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(寝わらを口につけ、愛らしい表情のローズキングダム
2016年8月、ブリーダーズSSにて撮影。)

1995年以降の22年間で、
勝ち馬から12頭のGI馬が生まれた、出世レース、
東スポ杯2歳S(旧名称・府中3歳S)。

自分が現地で見た中で、最も印象に残るのが、
09年の同レースを制し、翌年のジャパンカップを勝った、
ローズキングダムのレースぶり。

今回はレースと、前後の背景、
ローズキングダムが辿った足跡について振り返ってみたいと思います。


【バラ一族の良血馬、伝説の新馬から1戦1勝の参戦】


ローズキングダムは、1990年代以降、
活躍馬を次々と輩出した
ローザネイを祖とする、いわゆる「バラ一族」の出身。

ローズキングダムの祖母はローザネイの直仔で、
1996年秋華賞3着など、追い込みで慣らしたロゼカラー

ローズキングダムの母ローズバドは、
3歳時の2001年にオークス、秋華賞、エリザベス女王杯と、
3度のGIで追い込み、2着に入った経歴の持ち主。
またローズバドは、フィリーズレビュー勝利時の体重が416キロと、
大変、小柄な馬であった。


ローズバドの3番仔であるローズキングダムは、
母ほどではないものの小柄な馬体重、456キロでデビュー戦を迎えた。

2歳の菊花賞当日、京都芝1800Mの新馬戦。
この条件は、前年にアンライバルドリーチザクラウン
ブエナビスタスリーロールスと、
活躍馬が出た、「伝説の新馬戦」と言われる条件で、
ローズキングダムが出走した、この年もまた、
素質馬が集結。

ローズキングダムはこの新馬で、
後の皐月賞馬ヴィクトワールピサを3/4馬身差で下し快勝。
2着ヴィクトワールピサと3着の間には、5馬身差がつき、
2頭が見せたパフォーマンスは、
後の活躍を、大いに期待させるに十分なものであった。

ローズキングダムはこの新馬戦から中2週、
1戦1勝、初輸送で、東スポ杯2歳Sを迎えた。


【パドックの印象・際立っていた線の細さ】

東スポ杯2歳S当日。
パドックに入って来たローズキングダムを見て、
まず驚いたのが、その線の細さと、歩くスピードだった。

前走新馬からマイナス6キロ、
450キロの数字以上に細く見える「牝馬か」と思う、細い馬体。

その歩き方は、気合ノリといった表現からは程遠く、
とにかくゆったりとしていて、前を歩く馬との差が、見る見る開いていく。
パドックのコーナーをショートカットして、何とか隊列に入る状態。
直後の順番を歩いてくる、
いちょうS勝ち馬トーセンファントム
札幌2歳S勝ち馬サンディエゴシチー
筋肉質な馬体、気合のノッたリズム感ある歩き方と、
ローズキングダムの歩き方は、正反対に映った。

1戦1勝、初輸送でもあり、
思わず「この馬、大丈夫か?」そう思ったファンも、
決して少なくなかったと思う。

このレース、ローズキングダムは、
前走の内容と良血から1番人気に支持されるも、
単勝オッズは3,6倍。
半信半疑の人気であったことは
多くのファンの目から見て、明らかであったと感じる。


【気持ちで走る馬、300M以上に渡るデットヒート】
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レースは、積極的に逃げる馬がいないスローペースから、
向こう正面半ばでサンディエゴシチーがハナを奪う、
出入りの激しい展開で進行。
このペースにも、ローズキングダムは4番手でがっちりと折り合い、
外目の絶好位で、4コーナーを迎えた。

直線入口。
先頭のサンディエゴシチーローズキングダムが捕えると、
後方グループにいたトーセンファントムレッドスパークルが、
ローズキングダムの背後から外に進出。


残り400M、トーセンファントムローズキングダムと馬体を併せ、
ここからは、完全に2頭の一騎打ち。

一旦は、トーセンファントムがアタマ差ほど出かかるが、
ローズキングダムは差し返し、全く譲らない。

小牧太と、クリストフ・スミヨン、
追わせることには定評のある騎手の追い比べは、
実に300M以上に及び、
ローズキングダムトーセンファントムをアタマ差凌ぎ、
ゴール板を駆け抜けた。


府中の長い直線、300M以上に渡る追い比べ。1800M戦。
それはまるで、オグリキャップイナリワン
伝説の1989年毎日王冠を思い起こす内容。
(参考記事:孤高の渡り鳥・イナリワンの生涯(4)

調教タイムは良くないが、小さな馬体で、気持ちで走る。
これは、それまでのバラ一族と共通した特徴であり、
「いつ崩れてもおかしくない」、
そんな繊細さをコントロールしきった、
小牧騎手の技術と、橋口調教師の管理能力の高さに感服した一戦となった。


【その後のローズキングダム、トーセンファントム】


東スポ杯2歳Sの4週間後、
ローズキングダムトーセンファントムの両雄は、
GI・朝日杯FSで再戦を果たす。

ここも盤石の強さで制し、3戦3勝としたローズキングダムに対し、
トーセンファントムは、最後の直線で故障を発症し、
14着で入線したものの、競走能力喪失で、引退を余儀なくされる。


ローズキングダムは、その後、
前述した管理の難しさからか、馬体を減らし続け、
皐月賞出走時は新馬戦からマイナス18キロで4着。

苦境に立たされるも、
小牧騎手騎乗停止で、直前で後藤騎手に乗り替わった日本ダービーで、
エイシンフラッシュからクビ差の2着。

ダービーからプラス22キロと、大きく馬体を戻した神戸新聞杯では、
エイシンフラッシュを競り合いで抜かせず、見事に雪辱。

その後、繰り上がりではあるが、
3歳でジャパンカップ制覇を経験し、
エイシンフラッシュヴィクトワールピサヒルノダムール
ルーラーシップトゥザグローリーペルーサら最強世代において、
ローズキングダムは確固たる地位を築いた。

4歳以降は16戦1勝と、再び苦しむも、
6歳で長い現役生活を終え、種牡馬入り。
今年デビューした初年度産駒は、勝ち上がった2頭がともに、
父が得意とした東京競馬場で初勝利を上げている。


朝日杯FSで引退を余儀なくされたトーセンファントムは、
島川オーナー所有のエスティファームで、
個人所有のまま種牡馬生活をスタート。

決して多くない種付け数の中から、
産駒のブレイブスマッシュがJRAのサウジアラビアロイヤルカップを勝ち、
その後、豪州に渡り、高額賞金レース、ジエベレストで3着。

種牡馬として、非凡な点を見せている。


東京1800Mの、力の試される条件が、
その後の競走成績、種牡馬成績に反映する点を証明した形の、
2009年の東スポ杯2歳S。

観戦出来て幸運だった、記憶に残るレースと言えそう。