Nathanielの競馬ブログ

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2017年02月

エピカリスの牝系と生産者・鎌田牧場の執念

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ヒヤシンスSを快勝し、4戦4勝としたエピカリス(美浦・萩原厩舎)。
その牝系は1972年天皇賞春・優勝馬ベルワイドに遡り、
40年以上に渡り、コンスタントに活躍馬を送り出してきた。

今回はコランディアを祖とする牝系の歴史と、
エピカリスのこれまでについて、紐解いてみたい。


【天皇賞馬ベルワイドと、コランディアの牝系】

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エピカリスの牝系は、1958年生の英国産の輸入馬、コランディアを祖とする。

浦河・鎌田牧場でコランディアが10歳の時に生んだベルワイドは、
1964年セントレジャー勝ち馬インディアナタケホープの父)の産駒。

競走年齢に達したベルワイド
東京・阿部正太郎厩舎に入厩し、主戦騎手を務めたのは加賀武見。
後に1978年有馬記念優勝馬カネミノブを生む、
厩舎・騎手のコンビで競走生活を送った。

1971年スプリングS2着と早くから頭角を現したベルワイドは、
ダービーはヒカルイマイの前に6着、
菊花賞はニホンピロムーテーの4着。

その間、セントライト記念で重賞初制覇を飾り、
翌1972年、天皇賞春で菊花賞馬アカネテンリュウらを下し、
念願の八大競走制覇を飾った。


こうしたベルワイドの活躍の中、
エピカリスの4代母であるヤヨイカマダは、
当時のリーディングサイアー・チャイナロックの仔として
期待を受けて誕生する。

ヤヨイカマダ
とその仔ミユキカマダ(父ダイアトム)は、
記録を調べる限り、顕著な成績を残していないが…
ミユキカマダは1980年代に、
ルイジアナピット(父ヴァリィフォージュ)、
ダイカツリュウセイ(父プルラリズム)と、2頭の重賞勝ち馬を輩出し、
社台C白老Fで生産された
ルイジアナピットの孫リトルアマポーラ(父アグネスタキオン)は
エリザベス女王杯を優勝。

ルイジアナピットの半妹
マーチンミユキ(父マルゼンスキー)から発展した牝系は、
上記の表のとおりバアゼルリバー(父フジキセキ)、
アデイインザライフ(父ディープインパクト)、
メイショウナルト(父ハーツクライ)と、
近年、次々に重賞優勝馬を輩出している。


【コランディア系の特長と、鎌田牧場の執念】

上記の表のとおり、コランディアの牝系は、
1970年代~2010年代まで、途切れることなく重賞勝ち馬を輩出した。

特に1990年代以降の活躍馬は、
全てサンデーサイレンス
サンデーサイレンス系種牡馬の産駒である点が特徴的。
サンデーサイレンス系種牡馬との相性の良さを、
コランディア系の一つの特長と見ることが出来ると思う。


またエピカリスメイショウナルト兄弟に至る牝系は、
4代母ヤヨイカマダから現在に至るまで、全て浦河・鎌田牧場の生産馬。
チャイナロックダイアトムマルゼンスキーカーネギーと、
当代の一流種牡馬や欧州活躍馬が配合され、
生産者・鎌田牧場の非常に強い期待と、執念を感じ取ることができる…。

このような血統背景は、
代々メジロ牧場の血が重ねられた、
モーリスと通じる部分を感じることができる。
エピカリスモーリスと同じく、
カーネギーを母父に持つ点も、興味深い偶然の一致。

代々、競走馬の所有を行わない
マーケットブリーダーの鎌田牧場生産馬・エピカリスは、
当歳時の2014年、セレクトセールに上場され、
ノーザンファームに2600万円で売却された。


【エピカリスのデビュー、止まらない快進撃】

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ノーザンファームで育成を受けたエピカリスは、
キャロットファームの所有馬となり、
募集総額は3600万円に設定された。

この設定金額は、
セレクトセールの購買金額2600万円から見ても、
かなり強気な設定であり、
育成段階での動きの良さを示すもの。
生産者サイドの期待は、高いものと推測された。

美浦・萩原厩舎に入厩したエピカリスは、
2歳8月、新潟のデビュー戦を単勝2,3倍、6馬身差で圧勝。
続くプラタナス賞は単勝1,5倍、7馬身差。
北海道2歳優駿は単勝1,6倍、2,4秒差の大差勝ち。
休養明けのヒヤシンスSは、18キロ増の馬体で、
単勝1,4倍の支持に応える完勝。
前評判に違わない、いや、それ以上の活躍を見せた。


【注目される今後のプラン】

エピカリスはすでにUAEダービーに選出済み。
ヒヤシンスSの勝利で、
ケンタッキーダービー出走に必要なポイントを手にした。

ノーザンファームの吉田勝己代表は、
JRA賞授賞式で、
「アメリカのベルモントSも目指したい」
(1月31日付デイリースポーツ)
と、昨年日本のラニが3着に入ったレースを具体的な遠征候補に上げた。

ルメール騎手は、ヒヤシンスSのレース後
「(米国のレースに挑むことに関しては)
スピードがあって前につけられる脚があり楽しみ」

(2月19日ラジオNIKKEI競馬実況web)
と、遠征に対応できる点を強調。

一方で、萩原調教師は、
「海外遠征はオーナーと相談してから考える。
ドバイについては近いうちに結論を出したい」

(2月19日付スポニチアネックス)
と現時点で、遠征プランの明言を避けた。


ここまで国内で圧倒的な力を見せており、
モーリスと同じく日本在来の血統を持つ馬が、
遠征に出る意義はとても大きい。

しかし3歳春の国外遠征は、
成長面で大きなリスクを負うことも確か…。

陣営がどんな判断を下し、
近日中にどのような発表があるか。
動向を注目して見守りたいところ。



競馬界のストーリーテラー・杉本清の神髄(1)

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2月19日で、競馬実況の神様・元関西テレビの杉本清アナウンサーが、
80歳の誕生日を迎えられる。

状況を伝えるだけではなく、独特の語り口調で、
1960年代~2000年代初頭にかけて、
競馬ファンを魅了してやまなかった「杉本節」。

実況スタイルを、5つの視点から捉え、
その神髄に迫ってみたいと思う。


【杉本節の代名詞 〇〇に春】

1937年、奈良県生まれの杉本は、1961年、関西テレビ放送に入社。
翌1962年には、早くも競馬の仕事に携わったという。

杉本の大レース実況で、最も知られた初期の実況は、
36歳、1973年に用いた次のフレーズであろう。


「無冠の貴公子に、春が訪れます」
(1973年天皇賞春 勝ち馬タイテエム


四白流星、グッドルッキングホースで、
前年のクラシックで
ロングエースランドプリンスイシノヒカルと共に
4強の一角に数えられながら
これまで八大競走勝ちがなかったタイテエム

杉本は、直線半ばでタイテエムの勝利を確信するや、
上記のフレーズを発し、
見る者に「無念を晴らす馬のストーリーの素晴らしさ」を強調した。


このような競走馬のストーリーを強調した表現は、
「〇〇が1着」という、状況を的確に伝える実況とは、
一線を画すスタイルであり、
杉本が切り開いた、競馬実況の新境地と言える。


杉本の代名詞となった「〇〇に春」のフレーズは、
その後の実況でも多く用いられることとなる。


「無冠の貴公子に春が訪れてから9年、
無冠のプリンスにも春が訪れました」

(1982年天皇賞春 モンテプリンス


「何もない襟裳に、春を告げた」
(1977年・天皇賞春 エリモジョージ
※森進一のヒット曲「襟裳岬」からの引用。


「メジロ牧場に春」
(1998年天皇賞春 メジロブライト


また、次のフレーズも、
「惜敗続きの無念を晴らした人馬の栄誉を讃えた」意味で、
「〇〇に春」と、同じ雰囲気を感じさせられる、名実況。


「ついにやった、渡辺やった。ガッツポーズ。
サッカーボーイも喜んでいる。」

(1999年菊花賞 ナリタトップロード



【卓越した情景表現、見る者の脳裏に焼き付く実況】

BS放送、CS放送が充実した多チャンネルの現代と違い、
1990年代以前、テレビで競馬を観戦するファンは、
地上波キー局の一つの実況を、共有した。

このような時代において、競馬ファンは、
「このレースの時は、この実況だった」と、
優れた実況アナウンサーのフレーズを聞くだけで、
そのレースのシーンを瞬時に思い出せたものである。

杉本は、卓越した情景表現で
「フレーズを聞いただけで、情景が思い浮かぶ」
いわば「キャッチー」な実況を、いくつも残している。

最も代表的なものが、40年を経ても色褪せない次のフレーズであると思う。


「後ろからは何も来ない、後ろからはなーんにも来ない。
赤の帽子がただ一つ。」

(1975年桜花賞 テスコガビー


桜花賞を大差勝ちしたテスコガビーが独走する様を、
杉本が大胆に描写した実況。

杉本、本人の後日談によれば、
「後ろの馬の関係者に申し訳なく、大変な実況をしてしまった」
(2000年・テレビ東京の年末特番での発言)
と後悔したというが…
テスコガビーの強さを強調するフレーズとして、
いまやこの実況は、欠かせない表現となっている。


「菊の季節に、桜が満開」
(1987年菊花賞 サクラスターオー


骨折休養明けで、皐月賞以来の出走となったサクラスターオーの快勝を、
馬名とレース名をかけ、鮮やかに描写した名実況。

当日のサクラスターオーの単勝は18頭中9番人気。
このフレーズを、レース前から用意していたとは考えづらく…
改めて、臨機応変な表現力に感嘆する。


杉本はサクラスターオーと同じく、馬名をかけた描写で、
次のフレーズを残している。


「神戸、京都に続き、菊の舞台にも福が来た」
(1997年菊花賞 マチカネフクキタル


「セイウンスカイ逃げ切り、
まさに今日の京都競馬場の上空とおんなじ、青空。」

(1998年菊花賞 セイウンスカイ


また、杉本の「情景描写」の実況で、傑作として知られるのが、
小雪の舞う中、目の覚める末脚で勝った追い込み馬を描写した、
次のフレーズ。


「雪は止んだ、フレッシュボイス」
(1986年毎日杯 フレッシュボイス


「大波乱のレースの驚き」を的確に表現した次のフレーズも、
レースが終わった瞬間の競馬場の雰囲気を捉えた意味で、
情景描写の名実況ととることが出来ると思う。


「これはゼッケン番号6番、サンドピアリスに間違いない。
岸滋彦、これはビックリだ」

(1989年エリザベス女王杯 サンドピアリス


GIレースで単勝430,6倍、20頭中20番人気
サンドピアリスの大激走。
手元の出馬表と、モニターを照らし合わせる杉本の姿が、
浮かんでくるような描写である…。


「史上最高のマッチレース」と謳われる1977年有馬記念で、
「テンポイントファン」を公言してはばからない杉本は
次の描写を残し、後世に語り継がれている。


「中山の直線を流星が走りました、テンポイントです。
しかし、さすがにトウショウボーイも強かった。」

(1977年有馬記念 テンポイント


この実況は、関西の実況アナウンサーである杉本が、
テンポイントの海外遠征特集で放映するため、
レース当日の放送用とは別に行った実況であるという。

しかし、それにも関わらず、
レースの余韻に浸るところで、テンポイントを讃えるだけでなく
トウショウボーイも強かった」と付け加えた点が、
このレースの凄まじさを印象付け
トウショウボーイのファンの思いもくみ取った
名実況であると感じる。


競馬界のストーリーテラー・杉本清の神髄(2)


競馬界のストーリーテラー・杉本清の神髄(2)

【騎手に焦点を当てた巧みな描写】

杉本の実況は、
馬だけでなく、時に騎手に焦点を当て、
より広い視点で競馬の魅力を表現した。


「また菅原だ、ホリスキー」
(1982年菊花賞 ホリスキー


前年のミナガワマンナ(14番人気)に続き、
ホリスキー(9番人気)で、
難コースの菊花賞を制した、菅原泰夫騎手を讃えたフレーズ。

馬よりも先に騎手の名前が来る、この実況は、
当時としては、非常に斬新な実況で、
杉本の開拓した実況の一面と見ることが出来る。


「負けられない南井克己、譲れない武豊」
(1989年マイルCS オグリキャップ

安田記念勝ち馬で、
父・武邦彦師の管理馬であるバンブーメモリーに騎乗し、
押し切りを図る武豊騎手と、
単勝1,3倍、圧倒的1番人気に推されたオグリキャップで、
ゴール直前、先頭に並びかけた南井克己騎手の攻防を、
的確に捉えた表現。

馬の名前が全く出てこないにもかかわらず、
すぐに情景が浮かぶ、このフレーズ。
表現の巧みさを感ぜずにはいられない…。


また杉本は、
長身騎手で、知らず知らずの内に上位争いに加わっている
武邦彦を「名人」と表現し、
大レースに強い勝負師の田島良保を、
当時の人気ドラマをなぞり「必殺仕事人」と名付けた。

どちらも、後々まで残る両騎手の代名詞となった表現であり
騎手に焦点を当てた、杉本ならではの名表現である。



【プロの視点の導入と、実況に挟み込む常套句】

「桜花賞ポイントの800Mの標識を何秒で通過するか」

杉本の桜花賞の実況で、必ずと言っていいほど聞かれたこのフレーズ。
「魔の桜花賞ペース」と呼ばれ、毎年のようにハイペースになるレースで
杉本は勝敗の行方を左右するペースを読み上げた。
杉本はペースの概念を
初めて実況に持ち込んだとされる。

これは杉本が栗田勝騎手に対する取材から得た概念で
同じように、菊花賞では、栗田に対する取材をもとに

「京都競馬場第3コーナーの坂は、ゆっくり上り、ゆっくり下るのが鉄則」

と、ポイントとなる実況を入れていた。

今や、競馬中継でペースが表示されるのは、ほぼ当たり前となっており
杉本の実況が後世に与えた影響は大きい。


また、宝塚記念の実況で有名になった
「今年もあなたの、そして私の夢が走ります」
も杉本を象徴する常套句。

いずれも、従前の実況と、一線を画したスタイルであり、
杉本の個性が色濃く反映されている。


競馬界のストーリーテラー・杉本清の神髄(3)


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