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(二ノ宮師が2度にわたり世界にその名を轟かせた、
印象深い、旧ロンシャン競馬場パドック)


【脱サラから馬の世界へ、溢れるバイタリティ】

二ノ宮敬宇調教師は、1952年、神奈川県の出身。
競馬とは無縁のサラリーマン家庭に育つが、
東京世田谷、JRA馬事公苑の道路を挟んで反対側、
東京農業大学に入学し、馬術部に所属したことで、
馬との関係を初めて持つ。

大学卒業後、一旦は、川崎市内の一般企業に就職し、
サラリーマン生活を開始したが、
すぐに北海道・日高の牧場に転職。


26歳を迎える1978年、
この年開場したばかりの美浦TC、
橋本輝雄厩舎で、調教助手としてのキャリアをスタートさせた。

この時、共に美浦に厩舎を構えた菊池一雄厩舎には、
前年に英国から帰国し、
調教助手として働いていた藤沢和雄調教師がいた。
共に海外遠征のパイオニアで、
ロックディスタウンの管理調教師となる二ノ宮師と藤沢師。
二人はすでにこの時から、関係を持っていたことになる。


競馬と無縁の家庭環境、
一般企業に就職してからの転職。
思い立ったらすぐに行動に出るバイタリティ、
競馬界の古い慣習にとらわれない、
幅広い視点、スピード感覚は、
この時すでに、二ノ宮師の中に、培われていた。


【調教助手から厩舎開業、英国修行で得た経験】


橋本輝雄厩舎で調教助手として働いた二ノ宮調教師。
1981年京成杯3歳Sの勝ち馬で1982年に皐月賞に出走、
1983年の京王杯SCを勝ったイーストボーイは、
助手時代の二ノ宮師の担当馬。

二ノ宮師は、このイーストボーイの馬体を「理想」とし、
後年、厩舎を開業した際、
イーストボーイの馬体写真を事務室に飾るほど、
師の馬を見る眼に、及ぼした影響は大きい。
後述する、ナカヤマフェスタのセレクトセールでの購入も、
イーストボーイの馬体に似ている点が、決め手になったという。


1990年、37歳で厩舎を開業した二ノ宮調教師。
開業3年目までは、年間勝利数が一桁台に留まるが、
この時期、二ノ宮師は調教師活動と並行して、
視野を広げる目的で、海外を歴訪。

最初は米国に目を向けたというが、
やがて欧州の馬づくりに傾倒。

英国の名伯楽、マイケル・スタウト調教師に師事して、
坂路調教のノウハウを学んだほか、
種牡馬場を巡り、当時繁栄を極めていた
サドラーズウェルズダンジグ等を見て回り、
馬を見る眼を磨いた。

この時、共にスタウト厩舎で研修を行った、
フランスの若きホースマンが、
後の遠征でエルコンドルパサーナカヤマフェスタを受け入れ、
様々なバックアップを行い、
二ノ宮師の良き理解者となる、トニー・クラウト調教師。


ホースマンの世界に飛び込んだ時と同様、
思い立ったらすぐに行動に移すバイタリティ、向学心で、
自らの進むべき道を切り開いた二ノ宮師。

ここで得た欧州での地縁と人脈、経験は、
後のホースマン人生の、
重要な礎を築く結果となった。