部は暗く…
安置されている木造十六羅漢像や銅像五百羅漢像などはお話の後、近寄って拝見しました。
再び靴を履いて楼上の外周をぐるり見学。
それほど高いとは思わなかったけれど、地上からと違う眺めがちょっと新鮮でした。

s-P1220270s-P1220276








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三門楼上から降りた後は仏殿に進み、元この地にあった心平寺の旧本尊・地蔵菩薩坐像、
千手観音坐像、伽藍神像などを拝見後、法堂でお話を伺って終了。
あっという間の1時間でした。
あいにくの雨ではありましたが、大変貴重な機会に恵まれ、
お世話になりました皆様に感謝しております。

拝観中、雨は一層激しくなり…
お天気ならば境内をもう少し散策するところでしたが、
鎌倉に所用があるため、早々に建長寺を後にすることにしました。

 …が、三門でちょっと休憩

 楼上への階段は再び施錠。            雨宿り。
s-P1220294s-P1220280







15:05。そろそろ出掛けますか。
本日のBGMは…I'm So Tired so tired…
↓「坊さんバックスピン」のなつかし映像はコチラ
http://www.youtube.com/watch?v=GL91GQRfc68


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「東勝寺跡から伝説の唐糸・日月やぐらを特別拝観」 100712 4

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2010年7月12日(月)ときどきのち

「鎌倉ガイド協会」の「古都鎌倉史跡めぐり」毎月変わる協会主催コース
「東勝寺跡から伝説の唐糸・日月やぐらを特別拝観(半日コース)」に参加しました。

 ままたろう♀は、ガイドさん以下18名の参加者の皆さんとともに
 鎌倉駅東口を9時20分に出発しました。

s-9:20鎌倉駅出発s-コースの地図







コースは以下の通り。
鎌倉駅〜宇津宮辻子幕府跡〜若宮大路幕府跡〜宝戒寺〜東勝寺跡・腹切やぐら
〜(宝戒寺トンネル) 〜 大町釈迦堂口遺跡[唐糸・日月やぐらなど] 〜 六方井
〜 名越バス停(解散)
[徒歩約4km、やや高低差あり]

新しく国指定の史跡となる大町釈迦堂口遺跡(旧称、伝北条時政邸跡)を訪ね、
伝説に彩られた唐糸やぐら・日月やぐらなどを特別拝観します。

 若宮大路を渡り鶴岡八幡宮方向へ。
 「若宮大路」バス停留所の脇の路地を右折して進みますと「宇都宮辻子幕府跡」碑、
 道なりに進むと「大佛茶廊」、「若宮大路幕府跡」碑が現れます。
 
s-9:32宇都宮辻子幕府跡碑s-9:45大佛茶廊s-9:46若宮大路幕府跡碑














◆宇都宮辻子幕府跡碑
この場所は、下野守宇都宮泰綱の邸があった場所です。
「辻子(ずし)」とは「辻」のことではなく、
大路と大路を繋ぐ道のことで、京都から伝わった言葉。
宇都宮辻子は、当時若宮大路と小町大路を繋いでいた道だったと思われます。
1180(治承4)年、源頼朝が清泉小学校周辺に最初の幕府(大蔵幕府)を築きますが、
1225(嘉禄元)年、北条政子の死を契機に時の執権北条泰時は、この地に幕府を移転して、
人心一新を図ることにしたのです。
宇都宮辻子に面して幕府の南門が築かれました。稲荷がいつできたかは不明です。
この2番目の幕府は、11年しか続きませんでした。

◆大佛茶廊
野尻さんという、故大佛次郎の親族の方が住んでおられます。

◆若宮大路幕府跡碑 
建立当時の碑文には年月を経て誤りが出ていることもあるので注意。
若宮大路幕府は親王屋敷とも呼ばれ、四代将軍藤原頼経就任中の1236(嘉禎2)年から、
九代将軍守邦親王の1333(元弘3)年の北条氏および幕府が滅びるまでの97年間、
将軍6代にわたって国政が行われた場所です。
歴史学者によると、宇都宮辻子幕府と若宮大路幕府は、ほぼ同じ場所に存在し、
少し奥まった位置にあった宇都宮辻子幕府を若宮大路に面するように面積を拡張したのが
若宮大路幕府だといいます。


 小町大路に出て北上しますと、「土佐坊昌俊邸跡碑」と…。

s-9:48土佐坊邸跡碑◆土佐坊昌俊邸跡碑
どの御家人も在京中の頼朝の弟義経討伐を敬遠しますが、
妻子や子孫が後々大切にされるであろうことを期待して名乗りを上げた土佐坊。
物の本によると、土佐坊の急襲に気付いたのは一緒に寝ていた静だったとか。
難を逃れた義経を土佐坊は討ち損じてしまいます。


 こちら「宝戒寺」です。
s-宝戒寺s-筋替橋碑方面を望むs-北條九代屋敷













受付で拝観料:100円〔内陣(本堂内)※拝観券〕を各自納めて本堂へお参りに…。
※内陣とは神社や寺院の内部で、神体または本尊を安置する最も奥の部分。内殿。

◆宝戒寺
二代執権北条義時以降、最後の当主の高時までが住んだ北条氏本家の屋敷跡。
(写真上中)北は筋替橋碑の辺りまで北条氏の敷地で、屋敷がたくさんありました。
(写真上右)「北條『九代』※屋敷」と石柱に刻まれてはいますが、
初代の時政はここには住んでいなかったのです…。※時政から高時までが北条九代。

1333(元弘3)年、新田義貞の鎌倉攻めで滅びた北条氏の霊を慰めるために、
開基後醍醐天皇が足利尊氏に命じて、北条氏邸跡に建立させ宝戒寺と名づけました。
鎌倉では珍しい天台宗のお寺です。開山は円観慧鎮。
(写真上左)天台宗の基本教義である円頓(えんどん)とは、仏教用語辞典によると、
「心を和やかにもって人と争わなければ成仏できる」という意味。
このため天台宗のことを円頓宗(えんどんしゅう)ともいいます。

本堂内に安置されているご本尊は子育経読地蔵(国重文)。
「宝戒寺門前で子供が生まれそうになった時、
子供を取り上げる世話をしてくれたお坊さんが地蔵の化身だった」
という伝説があり、子供の無事成長を願って参拝に訪れる人も多いです。

鎌倉・江ノ島七福神のひとつ、戦の神・毘沙門天も祀られていますが、
毘沙門天は、別名・多聞天ともいいます。
楠正成の幼名・多聞丸には強い武将になるように願いを込められているのでしょう。

 歓喜天のご本尊は非公開ですが、(写真右)こーんな感じ
 歓喜天は水商売の方に人気があるそうです。熱海城にもあります。

s-10:08歓喜天歓喜天イメージ












 徳崇大権現。
 義時は出家して「得宗(とくそう)」と名乗ったことから、
 以後北条家本家を「得宗家」と名乗るようになりました。
 でも「とくそう」の漢字が違いますよね…。それはまた別の機会に

s-徳崇大権現s-10:09徳崇大権現








 こちらは聖徳太子を祀った太子堂。
 なぜここに祀られているのかはわからないとのこと。
s-10:10太子堂








境内には四季折々の花が咲きますが、特に9月頃に咲く白い萩の花で有名で、
別名「萩寺」とも呼ばれています。


宝戒寺から小町大路を20mほど南下した「小町三丁目3」の路地※を左折します。
※「美鈴」さんの通りです。
ここでガイドさんの「小町大路」の解説。

◆小町大路
頼朝による都市計画の中心として造られた「若宮大路」ですが、
当時は今の2倍の45mほどの道幅がありました。
「若宮大路」は鶴岡八幡宮の参道として造られた道=「聖なる道」。
恐れ多いということで、沿道の邸宅やお寺は入口を若宮大路の反対側に造りました。
その名残、本覚寺、大巧寺など、お寺の入口はみな小町大路を向いています。
そして、この「小町大路」が生活道路としてのメインストリートになったのです。
当時の道幅は16mほどありました。云々。

路地の突き当りを右折して、再び突き当たりを今度は左折すると、東勝寺橋です。
経済学者マルクスと人気を二分したケインズの経済学の根幹「有効需要」
藤綱は700年以上も前に「有効需要」を実践していた
…「青砥藤綱の銭拾い伝説」の考え方そのものなんです。

s-10:22東勝橋で




東勝寺橋にて。



続いて東勝寺橋の奥、葛西ヶ谷(かさいがやつ)にある東勝寺跡と腹切りやぐら。

 (写真左)自転車保管所の周辺も東勝寺の敷地。
s-10:28東勝寺跡s-東勝寺跡








◆東勝寺跡
1225(嘉禄元)年、三代執権北条泰時が退耕行勇を開山に北条一族の菩提寺として建立。
この寺は、菩提寺であると同時に有事に備えた城塞の意味を持った寺院と推測されます。
1976(昭和51)年、1996.7(平成8.9)年の発掘調査で、
石垣が築かれていたことが判明しています。

1333(元弘3)年5月22日、
後醍醐天皇に呼応して鎌倉に攻め寄せた新田義貞の軍勢を迎え撃つべく、
この東勝寺に一族を集め、北条高時以下800名が立て籠もりましたが、なすすべもなく、
東勝寺に火をかけて、壮絶な最期を遂げた場所です。
再建され室町時代に関東十刹に名を連ねましたが、鎌倉府とともに衰退し、
戦国時代に廃寺になりました。

北条高時といえば、田楽や闘犬に現を抜かす馬鹿者という悪いイメージが定着していますが、
「太平記」の冒頭しかり、そもそも歴史書は戦いに勝った側から負けた側を悪く表現します。
一方、当時の生情報を知ることができる「称明寺文書(しょうみょうじぶんしょ)」には、
高時の実態を「身体は弱かったが、家臣に守られながら良い政治を行った」と、
「太平記」とはだいぶ異なる人物として記録が残っています。
本当に馬鹿な当主とともに、800人もの一族郎党が殉死するとは思えません。

◆腹切りやぐら
東勝寺跡の腹切りやぐらの中には、
石を積んだ高時の墓と伝えられる塔が寄せ集めで建っています。
1998(平成10)年に腹切りやぐらを含む谷戸が国指定史跡になっています。

s-10:35腹切りやぐら

やぐらまでの細道、足元がフワフワするでしょ
この下にたくさんの遺骸が埋まっているからかも…。
高倉健さんの卒塔婆、ご存知の方やはりいらっしゃいますね。
東勝寺で自害した名越流・北条篤時の末裔とのこと。



さて、東勝寺跡を後にして、住宅街の路地を左折し、「宝戒寺トンネル」を目指します。
途中の坂の上からくるっと振り返ってみましょう、とガイドさん。
鶴岡八幡宮の上宮がよーく見えました
なんだかとても新鮮な眺めでした。一人だったら絶対に気づかなかったでしょうね。

s-10:43鶴岡八幡宮を望む








 10:44。「宝戒寺トンネル」は風の通り道というだけあって、天然クーラー。
 このトンネル、別名「妾(めかけ)トンネル」と呼ばれ、この辺りに住むお金持ちが、
 山向こうの愛人にショートカットで逢いに行けるように造ったのだとか。
 
s-10:44めかけトンネル
 10:45。トンネルを抜けたところで見えたあの山は衣張山

s-10:45衣張山?







しばらく緩い下り坂と平地…
 10:52。大町3丁目16の角左折、先発グループと遭遇。

s-10:52先発グループと遭遇








10:59。大町6丁目7の角右折。

 11:03。大町6丁目9。大町釈迦堂口遺跡(伝北条時政邸跡)入口着。
 本日のメイン見学スポット。入口では人数を確認

s-11:03遺跡入口

 入口から一列に並んで細い石段や山道を上って行きます。
 11:05。大町釈迦堂口遺跡(伝北条時政邸跡)着。

s-11:05時政邸跡
ここが…
かつて「伝北条時政邸跡」
と呼ばれていた場所ね…。
想像していたより
ずっと広かったです



一時、ここにも土地開発の手が伸びたこともありましたが、
鎌倉時代の風景が手つかずのまま残っているのだそうです


◆大町釈迦堂口遺跡(伝北条時政邸跡)
名越ヶ谷といわれる谷戸にあり、鎌倉幕府初代執権・北条時政邸跡との説もありましたが、
鎌倉市教育委員会の発掘調査で年代の違いが発覚。
13世紀前半に亡くなった時政に対して、やぐらの存在や出土品(国重文に指定されている
高価な「青磁の鉢」など)から13世紀後半以降に存在したであろう、
それなりの格式を持った未知の廃寺跡の可能性があると考えられています。
現状を見ると、やぐらと平場※の遺構が一体で残る数少ない貴重な場所です。
※墓参りに来た人が集うための墓前の平らな場所。

鎌倉に存在する「谷戸」は200。お寺も「200」。
ほぼ数が一致していますから、ほとんどのお寺は谷戸に存在するといえます。
奥の山際に60ほどのやぐらがあるこの遺跡は、
祖師(開祖)が亡くなるとお寺の裏にやぐらやお墓を造り、
子孫、弟子ども、坊主に帰依する武士などが段になったやぐらを造るという、
鎌倉時代の「お寺」があった場所に合致します。

そもそもここを「浜の御所」と呼ばれていた「伝北条時政邸跡」とすることに、
懐疑的な学者はいたのだそうです。

 11:10。いよいよこれから「唐糸やぐら」と「日月やぐら」の見学です。

s-11:10いよいよやぐらへ







 11:13。石段と山道を上って「唐糸やぐら」着。
 唐糸やぐらの中には何もありません。それもそのはず…

s-11:15唐糸やぐらs-唐糸やぐら








 このやぐらは、頼朝の命を狙った唐糸(からいと)が、
 暗殺未遂の罪で幽閉された土牢
 やぐら左右の上部には柵の穴跡が

s-柵の跡左s-柵の跡右








 「唐糸やぐら」の左隣には「地蔵やぐら」。

s-11:13地蔵やぐら








 すぐ近くの「北條時政邸裏門跡」。ここも「旧」がつきますね。
 橋はギシギシ不気味な音を立てて危険なので、今回は渡らないことになったそうです。
 危ないから安心でもあり、でもちょっと残念

s-11:22裏門跡s-11:21北条時政邸裏門跡s-橋














 この石段が橋へと続く道ですが、道標に従って「日月やぐら」へ進みます。

s-11:34橋へ行く方








「日月やぐら」に向かう途中、左側に巨石が滑落している崖があり、
「危険」テープが張られていました

◆唐糸・日月やぐら
釈迦堂口の周辺には多くのやぐら群(60ほど)が存在しており、
それらは釈迦堂口やぐら群と呼ばれ、
代表的なものに御伽草子の「唐糸草子」ゆかりのやぐらがあります。↑前出。
頼朝の従兄弟の木曽義仲が暗殺を命じて手塚光盛の娘・唐糸を鎌倉に送りますが、
企てが発覚してこのやぐらに幽閉されたという伝説。
舞上手な娘・万寿姫に免じて唐糸は頼朝から恩赦を受けて娘ともども木曽へ帰ります。
手塚光盛は老武士ながら髪を黒く染めて合戦に参加したという逸話が平家物語の中でも有名。

釈迦堂口トンネル上尾根やぐら群の中に、「日月やぐら」があります。
「にちげつ」やぐらとも呼ばれますが、元来は「じつげつ」やぐらです。
やぐら内部の壁面、納骨堂の丸い穴を日輪、
二重に掘られた穴を月輪の形になぞらえて呼ばれています。

 これが…日月やぐら。(写真中)全体を右側から。(写真右)内部を左側から。

s-日月やぐらs-11:32日月やぐらs-P1160037






    (写真左)日。                   (写真右)月。
s-11:28日s-11:28月








 日月やぐらに連なるやぐらのうち可愛い2つをピックアップ。
 (写真左)寄り添っているみたい

s-P1160033s-P1160030








見学が終わり山を下りて、大町釈迦堂口遺跡(伝北条時政邸跡)へ。
さらに来た道を戻って、先ほどの遺跡の入口でガイドさん人員確認。
何故か2人増えてました(背後霊連れて来た)。
こういうことよくあるんですよね、と。
減ってないんだからまぁいいや、という感じで、最後の見学スポット、「六方井」へ。

 11:55。大町3丁目8の角右折。
 ほどなく六方井、到着。後発のグループも追いついて賑やか。

s-12:03六方井周辺s-11:56六方井s-六方井







◆六方井
六方の井、六坊の井ともいわれ、池に似たこの井戸は、
佐竹邸跡で有名な大宝寺の北側に位置し、弘法大師が掘ったと伝わります。
縦3.6m、横4.5mの四角な井戸ですが、どんな日照りにも涸れることがなく、
名越周辺の人たちはもちろん浄明寺周辺の人たちも水を汲みに来たといわれます。
井戸の側面に出っ張ったところがあり、龍頭といって、
水がこの龍頭まで減ると必ず雨が降るといいます。

この井戸は山の反対側にある比企ヶ谷・妙本寺の蛇苦止明神内の「蛇形の井」と通じており、
井戸の主である蛇は、六方井と蛇形井を行ったり来たりしているという伝説があります。
すなわち、蛇形の井の水面が漣立っている時には水底に蛇がおり、そうでない時には、
こちらの六方井に来ているのだということです。

この蛇は頼朝の長男・頼家の側室「若狭局(わかさのつぼね)」の化身といわれています。
若狭局は比企の乱の際に焼け死んだ、あるいは池に身投げしたとの説があります。
その50年後、北条義時の庶子で七代執権の政村の娘が物の怪に取り憑かれて暴れ、
ペロペロと舌を出し、身体をくねらせ、その姿はまるでヘビの様相、
いまだ恨みを忘れていない若狭局の霊が乗り移ったといわれました。


 六方井から大町大路に出て、12:10。ローソン駐車場にて解散。

s-12:10解散


楽しい散策コースでした
北條時政邸裏門の橋が渡れなかったのは残念でしたが…。
この特別拝観コースは、再び企画されるとのことです。



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円覚寺舎利殿、特別公開 1005054

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2010年5月5日(水・こどもの日)夏日

円覚寺舎利殿の屋根の修繕工事が完了し、5月のGW中「特別公開」とのこと。
国宝舎利殿の公開は、例年正月三ヶ日と、
11月の文化の日を含めた三日間行われる「宝物風入」の時の合計六日間のみ。

 貴重な機会なので、見学にやって来ました。11:05。門前着。
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 ここから正続院の境内。奥に舎利殿が見えます。GW最終日、多くの参詣者が。
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 舎利殿の参道にできた列に並んで参拝&見学します。
s-P1110782s-P1110754







 番を待っている間、周辺をジロジロ
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s-P1110756s-P1110757







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P120 芸術・文化【文化財】 国宝 ■建造物 一件
円覚寺舎利殿(えんがくじしゃりでん)〔円覚寺〕
円覚寺開山の無学祖元(むがくそげん)〔仏光国師〕の塔所(たっしょ)。
正続院(しょうぞくいん)の中心をなず建物。
鎌倉尼五山(かまくらあまござん)の太平寺(たいへいじ)仏殿を、
1585(天正13)年頃に移建したもの。室町時代前期と考えられています。
繊細で洗練された中世禅宗様式仏殿の典型

国宝舎利殿の公開は、例年正月三ヶ日と、
11月の文化の日を含めた三日間行われる「宝物風入」時の合計六日間あります。

 ん〜
 これが円覚寺舎利殿【国宝かぁ…
 過日(4月24日)に東武ワールドスクウェアで見たミニュチュアによく似ていました
s-P1110761
堂内中央。源実朝が南宋から請来したと伝える
仏舎利(釈尊の遺骨)を安置した厨子。
s-P1110763







舎利殿の屋根は、薄くした板を少しずつ重ねていく「柿葺(こけらぶき)」
修繕するのは17年ぶりとのこと。
時が経つにつれ黒ずんでいくので、
金色に輝く屋根はふき替え直後だけに見られる貴重なものです。

 舎利殿屋根のアップ。重なった板の細かい段差が美しい
s-P1110796
 こちらは修繕前の柿葺でしょうか
s-P1110781








 舎利殿(写真左)左側から。(写真中)右側から。
(写真右)円覚寺派専門道場「正法眼堂(しょうぼうげんどう)」では、
 雲水(うんすい)の厳しい修行が行われています。
s-P1110789s-P1110797s-P1110791







 舎利殿左手の洞、奥の石碑や石塔。
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 (写真左)蔵。(写真右)鐘楼。
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  正続院(しょうぞくいん)
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公式P90 正続院(しょうぞくいん)
塔頭。山号は万年山(まんねんざん)。
九代執権北条貞時が、1285(弘安8)年、
仏舎利を納めるために建立した祥勝院という堂宇でした。
境内には日本最古の唐様建築で国宝の舎利殿、開山堂、正法眼堂(禅堂)があります。
開山堂※に祀られる木造仏光国師(無学祖元)坐像は国の重要文化財。非公開。
※開山堂は舎利殿の後方にあります。

s-P1110774
 s-P1110775s-P1110776









【おまけ】
五月晴れの空の下、円覚寺境内で見かけた美しい花々です。

 (写真左)ツツジ。如意庵下にて。(写真中)ボタン。法堂跡付近にて。
                     (写真左)シャガ。妙香池付近にて。
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 三門近くのベンチで休憩
 若葉が揺れる木陰の安らぎ…やっぱり5月はいいなぁ
 旅路はまだまだこれからなのにすっかり根が生えてしまった

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 「蔵六庵」下でタケノコを発見
s-P1110838








円覚寺(えんがくじ)の拝観は…
:鎌倉市山ノ内409 :JR北鎌倉駅から徒歩約1分。
:0467-22-0478
:8:00〜17:00(11月〜3月は〜16:00)無休。
:300円

円覚寺公式HP

公式P は、「鎌倉観光文化検定公式ガイドブック」掲載ページ。


お腹が空いたので、こちらでランチすることになりました。
 土遊食楽「紫穂の里」(どゆうしょくらく「しほのさと」)

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 「SHIHOご膳」いただきました
 彩りがとても綺麗で、おいしかったです
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(写真右)あと、かやくご飯とお味噌汁、香のものが付いて980円也(写真左)。
店内はとても静かで落ち着いた雰囲気でした。

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極楽寺「花まつり」本尊御開扉と忍性五輪塔 1004084

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2010年4月8日(木)

少々冷たい風はあるものの、スッキリ快晴。極楽寺に来ています。
本日「花まつり」の前後3日間の本尊・清凉寺式釈迦如来立像御開扉と、
開山忍性菩薩五輪塔一般公開(4月8日10時〜15時のみ)に出かけました。特別拝観料:500円。
境内は写真撮影禁止のため、写真は少ないのですが、拝観の感想などをアップします。

s-山門s-入口








本堂の前に花御堂(はなみどう)が設置されていました。
浴仏盆(よくぶつぼん)と呼ばれる水盤に小さな誕生仏〔お釈迦様〕が安置してあり、
参詣者はその頭上に柄杓で甘茶をかけます。
甘茶をかけるのは、九つの竜が水を吐き、生まれたばかりのお釈迦様の身体に注いで産湯としたという伝説から。
この花御堂は、摩耶夫人がお釈迦様を降誕したと伝えられるルンビニ苑をかたどったもので、
椿や菜の花など色とりどりの春の生花で彩られた屋根が一際華やかでした。
そして…甘茶の接待も頂きました

去る3月1日(月)に「梅かまくら寺社特別拝観」で訪れた極楽寺。
その折に本堂内部と転法輪殿〔宝物館〕(ご本尊は非公開)を拝見していたので、
本堂にお参りした後、まずは本堂裏から奥に続く小道を歩いて3分ほどの
開山・忍性の墓や開基・北条重時の墓などがある奥の院の見学へ。
s-忍性墓・奥の院s-P1100521







途中、鎌倉検定の懇談会等でご一緒だったOさんにお会いしました。

 奥の院遠景。
 中央の桜の左側に開山・忍性の墓や開基・北条重時の墓など。
 桜の右側には三世・順忍の墓があります。

s-墓遠景








 開山・忍性の墓前でちょうど法要が執り行われていました。
 それは真言律宗を象徴するかのような、とても厳かなものでした。
s-P1100511s-法要







お経が唱えられる中、列に並んだ参詣者は前から順にお焼香して下がります。
順番が近づくにつれてお香の香りも強くなり、何の香りかわかりませんが、
初めてのとても甘く優しい香りでした
安山岩製の伊豆石でできた4メートルもの高さがある五輪塔はとても大らかで
悠々として、何かもの言いたげにも見えました。
暖かな陽光に包まれて墓前に進み出で心静かにお焼香をしている時、
「忍性菩薩」と呼ばれたその人となりが伝わって来るような感覚を覚えました。

開基・北条重時の墓〔宝篋院塔〕は、大きな忍性墓の傍らに。

公式P196 忍性(にんしょう) 1217(建保5)〜1303(乾元2)
鎌倉時代、真言律宗の僧。
極楽寺の開山となり、貧民救済のため、悲田院、施薬院などの療養施設を開設。
長谷の桑ヶ谷療養所では粥の炊き出しなどを行いました。
道路や橋、井戸の修築など土木事業にも尽力しました。
極楽寺本堂内右手奥に「忍性菩薩像」、
境内には忍性が粥を施したとする「極楽寺の井」や「千服茶臼」。「製薬鉢」も。

 忍性の墓から右、先ほどの写真で桜の木の右手と述べた方向に三世・順忍の墓がありますが、
 同敷地内に檀家さんのお墓があるため、非公開〔進入禁止〕になっています。
s-順忍の墓方面







 近くの稲村ヶ崎小学校から聞こえる子供たちの元気な声、谷戸の鶯のさえずり。
 春を感じさせる花々が微風に揺れ、しばし心を和ませてくれます。
s-菜の花とハチs-白い花








奥の院から戻り、本堂および転法輪殿〔宝物館〕を見学しました。
前回の特別拝観で拝見できなかった転法輪殿の本尊・清凉寺式釈迦如来立像
〔重要文化財〕は、
蓮華台を除いたとしても、高さ157.8cmとは思えないほど大きく見えました。
平安時代、中国に留学した譱魁覆舛腓Δ佑鵝砲中国より齎(もたら)した
清凉寺如来像に由来するもの。
檜寄木造で1260年代後半の作とされ、髪は結い上げて縄状に、衣は首元まで、
お釈迦様の若々しく端正な姿を写した生身仏(しょうしんぶつ)。
布施の教えを示す右手が施無畏印(せむいいん)、左手が与願印(よがんいん)。
瞳は現在黒漆を塗っているが、当初は水晶やガラスが埋め込まれ、
とても柔和な表情だった、といいます。
水晶やガラスは戦火から逃れるために持ち出す際に破損したとのこと。

転法輪殿から外へ出て「八重一重咲き分け桜」を。
またの名を「御車返し(みぐるまがえし)」という理由は、
昔偉い人が車を引き換えさせてもう一度見たがるほど美しかったから。
確かに一枝に八重と一重とが混生していました。
ソメイヨシノより少し遅れて満開になるので、これから見頃を迎えます。
北条時宗のお手植えと伝えられ、現在の桜は古株から発生したものです。

他にも「極楽寺の井」など、今まで見逃していたものをいろいろと見ることができました。
これは…体調が悪いくらいの方が、一ヶ所に落ち着いていられて良いかもしれません
じっとしているのが苦手な性格上

 帰りに「桜橋」からソメイヨシノ。
 もう終わりかけでしたが…。
s-桜橋から桜






これから鎌倉に戻り、鶴岡八幡宮へ参ります。

極楽寺(ごくらくじ)の拝観は…
:鎌倉市極楽寺3-6-7 :江ノ電「極楽寺」駅から徒歩約2分。
:0467-22-3402
9:00〜16:30
宝物館は今年から開館日が変更になりました。
2010(平成22)年から
4月25日〜5月25日 と 10月25日〜11月25日
上記2期間内の火・木・土・日。開館時間は要確認。)

:無料(宝物館は300円)

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清水観音堂、初午・秘仏ご本尊ご開帳 1002134

写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。

2010年2月13日(土)

上野動物園から徒歩5分ほど。寛永寺「清水観音堂」にやって来ました。

 ▼こちらは上野駅周辺の地図です。右上「●表門」とあるのが、上野動物園入口。
 いま、「現在地」と表示された地点、「清水観音堂」の「清水坂」下にいます。

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 ▼京都・清水寺を模した舞台造(ぶたいづくり)の「清水観音堂」
 石段状の「清水坂」下から望む。

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寛永寺「清水観音堂」
 1625(寛永2)年、天海僧正の発願により上野忍岡に創建された東叡山寛永寺は、
その寺域を比叡山延暦寺と京都の名所を意識して整備されたといわれています。
 清水観音堂も京都清水寺の懸崖造本堂を模して創建された同宇です。
現存する旧寛永寺建造物群では最も古く、1631(寛永8)年に創建されています。
当初、現在地の北側100mに位置する上野忍岡で最も高い摺鉢山(すりばちやま)に創建されていたことは、
京都の清水寺が京都市街地を眼下に臨む東山山麓に建立されていることに倣ったと考えられます。
 清水観音堂の規模は桁行(けたゆき)5間(約12.5m)、梁間(はりま)4間(10.8m)、
単層入母屋造、壁面は赤漆塗、屋根は本瓦葺です。
とりわけ、正面の不忍池(しのばずのいけ)を臨む舞台造は、上野の山を代表する建造物として
江戸時代から浮世絵にも描かれています。
 1990(平成2)年から1996(平成8)年に解体・修理が行われ、様相を一新しました。
その際に発見された棟札から、従来、1696(元禄9)年に移築されたといわれていましたが、
1694(元禄7)年であったことが明らかとなりました。
出典:〜重要文化財(建造物)〜 寛永寺清水堂 ハガキ

今日は旧暦の「初午(はつうま)の日」です。

 ▼午前10時〜と午後2時〜「初午厄除大祈祷会」が催され、
 多くの信徒の皆さんがお見えでした。

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そして、年に一度の秘仏ご本尊「千手観世音菩薩」のご開帳の日であります。

そもそも清水観音堂は、京都清水寺の義乗院春海上人から、同寺安置の千手観世音菩薩像が、
天海僧正に奉納されたことに因んで摺鉢山(↑前述)に建てられたのでした。
この千手観世音菩薩像は、長門本『平家物語』の「盛久受難の身代わり観音」としても知られています。
壇ノ浦の合戦後、各地に落ちた平家の武将には鎌倉側の厳しい追求の手が伸びましたが、
京都に隠れ住んだ主馬判官盛久(しゅめほうがんもりひさ)は、
自分の護持仏・千手観世音菩薩を清水寺の脇尊として奉納し、千日参詣の祈願を続けていました。
しかし志半ばで鎌倉側に捕らえられ、1186(文治2)年6月28日、鎌倉由比ヶ浜で斬首となりました。
ところが、盛久の頸めがけて振り下ろされた刀は折れ砕け、
また北条政子の夢にも清水寺の高僧が現れて盛久の赦免を願ったので、
驚いた源頼朝は直ちに盛久を免しました。
京都に戻った盛久はすぐに清水寺に参詣すると、寺僧から盛久奉納の観音像が、打ち首のその時に倒れ、
腕が損傷した由を聞き、その奇瑞と霊験のあらたかさに感涙にむせんだ、という物語です。
そして、この奇瑞が、ちょうど午の歳、午の日、午の刻に起きたことが、清水観音堂の初午参りの縁日と、
年に一度の秘仏ご本尊ご開帳の縁起になっています。

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午後2時からの「初午厄除大祈祷会」終了後、午後5時までの間、堂内で下足を脱いで中に上がり、
この「千手観世音菩薩」像と
脇尊の「聖観音」像、「子育て観音」像などを間近に拝観させていただけるとのことでした。

わたし達は午後2時50分頃に清水観音堂に到着。
ちょうど拝観者で混み合っていたので、少し(10〜15分)後、
多くの拝観者が退出されて以降、ゆっくり拝観させていただくことにしました。
(たまたまかもしれませんが、午後3時頃には空いていました)

靴を脱いで、順路に従って堂内を進み、ご本尊向かって左の脇尊「聖観音」像、
そしてご本尊の「千手観世音菩薩」像、
さらにご本尊向かって右の「子育て観音」像の順にお参りしました。

最初に拝見した脇尊「聖観音」像のお姿が美しく印象的でした。
この「聖観音」像は、鎌倉時代の運慶派の作と推定されています。

そして、ご本尊「千手観世音菩薩」像は、像自体が黒いうえ、
暗い中だったので、お顔がよく見えないのがたいへん残念でしたが、
高さ50cmくらいの小さな像で、下から覗くような感じで蓮華座、たくさんのお手、光背を確認できました。
多少なりともそのいわれを知っていると、とても感慨深かったです。
今年1月9日(土)に鎌倉能舞台にて、能『盛久』を鑑賞してからのご縁つながりでした。

「清水寺観音堂の案内」リーフによりますと、
平安時代比叡山の高僧・恵心僧都(えしんそうず)の作と伝えられ、大悲観音ともいわれるお姿は、
合掌したお手・禅定印を結ぶお手の他に小さなお手が40本、合計42本のお手があり、
小さなお手の1本が二十五有(にじゅうごう)という25種類に分類されるあらゆる世界の
生きとし生けるもののすべてに慈悲の手をさしのべるお姿を表しています。

「合掌したお手・禅定印を結ぶお手の他に小さなお手が40本、合計42本」とありますが、
文面からなぜ44本にならないのか、よくわかりません

そして、最後にご本尊向かって右の「子育て観音」像
子授・安産・子育ての観音様として、多くの信仰を集めています。
特に子授は『法華経』観世音菩薩普門品に
「若し女人有りて、もし男を求めんと欲して観世音菩薩を供養し礼拝せば、
すなわち端正有相の女を生ぜん」とある通り霊験あらたかで、
この観音様に祈って子宝を授かった両親が、
その無事を願って奉納した身代わり人形が、ご宝前に多数供えられています。
この人形の供養が、今日では可愛がってきた人形に感謝して供養する人形供養になっています。

 ▼清水の舞台を模した舞台造。とその眺め。前方に不忍池を望む
 多くの人々が「物見遊山」に訪れたといいます。

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清水観音堂 江戸三十三観音 第六番札所
〒110-0007 東京都台東区上野公園1-29(西郷隆盛銅像傍)
03-3821-4749

清水観音堂の近くには「天海僧正毛髪塔および供養塔」「彰義隊墓所」などもあり、
また改めて散策に訪れてみたいと思いました。
今回は触れませんでしたが、清水観音堂は1868年の上野戦争の舞台にもなっており、
堂内にはその模様を描いた大きな絵馬や湯島の東大の方から撃ち込まれた大砲の弾が飾られています。
上野戦争で寛永寺は灰燼(かいじん)に帰しましたが、
幸運にも清水観音堂は焼け残り現在に至っています。

【おまけ】

 ▼上野公園内で見つけた薄紅。一番早く咲く「寒桜(カンザクラ)」。

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 ▼それから…「上野大仏」に立ち寄りました。

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つい散策の足を延ばしてしまう暖かな季節の到来が待ち遠しい1日でした。
雪混じりの小雨がぱらつく中、早々に家路につきました。

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